昭和の全日本プロレス

全日の旗揚げからG馬場三回忌追悼興行までの記録です。当ブログの記事や画像を、ブログ等にそのまま転載する行為は禁止します。

全日本VS新日本

2019年04月01日 20時00分49秒 | 2000全日本プロレス
7月31日全日本プロレス事務所で次期シリーズの対戦カードが発表され、会見に出席した渕が新日本プロレスとの交流問題に触れ「(6月29日新日本との会談後に永島取締役企画部長に対し、全日の武道館大会を見に来いと呼びかけた件について)武道館にも来なかったし、先シリーズ前に会って以来連絡もない。俺だったらああ言われたら、ひとりでも全日本の看板を背負って行きますよ。」と発言。
これを受け新日本の永島企画部長は、「両国でもどこでも、それぐらいの覚悟をしてくればいい。」とコメント。

8月3日全日本プロレス道場で次期シリーズから参戦が決まった荒谷信孝と公開練習を行った渕正信は、練習後にマスコミに対して「新日本が来いって言っているなら、俺は両国に行く。川田に来てほしいかもしれないけど、俺がひとりで行く。」と発言。

8月11日新日本プロレス・両国国技館大会の休憩時間に田中リングアナの呼びかけに応え渕正信がリングに登場。
マイクを持ち「30年、この長い間、全日本プロレスと新日本プロレスの間には、常に大きな壁がありました。その壁を今日、ぶち破りに来ました。私は宣言通りひとりで来て、たった二人しかいない全日本プロレスですが、看板の大きさとプライドは、新日本に負けておりません。この意気込みを新日本プロレスのフロント及びレスラー諸君はどう対処するか、現場責任者の長州力選手、ご返答を願いたい。」とマイクアピール。
ここに名指しされた長州力がリングに登場し、何やら語りかけながら渕と握手。(※渕によると長州は「やるなら徹底的にやろう。」と言ったとの事)
そこへ蝶野正洋が飛び込んできてマイクを持ち、渕に対して「てめえ何様だと思ってんだ。ここは新日本だ。てめえの入る隙間はねえんだ。とっとと出ていきやがれ。」とアピールした後、渕へ帽子を投げつけツバを吹きかけシャツを脱ぎ渕へ向かおうとするが天山らが押さえ、そこへ飛び込んできた長州とやり合った後、リングを降り引き上げようとする蝶野に対し、それまで蝶野の投げた帽子を被りながら成り行きを見ていた渕はマイクを持ち、リング下の蝶野へ「蝶野忘れ物だ。」と帽子を投げ返した後、「もう止まることはできない。全日本プロレスは逃げも隠れもしない。これが全日本プロレスの心意気だ。蝶野、来るなら来い。新日本プロレスのファンの皆様、お騒がせしました。」とアピールしてリングを降りた。

8月20日後楽園ホールで、9月2日日本武道館大会のカードが発表され、渕正信対蝶野正洋戦が決定。

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