昭和の全日本プロレス

全日の旗揚げからG馬場三回忌追悼興行までの記録です。当ブログの記事や画像を、ブログ等にそのまま転載する行為は禁止します。

天龍・全日離脱

2015年06月08日 20時00分59秒 | 全日本プロレス史
4月23日天龍源一郎がジャイアント馬場に辞表を提出。

4月26日馬場代表は天龍と話し合いを続けたものの天龍の考えが変わらない事から、辞表を受理。

5月1日天龍は全日本プロレス事務所を訪れ、全日本プロレスの役員職の辞表を提出。

5月2日全日本プロレスの馬場代表が記者会見を行い、天龍の全日本プロレス退社を正式に発表した。

天龍の話
馬場さんと何度か話し合った結果、全日本プロレスを円満に退社する事になった。
メガネスーパーの資金援助を受けて、新団体を旗揚げする。
全日本から他の選手を引っ張るつもりはない。
これからは自分でレスラーを育てていきたい。
(週刊プロレス1990/5/15号巻頭グラビアより)

馬場代表の話
3日間説得してダメだったんだよ。それほど決意が固いのなら、お互いきれいな形で別れよう。俺はそう心に決めたんだ。
天龍選手と全日本の間には約束事がある。要するに契約書である。そこには「契約を破ったら、こうなりますよ」と書かれている。天龍選手はそれを承知で出て行くというのだから、変な話、誰も文句を言えない。つまり約束を破った時の契約事項を履行されたら、俺は何にも言いようがない。
厳密にいうと契約を破った時の契約事項が履行されていないので、完全な形ではまだ円満退社とは言えないんだ。今の時点では、あの言葉は使ってほしくない。誤解されるもとになるし、俺の立場を考えてほしい。
(週刊プロレス1990/5/29号G馬場インタビュー記事より)

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