private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over29.11

2020-06-20 11:27:45 | 連続小説

「ホシノ。開けて」
 カベを背にして扉に向かって指をクイっとさした、、、 そこはさすがの女王様態度、、、 おれは手を伸ばしてドアノブをつかみ、この感触からすると、こりゃ正面玄関と同じで、ここもカギはかかっていないと潜在意識がそう伝えてくるから、その勢いにのって手のひらを返せば、経年変化のせいか多少の引っ掛かりはあるもののグルっとノブが回った。
 今回も手からビーンっと脳に伝わってくるこの感じ、あるんだ、こういう神がかったことって、普段の生活のなかで物体が勝手に動くわけではないから、これらはカギが開いたままだっただけで、朝比奈が、もちろんおれが、カギを動かしたってわけじゃないのに、そのとき歴史が変わったような伝わり方をしてくるから、、、
「そうだね、ホシノ。あなたと一緒にいる理由が、実はわたしもそういうことなんだって、こういうことを通じてわかってくれればいい。それに痛い目みなくて済んだのに」
 そうだな、イヌなんだからせいぜい、お手か、ハグぐらいで喜んでおくべきで、朝比奈のようなレベルだって、いつだって、滞留しそうになる自分に危機感をもって前進しているからこそ信じられる、味わえる、目にすることができる事実がある。
 そのまま扉を押していくと、蝶番はふんだんに開閉がおこなわれてないことをしめすように、ギーッとイヤな音を立てはじめたもんだから動きをとめた。こういうときの音って、実際より大きく聴こえるから、校内中に響き渡っているように思え、宿直の先生の耳にも届きそうで、リーダーの判断をあおごうかと手を止めてみた。
 それなのにリーダー朝比奈は平然としたまま、続けてと言わんばかりにクイっとあごを動かすだけで、さっきとは打って変わって腹のすわった態度に感服するばかりだ、、、 現世には怖いものなしか、、、 アゴをクイってする動作が目に焼き付いて、おれはさっきの反省のどこ吹く風、、、
「それほど大きな音は出てないから、余計な心配する必要ない。ゆっくりだと音が長く続くから、一気に開けたほうがいい」
 イッキって、そりゃごもっとも。おれは握ったノブを最後までひねって、グイッと最後まで押し込むと、キッと一音を発して扉は解放され、密閉されていた空間に流れ込んできた空気は、多くのひとの感情が入り混じっているみたいで、なまぬるく肌に触れてきた。
 おれ初めてだな、屋上に出るの。だからなんだろうか学校の屋上ってアウトサイダーな雰囲気をまといつつ、ここでは教室とはまた違った青春の時間が流れていて、あの扉を分け隔てて空気の質が違うのだ。それだからロックの歌詞とか映画にもそういった場所として存在している。
 朝比奈は、おれが開門した扉を通り屋上に出た。すぐに校庭側の縁に向かって下を見下ろした。腰までの囲いがあるだけでフェンスも金網もない。囲いの前で動かないから、こんどは高所恐怖症を暴露するのかと身構えたけど、それはないみたいで、クルリと身を返しそのまま囲いに腰をのせた。背中を倒せば下に落ちてしまうから、おれは気が気でなかった、、、 そんなドジはせんか、、、
「どれぐらい距離なのか知りたくて、下から見上げるのとだいぶ距離感が違うんだ。これなら大丈夫。ちゃんと声が届く」
 おれもチラッと下をのぞいてみると、真っ暗だけど随分目もなれてきて、校庭が薄っすらとだけど目に入り、なるほど上からのほうが地面が近く見えるのは、首の角度とか、見上げるという心理的な要素がからんでくるのか、、、 そこに卑屈な人間性が如実にあらわれるな、、、
「屋上ってこんなふうになってるんだ。平らな形状は排水に向いてないし、造形としての理由がなにも伝わってこない」
 今度は、屋上をぐるっと見渡してそんな感想をのべる。さっきの外周といい、今回の屋上といい、朝比奈ってそいうところが気になるみたいで、合理的でない建造物に対してなにか思うところがあるのか。
「自然に対して、すべての人工物は不自然でしょ。どれだけ理屈をつけて物質を作っても常に完成はしない。ときに何かをつぎ足し、ときに何かを削いでいく、それがモダンとかポストモダンとか文明的に語られる。つぎはぎされた世界がいまここにあって、そして未来にもつながっていく。そのとき、そのときをわたしたちは目にしているだけなのに、そこに意味を持たそうすることを相入れない」
 街並みが広くひろがっている。ドラマなんかでインサートショットでつかわれたりする数秒の風景は、それ自体になんの意味も持たず、おれがいま目にしているのはそれらとなんら変わりなりのは、おれがなんの意味もなくこの場にいるからで、その地にたまたま、自分が足を置いているだけであり、時代の流れの中の世界の住居人として存在している。
「人間って唯一の時代の目撃者となれる。それを書物に残し、絵に残し、録音し、写真や映像にする。わたしたちや未来のひとがそれを見て、時の変遷を追っていくことができる。でもね、それが本当の世界だったかなんて、やっぱりその時に見た人しかわからない。うそをついているとか、偽造しているって疑うわけじゃなく、そうでなければね、そうでなければわたしたちが今を生きている意味がないと思うから」
 ここも学校が立つまでは、今日みた空き地のように単なる更地だったんだ。その前は畑か野原か、はたまた森林か。そんな頃には、こんな高い場所からまわりを見渡すなんて、誰も思いもよらない。いまおれがそれを見ていたからって、その先のひとはもっと高い場所から、さらには宇宙から見ることができるって想像できても、だからってうらやましいって話じゃない。
「さーて、この世界の住居人に先客がいたみたいね。これでさっきの扉の音も納得がいく。ホシノに弱味を知られることもなかった」
 朝比奈は腰をあげておれのほうに歩いて来る、、、 先客って、、、 そのままおれを通過して校舎裏の側に進んでいった朝比奈を目で追うと、その先に人影がある。誰かがおれたちより先に屋上にのぼって、青春のひととき謳歌していたのか。
「朝比奈さん? よね?」
 その人影はそう言って朝比奈の名前を遠慮がちに呼んだ。どうやら同じクラスの女子のようだ。朝比奈がその女子の前で立ち止まる。背の高さがあわない。その女子の方が半身高いのは、囲いのうえに立っているからで、いやいや、そんなに高所恐怖症でないアピールをする必要はないぞ、、、 って、そうじゃないなこれは、、、
「ミシマ… さん。よね? 暑いからって夜風にあたるには、ちょっと場所が悪いんじゃない?」
 いやいや、そんなしゃれたセリフ言ってる場合じゃないから。これはそれなりの覚悟を持ってそこに立っているわけで、おれたちがこなきゃ今日が彼女の最後の日になるところだ、、、 つーか、いままさに現在進行形。
 ミシマってクラスの中でも目立たない存在で、おれはろくに口をきいた覚えがない、、、 それ以外でも親しい女子はいないけど、、、 なんにしろ、あとから卒業アルバム見ても名前が出てこないヤツ、ナンバーワンになりそうなタイプ。
 朝比奈はさっきと同じように囲いに腰をおろした。ミシマと向きをそろえておれの方を見る。いや、見るのはおれじゃなくてミシマのほうだろ。あれっ、おれになんとかしろってやつ? さっきみたいにアゴをクイっとして。
「どうしてここに?」ミシマが問う。
「わたしにもいろいろとあってね。あなたもそうでしょうけど。どう隣に座ったら?」
 ミシマにどんな理由があろうと、この時間にあそこにひとりで立っているってことは、つまりそういう決意をもっているってわけで、それなのに朝比奈の言葉には、ひとを動かす力を持っているのか、それは必要な時しか使わないけど、、、 必要な時に使うから効果がある、、、 カギの件はムダづかいだったかな、、、
 だからミシマは吸い込まれるように、崩れ落ちるように腰をかがめ、朝比奈のとなりに脚を折りたたんだ。顔を両手で覆い下を向くと、肩まで伸びた髪の毛がサッと彼女自身を隠していく。まずは窮地を脱することに成功したけど、この先どうするつもりなんだ、、、 おれはもちろんノープランだから振られないことを祈っている。