スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

アイスホッケー決勝

2006-02-27 03:18:07 | コラム
オリンピック最終日を飾るのは、アイスホッケー決勝戦。
なんと、フィンランドvsスウェーデン、隣国同士の対決となった。待ちに待った北欧対決だ。(一部の日本の新聞には「スカンディナヴィア対決」とあったけれど、フィンランドはスカンディナヴィアに入るのだろうか・・・?)

第1、第2ピリオドは自宅のテレビで見ていた。2-2、互角の戦いだった。第3ピリオドは、連絡船のカフェに座りながら、ラジオで聞いていた。第3ピリオドが始まって10秒、スウェーデンのロングシュートが決まった。これが決勝ゴールとなり、94年のリレハンメル以来の金メダルとなった。試合終了で、金メダル獲得が決まったときには、乗客も拍手喝采。ラジオで聞いていた連絡船の船長も、思いっきり汽笛を鳴らしていた。

GULD, GULD, GULD!!

私はスポーツにはぜんぜん詳しくないのだけれど、サッカーにしろアイスホッケーにしろ、スウェーデンには独特の強みがありそうな気がする。個人プレーでやたらと目立つ選手がいるわけではないが、チーム全体として押さえる所をしっかり押さえていて、しっかりとした安定性があるのだろう。日本の新聞には「古豪」とあったが、スウェーデンのイメージにぴったりなのかもしれない。さすが、頑丈な車VOLVOの国。

さて、これでスウェーデンのメダル獲得数は、金7、銀2、銅5と、計14個も獲得することになった。過去2回の冬季五輪では金が全くなかったから、今回の活躍ぶりは、この国のスポーツ史に残りそうだ。(ラジオのニュースでは、"Den största svenska medaljskörden i ett olympiskt spel i modern tid"、つまり、"近代オリンピック史上でスウェーデンにとって最大のメダル獲得数になった"と伝えていたが、“近代オリンピック”ってわざわざ言わなくても、と思った。まさか、古代オリンピックにバイキングが参加していたわけでもあるまいし・・・。)

五輪での自己記録を塗り替えたスウェーデン

逆に、お隣の国ノルウェーにとっては、史上最悪の冬季五輪になった。金メダルが期待されていた選手が、次々に脱落していき、メダルまで逃す事態になった。結局、金2、銀8、銅9と、小粒の多くて大粒が少ない結果となった。金メダルの数ではいつもスウェーデンに大幅に勝っていたので、今回、大きく差をつけられたことにショックは大きい。

今回、国別のメダル獲得数は、1位ドイツ、2位アメリカ、3位オーストリアだった。韓国がメダルを11個(金6個)と、奮闘している。スウェーデン人の友達に言わせれば「スウェーデンは人口あたりにしたら1番かもね」だって。日本だって、今回は別としても、国土1平米あたりで比べたら、かなり上位に来るかも。

それにしても、応援できる国が2つもあるのは羨ましいと同僚に言われた。確かに。今回のオリンピックは2倍の楽しみがあった。

オリンピックの実況中継

2006-02-25 20:35:43 | コラム
それにしても、オリンピックの中継で一番肩の力が抜けていると思われるのが、実況中継のアナウンサーと解説者。アイスホッケーの試合では、実況中継というより、一般の観客のように大はしゃぎしていることもよくある。

「そこそこ! 今だ、行け!」

見方のゴール前で小競り合いがあって、点を入れられそうなときは、
「遠くへ! パックを遠くへ飛ばせ! (Bort! Ut med pucken!)」

接戦の末、点が入ったときは、
「Wow, wow, wow, wow, ……」と10連発!

クロスカントリーの中継では、ゴールにかけて接戦が続き、ゴールの直前で、肝心のスウェーデンの選手が転倒してしまった。こんなときは、
「AAAA! Nej, nej, nej, nej, … JÄVLAR! (クソッタレ)」と、Nejの10連発の後に"クソッタレ!"が思わず出てしまった。

肝心の解説のほうも、なかなかいい加減。クロスカントリーで、スウェーデンの選手が2位・3位争いをしていた。ゴールまであとわずかで、その後ろに後続の選手が見えなかったので、
「スウェーデンのメダルは、もう確実になりました。」
とメダル獲得宣言。そのとたん、それまで第4位でカメラから消えていたフランス人が後ろに突然現れて、果敢に追い上げてきて、3人による2位・3位・4位の熾烈な争いに発展。スウェーデンは第4位に落ちてしまった。だから、この後は「メダルはもう確実」なんて安易な発言はしなくなってしまった。

それから、面白いのが、たまに無口になってしまう解説者とアナウンサー。テレビを見ていて、ふと気がつくと、試合の映像だけが無言のまま流れているので、あれっ、解説はないんだ、と思っていると、背後でかすかに「あ~」とか「そう、いいぞ」と解説者の一人つぶやきが聞こえてくるので、な~んだ、いたんじゃない、と気づく。フィギュア・スケートの解説にしたって、たまに沈黙が続いたりする。あれは、もしかして、トイレ休憩(!)なのかもしれない。

------
それにしても、こんな中継じゃ、ラジオで聞いている人には、何がなんだか分からない、と思われるかもしれない。私もそう思ってラジオをつけてみるが、ラジオでは、それより100倍ぐらい早口の人が唾を飲み込む暇がないくらい捲くし立てていたので、心配ご無用。ラジオはちゃんとしているようです。

ちなみに、スウェーデンの公共テレビと公共ラジオは、まったく別組織です。だから報道なんかも、それぞれで取材をしています。

『言論の自由』にまつわるジレンマ

2006-02-23 07:53:27 | コラム
ムハンマド風刺画の問題に際して、イスラム教諸国は国連のアナン事務総長に、宗教冒涜を犯罪として罰する立法を加盟各国に促すように、訴えたという。これに対し、西側諸国の反応は、どんな内容であれ「言論の自由」という原則が優先されるべき、だった。(どこからどこまでが“宗教”か、という定義の問題ももちろんあった)

一方で、第二次大戦中のナチス・ドイツによるホロコーストの存在を否定し続けていたイギリスの歴史家David Irvingがオーストリアの裁判所で3年の禁固判決を受けた。今週月曜日のことだ。オーストリアでは、残虐なナチスによる戦時中の犯罪を否定したり、その程度を過少に評価するような発言を行った場合には、法律による罰則が加えられるのだそうだ。オーストラリアほど厳しいものではないにしろ、フランス、ドイツ、ポーランドにも同様の法律があるのだという。

イスラム教の冒涜に対しては無頓着なヨーロッパ人も、話がナチス・ドイツによるホロコーストになるととたんに敏感になり「言論の自由」に制限をかけることも躊躇しない。今回の風刺画がもし「ユダヤ人」を扱ったものであったならば、とたんに「反ユダヤ的」とレッテルを貼られ、ヨーロッパ諸国はデンマークに黙っていなかっただろう。これでは、イスラム教の人々に目には「ダブル・スタンダード」と映っても無理もない。

このようにヨーロッパでは、近代社会の発展の中で生まれた「出版・言論の自由」という原則が、民主主義の基本的な柱の一つとして絶対視される一方で、国によっては、その原則の適用に例外が設けられているところもあるようだ。上に挙げたホロコーストの例では、ドイツ“第三帝国”に付き従って(従わされて)大きな過ちを犯し、その記憶がまだ癒えない国々で、そのような立法措置が見られるようだ。これらの国の歴史的な背景を踏まえれば、「言論の自由」に対する例外措置も理解できるないでもない。しかし、民主主義の社会で暮らしている以上、誰でも自由に自分の考えを発言する自由も一方である。

では、このようなジレンマ、つまり「言論の自由」vs「“危ない発言”の規制」にどう対処すべきか。この重要な問題に対して、スウェーデンの主要日刊紙DNが、興味深い社説を載せている。

「ウソは暴かれるべきものであっても、刑務所に入れるべきものではない」というタイトルの下「言論の自由は、やはり民主主義社会の根本の原則である。一方で、人々の人権や自由を侵害するような“危ないウソ”は、事実関係との突合せや、社会における活発な議論の中で、その根拠の脆弱さが暴かれるべきだ。法律による罰則を設けるのは、賢明だとは言えない。」としている。このような“二つの正論の衝突”になると、とかく一か八か、というような二者択一論、つまり「悪いものは法律で規制すべきだ、さもなくば、野放しにするのか」という極めて乏しい発想に陥りがちだが、そうではなく、もっと柔軟な考え方もあるのだ、と改めて考えさせられた。

<後記>
スウェーデン語を学習中の方もおられると思うので。何度も登場した「言論の自由」という言葉はスウェーデン語では"yttrandefrihet"です。

SVTのオリンピック中継

2006-02-22 18:11:38 | コラム
オリンピックが佳境に入ってきた。

そういえば、オリンピックや世界陸上、サッカー・ワールドカップなどのテレビ中継は、放映権を獲得するのに莫大なお金がいる。いくら重要な大会だからといって、貴重な受信料によって賄われている公共のテレビが、青天井にお金をつい込んでもいいのか、という議論が日本でも聞かれたことがあった。

さて、スウェーデンの公共テレビSVTはどうしているかというと、オリンピックやワールドカップなどの“お金のかかる”放送に限り、民間スポンサーをつけているのだ。民放のような派手なCMは入れないけれども、各中継の合間に、スポンサー企業のロゴとナレーションが画面上で切り替わる(計15秒程度)。受信料によって支えられる公共放送だから、という枠組みに捕われない、何とも現実的な折衷案だ! スウェーデンでの生活の中で、建前にこだわらないプラグマティズム(“名を捨てて実をとる”的な)をいろいろ目にしてきたけれど、これもその一つに違いない。(ただ、オリンピック放映権の経費のどこまでをカバーしているかは不明)

------
SVTはほぼまる一日、オリンピックを放送しているが、今回から“視聴者オンブズマン”を設けた。日本語にも取り入れられ始めた“オンブズマン”という言葉、市民の立場から行政監査をする、という意味合いで使われることが多い。じゃあ、オリンピック放送の“視聴者オンブズマン”は、例えば、アイスホッケーの試合で「今のはオフサイドじゃない!」「あれが何でペナルティーになるの!? 審判に文句を言え!」とか、そんな苦情をオリンピック委員会に伝えるのか、といえば、そんなことは全然ない。普通の「視聴者からのお便り」コーナーだ。

気さくなオッチャンがいつもスタジオの横に座っていて、視聴者からの質問やコメント、番組に対する注文をたまに紹介するのだ。“オンブズマン”なんてネーミングがいかにもスウェーデン的だけれど、このオッチャン(いつも同じ人)、全国放送の生なのにいつも気軽で、間のつなぎにアナウンサーに話を振られても「いや~、面白いお便りは来てないね~。それにしてもこのクッキー、おいしい。君も食べる?」とか、こんな調子。あるときは、このオッチャンの出番なのに、席に座ってないので、アナウンサーが戸惑っていると、彼がスタジオ横のトイレから帰ってくるところだった。しかも、そんな足取りにカメラを向けて流すから、それもまた笑えた。ちなみに変な人ではありません。多分、普段はスポーツ・アナウンサーか何かをしている人じゃないかな。日本のNHKと比べると、こちらの公共放送はかなり肩の力が抜けていて、いいと思う。

スポーツ休暇とオリンピック観戦

2006-02-20 15:48:02 | コラム
先週の月曜日のこと。

朝の連絡船に乗ってみると、通勤の時間なのに乗客がまばら。大雪で家から出られないわけでもないので、明らかに何かがおかしい・・・。この疑惑は、市内へ走っていく路面電車の中でさらに濃くなっていく。ラッシュ時なのに、空席がある!

そこで気がついた。その週は「スポーツ休暇」(sportlov)であったことを。

「スポーツ休暇」というのは、2月の間に小・中・高の学校が1週間休みになることをいう。一年の中で一番雪が多いこの時期に、しっかりと冬のスポーツを満喫しろ、というのだろう。で、子供が休みなもんだから、親もそれに合わせて仕事を休み、家族でスウェーデン中部や北部、もしくは国外のスキーリゾート地に遊びにいくのだ。

しかも、よく考えてある。スウェーデン中の人々が同時に「スポーツ休暇」をとると、スキーリゾート地もそこまでの交通手段も大混乱してしまう。そこで、町によって「スポーツ休暇」の週が、ずらしてあるらしい。2月のうちのいずれかの1週、ということのようだ。

親のどの程度がこれと同時に休暇を取るのかは分からないが、少なくはないようだ。しかも、この「スポーツ休暇」はスウェーデン社会にかなり根付いていて、雇用者のほうも(特に、公的部門は)理解があるようなので、だとすれば有給休暇なのだろうか・・・? (これは近いうちに調べてみます)

いずれにしろ、この時期に1週間休める人は、なんて贅沢なのだろう! 日中は、スキーを楽しみ、午後から夜にかけては、ビールやワインを飲みながら、トリノ・オリンピックの観戦。外にはオーロラ(スウェーデン北部なら)。しかも、只今、スウェーデンのアイスホッケー、大奮闘です。

スウェーデン的なゆとりの紹介でした。

スウェーデン・西と東の対抗意識

2006-02-16 06:51:38 | コラム
日本で、東京と大阪が互いに対抗意識を燃やしていがみ合い、東京弁や大阪弁といった、かなり異なる方言を使っているように、スウェーデンにも西と東の対抗意識があるのだ。もちろん、これは首都のストックホルムと第二の都市ヨーテボリのこと。

お互い笑って済ませられるアネクドート(笑い話になる逸話)がいくつもある。たとえば、ストックホルム人が言うには「出張でヨーテボリ空港に降り立ったときは、時差のため、時計を10年戻さなけりゃならない」。 最新の流行は、新しいものに敏感なストックホルムからまず浸透し、それがヨーテボリにたどり着くまでに10年もかかる(!?)ということ。確かに、 ストックホルムは地下鉄が走っているのに、ヨーテボリはオンボロの路面電車で満足している!

逆に、ヨーテボリ人に言わせれば「ヨーテボリこそがスウェーデンの表玄関」なのだ。つまり、ヨーテボリは、文化の先進国、イギリス、フランスに向かって開けており、新しいものはここから入ってくるのだ。中世でも、当時の先進国ドイツのハンザ同盟はまず、ヨーテボリに商館を建てていたし、スウェーデン版の「東インド会社」もヨーテボリで創設された。ヨーテボリ人にとってみれば、ずっと東に位置するストックホルムは単に東方への防波堤。その向こうには、冷徹なロシアが広がっているだけ(正確にはフィンランドがあり、その向こうにロシア)。冷戦中も“ソ連が攻め込んで来たら、トットとくれてやる端っこの町”だった。

メンタリティーも大きく違う。関西人が陽気で人懐こいように、ヨーテボリ人もユーモアがあって陽気なことは有名だ。悲しいことでも、くよくよせずに、笑ってはね飛ばす気軽さ。これは、ヨーテボリ方言にまさに現れている。スウェーデン語を勉強した人なら分かるかもしれないが、スウェーデン語特有の上下抑揚をさらに強調し、しかも語尾を常に上げ調子で言い切る。(この点、ノルウェー語の特徴と共通しているのではないかと思うが、まだ未確認) ストックホルム人がおしゃれ好きで、いつも流行を意識し、よそよそしくツッパって、常に忙しくしているのに対して、ヨーテボリ人は造船業と船乗りたちの労働者の町。人生どうにかなると、気楽だ。そんなこともあってか、スウェーデン人の有名な作家やコメディアンには、ヨーテボリ出身の人がたくさんいるのらしい。

そんなヨーテボリ人の誇りは、町の中心の大通り。通称「Aveny(アベニュー)」と呼ばれ、パリのシャンゼリゼ通りを真似たとか(ははは、パリ人に笑われてしまう!)。そして、その突き当たりにある噴水の広場「Götaplatsen(ヨータプラッツェン)」の階段に腰掛けて、開けた町の風景を眺めながらのんびりと日向ぼっこをしようものなら「ああ、ここは小ロンドン (Lilla London)」という錯覚にも陥ってしまうのだ(あ!今度はロンドン人に笑われてしまう)。


GötaplatsenからAvenyに向けての眺め

ヨーテボリの大学に通い始めてから1年半、そしてヨーテボリに移ってきてから半年。ヨーテボリが大分、気に入ってきました。

ザリガニ・パーティーの危機?

2006-02-12 07:56:58 | コラム
スウェーデンの伝統の危機?

といっても、これは日本での話。スウェーデンでは8月の終わりにザリガニ漁が解禁になり、ザリガニを食べる習慣がある。[以前のブログ]

ザリガニを食べる習慣は日本にはなく、よって日本でも食用のザリガニは生産されてないかと思いきや、実は北米産の「ウチダザリガニ」という種が北海道・阿寒湖で収穫され、「レイク・ロブスター」として、東京の一流レストランなどに出荷されているのだそうだ。

在日のスウェーデン人も大使館を中心に集まり、この「レイク・ザリガニ」を利用して、日本でも“ザリガニ・パーティー”をやってきたのだそうだ。(日本に来てまでも、ザリガニを食べたい、なんて、根性ありすぎ)

しかし、このウチダザリガニが、2月から外来生物法の「特定外来生物」に追加指定され、環境省の許可を受けたレストランなどにしか生きたままでの販売ができなくなるという。観光客や話を聞きつけて注文する個人には、今後は生きたままの販売が禁じられる、ということだ。そのため、このスウェーデンの「ザリガニ・パーティー」の存続も今後は危ぶまれるとのこと。

記事のリンク
これも関連記事

さて、今後の展開として、スウェーデン大使館が日本の環境省に抗議したりして、デンマークみたいに外交問題に発展するのか? それとも、冷凍モノで我慢するようになるのだろうか・・・?

職場のキッチンには必ず電子レンジ

2006-02-07 13:00:23 | コラム
どこの職場のキッチンにもたいてい電子レンジが置いてある。大学でも学部の学生向けに10数台の電子レンジが食堂横に並んでいるので、タッパーに入れたお弁当をチン!できるのだ。だから、夕べの残り物なんかを持ってこれる。スウェーデン人はあまりたくさんの量を食べないので、タッパー1つでたいていは事足りる人が多い。

昼ごはんを外食しようとすれば、大学のカフェテリアでも40kr(600円)、普通のレストランなら50kr~65kr(750円~980円)が相場だ。だから、お弁当を持っていって、電子レンジで温めるだけなら、かなり安上がりになる。しかも、やはりここはスウェーデン。外で食べるといっても、そんなに美味しいものがたくさんあるわけでもない。だから、ランチだけにそれだけのお金を払うのはもったいない、と思ってしまうのだ。

経済学部の研究室がある別館にも、ちゃんとキッチンがあり、電子レンジが3台置いてある。だから、私も、前日に多めに夕食を作って持参したり、週末にまとめて料理をして、その後はタッパーに小分けして冷凍保存したものを、持っていくことが多い。私のお弁当はいつもタッパーに2つか3つ持っていくので、小柄なくせにたくさん食べると、周りは唖然としている。

でも、やはり料理の時間もないときは、苦肉の策がある。ゆでたスパゲッティーにベーコンの切り身か冷凍のミートボールを入れ、市販のスパゲティー・ソースを掛けてタッパーに押し込むのだ。どうせ、レンジにかけるのだから、ベーコンやミートボールがいくら生でもお構いなし。この時も、パスタを2人前か3人前くらい、持って行くので、食べすぎ、と笑われる。

------
そういえば、一度面白い光景を目撃したことがある。学部生のときの話だ。ヨンショーピン大学の2階には10台も電子レンジが並んでいるのだけれど、12時から13時までのお昼時は学生が殺到し、長い行列になることもある。弁当箱を半分あけて並んでいる女の子の横を、別の学生がすり抜けようとした。

思わず肘があたって、弁当箱が吹っ飛んだ。しかも半空きだったから、中身は絶望だと思われた。しかし、中のラザニアはスローモーションのように弧を描き、無事ふたの上に着地! あまりに見事だった。肘をぶつけた学生は一言、ああよかった、と言って、その場を後にしたけれど、もし、床に散らばったりしていたら、どうしていたのだろうか。

渦中のデンマーク(3)-移民・難民政策 編

2006-02-06 23:51:52 | コラム
週末に中東にあるデンマークの大使館が相次いで焼き討ちにあっている。繰り広げられるデモの多くは、平和的なものであるのだけれど、一部の過激派が民衆の怒りを政治的に利用して、暴力的に導こうとしているようだ。レバノンではスウェーデン大使館が、デンマーク大使館と同じ建物に入っているために、被害をもろに食らっている。それから、中東に出回るデンマーク製品の主要なものの一つに、Arlaの酪農製品が含まれている。Arlaというのは、スウェーデンとデンマークの酪農生産者による協同組合で、デンマーク側では既に生産量が激減している。

今回の風刺画のいさかいは、国王でもイエス・キリストでもゴシップや風刺画の題材にしてしまう北欧の国々にとってはなかなか理解しにくい話だ。一方で、その事件の背後には、デンマーク社会のイスラム教に対する絶え間ない不信感があったのではないか、ということだ。つまり、デンマーク社会自体に、そもそも潜在的な火種があったのだ、という見方がある。それはこういうことだ。

------
海峡を挟んで向かい側同士の国だけに、とかく比較されがちなデンマークとスウェーデンだが、顕著な違いの一つは、見知らぬものに対する寛容さ、だといわれる。国民性の比較でいうと、一般にスウェーデン人は控えめで、自分たちのことを自慢したり、ひけらかしたりするのを好まない、そして、他人とのコンフリクトを避けたがる、と言われる。新しい文化が入ってきて、それがスウェーデンの伝統と抵触する事態になっても、意外と簡単に妥協して受け入れたり、寛容性・理解を示しがちだ、とも言われる(もしくは、少なくとも不信感を表立って表現したりはしない)。これに対し、デンマーク人は保守的で、自分たちの“こだわり”を簡単には捨てようとしない。

このような国民性の比較は、もちろん容易ではない。国民一人一人それぞれだから、どうしても“平均的”デンマーク人とスウェーデン人の比較になってしまう。じゃあ、その“平均的”って何? 国民の1割でも、ある共通の特徴を示せば、それがその国の国民性に数えられるのか?などいろんな問題もあるが、ある一かたまりの人々が長い間、別々の地域で住んで、文化を形成してきたことを考えれば、二つの国の人々の行動や考え方のパターンに違いが見られるようになっても、おかしくない。

さて、この国民性の違いが顕著に見られるようになったのが移民政策においてだ。スウェーデンでもデンマークでも、60年代や70年代は高度経済成長を背景に、深刻な労働力不足が生じ、イタリア人やユーゴ人を始めとする労働移民が歓迎された。しかし、80年代、90年代になると、労働需要が飽和するようになった一方で、紛争や貧困などによる、難民が受け入れが多くなってきた。働き盛りの若者が多く、しっかり働いてくれた労働移民とは異なって、難民は年齢層も子供から高齢者まで多様で、しかも教育水準も低いケースが多いから、受け入れられ先では国の生活保護に支えられることになる。

そんな中、スウェーデンでも国の“お荷物”になる難民の受け入れを制限し、むしろ、積極的に追い返すべきだ、という声が聞かれるようになったり、外国人排斥運動などが突発的に顕著になったりしたこともあったが、一時的なものに留まってきた。人道的な配慮からの難民の受け入れは重要だ、という考え方が依然支配的だった。典型的な例としては、経済恐慌に襲われた91年から94年の間に、8万人に上る難民をボスニアから受け入れ、彼らの多くに国籍まで与えたのは、驚きに値する。

一方、デンマークでは外国出身者、特に、中東系のイスラム系の移民・難民に対する不信感が強まってきて、難民流入や移民の認可の大幅な制限を求める声が強まっていった。現在、政権を握っている自由党に閣外協力をするデンマーク国民党は、人気取りの右翼政党といわれ、まさにこれを公約に掲げて票を集め、2001年の選挙で大躍進した党なのだ。


党首のPia Kjaersgaad(写真)は、2001年の選挙では、とりわけ“イスラム文化の脅威”を訴えていた。これに対し、隣国であるスウェーデン国内でもこの党の偏見的プロパガンダに対する懸念の声が上がっていた。そして、このデンマーク国民党が、とかくこの党と姉妹党のように思われているスウェーデン国民党(自由党)と党首対談をするTV生中継が行われた。この席で、スウェーデン国民党の党首が思いっきりデンマーク国民党の選挙ポスターをちぎり捨てる、という事態まで発生した時には、私も一緒に見ていた友人と仰天したのを今でも鮮明に覚えている。(そのパフォーマンスは、その後スウェーデン自由党の支持率を引き上げた。)

現在、デンマークの移民政策は、EUのなかでも一番制限が厳しい、というデータもある。一つの例としては、国籍取得を目的とした“偽装結婚”を恐れるあまり、国際結婚にも支障を来たす事件も起こっている。例えば、デンマークの男性と結婚した韓国人の女性に、デンマークでの居住ビザが下りず、この新婚夫婦はスウェーデンで居住ビザを取得し、スウェーデン南端の町マルメに引越。そこから毎日、橋を渡ってデンマークに通勤する羽目になった、というエピソードはスウェーデンで大きく報じられた。(たしか、これも2001年くらいの話だったと思う。それにしても、この例からも、スウェーデン政府の移民政策がデンマークのそれと対照的であることが分かる)

デンマーク国民党は、さらなる法案を提出予定のようだ。たとえば、これまでは社会統合政策の一つとして、アラビア語やその他、移民の言語による社会情報の提供が公共機関によって行われてきたが、それを廃止する、というもの。それから、犯罪を犯した移民・難民は、デンマーク国籍を返上の上で、国外追放。その家族も同様。それから、デンマーク政府に批判的な発言をしたイマーム(イスラム教の牧師)は即刻追放。などなど。

しかし、移民や難民をはじめとする外国人に対する、このような嫌悪感は、何も一部の人気取り政党だけに特有なのではなく、デンマークの人々に幅広く行きわたっているようだ。主要政党であるデンマーク社会民主党ですら、現在の移民・難民政策を維持することを主張している。このような話を総合するに、この背後にはデンマークの国民性が反映しているのではないか、という主張にも一理ありそうな気がする。

こんな風に、移民や難民、特にアラブ系の人々に対する感情は、二国で大きく異なる。“移民・難民の受入国の社会への統合”はスウェーデンでもまだまだ不十分と言われるが、デンマークはそれよりもまだ遅れているどころか、政府自身にその意志が見られないようだ。さらなる顕著な例は、スウェーデンではストックホルムを始めとして、主要な町の多くにイスラム教のモスクが立てられているのに対し、デンマークではコペンハーゲンですら、ほとんど見られない、ということだ。

元に戻って、風刺画の話だが、アラブ人やイスラム教徒を見下す風潮は、デンマーク社会一般に広く浸透していて、今回の風刺画掲載もたまたまデンマークで起こったのではなく、その潜在性が以前から蓄積されていたのではないか、ということだ。

-----
以上で、風刺画事件に関する記事はひとまず終わりにします。以前から、デンマークとスウェーデンの対照的な移民・難民政策について、書いてみたかったので、いい機会になりました。

渦中のデンマーク(2)

2006-02-04 07:22:27 | コラム


事の始まりは、デンマークの大手紙Jylland Postenが一つの特集として、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を十数人の絵描きに依頼して、新聞に掲載したことだった。特集の狙いは、神聖視される宗教を題材した風刺に挑戦することだったという。あえてタブーを破ってみることも、言論の自由を擁護する報道の義務でもあるし、新しい芸術もこういう挑戦から生まれてくる、という考えだったらしい。それに先駆けて、スウェーデン・ヨーテボリでも比較的新しい博物館、Warld Culture Museum (Världskulturmuseet) が展示物の一つを、イスラム教の人々の感情を傷つける恐れがある、ということで、自己規制により非公開にしたことから、Jylland Postenの編集長が、今回の特集のアイデアを閃いた、と言われる。

しかし、デンマークの移民・難民に対する社会統合政策は、随分遅れているといわれる。特に、イスラム教徒に対する風当たりは強い。デンマークの政府や社会が彼らに対して、懐疑的な態度を取りがちだ、ということだ。だから、根っからの“デンマーク人”とそれ以外の人々の間に、いざこざが以前から生じていた。だから、そんな社会の空気に配慮せずに、言論の自由だから、ということで、挑発的と受け取られる風刺画をあえて掲載した、デンマークの新聞社は、配慮が足りなかった、といわれても仕方がない。不必要に一部の人々を傷つける必要性があったのか。それをあえて実行に移した編集部は、社会的責任をしっかりと負うべきだと思う。

一方で、出版の後の、イスラム教世界からの批判が必ずしも正当なものである、とも言えなさそうだ。つまり、イスラム教の国々が挙ってデンマーク政府を批判し、エラスムセン首相に謝罪を求めているのは、ちょっとお門違い、ではないかということだ。発行物の内容の責任を負うのはあくまで発行者であり、政府や国家ではない。検定や検閲でもあるまいし、民間の出版社が発行するものに一つ一つ目を通して、認可をしているわけではない。だから、謝罪するのは発行者であっても、政府や国家ではない。

今回、政府や国家として大きな声を上げて、新聞社だけでなく、デンマーク政府にまで謝罪を求めている国の多くが、独裁政をしいているか、まだまだ未熟な民主国家であるのは注目に値する。成熟した民主国家において“開かれた社会”が維持されるためには、政府の統制のない、自由なメディアの発達がどれだけ大きな意味を持つのかを、理解していないと思われる国々が多いようだ。例えば、今回の問題の責任をデンマーク政府に問うことは、政府がしっかりとメディアや国民のすること、言うことに目を行き届かせて、検閲すべき、ということと同義ではないのだろうか。

だから、デンマークのエラスムセン首相が、去年の秋の時点で、イスラム教の国々からの駐デンマーク大使らに再三、面会と謝罪を求められ、どちらとも断ったのは、そういう考えからだったのだと、うなずける。

今回の対立は、様々な側面を含んでいるようだが、上に挙げた点を考えると、根本的な問題の一つは、開かれたメディアに対する民主主義社会と全体主義社会における考え方の違い、という単純な点だと、いうことかもしれない。ハンチントンの唱えた「文明の衝突」だ、という人もいるようだ。

さて、騒ぎが拡大する中で、フランスのある新聞が問題の風刺画を一面大々的に掲載してしまった。彼らの言い分は、Jylland Postenを擁護し、言論の自由を防衛するためだ、というものだ。しかし、イスラム教社会がこれだけ反発している中で、あえて火に油を注ぐような行為は、いくら言論の自由とはいえ、これこそ配慮が足りない、といわざるを得ない。自由とは、好き勝手に何でもしていい、というわけではなく、自ら決断して実行したことの結果に対して責任を負う、ということも含むのだから。

フランスに続いて、他の国も風刺画をここ数日のうちに掲載した。風刺画の特集に加わった10数人の絵描きは、暗殺という脅迫のもと、今やデンマーク警察の保護の下にある。これがもしや最悪な事態になりでもすれば、これはまさにその風刺画が描こうとした“イスラム”=“テロ・暴力・野蛮”というステレオ・タイプを証明することになり、デンマークを初めとするヨーロッパ諸国のイスラム嫌悪感をますます助長するだけで、さらなる悪循環となってしまう。

(つづく)

渦中のデンマーク(1)

2006-02-02 07:14:05 | コラム


デンマークが危機に立っている。ことの発端はこうだ。デンマークの大手日刊紙が去年の9月末、新聞の挿絵にイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を使った。そこには陰険なテロリストに扮したムハンマドが描かれていた。直後に、イスラム圏の国々がデンマークに対して抗議をしたり、風刺画を書いた作者に殺人を仄めかす脅迫状が送られたりした。このような抗議活動もここまで大きなニュースになるほどではなかった。

しかし、今年に入ってから、デンマークに対する不信感に再び火がついた。ノルウェーのキリスト教系の雑誌が、この風刺画を掲載したのだ。直後からパレスチナやイラクを始め、エジプトやサウジアラビアなどのイスラム教圏の各地でデモが起こり、デンマーク人に対する脅迫やデンマーク製品のボイコット運動がここ1、2週間で日増しに激化している。赤地に白十字のデンマークの旗も燃やされている。しかも、スウェーデン人もこの騒ぎの中で一緒くたにされ、とばっちりを受け始めている。被害を未然に防ぐため、デンマークやノルウェーだけでなく、スウェーデンの大使館職員やビジネスマン、NGO職員なども、これらの地域から一時的に退避を始めている。そのため、スウェーデン国内でも一大ニュースになっている。

1989年に“悪魔の詩(うた)”という本が西側世界で出版された際には、イスラム教圏で大問題になったが、今回の事態も第二のケースになるのではないか、との声もある。

デンマーク本国でも、件の新聞社に対して爆破予告が昨日と今日、立て続けにあったり、イラクに駐留するデンマーク軍にも脅迫があった。アメリカのイラク戦争にずっと協力してきたデンマークに対しては、根強い反発が以前からあった。これも拍車を掛けている。

それにしても、問題となっている風刺画の出版から4ヶ月も経った今になって、イスラム教の人々の怒りが爆発したことに、北欧の人々は驚きが隠せないようだ。ふとしたところで、再び火がつき、それが見る見る間に大衆的な抗議活動に発展していったと思われる。そして、扇動された大衆感情が、反欧米感情を掲げるグループに利用されている。

今回の風刺画のいさかいは、国王でもイエス・キリストでもゴシップや風刺画の題材にしてしまう北欧の国々にとってはなかなか理解しにくい話だが、単なるカルチャー・ショック以上の根本的な問題も含んでいそうだ。

(追記:TTさん、追加情報ありがとうございました。一部訂正しました。)