マクロス外伝大本営 新統合軍極東太平洋軍管区司令部

マクロスやロボット大好きなブログです。二次創作などを主にやります。

公式ではなく非公式です。

源義家

2018-01-27 18:53:39 | 長田義家の武士名鑑
源義家
【諱】
義家
【苗字】

【生没】
1039年ー1106年
【通称】
八幡太郎
【父親】
源頼義
【母親】
平直方の娘
【兄弟】
源義綱
源義光
快誉
河野親清
快誉
平正済室
清原成衡室
【子息】
源義宗
源義親
源義忠
源義国
源義時
源義隆
増珍
【解説】
河内源氏棟梁源頼義の長男として生まれる。
山城国石清水八幡宮で元服し、八幡太郎義家と名乗る。
陸奥守に任ぜられ父・頼義が前九年の役で安倍氏と戦っていた。
数百の死者を出し大敗した黄海の戦いを経験するが、その後出羽国の清原氏の味方を得て頼義は安倍氏を破った。

ある日義家は清原武衡の乳母の千任に

なんぢが父頼義、貞任、宗任をうちえずして、名簿をさヽげて故清将軍(鎮守府将軍・清原武則)をかたらひたてまつれり。ひとへにそのちからにてたまたま貞任らをうちえたり

と怒られてしまう。
この事から父頼義が清原氏に臣下の礼をして協力を要請した事が伺える。

義家は在京し美濃国において美濃源氏の祖・源国房と合戦している。
延久2年に義家は下野守となり、陸奥で印と国庫の鍵を盗んだ藤原基通を捕らえている。

美濃で源国房と闘乱を起こした右兵衛尉・源重宗を追討する。
本官が無いため関白・藤原師実の前駆の名目で護衛を行った。
護衛の帰りが夜となったので義家は束帯から非常時に戦いやすい布衣に着替え、弓箭を帯して白河天皇の乗輿の側らで警護にあたる。

陸奥守となった義家は清原氏の内紛に介入して後三年の役を引き起こす。
藤原清衡の軍と、出羽の吉彦秀武の軍で自軍を編成。
出羽金沢柵にて清原武衡・清原家衡を破り勝利する。
朝廷から私戦扱いになり恩賞が出ず、義家の領土から部下に恩賞を与えている。
そればかりか陸奥守を解任される。

義家の郎党・藤原実清と弟・源賀茂次郎義綱の郎党・藤原則清が所領争いを起こし両軍事を構える次第になるが武力衝突には発展しなかった。
しかし、義綱は兄より格上の美濃守に任じられる。
この事が後の悲劇の始まりになるとは知らなかった。
長年の努力により正四位下に昇進し、院昇殿が許される。



次男義親が反抗的な態度をとったり三男義国が弟義光と戦うなど苦労するような晩年に見舞われる事になった。

68歳亡くなる。

【子孫】
徳川家康
徳川秀忠
徳川家光
徳川家綱
徳川光貞
徳川頼宣
徳川頼房
徳川義直
徳川光圀
徳川綱吉
徳川吉宗
徳川家宣
徳川家茂
徳川慶喜
松平親氏
松平忠吉
松平定信
松平容保
松平忠直
松平直政
結城秀康
酒井忠次
酒井家次
酒井忠世
新田義貞
飯富虎昌
山県昌景
細川護熙
細川忠興
細川藤考
細川忠利
里見義弘
里見忠義
森可成
森可隆
森長可
森長利
森忠政
足利尊氏
足利義満
足利義教
足利義輝
足利義政
足利義昭
足利家時
最上義光
近衛忠輝
義姫
自称を含め多数
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする