マクロス外伝大本営 新統合軍極東太平洋軍管区司令部

マクロスやロボット大好きなブログです。二次創作などを主にやります。

公式ではなく非公式です。

お酒はワインが一番

2018-01-31 21:40:13 | グルメ


自分はワインが好きである。
ブドウの香りが漂い特に甘くてほろ苦さがいいワイン。
氷を入れて飲むと格別である。

今日もこれを飲んで二次創作を書くのである。
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バジリスク 4話

2018-01-31 21:26:02 | 日記



甲賀五宝連を壊滅させた成尋衆が伊賀五花撰に迫る。



前話でもセクハラ被害に遭う涙
エロ技要員であるからにゃしょうがないが・・・・・



蔦法悦を探す伊賀五花撰。
そんな彼らにも脅威迫る。



今週の間のカット



主人公の出番ここだけ。



伊賀と甲賀の少年少女達に危機迫る。
危うし。

詳しい内容はバジリスク本放送にて。
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帰蝶/濃姫

2018-01-31 15:07:28 | 戦国武将・戦国姫図鑑
帰蝶
【生没】
1535年ー不明(1612年または1583年など諸説あり)
【父親】
斎藤道三
【母親】
小見の方
【兄弟】
斎藤義龍
斎藤龍重
斎藤龍定
斎藤利堯
斎藤利治
女(斎藤利三正室)
胡蝶(姉小路頼綱正室)
女(稲葉貞通正室)
女(金森長近室)
女(休庵室)
【旦那】
織田信長
【子息】
なし
【解説】
斎藤道三の娘として美濃国に生まれる。
帰蝶は斎藤道三の子供の中で唯一の正室の子供である。
叔父に明智光綱がおり、その息子である明智光秀とは従兄弟関係である。
父道三は美濃国守護土岐頼芸を追放し、美濃を奪い取る。

しかし、土岐に忠誠を誓う家臣が多く兄義龍が頼芸の落胤として国主にされる。
それに反発した土岐氏は頼芸の甥土岐頼純を大将に北から朝倉孝景、南から織田信秀が攻め込んでくる。
道三は津田武永ら率いる織田軍と戦うが敗北、織田信秀の嫡男である織田信長と娘を婚約する約束し。

頼芸を美濃国に出迎え、越前朝倉氏とも和睦した。

織田信秀と朝倉孝景は道三討伐を諦めていなかった。
土岐頼芸・頼純に挙兵を促し道三を討とうと持ち掛ける。
それに気が付いた道三はその前に攻撃し、完全に頼芸を追放する。

信秀は稲葉山城城下を攻撃するが、帰還中に襲撃され大敗を喫す。(加納口の戦い)

そしてこうした経緯もあり、和睦が成立。
織田信長と帰蝶は正式に結婚する。

しかし

子供に恵まれないばかりか
斎藤家の菩提寺常在寺に父・道三の肖像を寄進したのを最後に帰蝶の行方が不明になる。

【その後】
行方不明になった帰蝶だが、諸説ある。

離縁
嫡男も生めないため道三が死んだため、離縁された。
兄義龍を嫌い叔父明智光安のいる明智城に身を寄せた。

ただ、離縁する理由は特別な理由なくその証拠がないので信憑性はない。

早世
織田信長と結婚するが、若くしてなくなり別の人間が正室になった。
これも信憑性が低い。

明智城で死亡
上記の離縁説と合わせ、義龍の美濃統一戦で明智城が攻撃され。
叔父明智光安ら明智一族と共に死亡した説。

本能寺で戦死
本能寺の変で夫織田信長と共に従兄弟で謀反を起こした明智光秀と戦い戦死した説。
初出は絵本太功記であるが、これは作品であり。
創作説である、ただ民間伝承に帰蝶の遺髪塚がある。(西野不動堂)

生存説
生存説は結構存在しており、1583年まで生きたとか。
江戸時代初期まで存命していたといろんな話がある。
織田信雄分限帳では安土殿と呼ばれる女性がおり、学者はこの人物こそ帰蝶ではないかと言われる。



すべて総括すれば、帰蝶がどのような末路を辿ったのかは当時の人かつ帰蝶しか知らない。
この事実は神のみぞ知ると言う物ではないだろうか。

まだ歴史にはまだ発掘されていない資料があるので、今後も捜査が必要である。

【おまけ】

姉小路頼綱正室・胡蝶(帰蝶の妹)
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武田信勝

2018-01-31 13:34:29 | 戦国武将・戦国姫図鑑
武田信勝
【諱】
信勝
【苗字】
武田
【朝臣】

【生没】
1567年ー1582年
【父親】
武田勝頼
【母親】
遠山夫人
【兄妹】
武田勝親
貞姫
周哲大童子
望月信永室
【解説】
武田勝頼の嫡男として生まれる。
父は庶子であり祖母の実家諏訪家を存続していたが、義信事件で後継者になる。
だが勝頼が家督を相続する権利はなくただの後見人であり、信玄の後継者は信勝である。
長篠の戦いで大敗し甲越同盟の締結・甲相同盟の破たんでどんどん武田家は追いつめられると。
母が織田家にゆかりがあり、織田信長との和睦を望んでいた武田勝頼は信勝に家督を完全に譲る準備をする。
その一方で信長は勝頼を朝敵とし、木曽義昌の造反で武田家に総攻撃を開始。
どんどん追いつめられ小山田信茂のいる岩殿城に逃れるが裏切られ、結局父と一族と共に自害する。
その後、穴山信君の息子信治が相続するが亡くなり徳川家康の5男信吉が相続するが亡くなり甲斐武田家は断絶する。
武田家が本当の意味で再興されるのは、伯父信親の末裔である武田信興が柳沢吉保経由で幕臣として迎え入れる1700年。
約118年後の時を待たなくてはならない。
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清音院殿

2018-01-31 13:24:07 | 戦国武将・戦国姫図鑑
清音院殿
【生没】
不明ー1619年
【父親】
真田信綱
【母親】
於キタ
【兄妹】
真田与右衛門
真田信興
真田信光
【旦那】
真田信之
【子供】
真田信吉
【解説】
真田信綱の娘として生まれる。
武田勝頼の命令で父や伯父昌輝が亡くなった長篠の戦いで真田家を相続した真田昌幸の嫡男信之の正室になる。
1595年に信吉を生むが、その頃になると本多忠勝の娘小松が正室扱いになり。
清音は正室から側室に転落してしまう。
いつしか記録からいなかった扱いにされ、不遇のまま1619年に亡くなる。
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小松姫

2018-01-31 13:14:48 | 戦国武将・戦国姫図鑑
小松姫
【生没】
1573年ー1620年
【父親】
本多忠勝
【母親】
於久の方
【養父】
徳川家康
【兄妹】
もり姫(奥平家昌正室)
本多忠政
本多忠朝
女(本多信之室)
女(松下重綱室)
女(蒲生瀬兵衛室)
【旦那】
真田信之
【子息】
まん(高力忠房室)
まさ(佐久間勝宗室)
真田信政
真田信重
【解説】
徳川家康の家臣で徳川4天王の一人で戦国最強の武人本多忠勝の第1子として生まれる幼名は稲姫。
本多家は祖父忠高や曾祖父忠豊、父の叔父忠真は戦場で死ぬほどの部門の一族であった。
天正壬午の乱終結後に沼田領問題が起こり、それがきっかけで第1次上田城の戦いが起こる。
その時、徳川家康は真田に苦しめられ恐ろしさを経験する。

そんな中で小松にも婚姻の時が来るが、婿候補になる武者が大勢いた。
それを小松は髷を握り婿選びをする。
そこに一人に武者がおり、小松は髷を握ろうとした途端・・・・それを回避し叱咤して、鉄扇で小松姫の顔を打った。
その武者は徳川家を苦しめた真田昌幸の嫡男真田信之(この時は信幸)であった。

小松は信之を気に入るが、時の情勢を握っていた豊臣秀吉と真田を警戒している徳川家康の思惑が一致し。
真田昌幸を徳川家康の与力大名とするた、小松を家康の養女として信之の正室に迎えられた。

豊臣秀吉の聚楽第・伏見城・大坂城の武家屋敷に住むが、信之には真田信綱の娘清音院殿がいた。
小松の嫁入りで家女に降格する羽目になる。

1600年、毛利輝元を大将に担ぎ上げた石田三成ら西軍と徳川家康の東軍が関ケ原や各地の戦線で戦が始まる。
真田家は信之は東軍・昌幸と信繁が西軍と二つに割れる。
小松は本来、大坂にいるはずだが養父家康の計らいで沼田の地におり。
孫の顔を見に来た昌幸を自ら武装し籠城威圧した。

威圧したが、そのあと孫の姿を見せたという。

戦後、東軍が勝利で終わり昌幸と信繁は死罪になろうとしたが。
信之と小松の父本多忠勝と本多正信らにより助命され高野山に追放される。
江戸幕府が出来ると父本多忠勝は桑名藩主になり、小松は江戸屋敷に住むようになる。

1620年に病気になり草津温泉で養生しようとするが道中で死去。
彼女の死は信之を落胆させる事になる。

【人物像】
小松姫はかなり気の強い女性で、養父家康や2代将軍徳川秀忠の堂々と意見を述べる程である。
一方で本多忠政や本多忠朝が戦地から戻ると忠節を称えるなど勇気ある女性とされている。

【戦国無双シリーズについて】
戦国無双シリーズにおいては本名の小松ではなく、幼名の稲姫と言う明記になっており。
父本多忠勝と共にプレイヤー武将として最古参として参戦している。
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