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教育勅語は、神聖天皇主権国家体制の正統性と愛国心を学校教育で生徒に刷り込む(洗脳する)ために作られた。

2024-02-20 12:09:51 | 教育

 教育勅語が制定された意図はその当時、明治天皇が大日本帝国憲法を発布し、自由民権運動が総選挙や国会開設をきっかけに再び盛り上がりを見せていたため、大日本帝国政府は憲法を定着させるため、学校教育の目的をそれに沿うように画一的な内容に統制しようとした事と、山県首相が、神聖天皇主権大日本帝国政府が帝国主義政策(侵略戦争)をおし進めていくためには軍事力の強化とともに、国民に愛国心を教育によって培養する必要があると考えたからである。

 勅語は、神聖天皇主権(神である天皇が家来である国民を支配する国家神道に基づく)の国家体制(具体的には大日本帝国憲法、皇室典範、諸法律)の正統性を主張し、その天皇が、生徒国民のあるべき「生き方」「人生の処し方」として、この国家体制に対して挙国一致して絶対服従し、身命を捧げて守り、外国にも押し広める事(侵略戦争)を示し、それを教育の目的として、身につけるよう命じたものである。

 ところで、大日本帝国憲法では、憲法は天皇によって定められ、憲法改正は天皇の発議によってのみ可能であるとされていた。また、国民の人権は天皇の恩恵として「法律の範囲内」で認めるとされ、国民はそれを押し付けられ絶対服従を要求された。国民みんなの生活に直接関係する民法を見てみると、ドイツ法を模範として作られたものであり、家制度・家父長制度・国家主義に立った内容である。たとえば、①強力な戸主権を認める。戸主は一家の長であり、扶養の義務を負う。②妻は無能力者とされ、親権は父親にある。夫は妻の財産を管理し、無償で使用する。③家族の婚姻または養子縁組は、戸主の許諾を要する。ただし、男が満35歳、女が満25歳に達した後はこの限りではない。④家族の居所は、戸主が指定する。戸主とその家族はその家の氏を称する。⑤家督相続人は、嫡出長子(正妻が産んだ長男)とする。⑥廃家を禁止する。⑦子は、父の家に入る。⑧遺産相続は、直系卑属(直接血がつながっている子、孫など)にあり、それがない場合にかぎり配偶者に認める。⑧妻の姦通は離婚理由になるが、夫は姦通罪の適応がないと離婚理由にならない(1933年4月、滝川事件)。(天皇は国民すべての戸主の上に立つ戸主の長と位置づけられていた)。

など、家柄・金持ち優遇(特権付与)、人間不平等、男尊女卑などの特徴があり、敗戦後の日本国憲法の内容とは全く異なるものであった。そして、このような社会・家庭での生活を国民に受け入れさせ、絶対服従する意識を植え付け定着させるために作られたのが教育勅語であった。それが「父母に孝行をつくし、兄弟姉妹は仲良くし、夫婦互いに仲睦じく……」と命じる言葉なのであり、その念を押すために上記の内容を持つ「(大日本帝国)憲法を重んじ、法律(民法など)をよく守り」と命じているのである。これが教育勅語の果たした役割に対する正しい解釈理解なのである。

 しかし、安倍首相や菅官房長官や松野文科相など、行政権のトップにある人間たちは、その地位を務める者として有すべき常識とは全く異なった常識の世界におり、その地位を務める者として示さなければならない見解立ち位置について意図的に国民に対し明らかにする必要はないと考えている。それは、明確にしないでおく事が、安倍自公政権自民党の政治目的の達成(教育勅語の復権)には都合が良いからである。

 安倍自公政権は、学習指導要領や教科書検定制度を制度として否定せず、それを自己の政治目的を達成するための道具として変質させる戦術をとり、国民に対し偏向した自己の主張や価値観や歴史観などに基づく内容を安倍自公政権の思うままに押し付けてきているが、近い将来教育勅語(の内容)も取り入れるために、国民に反対させずスムースに受け入れるよう意識環境づくり(慣れさせる)をしようとしているのである。そして、それらすべてが「自民党改憲草案」を具体化した内容で占められるよう仕組んであるのである。

  2017年3月13日には安倍首相は参院予算委で「すでに喪失している教育勅語について首相としてコメントする立場にない」、つまり「判断を公表しない」と答弁したが、森友学園塚本幼稚園がこれまで実施してきた勅語奉読指導ともからんで、安倍首相の対応が国民の大きな関心事となっていたにもかかわらず、この答弁は国民にとってまったく誠意がうかがえないものであり、行政権のトップをあづかる首相としては国民に対する自己の職責の自覚が乏しく無責任そのものであるといえる(稲田防衛相は確信犯として論外であるが、他の閣僚や松井大阪府知事なども勅語についての見解を明らかにする事を避けており、森友学園の勅語奉読指導教育方針に対しても問題視していない)。この答弁は今後、学校教育やその他の教育機関において敗戦までのような勅語指導が黙認される効果を生むものであり、主権者である国民を侮った態度であり許されるものではない。また、この答弁は憲法を無効にする効果を生み、憲法尊重擁護義務を科された首相としては、その資格がない事を示す答弁であった。

 また、2017年3月31日、安倍自公内閣は教育勅語について、「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いる事までは否定されない」とする答弁書を閣議決定した。この内容も極めて曖昧な答弁で、教育勅語を学校教育を中心としたあらゆる教育の場で復権させるため、法的根拠としてすでに改訂した教育基本法を利用しようとする安倍政権にとっては都合の良い答弁になっているのであろうが、国民生活や教育現場などにおいては国民や教師を分断させ混乱を導くだけの効果しか持たず、憲法を尊重した答弁ではないし、憲法尊重を求める主権者国民の期待した答えにはなっていない。安倍政権にとっては、教育勅語復権途上においての分断混乱は織り込み済みという事で、勅語復権派にはとってお墨付きとなりこれをきっかけに同調圧力も作用し復権派が増加する事を計算しているのであろう。 

 また、松野文科相は4月4日、「教育勅語を道徳教材に用いる事を肯定したものでも否定したものでもない」「どの部分が憲法に反する反しないに関しての判断を文科省でするものではない」と述べているが、安倍政権は学習指導要領や教科書検定では偏向した政策主張価値観歴史観などを積極的に実現させるための内容を一方的に国民に押し付けているにもかかわらず、教育勅語に関しては「判断を論理明確に説明せず曖昧にしている」というのは、国民を欺瞞ゴマカスもので筋が通らない手前勝手なご都合主義である。この対応は、沖縄県での大阪府警の「土人、シナ人」発言に際し、鶴保沖縄北方相の発言に見られる姿勢と同じものである。そこには安倍政権の目論見がある事を感じさせる。このように、明確な説明をしない文科相は、国民のためには何の利益もないから辞めてもらうべきだ。安倍首相の任命責任も問うべきである。安倍首相の指示でそのような答弁をしていると考えられるが。

  また、松野氏は「適切な配慮の下であれば問題ない」「教え方が憲法や教育基本法に反するのであれば、所管庁(都道府県)が適切に指導する」と述べているが、森友学園塚本幼稚園の奉読指導に対する見解も示さない文科相が、こんな事をよく言えたものである。「適切な配慮」についての明確な説明をせずに「適切な配慮の下であれば問題ない」とするのはどういう事なのか意味不明である。どのようにしてチェックできるというのか。誰かが何らかの方法で監視するという事か。また「教え方が憲法や教育基本法に反するのであれば……」としているが、「適切な配慮」が明確に示されていないのに、「反する」事がどのような事なのかどのようにして判断するつもりなのだ。そして、それを判断基準に「所管庁(都道府県)が適切に指導する」とまた「適切」の字句を使用して答弁しているのであるがまったく意味不明である。「禅問答」か?全く中身のない答弁である。

 教育行政のトップにありながら、教育勅語について文科相としての見解を明確にしないのは職責放棄であり大臣失格である事はもちろんであるが、森友学園塚本幼稚園に対して大阪府が適切な指導をしてきていない事について、文科相が明確な見解を示し大阪府を指導をしていない事こそ重大な問題で、文科相がどのように責任を果たしているのかについてもまったく国民に明らかにしないのは問題である。故意に無視しているのであろうが。

 今回の教育勅語事件は、文科相が憲法に基づいた教育勅語についての指導能力を有していない(必要としていない)ため、大阪府知事に対する指導能力も有していないし(指導する気もないし)、松井知事も森友学園に対する指導能力はない(する気もない)という事実が公けになったという事でもある。つまり、安倍政権自民党やそれに近い人間(大阪維新の会)はすべて憲法尊重擁護義務を果たすという心構えは元々持っていないという事が公になったという事である。

安倍政権は憲法尊重擁護義務について、現行憲法下においてはまったく無視しておきながら、「自民党改憲草案」では、国民に対し強圧的に押し付ける形をとっている。

(2017年4月8日投稿)

 

 


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