高野俊二(全日との契約を更新せず、しかしその後も全日マットに上がっていた為、契約選手扱い)
欠場後、連絡なし。
高野の話「直接の原因は腰痛。今年の4月に契約に応じなかったのは、いろいろ理由があったけど、腰痛で長期欠場するわけにもいかないし、休んでいて金貰うわけにはいかないし、いろいろ悩んでて。」(週刊ゴング1990年7/19号より)
サムソン冬木(3月に全日との契約を更新)
6月14日全日本プロレス事務所を訪れ退職願を提出。18日に受理され退団。
冬木の話「何を書かれても、何を言われても我慢するよ。契約を破った事は悪いんだからさ。当然理由はあるけど、全日に対して済まないという気持ちもあるし、恩義も感じてるし、今は何も言えないな。」(週刊ゴング1990年7/12号より)
仲野信市(3月に全日との契約を更新)
6月18日全日本プロレス事務所を訪れ辞表を提出。しかし契約破棄による違約金の支払いに同意せず。
仲野の話「この2~3年あまりパッとしなくて、やる気もなくなっちゃったし。はっきり言ってジャパンプロがバラバラになっちゃって、全日の人はそう思ってなくても、自分は嫌だっていうか、溶け込めなかったですよ。」(週刊ゴング1990年7/12号より)
北原辰巳(3月に全日との契約を更新)
6月15日全日本プロレスに辞意を申し出る。18日に受理され退団。
北原の話「(退団の)一番の理由は、僕がやっていきたいなっていうのと全日本プロレスが違うっていう事ですよ。SWSへ行くんで辞めたわけじゃないですよ。今はカナダに行って、燃えてた頃の自分に戻りたいって事です。」(週刊ゴング1990年7/12号より)
折原昌夫(3月に全日との契約を更新)
6月13日全日本プロレスに辞意を申し出る。
折原の話「プロレスに嫌気がさしたので、この世界から足を洗う事にしました。」(週刊プロレス1990年7/3号より)
高木功(2月から欠場し契約未更改)
欠場後、連絡が無く行方不明状態。
鶴見五郎(フリー参戦の為、契約未更改)
6月15日全日本プロレスに対し契約辞退届を郵送。
鶴見の話「3月の契約の頃からサインしようかどうか迷ってて。直接の理由は、ジムの経営とか子供たち3人の教育とか、その辺に手が回らないから。」(週刊ゴング1990年7/12号より)
その他、海野宏之レフリーと練習生の山中鉄也が退団。
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欠場後、連絡なし。
高野の話「直接の原因は腰痛。今年の4月に契約に応じなかったのは、いろいろ理由があったけど、腰痛で長期欠場するわけにもいかないし、休んでいて金貰うわけにはいかないし、いろいろ悩んでて。」(週刊ゴング1990年7/19号より)
サムソン冬木(3月に全日との契約を更新)
6月14日全日本プロレス事務所を訪れ退職願を提出。18日に受理され退団。
冬木の話「何を書かれても、何を言われても我慢するよ。契約を破った事は悪いんだからさ。当然理由はあるけど、全日に対して済まないという気持ちもあるし、恩義も感じてるし、今は何も言えないな。」(週刊ゴング1990年7/12号より)
仲野信市(3月に全日との契約を更新)
6月18日全日本プロレス事務所を訪れ辞表を提出。しかし契約破棄による違約金の支払いに同意せず。
仲野の話「この2~3年あまりパッとしなくて、やる気もなくなっちゃったし。はっきり言ってジャパンプロがバラバラになっちゃって、全日の人はそう思ってなくても、自分は嫌だっていうか、溶け込めなかったですよ。」(週刊ゴング1990年7/12号より)
北原辰巳(3月に全日との契約を更新)
6月15日全日本プロレスに辞意を申し出る。18日に受理され退団。
北原の話「(退団の)一番の理由は、僕がやっていきたいなっていうのと全日本プロレスが違うっていう事ですよ。SWSへ行くんで辞めたわけじゃないですよ。今はカナダに行って、燃えてた頃の自分に戻りたいって事です。」(週刊ゴング1990年7/12号より)
折原昌夫(3月に全日との契約を更新)
6月13日全日本プロレスに辞意を申し出る。
折原の話「プロレスに嫌気がさしたので、この世界から足を洗う事にしました。」(週刊プロレス1990年7/3号より)
高木功(2月から欠場し契約未更改)
欠場後、連絡が無く行方不明状態。
鶴見五郎(フリー参戦の為、契約未更改)
6月15日全日本プロレスに対し契約辞退届を郵送。
鶴見の話「3月の契約の頃からサインしようかどうか迷ってて。直接の理由は、ジムの経営とか子供たち3人の教育とか、その辺に手が回らないから。」(週刊ゴング1990年7/12号より)
その他、海野宏之レフリーと練習生の山中鉄也が退団。
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