スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

ストックホルム郊外の暴動について(その2)

2013-05-28 01:49:33 | スウェーデン・その他の社会
この週末もストックホルムや他の街では車への放火や警察・消防への投石がいくつか発生したが、全体としてはかなり落ち着いてきたようだ。住民による見廻り隊の効果が大きいようだ。暴動の破壊対象になりやすいのは、駐車中の車のほかには、夜間に誰もいない学校や保育所で、今回の暴動でもいくつか被害にあっている。しかし、Husbyの学校の中には住民が協力しあって、夜を徹した監視を行った結果、攻撃を免れたところもあるようだ。気が気でない校長が学校で一夜を明かした学校もあるという。

また、住民のアイデアで「石を置いてソーセージを食べに来なよ」という一種のバーベキューの企画もあり、若者・子供がたくさん集まって、グリルしたソーセージを皆で食べ、地域のシビアな雰囲気を和ませようとした、というニュースもあった。


企画を発案した住民


集まった若者や子供

写真の出典:Sveriges Radio

一般市民によるこのような動きは、スウェーデン語で「Goda krafter」(良心の力)と呼ばれる。それぞれは小さな力ではあるけれど、誰かが声を掛け、それが大きな力となることで、問題を解決していこうというものだ。


【 2008年末の暴動の例 】

前回は、保護者をはじめとする住民による見廻り隊について書いた所で終わりにしたが、日曜日の新聞にはそれに関連する大きなルポタージュが掲載されていたので、紹介したい。

この記事は、似たような大きな暴動が2008年暮れに起きたスウェーデン南部の町マルメのローセンゴード(Rosengard)と呼ばれる住宅地で、どのように騒ぎが終息したかを説明したものだ。ここでも、保護者や住民による見廻り隊が果たした役割が大きかったことが分かる。(以下は、私がルポタージュだけでなく、当時の新聞記事なども参考にしながら、内容を補足している。)

事の発端は、この住宅地にあったイスラム文化センターの閉鎖だ。施設を管理する住宅会社は文化センターとの賃貸契約の更新をせず、文化センターは猶予期間をもらった上で別の建物に移動することになった。賃貸契約が更新されなかった理由は、文化センター側が契約違反をしたためだとか、この文化センターの一部にあったモスクで民主主義の理念に反する極端な教義が布教されていたためだとか、いろいろと複雑なようだ。ともあれ、イスラム文化センターは、別の建物を見つけて移動することに最終的に同意し、建物を明け渡した。

しかし、閉鎖に不満を持っていた若者が施設をまもなく占拠し、同じ地区で退屈していた若者らも騒ぎに便乗し、占拠者の数は総勢50人ほどになった。これに対し、警察は機動隊を投入して若者の排除を図ろうとするが、それを拒む若者らとの間で小競り合いとなり、次第に大規模な暴動へと発展していった。その後、毎晩のように暴動がエスカレートし、BBC、CNN、アルジャジーラなどの国際メディアも報道するようになった。この時も、マルメの町だけでなく、ストックホルムの郊外の住宅地にも暴動が飛び火した。

さらに、極左の活動家までもが警察を始めとする公的権力に歯向かう絶好の機会と捉え、他の地域からマルメにやって来た(前回書いたように、彼らは暴動のプロ)。それに加え、ただ単に喧嘩したいだけのワルもやって来た。駐車中の車両に火が付けられ、火炎瓶が投げられた。暴動が最も酷かった12月19日の逮捕者は18人だったが、逮捕者のうち、現場となった住宅地ローセンゴードに住んでいるものは誰もいなかった

その翌日、このローセンゴードの住人たちは、もう暴動はいい加減にしてほしい、と行動を起こし始めた。携帯電話を使って、「暴動をやめさせよう!」というメッセージが住民の間を飛び交った。保護者や住民団体・スポーツセンター・NPOなど数百人の住民が路上へ出てパトロールを開始。ガソリンの入ったポリタンクや投石に使う石の隠し場所を見つければ警察に通報した。

見廻り隊として市から委託を受けた住人は赤いジャンパーを着ているが、彼らは暴動から4年あまり経った今でも朝8時半から夜9時まで、住宅地を歩き、住民と会話をしたり、違法駐車や街灯の故障などを市に報告し、住宅地の環境改善に努めている。

この地区で見廻り隊を長年続けるMuhammed Jallowは「住宅地の環境は住民の心にも影響を与える」と語る。2008年の暴動以来、この地区の住環境の改善が図られ、大きな暴動は起きていない。暴動の始まりとなった文化センターのあったところは、市による住民向けの窓口になっており、住民が国税庁や大学で学ぶ際の補助金を支給する機関など、さまざまな行政機関と連絡を取りたいときの相談窓口として機能している。ちなみに、この窓口に付けられた名前はVarda(ヴァーダ)。アラビア語のwarda(花の意)とスウェーデン語のvardag(日常の意)をもじったものだ。





ローセンゴードに住むMuhammed Jallowは、暴動の時は高齢者の在宅ケアのための車も燃やされ、薬を持ってくることができず大変だった、と当時を振り返る

写真の出典:Dagens Nyheter


【 根本の問題は?】

では、根本的な問題は何だろうか。それは「刺激が欲しい。面白いことがない。することがない。将来に希望が感じられない。日々、鬱々とした日常を送っている」という漠然とした不満であろう。そして、さらにその背景にあるのは「学校の勉強についていけない、学校をドロップアウトして仕事が無い、将来に希望が感じられない」ということであり、そういう若者がこの地区に比較的多いという点で、ここには社会的な問題がある。

日曜日の新聞のコラムには、以下のような統計が出ている。基礎学校9年次(中学3年)にすべての必須科目で「可」以上の成績をもらった生徒の割合を学校ごとに示したものだ。統計は2012年のものだ。

ストックホルム市の中心部に位置する学校では9割以上の生徒がすべての科目で「可」以上の成績をもらったのに対し、今回、暴動が起きたストックホルム郊外の地区の学校を見てみると3割から4割に留まっている

また、生徒のバックグラウンドを見てみると、中心部のトップの学校では、外国生まれの生徒は全くおらず、両親が共に外国生まれの生徒の割合は3%であるのに対し、郊外の学校では32%の生徒が外国生まれ、また、本人はスウェーデン生まれであるものの両親が外国生まれである生徒が61%いる

(スウェーデンでは「移民」などと一口に言っても、あまりに多様すぎて、その括り方そのものが意味を成さないことが多いから、このようなまどろっこしい表現を使う。だから、日本をはじめ外国メディアが「移民」とか「移民地区」などという言葉を使うと私は違和感を感じる。無論、「外国人」などという呼ぶこともできない。スウェーデン国籍を取得している人たちもたくさんいるからだ。)

このように、地区によって生徒のバックグランドが大きく異なり、社会的・経済的条件の格差につながっている。これが「segregation」と呼ばれる現象だ。日本語では、格差と訳せば良いだろうか?(最近、日本語の記事で「差別」という言葉をsegregationに充てているものを見かけたが、discriminationを想起するこの言葉を使うのは間違いであろう。segregationとdiscriminationは違う。)

では、そのように外国生まれ、もしくは親が外国生まれの生徒が多い学校で、「不可」の学生が多いのはなぜかというと、まず、言葉の問題。スウェーデン語が不自由うちは、勉強についていくのが難しい。次に、家庭環境。親が基礎教育を受けていない家庭では、子供の教育に対する意欲も低くなりがちだろうし、親が仕事に就けず自宅におり、社会的給付を受けながら生活している環境では、将来に対する希望も湧きにくいだろう(もちろん、あまり一般化してもしょうがない。そうでないケースもいろいろある)。また、もともと戦争難民としてスウェーデンに移住していれば、トラウマなどの精神的な問題や社会的問題を家庭が抱えていることも珍しくない。

その結果、高校に進学できなかったり、進学してもドロップアウトしてしまう生徒が多くなってしまう。高校を終了していなければ、仕事に就ける可能性は低くなるから、将来に希望が持てない。今回、暴動の起きたHusbyで2008年から10年までの若者の就業状況を調査してみると、この3年間に仕事に就くこともなく、教育機関で勉強することもなかった若者の割合は20%になるという。3年間ではなく2012年だけに焦点を当てた別の統計では、この割合は30%となっている。


放火や破壊行為が行われたストックホルムの周辺地域



Husby(フースビー)地区の拡大図

出典: Sveriges Radio


【 様々な改善策 】

大学で働く私からすれば、将来の希望の鍵はやはり教育だと思うし、スウェーデン生まれの人であれ、誰であれ、高校を出ても仕事がなく困っている人がいれば、大学に進むことも考えてみれば、とアドバイスしてあげるのだけれど、たとえ教育が無料で、生活費の公的支援がいくらあっても本人にやる気がなければ意味が無い。高校をドロップアウトしても、高校教育をやり直すための成人高校の制度も充実しているのだが、問題は本人のやる気だ。

(ロイター通信が「移民の第2世代でさえも、ホワイトカラーの職に就くことは困難とされる」などと書いているが、これは事実に反する。結局、就業可能性を決めているのは、教育であり、努力して大学教育を受けた者であれば、ホワイトカラーであろうが就職可能性はずっと高まる。第二世代の移民であればなおさら。差別がゼロだとは思わないが、スウェーデン語ができることという条件のもとで、同じ教育水準・内容の人同士を比較すれば、ホワイトカラーの職への就きやすさが移民の第2世代とそれ以外のスウェーデン生まれの人とで大きく差が出ることはないだろう)

だから、一つの鍵は、これらの学校への重点的な支援や教師の数の増員であろうし、それはすでにやられている。プロジェクトとして、スウェーデン全国から敏腕教師を集めて、授業の質を改めるというものもあった(公共テレビがその様子をドキュメンタリーで放送していた)。

それから、将来に対する希望をいかに持たせるか、ということも課題だ。NPO団体を通じた様々なプロジェクトが行われてる。たとえば、子供たちに、頭のなかにある夢を具体的に表現させ、それを一緒に実現していくというプロジェクトが地道に続けられている。また、大学がこれらの地域に出向いて、大学で学ぶこと、そして、その後の仕事の楽しさを伝えるというものもある。確か、ノーベル文学賞の受賞者が毎年、問題を抱えた地域の学校を訪れ、そこで生徒と交流するという企画もあるはず。

また、若者が希望を持てない理由の一つに、目指すべき手本となる大人が周りにあまりいない、ということもある。結果、憧れる対象が同じ地域の不良少年やマフィアになってしまう場合も多い。だから、その地域出身で、同じようなバックグランドを持ちながら、努力した上で成功したスター(スポーツ選手・格闘家・歌手etc)の存在も、若者のやる気に繋がる。先述したマルメの暴動が起きたのはローセンゴードと呼ばれる地域だが、ここはサッカー選手のズラタン・イブラヒモヴィッチの出身地でもある。

今回のストックホルムの暴動でも、Husby出身のヒップホップのスターが、住民と一緒に見廻りに参加し、若者と警察の間のコミュニケーションを円滑にする努力をしていた。彼らは新聞のインタビューに「この地域の若者なら俺たちのことは知っているし、若者からの信頼も厚い。彼らと同じ言葉を使えるからね。どういう話し方をすれば、若者が理解してくれるか俺たちは知っている。俺たちの中には、かつて誤った道を選んだことがある奴もいる。でも、そんな道を選んでも、何も良いことはないとちゃんと知っている。」

また、より直接的な対処として、若者の「刺激がほしい。面白いことがない。打ち込めるものがない」という鬱憤を晴らしてやる場の提供も重要だが、これにはスポーツセンターや、様々な活動や趣味の場を提供するユースセンターが大きな鍵を握っている。自分の話に耳を傾けてくれる大人の存在は大きい。ユースセンターとしてはストックホルムではFryshusetが有名だが、今回の暴動を受けて、Husbyに新たなプロジェクトを展開する準備を始めているようだ。


前回、消防士のFBへの書き込みを紹介したが、あのように相手も生身の人間であることを分からせようとするプロジェクトもある。社会科見学というのが一般的だが、それだけでなく、地元の消防士たちが学校に出向いて行って、若者と一緒にスポーツをする、というプロジェクトもあるようだ。その時のインタビューで、消防士が「制服を着ている人間に対してなら石を投げつける奴でも、一緒にスポーツをして仲良くなれば、石を投げつけようとする気も起きにくくなるだろう」というコメントが印象的だった。また、相手(警察・消防・救急)に対する想像力が欠如している理由として、これらの職に多様な人種的背景を持った人がまだ多くない、という問題もあるだろう。

その他、その地域全体の雰囲気を良くしていく目的で、大きなお祭りを開催している地域もある。これはヨーテボリ郊外のHammarkullen(ハンマルクッレン)という住宅地で30年以上にわたって毎年開催されている、Hammarkullekarnevalen(ハンマルクッレ・カーニヴァーレン)というカーニヴァルが有名だ。この住宅地も外国生まれの住民が大半を占めており、ストックホルム郊外のHusbyなどと共通する部分はたくさんある。この地域には70年代に南米からの居住者が多く、大規模なカーニバルのお祭りが始まった。それぞれの出身文化圏の衣装を身につけて地域を練り歩くというものだが、4月末に市内で行われる工科大学のカーニバルにも参加している。

また、問題を抱える地域に共通するのが、70年代に相次いで作られた集合住宅地であること。Miljonprogrammet(100万戸プログラム)というスウェーデン議会可決のプロジェクトのもとで、集合住宅からなる新興住宅地が都市の郊外に作られたが、当時の流行りの「機能主義」の建築デザインが、今では巨大で無機的なコンクリートの塊と化して、陰鬱な印象を地域の環境に与えている。その外見的な修復や、省エネ改修など内部の機能的な修復は常に政治的な議論になっている

さらに、住環境の改善としては、警察の身近な存在も重要だ。問題が発生するたびに、警察は機動隊を送り込んでくるが、普段から身近なところに交番警察を配置することも必要だろう。

以上、いろいろ書いたが、根本的な問題、つまり、社会的なsegregationを解決するための即効性のある対策は残念ながら無い。地道な努力の積み重ねを繰り返していくしかないし、様々な手を施したところで問題を抱えた若者のすべてをフォローすることは難しい。


【 若者特有の鬱積をどう発散させるか 】

ところで、こういう暴動があると「移民」と呼ばれるグループ特有の暴力行為、という捉え方がされがちなのだが、むしろ、典型的な若者問題でもあると思う。私はうまく表現を見つけられなかったのだけれど、スウェーデンに住む同世代の日本人の人と週末にやり取りをする機会があり、この問題について話をしていたら、その方は「プラスにもマイナスにもなるエネルギーを持ち合わせたティーンエージャーの鬱積が暴発した結果ではないか」と表現しておられ、私の漠然とした気持ちをうまく表現してくれたように感じた。

カッコつけたい、人にクールに見られたい、強さを誇示したい、異性にもてたい、人に認められたい、などという理由から、学校を始めとする権力に反発したり、同世代同士で喧嘩したり、公共物に落書きしたり、ものを壊してみたり、というのは、ある意味、普遍的なものではないかと思う。そういった鬱積をどのような形で昇華するか、それが個人によって、そして、置かれた経済的・社会的環境によって異なるだけという気がする。人によっては、これをスポーツに打ち込んだり、スポーツ観戦でフーリガンになって暴れたり、週末に酒を大量に飲んだりすることで解消しようとするだろうし、夢を持ってそれに向かって努力したり、勉学に励むことで昇華する人もいるだろし、陰鬱なイジメをすることで解消するかもしれない。

先週末は、ストックホルム郊外での暴動のニュースに紛れて、「暴行用の装備をした若者集団を警察が逮捕した」というニュースが流れたので、これも郊外での暴動に関係したものかと思ったが、実は、ヨーテボリのサッカーチームがストックホルムで決勝試合をするのに合わせて、敵チームのファンと喧嘩をしようとやってきたヨーテボリのフーリガン集団だった。結局、こういう行為に若者が参加するのも、日頃の鬱憤を晴らしたり、仲間同士の結束を強めることで安心感を得たい、という行動動機があるのだろう(フーリガンも他人に迷惑をかけないなら、自分たちで勝手にやってもらう分には悪くない。迷惑をかけたり、町を破壊するから問題なのだが)。

彼らは彼らの置かれた経済的・社会的条件のもとで、そのようなフーリガン行為をストレス発散の手段として使っているのだろうし、Husbyなどの地域で暴動に参加している若者は、公共物にいたずらしたり、落書きをしたり、ガラスを割ったり、電車に石を投げたりすることで発散しようとしているのだろう。

ただ、そもそもの鬱積の程度が、希望を持ちにくい環境で暮らしているHusbyの若者のほうが遥かに大きいことは確かかもしれないし、それが、外国生まれであり、貧しい家庭環境で育ったこととが背景にあるという意味では、移民特有の問題と呼べるのかもしれないが、個人個人の行動原理は普遍的だという前提のもので、その個人がその行動を選ぶのはなぜかに着目したほうが、問題の根本が見えやすくなるし、当事者の置かれた状況が理解しやすいのではないかと思っている。もちろん「心底からは理解できない彼らなりの苦悩がある」ことは留保した上で。(括弧をつけた部分は、日本人の友人の表現を使わせてもらった。)

ストックホルム郊外の暴動について(その1)

2013-05-25 21:23:06 | スウェーデン・その他の社会
ストックホルム郊外で先週初めに発生した若者による暴動(放火・破壊行為)はロイター通信などを通じて世界的に報道されたが、報道で伝えられている内容や事件の解釈について、私は疑問に感じることもあるので、スウェーデンのメディア報道や議論を中心に私なりにまとめてみたい。特に、表面的な報道だけでは「移民地区」と表現された地域で暮らす「人々の顔」が見えてこないので、それが少しでも見えてくるように書きたいと思います。(今日は途中までup)


【 事件について 】

5月19日(日曜日)の夜。この晩は、ストックホルム郊外の住宅街で、外国生まれの住民が多いHusby(フースビー)地区で、数人の若者が地下鉄に向かって石を投げている、という通報がいくつか警察に寄せられていた。


地下鉄駅

しかし、事態が深刻化したのは夜10時ごろ。駐車中の車が燃えているとの通報があり、警察(パトカー3台)と消防が駆けつけたところ、数十人の若者が彼らに向かって石や空き瓶、道路の敷石、爆竹を投げ始めた。警察・消防は一時退避し、暴徒対策の装備をした機動隊を投入。集まっていた若者を排除し、消防隊の安全を確保しようとしたが、そこで若者と小競り合いが生じ、そこで感情的に高ぶった若者がさらに暴徒化し、駐車場の車に次々と火炎瓶を投げ込んだり、地域の学校や保育所に投石や放火、さらには商店の窓ガラスを壊したりした。暴徒化した若者は総勢50~60人。これに対し、この夜は全部で警察官約40人と消防が送り込まれ、飛んでくる石を恐れながら、消火活動や暴徒の鎮圧を行った。投石によって3人の警察官が負傷した。

その次の日も夜の帳(とばり)が降りる夜10時前後から、再び若者が路上に出て、駐車中の車に火をつけるなどの破壊行為を行い、駆けつける機動隊とのイタチごっこを繰り広げた。それがその後、連日のように続いた。同様の放火・破壊行為は、発端となったHusbyだけでなく、ストックホルム郊外の他の住宅地でも発生している。さらに木曜日、金曜日には、ストックホルムとは遠く離れた別の街にも飛び火し、小規模ながらも車の炎上や商店・公共施設への投石・放火が起きている。

暴徒化した若者の大部分はフードを被ったり、覆面をしているが、警察は現場で撮影した映像を元に一部の個人を特定し、これまでに数十人の逮捕者が出ている。ほとんどは18歳以下の未成年。ただし、皆がその現場地域に住む住民というわけではなく、半分近くは他の地域から騒ぎを起こしに集まってきた若者で、前科があるものが多いという。

日本の報道では「警察に抗議する若者たちが暴徒化した」と書かれているが、事実とは違う。また、若者たちがデモをし、警察と小競り合いになった、という表現もどこかで見かけたが、事件の発端として、若者たちが何か政治的な主張を掲げてデモを行ったわけではないので、これも違う。


写真の出典:Upplopp och brander i Husby


【 直接の原因は何か?】

大規模な暴動に至った背景として繰り返し言及されるのが、5月13日にHusby(フースビー)地区で発生した警官による射殺事件だ。

5月13日午後6時、Husby地区にて、なたで複数の人に危害を加えようとしている男がいるという通報が警察に入る。警察が駆けつけると、その男はアパートに逃げ込んでしまった。警察はその男がアパートから出てくるよう説得を試みるが難航。そのうち、同じ部屋に女性がいることが分かり、彼女の身の危険を危惧し始める。説得は2時間に及んだが、男が自主的にアパートから出てくる様子がないので、特殊部隊がアパートに突入。当初は閃光弾を投げ入れた後、男を取り押さえるつもりだったが、それがうまく行かず、男がなたを振り回してアパートの中で暴れた。身の危険を感じた特殊部隊の隊員の一人が自己防衛のために発砲し、69歳のこの男はその後、死亡した。果たして特殊部隊の武器使用が妥当なものだったかどうかについては、事件直後からストックホルム県警ではなく警察庁による調査が始まっている。

一部の人々は「警察による69歳の男性射殺に対する不満から若者が暴徒化した」などと説明している。このHusby地区で若者向けに様々な活動を提供しているNPO団体、Megafonen(メガフォーネン)は事件後に、そのような声明を発表している。また、同団体は「暴動行為は、民主的な道が閉ざされた状況の中で、Husbyの若者が社会に対する不満を表現する唯一の方法なのだ」と暴動を擁護し、さらには「私達は民主主義に基づく権利を行使してダイアログを持とうとしたものの、警察は私達を無視してきた」とも述べている。(私達、と書いているがこの団体と暴徒化した若者らとは直接的な関係はなく、また、暴徒を代表しているわけではないし、暴動の首謀者を名乗り出ているわけでもない。あくまで、この地区の住民として「私達」と言っている)。事件の背景を尤もらしく説明したものとしては、この団体の見解だけだったので、それがメディアを通じて広まり、さらにはロイター通信などもそれが事件の動機だとして伝え、世界的に広まった。


写真の出典:Bilar i brand – stenkastning mot brandkar och polis


【 果たしてそうなのか?】

そんな説明を聞くたびに、私はずっと疑問に感じていた。そのような政治的な主張が背景にある暴動とは思えないからだ。デモが行われたわけでもない。私は、若者の行動動機はむしろもっと単純なものだと思う。

面白いことがない。やることがない。つまらない。何か、面白いことをしたい・・・。そんな動機から、公共バスに石を投げてみる。通りかかる電車に悪戯をしてみる。人々が困った様子を見せる。それが面白い。警察までやって来た。逃げろ。捕まえられるもんなら、捕まえてみろ。警察が諦めて引き上げていく。また、イタズラをしよう。今度はリサイクル集積場に集められた新聞紙に火をつけてみよう。今度は消防車が出てきた。消防士に嫌がらせをしてやろう・・・

実は、この手の嫌がらせは、特に珍しいことではない。。顕著なのは、毎年の年末。この頃は新年を祝うために花火が一般に販売される。店頭での購入には年齢制限があるが、大人に頼んだりして、未成年でも比較的簡単に手に入れられる。その花火を使った悪戯が年末にはあちこちで起きるのだ。打ち上げ花火をバスや電車に向けて打ってみる。うるさい音を出す爆竹はスウェーデンでは禁止されているが、年末には簡単に手に入るので、それを路面電車に投げ込んでみる。少し間違えば、命の危険を伴う行為だが、それが分からない子供がそのような悪さをする。

そして、そんなイタズラ・嫌がらせがある弾みでエスカレートしていくと、駐車中の車に放火したり、商店への投石、学校など公共施設への放火へと発展する。

だから、発端となった先週日曜日の暴動に先駆けて、数人の若者が地下鉄に向けて石を投げているという通報が寄せられていた、と書いたように、この事件ももともとは些細な悪戯が原因で、そのグループが行動をエスカレートしていった結果、警察との衝突にいたり、行動がさらに過激化しただけでなく、もともと野次馬として傍観していた他の未成年も、警察の強硬な態度を目の当たりにして、アドレナリンが大量に出て、一種のゲーム感覚で破壊行為に手を染め、警察とのイタチごっこを繰り広げたのではないかと思う。これが私の解釈だ。

だから、NPO団体であるMegafonenの「警察への不信や射殺事件への怒り」というような見解は、些細なきっかけで始まった出来事に、あとから尤もらしい説明づけをしているようにしか思えないのだ。金曜日の朝刊のコラムでも、ある女性ジャーナリストが私の考えていたことと似た見解を書いていた。彼女によると、この団体は極左に近い立場をとっており、事件を政治的に利用しているとのことだ。「民主主義的な道が閉ざされた」というMegafonenの主張に対しても、そのような事実はないし、むしろこの地区の住民の生活向上のために様々なプロジェクトが公的にも、NPOを通じても行われていることを指摘している。

また、この団体だけでなく、タブロイド紙であるAftonbladet(アフトンブラーデット)も同じような論調で社説を書き、このHusby地区では現在の中道保守政権のもとで診療所や育児・福祉・学童などの公共サービスが削減されたことに対する抗議として、住民が暴徒化して公共施設に石を投げ込んだなどと主張しているが、公共サービスの削減は事実の誤認であるようだし、そのような明確な主張を持った人間が石を投げ込んでいるのではない。

たしかに漠然とした不満が若者たちの行動の根本にはあるのだろうけれど、それは学校の勉強についていけない、学校をドロップアウトして仕事が無い、することがない、生きることに希望が見いだせない、時間を持て余してすることがない、ということを背景にした不満であって、警察への不信だとか、射殺事件への抗議だとか、民主主義的な道が閉ざされた中で自分たちの不満を表現するため、などというのは周りの勝手な解釈であり、トンチンカンだと私は感じている。むしろ、暴動に加わっている若者たちは周りがそんな解釈をしてくれるなら、自分たちの行為にも正当性があると思い込んで、行為を継続させてしまうのではないかとも思う。出来事の複雑な背景を単純化して、分かりやすい説明を加えたい気持ちはわかるが、すべての行為に明確な主張や目的があるわけではないし、自分たちの政治的な主張に事件を利用するのは大きな迷惑だ。

警察による69歳の男性の射殺事件との関連については、次のようなコメントも参考になる。タブロイド紙のインタビューに対して、暴動に参加したある若者はこう答えている。「暴動に加わっている俺達の大部分は、69歳の男のことなんか、これっぽっちも頭にないさ。鬱々とした日常から逃避できる良い機会だと思って暴れているだけだよ。」 また、機動隊によって取り押さえられ、自宅まで送り届けられた男の子の母親は、新聞のインタビューに対し、「暴徒の若者は射殺された69歳の男性とは何の関係もないのに、何でこんなことが始まったのか、何で続けるのか、私には理解できない。」


写真の出典:Lisa Magnusson - Kvinnorna i Husby.


【 エスカレーション 】

残念ながらこの手の事件は、一度エスカレートすると、沈静化までにしばらく時間がかかる。自分たちの生活エリアがメディアに注目されると、若者たちはそれが嬉しく、今夜もまたやってやろうと思うだろう。普段はそんなことに手を染めない若者たちも、雰囲気が醸成され、集団になると、捕まるリスクは低くなるから加担してしまう。今回の騒動では、外国メディアも記者を送り込んでおり、Husby(フースビー)地区にはジャーナリストが溢れかえっている。そして、日が暮れると、今夜はどこで火が付くのか、どの車が燃えるのかと、今か今かと待ち構えている。だから、どこでワルさをしても、たちまちメディアのスポットライトを浴びることができる。

機動隊との小競り合いも、若者にステータスを与える。装備をつけた機動隊と対峙して、そこで度胸を見せた奴が、他の若者から評価され、次の破壊行為へのさらなる動機付けとなる。警察や消防とのイタチごっこは、彼らにとってはゲームも同然だ。

機動隊員が「サル」や「ネズミ」などといった言葉で若者を罵倒したと情報も報道で流れているが、これは考えられることだ。自分の身を危険に晒しながら、若者と対峙し、追っかけても逃げられ、こちらが退くと今度は石や空き瓶が宙を飛んでくる、という状況の中で、業を煮やした機動隊員がそのような言葉を罵ってしまうのは、想像に難くない(もちろん、それを正当化するつもりはないが)。さらに、機動隊という組織を取り巻くマッチョ文化や訓練時の口の悪さは一部では有名だ(警察は改善する努力をしているようだが)。しかし、そのような罵倒や言葉遣いは、混乱状況の多少激化させたとしても、主要な原因とは思えない。

警察の現状分析によると、暴動に加わっている若者は大きく3つに分けられるという。まず一つ目は、社会的問題を抱えた家庭の子供で、薬物中毒や窃盗などの前科を持つ者や、親が育児を放棄し、公共施設や他の家庭で面倒を見てもらっている若者だ。彼らは以前からその地域の問題児として見られている若者だが、暴動がエスカレートするにつれて、他の地域の同じようなワルがその地域に集まって来てもいるという。これまでに逮捕され(一時)拘留された若者の大部分がこのカテゴリーに属す。

二つ目は、その地域に住む、普段は普通の若者。雰囲気に流されて、集団で破壊行為に手を染めてしまった人たち。そして、三つ目は、この暴動を政治的に利用したい極左の政治活動家。アナーキスト政党のシンパで、騒ぎを起こしたいためにやってくる若者が目撃されており、ストックホルム警察に加えて、公安警察も調査に乗り出しているというのが土曜日朝のニュースになっていた。このグループは、一つ目、二つ目とは異なり、経済的に不自由しない環境で育った若者が多い。彼らは暴動のプロで、騒ぎが始まるのに先駆けて、機動隊が突入してきそうな通路をあらかじめブロックしたりする。火薬や燃料の取り扱い、投石に使う石の確保にも長けている。

一つ目のカテゴリーだけが暴徒であれば、暴動も小規模で済んだだろうが、二つ目、そして三つ目のカテゴリーまで加われば、収束までに少し時間がかかる。

さらに、挙げるとすれば、極右の若者。彼らは、「スウェーデン人」と「移民集団」との分断を拡大させることが狙い。自ら「スウェーデン社会」を守る自警団を名乗りでて、現場に集まってくる。これまでのところ、警察は彼らが暴動勢力と衝突する前に解散させている。スウェーデン社会は今や様々な民族的・人種的背景を持つ人々で構成されているが、彼らはそれが受け入れられない人たちだ。


写真の出典:Svenska Dagbladet


【 ある消防士の問いかけ 】

そんな中、Facebookに書き込まれた、ある消防士の問いかけが大きな共感を呼んだ。

「昨夜、俺たちに石を投げつけた君へ

昨夜、君は俺たちに石を投げつけたね! 20ほどの石片のうち消防車のフロントガラスを突き破って車内に入ってきたのは、幸いにも1つだけだった。幸運にもその時、俺はヘルメットをかぶっていたから、ヘルメットに大きなキズが付いただけで済んだ。幸運にもその石は運転手に当たらなかったから、運転手は消防車をその場から脱出させることができた。だから、彼は今朝、自分の子供を保育所に送り届けることができた。私も帰宅して、ガールフレンドとハグすることができた。夢みたいなハグだった。幸いにも、君が俺たちに投げた石は誰の体も傷つけることがなかった。だけど、君は俺たちの職業生活に未来永劫、傷跡を残すことになったんだよ!

君のお父さんが車で事故を起こして助けが必要なら、俺はいつでもやって来るよ。君のお姉さんが家の台所で火事を起こしたら、助けにやって来るよ。君の弟がボートから海に落ちれば、水がどんなに冷たくても、泳いで助けに行くだろうよ。君のおばあさんが心拍停止になれば、助けにやって来るよ。そして、君自身が3月の晴れた日に氷の上を歩いている時に氷が割れれば、助けにやって来るよ。なのに、なんで君は俺にこんなことをするんだい? 俺にだって、俺に会いたがっている家族がいるんだよ。君と同じようにね!」



出典:Facebook

このメッセージはこれまでに8万回以上シェアされている。

相手が生身の人間であることを忘れれば、どんな残酷なこともできる。そもそも自分が残酷なことをしていると、当の本人が気づいていないこともある。残念ながら、このメッセージが暴動を起こしている張本人たちに届く可能性はゼロではないにしても、小さいだろう。


【 いつ収束するか?】

ストックホルム県警は、この暴動にばかりに自分たちのリソースを割くことはできないとして、金曜日、他の県警にも応援を要請した。ストックホルムは夏に様々なイベントがあり、その警備にも人員を割く必要があるからだという。

現在、波及効果によってスウェーデンの他の地域でも似たような騒動が散発してはいるが、おそらく始まりから10日もすれば沈静化するだろう。既に書いたように私は、そもそもの発端は日々の生活に希望を見いだせず、時間を持て余して、憂さ晴らしをしたい若者が始めた些細なことだと見ているので、彼らが飽きてくれば自然と事態は治まるだろう。それに、実は似たような車への放火は、以前もスウェーデンのいくつかの町で、だいたい2~3年の頻度で起きているが、2週間もしないうちに収まっている。

こういう暴動事件があると、問題となっている「移民地区」には、こういう悪い輩ばかりが住んでいると思ってしまいがちだが、大部分の人々は、経済水準はたとえ低くてもまともな大人たちであり、子供を持つ親たちであり、商売を営んでいる人たちであり、こういう悪い輩をうっとうしいと感じている若者であることを忘れてはいけない。今回の放火や破壊行為によって被害を受けているのも、実はそこに住んでいる人々だ。だから、若者たちは(他の地域からやってきている輩は別として)自分たち、そして自分の親たちの生活基盤を破壊し、自らの首を締めていることになる。

それを分からせようと、住民組織や若者の保護者、自治体の職員による夜間見廻り隊も動いている。路上で屯している若者がいれば声をかけ、悪さをしないように話をしたり、家に返したりする。彼ら自身も、多くの若者と同じく、外国生まれだ。だから、警察が夜間警備に当たるのとは全く異なる。自治体の職員で、その地域の犯罪防止に取り組んでいる、ユーゴスラヴィア系の名前を持つ男性も「自分たちの活動がなければ、Husbyの暴動はもっと酷いものだっただろうと、確信を持って言える」と新聞のインタビューに答えている。


住民による夜間見廻り隊

写真の出典:Polis misstänker "yrkesaktivister"

地域のスポーツセンターやユースセンターも、夜間見廻り隊を組織している。暴動の起きた最初の夜に現場に居合わせた男性は、その見廻り隊のリーダーであり、普段は地域の若者にサッカーを教えている。アラブ系の名前を持つ彼は、インタビューにこう答えている。「我々なら、警察と違って若者に近づいて、話をできるし、石を投げられることもない。彼らを自分の子供のように叱りつけることだってできる。警察が逮捕するよりもそのほうがずっと効果があるんだよ。」 彼は、とりわけ警察のやり方に批判的だ。「総力を結集して機動隊を投入する前に、私たちのような団体に協力を要請して欲しかった。警察が力で抑えこもうとしても、イタチごっこに終わってしまう。地域をよく知る若者は、どこに逃げればよいかよく分かっているのだから。」

ちなみに、夜間見廻り隊は何も暴動が始まってから組織されたわけではなく、普段から活動している。暴動が始まってからは、増員しているようだ。

事態の沈静化に向けた地域住民による活動は、Husby(フースビー)だけでなく、騒動が飛び火したJakobsberg(ヤコブスベリ)など他の地域でも見られる。私の古くからの友人で、大手新聞の記者をしている女性はフェイスブックに「Jakobsbergでの取材から戻ってきた。大人や若者が路上に集まって、自分たちの生活の場を暴徒から守ろうとしていた」と書いている。


住民による夜間見廻り隊

写真の出典:Sveriges Radio


住民による夜間見廻り隊

写真の出典:Sveriges Radio

あともう少し続けたいところだが、今日はこの辺で。続きは明日。