スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

2月最後の雪景色 & 痴呆症に効く鼻スプレー

2005-02-28 09:05:20 | コラム
更新が遅くなっております。
いろいろ書きたいことはたくさんあるのですが、まとめる時間が今のところありません。もうしばらくお待ちを・・・

気づいてみたら、もう2月も終わりなんですね。今日も雪になりました。でも春はもうすぐそこまで来ている。日が長くなったおかげで、いくら外が寒くて雪が降ろうと、何だか一日一日と明るくなっていくのがはっきり分かります。朝6時半の電車に乗るときは、外がこれまでずっと真っ暗だったのに、最近は薄く白んでいます。

そういえば、この冬は風邪らしき風邪も引かず、ピンピンしていました。5度目の冬で体が慣れたせいもあるんだろうけど、それだけじゃなくて、冬の間ずっと「外から帰ると手を洗う」を徹底していた効果があったと思う。


この4枚の写真は2/28のお昼時

気に入っている湖沿いの散歩&ジョギングコース

白く見える平原は実は雪と氷が覆う湖です

凍ってないところで水浴びをして氷の上で休憩(僕じゃなくて鳥が)

----------

スウェーデンからこれからの高齢化社会を少し明るくするニュースを一つ。

ヨーテボリが大学がこのほど痴呆症を防止する薬品を開発。ネズミを使った実験では、この薬品を脳細胞に注入すると、神経細胞の増殖を促すことが分かった。理論的には、この薬品はうつ病、燃え尽き症、そして軽度の痴呆症に効果があると期待される。

ヨーテボリ大学は今後、日本の製薬会社と協力して研究開発をさらに進め、5年以内の商品化を実現したいとのこと。実際に商品になれば“鼻スプレー”の形で鼻から脳へと吸収されていくのだそうだ。

DOKUMENT UTIFRAN

2005-02-25 09:14:18 | コラム


スウェーデンの公共放送 (SVT:NHKに相当)では興味深いドキュメンタリーをときたま放送するのだが、その中でも面白いのが「Dokument Utifrån」(海外に関するドキュメンタリー)というもの。海外のテレビ局が作ったものもあれば、SVTが独自に作成したものもある。これとは別に「Dokument Inifrån」(国内に関するドキュメンタリー)というのもあり、両方あわせたら日本の「NHKスペシャル」と同じような番組になる。

だいたい月に2本か3本ぐらいの割合で放送するのだが、2週間前のタイトルは“悪魔との対話”。中東の紛争を巡って長年にわたって公には敵対していたUSAとPLO(パレスチナ解放機構)が、実際は水面下でコンタクトを取っていたことをスクープしたものだった。犬猿の仲であった両者が、実は互いに持ちつ持たれつの関係であったというのは興味深い。


時は1960年代後半、PLOのアラファト議長はUSAの親イスラエル政策を痛烈に批判する一方で、自らの目標であるパレスチナ国家建設の達成のためには、USAの支援が不可欠だと見ていた。逆にUSAにとっては、中東に存在するアメリカの経済利益をテロの攻撃から守ることが肝要であった。そのため、両者は諜報員を通じて影で接触を持つようになる。その結果、アラファトはUSAに対してPLOの承認を勝ち取り、その見返りに、中東におけるアメリカの利益は暗黙に守られることになった。アラファトは1974年にパレスチナの代表として国連総会への参加を果たし、有名な“オリーブの枝とピストル”の演説を行うことになる。

この持ちつ持たれつの関係は90年代に入ってからも続き、PLOの治安部隊が実はアメリカで軍事訓練を受けていたり、アメリカから巨額の援助を受けたりしていた。アメリカにとってはPLOを支援することで、彼らよりさらに過激な民兵組織の掃討とパレスチナの治安維持を望んだのだそうだ。もちろん、アメリカの関心はその地域における自国の利益確保で、パレスチナ国家の建設などという相手側の願いは二の次だった。結果として、PLOのテロによる残虐行為は野放しにされる。のちにブッシュ大統領が再三にわたって、PLOのアラファトを非難し、イスラエルを擁護するというポーズを取るのだが、それは自分たちの蒔いた種の結果でもあったのだ。そして現在、「テロとの闘い」の名の下、水面下でアメリカはさらにCIAの諜報員と多額の軍事援助をパレスチナ側に送り込む。目標はただ一つ。イスラム原理主義が渦巻く中東のド真ん中に親米国家を誕生させること・・・。

という内容。これを見て思い出すのは、アメリカが自国の利益の保護と秩序維持のために過去にウサマ・ビンラディンやサダム・フセインにも軍事訓練や資金援助をしていたこと。そして、彼らの矛先が自分たちに向けれると、自分で叩かなければいけなくなるという本末転倒のありさま。これらのアメリカの暗い過去が本国ではほとんど議論されもしないし、世間一般にあまり知られていないのは信じがたい限りだ。


そして、今週の「Dokument Utifrån」は“キルスク号-濁った海底の潜水艦”。ロシアの潜水艦キルスク号の沈没事故についてだ。2000年8月にスカンジナヴィア半島北東のバレンツ海でロシア海軍の演習中に事故を起こし沈没した。ロシアのプーチン大統領は国家の最高機密ということで実態を公にせず、救援隊の派遣にももたつき、最終的に乗組員全員が命を失うことになる。公式発表では、原因は搭載していた魚雷が艦内で連続爆発を起こした、ということだったが、このドキュメンタリーは別の仮説を立てる。アメリカの潜水艦との衝突が原因ではないか、というものだ。今回のドキュメンタリーはフランスで作成されたものがベースになっている。

軍事演習が行われていたバレンツ海には当時、アメリカの潜水艦が二隻潜んでいた。というのもアメリカには気がかりなことがあったからだ。この当時、ロシアが新型魚雷を開発し、それを中国に売ろうしていたのだ。新型魚雷は従来の魚雷の性能をはるかに上回るもので、これが中国の手に渡れば、極東の軍事バランスが大きく崩れることになる。実際、新型魚雷の性能を見るべく、中国から軍事関係者が演習地域に招待されていた。魚雷に対する同様の関心はアメリカにもあり、そのために潜水艦二隻を密かに送り、演習を監視をしていたのだった。

ところが、何かに拍子に隠密潜行をするアメリカの潜水艦とクルスクが衝突する事態に至る。その直後、クルスクはアメリカの潜水艦に対して魚雷発射の構えを見せる。ここで新型魚雷を撃たれれば、回避するまもなく撃沈されてしまう・・・。それを恐れたアメリカ潜水艦は魚雷による先制攻撃に踏み切る。そして命中。クルスクは沈没。攻撃をしたアメリカの潜水艦も衝突と魚雷爆発の反動で大きな痛手を負い、もう一艦と共に現場を後にする・・・。

これは何かのコンスピレーションだと思われるかもしれないが、ドキュメンタリーを作成したフランスのカメラマンは4年にもわたり、ロシア政府により封印された秘密を追及してきたのだそうだ。実際にアメリカの元諜報員やロシア側の専門家の証言を引き出し、さらに後になって引き上げられたキルスクの側面に内側に大きく陥没した痕があったことも突き止めている。アメリカとロシアはこの時、一瞬触発の危機に陥いり、第三次世界大戦にもなりかねなかった・・・。

幸い、プーチン大統領はその「ボタン」を押さずに、すべてを闇の中に葬り去ることを決意する。118人の乗組員の命も政治の駆け引きのために見捨てられることになる。この隠された国際政治の舞台裏が興味深いこともさることながら、今回のドキュメンタリーのもう一つのテーマは、プーチン政権下の独裁体制。プーチン大統領がいかにメディアを統制し、クルスク号事故の後のあいまいな対応をする政権に対する批判をいかに封じ込めたかを、刻々と描いていた。ある一場面。乗組員の家族がプーチン大統領と対面するシーンだ。ロシア全国に会見の生映像が送られる中で、息子を失った母親が声を枯らしながら、やりきれなさをプーチンに訴え続ける。その間に白衣を着た医者が女性に近づき、背後から鎮静剤を注射。女性は直後ぐったりと倒れてしまう。そして、そのあとすべてのメディアがその会場から追い立てられる・・・。番組の最後に、ロシアの現在の体制を“市場経済をうまく利用して権力を牛耳る独裁体制”と締めくくっていたのはとても興味深かった。

この事故は私がスウェーデンに来た直後に起き、何を言っているのか分からないスウェーデン語のニュースで見たその時の印象は今でも覚えているが、そんな大きなことが背後にあったとはびっくり。

------
スウェーデンの公共テレビSVTは公共放送の重要さを訴えるキャンペーンを始めた。「自由なテレビ - もし私たちがこの役目を果たさなければ、他に誰がやるの?」がモットー。キャンペーンのクリップで流されるのは、イタリアの首相ベルロスコーニとロシアのプーチン大統領がいかに国内のメディアを支配し、自分たちの都合のよい情報だけを流すことで、権力を維持しているか。(このキャンペーンでは登場しないが、アメリカのFOXニュースも操作された情報を主に流しているという話を聞いたことがある)

権力を監視するのがメディアの重要な役目の一つ。その当たり前のことが気づかぬうちに破られ、両者がいつの間にか一体化することがないように願いたいものだ。

近況

2005-02-23 08:21:42 | コラム

今日は再び寒波が襲ってきた。外に出ると、風が強いは、頭はキーンと冷えるわ。これは多分-10℃くらいだろう。

Bokreaと呼ばれる本の大売り出しが昨日から全国的に始まった。様々な本屋さんが出版されてからしばらく時間が経った本をまとめてセールするという、歴史の比較的長い行事だ。以前は出版から5年以上経った書物でないと、このBokreaで大売り出しができなかったのらしいが、最近は去年出版された本もBokreaの店頭に並ぶようになってきた。例えば、世界的にヒットした「ダヴィンチ・コード」のスウェーデン語版は通常価格がだいたい278kr (4170円)だったのに対し、このセールでは何と80kr (1200円)ほどで売り出されているではないか。それから、僕がスウェーデンに来て以来、愛用してきた英語-スウェーデン語の辞書も通常の半額から1/3くらいの価格で売り出されている。(ちなみにこちらでは再販制がないため、各本屋さんで価格を自由につけられる。)でもこうやって値崩れが激しくなると、作家業や翻訳業は儲からなくなってきた、という話も聞く。

久々に人混みにもまれて、ちょっと疲れた。日本に帰ったときのことが思いやられる・・・。

―――
日本からのニュースをスウェーデンのメディアで耳にした。

一つは、新しく開港した中部国際空港。
「優秀な自動車メーカー“トヨタ”の工場がある豊田市(第三の都市マルメ市の規模に相当)の近くに完成した。ここからは新幹線に乗ればたった40分で東京まで行ける。空港は“人口の”島の上に作られた。・・・ 空港内には、銭湯からトレーニング・ジム、さらに屋内日本庭園まで、備え付けられている。」

これの記事を見ればスウェーデン人にとっての日本観がちょっとだけ垣間見れる。まず、名古屋は知らなくても車のトヨタなら分かるということ。それから、日本はハイテクの国、つまり、人口の島をいとも簡単につくって空港にしてしまうことができるし、新幹線も近くをビュンビュン走っている。さらには、銭湯などの便利な施設はお金を惜しまず、所かまわず、作ってしまう。(ところで、新幹線駅って空港のすぐ近くに作ったのですか? 東京まで40分って本当ですか? 分かる人教えてください!!) とにかく、スウェーデン人が抱く日本に対するイメージというのは結構いいのですよ。

もう一つは、自殺サイトの話。増え続ける自殺が日本やアメリカで新しい形を取ってきたということ。日本の例がとりわけ紹介される。練炭までも。
スウェーデンでも過去25年間を振り返ってみると、週に二人の割合で自殺によって命を落とす人がいるらしいが、ここでも日本でのと似たようなサイトが登場し始めているらしい。サイトが直接の引き金となった例というのは今のところ知られてないそうだが・・・。日本のよいニュースがこちらで紹介されるのは嬉しいけれど、このような暗いニュースまで紹介されるようになるととても残念です。

ヨーロッパのニュースは今とくに、アメリカ大統領の「大西洋 橋かけ訪欧」が賑わせています。

イラク系スウェーデン人の選挙活動

2005-02-21 08:06:46 | コラム
先週末にイラクで誘拐されたイラク系スウェーデン人のことを書いた。どうもいろいろな人の話を聞いてみると、フセイン政権が倒された後に、イラクに戻ることを決意し、今回の総選挙に積極的に関わっているイラク系スウェーデン人は彼だけにとどまらないようだ。

Abir Alsahlani (30)は1991年に家族と共に難民としてイラクからスウェーデンに逃れてきた。当時17歳、その後スウェーデンで高校教育、そしてストックホルムにある王立工科大学で大学教育を受ける。スウェーデンに来てからもスウェーデン中央党を中心に政治活動に活発だった父親の影響を受け、彼女は国際的な子供救援のNGO・Save ChildrenをはじめとするNGO活動に積極的に参加する。

彼女は1年半前に家族と再びイラクに戻り、仲間と一つの政党を立ち上げた。「イラク民主同盟」!! これは8つの小政党の集まり(同盟 alliance)で自由主義と非宗教をモットーに掲げており、シーア派、スンニ派、クルド人、キリスト教徒など、民族や宗教に関わらず、イラク国民全体に広く支持を訴えかけている。

(英語やスウェーデン語の”secular”という言葉を訳して「非宗教的」としたが、これは宗教を否定する、という意味ではなく、宗教を政治に持ち込まず、そして、宗教や民族の分断をまたいで、同じ国で暮らす人々全体を対象にした政党、ということではないかと思う)

80以上の政党が名乗りを上げるイラク初めての総選挙だが、彼女の政党も予測によると(1/28当時) 3人から5人の当選が予想されるという。ちなみに彼女は比例代表リストの3番目。さて結果はどうなったのか? わかり次第、ここでお知らせします。


Abir Alsahlaniとその父親。スウェーデンにて(DN 2005/01/28)

移民や難民というのは、受け入れ側から見れば、社会給付と補助金を一方的に受け取るだけの“やっかいなもの”と見る人もいるかもしれない。しかし、経済的な援助を得るだけではなくて、本国に本当に必要なものをしっかり吸収しようとしている人々もいる。政治的抑圧のない環境を存分に利用し、しかっりと教育も身につけ(この家族の場合はイラク本国でも教育を受けていたであろうが)、民主主義の社会にどっぷりと浸って、その機能の仕方を身をもって学び、そのありがたさを実感し、そして時機が来たときに、本国に戻って民主化のために活躍する。このようなケースがあるならば、難民の受け入れはまたとない有効な「民主化支援」とための途上国援助と国際貢献といえるのかもしれない。


私が習っているスウェーデン語Bのクラスにも、2人のイラク人(1人はクルド人男性、もう1人はキリスト教徒の女性)がいる。自分の身の回りで世界が身近に感じられるのはとても刺激がある。

技術革新と産業創出

2005-02-20 07:06:24 | コラム

今月は続々と各企業の2004年の業績が発表されている。昨年は国際市場の持ち直しから、スウェーデンの主要企業の輸出は好調。ドル安のため、アメリカやドル建てで取り引きする国とは不利にも関わらず、とくに電話通信関係で大きく業績を伸ばした。スウェーデンの大企業20社の今年の株式配当予定を2004年と比べてみると85%増(!)というから、好調さが分かっていただけるだろう。

しかし、好調な業績の一部は積極的なリストラによる経費節減によるところが大きいともいわれる。業績回復と輸出増にもかかわらず、2004年中はネットで見ると雇用がほとんど伸びなかったため「雇用増なき経済回復」と呼ばれている。一方では、IT技術の利用によって、労働生産性が向上したためだと言われるが、他方ではスウェーデン経済が構造的問題をかかえている証拠だという声も聞かれる。

雇用減に拍車をかけているのが、前も書いたように製造業の東欧への移転(リンク)。東欧諸国が新しくEUに加わり、物流や国境を越えた直接投資が容易になったためだ。東欧諸国のウリを挙げてみると1) 低賃金、2) 比較的に質の高い労働力、3) 西欧市場までの近さ、などだ。例えばポーランドの人件費はスウェーデンのなんと1/8らしい。IKEA家具や建材はほとんどが東欧で製造されている。

労働組合はしばしばこのような海外移転に大きく反対するものだが、ブルーカラーの最大労組LOの経済分析部はこれに対して楽観的だ。長期的に見れば、生産性の比較的低い軽工業が国外へ出ていき、手の空いた労働力がより生産性の高い産業に従事できるようになれば、経済成長につながり、労働者の賃金の上昇が期待できるからだとする。スウェーデンが、急成長する東欧市場に遅れず乗り込んで、売り上げを伸ばすことで、大きな収益をあげることが雇われる側にとってもよいと考えているようだ。

確かに、経済理論からすれば、新しい技術(知識)集約的な産業がちゃんと登場する限りにおいてその見方は正しいが、今すぐにそんな産業が見つかるかと言えば、答えはそう簡単ではない。それこそ、10年先、20年先を見れば、技術がさらに進歩し、おそらく今は考えつかないような産業が登場するのかもしれないが、それは意の遠くなる話だ。

カギは新しい産業、特に技術(知識)集約産業をいかに創出するかだ。スウェーデンでの最近のいくつかの成功例を取り上げてみたい。

----------
鉄鉱山を持つスウェーデンにとって鉄鋼の生産は昔から大きな産業の一つだったが、近年、中国などの安い鉄鋼に押され衰退してきた。そこで目を付けたのが、付加価値が高く、高度な技術を要する種類の鉄鋼製品。たとえば、極薄のステンレス金属帯。なんと0.1~0.8ミリもの薄さのものをロール状にして出荷する。極薄金属板の使用用途は、熱交換器、車のパイプ、エンジンシリンダー管、溶接用電極などだという。

生産地はスウェーデン中部、ダーラナ地方。この地域では15世紀頃から鋳造が行われていた。僕も一夏、このあたりを自転車で旅行したことがあるが、今でも「~炉(hytta)」という語で終わる村の名前が各地に残っている。長年にわたって蓄積された鋳造の技術に最新の技術を融合させたのだ。ここまで薄い金属板を作れるのは世界中でも数が少なく、生産量を上げるために現在さらなる設備投資が行われている。

----------
もうひとつは、シリコン・カーバイド。和訳すると“ケイ素炭化カルシウム”となるのだろうか。どうも薄い盤状の物質で、ダイアモンドのように硬く、電力の損失が少なく、高温にも耐えられる。用途としては、電力の送電線や携帯電話のアンテナ局。シリコン・カーバイドという素材は1950年代から存在したが、製造過程が複雑で質の高いものを低価で作るのが難しかった。

リンショーピン(Linköping)大学がこれまで高価だったこのシリコン・カーバイドを低コストで、しかも高品質のものを生産できる技術を開発し、それをNorstelというベンチャー企業が実用化させようとしている。現在、Norstelはリンショーピンの近郊、ノルショーピン(Norrköping)に工場を建設中で、地元に50ほどの雇用が生まれる。
Norstel(英語)
カーバイドの新製造過程

この企業の立ち上げには、地元自治体や行政機関が重要な役割を果たしているのは見逃せない。実際に工場の設立費用を賄うのは地元ノルショーピン市で、それをNorstelに提供するという形をとる。エネルギー庁(Energimyndigheten)と技術革新システム庁(Vinnova)もNorstelの技術開発のために投資を行っている。さらに、会社設立の資本金には3つのベンチャーキャピタルによる融資支援があったことも忘れてはならない。

技術開発の段階での産学連携と、それを実際の製品にする段階での行政の積極的支援の挑戦例だといえよう。


このように新産業の創出には、積極的な技術革新とその実用化が重要なポイントだ。今挙げた技術革新システム庁:Vinnova (Swedish Agency for Innovation Systems) はスウェーデン産業省の外郭団体で、「技術革新システムの効率的な発展の支援と、必要に応じた研究での資金援助を行うことで、経済の持続可能な成長をめざす」のが任務らしい。こういった行政の積極的支援に着目してみるのも面白い。
技術革新システム庁:Winnova(英語)

同じような構造問題を抱える日本経済、特に地方の経済を考える上で、何かしらの参考になればいいと思って簡単にまとめてみた。

"スウェーデン人"がイラクで誘拐

2005-02-19 09:14:35 | コラム

「スウェーデン人がイラクで誘拐」

こんなニュースがここヨンショーピンをちょっと騒がせている。この男性、もともとはイラク人であり、政治難民としてスウェーデンに逃れてきて、その後にスウェーデン国籍を取得した方。スウェーデンではヨンショーピンの近郊に長く住み、親族もこちらにいる模様。今回のイラク総選挙の際には、イラクに戻って「キリスト教民主党」を組織し、その党首として政治活動を行い、イラク国内に少数ながらいるキリスト教徒の声を代表していたようだ。イラクで政治活動を行っているということは、おそらくイラク国籍とスウェーデン国籍の両方を所持しているのだろう。

3日ほど前に犯人側からビデオがメディアに流れ、そこには彼が命乞いをする姿が映されていた。犯人側の要求は主に身代金で、どうやら政治的な目的のテログループというよりも、お金目当ての犯罪グループのようだ。

もちろん、二重国籍であろうと、スウェーデン国籍を取得した以上、彼は「スウェーデン人」でもあるので、海外で誘拐事件が起きた場合は、スウェーデン政府に自国民救出の責任がある。そのため、スウェーデン外務省は現在さまざまな経路で犯人側との接触を行っているという。“生来の”スウェーデン人では無いからといって、見捨てることはしない。

様々な移民や難民を受け入れて、彼らの多くに国籍まで与えてきた国、スウェーデン。そんな外国出身の彼らを含めた“自国民”が国外でトラブルに巻き込まれるケースは、そうではない国に比べたら、必然的に多くなる。例えば、以前の例では、英米軍がアフガニスタンでテロ容疑をかけ拘束し、キューバのグアンタナモ基地に収容した人々の中に3人のスウェーデン国籍保持者がいた。しかし、彼らはみな本来は中東出身者(レバノンかどこか)でアラブ系のスウェーデン人だった。しかし、それでもスウェーデン外務省は、米軍に対し、人道的な待遇と身柄の引き渡しを再三にわたって求めていた。

国籍保持者だから、その国の外務省が保護するというのは、考えてみれば当たり前のことなのだが、もともと外国人だった人間に対しても、しっかりその義務を果たそうとするスウェーデンのやり方は、日本人の目には興味深く映るのではないかと思って、紹介してみた。

「“外国人”のためになぜスウェーデン政府が動かなければならないのか?」というような不満や悪口を、世論からも政府の側からもこれまで耳にしたことはない。

久々に心が若返る映画

2005-02-17 08:21:09 | コラム

今日は一日中、計量経済学に集中。統計学の理論を経済学での分析に応用したものが「計量経済学」だが、学部時代に日本でまともに勉強してこなかったので、スウェーデンに来てからほぼ独学でやってきた。日本ではなかなか分かりやすい教科書がなく、結局スウェーデンに来てからこっちの学部レベルの科目で使っている英語の教科書を薦めてもらって、それを自分で読み始めてから、その面白さが分かってきた。とはいえ、独学でやってきたので、私の頭の中であまり系統立てられておらず、つぎはぎだらけの知識だ。

この春学期は博士過程レベルでの「計量経済学I」「計量経済学II」をヨーテボリ大学で学んでいる。学部でのものとはちょっとレベルが違うが、この際に基礎の部分も含めて一気に系統立ててやってしまおうと、最近張り切っている。特に行列演算に慣れようと必死だが、おっきなデータ、例えば10万世帯の家計の個票データを行列Xという「箱」にまとめて入れてしまって、その箱の中身を直接いじくることなく、「箱」自体を転がしたり、ひっくり返したり、切ったり張ったりしながら“間接的”に推計値を求めるやり方は、何だか手品みたいな気がする。


それから、今日の半日はSASという計量統計のプログラムの使い方やコマンドを一通り独習する。いろんなプログラムが出回っていて、一つのプログラムを完璧にマスターして使いこなせるようになっても、たまに別のプログラム付属のある機能が必要になったりする。そうすると、そのプログラムの使い方を新たにマスターしないといけなかったりで、結構面倒くさい。


帰りの電車の中で今日一日のニュースをラジオで聞いていたら、ウプサラに住み、私がよく泊めてもらう友人のインタビュー。スウェーデンを騒がせた汚職スキャンダルに関する裁判がちょうど今、行われており、彼は訴えられた側の代表弁護人になっている。「あなたも有名になったね~」と励ましの携帯メールを早速送る。

夜は、3ヶ月ぶりに会う友人と映画を見に行く。彼は卒業論文のための資料集めと旅行をかねてオーストラリアとニュージーランドに行って帰ってきたばっかりだ。思いつきで決めた映画は、アルゼンチンの映画。ブエノスアイレスの大学で学んだ医者の卵二人が、世の中を知るために南米中を放浪の旅に出る。その途中でいろんな人間に会い、世の中の不正義を肌で感じて、人生観を変えていくという映画。南米の美しい風景と自然を背景にした若者の冒険がすごく新鮮に描かれていて、とても気に入った。これは実は、のちに有名になるある人の若き頃の物語なのだが、それが誰だか、そこまで書くのはよすことにしよう。

そして 「EUROVISION SONG CONTEST」 (上)

2005-02-16 08:35:37 | コラム
(・・・続き)


さて、スウェーデンの音楽コンテスト「メロディー・フェスティバル」は、決勝戦で終わりというわけではない。見事に優勝を勝ち取った歌手は、全ヨーロッパの音楽祭典である「ユーロ・ヴィジョン・コンテスト(Eurovision Contest)」へと進む。それぞれの国での国内予選で一位に選ばれた歌手が、一同に集結する。もちろん、スウェーデンと同様、それぞれの国からそこそこに知られている歌手がやってくる。

この大会、歴史は古く、最初の大会が1956年にスイスで7カ国が参加し開催された。その後、徐々に参加国を増やしていく。スウェーデンは1958年から参加を始めている。西ヨーロッパはもちろんのこと、ユーゴスラヴィアも1961年から、イスラエルも1973年以降、トルコは1975年以降参加している。アンゴラというフランスとスペインの国境上にある小国も参加している。

二流歌手(グループ)のコンテストだが、歴史を振り返ってみると、大きなスターもここから誕生している。数年前に日本でも再びヒットした、スウェーデンのABBAは1974年に国内大会を勝ち抜き、このヨーロッパ大会で見事優勝した。この時の曲が「Waterloo」だったのだ。そして、それ以降、世界的にヒットしていくのだ。また、スウェーデン国内で有名なカローラ(Carola)も1991年に優勝している。最近のスウェーデンの優勝は、1999年のハロッテ・ニルソン(Charlotte Nilsson)。

スウェーデンの成績は小国のわりに結構よく、過去40年あまりで4回優賞に輝いているし、準優勝は1回、第3位は4回も勝ち取っている。スウェーデンのポップ文化の高さを象徴しているかもしれない。

7 回: アイルランド
5 回: フランス、ルクセンブルグ、イギリス
4 回: スウェーデン、オランダ
3 回: イスラエル
2 回: イタリア、ノルウェー、スイス、スペイン、デンマーク
1 回: ベルギー、ユーゴスラヴィア、モナコ、ドイツ、オーストリア、エストニア、リトアニア、トルコ

ベルリンの壁の崩壊で、90年以降は東欧諸国が新たに仲間入りした。1994年には早くもロシアに到達。ヨーロッパ大会は5月半ばに3時間ほどかけて行われるのだが、東欧諸国の参加で一気に参加国が増え、時間が足りなくなってしまった。そのため、箱根駅伝のように前年の大会でよい成績を残せなかった国は、予備選を経なければならなかったり、自動的に前年の予選落ち組と総入れ替え、という風にして、参加国数に制限を加えている。スウェーデンは毎年、優勝しなくても上位のほうに落ち着くので、幸い毎年ユーロヴィジョン・コンテストに参加できている。

私がスウェーデンに来た2000年以降の優勝国は、
2000年 デンマーク
2001年 エストニア
2002年 ラトヴィア
2003年 トルコ
そして、昨年2004年の優勝国は、その1年前からこの大会に参加し始めたばかりのウクライナ。女性歌手Ruslanaはディスコ調の曲で見事、優勝を勝ち取ったのだが、彼女の活躍はここまでに留まらなかったのだ。


Ruslana(ルスラナ)


ルスラナとユシチェンコ

昨年の暮れ、ウクライナでは大統領選挙が行われた。第一回投票で候補者が二人に絞られ、新ロシアで守旧派のヤヌコヴィッチとEUへの早期加盟を掲げる改革派のユシチェンコの一騎打ちとなった。第二回投票の結果は守旧派ヤヌコヴィッチの勝利。しかし、次第に明らかになったのは以前から政治腐敗が騒がれたヤヌコヴィッチ陣営による組織化された選挙違反行為。ヤヌコヴィッチが大統領就任を宣言する一方で、改革派ユシチェンコとその支持者は選挙のやり直しを求めた。改革派の支持者は首都キエフの中央の広場に集結し、数週間にわたってデモを行った。改革派の掲げる旗の色から通称「オレンジ革命」と呼ばれた民主化運動だが、この時の支援者にRuslanaの名もあった。凍てつく冬のキエフで民主化デモに奮闘する参加者のもとへ駆けつけ、ユーロ・ヴィジョンでの優勝曲を歌い、元気づけた。そしてキエフは一種のお祭り騒ぎとなった。その効果もあってか、ウクライナ最高裁は選挙のやり直しを決定。第三回投票となった12月26日の選挙には世界各国から12000人を超える選挙監視員が派遣され、世界が注目する中での出直し選挙となった。この選挙を制したのは改革派ユシチェンコ。

このように、本来は文化の祭典である「ユーロヴィジョン・コンテスト」が東欧の民主化にも貢献したのである。もともと7カ国から始まったこの大会が、次第に参加国を増やして行く過程を追ってみると面白い。EU(EC)の成長とその東欧拡大に先駆ける形で、参加国が増え続けているのである。文化の面からのヨーロッパ統合と、ヨーロッパ的民主主義の価値観の伝搬に少なからずの貢献を、政治的統合に先駆けて行っていると言えば、言い過ぎだろうか?

慣例により、今年2005年の開催地は昨年の優勝国ウクライナ。先日、爆破事件があったレバノンも今年から参加し、史上最多40の国々が一位を競う。

「ユーロヴィジョン・コンテスト」の公式ホームページ(英語)

(続く・・・)

スウェーデン国民的行事 「メロディー・フェスティバル」

2005-02-14 07:47:48 | コラム


先週末から”Schlagerfestivalen”(別名Melodifestivalen)という歌のコンテストが公共テレビで始まった。これはスウェーデン国内でそこそこにしれた歌手やバンドが自らの新曲を披露して予選を勝ち抜き、スウェーデンで一番を目指すというものだ。予選はスウェーデン各地で毎週末4回行われ、それぞれの予選グループの中で1位と2位を勝ち取ったものが、5週目のストックホルム決勝戦で競うというものだ。参加歌手(グループ)は32チーム。誰でもが参加できるというわけではなく、国外でも有名な歌手、例えばCardigansなどは、他の参加者に最初から勝つチャンスが無くなってしまうため参加できなようだ。逆に、全くのアマチュアだと予選以前の最初の選考で落とされる確率が高い。だから、毎年の参加者の顔ぶれは、地方巡業や小規模ライブを繰り返しながら、スウェーデン国内でそこそこに名前がしれているけど、それほどヒットしているわけではない、二流バンドや歌手が集まる。

これは50年代から続く、伝統のあるコンテスト。国民的行事という意味合いが強いので、様々な世代の音楽が登場する。若者向けタイプのポップから、中年・高年向けタイプの音楽まで幅広い。中高年向けの音楽というと日本ではおそらく演歌だろうが、スウェーデンでは「ダンスバンド」音楽という独特のジャンルが存在する。60年代・70年代の軽いポップ・ロックを引き継ぎながら、軽快なリズムで、しかもやたらと陽気で、歌詞も「おまえがすべてー」みたいなアッケラカンとした“くさい”歌詞が続く。こちらの中高年向けのバーではこのジャンルのライブが流れ、ディスコにもなっているという。(私は足を運んだことはない)

結局、こんな中で毎年勝つのは、若者向けポップと中高年向け「ダンスバンド」を足して2で割ったような曲だ。視聴率はどれくらいか分からないが、メディアの取り上げ方を見ていると、日本の「紅白歌合戦」のような感じだ。(でも既に書いたように、ヒット歌手でもなく、全くの新人相手でもなく、二流歌手のコンテストだという違いはある)

先週の土曜日から今年も始まりました! でも、どんなすごい曲が飛び出すかって? ははは、笑っちゃう! 薄っぺらで深みのないポップ。どこかで聞いたことあるようなバラード。クッサーイ歌詞だらけのダンスバンド曲。はっきり言って全然みどころ無いです。今回の予選第一組、8歌手(グループ)は特に冴えないものばかり。ところで、どうやって審査するかと言えば、これは視聴者。気に入った曲を一回150円ほどの電話で投票するのだ。どれくらいの人が見ているんだろうと気になるが、なんと、50万もの投票があったというではないか! (いつも書くが総人口が900万だから、結構な数だ)

今年でこのスウェーデン国内大会を見るのは4回目だが、僕は未だにコンセプトが分からない。スウェーデン全土、総エントリー数百の中から選ばれた32歌手(グループ)というのだが、全然すごくない。「モーニング娘。」にも劣りそうな勢い。僕が友達とグループを作って、あとは作詞・作曲のうまい人に作ってもらった曲で挑めば、簡単に入賞できそうな感じ。

と、ここまで書いたもののこのコンテストを見たことがなければ、その滑稽さと、それに似合わない視聴率の高さが、理解しにくいかもしれない。

ともあれ、それでも人々の話題に毎年上るスウェーデンの国民的行事なので、今年も笑いながら見ることにする。先週土曜日の予選第一組から2歌手(グループ)が選ばれた。今後、毎週末3回にわたって行われる各予選を勝ち抜いてくる歌手(グループ)とストックホルムで決勝戦をし、その中の一つが1位を勝ち取る。さんざん悪口を書いてきたけど、32曲もあれば、少なくとも一つはマシなものがあるようで、毎年そこそこの曲が1位を勝ち取る。そしてその後、ラジオで何度も流されて耳が慣れてくるうちに大した曲じゃなくても「あれっ、この曲、実はなかなかいいじゃない!?」という錯覚に陥ってくるのである・・・。

公共テレビ SVT の大会ページ(スウェーデン語)

そして、優勝歌手は曲を携えて、ヨーロッパ大会へと進む!(続く)

雪景色

2005-02-13 09:26:16 | コラム
先週半ばに番号非通知の電話があった。僕の住むアパートの部屋の一階下に去年の12月に若い男の子が引っ越してきて、それ以来、彼の騒ぎ声やステレオの重低音がやかましくて迷惑していたので、彼に以前、口頭で注意したが、その時は売り言葉に買い言葉で大喧嘩になった。しばらく様子を見たのち、先週末の真夜中にちょうど疲れて寝ているところを、真夜中3時に大音量の音楽で起こされて我慢ができなくなったので、住宅管理会社に苦情を申し入れていた。ちょうどそんな時だったので、もしかして彼かと、おそるおそる電話に出てみると、案の定、若い男の声。

でも幸い全然知らない人だった。僕が市の成人高校で習っているスウェーデン語の先生Ellaの30代の息子からだった。近々、彼の友人が結婚する。彼は結婚式の夕食の席の司会をする。そして、その結婚式に招待されている人の中に日本人の家族が一家族含まれており、日本から遥々やってきてくれる彼らのために、特別に歓迎の意を示したいから、スウェーデン語のスピーチを日本語に訳してくれないか、という頼みだった。二分ほどのスピーチだったので、お安いご用と早速、ローマ字で訳をつくって送ってあげた。おまけに、発音が分かるようにと、自分の声を吹き込んで、MP3ファイルにして添付した。こんな思いがけない依頼はこっちも嬉しい。

さて、その結婚式が今日あったのだが、うまく行っているだろうか・・・?
それにしても、昨日の夜からスウェーデン南部を寒波と暴風が襲い、ここヨンショーピンも乾雪に覆われた。

冬景色をどうぞ。

これは2月8日 湖の氷はほとんど溶けた

2月13日

我が家の窓から

夜、友人宅へ

スウェーデン外相の無知・無関心

2005-02-12 08:35:38 | コラム

党派を超えて支持率の高かったスウェーデンの外務大臣Anna Lindh (アナ・リンド)は2003年9月にストックホルムでショッピングの途中に突然、刺殺された。その後任として外務大臣になったのはLaila Freivalds (ライラ・フレイヴァルズ)。しかしこの新外相、評判が全然よくない。

スマトラ島沖地震の津波被害が12/26の早朝に報告されても、それを深刻に受け止めず、その晩は夫と劇場へ出かけ、その次の日の正午まで登庁しなかった。災害に対する初期対応の遅れから、スウェーデン外務省はメディアの批判を浴びてきたが、外務大臣は「災害発生直後の一日を丸々無駄にしてしまった」と認めはするものの、何が原因で対応が遅れたのか、明確なコメントを避けてきた。

しかし、ついに今日の新聞のインタービューで本音を白状した。「最初の報告で“プーケット”と聞いたけれど、何のことだか全く分からなかった。タイのリゾート地のことだと後で分かった」 でも、スウェーデン人にとってはスペインのカナリア諸島と同じくらい人気のあるリゾート地。「数日後に現地へ飛んで視察して、カオ・ラックのホテルを見てびっくりした。こんなにスウェーデンのリゾート客がいたとは。その時になって、初めてなぜ犠牲者・行方不明者の中にスウェーデン人がこんなに多いのか理解した。」 でも、外務省の職員は分かってたんじゃないの?という質問には、「タイのプーケットを知っていても、“tsunami”という言葉を理解した人が何人いたと思う?」 だって。それにしても、この大臣、外務大臣にしては世界に関する知識がまるでない。しかも、多くの国民が見聞きしたことのあるリゾート地の名前を知らないとは。

もちろん、一人一人の知識の多くは、その人の経験に基づくものだし、経験は人それぞれによって異なってくる。だから、あるリゾート地の名前を知らないくても、それを非難するわけにはいかない。しかし、外務大臣ともあろうものが、このような世間知らずでは、まともな外交政策も取れない。内閣として国民が望む政策を行うことが難しくなるし、さらには、大臣が無知で自分の知っていることに関してしか真剣に取り上げようとしなくなれば、外務省内の人間も大臣に対して批判的な声を挙げることが難しくなるのではないだろうか。

スウェーデン外務省の最近のもう一つのスキャンダルは、テロ容疑をかけられたエジプト人2人のエジプト送還。これは2002年、当時スウェーデン在住のエジプト人2人がテロ容疑をかけられ身柄を拘束された。そして、その後エジプトに移送されたという事件。彼らは、その後、エジプトの刑務所で裁判を受ける権利の剥奪や、度重なる拷問にさらされたことが、明らかになっている。スウェーデンは「拷問や死刑が容認されている国への身柄の引き渡しは行わない」という国際条約を批准しているため、本来であればエジプトへの移送は行えないことになっている。しかし、外務省は「エジプト政府から拷問を行わない」という約束を取り付けたので、送還したとしている。

しかし、去年の暮れになってスウェーデンのメディアがさらなるスクープを発表。この時の移送にアメリカCIAが深く関与していたというのだ。覆面をした数人のアメリカ・エージェントか専用機でストックホルムの空港に降り立ち、スウェーデンの公安警察からエジプト人2人の身柄を引き取り、その場で麻薬をうち眠らせ、エジプトに搬送。エジプトでの刑務所では主にこのCIAが中心になって拷問を行った。そして、このすべてがスウェーデン外務省の黙認のもとだったというのだ。その後、国連の人権委員会の要請にもとづいて、スウェーデン政府はこの二人のエジプト人容疑者のその後について報告書を作成したが、拷問や非人道的扱いに関する記述は“機密扱い”という理由から、黒く塗りつぶしてから公表した。(民放局TV4はその文書もちゃんと掘り当ててきた)

この事件は「秘密」がまだまだいっぱい出てきそうだが、人道的・平和的外交政策を掲げてきたスウェーデンの外交史上の大きな汚点となりそうだ。

これは前任の外務大臣時代に起きた出来事だったのだが、現大臣のLaila Freivaldsは知らぬ存ぜぬを繰り返し、無知と無関心をこの時もさらけ出した。積極的な調査に乗り出すのにも時間がかかった。リーダーシップを要する職には、知識と関心のある適任者をつける必要がある。知識と関心がなければ、世界の様々な地域で暮らす人々に想像力が働かないであろうし、共感することもできなくなる。近年のスウェーデンの外交政策が、理念に欠け、現実容認だらけの弱腰に感じられるのもこのためかもしれない。

最後に。ある国では国防大臣にアーミーグッズやモデルガン好きの「軍事オタク」を数年前に任命したようだが、知識と関心がありすぎてもこれはこれでまた問題だ。

ウプサラ大学 特別講義

2005-02-11 06:03:40 | コラム

この春学期は実は特別コースを一つ遠く離れたウプサラ大学でとっている。特別コースの名前は「株価変動のテクニカル分析」。僕の専門のテーマが雇用対策や産業創出だから、ちょっとかけ離れている。でも、日々の株式取引が資産の価値を左右し、それがバブルを生んだり、大不況を引き起こしたりし、経済全体に大きな影響を与えるのが株式市場なので、そこで実際に取引をする人がどんな考え方で売り買いをしているのかを知りたいと思った。それに、株式の売買でどこまで儲けることができるのか、これを解明するのは前々からの夢だった。

このコースの情報をくれたのはヨンショーピン大学で一緒に学んだことのあるJonas(ヨナス)。彼は酒の席で、以前に名前を漢字で書いて欲しいというので、その場の思いつきで「酔茄子」と書き、”drunken eggplant”だと教えてあげたら呆れていた。それはいいとして、その彼と一緒にこの特別コースをクリアすることを誓った!

彼の実家はウプサラとストックホルムの間の小さな町にあるので、そこの泊めてもらう。それに、この講義を聴講するついでにウプサラに住む友達にも会える。

数週間前にあった第一回目の講義は参加者が40人近く集まり、熱気ムンムン。というのも、この特別コースの売りは、理論を学ぶだけではなく、株式取引の第一線で働いている人を講師に呼んで、体験談を交えながら、売りチャンス・買いチャンスの見極め方を熱く講義してもらうというものだ。だから、参加者には経済・経営学部の学生で日頃からパソコンに向かってコツコツと個人取引をしている人もいれば、学生時代からスウェーデン大手の証券会社や銀行でトレイニーとして研修を積んでいる人、さらには大学卒業の前から既に正社員としてトレーダーをしている強者までいる。(ウプサラ大学は北欧最古の大学とあって、さすが!!) そんな中で、僕はそこまで経験もないし、株で将来、ボロ儲けをしてやろうという野望もない。ちょっと肩身が狭くなる。それに、講師として呼ばれてくる30代後半のスウェーデン人現役トレーダーは、講義中に参加者をバンバン当てて、コメントを求める。ひゃ~><; 穴があれば隠れたい気分だ。それに僕はウプサラ大学の学生のフリをしているだけの「もぐり」の参加者。ここはひたすら「low profile」を保つことに努めよう・・・。

(注):「目立たないようにする」・・・「keep a low profile」、スウェーデン語でも「hålla en låg profil」というこの表現。「profile」はこの場合、輪郭、外形の意。もともとは戦車や装甲車の車高を低くして、敵に発見されにくくしたり、砲弾が当たる確率を低くするところから来ている、といった話をず~っと前に、読んだ覚えがある。雑学でした。

第2回目の講義は僕は都合が合わず、参加できず。そして、今週木曜に第3回の講義があった。講義の前にJonas(ヨナス)に会うやいなや、「ウプサラに来る途中の電車の中で講師に遭遇して、車中ずっと個人的に話をしてきたよ」と、ちょっと興奮気味。その業界での仕事の見つけ方とか、どんなタイプの人間が働いているのか、などなど、いろんな内部事情を聞いたのだそうだ。彼は僕よりも一つ上。人生経験も豊富で、人慣れしている。初めて会う人間でも、自然に会話をこなし、落ち着いて話ができる。うわべだけの話し方をしないから、相手も心を開いていろんな話をしてくれる、という場面にも何度か遭遇したことがある。Jonasが最後に「彼にとっては、お金がすべてで、お金で何でも買えてしまうみたいだ。」と、ポツリと講師に対する印象をまとめてくれた。

そして、この回の講義もバンバン進む。市場のトレンドの探り方、変動性、取引の「幅広さ」、山の読み方、などいろんな要素を勘案しながら、売りや買いのタイミングを見極めること。さらに、判断を誤って損失が出始めた場合、価格が再び上昇をして損失が穴埋めされるのを待つべきか、それとも、もうその銘柄には見切りを付け、損失を確定してしまうのか、という判断のしかた、などなど、いろんなことを考慮せねばならず頭が整理しきれない。参加者と講師の間で、質問とコメントの応酬もあり今回も熱い雰囲気なる。そんな中で、あぁ今回も指名されなくてよかった、と胸をなで下ろす私。面白いことに、第1回目に二人ほどいた女子の参加者が2回目以降、姿を消してしまった。だから、教室がちょっとむさ苦しかった。

さて今回は、その日の夜行バスでヨンショーピンに戻らなければならない。まず、電車でストックホルムまで出てから、夜行バスを捕まえるのだが、その前に一杯、Jonasとビールを飲む。さて、ちょっと酔いが回ったところで、駅に向かい切符を買う。さて、同じ方向の電車に乗るはずのJonasのもとへ戻ってみると、なんと例の講師と待合室でまたもや話をしているではないか。Jonasは有名人を引き付ける磁石みたいだと感嘆! こうやって、思いがけない人とよく平然と話をしている。結局、その講師も含めてわれわれ3人は同じストックホルム方面に向かうので、さぁいざ電車に乗ろうとすると、Jonasが突然、「この電車、空港経由で俺の町には停車しないから、俺は次の便に乗る。じゃあな!」。あれっ・・・、酔いが一気に引く。

・・・というわけで、ストックホルムまでの40分間、この大物トレーダーと二人きりで経済について熱~く語ってきました。というのは、ちょっと大げさ。僕は未だに初対面の人間との会話は苦手で、何を話したらいいものか頭が真っ白になる。しかも、今日の講義も半分ほどしかついていけなかったので、うかつに講義の話でもすればとたんにボロが出てしまう。それでも、自分の関心を語ったり、疑問に思っていたことを尋ねてみたり、日本の経済についていろんな話をしたら興味を持って聞いてくれた。今までの「目立たない」作戦は見事に崩壊! でも、彼にとっても、ヨンショーピンからはるばる聴講に来てくれている参加者がいることが、励みになったようだった! ぼくにとっても、やる気を与えてもらった40分間であった。

「オッラ・アホカイネン」 いや 「パーヤネン」

2005-02-07 07:33:23 | コラム

スキー界で輝くフィンランドの星は、こんな名字。

アホネン6連勝、東が9位 W杯ジャンプ個人第11戦


 ノルディックスキーのワールドカップ(W杯)ジャンプは3日、伝統のジャンプ週間第3戦を兼ねた個人第11戦(HS130メートル、K点120メートル)を行い、ヤンネ・アホネン(フィンランド)が243.8点(128.5メートル=最長不倒、120メートル)でW杯ジャンプの記録を更新する6連勝で、今季10勝目、通産28勝を飾った。
 日本勢は東輝(日本空調)の9位が最高。2回目に122.5メートルを飛び、219.9点。19歳の伊東大貴(土屋ホーム)が11位、葛西紀明(土屋ホーム)は20位、宮平秀治(ミズノ)は29位、船木和喜(フィット)は30位。 (朝日新聞 ネット版 05/01/04 00:34)
------


このほかに、かつてはアイスホッケーの選手で「アホカイネン」という人も登場。実は彼ら日本人とフィンランド人のハーフで、父親が大阪の吉本出身だったのです。ということはもちろんありません。

「ネン」という語は名字に使われる接尾詞。フィンランド語で「~の子」という意味を表すという。だから、「アホカイネン」は「アホカイ」の子、「アホネン」は「アホ(!)」の子、ということ。

ここまで書いたからには、ついでに他にも書いちゃおう
パーヤネン
http://eunoske.jugem.cc/?eid=2
オッラ・アホカイネン
http://www.moimoifinland.com/thisweek/nimet.html

日本でこのような名字の付け方はめったにないが、北欧ではよくあるパターンだ。スウェーデンで一番多い名字は「エリクソン(Eriksson)」と「ヨハンソン(Johansson)」らしいが、スウェーデン語のsonは英語と同じで「息子」を意味する。だから、近代にかけて名字が一般の人々の間で使われるようになっていくときに、適当な名字が思いつかないときは、父親が「ヨハン」だから、自分はその息子ということで名字を「ヨハンソン」にしようとか、近現代でも次男坊が分家をつくって独立するときに、父親の名前が「エリ(ッ)ク」だから新しい名字は「エリクソン」にしようということだったのかもしれない。

ごくたまにしか耳にしないが「モンスドッテル(monsdotter)」という名字もスウェーデンには存在する。dotterというのが英語のdaughterと同じ意味だから、これは「モンスの娘」という意味の名字。スウェーデン・ヨーテボリ(Goteborg)警察が活躍するアクション三部作、”Zero tolerance (2000)” ”Body guard (2001)” ”The third wave (2003)” に登場する同僚の女性警官はこの名字。

周りの国々を見渡してみると、デンマークの童話作家で「アンデルセン」という名字があるが、これももともと「アンデルの息子」という意味。senはデンマーク語やノルウェー語における「息子」。クロアチアの国際機関で働いていたときの同僚であったノルウェー出身の警察担当官は「アントンセン (Antonsen)」という名字だった。

ここまで書いてみて、はて英語で同じような名字の付け方があるかな、とふと思うが、アメリカ合衆国を見た場合、ここは移民の国なので、いろんな起源言語による名字があって、一定のルールを見つけだすのは難しい。映画Matrixの主人公の名字である「アンダーソン」というのもあるが、こういった家族は北欧からの移民の子孫なのだろう。

イギリスに目を向けると「トムソン(Thompson)」なんていう名字があるが、彼らの先祖が北欧からの移民というわけでなく、イギリスでも一部でこのような名字の付け方をするのかもしれない。英語も北欧語ももともと同じゲルマン語のルーツだから。(但し、フィンランド語だけはウラル・アルタイ語族) イギリスのことはあまり知らないのだけれど、「ロバーツ (Roberts)」とか「アダムズ (Adams)」というような ”s” で終わる名字があるような気がする。「アダム(Adam)」「ロバート (Robert)」というのはもともと名字ではなく下の名前ではないだろうか。だから、これは私の推測だが、”s” というのは所有格で「~の(息子)」という意味ではなかろうかと思う。

名前というのは、面白い。

Rokning forbjuden (喫煙禁止)

2005-02-05 08:37:35 | コラム

しばらく家を留守にしていたので、更新が途絶えていました。
さて、今回はスウェーデンの喫煙対策。

------

喫煙は公共の場から徐々に追い立てられている。航空機内がすべて禁煙になったのはまだ比較的記憶に新しい。98年か99年だっただろうか、国際線が全面禁煙になりつつあったとき、隣に座っていた日本人の男の子二人のうちの一人が「じゃあ、いってくるね」といって席を立つ。どこに行くんだろうと思っていると、しばらく彼がホッとした顔をして帰ってくるので、あぁトイレ我慢してたのね、と思うが束の間、彼の服からタバコの臭いがプンプンする。そう、機内で唯一隠れた場所であるトイレで、隠れて吸っていたのだった。そういう乗客がたくさんいたのだろう。今では離陸前の説明でも「トイレでの喫煙も固くお断り。センサーが感知して警報が鳴れば、罰金になる恐れもある」と注意も厳しい。

スウェーデンの場合、列車もバスも「喫煙席」を廃止し、車内すべて禁煙になっている。職場でも、多くの場合「喫煙お断り」なので、吸いたい職員はバルコニーに出て吸うか、一階の出口の外まで出て、吸わなければならない。冬の寒い日にちょこんと外に出て、孤独にタバコを吸う姿はちょっと可哀相な気もする。でも、アンチ喫煙はここまでに留まらない。そうやって一階の出口でタバコを吸ってもらうと、出入りする人が迷惑するということで、例えばヨンショーピン大学の入り口のドアには「入り口から10m以内の喫煙は禁止」と張り紙がしてある。タバコの煙が苦手な私にとっては嬉しい限りなのだが、愛煙者はこれからは10mのメージャーを持って、喫煙のために外に出なければならない(メージャーはちょっと大げさか!?)。

日本のタバコのパッケージに書かれる小さな小さな文字「タバコはあなたの健康を害する恐れがあります」はとても控えめ。健康を害します、ではなくて、その恐れがあるだけだと言いたいようだ。それに比べ、スウェーデンでタバコを買うと、パッケージの半分近くをこんな言葉が占める:「喫煙はあなた自身とあなたの周囲の人々に深刻な被害をもたらす」「肺ガンによる死亡者の××%は喫煙者」などなど。



左:「喫煙はあなた自身とあなたの周囲の人々に深刻な被害をもたらす」
中:「あなたの医者か薬局が禁煙の手助けをしてくれる」
右:「タバコをやめるために助けを求めよう。あなたの医者か薬局、もしくは“タバコやめたいホットライン”まで」

ここまで来ると、嫌がらせみたいだ、と僕も最初は思ったものの、やはりタバコの害は個人の問題に留まらず、大きな社会問題だとも思う。喫煙者が増えて医療費が増大すれば、それは国家財政にも関わってくる。スウェーデンだけに限っても毎年6400人がタバコのために通常より短い生涯を終えているし、さらに500人あまりが副流煙が原因で命を落としている(全人口は900万人に対し)。(数字は朝刊Svenska Dagbladet (2004-10-25)より)

スウェーデンでこのような「警告」文字がパッケージに書かれるようになったのは、1977年にさかのぼる。2003年からは文字が今のように大きくされた。他のEU諸国でも同様のようだ。さらに2004年夏からはレストランやパブ・バーでの喫煙も禁止された。せっかく酔いが回っても、喫煙のために外に出れば、寒さで酔いも醒めてしまうというもの。それに友達の輪からも離れなければならない。

スウェーデン人の友人にはある提案がある。警告文字のかわりに「タバコによって、新しい友達が増えるよ」と書いて欲しいのだそうだ。彼女曰く、そうやって公共の場から追い出されてタバコを吸っていると、喫煙のために同じく追い出されてきた、全く知らない他の人と話をするチャンスができ、話が弾むこともあるそうなのだ。

反「喫煙」戦争はまだまだ続く。2001年にカナダが警告文字にさらに警告写真をタバコのパッケージに使い始めたのだ。真っ黒になったグロテスクな肺の写真、喫煙によって悪影響を受けた胎児、咽喉の腫瘍。カナダに続き、ブラジル、タイ、シンガポールもこのような写真をパッケージに使うよう法的義務を課しているという。EUでも同じ規制の導入の議論が続いている。タバコ業界の反発が激しい。スウェーデンは政府として、警告文字だけで十分、という見解を示しているが、他国の事例から喫煙者を減らす効果が大きいと、判明するようになれば、警告写真導入に踏み切るのかもしれない。



クリックして拡大写真
「タバコは致命的な肺ガンをもたらす」
「喫煙は中毒症状をもたらす。絶対に始めるな」
「タバコには歯をボロボロにする成分が含まれている」
「子供を副流煙から守ろう」
「喫煙は胎児を傷つける」
「タバコは徐々にしかも痛みのある死をもたらす」

かなりグロテスクでしょ!? 愛煙者はどう見るのでしょうか? 吸う気をなくすのでしょうか?
(写真もSvenska Dagbladet (2004-10-25)より)