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杉田水脈「生産性がない」主張:安倍首相の「私の夫婦も残念ながら子宝に恵まれていない。生産性がないと言うと、大変つらい思いに」は杉田発言を否定しておらず幇助している

2024-02-04 11:18:35 | 安倍政治

 杉田水脈衆院議員(自民党)が、同性カップルについて「生産性がない」「税金を投入してよいのか」と月刊誌『新潮45』2018年8月号で多様な生き方を認めない主張をし問題となっている事について、TBS番組で安倍首相は「私の夫婦も残念ながら子宝に恵まれていない。生産性がないと言うと、大変つらい思いに私も妻もなる同じ自民党。『もう辞めろ』ではなく、まだ若いから、注意をしながら仕事をしてもらいたい」と述べた。

 この安倍首相の発言について、メディアは何の反応も示さないところを見ると、これによって自民党総裁兼首相への追及を終えたとしているようである。しかし、メディアはその使命を果たしたとはいえない。この発言は一言でいえば、杉田発言を「否定」するものではなく、「肯定」「同意」した上での発言であると理解すべきである。なぜなら、「子宝」について「残念ながら恵まれていない」という言葉は、「子宝」をもうける事が「あるべき理想の価値観」である事を前提としていると見なしてよく、「子宝」に恵まれない事を否定的に認識し、それを「負い目」と感じる事を正常とみなし、「大変つらい思いになる」と発言しているように、「大変つらい」事だと思わなければならない、とする価値観に基づく言葉であると解釈できるからである。そしてその価値観は必然的に同性カップルを、「子宝」を欲しない価値観をもつものとみなし否定すべきものとするからである。

 また、二階幹事長の「人それぞれ政治的立場、色んな人生観もある」という、杉田氏の主張は「問題ではない」とする意の発言への批判を経て自民党見解が出されたが、安倍首相の上記の発言「注意をしながら仕事をしてもらいたい」は、自民党作成「性的指向・性同一性(性自認)に関するQ&A」の内容やその事の正しい理解の増進を目的とした法律を制定すると公約している動きとは異なる姿勢を示すものであり、「主張」を述べる際に「感情を傷つけたり不快に思われない」ような「表現」をするように注意を促したものと理解するのが妥当であろう。

 杉田氏は、異性のカップルを「あるべき正常な姿」とみなし、そして、子孫を生み増やすものであるという前提に立っており、それとは異なる同性カップルを「異常な姿」で子孫を生み増やさないものとして「あるべき姿」ではないとみなしている。さらに、それを彼女の個人的な価値観としてもっているという形で留めておくのではなく、論文として雑誌に公表し公衆に訴えかけたという事は、同性カップルを認めず、意図的に公けに非難し、同性カップルを侮辱しその賛同者を増やし居場所をなくそうとする事を目的としていると見なされても当然であろう。これは人権侵害に関わる主張なのである。杉田氏はそういう理解ができないようである。そしてこの価値観はさらに極端になれば優性保護思想に基づく「人間の選別」に行き着く事を読み取るべきである。かつてのナチスの行為の基礎となった優性保護思想の現代版である。ナチスの手法をテキストとした、ハンセン病患者やその他の障害者(精神・身体)に対する大日本帝国政府や戦後自民党政府のもつ優性保護思想に基づく国民への対処の姿ながる価値観なのである。

 どのような価値観を持とうが自由である事は憲法第19条「信教の自由」や第13条「個人の尊重や幸福追求権」で認められているが、それは個人的なレベルにおいてであり、公の場で一方的に他者の価値観を「非難」する事を認めているものではない。第21条で「表現の自由」が認められているではないかと言う人がいるかもしれないが、それも無制限一方的に認めているわけではないのである。それは憲法の別の条項で保障している権利を侵害しない限りにおいてである他者に対して上記の内容の権利を否定したり無視したりする事があってはならないからである。つまり、多様な生き方やカップルのあり方を尊重する事を定めていると考えるべきであるそれは第11条「基本的人権の享有」であり、第13条「個人の尊重、公共の福祉」であり、第14条「法の下の平等」である。     

 2018年10月24日、杉田衆院議員は月刊誌の主張について、「当事者の方々を差別する意図は一切ないし、人権を否定するような事も一切ない」との述べ、「不適切な記述であった」と認めながらも、撤回をしない意志を発表した。「当事者の方々を差別する意図は一切ないし、人権を否定するような事も一切ない」「不適切な記述であった」これは自民党議員の差別発言の常連や発言後に気づい者がよく使う(常套)自己を正当化する「言い訳」の言葉である。差別発言や人権侵害を意図して行う人間はあまりいない。しかし、それが差別発言であったり人権を侵害したりしている事があるものなのである。無意識に使う言葉や行為にその人の価値観が表れるのである。もし、意図して行うものはそれは確信犯である。この点でわざわざメディアを使った杉田氏の「生産性ない」主張はこの確信犯以外の何物でもないといえる。それを今になって「そのつもりは一切なかった」というのは、大人として国会議員として通用しない。そして、杉田氏の取材発言は支離滅裂で矛盾し思考の浅薄さを暴露しているだけでなく、謝罪の言葉は一切ないしその意思が無い事がうかがわれる独善傲慢そのものが露わに見える。安倍自公政権や自民党議員の体質がまた露見したのである。

 杉田衆院議員の公的主張は、主権者国民侮辱行為に相当するものであるとともに、主権者国民全体の基本的人権を侵害する憲法違反の行為であるというべきである。「当事者の方々」という取材発言は、同性カップル当事者だけに目を向けた発言でしかない。それは杉田氏の近視眼的で物事を正確に理解できない「ものの見方」そのものを表しているのであり、杉田氏の主張や取材発言は当事者だけが不快に思ったりする問題ではなく、憲法を尊重して生きている主権者国民全体に対して非難攻撃する発言であるとみなすべきであり、安倍首相の発言はそれを幇助したというべきである。

 主権者国民は、杉田氏の月刊誌の主張はもちろんの事、安倍首相の発言や杉田氏の取材発言を黙過してはいけない。世界の人々から安倍自公政権はもちろん日本国民も人権尊重に対する意識レベルを疑われている問題である。メディアもその使命と責任を改めて自覚すべきである。「国境なき記者団」の世界報道自由度ランキングにおいて、今年日本のメディアは67位である。この順位は、自主規制をしている内容(天皇制、憲法、大学・学校教育、在日朝鮮人、原発、自衛隊、沖縄米軍基地などなどに関わる問題)を含めばさらに低下する。メディアは、日本が民主主義国であるかのような幻想を振りまいてはいけないし、安倍自公政府が大日本帝国政府の政治を讃美し、現行憲法に基く人権尊重を理想とする政府ではない事を、隠されているもっと多くの事実に基づいて明らかにすべきである。

(2018年10月27日投稿)


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