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しつもん!ドラえもん:4168けいさつ編;邏卒設置は神聖天皇主権大日本帝国政府を守る警察国家のはじまり

2024-06-17 16:42:40 | 警察

 朝日新聞の「しつもん!ドラえもん:4168けいさつ編」の質問文回答説明文を見て首を傾げた人はいないだろうか?なぜなら、その質問文は、「街の平和を守る警察官。日本で警察組織が生まれたのはいつだろう」としているからであり、「こたえ」の説明文も、「江戸幕府がたおれた後、……、「邏卒」と呼ばれる警察官のような役職が設置された。日本での警察の始まりだよ。」としているだけだからである。この質問文と回答説明文では神聖天皇主権大日本帝国政府が初めて警察組織(制度)を定めた明治以降から、敗戦を経て新たに成立した日本国政府が改めて定めて今日に至る組織(制度)の役割や性格とが一貫したものであるかのように受け取れるからである。事実がそうではない事を思えば、この文章は読者に対しあえてその事実に触れず隠蔽し、誤った(朝日新聞にとって都合の良い)理解をさせる事イメージを植え付ける事を意図したものであるといえる。批判的読み方を充分に身につけておらず、純粋に受け入れてしまいやすい「子どもたち」を意図的にターゲットにして、一方的に都合の良い偏向した「イメージ」の「刷り込み」を目的とした企画であると評されても仕方がないであろう。

 日本の警察の性格はアジア太平洋戦争の前後、つまり戦前と戦後では、憲法の性格に違いがあるように、警察の役割性格にも違いがある。「邏卒」が設置されたのが日本での警察の始まりだとしているが、今日の国民がイメージする警察組織(制度)は基本的には敗戦後の日本国憲法(国民主権・基本的人権の尊重の原則)に基づくものであり、基づくべきものである。敗戦までの大日本帝国憲法に基づく組織(制度)とは全く異なるものである。それを、「邏卒」(1871年設置。1874年に巡査と改称。交番設置。)について安易に「街の平和を守る」とするどのような立場からでも都合よく受け取れる曖昧な表現で評して良いはずがないだろう。

 戦前の、神聖天皇主権大日本帝国政府の支配する日本国家は「警察国家」体制をとっており、「警察」は帝国政府を守るための国家権力を行使する組織(制度)であり、「警察官」はその現場行使者であった。帝国政府は権力を維持するために警察組織(制度)を使い、帝国臣民(現国民)一人一人の思想や行動を監視し、自由を取り締まり、政府自体や政府の政策を批判し敵対する思想を持ち表現行動運動する人間を取り締まり弾圧し撲滅する体制を整備していたのである。それは川路利良(当時大警視=現警視総監)の建議を契機に創設されていった。その建議書には「日本人民は不教の民であり、これに自由を許すべからず。『頑悪の民政府の仁愛を知らず、さりとて如何せん、政府は父母なり人民は子なり、たとえ父母の教えを嫌うも子に教うるは父母の義務なり、誰か幼者に自由を許さん、その成丁に至る間は、政府宜しく警察の予防を以てこの幼者を看護せざるを得ず』『束縛は保護なり、規則は良民にとりては必ず幾分の煩いとなるも、その実は己を保護するために設けられたるものなれば、またやむを得ざるなり』」と述べていた。

 1873年には内務省(内務卿は大久保利通)を設置し、74年には全国の警察権を一手に掌握し、74年には東京警視庁を設置し、東京府は内務省直轄とした。1900年治安警察法制定、11年警視庁に特別高等課設置、1925年治安維持法制定、1928年治安維持法を改悪し全府県に特高警察課(内務省直轄)設置、1941年治安維持法改悪、1943年神奈川県特高警察(カナトク)による横浜事件。45年10月特高警察課はGHQ指令により解体。

(2021年10月22日投稿)

 

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天声人語に歴史修正の危険:巡査・交番(警察)は政府権力の暴力装置であり、明治の創設期より安全安心の象徴・砦であるかのような誤解を与えている

2024-06-17 16:38:33 | 警察

 2018年6月28日の「天声人語」は巡査・交番(警察制度)についての内容である。その内容は、警察制度の創設された明治初期の当初から巡査・交番が国民にとって安全安心の象徴・砦であったかのように受け取れる内容となっている。しかし、それはこれまでの研究成果や定説と異なる解釈であり、歴史を修正しようとしているようにも思われ、警察制度に関して読者に間違った認識を与える内容となっている。加えて、日本の交番(警察)制度がブラジルやインドネシアなどでお手本にされていると誇らしげにしているようなので放置できない。

 大日本帝国政府において、全国に画一的な警察制度が本格的に確立されるのは1874(明治7)年以後で、「警保寮」が司法省から「内務省」に移管されてからである。

 その警察制度の思想・体質については、制度を作った中心人物である川路利良が1874(明治7)年1月に内務卿へ提出した建議書にひじょうに鮮明に表れている。それは国民(臣民)の生活の隅ずみまでも、日常不断に監視し束縛する世界無比の特色をもっていたのであった。それは例えば、

「日本人民は不教の民であり、これに自由を許すべからず。『頑悪の民は政府の仁愛を知らず、さりとて如何せん、政府は父母なり人民は子なり、たとえ父母の教えを嫌うも子に教えるは父母の義務なり、誰か幼者に自由を許さん、その成人に至る間は、政府よろしく警察の予防を以てこの幼者を看護せざるを得ず』、『束縛は保護なり、規則法令は良民にとりては必ず幾分の煩いとなるも、その実は己を保護するがために設けられたるものなれば、また已むを得ざるなり』」と主張しているところにある。

 この思想・体質は1873(明治6)年7月に各府県に公布施行した「違式詿違条例90条」にもすでに明確に表れていた。これは現在の軽犯罪法に相当するものの起源であるが、警察が国民の日常の一挙一動にいたるまで常に監視し干渉し処罰する法的根拠として作られたものであった。例えばそれは、

「検明を受けざる薬物を売る事」「往来並木の小枝に古草鞋などを投げかける事」「婦人の断髪ないし男装と男子の女装をする事」「乞食に銭を与える事」「犬を闘わしめ、及び戯れに人にけしかける事」「大タコをあげる事」「道路に荷車を置いて諸人通行の妨害をする事」「肌脱ぎ・裸体、男女混浴銭湯」などであり、それは当時の政府として、不作法、見苦しい、他人の迷惑となると考えていたと考えられる内容といえる。このため国民は交番の側や前を通る事をけたり、巡査関わる事を恐れた。

 その後の警察の、国民に対する姿勢は、戦時中は周知の通りであるが、戦後の日本国憲法下においても根底の体質は敗戦までと変わる事なく(1969年安保闘争など)、つい最近の沖縄県名護市辺野古への米軍新基地建設(宜野湾市普天間基地移設)の反対運動に対しても、大阪府警による「土人発言」とともに安倍政府権力の暴力装置である事が改めて暴露されている。

(2018年7月26日投稿)

 

 

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公益通報者保護制度に関する自民PTの提言:通報担当者に厳しく責任を負わせ、企業事業者には消極姿勢

2024-06-17 16:35:16 | 公益通報者保護制度

 公益通報者保護制度(組織の不正を内部通報した人を守る制度)に関する自民党PTが2020年2月3日、提言をまとめた。

 2018年末の内閣府・消費者委員会の答申では、通報者に関する情報の共有の範囲は最小限にとどめるよう企業に求めたが、通報を受ける担当者個人に守秘義務を課す事や罰則については経済界からの反対を受けたため見送った。それに対して今回の自民党PTの提言は、通報を受ける担当者に対して刑事罰を含めた罰則付きの守秘義務を課し、正当な理由なく通報者の情報を漏洩してはならないとし、通報を受ける担当者に対して通報者の情報を漏洩する事に厳格な対応を求めているまた、保護対象も現役の働き手だけでなく役員や退職後1年以内の退職者にも拡大した。さらに、内部通報制度の整備について、従業員300人超の事業者には義務づけ、300人以下の事業者には努力義務を負わせた。提言は答申とは正反対に強化された内容となっている。

 しかし、通報者に対する企業事業者の対応への姿勢については提言は答申よりも後退した。答申では「通報者に不利益な取り扱いをした企業事業者に対しては指導や勧告、公表などの行政措置を課す」と通報者の保護に強い姿勢を示していたが、今回の提言では通報者の保護のための企業事業者に対する強い姿勢はまったく示さず、「通報者の負担軽減や不利益取り扱いの是正に向けた取り組みを進める」など曖昧で、企業事業者には強い姿勢を示さず、企業事業者の利害を優先した内容となっており、そのため通報者保護の実効性を期待できない内容となっている。企業事業者側を優遇する結果、提言は答申より後退したと言って良く、公益通報者保護制度は骨抜きとなり、公益通報者保護法を改正する意味はないと言って良い。

(2020年2月11日投稿)

 

  

 

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