生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

聖フランチェスコの祈り

2016-09-21 04:31:26 | 日々の暮らし
3時過ぎです。
雨音が聞こえません。
台風が遠ざかったのでしょうか。

今日は忘れられない、若い聖僧(アバター)と老僧の会話を話したいと思います。

老僧が

「君が私に神がどこにいるかを示すことができれば、

このオレンジを一個あげよう」

若い聖僧は答えました。

「先生が私に、神がいないところを示すことができれば、

私はオレンジを二個差し上げましょう」

素晴らしい問答です。

この話のポイントは

キリスト教の教えでは

「神は至るところにいる」からです。

では、歴史に記録されているあらゆる祈りの中で、

最も有名で不朽の生命をもっていると言われる、
聖フランチェスコの祈りを紹介します。

私は聖フランチェスコが大好きです。

子供好きで恋人もいてあらゆる宗派の人にも好かれていました。
(良寛さんに似ています)

830年前にイタリアのフランシスコ修道院の創始者でもある彼の生き方に引かれて本も読みました。

『主よ、私はあなたの平和の使いとしてください。

私が、憎しみあるところには、愛を

争いあるところには、許しを

疑いあるところには、信仰を

絶望あるところには、希望を

闇あるところには、光を

そして、悲しみあるところには、喜びを

もたらすことができますように。

ああ、神聖なる主よ、

私が慰められるよりも、

むしろ慰めることを、

理解されるよりも、

むしろ理解することを、

愛されるよりも、

むしろ愛することを、

求めることができますように

お導きください。

というのは、私たちは

与えることによってこそ

自ら与えられ

許すことによってこそ

自ら許されるからです。

そして、死すことにおいてこそ、

私たちは、永遠の光の

中に生まれるのです』

(聖フランチェスコ)

なんと、素晴らしい言葉でしょう。

法華経の心と同じ

尊い言葉です。


私は思うのです。

神との交信には

「神の喜ぶことを

入れて祈ること」

絶対に忘れては

ならないと。

今日の気づきになれば


合掌




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする