生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

朝顔の花と露(方丈記)

2016-09-14 00:24:41 | 日々の暮らし
今日は760年以上前の古典、鴨長明の「方丈記」を紹介します。

古代も現代も変わらないものだと感じました。

「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

よどみに浮かぶ、うたかたは(水のあわ)、かつ消えかつ結びて、ひさしくとどまりたる例(ためし)なし。

世の中にある人とすみかと、またかくのごとし…」。

(現代訳)

「流れ行く川の水はとだえないが、もとのままではなく、

よどみに浮かぶ水のあわは、消えたり結んだりして、久しくとどまっていることはない。

この世のなかにある人と住居(すまい)も
やはりそうである」。

ーこの後は現代訳で―

花の都の中に、棟(むね)をならべ、軒を競いあっている高貴な人の住居は、

代々続いてなくならないものだが、これを本当かと

たずねてみれば、昔ながらの家はごくまれである。

去年焼けて、今年作ったりまた、大きな家が無くなって、小さな家になったりしている。

その家に住む人間も同じことで、場所も変わらず、人も多いけれど

、昔からの人は、30人の中でほんの1人か2人である。

あしたに死に、ゆうべに生まれる人の世の
ならいは、

全くあの水のあわの通りである。

一体、生まれたり死んだりする人たちは、どこから来てどこへ行ってしまうのであろう。

また、はかないこの世の仮の住居を、一体だれのために心を悩まし、どういうわけで見栄えをよくしようとするのか。

その主人と住居とが、たがいに、はかなさを競うありさまは、

朝顔の花に宿る露と
かわらない。

ある時は露が落ちて花が残る。

しかし、花が残っても、朝日にあうとしぼんでしまう。

あるいはまた、花が先にしぼんで、露があとに消え残る。

例え消え残ったとしても夕方まではもたない。
人間のすることは、みなばかげている。

もっとも危険な都会の中に家を建てるといって、財産を使い、

心を悩ますということは、
とりわけつまらぬことである。

またつむじ風が起こって、家の中の財宝などは、

そっくり大空に舞い上がり、屋根は吹き飛ぶさまは、

まるで冬の木の葉が風に乱れ狂うようであった。

また、大きな地震があった。

山はくずれて河をうずめ、海はひっくり返って陸地をひたしてしまった。

土が裂けて水が涌き出し、岩石が割れて谷にころがり

海岸近くを漕いでいた船は、津波に沖へ持って行かれ、

道行く馬は、踏みどころが定まらず、

神社仏閣は一つとして無事に立っているものはなく、

家がくずれる音は、

まるで雷鳴のようであった。

そのあとの余震がしばらくは絶えず、3ヵ月は続いた。

なんと、古代も現代も変わらないものだと感じました。


また我々の生活に関係することが一杯あるので後日紹介します。

今日の佳き日に


合掌
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする