朝比奈は両手を支えにして頭を後方に倒し空を見上げている。ミシマは両手を両ひざではさんでうなだれている。おれは、、、 おれはそのふたりをボーっと立ったまま見ているだけだ。ふたりのなかにはい入るスキもなく、へんに動けばこの絶妙なバランスが崩れてしまい、それはここまで朝比奈が築き上げてきたミシマとの関係性をくずしてしまう、、、 という言い訳のなかにおれは身を隠そうとしている。
ああ、そうだな、見上げれば空には多くの星がきらめいているんだから、こんな薄暗い地上のざれごとなど、星のまたたきから悠久の歴史を思えば、そんな悩みごとなんか微々たるものだとか、そういう流れに持っていくのもよくある手だ、、、 おれもよくそうやって行き詰ったときに自分に言い聞かせたもんけど、最終的な解決にはならない、、、
「誰かを恨むのも、誰かをおとしめるのも、多くの熱量が必要で、その熱量を誰かを好きになったり、喜ぶことをしてあげたりすることに使えれば、もっとこの世界って素敵になるって信じたい。なのに、どうしてかな、どうしてもそこには猜疑が生まれてしまう。自分だけが、自分だけは、そんな気持ちが人から優しさを奪っていく。自分が信じられないから誰かを疑う。そして誰もがラクなほうに流されていく。少し見る角度を変えればなんてことないんだけど、それができない。できないよね。それなのに50年後の自分がどうかなんてもうどうでもよくて、だったらそこまでにできることはいくらでもあるのに、5分後の自分を守るために、誰かを傷つけることをいとまなくなっている」
てなわけで、おれの読みなんかそうそう当たるはずもなく、そりゃひとはどれだけだって優しくなれるはずなのに、そうなれないのは自分だけが損を取るのが嫌だからで、それって囚人のジレンマってヤツで、誰もが信頼できる間柄であればこの世は天国なんだけど、やはりヒエラルキーとか人口分布とか、8対2の法則とか、どこかに無駄があったり、悪があることで、バランスが取れているんだとこれまでの歴史が語っている。
「あのね、三司馬さん。これは一般論として聞いて欲しいんだけど」
そう言って朝比奈はミシマに視線を送った。その言いぶりから相手のこころを引き付けようとする特有の技が、はたから見ているからなのか、おれには見えてくる、、、 だからミシマにどう映っているかは知れず、、、 知ったかぶりも悪のうちなんだろうな。
「人間も含めた生き物って、これまで種保存ができてきたモノたちは、どうしたって異種を排除することによって自分たちの種族をつないできて、それが自然に遺伝子のなかに組み込まれていく。表現はいろいろで、たとえば美しいと評されるモノを崇拝し、醜いと評されるモノは排除していくと、つきつめれば優性論にまで行き着いてしまう。悲しいかな、そうでなければここで目にするすべての生き物は存在していないし、これからだってその取捨選択はおこなわれていく」
ああ、そっちの方で、悠久の歴史を語るのね、って、それって死者にムチ打つような言葉じゃないのか。いままさに自分はまわりから見下されているから、その状況を受け入れらずに身を消してしまおうとしている者に言う言葉ではないような。
「わたしは、選ばれた人間ではない」ミシマは下を向いた。そう言うよな、、、 おれだって同じだ、、、
「生まれながらにして、選ばれた人間はいない。誰だってそう、わたしだって」
はたから見た限り、どうしたって朝比奈は抜きん出た存在なんだけど、生まれながらにって言えばそうではないだろうし、ここまでなるのに通った道が、けして楽じゃなかったと言われれば、おれたちが安易に、朝比奈は別だとか言うのは失礼極まりない、、、 おれなんかは楽なほうへ流されてここまできたわけだし。
「もう、そういう状況にあることが三司馬さんの今と、これからを映していく。いまさらどうしろとか、考え方を変えろとか、押し付けはしない。誰だってね、多くの人が困っている顔を見るのは好きではなく、自分のまわりが笑顔であればうれしい。それが自分自身の安心にも返ってくるから。それなのに、その逆を求めてしまうひとも出てきてしまう。自分を高めるために、その下にいるひとを作り出そうとするなかで発生する快感ホルモンがどちらに振られるか」
「わたしはどうすればいいの」ミシマは半泣きだ、、、 そりゃそうなるな。
「それは三司馬さんあなた自身で決めて。これはね、誰にだって起こることで、わたしだってなにが引き金になって追いつめられる側の立場になるかわからない。それをどうするか、ひとにゆだねても解決しない。自分で決めるしか、それは変わらない」
その立場に甘んじてしまうのも、あたえられた役割を演じてしまうのも、そうするつもりはない中で、ミシマが自分自身で招いているとはいえ、朝比奈の言葉には容赦がなく、その言葉を受けるたびにミシマのからだは小さく縮んでいく。
「どうかな、この世界から離別するのは何時だってできる。いつでも、どこでも、どこからでも。だったら、別にいまじゃなくてもいいし、それ以外のこの世界から離脱する方法もある。どうしてもいまの生活に固執しなければならない理由が三司馬さんにあるみたいだけど、わたしには無い。だからこの狭い世界からサヨナラするだけなんだけど」
「この世界から、、」そう言って、ようやくミシマは朝比奈の顔を見上げた。
離別とか、離脱とか、そしてさよならって、オブラートにつつんだという言いようもあるけれど、それはミシマにとってはどうかわからないけど、おれには未来のある言葉に聞こえた。
ミシマの目が充血して、何本もの涙のあとがある。朝比奈が言うことは理解できても、みんながみんな、そんな割り切った考えができるわけじゃない。弱い人間は追い込まれれば視野が狭くなり、それだけしか考えられなくなっていくからいくつもの悲劇が、、、 それは本人にとっての、、、 起きてきたわけなんだし。
「やめて」とか「助けて」と言えないのは、それが自分の弱さをさらけ出してしまい、その後の社会生活にも影響を及ぼし、もうそのすべてをあきらめてしまえば楽になるのにそれができないから、朝比奈だってなにもこの環境から逃れるためにアメリカに行くわけじゃないだろ、自分の夢があるからで、、、 ああ、だったら、死を選ぶより、夢を追えばいいって、、、 そりゃ具体的な将来像があればだけどな。
「わたしは、無益な争いを続けるより、ひとの笑顔を見るのが好きな側でいたい。そんな中に一緒にいられる状況も好きだし、もしそれが、わたしから起因する行為で出来上がるなら、やってみたいと思う。ミシマさんからみれば、学校でのわたしの態度からは想像できないと思うけど、実はね、それがわたし自身、一番の後悔だった。どうしても、ひねくれちゃって、もうどうでもいいやって投げやりになっていた。その分、ほかの場所でね、十分発散できちゃって、その二面性を楽しんでしまった部分もあって、ずるずるとここまできちゃったんだけど、ホシノがね、ああ、わたしの友達がみんなの前で歌ってみろって、そう言うから。これはもしかしたら、わたしに与えられた最後のチャンスであり、償いであり、後悔を残さないための場所なんだって。そう思った」
トモダチ、、、 ってとこに引っかかるけど、彼氏ではないし、同級生とか、十羽ひと絡げじゃないだけよしとしよう、、、 イヌでもいいんだけど、人前では避けて欲しいから言われなくてよかった、、、 それよりも同じ場所に居ないような言われようが、それほどおれを絡めると台無しになるって思われているんだな。
「最後の場所、、」
「そう、ここで。三司馬さんにもわたしを見せて、笑顔にできたらって、」
あれ、もしかして言っちゃう? 明日、ココで朝比奈がやろうとしていることを。それでなにか変わるのかおれにはわからない。だけど、まわりを巻き込む力をもつ朝比奈なら、もしかしたらミシマや、この学校の生徒たちの運命を変えるのかもしれないなんて、ちょっと想像してたら腕に鳥肌が立ってきて、だとしたら、おれたちが今日ここに来た意義があるってことになる、、、 いやもしかしておれって、とんでもないことに火を付けてしまったのかも、、、 これが、いまの時代をここで生きている理由付けになるのかと、思わぬところでそんな回答を突きつけられるとは。
「ミセル?」見せるだよ。観せるでもいいけど、、、 なんで漢字で言ってないってわかる、おれ、、、
「わたしね、明日、ここで、屋上で、歌おうとしているの。そう、全校集会のさなかに」
ああ、言っちゃった。勝算あるのか、、、 あるから実行しているんだ、、、 その自信、10分の一でもいいから欲しい。
「えっ、ここで。あっ、わたしも、、」
いやいや、ここでの意味をはき違えている、もしくはこれに乗じて自分の立場を今一度再確認しつつ、こちらにも認識させようとしている、、、 のか、、、 なんにしても、まだ自分を主張しようとしているうちは、もしかして大丈夫なんじゃないかって。
ミシマを見てみれば、運動靴を履いている。服装は夏の外着で青い地に黄色い花がちりばめられている普段着で、そりゃ別に身投げするのに靴を履いたままじゃなきゃいけないとか、普段着じゃあちょっと、なんて決りはないんだけど。
これはもしかして、ミシマも単なる下見だったのか、そこへおれたちが現れて、引けない状況になってしまい、それに乗じて自分の立場に関心を持ってもらおうとし、当の朝比奈だから、原因の発端として引き込みつつ、味方に取り込もうとして、あわよくば自分の側についてもらおうと、、、
「うん、そうね、でもいいじゃない、こんなとこで出会うのもなにか理由があるって意味づければ、おもしろいじゃない。だから、わたしに話してみて。三司馬さんは今日まで、これから先に何を夢見てきたのか。わたしも伝えたんだから、あなたにもそれを話す時間はあるでしょ」
あるはずだ。朝比奈がそう言うんだから。その圧に巻き込まれたひとりのおれが言うんだから。