private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over30.11

2020-07-12 19:23:00 | 連続小説

https://youtu.be/E5ofVsxTPoc
 じゃあ、おれがミシマの夢や将来にどれほど興味があるかと言えば、それほど関心は無いわけで、でも誰かが聞いてあげなきゃいけない時だから、朝比奈がおれを不要としているのはそこらへんも含んでのことだ。

 過度に心配をして興味ない話しを聞いてもボロが出るのは明白だし、そうなればミシマは拠りどころを失い、自暴自棄に走る原因になりかねなく、それをこちらから作ってしまうのはうまくない、、、 こういうときはとかく誰かのせいにしたがるものだ。
「あのう、わたしのことを話すって、そのう、いったい何を言えばいいのか、、」
 だな、みんながみんな明確な夢を持って生きてるわけじゃなく、そりゃ、漠然とあーなりたいとか、こーなりたいって思い描くことはあるだろうけど、具体的に語れるヤツらは朝比奈を含めてごくわずかだし、じゃあそれに向けてなにを取り組んでいるかなんて訊かれればかえって墓穴を掘りそうで、うかつなことは言えない。
 朝比奈はミシマのことを見るでもなく、気にしていないわけでもなく、湿った髪をときおりかき上げる。足下にある配管のうえにシューズをのせ、脚を曲げ伸ばししながらゆるやかに自分の時間を動かしていく。それはミシマの次なる言葉を待っているポーズなんだろうか。
 あの配管ってなんのためのものか知らないけど、つやのない水色に塗られた表層は、ここに訪れた者に時の経過をうったえるように、めくれあがって地肌が浮き出て赤錆も浮いていて、朝比奈が足を動かすとはらはらとペンキが粉のように舞って、緑に塗られたコンクリの地表に落ちていく。
「あのっ、朝比奈さんは、そのう、歌うってどんな、歌を、、」
「ふふっ、そうね、まだ決めてないんだけど、何がいいかしら」
 粉になった青いペンキの欠片は、空気の流れに乗ってさらさらと排水溝にかき集められる。排水溝の先にあるゴミ除けの金網には、落ち葉や枯れ木にまじって、片方だけのスリッパや、丸められたテスト用紙、それにタバコの吸い殻が何本か、、、 屋上の歴史が凝縮している、、、 いつだって、どこだって、本当の歴史が知れるのは掃きだめのような場所からなんだ。
 朝比奈が何を歌おうとしているのかをまだ決めていないのか、ミシマとの会話を楽しんでいるのか、ホントのところはわからないけど、これは会話の流れでそう言っているだけで、まじめに何を歌うのかを回答したって話が続かないから、これはミシマの次の言葉を誘っているんだろうな。
 ここではその回答は得られないままで、本当に朝比奈はどのようにして、なにを歌うつもりなんだろうか、不可侵条約の禁を解いて罪を償うために歌うのもいいけど、それは朝比奈側の一方的な想いであって、全校集会の中で突然何やってんだってことになりゃ、屋上でひとり赤っ恥って状況もありえるわけで。
「そうね、ミシマさん、音楽は何が好き。ふだんは、どんな曲、聴いてるの」
 そういいながらおれの方に目を送ってきた。本来なら、その構成をふくめておれの仕事なんだろうけど、思いつきで言ったことがここまで動いてしまい、あとは朝比奈まかせの状況で、おんぶにだっこになっている。それをおれに思い起こさせることも同時にやってるのか、おれは路傍の石になっていた“意識”をもういちど働かせなければ、、、 いったいどんな幕開けをすればみんなが興味を持ってくれるんだろうかと。
「あっ、その、ビリィ・ジョエルが、、」
「へーっ、そう、ミシマさんも洋楽聴くんだ。ミシマさんはビリィのどの曲がすきなの」
 エサに食いついてきたな。食いついたところで話しを広げられるから大したもんで、おれならへーっ、そうかで終わってしまうからな。
「あっ、あの、月並みなんだけど、ストレンジャーが、、」
 あっ、それはわかる。ピアノソロから、口笛ではじまる、前奏が長いヤツだ。あれって月並みなのか、おれもそれぐらいしか知らんから月並みの部類に入るんだなと、、、 それに月並みって言われるストレンジャーにも失礼だな。
「わたしは、あの歌詞にはすごく惹かれて、何度も読み解いてみた。みんな表情を読まれないように仮面をつけて生きている。そして、自分の心にも仮面をつけて自分自身もごまかそうとしているって、誰にだって身に覚えがあって、ドキッとしてしまうフレーズじゃないかと」
「えっ?」 えっ? それっていまのミシマの状況にドンピシャじゃないか、、、 ねらったのか、、、 そんなわけない、言ったのはミシマのほうだし、それにしても量ったようにうまくいくな。
「えって、ああ、変だった? 直訳じゃないからね。でもわたしはそう解釈している。訳詞を先に見ると先入観が入っちゃうから、ヒアリングしながら自分で訳してみる。目に映る言葉だけじゃなくて奥に隠されていることを想像して、作者の想いや陰にひそんでいる闇も読み解いていきたい。こういうことも言いたいんじゃないかとか、作者の知らないうちに零れ落ちてる言葉を」
 それって童話の時に言ってたダブルミーニングのことか、メインになるストーリーの中にひそませる、わかるヤツだけにわかればいいという作者の思惑。それが事実かなんて確認しようもなく、ひとつ間違えばひとりよがりになってしまうのに、朝比奈に正面切って言われるとああそうなんだって、それは事実とかどうかじゃなく、説得力があるかないかで、そうなんだって思い込めるかどうかなんだろうな、、、 プロレスの決め技みたいに。
「あのう、朝比奈さんも素顔をさらけ出すのは、怖いって思っているの?」
「自分のすべてを知られるのは、まったく知られないより怖いことだって、そうなりそうなときって何度も身を構えてしまった。そういう経験って誰だってあるんじゃない。わたしもそう、本心がどこにあるのか、それほど自信をもって生きてるわけじゃない。そうじゃないかとか、そうしたほうがいいとか、まわりに合わせることのほうが多い。そういう自分が嫌で強がるときもあるし、弱さに負けるときもあるから、なんにしろね、心の底まで見透かされるのを隠そうとしている。それほど自分に自信を持って生きているわけじゃない。だから、それは永遠に終わらないし、つねに正解を探している。本心をそうやって探している。誰もがそうであり、わたしや三司馬さんがそうでも別に変ではないから、ビリィも歌詞にしたんだと思うとグッと身近に感じるんじゃない」
「そんな、朝比奈さんもそんな気持ちがあったなんて」
「おどろいた? それとも、ガッカリした?」
 おれはおどろいたよ。いやそれがミシマの気を引くための言葉ならわかるけど、朝比奈がそんな弱い部分をもっているなんて信じがたいし、仮にそうだったとしても聞きたくなかったから、こんな状況にでもならなきゃ知ることもなかった話だとしても、これまであえて表に出したかったともいえ、それで気持ちが楽になることだってあるんだから、すべてを知られたくないなんて言っても、本当に知って欲しいことは、気づいてもらえないし、自分からは打ち明けづらい。
「だって、いつも凛として。なににも屈しない力強さしか見えない」 だよなあ。
「例えばテレビで観るようなひとたち、一流のスポーツ選手でも、役者でもそうなんだけど、もし自分があんな場面でまわりから注目浴びたとしたら、とても正常じゃいられないって、失敗したらどうしようとか、ミスして人に迷惑かけたらどうしようとか思ってドキドキして観てるのに、あの人たちってそれをいとも簡単に乗り越えてしまうのをわたしたちは目の当たりにしてるから、自分にはできない、太刀打ちできないって思い込んでいく。でもね、実際はあの人たちもそれほど心が強いわけじゃないと、その後のコメントや、クスリに逃げてしまう弱さからもわかるでしょ。すべてではないにせよ、実際はね、誰だったそんなに強い心を持ってるわけじゃないのよ」
 そういうのって、あるな。おれも県の大会に出たとき、当時、全国大会でも優勝間違いなしって言われてたトップランナーとトイレでバッタリ出会って、彼は陸上やってるおれたちからすればライバルと言うよりスターのような存在で、その走りを直接目にすることができるってもんだから、いつもより関係者と名乗る高校生が多かったもんだ。
 おれも今回は自己新記録だそうとそれなりに緊張してたけど、ヤツは夢遊病者のようにフラフラとトイレに入ってきて、こりゃサインはムリだけど握手ぐらいしてもらおうかと近づいたら、そのまま個室に入っていって、、、 つまり大以外の体内のものを口から出し始めた、、、 なるべくマイルドに言ってみた。
 なんだ、体調悪いのかって、これじゃあ今日は良い走りが見れないな、なんてガッカリしてたのに、レースには別人のような表情で出てきて、サラッと、、、 たぶん、サラッとだと、、、 当時の高校生記録を塗り替えてしまった。とてもレース前に吐いていたおとこと同一人物だとは思えないぐらいの力強い走りだった。
 朝比奈が言うように、すべての人間がそうじゃないかもしれないけど、そういう人間も多くいるのは間違いない。誰だって無様な姿を人前にさらしたくないし、失敗するより成功を勝ち取りたい。うまくやるには、やれるだけの能力が必要なんだけど、ただ一流のヤツらはひとの目や、期待をその能力に上積みさせる方法を知っているようにおれには思える。
「やらなきゃしょうがない状況で、あえて自分の力量以上のものが発揮できたりするのは、もしかしたらそういったひとたちだけにある特殊な能力だと決めつけてない?」
 おれの心を見透かすように、朝比奈はそう言った。そうじゃない自分をごまかすために、楽にするためにそうやって線引きして、努力をおこたる理由に差し替えているのを見抜いているんだ。そう思ったのはミシマも同じらしく、弱さを武器にしている自分を憂いでいるように見えた。