スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

学会のディナーにて

2008-06-29 08:54:11 | Yoshiの生活 (mitt liv)


今週ニューヨーク大学で開かれている学会の参加者は、木曜日の夜にディナーに招かれた。参加者は200人を上回り、大学内の大きなホールに並べられたたくさんの丸テーブルの周りには参加者が思い思いに着席していた。

私が着席したテーブルには空席が残っていたが、皆が前菜が食べ終わる頃になって、遅れてやって来たアメリカ人の若者が着席した。

所属の大学を尋ねると、地元のニューヨーク大学だという。出身の町はフィラデルフィアだとか。研究者かと尋ねると、そうではなく学会の主催を手伝っている学生だという。じゃあ学部は経済学部か、と尋ねると、情報学部(informatics)だという。学会の主催に携わる者として参加者の感想を聞きたいためにこのディナーに同席しているのだという。
しばらく話をしてみたが、明らかに怪しい。

研究の話はトンチンカン。それ以外のことについては、私が話すことにとにかく同調するばかりで、彼は完全にYesマンになりきってしまった。そこでいろいろカマをかけてみるとまんまと引っかかってきた。

私はトイレに行く振りをして、ウェーターの一人をつかまえ「怪しい男が私たちのテーブルにいる。」と伝えた。ウェーターを連れてテーブルに戻ってみると、例の男は既に姿をくらましていた。彼はそわそわと落ち着きがなく、常に警戒していたようだから、私が席を立った時に何か感づいたのだろう。彼がテーブルに着席していた間に平らげた食事の量は、前菜と主菜・・・。「いや」と別のウェーターの女性がやってきた。「彼は主菜をもう一皿くれと言うから、もう一皿差し出した」という。何と、主菜を二皿も平らげていたのだ。これには同じテーブルの他の人たちも唖然。しかも、テーブルに給仕されたばかりのはずのデザートも姿を消していたから、どうやら彼は丸ごと持って逃げたらしい。

見知らぬ学会の晩餐会に忍び込み、関係者のフリをして腹いっぱいタダ飯を食った後は、発覚する前に姿をくらましたのだった。何とも大胆不敵でプロフェッショナルな技だ。

この大学には建物の入り口にセキュリティーチェックもあるのに、かなりいい加減なのだな、と思った。ウェーターの人たちも「我々の方こそちゃんと気付くべきだった」と申し訳なさそうだった。

私もせっかくの酔いが醒めてしまった。
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セントラルパークでは、ロードレーサーでトレーニングに励んでいる人たちがいた。グルグルと何周もしていた。

マンハッタンのあの激しい交通量を掻き分けて、ここまで達するのも至難の業ではないか、と思った。

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これからニューヨークを発って、別の場所へ・・・。

ニューヨークへ

2008-06-25 11:09:13 | Yoshiの生活 (mitt liv)
ウプサラからヨーテボリに戻り、郊外のLerumにある友人宅にて夏至祭を祝い、あまり休む間もなく、パリ経由でニューヨークに到着。学会に参加するため。

ニューヨークに訪れるのは実は2回目。2001年1月に初めて訪ねた時は、友人の案内でWorld Trade Centerの展望台にもやって来た。


それが今となっては跡形もなく、かつては空に向かってそびえ立っていたビルの代わりに、そこだけ青空が広がっているのは、何とも異様な感じがする。

Vatternrundan 2008 (終) 事後談

2008-06-23 08:02:18 | Vatternrundan:自転車レース
感動のゴールだった。16人もの集団で300kmも走れば、一度くらいパンクがあってもおかしくないのに全くなかったし、接触事故もなかった。天候にも恵まれた。最後に混乱したものの、11人が綺麗に並んでゴールインしたのだ。仲間と抱き合って完走を祝った。Eijaも、足がつってしまったMagnusも一緒だった。

記録は11時間43分
自転車に乗っていた時間:10時間52分
止まっていた時間:51分
平均時速(自転車に乗っていた時間だけを考慮して):27.6km/h
平均時速(止まっていた時間も含めて):25.6km/h

そうそう、ゴールの直後には毎年、パスタサラダビールが振舞われるのだけれど、ビールはとても美味しく感じられ、私はてっきり普通のビールかと思っていた。でも話によると、度数2-3%のlättöl(light beer)だということが分かった。いくら薄くても、乾いた喉には何でも美味しく感じられるのだ。


私とBrian

Stellanと私

隊長のSture

さて、大会のあと、サイクリング・クラブの掲示板(forum)ではメンバーが自由に感想を書いていた。隊長のStureは300kmの行程を彼なりに振り返ってまとめていた。「... 最後の林道の部分でアナーキー(anarki)が発生し、離脱隊が自分たちだけで先を急いだものの ... 」と書いてはいたが、怒りは感じられなかった。

また、司令塔であったKristinaは「.... 最後の部分では、辛抱が限界に達し、自ら先を急いだメンバーもいたが、彼らは彼らなりに正しい、と私は思う。サイクリングというのはそもそも個人のスポーツであるからそれを尊重すべきだし、我々の心の中には誰でもindividualistが宿っているのだから。残った我々11人は、心の落ち着いた2人の先導(!)による綺麗な二列縦隊でパーフェクトなテンポを維持しながらゴールインすることができた。...」と書いていた。個人を尊重しあう、これがやはり基本なのだ。

離脱した人も少し遠慮しながらも書き込んでいた。「私はアナーキーを生じさせた張本人の一人ではあるけれど、みんなに感謝したい。最後のほうになって、自分にはまだ力が温存されていることに気づき、それをゴールまでに使い切ってしまいたい衝動に駆られた。燃え盛る炎が私の心を奪い、先へと急がせたのはまさにその時だった。... でも、来年はおとなしくしているから心配しないでね。約束するよ。」

ちなみに離脱した5人の記録は、我々よりも6分早いだけだった!

それから驚いたことに、クラブとは関係ないあるサイクリストから、クラブ宛にメッセージが届いた。

私は200km地点からゴールまで、あなた方のクラブのユニフォームを着た一団の後ろに付いて走った。この一団はお互いを助け合い、理解を示し、またリーダーもうまくみんなをまとめ、力の弱いメンバーに手を貸していた。一つのチームが共通の目標に向かって一生懸命頑張る姿とはまさにこういうものなのだ、と、後ろから見ながら実感させてもらった。私は今年は練習不足だったが、あなた方の一団に付いて走れたおかげで、楽しいサイクリングをすることができた。サイクリングの芸術を見せてくれたあなた方へ大きな感謝を伝えたい。」

この方は、実名をメールの最後に書いてくださっていたので、その名前で大会の結果を検索してみると、ゴールの時刻が我々のグループと全く同じことが分かった。なるほど、この人は私たちのことを後ろからずっと観察していたんだ! そして、声を掛け合っている姿も、不満や混乱も、そして残った11人の最後の滑らかな走りもちゃんと見ていたんだ! こういうメッセージを読むと、私たちの存在を評価してくれた人がいたことが分かって嬉しくなる。

来年は、sub-11グループで11時間以内のゴールを目指したい!!!

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さて、私がスタート前に気が付いた、大切なものとは何だったのか? それはICチップ。各参加者がこれを足首に付けることで、スタートや途中のポイント、そしてゴールの時刻が磁気によって自動的に計測されるのだ。17000人を超える数の人が参加するのだから、これが効率的な方法だ。

私はそれを付け忘れてしまったために、スタートからゴールまで、全く計測されなかった。ということは、私の5回目の出場は全くの無効となるのか・・・?

実は、一緒にゴールした10人に証人になってもらい、最初から最後まで一緒に走ったことを証明してもらった。スタート前の写真やゴール直後の写真も裏づけの材料になった。なので、大会事務局は後日、私に他の10人と同じ記録を付けてくれた。

ここまで読んでくださった方、どうもありがとう。(終わり)

Vatternrundan 2008 (4) 後半戦のドラマ

2008-06-21 21:40:05 | Vatternrundan:自転車レース
178km地点にあるHjoのデポ(サービスステーション)は通過。その次のKarlsborgのデポ(210km地点)で10分ほど休憩。今回はエネルギー・バーやエネルギー・ドリンクを背中のポケットにたくさん入れて携行しているので、それらを食べて腹を満たす。ミネラル豊富なラムネのような栄養剤も、筋肉がつるのを防ぐためにしっかり摂っておく。

このKarlsborgのデポを出ると、ここから数十kmにわたって起伏が多くなる。これまで上り坂のたびに遅れを取っていたEijaに加えて、大柄なMagnusが足の筋肉をつらせてしまった。そのためペースを落とさざるを得なくなった。我々の隊は12時間以内のゴールを目指すことが目標なのだが、隊長であるStureによるとこれまでの行程でかなりスピードを上げたおかげで、当初の計画より20分ほど時間的余裕があるという。なので、ペースの遅い二人に合わせながら、先を急ぐこととなった。とはいえ、上りでは徐行するものの、下りになると猛スピードで飛ばして時間を少しでも稼ごうとする。

ただ、我が隊の全員が納得していたわけではなかった。既に70km地点で遅れ始めたEijaという女の子に対しては、「足手まとい」という言葉こそ使わないものの、「練習不足のメンバーのために思ったほどスピードが出せず困る」という言葉を使うメンバーもいた。私がもし彼女の立場なら、とっくの昔に隊から離脱していたと思う。しかし、Eijaはそれでも必死に隊に付いていこうと努力していた。

丘陵地帯を抜けると、開けた田園地帯に出て、今度は国道に沿って南下を始める。


今回は眠気をほとんど感じない上に体調もいい。唯一の問題は首から肩にかけての筋肉痛。しかし、これも自転車に乗りながら定期的に腕を回転することで、ゴールまで何とか持ち堪えそうだった。

我々の隊はとにかく声を出す。誰かが遅れを取り間隔が開くと「間隔が発生!」と叫び、前方から対向車が来ると「車!」と言い、我々が追い越そうとする遅いサイクリストが左側に出過ぎている時は「右側に寄るように!」と促す。殿(しんがり)役のKristinaは後ろから皆を見渡しながら、間隔が開くたびに前方のメンバーに注意を促してくれた。体育会系のノリ、とまでは行かないのだけど。

しかし、Hammarsundetのデポ(256km地点)で休憩を取ったときに、我々を上回るサイクリストの一群に遭遇した。デポに着くや否や、指令塔役と思われる人が「我々はここで10分の休憩を取る。その後は時速××kmを維持しながら、××地点を××時に通過し、ゴールには××時に到着することを目指す。以上。集合に遅れないように!」とキビキビとした口調で叫んでいた。上には上がいるもんだ、と思ってよく見てみると、お揃いの彼らのユニフォームの背中には「Försvarsmaktens Cykelklubb」(国防軍のサイクリング・クラブ)と書かれているではないか! 納得・・・。でも、彼らの口調があまりに大袈裟だったので、私たちは思わず苦笑してしまった。


ゴールまで40km余りとなったが、ここからも起伏がいくつか続く。遅れを取っていたEijaと足がつってしまったMagnusが相変わらず苦戦していた。多くのメンバーが彼らにスピードを合わせようとする一方で、上り坂であまりスピードを落としたくない人もいたため、我々の隊のまとまりも悪くなってきた。司令塔であるKristinaが後ろのほうから「スピードを上げすぎないように!先に坂を上りきった人たちは上で停止して待つように!」としきりに叫んでいる。グループの前のほうにいた私も停止して、後方が坂を登り切るのを待つ。

しかし、このようなことを4回ほど繰り返しているうちに、メンバーの一部の不満も溜まっていった。「こんなことをしていてはキリがない」「坂の上で止まって待つといっても、適当なスペースがなかなかないので危険だ」というメンバーも何人かいた。しかし「今のペースのままで進んでいけば12時間以内にゴールするという当初の目標は十分に達成可能だ。それならみんなで一緒にゴールしようではないか」と隊長のStureが言う。これでグループ内の不満も収まったかに見えた。


しかし、当初の目標を達成できると分かれば、それ以上に少しでも早くゴールして自分の記録を縮めたいと思うのが、人間の性(さが)なのだろう。280km地点を過ぎ、幅の狭い林道に入ったところで、我が隊は他のサイクリスト達とごちゃごちゃになってしまい、再びまとまりが乱れてしまった。その時どさくさにまぎれて5、6人が離脱して自分達だけでゴールを急いだのだ。私はというと、実は彼らと一緒に離脱したかったのだけれど、タイミングが悪くてたまたま前に出ることができず、あっという間にその5、6人の姿が見えなくなってしまった。機を逸してしまった! そう思った。

残された10人ほどに向かって、司令塔のKristinaはこう叫んだ。「我々の隊は12時間以内のゴールを目指して、これまで一緒に手を取り合いながら280kmもの長い距離を走ってきた。今のペースで行けば全員が一緒に12時間以内にゴールできる見込みだ。それなのに、ゴールまであとわずか20kmのところで、他の者を置きざりにして敢えて先を急ぐことで、自分の記録をわずか数分縮めることに何の意味があるのか!」 この言葉が決定的だった。残された皆の心が一つになったようだった。その時たまたま隊の先頭にいたのが、私とStellanという男性だった。私たち二人は速度を25km前後に落としながら皆を先導した。「みんな付いて来ているか?」と後ろに向かって問いかけると「ちょうどいい。これなら遅い人たちも無理なく付いて行ける」と返事が返ってきた。

このあとは回転運動をやめ、私とStellanがそのままゴールまで先導役を務めることになった。ゴールにかけての平坦な道では若干スピードを上げながら、二列縦隊で規律よく、整然と自転車を漕いでいく。殿(しんがり)のKristinaが「とても美しい!」と感嘆の声を上げた。「他のサイクリストに手本を示すかのように、このまま笑顔で皆そろってゴールのゲートをくぐろう!」と別のメンバーが言う。「その通り。何かのプロパガンダ映画のように!」と別の誰かがジョークを言うと、我々の隊は笑いに包まれた。

そして、15:55にゴール。お揃いのユニフォームで規律よくゴールインしたので、ゴールで待ち構えていた観客の注目と拍手喝采を浴びた。記録は11時間43分だった。


【続き】
Vatternrundan 2008 (終) 事後談

Vatternrundan 2008 (3) 天気も体調も絶好調

2008-06-19 03:04:11 | Vatternrundan:自転車レース

Grännaのデポにて(07:10頃)

80km地点であるGrännaのデポ(サービスステーション)を出発し、まもなくしてから、63歳のLarsが「先に行ってくれ」と言い残して脱落していった。その代わり、我々よりも2分前にスタートしていたSub-11グループから脱落したKimberlyという女の子が我々の隊に加わることになった。

時間は朝7時半頃。地面と大気の気温差のせいか、国道の両側に広がる農地からは湯気があがり、地表近くに立ち込めている。途中の上り坂を登りきり、下り坂を滑降すると、気温が急激に下がるのが分かる。高地と低地の温度差がもろに肌に感じられるのだ。

ヨンショーピン(Jönköping)の手前に大きな峠があるが、私は今年も上り坂が絶好調だ。そういえば最近何かで読んだのだが、体重が軽い人ほど登りが楽で、逆に重いと大変なのらしい。当然のことなのかもしれないが、考えたことがなかった。そんな考えを頭によぎらせながら隣を見ると、私の2倍は体重がありそうなMagnusという大柄の男性が苦戦していた。「Kämpa på! Bara lite till och sen kommer nedförsbacke hela vägen till Jönköping!(頑張れ、あともう少し! この坂が終われば、あとはヨンショーピンまでずっと下り坂)」と励ます。

その反面、私は下り坂が嫌いだ。スピードが出過ぎて怖いのである。だから、いつも慎重になる。そんな私の横をさっきのMagnusが軽快に追い越していく。なるほど重いとそのぶん重力の効果も大きいのか! と納得。

Jönköpingのデポ(109km地点)は通過。5回目の出場にして始めてこのデポを飛ばした。その直後にもまた大きな峠があり、それをクリアしてから数分のkisspaus(トイレ休憩)道端で取る。その後は高地を走っていくことになる。

それにしても、既に70km地点から上り坂で遅れを取るようになっていたEijaが、ちょっとした坂でもすぐに遅れるようになってきた。彼女の前に間が開くと「間隔が発生!!!」と後の者が声を上げて前方に伝える。すると隊の最前列の者はスピードを落とす。

この辺りの区間では、私は毎年のように睡魔に襲われる。寝不足だし、向かい風と上り坂でなかなかスピードが上がらず疲労が激しいためだろう。しかし、今回はこうしてグループで隊列を組んで走っているので、風の抵抗も少ないし、お互いに声を掛け合っているので、眠気なんて全然感じない

ペースが多少乱れつつも140km地点のFagerhultのデポに到着。8分ほど休んで再び先を急ぐ。


Fagerhultのデポにて(09:31頃)

Fagerhultを出てからは、Kristina(クリスティーナ)という女の子が隊列の一番後ろでgrindvakt(門番)役を務めてくれた。我々の隊以外のサイクリストが隊列に紛れ込むと「我が隊の後に付いてくれないか?」と促すのである。それから、回転運動を取りながら最後尾に達したメンバーに対しては「Du är sist, flytta till vänster!(君が最後だから左列に出るように)」と指示もするのである。門番役は言ってみれば「殿(しんがり)」でもある。それに、隊列が乱れてきたり、間隔が開き始めたりすると、てきぱきと指示を発する、いわば司令塔でもある。

走行速度は、平坦な道であれば時速35km前後で、そして下り坂では時速45kmを超えながら軽やかに進んでいく。あるとき、後方を一瞬だけ振り返ってみると、我々16人の二列縦隊の後ろに50~100人ものサイクリストが連なっていた。まるで「スイミー」のようだ。私は例年この「金魚の糞」の側にいるのに、今回はその先頭部分にいる。機関車のように皆を引っ張っていくのは非常に気持ちがよい。


司令塔であり殿(しんがり)を務めるKristinaと、大柄なMagnus

そんな我々の横をたまに「新幹線」集団が一列で、中央分離線ぎりぎりを走りながら、軽やかに追い越していく。あるときは「アメンボ」のような物体が「Höger!!!(右手に寄って)」と叫び声を上げながら、超高速で我々の横をすり抜けていった。思わずあっけに取られてしまったが、よく見ると体を横にして漕ぐ、車高の低く幅の小さい自転車だった。この手の自転車での出場はてっきり禁止されているのかと思ったけれど、そうではないようだ。しかし、事故になりやすいのではないかと心配だ。

天気が非常に良い。右手にはVättern湖が輝いている。前方には農園と森が果てしなく広がっている。あの地平線の向こうまで、このまま何百キロでも走れそうな、そんな気分がした。



【続き】
Vatternrundan 2008 (4) 後半戦のドラマ

Vatternrundan 2008 (2) 最初の70km

2008-06-18 06:36:46 | Vatternrundan:自転車レース
我々のSub-12グループは、スタートの30分前にスタート会場で集合し打ち合わせ、とのことだったが、私は勢い余って45分前に到着。もちろん仲間の姿はなし。寒い。汗の発散性の高い下着に、クラブのユニフォーム、そして防寒用のベストと3枚も着込み、さらに腕には長袖の継ぎ足し、足にも膝を温めるための継ぎ足しを付けているのに、体がブルブルと震える。0時前後まで雨が降っていたらしく、気温は10度以下だ。

4時前の北東の空

私の指導教官の息子が私の4分前にスタートするとの話を教官から聞いていたので、彼のゼッケン番号を探すけれど、結局見つけられず。そのうち、我々Sub-12の仲間が集まり始める。「12時間以内のゴールを目指しながら、できる限り全員でゴールのゲートをくぐること」という目標とその他の詳細を確認した後、スタートのための柵に入っていく。04:06のスタートグループがスタートし、04:08のグループ、そして04:10のグループも順にスタートしていく。

スタートの直前

我々のスタート時刻である04:12まであとわずか2分の段階になって、私は大変なことに気がついた! この大会の出場になくてはならない重要なものを滞在先の家に忘れて来たことを!!! 「Nej! Jag har glömt det viktigaste!!!」と私が叫んだのを聞いて仲間が驚いてこちらを見つめる。今から取りに戻れば、30分後くらいにスタート地点に再び戻ってきて、遅れてスタートすることになる。しかし、そうすればSub-12グループと一緒に走ることはできなくなってしまう。しかし、私が忘れたものとは、それがなくては大会への出場自体の意味がなくなってしまうくらい大切なもの。私が仲間に事情を話すと「どうにかなるさ。とにかく一緒にこのままスタートしよう」と言ってくれた。さすがヨーテボリ人。くよくよしない楽観的な性格では、スウェーデンには他に勝るものがいない。私は忘れた物のことは考えないようにして、とにかくスタートした。(さて、何を忘れたのか・・・? それは後ほど)

スタートしてから最初のうちはバイクにゆっくりと先導される。そして、国道に出たところから勝負が始まる。周りのサイクリストたちの流れに乗りながら、時速30km近い速さで走りながら、我々Sub-12の隊の16人は次第に二列縦隊を形成していく。そして、先頭交代のための回転運動を30秒から1分間隔で始めていく。その動きの何と軽やかなことか!

同じ隊のメンバーは私と初対面の人がほとんどだった。そのため、二列縦隊のたまたま隣り合わせた人と自己紹介を始める。時速30km以上で走りながら、前方に注意しながら横の人と話をするのは結構大変。

二列縦隊で頻繁に回転運動を取るとは言っても、実は最後列の2人はそのポジションを維持したままだ。実は彼らは「grindvakt(門番)」という役目であり、我々の隊以外の他のサイクリストが隊列に乱入してこないように見張っているのだ。我々の隊の取り決めを知らない人たちが回転運動に紛れ込んでしまうと、動きが乱れてしまうし、前進のペースも乱れてしまう。だから、門番役の二人は、他のサイクリストが我々の隊に紛れ込んで来そうになると「わが隊の前方に抜けるか、もしくは後方に付いて欲しい」と促すのである。

そんな門番役のおかげで、わが隊の16人はまとまりを維持しつつ、最初の40kmを軽やかに走ることができた。しかし、まだ気温が低いので皆それぞれの色の上着を着ている。だから、だから誰が同じ隊のメンバーなのか、なかなか見分けが付きにくい。

最初のデポ(サービスステーション)であるHästholmenは通過。しかし、それから5kmほどしてからÖdeshögで右折したところでkisspausを取る。kissとはスウェーデン語では「おしっこ」(!)の意味なので、つまり「トイレ休憩」のこと。みな適当に道端でする。女の子も草むらに少し入ったところに隠れてする。4分ほどしてから再び出発。

我々の隊は時速30km近くで走っているので、常に追い越し車線を取りながら、遅いサイクリストを追い越しながら快調に前進していくが、我々よりも後にスタートした人の中でも速い人たちは時速35~40kmで一列になりながら、横をすり抜けていく。

しばらくして、広大なVättern(ヴェッテルン)湖とその中央に浮かぶVisingsö(ヴィーシング島)が視界に入ってくる。思わず「Underbart!!!」と言葉を漏らしてしまう。素晴らしいのは何も風景だけではない。このあたりは、起伏の少ない平坦な道が続き、風もほとんどないので、スピードが見る見る間に時速40kmに達してしまう。

私の太ももはスタート直後からズキズキと痛んでいた。どうやら、スタート前に冷えてしまった状態で、いきなり力を入れ始めたためだった。こんなので、300kmも持つのか?と心配だったが、70kmも走ってくると、痛みはすっかり消えていた。

しかし、別の不安要因が出てきた。同じ隊の女の子Eijaが上り坂のたびに四苦八苦し始めたのだ。彼女とは何回か日曜日のトレーニングで一緒だったが、まだ自転車歴が浅いとのことで、てっきりSub-13グループで走るのかと思っていた。しかし、Sub-12に加わったものの、既に70km地点でしんどそうな様子を見せ始めている。さて、どこまで付いて来れるのか?と心配になってきた。

Grännaの町の石畳を1kmほど走り、その後のデポ(80km地点)で7分間の休憩。



【続き】
Vatternrundan 2008 (3) 天気も体調も絶好調

Vatternrundan 2008 (1) スタートに先駆けて

2008-06-16 07:49:47 | Vatternrundan:自転車レース
今年のスタート時間は偶然にも去年と同じく、金曜日の夜23時10分だった。しかし、私の参加している自転車クラブの人たちに「Sub-12(12時間以内を目指すという意味)のグループで一緒に走ろう」と誘われて、彼らと同じ土曜日の朝04時12分のスタートに変更した。スタート時刻の変更は「正当な理由がある場合にのみ認められる」と大会の規定にはあったものの、事務局の窓口ですんなりと変更できた。但し、手数料は100kr。

さて、このSub-12グループには
Pierre Karlsson
Stellan Bondesson
Robert Karlsson
Petra Karlsson
Magnus Kruger
Eija Halonen
Rikard Nilsson
Ulla Stigring
Lars Hedberg
Mats Tjader
Stefan Torkelsson
Karin Torkelsson
Brian Nielsen
Kristina Schultz
Yoshihiro Sato (Yoshi)
Sture Andersson
の16人が加わることになった。男性11人、女性5人だ。リーダーのStureは57歳。私をこのグループに誘ってくれたLarsは63歳。あとは20代から40代まで様々だ。ちなみに、私のこれまでの自己記録は11時間53分なので、Sub-12という目標は「ちょうどいいかな」と思えた反面、今年はあまりトレーニングしていない、という心配や、首から肩にかけての痛みの心配もあった。

私の所属する自転車クラブの中には、このほかにもSub-9からSub-14まで様々なグループが形成されている。

私は木曜日の夕方にスタート地点の町であるMotala入りし、毎年お世話になっている家族の家に泊めてもらい、自転車の手入れをしたり、ゼッケンを受け取りに行ったりして準備する。この家族のもとには、私のほかにもこの自転車大会に参加する人が数人泊まりに来ている。

今回5回目の出場になる私にとって、初めてのことがたくさんあった。まずは、乗る自転車。いつもはマウンテンバイクに似た自転車で参加していたのだけど、今年は初めてロードレーサーで。父親からもらった自転車で、日本から2年前にスウェーデンに運んだものだ。これまで乗ってきた自転車は、通勤用としてや、大きな荷物を前後につけて自転車旅行するのに最適なのだが、タイヤが太く、車体も重たかった。


それから前回書いたように、スタートからゴールまでグループで走るのも初めてだし、明るくなってからスタートするのも初めてだった。

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一番最初のスタートは19:00。これは24時間以上かかって何とか完走する人10数人のための例外的なスタート。正規のスタートは20:00からとなる。毎年書くように、これ以降は2分毎に60~70人が順番にスタートしていく。最後のスタートは05:20頃

天候は「晴れのち曇り時々雨」。金曜日の夕方から夜にかけて時おり雨が降ったようだ。ちょうどその頃、私はベッドの中にいた。

この自転車大会には、しんどい部分が毎年何ヶ所かある。最初の一つは、実はスタートする前のこの時間なのだ。そう、スタート前に十分寝なければいけない、と頭では十分に分かっているのに、なかなか寝付けないのだ。緊張している上に、いろいろな考えが頭をよぎって眠れない。今眠らないと、レース中に眠くなり危険だ。でも焦るほどに眠れない。19時頃に横になったのに、眠りについたのは結局0時前だったのだろうか。しかし、2時半には目覚まし時計が鳴り、台所で腹ごしらえをし、エネルギードリンクを飲む。同じ家族の家に泊まっている他の参加者の何人かも台所にいたので、話をしたり、励ましあったりする。そして、3時過ぎにはスタート地点に向かって、いざ出陣!!


【続き】
Vatternrundan 2008 (2) 最初の70km

自転車レース300km : 準備完了!

2008-06-13 18:39:28 | Vatternrundan:自転車レース

【シリーズ全体】
Vatternrundan 2008 (1) スタートに先駆けて
Vatternrundan 2008 (2) 最初の70km
Vatternrundan 2008 (3) 天気も体調も絶好調
Vatternrundan 2008 (4) 後半戦のドラマ
Vatternrundan 2008 (終) 事後談




出発地点のモータラ(Motala)に昨日(木曜日)に到着。毎年お世話になっている家族のもとで間借りしながら、準備を整えて金曜日深夜の出発に備える。いつものことながら、持ってき忘れたものがたくさんあるので、この家族から借りたり、新たに買い入れたり。

今回は5回目の出場。毎年、一人で気楽に走っていたのだけれど、今年はヨーテボリの自転車クラブの人たち14人と隊列を組んで、12時間以内を目指す。なので、クラブのシャツを購入。同じクラブの中には、9時間グループ、10時間グループ、11時間グループ、そして、13・14・15時間のそれぞれのグループも自発的に形成されている。

それに、毎年深夜の0時頃のスタートだったけれど、今年は朝の4時過ぎのスタート。これも初めての経験。太陽は2時半頃に昇るので、4時を過ぎた頃はもう明るい。

300kmを12時間で完走できれば、到着は夕方4時過ぎ。丸一日自転車に座っていることになる。

不安要因が一つ。ここ数週間のトレーニングに加え、寝違えてしまったせいで、首筋から肩に掛けての筋肉が痛む。一昨日は首も曲げられず、研究室で机に向かっていても痛くてしょうがないので、指導教官である教授の研究室からソファーを借りてきて、一日中横になっていたほど。

大会中にもし肩が痛くてどうしようもなくなったら、隊列から脱落して、あとはマイペースで完走だけはなんとか果たしたいつもり。



【続き】
Vatternrundan 2008 (1) スタートに先駆けて

サッカー・ヨーロッパ選手権大会 開幕

2008-06-11 07:11:39 | コラム
サッカーのヨーロッパ選手権大会が始まった。
スウェーデンは初戦の対ギリシャ戦を2-0で勝った。幸先がよさそうだ。

ちなみに、今回のスウェーデン・チームでは、ヘンケ・ラーションが起用され、日本の新聞でも話題になっていたようだ。

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ただ、スウェーデンのナショナル・チームのメンバーの名前を一人ずつ書いていた日本の新聞では、どの新聞もスウェーデン人名の読み方に苦労していたみたいで、読んでいて面白かった。Kim Källströmが「キム・カルストロム」と書かれているのを読んだときには、思わず背筋が寒くなってしまった。(Kallとは“寒い”の意)

それから、監督が「ラガーバック」だと読んだとたん、ビールの詰め合わせもないんだから、と思ってしまった。

そもそも、スウェーデン語には日本語にない音が子音にも母音にもたくさんあるので、それを正確にカタカナ表記するのは無理な話。なので、とやかく突っ込みたくはない。私が住む町の名前にしたって「ヨーテボリ」だろうが「イェーテボリ」だろうが、どっちでもいいと思う。

しかし、あまりにかけ離れたカタカナ語訳だと、同じ選手のことをしゃべっていても、スウェーデン人と話が通じないだろう。それに、せっかくなら本来の発音に近い呼び方で呼んであげたいもの。

日本の新聞での読み方が間違っていたのは、öäåの付加記号を無視していたことと、英語ではないのに英語の綴りの読み方が頭から抜け切れないことが主な原因だと思う。

■監督
Lars Lagerbäck:ラーシュ・ラーゲルベック(もしくは、ラーゲベック)(×ラガーバック)

■ゴールキーパー
Andreas Isaksson:アンドレーアス・イーサクソン(×イサクション)
Rami Shaaban:ラミ・シャバーン
Johan Wiland:ヨハン・ヴィーランド(×ウィラント)

■ディフェンダー
Petter Hansson:ペッテル・ハンソン(×ペーター)(×ハンション)
Mikael Nilsson:ミカエル・ニルソン(×ニルション)
Andreas Granqvist:アンドレーアス・グラーンクヴィスト
Mikael Dorsin:ミカエル・ドルスィン(もしくは、ドルシン)
Daniel Majstorovic:ダニエル・マイストロビッチ
Olof Melberg:オロフ・メルベリ
Fredrik Stoor:フレドリク・ストール(×ストーア)

■ミッドフィルダー
Kim Källström:キム・シェルストローム(×カルストロム)
Niclas Alexandersson:ニクラス・アレクサンデション
Sebastian Larsson:セバスティアン・ラーション
Daniel Andersson:ダニエル・アンデション
Fredrik Ljungberg:フレドリク・ユングベリ(×リュングベリ)
Anders Svensson:アンデシュ・スベンソン(×アンデルス)
Christian Wilhelmsson:クリスチャン・ヴィルヘルムソン
Tobias Linderoth:トビアス・リンデロート

■フォワード
Zlatan Ibrahimovic:ズラタン・イブラヒモビッチ
Henrik Larsson:ヘンリク・ラーション(通称ヘンケ)
Johan Elmander:ヨハン・エルマンデル
Markus Rosenberg:マルクス・ローセンベリ
Marcus Allbäck:マルクス・アルベック(×アルバック)

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○ おまけ

ラーゲルベック監督とユングベリの時系列変化




(ラーゲルベックが監督になったのは、確か2000年代に入ってからのはず。それ以前はコーチか何かだったと思う。)

監督は年を追うごとに、厳しい顔つきになってきたみたいだ。(メガネを変えたのも影響していると思う。)
ユングベリは、最初のころは「やんちゃ坊主」だったのが、本当に「坊主」になってしまったわけだ。

夕焼け

2008-06-09 09:12:56 | Yoshiの生活 (mitt liv)
4月末から天気のいい日がずっと続いています。
気温もスウェーデンにしてはかなり高く、場所によっては30度近いところもあるようです。一昨日は、ヨーロッパで一番暑かったのがスウェーデンのダーラナ地方だったとか。

気温がいくら30度近くになっても、空気が乾燥しているので、日本のようなジメジメさはほとんど感じず、比較的過ごしやすいのです。

ここ数週間、ほとんど雨が降っていないおかげで地面も森もかなり乾燥しています。スウェーデンでは全国的に山火事が多発しています。市民公園や森林に近いところなどでは、バーベキュー禁止令も発令されているようです。(ヨーテボリのSlottskogenも)

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天気が良いと、夕焼けも綺麗。
今日も夕方、自宅で翻訳作業をやっていると(“夕方”と書いたけれど実際は21時とか22時とか)、22時過ぎに太陽が沈んでいき、その後、空が次第に姿を変えて綺麗な夕焼けを映し出していた。






多少、露出を変えて撮っていますが、同時に空のほうも刻々と姿を変えています。

倫理意識とアイデンティティー

2008-06-06 17:09:31 | コラム


企業経営における倫理は、スウェーデンでもよく話題になる。「私たちは地球環境や途上国の労働環境への配慮を行っている」というような綺麗なスローガンの裏で、実際にはそれに反した操業活動を黙認していた、というスキャンダルもたまにマスコミ沙汰になる。

昨年暮れのスーパーマーケットICAのミンチ肉の賞味期限ラベル貼り替えもそうだし、数週間前にはスウェーデンの代表的企業であるEricsson(エリクソン)が契約を結ぶバングラディシュの下請け企業が劣悪な労働環境の下で部品を製造している、というスキャンダルが公になった。その下請け企業は児童労働を使い、さらには、有毒な薬品を生産工程に用いているのに労働者が素手で作業を行い、廃液を垂れ流して環境汚染を引き起こしている、というものだった。これはEricsson自体が関与しているものではなかったが、下請け企業に対する監督責任を追及され、Ericssonのスポークスマンがテレビの前で謝罪していた。

スウェーデンではSwedWatchという非営利団体が、スウェーデン企業の国外での活動に厳しい目を光らしており、スキャンダルをマスコミに公表したりしている。

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さて、私は毎朝ラジオで目を覚ます。6時半頃にニュース番組が流れ始め、夢うつつでそれを聞きながら、7時半か8時までには起き上がる、という感じだ。ニュース番組の中では毎日「一日の始まりのエッセー」が流れる。社会の様々な分野で活躍している人たちが、その日一日のやる気を与えてくれる、自らのメッセージやエッセーを朗読するのだ。

つい先日に聞いたエッセーが良かった。その日は、企業経営の倫理について教えている経営学部の教授だった。

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将来の企業リーダーを育てる特別講義の中で、企業倫理や社会的責務について講義したときだった。講義の後、一人の外国人学生が相談したいことがあると私のもとにやってきた。いくつかの有名な国際企業での勤務経験がある青年だった。今、新しい仕事を探しているところで、数日後に面接を受けるのだという。

しかし、彼には気掛かりなことがあった。それぞれの企業で働いていた期間が1、2年程度で、面接ではそのことがマイナスになるかもしれないし、面接官に突っ込まれるかもしれない、とのことだった。

では、どうして短期間で企業を変えたのか? と私が尋ねると、それはその企業のやり方が自分の信念に反するものだったから、と彼は答えるのだ。その企業は違法行為や倫理に反する行為を意図的にやっており、彼はそれを黙認できず辞めざるをなかったからだ、という。

さて、彼はこれから受ける面接で、このことを正直に打ち明かすべきだろうか? 面接を受ける企業は、彼のそのような信念を受け入れてくれるのだろうか? そもそも、社会的責務という意識を貫くことは、この現実社会の中で果たして自分の得になりうるのだろうか?

この質問に対して、私はこう答えた。そのときに考えるべき重要なことは、自分のキャリアにとって何が有利か、ということではなく、自分のアイデンティティーとは何か、つまり自分が何者でありどんな信念を持っているか、である、と。

もし君が、違法行為をしても構わない、とか、人々の人権を侵害しようが構わない、というような職場環境の中で仕事をすることを余儀なくされるのであれば、君は結局、自分自身に対するコントロールを失ってしまうことになる。すべての価値には値段が付けられているが、もし君が、人生における最も基本的な価値まで売り渡してしまうのであれば、自分自身に対する尊厳を失うことになるのだ

今まで君が自分の魂を売るようなことを避けてきたのであれば、なぜ今、敢えてそれをする必要があるのか? 君にはまだ将来があるのだよ。魂を売ってしまうのではなく、倫理意識を重視する君のアイデンティティーを一つの資質として企業に売り込んでみてはどうか。君のような社員がいれば、その企業は将来スキャンダルで告発され、テレビの前で謝罪するという恥をかく必要がなくなるだろうに。

哲学者チャールズ・テーラーは次のように述べている。「自分や周りの人たちが、自然の限界や助けを必要とする他人の声、創造主の作った法則などといった事柄が私たちの人生に対して持っている決定的な意味を忘れて、目先の利益や自己中心的な振る舞いに走ったり、自分は何でもできるといった思い込みを持ったりするならば、私たちが自分自身に対して抱いているイメージは卑小なものになってしまう。人生とは、他者と手を携えることによって、目先の些細なことを超えた真の重要性を持つ何か、例えば、世の中を良くする、とか、貧困を撲滅する、とかといったもの追求することであるべきだと考える。」と。

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出生率 1.87 に再浮上

2008-06-04 06:38:23 | スウェーデン・その他の社会
日本とフランスの最新(2007年)の出生率を付け加えました


スウェーデンの最新の統計によると、2007年の出生率は1.87だったという。2005 年におけるEU加盟国のランキングでは、1位のフランス(1.94)を筆頭にアイルランド(1.88)、フィンランド、イギリス、デンマーク(ともに1.80前後)と続き、スウェーデン(1.77)は第6位だった。(EU外のノルウェーは1.85くらいだったはず。)

だから、スウェーデンはそれと比べて0.10ポイントの上昇となったわけだが、フランスの出生率も伸びて1.98になったという。(EUでNo.1)

日本は2007年が1.34だったという。過去最低となった2005年の1.26から2年続けて上昇してきているとは言うが、北欧・西欧と比べると極端に低い。また、EU加盟諸国の中でも東欧や南欧、またドイツ・オーストリアなどの中欧も1.20~1.50と低迷している。これらの国々に共通しているのは、男性は外で働いて稼ぎ、女性は家庭で家事・育児をすべき、という固定観念が強く残っていることだといわれる。また子育てにかかる費用の高いことや、晩婚化が進んでいることも共通しているのかもしれない。これに対し、北欧や西欧の出生率が高いことの説明としては、女性が仕事と育児を両立できることや、それを支える公的保育所の整備や経済的支援などが挙げられる

ただ、北欧・西欧諸国の間にも差がある。女性の社会進出と子育て支援の充実さがよく引き合いに出されるスウェーデンも、2005年の時点ではこれらの国々の中では出生率がそこまで高くはない。つまり、出生率の高さを決める要因は、男女平等や子育て支援などの他にもあるのだ。

たとえば、スウェーデンについて言えば、育児休暇中に国から支給される育児休暇保険の給付額は、それまで働いて得ていた給与水準に比例する。だから、それまでの給料が高かった人には給付額も高くなるし(ただし上限があるが)、逆に給与水準が低かったり失業者だった場合は、最低限の保障水準しかもらえない。だから、育児休暇を取るまでに、労働市場でいかに自らを確立しているかが重要になってくるし、家庭形成においても大きな鍵を握ってくる。なので、このブログで何度も触れたように、90年代以降、若者の失業率が高止まりしたことが、出生率の上昇に歯止めを掛けてきたものと見られている。

労働市場の状況によって出生率が上下するのは日本もスウェーデンにも共通していることかもしれないが、子育てに対する公的助成の少ない日本の場合は、失業や不安定な雇用のために子育てなどできる経済状態にない、というのが背景にあるだろうが、それに対し、スウェーデンの場合は、育児を含めた各種の社会保障制度が充実しており、ただ、これが働いて自活をすることを基本としたワークフェア型の制度であるために、本人の雇用状態によって給付額が左右される、ということが背景にあるようだ。だから、日本の場合とはちょっと事情が違うように思う。


グレーがスウェーデン、赤がフランス
写真の出展:スウェーデン中央統計局の資料より

実際のところ、1980年にまで遡って見てみると、80年代にかけて急激に上昇した出生率は90年代初めに2.1に達していることが分かる。しかし、その直後に起きた経済危機に伴う失業率の上昇に呼応するかのように急激に低下し、今再び1.87まで浮上してきているのだ。(ちなみに人口維持に必要な出生率は2.1だと言われる)

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先日の日刊紙の社説も、スウェーデンの出生率が再浮上していることについて書いていた。北欧型の育児支援制度や男女平等・女性の社会進出などが主な要因としながらも、出生率の動向に影響を与えうる要因は、実際にはたくさんあり複雑だ、と述べていた。例えば、アメリカ合衆国の出生率は2.00を上回っているが、アメリカでも男女平等の考え方が強いとはいえ、北欧のような社会保障制度が整備されているわけではない。またヨーロッパでも第二次世界大戦末期から終戦後にかけて大きなベビーブーム現象が起きたことにも触れていた。前者については、その理由まで深く追求してはいなかったが、後者に対しては「これからやって来るであろう平和と民主主義の新しい時代に対して、人々が大きな希望を抱いていたことが一つの理由であろう」としている。

この社説の締めくくり方が良かった。

Och i det perspektivet bör vi nog vara nöjda med den svenska nativiteten. Det viktigaste med den nordiska modellen är kanske inte att den fungerar enligt principen stimuli-respons, utan att den inger framtidstro.
「このような観点からすれば、スウェーデンの出生率の高さは満足できるものだと言えるであろう。北欧型の(育児支援・男女平等)モデルの重要な特徴とは、(よく言われるように)その制度が子供を持つことに対する動機付けを与えてくれる、ということよりも、もしかしたら、未来に対する希望(framtidstro)を人々に与えてくれる、という点かもしれない。」


「未来に対する希望」という言葉に思わず頷いてしまった。これは育児政策に限ったことではなく、スウェーデンで暮らしていると社会の様々な側面で感じることである。「閉塞した社会」という言葉に対義語があるとすれば「活力のある社会」であろう。では、スウェーデンでは何が未来に対する希望や社会の活力を生み出しているのだろうか?

それは、私なりに一言で表現しようとすれば、一人ひとりの人間に、自分の置かれた状況を改善する可能性が与えられ、自分を取り巻く環境に影響力(inflytande)を行使することができる、ということではないかと思う。それは、職場環境であったり、仕事のやり方であったり、学校環境であったり、人生の過程で再チャレンジの機会が多く与えられていることであったり、社会問題を様々なレベルでの政治参画を通して改善していくのが比較的容易であることであったり、残業がなく家庭生活にじっくり時間を割くことができることであったり、男女に限らず自己実現ができることであったり・・・。

これらのことを考えると、「閉塞した社会」における閉塞感とは、一人ひとりの人間がそれぞれの属する職場環境や学校環境、社会構造、家庭環境、政治プロセス、人生決定などにおいて無力感に苛まれ、これらの状況において問題を解決したいのだけど、自分が動いても何も変わらないし、何をやってもいい方向に動かない、と諦めてしまっている状態ではないかと思う。

出生率を上げるためにも、人々が将来に対して何事も前向きになれるためにも、一人ひとりが主役になれる社会に変えていかなければならないと思う。

長距離のトレーニング

2008-06-02 06:22:07 | Yoshiの生活 (mitt liv)
300kmを走る自転車の大会が2週間後に迫った。

先週の日曜日もこの日曜日も、外でトレーニング。私の参加している自転車クラブの人たちと、先週はヨーテボリから南東一帯を90km走った。今日はヨーテボリから北部に向かってKungälvを越え、Lilla Edetまで達してから、今度は東側に進路を取りながらヨーテボリに戻ってくるという170kmのコースだった。


両日とも12~15人くらいで二列縦隊を組んで、1、2分おきに回転運動を取りながら先頭を交代した。なので、風の抵抗がかなり軽減されて、あまり足のほうには堪えなかった。

問題は、首筋と肩。長時間ほぼ同じ姿勢で乗っているので、かなり痛くなる。自転車で長距離を走るのに必要なのは、足の筋肉や腹筋だけでなくて、肩や首の筋肉も。毎年分かっていることなのに、屋内のトレーニングではなかなか鍛えられない。

この大会は今年で5回目の出場だけれど、これまでは一人でトレーニングをすることが多かった。今年はグループでのトレーニングを何度かやってきた。やはり、体力の消耗の仕方が明らかに違うと実感した。それに、お互い励まし合えるから、長い距離もそこまで苦痛にならない。

ちなみに、大会以外で一日に走った距離のこれまでの最高は200km。Jönköpingに住んでいた2003年頃だったと思う。JönköpingからKarlsborgへ行き、そこからSkövdeに抜けて、友人の実家でお茶をし、再びJönköpingに戻ってきた。そのときは一人でトレーニングをしていたから、Skövdeからの最後の70kmは全く力が出ず、気力だけで走ったのを覚えている。(ちょうど日が暮れる21時半頃に何とか家までたどり着いた。寮の友達がビールを用意していたので、かなり感動)

それにしても、今日は一気に日に焼けた。

看護婦のストライキ終結

2008-06-01 00:48:13 | スウェーデン・その他の経済
4月21日に始まった看護婦のストライキは、5月28日水曜日に労使双方の間で合意に至り、5週間半にわたる長いストが終結した。7000人近い看護婦・看護士がこれまでストに参加してきた。


写真の女性はこの組合の代表Anna-Karin Eklund
写真の出展:労組Vårdförbundetのホームページ

さて、これだけ長い間ストを続けてきたのだから、労組側は大きな勝利を勝ち取ったのか!?と思いきや、実はそうではない。労使双方が受け入れた妥協案の主な点を見てみると、

・看護婦の初任給(最低1年勤務後):月21100クローナ(37万円)
・今後三年間の給与のベースアップ:2008年 +4%、2009年 +3%、2010年 +2%

というものだが、スト決行直前に国の調停委員会が労使双方に提示し、労組側が受け入れを拒んだ妥協案とほとんど違いがないのだ。例えば、初任給については、額がスト直前の妥協案と全く同じ。唯一の違いは、新水準の適用時期を2009年の夏以降ではなく、5月以降に前倒しするという点。また、給与のベースアップの率についても、唯一の違いは2009年の数字が+2.5%から+3%に引き上げられただけ。

当初の妥協案を蹴った労組側の要求とは、初任給を月22000クローナにし、また今後2年間に渡って月額1700クローナのベースアップを毎年すべての職員に行う(率で言うとおそらく年6-7.7%ほど)、というものだった。長い教育を必要とする職であり、国民の命に関わる重要な仕事をしているのに、それが給与に反映されていないこと、そして、女性の多い医療職の給与を他の職よりも引き上げることで、男女間の経済格差を少しでも縮めたい、という思いがこめられていたのだった。

労組側の情報によると、現状では10分の1の看護婦の月給が20000クローナ以下だという。地域により若干の差があるが、大卒直後の正看護婦の初任給は月18500クローナという県もあるようだ。退職間近の看護婦でも月23000クローナというケースもあるらしい。一方、雇い主であるスウェーデン地方自治体連合によると看護婦の平均月給は24500クローナ(43万円)であり、過去10年にわたって他の公共部門の職員よりも上昇幅は大きかった、という。

ちなみに、医療サービスを提供しているのは主に県なので、もし労組側の要求をすべて呑んだとすれば、県税(地方税の一部)の税率を0.5%引き上げる必要がある、と地方自治体連合は試算していた。(わずか0.5%、という気もするが、これだけの引き上げをするにも自治体としては大ごとなのだろう・・・)

これまで5週間半にわたって闘い勝ち得たものが、わずか0.5%のベースアップ率であるわけだから、労組の組合員の不満も大きい。一方で、労組の執行委員会のほうは、そもそもスト決行には乗り気ではなく、いくつかの地方支部の強い要求と総会での決議に押されてストに踏み切った手前、引き際を見出すのに苦労したのだろう。そもそも労組側の勝算は最初から低かった。政治サイドからのサポートがほとんど得られなかったためだ(なぜかは不明)。

ストライキ1日あたりの労組側の負担(組合員に対する給与補填の支払い等)は600万クローナ(1.1億円)。これに対して、雇い主である地方自治体にとっては、給与の支払いが1日あたり1100万クローナ(2億円)浮いたという。しかし、5週間半にわたるスト中に延期された手術の数は13300件、診察の数は35000件だというから、この分の医療活動を今後いかにこなしていけるかがこれから大きな課題になるだろう。