マクロス外伝大本営 新統合軍極東太平洋軍管区司令部

マクロスやロボット大好きなブログです。二次創作などを主にやります。

公式ではなく非公式です。

武田信清伝、武田は宿敵の地で生きる。

2018-01-08 23:10:55 | 短編小説(歴史含む)
注意
この物語は史実を元にしたフィクションである。
詳しい詳細はウィキの武田信清.武田茂.米沢武田氏と検索をお願いします。

               【1582年高野山】
武田信玄の末の子、安田信清は妻と家臣と共に高野山にいた。
何処かの小さな小屋に座り込み、信清は手紙をぐしゃと潰しながら泣いていた。

安田信清「兄上・・・・・兄上・・・・・・」

それは武田勝頼・信勝、葛山信貞.仁科盛信.海野信親の死・・・・・
武田家が織田信長により滅亡した話であった。
運よく高野山にいた信清は、織田家からの残党狩りを逃れた。

しばらしくて、明智光秀により織田信長は本能寺に倒れる。
混乱の隙をついて家族と共に姉である菊姫が嫁いだ上杉家に向かった。

安田信清「兄上は・・・当時僧であった私に還俗して自分を支えてくれと言ったなのに・・・・自分はこうして生きる恥を晒して・・・・・」

越後の地に向かいながらかつての自分の事を思い出す・・・・
信清は父信玄の命令で出家しして巨摩郡加賀美の法善寺に入り、玄竜と号した。
しばらく僧として過ごしていたが、父の死後武田家を継いでいた兄から・・・

武田勝頼「どうか戻って俺を支えてくれないか?頼りになる人間が必要だ!!」

還俗するように言われ・・・・
僧を止めた甲斐源氏の旧族である安田氏の名跡を継承し安田三郎信清と名乗り、海野城主になった。

自分を必要としてくれた兄勝頼の死・・・・
信清は胸が痛くなった。

                   【越後国】
信清一行は無事に越後国に入った。
まず最初にする事は・・・・・・

菊姫「お久しぶりですね、三郎・・・・私が景勝殿に嫁ぐ前でしたね。」

安田信清「はい・・・・あの頃は兄上達もいました。」

菊姫「松や真理姉さまらは生きていますが、甥の信道殿らの一部の一門は残党狩りを逃れ各地に潜伏しているようです。」

安田信清「そうですか・・・・それを聞いて安心しました。」

姉菊姫に会う事である。
菊姫は上杉景勝に嫁いでおり、その縁もあってか信清は自分の逃げ道を確保していた。
ただ・・・・・・・・・

菊姫「これから私の世話になるのですが、景勝殿に仕えますか?」

安田信清「そうですが・・・・・・・それが・・・・」

菊姫「景勝殿の義父は上杉謙信殿、父上の宿敵です。」

菊姫はかつての宿敵である上杉家に仕えて本当にいいのかと・・・・・
武田残党が上杉に仕えているが、風当たりがいいものではない。
そんな状況下で菊姫は弟を心配する・・・・

安田信清「姉上心配しないでください、自分は甲斐の虎信玄が子・・・・・かつての宿敵に世話になるのは恥ですが・・・・・私は少しでも武田の血を絶やさんがため・・・・殿・・・・いや義兄上にお仕えもうします。」

菊姫「・・・・・強くなりましたね、それでこそ信玄が子です。しっかり殿のため働きなさい!!」

安田信清「かしこまりました。」

強い意思を持ってかつての宿敵、上杉に仕える。
信清は死んで逝った兄達の思いを背負い、武田の血を残すため生きる事を決意した。
そして・・・・

上杉景勝「そなたが・・・・信清か・・・・・」

安田信清「ハッ・・・・安田三郎信清でございます。」

上杉景勝「まさかな・・・・義父上の宿敵の子を家臣にするとはな・・・・」

上杉家当主上杉景勝に拝謁した。
初めて会う宿敵の息子・・・・・・緊張する・・・・
信清は緊張した・・・・・

上杉景勝「ははははははは、気にいった目つきがいい・・・」

安田信清「目つき・・・・・・・」

上杉景勝「よし信清、武田に復し上杉家一門・高家衆筆頭としてわしを支えよ!3000石の領地を与える。」

安田信清「ははぁぁ」

何がなんだか分からず景勝のペースに流され、一門高家衆筆頭に任される。
信清はジト目になりながら、引き受ける。

その後、家族が生まれ84歳と言う長寿を持って没した。
上杉家に事情もあり3000石から500石に減らされてしまうが・・・・

                 【第2次世界大戦末期.某所】
信清の末裔である武田茂は日本軍兵士として戦場にいた。
先祖代々の刀を軍刀として連合国軍と戦った。

だが

戦況が悪化もあり、次第に追い詰められていた。
茂が戦っていた戦場ももう終わりの時を向かえようとしていた・・・・

武田茂「ここまでか・・・・・降伏するしかないな。」

「あぁ食糧もない・・・・・指揮官もいない今継戦する事はできないぞ・・・・」

武田茂「そうだな・・・・・・」

降伏・・・・・
当時は捕虜としての恥ずかしめを受ける事を恥とし降伏しないケースがあった。
この時、継戦する能力もなく自決する事ができなかったそれが故の降伏であった。

武田茂「皆、先行ってくれ・・・・俺はある事をしてから合流する・・・・」

「ある事って・・・・」

武田茂「なぁに自決はしないよ・・・・・大丈夫だ・・・・」

茂は軍刀を持って仲間と分かれた。

武田茂「恥だが降伏するのが、今の俺だ・・・・・・・・・だが・・・・武田の魂はアメ公に渡して溜まるか・・・・・・・・・・・武田の魂よ・・・・・ここに眠れ・・・・」

仲間と分かれた茂は先祖代々の刀を改造した軍刀を力を限界までに使い埋めた。
埋め終わると・・・・・

バッ

「降伏しろ!もう既に君達の指揮官は自決している。」

茂は連合国軍に投降した。
日本人としての恥を受けるが、武田の誇りは連合国に汚さん・・・・・
それが茂の今の心境である。

そして日本は敗戦に終わり茂は帰国した。

そして終戦から8年後、1953年2月13日に茂により信清の墓所は米沢市文化財に認定された。
今も
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初心者でも分かる忍者の正しい知識と日本の諜報戦

2018-01-08 21:47:44 | 日記
忍者とは飛鳥時代から江戸時代まで活躍した諜報員または工作員である。
主な任務は諜報活動、破壊活動、浸透戦術、謀術、暗殺である。
忍者は村落の自衛に用いられることもあり、また村落外の勢力に傭兵のように貸しだされ忍者集団は日本における現代のPMC(民間軍事会社)に近い存在だった。

主に伊賀のように土豪であったり、乱波透破のようなただのごろつき集団の場合もある。
身体能力に優れ、厳しい規律に律され優れた動植物の知識や化学の知識を持つ諜報技術に優れた集団と近年の研究で分かっている。

歩き巫女や女中や小間使いとして潜入して諜報活動を行っていた女性の忍者が存在する。
ただし装束を着て漫画やドラマで活躍するのは創作であり。
ごく普通の人に変装したり、上記のように活動する。

(例)戦国小町苦労譚に登場する主人公綾小路静子に小間使いとして仕えている彩は森可成に情報を伝えている事からくの一とも言える。

飛鳥時代には、聖徳太子が、大伴細人を「志能備(しのび)」として用いており。
忍者がいる地域は荘園がありそれが崩壊すると、地侍が数十の勢力に分かれ群雄割拠した。
自分の勢力を維持するためにゲリラ戦や情報戦が行われ、忍びの術が自然に生まれた。

また忍者が存在していた地域特に紀伊半島は天武天皇が壬申の乱の直前に住んでいたり後醍醐天皇の南朝がおかれるなど、特殊な霊地として知られ。
皇族と忍者の関係はかなり深い。

天正伊賀の乱で打撃を被るが、徳川家康の伊賀越えに協力し徳川氏に仕える。

忍びの任務は過酷であり、1582年ー1615年までの間に徳川家に仕えた忍者200名中75名が戦死する程であった。

戦が少なくなった江戸時代では世論調査、大奥の警護、空き家となった諸屋敷の管理などしていた。

なお徳川吉宗が設けた御庭番は諜報活動だが、忍者とは関係がない。
まったく別物の諜報集団である。

忍者は幕府の諸大名監視要員となっており紀州藩主・徳川頼宣を幕政批判の首謀者とし失脚させた功績がある。

忍者が最後に登場するのは幕末で、沢村甚三郎が調査のために船上パーティーに日本側随員として参加し、パン、タバコ、蝋燭、便箋を持ち帰った記録が忍者として最後であり。
戊辰戦争時、甲賀忍者が甲賀隊を結成し新政府軍に参加するが。
忍術は近代戦争の時代に入っていた日本では無意味となっていた。

明治維新後、警察、大日本帝国陸軍、大日本帝国海軍が設立し技能を生かしそれらに入り別の職種についたと言う。

戦前、日本に陸軍中野学校が設立されジャワ攻略戦や戦後.インドネシア独立戦争やインドシナ戦争に関与したり、GHQに潜入し内部撹乱を実行している。

現在、我が国では諜報機関は控えめであるが。
警察の私服警官や公安.自衛隊の保全隊などひっそりと活動している。

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武田氏・一族名簿

2018-01-08 20:53:44 | 日記


★日章旗
今では日本の国旗で知られる日章旗。
後冷泉天皇から与えられたの御旗は楯無の鎧と共に並ぶ武田家の家宝である。
なお現存する日章旗では最古の物である。

甲斐武田家
清和源氏源義光流武田信義を祖とする一族。
平安末期、以仁王の令旨に従い決起。
源頼朝・木曽義仲と並ぶ源氏最大の一族となる。

しかし

勢力の大きさ故に恐れた鎌倉幕府により勢力を粛清され・・一御家人に転落する。
その後・・・承久の乱で戦功をあげ武田政綱が甲斐を、武田信時が安芸を継承した。
鎌倉時代末期、決起した後醍醐院討伐のため幕府軍に参加したが後に寝返り建武政権に参加。
足利尊氏派の武田信武が南朝派の武田政義を滅ぼし実権を握り、室町時代は甲斐守護大名になる。

だが不幸が訪れ。
鎌倉府と対立した上杉氏憲(禅秀)と親戚であり武田信満は上杉禅秀の乱に巻き込まれ自害に追い込まれ一度滅亡する。

一度滅亡したが鎌倉府が幕府と対立した事と信満の遺児武田信重が結城合戦で活躍した事により再興される。

戦国時代になると一族同士の争いなどがあり混乱し衰退するが、武田信昌が言う事を聞かなくなった跡部氏を排除。
孫の武田信虎の代で統一、子武田晴信(信玄)に続き勢力を拡大し。
戦国最強の異名を持つ大名家になる。

織田包囲網に呼応し武田信玄が上洛し徳川家康を破り織田信長を脅かすようになるが途中病死。

後を継いだ武田勝頼が勢力拡大に努めるが、長篠の戦いで大敗北。
その後、かなりの失策と家臣の独断行動が目立ち・・・・
最終的に朝敵され、家臣木曽義昌の造反がきっかけに織田家の総攻撃に遭い武田家は滅亡する。

穴山武田家
勝頼・信勝父子が自害し、武田一族であり寝返った穴山信君の子信治を武田家当主にした。
信治が早世し、徳川家康の5男信吉を当主にした。
関ヶ原の戦いの後、水戸に移るが信吉が子なくなくなり断絶する。

高家武田家
武田信玄の次男海野信親の遺児信道が織田家による残党狩りから逃れ徳川家康の家臣になる。
大久保長安事件に巻き込まれて島流しになるが、子信正の代で許され。
柳沢吉保の計らいで幕臣になり、高家になる。

現在の武田家の嫡流はこの高家武田家の一族である。

河窪武田家
武田信玄の弟で河窪姓を名乗った信実を祖とする一族。
信実は長篠の戦いで戦死するが、子信俊が徳川家の家臣になり。
信俊の子の信貞の代で武田姓に復した。

安芸武田家
甲斐武田家が承久の乱の功績で得た土地から得た一族。
ただ、前者は諸事情で後安芸武田家について解説する。
若狭武田家の一族武田元綱が兄武田信賢から独立した事により生まれる。
大内氏などと組んでかなり暴れまわったが、大内氏の依頼を受けた毛利元就に滅ぼされる。
生き残りは抵抗するも鎮圧され、遺児らは毛利家に属した。
毛利家外交僧安国寺恵瓊はその一人で、唯一一族で有名な人物。
江戸時代に徳川家に仕えた医師武田道安はこの流れで。
幕末に活躍する高杉晋作もいる。

若狭武田家
武田信繁の嫡男である武田信栄が足利義教の命で一色義貫を誅殺した功績で立てた家。
足利将軍家や細川家からの信任が厚く、甲斐武田本家よりも嫡流扱いされていた。
応仁の乱まではかなり強力であったが、どんどん弱体化し。
武田義統の頃には家督争いがあったりして更に弱体化。

足利義昭を保護するが、見限られ越前の朝倉を頼る事になる。
朝倉氏の若狭侵攻で領土を失い9代武田元明は朝倉の保護下に入る。
滅亡後、織田家に仕えるが領土復帰できず。
本能寺の変で領土復帰を願い明智光秀につくが敗退。
羽柴秀吉により自害させられる事になる。

遺児義勝は津川姓を名乗り京極家に仕える。

蠣崎氏/松前氏
若狭武田家一族の武田信広が蝦夷地に渡って立てた一族。
以後、明治時代まで蝦夷地を統治する事になるが、アイヌ民族と激しくぶつかる。
なお幕末の時は空気みたいな扱いされる。

武野氏
若狭武田一族の武田信久が武田が下野した意味で名乗った一族。
武野紹鴎は高名な茶人として知られ千利休、津田宗及、今井宗久に影響を与える。

地下家・武田家
昇殿が許されない廷臣として武田信繁の後裔がいる。

京都武田家
甲斐武田家一族武田薩摩守公信を祖とする一族。
歴代当主が奉公衆四番として足利歴代将軍に直接仕えていた。
武田藤信の代に三好家と将軍家が争い、その戦いで藤信が命を落とす。
遺児彦五郎が徳川家康に仕えている。
分家に中務大輔家がいる。

庁南武田家
武田信満の子・武田信長が足利成氏から上総国の所有を認められた事から始まる。
跡を継いだ信高の死後、庁南城を所有した一族が上総武田家の本家になる。
北条家に従い、1590年では反豊臣路線を貫き最後の当主武田豊信が自害している。
遺児氏信は家臣に守られ、帰農し現在もその血筋が残っている。

真里谷武田家
真里谷城に本拠を構えた上総武田家の分家。
真里谷信清は上総管領と言われる程の勢力を築いたが、分裂し。
北条家や里見家に翻弄され両勢力の傘下に入る。
現在、この家系の血筋は不明である。

因幡武田家
若狭武田家の庶流の流れを組む一族で、守護大名山名氏に仕えた。
武田国信と高信父子は野心家で山名氏を倒そうとする。
高信は山名豊成を毒殺し、完全に山名氏に敵対するが敗れ敗死する。
残された高信の子助信は村岡藩主となった山名豊国に召抱えられる事になる。

常陸武田家
★剣術家
武田家12代目当主武田信春の息子信久が常陸国に住んだ事に始まる。
末裔は水戸藩に仕え、北辰一刀流剣術、鹿島新当流、天真正伝香取神道流を修め武田輔長の伝えた。
剣術を極めた武田輔長はこれを武田新当流として確立、現代までその剣術の流派を伝えている。

★尊皇派
武田耕雲斎と呼ばれる人物が水戸徳川家に仕えていた。
上記の一族とは違い元々跡部氏の一族であり、この姓を嫌った耕雲斎が徳川斉昭に願い出て復姓した。
藤田小四郎の願いで天狗党になり、幕府と戦うが降伏。
簡単な取り調べの末、斬首され家族もろとも処断される。
この時、天狗党の首領とされた時、彼は既に死を覚悟していたらしい。
家族は靖国神社に合祀された。

米沢武田家
武田信玄の末の子武田義清を祖としており。
武田家滅亡の折、上杉景勝に嫁いだ菊姫を頼り上杉家の家臣になる。
、大久保長安事件で江戸幕府から嫌疑を受けるも、事実無しとされ以後も米沢藩士としてかつての宿敵の家を支える。

その他
★岩間武田家
武田義信の遺児武田正成を祖とする。
★板垣氏
武田信義の子板垣兼信を祖とする一族で、戦国時代に信玄に仕えた板垣信方と自由民権運動の板垣退助がいる。
★甘利氏
一条信長の末裔、主に甘利虎泰と甘利明などの人物が有名。
★穴山氏
穴山義武を祖とする一族、主に穴山信友と穴山信君が有名。
★源姓仁科氏
仁科盛信の遺児らの一族、複数の家が存在する。
★一条氏
武田信義の子一条忠頼を祖とする、一条信龍の代で滅亡。
★柳沢氏
一条氏の末裔、主な人物として徳川綱吉の側近で大名になる柳沢吉保

他にもいろいろ一族いる。
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