つれづれなるままに心痛むあれこれ

知る事は幸福度を高める

日本会議を支える伊勢神宮を本宗とする神社本庁を頂点とする神社神道の思想

2024-09-29 12:26:11 | 日本会議

 神社本庁自らが1946年に創刊した機関紙『神社新報』の2015年11月23日の「論説」には、

「日本の歴史と国柄に基づいた憲法改正の早期実現を目指して「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が設立されて以来、日本会議神道政治連盟が中心となって国民運動を推進してきたが、すでに全都道府県で「県民の会」が結成され、賛同署名は445万人に達し、国会議員署名も超党派で422人を獲得するに至ってゐる。これは大きな運動の成果であるが、今後なお1千万の賛同署名の達成と、国会議員署名及び地方議会決議の獲得を目指して邁進していかねばならない。憲法改正の国会発議を促すためには、広く国民の熱誠に基づく運動を盛り上げていくしかないからだ。……現在、憲法改正の秋がやうやく到来した。すでに衆議院では改憲派の勢力が3分の2に達しており、安倍総裁の任期も3年ある。あとは来年7月の参院選で改憲派の勝利を目指して全力を集中する事だ。参議院で改憲派が3分の2の議席を確保できれば、いよいよ国民投票に持ち込める。神社界の中には未だ、なぜ神職が憲法改正の署名活動までやらなければならないのか、といった疑問を抱く人もゐると聞く。しかし、もしも神職が宮守りだけを務め、国の大本を正す活動に従事しなかったら、この国は一体どうなるのか。心して考へてみなければなるまい。我々自身の熱意と活動努力によって憲法改正は是非とも実現しなければならないのである」

と強調している。

 神社本庁については、ケネス・ルオフ著『国民の天皇─戦後日本の民主主義と天皇制』(2003年)によると、

神社本庁戦前の政治体制とイデオロギーを復活させる足がかりとなる施策を強く支援してきた。米国製の憲法に象徴される戦後体制(レジーム)を拒否しながら、戦後、主として➀政教分離を定めた憲法第20条の廃止もしくは別の解釈の確立、②皇室崇敬の強化、を目標に掲げてきた。そして日本の47都道府県にまたがる支部を通じて、8万以上にのぼる神社の活動を統合している。神社本庁はまたいくつかの関連団体を支援しているが、その中には神道青年全国協議会や全国敬神婦人連合会なども含まれている」

とある。

 神社本庁自身も神道政治連盟(神政連)を1969年11月8日に結成し、自民党など保守政界を支援しており、神政連の訴えに呼応する神政連国会議員懇談会も作っている。神政連の政策目標は、

➀世界に誇る皇室と日本の文化伝統を大切にする社会づくりを目指す。

➁日本の歴史と国柄を踏まえた、誇りの持てる新憲法の制定を目指す。

③日本のために尊い命を捧げられた、靖国の英霊に対する国家儀礼の確立を目指す。

④日本の未来に希望の持てる、心豊かな子どもたちを育む教育の実現を目指す。

⑤世界から尊敬される道義国家、世界に貢献できる国家の確立を目指す。

などであり、つまり、皇室尊崇の社会づくり、新憲法の制定、靖国神社への国家関与の強化などであり、戦前の政治体制とイデオロギーの復活、戦前体制への回帰である。

 現在、神職はどこで取得できるのか。神道学科をもつ国学院大学皇学館大学の2大学でしか取得できない。国学院大学は1882年、神聖天皇主権大日本帝国政府が国家神道を支える神職の養成機関として設立した「皇典講究所」が母体である。皇学館大学も1882年、伊勢神宮が創設した神官養成機関「神宮皇学館」が母体である。大日本帝国政府は1903年、内務省所管の官立学校とし、1940年には官立大学の神宮皇学館大学とした。敗戦後、GHQの「神道指令」により廃学となったが、神宮皇学館出身者や政財界の有力者が1962年、私学として現在の皇学館大学を再興した。

 その教育方針は、伊勢神宮祭主・賀陽宮邦憲王が1900年に発した「令旨」を「奉戴」し、「神宮皇学館教育の旨趣は皇国の道義を講じ皇国の文学を修め之を実際に運用せしめ」るためとしている。

皇学館高校の教職員研修用冊子では、「皇国」とは「天皇がお治めになる国」との意である。

(2022年12月2日投稿)

 

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日本会議設立後初の中央大会(97年11月)での決議内容とその思想

2024-07-08 12:16:51 | 日本会議

 戦後の右派組織の双璧であった「日本を守る会」(1974年4月2日)と「日本を守る国民会議」(1981年10月27日)は大同団結して「日本会議」を設立(1997年5月30日)した。そして、その年の11月に設立後初の中央大会を開催したが、決議した内容はいかなるものであったか?以下に紹介しよう。

憲法調査委員会の早期設置と憲法臨調の設置

➁世界各国と同等の「防衛省」の設置

③北朝鮮による日本人拉致疑惑の解明と救済

④反日的・自虐的教科書の是正推進

夫婦別姓制度の導入反対

国籍条項の堅持再確認

であった。

また、各会代表が以下のような「提言」を行った。

➀主権回復の原点は憲法改正……平沼赳夫(日本会議国会議員懇談会幹事長)

夫婦別姓に反対し、家族の絆を守るために……高市早苗(衆院議員)

③近隣諸国条項、河野談話の撤廃を……中川昭一(日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会代表)

憲法は国家哲学の表明……長谷川三千子(埼玉大教授)

⑤中・韓両国の検定下にあるわが国の教科書……藤岡信勝(東大教授)

国防省設置のできない内閣は総辞職せよ……西村真悟(衆院議員)

拉致された国民を救えない国家とは何か……西岡力(『現代コリア』編集長)

(2022年12月3日投稿)

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大東亜聖戦祭を継続するための青年塾

2024-05-01 17:58:49 | 日本会議

 2000年8月4日、日本を守る会(1997年5月3日設立)が、反対運動無視して、石川県金沢市護国神社参道に「大東亜聖戦大碑」なるものを建立した。そして以後、毎年この月日に「大東亜聖戦祭」を実施してきた。そして又、この行事を永遠に継続していく事を目的に「大東亜青年塾」と称する組織活動を続けてきている。昨今自衛隊においても、「大東亜戦争」なる言葉を使用し侵略戦争と認めず正当性を主張するためにネット上で堂々と使用するようになり、メディアや国民から大きな批判を浴び削除したという事件が起こっているが、その自衛隊の動きと繋がっていると考えられる、「青年塾」の趣意書を以下に紹介しよう。

大東亜聖戦大碑の建立は、戦後米占領軍による日本民族劣化謀略により大きく歪められた歴史、即ち「我が国は過去の時期無謀な侵略行為により、アジア諸国に多大な迷惑と損害を与えた」という終戦50年における、村山以降歴代首相の歴史無知による8月15日談話に集約される父祖誹謗の誤れる反日自虐歴史観への痛撃であり、真実歴史日本民族の誇りを取り戻すため、戦後半世紀を経て建立された日本で唯一真正歴史の形象拠点であります。

 しかし、建立されただけで放置されるなら国民の大多数を占める反日謀略歴史観に長く毒された人々の非日濁流に押し流され、大碑も過去の遺跡となりかねない。これは大碑を建立した高年者の物故と共に加速する事が必定であります。これを防ぎ祖国の正気発祥の拠点として聖戦大碑を護持し、誇りを以て次代を担う日本青少年に正しい歴史認識覚醒を促すため、このを開くものであり、国の行く末と子孫を憂える各位の御理解と御協力を心から願うものであります。

 このへ参加する内に戦後教育、報道等によって脳洗浄され祖国の真姿を歪められ誇りを奪われた日本人の頭脳を癒し、素晴らしい真実の歴史観へ導き、国の誇りを取り戻すと共にその歴史的使命(八紘為宇)を自覚せしめ戦いなき八紘為宇・万邦共栄の世界に貢献できる感性豊かな日本人となる為の塾であります。

 現在、毎月の聖戦大碑清掃活動のほか大東亜聖戦祭への参加、その他啓発活動を中心に活動を行っています。」

(2024年5月1日投稿)

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日本会議(政治団体)がここまで組織拡大できた理由

2022-09-02 22:25:23 | 日本会議

 日本会議の源流は、「生長の家」(谷川雅治創始)や、全共闘に対抗するために結成された「生学連」(生長の家学生会全国総連合)であるが、今日、戦後日本の憲法やその基本原理である民主主義を崩壊させるまでに組織を拡大してこれた背景は何だろうか?青木理著『日本会議の正体』の中から紹介したい。 

 元「生学連」である伊藤邦典氏の言葉を以下に紹介したい。

「我々は同じ事をただやってきただけで、逆に全共闘の運動などがなくなっただけなんじゃないでしょうか。昔(運動を)やっていた人たちが、左でやっていた人たちの声が、すっかり小さくなってしまった。もちろん今も一生懸命やっている人はいて、そういう人に私はシンパシーを感じるんです。だから、どっちが良いとか悪いとかいう事ではない。我々は我々のやりたい事を50年やってきた。でも、右の主張に対するアンチテーゼがいつの間にかなくなってしまった。それだけの事じゃないかとも思うんです」

 元「日学同委員長」である玉川博己氏は、

「僕たちが学生の時、『自主防衛』だとか、『核武装』なんて言おうものなら、すぐに『ファシスト』『軍国主義者』と徹底的に批判されました。でも、今はどうですか。テレビでも、ネットでも、あるいは本屋に行けば、そういう主張を堂々と記した雑誌が山積みになっている。一方、かつての『朝日ジャーナル』のような本なんて、ほんの少ししかない。40年、50年前とは偉い違いです。それが良い事なのか悪い事なのかは別にしてね」

と語っている。

安倍・菅・岸田自公政権との闘いは、思想価値観の闘争であり、彼らは戦後体制を破壊し戦前の国家体制へ回帰する事をめざし、それに対して民主主義を守る側は戦後体制を守り発展させる本気度が問われているのである。

(2022年9月2日投稿)

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