スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

エジプトの民主化運動

2011-01-30 23:34:50 | スウェーデン・その他の政治
北アフリカのチュニジアで始まった反政府・民主化デモが政府を転覆させ、その波が他のアラブ諸国に波及しようとしている。アルジェリア、ヨルダン、イエメンなどにも広がるなか、エジプトでも独裁体制をとってきたムバラク大統領に対するデモが激化している。

通常、多くの人が参加する金曜日のイスラム礼拝だが、先週の金曜日にもエジプト各地において、礼拝の参加者がそのまま街に繰り出し、大規模なデモ活動を展開した。不満を抱える人同士が、簡単にやりとりし、誰かの呼びかけに賛同して大きなデモを展開することが可能になったなったという点で、FacebookやTwitterなどをソーシャル・メディアの役割は大きい。ムバラク大統領はインターネットや携帯回線を切断したり、閣僚を交代させて、不満を解消させようとしたが、そのような小手先では民主化を求める人々の不満は収まらない。ムバラクは、公安部長を副大統領に任命し、自身の後継者とすることを目論んでいるようだが、この様子だとムバラクの独裁体制も長くはなさそうだ。

チュニジアで政府を覆した民主化運動は、68年にチェコで起こった民主化運動にちなんで「チュニジアの春」といった言葉や「ジャスミン革命」といった呼称が使われている。そして、それが他のアラブ諸国にも波及している今、80年代末から90年代初めにかけて東欧の旧共産国が次々と瓦解していった動きになぞる見方もある。

スウェーデンのテレビや新聞も、チュニジアでの政変以来、この動きを大きく取り上げているが、ネット上でもアルジャジーラのサイトで現地のライブ報道を見ることができる。この週末は、街頭に繰り出している大勢の人々を映すと同時に、国営テレビがどのような報道を行っているかをリアルタイムで見せてくれた。簡単に想像がつくように、国営テレビの側は閣僚の動きを追い、政府が事態をいかにうまく収拾させているかを強調している。また、アルジャジーラは外国のプロパガンダを流しているから見ないようにと、国民に訴えてもいた。

また、アルジャジーラの中継を見ていると、バックグラウンドに戦闘機の爆音が立て続けに聞こえた。空軍が低空飛行を行い、デモを威圧しようとしているのだろう。一方、街頭で警備にあたっている陸軍のほうは、立場がよく分らない。よく見かける光景では、デモ隊と一緒に仲良く大騒ぎしているなので、必ずしも敵対しているわけではないようだ。他方で、警棒と催涙ガスでこれまで対抗していた警察は、姿を見せなくなり、街の一部では無法状態になりつつある。夜間外出禁止令も効力を持たなくなっている。

イスラム諸国で巻き起こっている民主化の動きは、一方では、中流階級が政治の実権を握るエリート階級の汚職や横暴、そして経済運営の失敗に我慢ができなくなり、他方では、貧しい階級が日々食べるものに事欠くなかで、自分たちの生活を何とかしてほしいと要求するようになり、その両者の目的が一致し、力を合わせたことが背景にあるようだ。振り返れば、エジプトは1960年代には韓国と同じ生活水準だったというが、今では韓国が4倍も差をつけてしまった。そして、人口の4割が一日200円以下で貧しい生活をおくっている。グローバリゼーションの中で、他国との経済格差が拡大するばかりであることに人々が気づいたのだろう。今までは反対の声すら上げられなかった人々が、一時的な自由を手に入れた開放感は見てみて面白い。「今まで考えられなかったことだが、何もかもが可能だと感じられる」とインタビューに答えた人がいた。ちなみに、デモの映像に通常映っているのは男がほとんどだが、スウェーデンの公共テレビはデモに参加している若い女性(学生)に焦点を当てて取材をしていた。

イスラム諸国の民主化が一気に進展するようになれば、素晴らしいことだと思う。「プラハの春」のように力で抑えつけられてしまう可能性もあるが、ムバラク大統領もここまで発展した反政府デモを今から力で抑えつけることは難しいだろう。幸いにも、54年のハンガリーや68年のチェコのように外から軍隊がやってくることはなさそうだ。問題は、これまで独裁政権と手を結んで彼らを「自国にとっての重要な同盟国」と呼んできた、アメリカの出方だろう。

もう一つの不安要因は、政治の混乱に乗じてイスラム過激派が政権を取る恐れがあるかもしれない、ということだ。ムバラク政権に活動を禁止されてきた過激派グループは、反政府という立場から今のところは民主化を求める中流階級や労働者階級と手を取り合っているが、独裁政権が倒れたときに彼らがどのような動きを見せるのか気になるところだ。しかし、スウェーデンの大手日刊紙の論説委員がこう書いていた。「宗教原理主義者が政権を奪うという恐れは確かにある。短期的にみれば、現体制を維持することのほうが、彼らに政権を明け渡すことよるもマシだというケースもある。しかし、長い目で見た場合には、それが現体制の維持を擁護し正当化する理由にはならない。」(安定の維持を言い訳にした民衆の抑圧は、まさに中国の共産党政権が常に取ってきた手だ、と付け加えている。)

ちなみに、下の画像は中東情勢を伝えるアメリカのFox Newsのもの(出所)


エジプトがあそこということは、イラクの場所も分からないようだ。ブッシュ政権とともに、アメリカ世論を煽り立ててイラク戦争を始めた「狐ニュース」が、実はそのイラクがどこにあるのか知らないというのは、笑える話だ。驚きはしないけど。

いっそのこと0歳児も含めて国民全員に参政権、というアイデア

2011-01-26 22:54:29 | スウェーデン・その他の社会
選挙権・被選挙権ともに18歳以上であるスウェーデンでは、18歳の国会議員や市議会・県議会議員が誕生することも珍しくないことを、このブログでも書いてきた。

この18歳以上、という制限をさらに下げて16歳以上にしようという声は、環境党などを中心に以前から上がってきた。しかし、さらに斬新なアイデアがある。いっそのこと、0歳児も含めて国民全員に選挙権を付与してはどうか?というものだ。

そんな奇抜なアイデアを打ち出しているのは、ヨーテボリ大学政治学部ロースタイン(Rothstein)教授だ。正確に言えば、子供が自ら判断して票を投じるというよりも、保護者が子供の立場から彼らの一票を代理で投票するという考えだ。彼は新聞のオピニオン欄に自身の主張を展開し、ラジオの時事問題番組でもインタビューを受けていた。


彼の主張はこうだ。幼い子供や児童・生徒育児・保育・教育といった公共サービスを利用している。これに対し、大人であれば様々な社会保険制度や年金制度、医療制度、高齢者福祉サービスのほか、大学教育や職業教育といったサービス、障碍者であれば様々な支援サービスを利用している。それならば、幼い子供や児童・生徒にも公共社会サービスの他の利用者と同じように、自分たちの声を投票行為を通じて政治に反映させる権利を与えるべきではないか、というわけだ。彼らは政策の動向によって大きな影響を受けているにもかかわらず、現状では彼らの声を政治の場で代弁する者がいない

でも、育児・保育・教育サービスの利用者としての一票は、子供の母親・父親が既に行使している、という反論も聞かれよう。

しかし、ロースタイン教授の主張のより本質的な狙いはさらに一歩先にあるようだ。日本ほど速度が早いわけではないにしろスウェーデン社会でも人口の高齢化が徐々に進行しつつある。有権者の人口構成もそれに伴って変化していくから、政治権力の重心が徐々に高齢者へと移動していると見ることもできる。政党の側にとっても中高年以上の有権者の票がますます重要になってくるから、打ち出す政策案も高齢者向けのものに重点が置かれてくるようになるだろう。

すると、これからの時代を担う若い世代を考えた政策が相対的に少なくなり、彼らの声が反映されにくい、窮屈な社会になってしまうかもしれない。

そういえば、昨年の選挙キャンペーンの際に、そんな兆候の一端が少し見られた。高齢者・年金受給者の有権者がこれまで以上に注目を受け、どの政党もこぞって彼らの有利になる減税案を打ち出し、票の獲得に走ったのだった。

(高齢化社会において様々な公共サービスの財源をきちんと確保するためには、より多くの人が働き社会に貢献し、税金を納めていくことが必要だ。高齢の人でも健康で意欲のある人にはなるべく長い間働いてほしい。もちろん無理に強いるわけには行かない。しかし、例えば税率や社会保険料率に差をつけることでより長く働くことが得になるというインセンティブを与えることはできる。だから、その一環として勤労所得に課せられる所得税は、年金所得にかかる所得税よりも若干低く設定されている。しかし、その差をほとんどなくしてしまおうと、多くの党が主張したのだった。)

だから、次世代にとっても明るく、活力のある社会を作り出していくためには、0歳児から17歳までの国民にも参政権を付与し、政治権力のバランスを若い世代に戻す必要があるという主張は、非常に面白い(正確に言えば、新たな参政権を与えられるのはその親である20代後半から40代の世代だが、次世代である自分の子供のことを考えた票を投じやすいだろう)。確かに、政治の場における意思決定には、例えば財政の借金や、気候変動対策・少子化対策(の怠慢)などのように次世代の社会に大きな帰結をもたらすものも多い。だとすれば、ロースタイン教授の主張する方法がベストかどうかは別として、何らかの形で次世代の声を現在の政治決定に反映できるようなシステムが必要だろう。

ロースタイン教授のこのアイデアは、あくまで「空想の上での実験」であり、現時点での実現性は全くない。また、彼の主張は「高齢者は自分たちの世代の利益最大化のみを考えて票を投じる」という仮定のもとに成り立っているから、実際はそうではない、という反論もあるだろう。しかし、少子高齢化社会が抱える政治上の潜在的なリスクを端的に表現したものだと感じる。

折りしも2日前に、京都大学時代のある先生からメールを頂いた。その方がメールの中で指摘しておられたのは「日本社会の高齢化が進むなか、若い世代は自らの活力や独自性を社会の中で発揮することが難しくなっている」ということだった。この世代間における代表性のアンバランスの問題は、スウェーデン以上に日本で深刻な問題となっていくだろう。政治の場における若い人々の声を保障するために、例えば、今の参議院を再編し、年齢別に分けて、各世代が自分たちの代表者を選んで国会に送り込む(つまり、各州ごとに議席が確保されたアメリカ上院や身分制の時代の議会のように)なんていう奇抜なアイデアがあってもいいのではないかと思う。

そうなれば、歳出のほぼ半分を借金で賄い、その返済を次世代に押し付けているような政治がいつまで続けられるだろうか?

『長くつ下のピッピ』のように強いスウェーデン経済

2011-01-24 02:10:52 | スウェーデン・その他の経済
金融危機以降のスウェーデンの景気回復他のOECD諸国よりも早く、また政府の債務残高も非常に少ない国の一つであるため、OECDが先日、スウェーデン経済に関する定期レポートを発表した際にも「スウェーデン経済は『長くつ下のピッピ』のように強い」などといった表現を使って評価していた。また、財政も健全であることに対しても「人口の高齢化がもたらす財政への圧力に対応する準備が他のOECD諸国よりもうまくできている」と述べていた。


長くつ下のピッピ

経済成長率は嵐が去った後の昨年2010年5.2%と非常に高かった(ただしその前年の落ち込みが大きかったことに対する反動)。スウェーデン中央統計局が発表する最新統計である2010年第3四半期は前年同四半期と比べて6.9%も成長したというから、景気回復の強さが分かるだろう。OECDによると今年以降も3~4%を保つと見られている(この予測はスウェーデンの様々なシンクタンクや中央銀行の予測と一致する)。


GDPの実績値と予測

他方で、失業率は減少を見せており、最新統計である2010年11月の数字(スウェーデン中央統計局)を見ると7.1%となっているが、金融危機以前の5~6%という水準に戻るまでにはもう少し時間がかかりそうだ(一般に経済成長の回復と失業率の低下にはタイムラグがある)。

ちなみに、求人数が回復していないのかというと、そうでもなく、失業率の下降が遅々としている一方で、業種・企業によっては人手不足にもかかわらず適した技能・経験を持った人材が見つからない、これでは成長したくても成長できない、と悲鳴を上げているところもある。例えば、高度な技術者・エンジニアの一部がそうだが、そのようなハイテク部門だけでなく、トラックの運転手や建築労働者などといった職でも人手不足が問題になっている。そういえば、現政権は積極的労働市場政策の中でも、短期の労働訓練などを軽視し、サーチング(仕事探しを積極的にさせる)の政策に重点を置くようになり、大きな批判を浴びていた。昨年末に話を聞いた労働経済学専門の教授や労働組合のエコノミストも「短期の労働訓練で確実に仕事につながる職種もあるのだから、そのような労働訓練に再び重点を戻すべきだ」と主張していたが、全くその通りだと感じた。

順調に回復するスウェーデン経済だが、昨年後半からこれまでのスウェーデンにおける議論を聞いていると、不安要因はいくつかある。

まずは、クローナ高だ。リーマンショックの直後、スウェーデン・クローナがユーロやドルに対して大きく減価した。しかし、スウェーデンの景気回復がヨーロッパ諸国の大部分やアメリカよりも早い上に、特にヨーロッパの一部は深刻な財政危機を抱えているからユーロが売られている。結果として、スウェーデン・クローナがユーロやドルに対して再び価値を高めることとなった。だから、国際競争力の低下が懸念される。

もう一つは、政策金利の上昇だ。景気が順調に回復しているものの、失業率が以前の水準に比べたらまだ高いために、本当は政策金利(公定歩合に相当)はもうしばらく低く抑えておきたいところだ。しかし、物価の上昇率(インフレ)が思ったよりも早く上昇している。だから、インフレ・ターゲット2%±1%に設定しているスウェーデン中央銀行は、利上げを相次いで行わざるを得ない状況となっている。


物価上昇率

いや、インフレ率の上昇以上に問題なのは、不動産市場が加熱していることだ。金融危機以前からその兆候が長く続いており、金融危機を受けて少し冷え込んだのも束の間。既に2009年の半ばから再び加熱している。住宅ローンの貸出残高も大きく伸びており、放っておくと危険という見方もある。住宅価格の上昇がファンダメンタルズを反映したものか、それともバブルか?に関しては、大きな議論が続いてきた。新聞やテレビもニュースの中で何度も取り上げてきた。実際のところ、所得税減税や住宅資産課税の減税などがあったため、これが影響を与えていることは間違いないだろう。しかし、現在の低金利も大きく影響しているし、それがバブルを生み出している可能性も否定できない。

だから、金融危機直後に0.25%という史上まれな低水準に至った政策金利も、昨年の夏ごろから徐々に引き上げられて、現在すでに1.25%となっている。今年終わりまでには2%を超えるものと見られている。中央銀行の政策金利を決定する委員には、利上げを主張するタカ派ハト派よりも多く、不動産市場の動向次第では利上げが予測よりも前倒しされる可能性も大いになる。


これまでの政策金利の推移と今後の予測
(中央銀行の資料からだが、マイナスになることはないのだから、ちょっと変)

さらに大きな懸念は、政策金利の上昇が為替レートをさらなるクローナ高に導いてしまうことだ。だから、利上げのスピードがECBやFRBより早ければ、クローナ高はますます強まるだろう。

WD製ハードディスクのIntellipark機能を無効にする方法

2011-01-21 14:14:59 | コラム
1ヶ月ほど困っていたことの解決法を見つけたので、役に立つこともあるかと思い、メモしておきます。

ノートパソコンの内臓ハードディスクの容量を増やすために、Western Digital製ハードディスクに買い替えた。購入してから分かったことは、Intelliparkという「優れた」機能がついていることだった。これは一定期間ディスクへのアクセスがない場合に、ドライブを停止させ、記録ヘッドをディスク表面から退避させるというもので、ヘッドの磨耗を低減し、消費電力を抑える「優れた」新技術とメーカー側はPRしていることが分かった。

しかし、実際に使い始めると実に厄介だ。デフォルトでは7秒間か8秒間、ディスクへのアクセスがないだけで、ハードディスクが停止し、ヘッドが自動的に退避してしまう。そして、パソコンが再びディスクへのアクセスを行うと、ディスクが再稼動し、ヘッドがディスク上に戻るのだが、そのときにパソコンの動作が2、3秒間フリーズする。文章を書いているときには非常に厄介だし、音も気になる。

英語のサイトも日本語のサイトも検索してみたが、この「新機能」には多くのユーザーが頭を悩ましているようだ。私もこのことを知っていれば、別のメーカーを選んでいただろう。しかし、買ってしまったものはしょうがない。解決策を探ってみると、WDIDLE3 というプログラムを使えば、この機能を停止したり、ヘッド退避までの時間を長くできることがわかった(最新はver.1.05)。ただし、WDIDLE3を実行するためにはブートディスクを作成する必要があり面倒。しかも、苦労の末にやっとMS-DOSでブートして実行し、設定を変えてみたものの、何度やっても実際の動作に反映されない(ネット上で検索すると、多くの人が成功しているようだが)。

困っていたが、もっと簡単な解決法を見つけた。ディスクへのアクセスがない場合にヘッドが退避するのだから、常にディスクへアクセスを行うようにすればよい。そこで見つけたのが、HD Tuneというフリーソフト。これは温度その他のハードディスクのパフォーマンスを監視するプログラムで、常駐させておけばディスクへ定期的にアクセスを行うようで、問題は解決した。しかも、プログラム自体も非常に軽いもので、パソコンの動作には影響を与えていない模様。

HD tune(ダウンロード・サイト)

『沈黙の海』に登場する、あの教授に遭遇

2011-01-18 23:16:33 | コラム
水産資源の話が出たついでに、魚関係の話をもう一つ。

先週金曜日は、オーレブロー大学経済学部の博士課程にいた友人が学位を取得した。5本のペーパーからなる彼の博士論文のテーマは医療経済学、行動経済学だった。

この分野は興味深い。例えば、医療の進歩によって新しい延命治療や医薬品が次々と生まれてくるが、それを使うには高額の費用がかかる。医療が日本のように保険方式で賄われようが、スウェーデンのように税方式で賄われようが、使える予算には限度があるから、その治療や医薬品がいかに素晴らしいものでも無制限に行うわけにはいかない。例えば、ここで大きな倫理的ジレンマが発生する。ある高額な治療を行って1人の患者の命を▼ヶ月伸ばすべきなのか、それとも同じ費用をより安価な治療や医薬品に充てることで3人の命を▲年間伸ばすことができるのであれば、そちらにお金を使うべきなのか? 前者を選ぶことが正当化されるためには、どのような条件が満たされるべきなのか? 年齢・病歴など患者一人一人の置かれた状況は異なれども、かけがえのない命であることには変わりない。そもそもそれぞれの異なる命を数字を使って計ることは可能なのか? 可能だとすれば、いったいどうやって?

こんな例もあるだろう。ある高速道路において、数千万クローナかかるある改善措置を施せば、年間の交通事故死が●人減る見込みだという。さて、この改善措置は行うべきなのか? それが正当化されるためには、年間の交通事故死の数が少なくとも何人減ることが見込まれる必要があるのか? 「費用」対「効果」の評価になるが、費用は分かりやすいとしても、効果である「救われる命」をどう計るのか?

この分野は私の専門外だが、私の友人の論文はこれらのテーマに関するものだった。ルンド大学から来たオポーネントの教授の話が面白かった。彼は、行政機関である社会庁歯科医療・医薬品給付庁(TLV)でも働いているため、行政を執行する実際の現場においてどのような基準や方法が用いられているのか、や、医療と交通の分野において「命」の価値やリスクの計測をするための方法論が若干異なることなども説明し、博士論文をディフェンスする私の友人を質問攻めにしていた(最初に論文の出来をさんざん褒め称えておいた上で・笑)。


オーレブロー大学にてディフェンスが無事終了したあとは、博士号取得を祝う食事会が開かれた。場所は彼の出身地であるカールスコーガ(Karlskoga)。(ちなみにこの町は武器を製造するボフォッシュ(Bofors)で有名)

主に家族・親類や同僚からなる食事会だったが、私の斜め向かいに座った人が、この日、博士号を取得した友人の指導教官だった。彼の名はラーシュ・フルトクランツ教授


ラーシュ・フルトクランツ

『沈黙の海』を読んでくださった人なら、もしかしたら覚えておられるかもしれないが、彼は第4章に登場する。1990年代に水産庁からの委託を受けて、スウェーデンの漁業を経済学的に分析する調査報告書を作成したものの、水産庁にとって都合の悪い内容であったために非公開にされたり、外交上の機密に関わるとの理由で機密文書に指定されたりしたのだ。また、財務省から委託を受けて作成した調査報告書は、発表されるや否や大きな波紋を呼び、テレビの公開討論番組にて怒り狂った漁師たちの槍玉に挙げられもした。

私は初対面だったが、『沈黙の海』が日本語になったことを彼に話すと、少し感慨深く(お互い少し酔っていた・笑)「90年代のあの頃には水産関係の報告書をいくつか作成し発表したが、批判ばかり浴びていた。『沈黙の海』がスウェーデンで出版されたおかげで、ようやくスウェーデン世論における議論の風潮も変わり、私が10年も前に分析した結果が認められるようになった・・・」と語っていた。

その後、彼とは話が弾んだ。記念ということで、1997年に発表されて物議を呼んだ財務省の報告書を一部くれた。「Fisk och Fusk - Mål, medel och makt i fiskeripolitiken」 いつ見ても挑発的なタイトルだ。スウェーデン語では語呂合わせになっているこのタイトルを、日本語に訳すのに苦労したことを彼にも話した。


この頃の財務省発行の報告書は変わったデザインをしているが、日本とは関係ない

『オルタ』2011年1・2月号 まちがいだらけの「魚食文化」

2011-01-16 23:50:27 | スウェーデン・その他の環境政策
昨年6月終わりから7月初めにかけて、欧州議会議員イサベラ・ロヴィーン氏(スウェーデン選出)を日本に招き、セミナーやシンポジウム、水産庁や環境省の訪問などを行った。その中で、7月3日に慶應義塾大学で開催したシンポジウムは、日本のNGOであるアジア太平洋資料センター(PARC)との共催で行った。

7月3日イベント 市民向けシンポジウム @ 慶應義塾大学 三田キャンパス

そのアジア太平洋資料センター(PARC)が発行している雑誌『オルタ』最新号が水産資源について特集している。特集への寄稿者は慶應義塾大学でのシンポジウムに講演者やパネラーとして参加してくださった、共同通信の記者である井田徹治氏や、三重大学の准教授である勝川俊雄氏、船橋市漁協の組合長である大野一敏氏のほか、水産大学校理事長の鷲尾圭司氏、国際魚食研究所所長の生田與克氏などだ。また、漁師としての経験も豊富に持ち、料理番組にも登場するという異色の水産庁官僚である上田勝彦氏の話なども載っている。


私が目を引かれたのは、特集のはじめの言葉だ。

* * *

 魚や貝、甲殻類など、海の恵みは古くから日本の食卓を彩ってきた。しかし現在、これら水産資源の枯渇が世界的に懸念されている。気候変動の影響なども指摘されるが、その大きな原因は乱獲だ。
 本来、水産資源には自然の営みの中で子孫を残し、再生産し続ける力がある。しかし、その力を上回る量の資源が、世界中の海で獲られ続けているのである。将来にわたって魚を食べ続けていくためには、漁獲量の規制をはじめとする管理が早急に必要だ。
 2010年、様々な国際会議の場で、日本の魚介類消費が話題に上がった。とりわけ、ワシントン条約ではクロマグロの国際取引禁止案が議論され、話題騒然となった。そうした議論で日本政府が用いてきた反論のキーワードが、「魚食文化」だった。「魚食文化」を支えるための「伝統的」な漁には問題がなく、今さら規制すべきではないとの主張が展開されたのである。
 だが、「魚食文化」という言葉が、あたかも免罪符のように使用されている現実には、多くの疑問がつきまとう。そもそも、現代の「魚食文化」は近代化の過程で形作られてきたものであり、それ以前の伝統的な魚食文化とは明らかに異なっている。
 現代における私たちの魚消費の実態とは?
 それが伝統的な魚食文化とどう異なっていて、どのような問題があるのか?
 私たちが守るべき「ほんとうの魚食文化」を取り戻すための食べ方や暮らしのあり方について考えるきっかけとしたい。
* * *


「魚食文化」という言葉が、あたかも免罪符のように使用されている現実、という部分はまさにその通りではないかと頷いてしまった。水産資源の漁獲や国際取引に対する規制を巡る日本での議論や反応、そしてそれを報じる日本の報道などを見ていてぼんやりと感じてはいたが、ここまで明確な言葉で書く度胸は私にはなかった。

アメリカ・ヨーロッパも一枚岩ではないものの、水産資源の枯渇と保全に関する議論は近年特に盛んになってきている。危機に瀕した動植物の取引を規制するワシントン条約の締約国会議では、地中海のクロマグロを取引規制の対象にする提案がなされて大きく議論されたし、中国で養殖され日本に大量に輸入されているヨーロッパウナギはすでに取引規制の対象となった。そのような世界の動きに対して、それは「日本の魚食文化を理解しない欧米によるバッシングだ」とディフェンシブに身を硬くするのではなく、生態系や資源の持続可能性に配慮する形で魚を今後も食べ続けるためにはどうすればよいかを議論する必要があるのではないかと感じる。

このブログでも何度か書いたように、ウナギやマグロなどが日本の報道で取り上げられる場合、漁の出来・不出来や国際的な規制が価格にどのような影響を与え、それが消費者や業者にどれだけの影響を与えるのか、ということは伝えても、資源の状態や漁獲量の減少の背景にある要因、国際規制が主張されるその背景などについて言及する記事はあまり見ない。
2010-07-30:もっと考えてほしい、土用丑の日

この特集記事では、生産者・流通者・消費者、そして行政のそれぞれの責任と課題がまとめられている。
『オルタ』2011年1・2月号 まちがいだらけの「魚食文化」

* 退化する日本の魚食事情-自然から遠くなった私たちが失ったもの
 上田勝彦
* 流通が魚食を変えた?-魚に触れなくなった日本人
 生田與克
* マグロ、銀ムツ、ウナギにサケ-変わる魚食がもたらすもの
 井田徹治
* 漁業の衰退を加速させる水産行政の無策
 勝川俊雄
* 東京湾が問う私たちの「豊かな」暮らし
 大野一敏
* 陸の無関心が海も魚もダメにする
 鷲尾圭司

特集以外の記事

# メディアが報道しない世界のニュース10
斎藤かぐみ

# COP10とは何だったのか
天笠啓祐

# 生物多様性条約会議への先住民族運動の挑戦
細川弘明

連載
* 湯浅誠の反貧困日記 湯浅誠
* 隣のガイコク人 取材・文/大月啓介(ジャーナリスト)
* ゆらぐ親密圏-<わたし>と<わたし・たち>の間 海妻径子
* 音楽から見る世界史 アンゴラ、民族のリズム 粟飯原文子
* Around the World
* オルタの本棚
* インフォメーション


ボリ蔵相、売っちゃダメだよ、そんなもの!

2011-01-11 01:53:05 | スウェーデン・その他の環境政策
うまく5・7・5に収まりました。さて、何を売ってはいけないのか?は、少し後に回すとして、まず私がずっと気になっていた数字から。

その数字は過去しばらく1桁台を保っていたので、最新の統計でも1桁台かと思っていたが、先日ラジオのニュースを聞いていてビックリした。2桁となり、しかも大きく伸びていたからだ。何の数字かというと、スウェーデンの温室効果ガスの排出量減少(%)のこと。

1990年の排出水準と比べた場合、2005年の段階でスウェーデンの排出量は7.3%減少していた。それからさらに減少を続けていたが、2009年(現時点での最新統計)には90年比の減少幅が17.2%になったという。


ただし、2009年は不況下にあったので、製造業、サービス業ともに操業活動が低下したり、運輸部門でのエネルギー需要が低下したことも大きく影響しているだろう。しかし、不況に突入した2008年には12.4%減、そして好景気であった2007年でも9.3%減であったから、不況の影響がなかったとしても、少なくとも9.3%以上の削減、いや、様々な対策を考慮すれば10%以上の削減となったと考えてもいいだろう。

削減率だけを見れば、西欧の中ではドイツイギリスの削減幅がスウェーデンよりも大きい。しかし、両国はもともと石炭を中心とする化石燃料に依存する割合が高かったため、比較的簡単に削減する余地はあったといえよう。
2005年時点での各国の削減量はこのリンクを参照

だから、京都議定書を受けてEUが加盟各国に課した削減義務ではイギリスが12.5%減ドイツが21%減と大幅な削減を求められることになった。

一方、スウェーデンは70年代終わりから80年代にかけて省エネや効率化、火力発電の廃止(原発への切り替え)などによって、化石燃料の使用削減が行われたため、1990年の時点ではオイルショック直前に比べて排出量が大幅に減っていた(おそらく日本の状況と似ているかもしれない)。だから、EUがスウェーデンに課した削減義務は+4%増、つまり、排出量を若干増やしてもよい、ということだった。


スウェーデンの排出量(赤線)と世界の排出量(黒線)[1900年の水準を100としている]

だから、それにもかかわらず、それから20年足らずの間に10%前後も排出量を削減できたことは大きな快挙だろう。


EU各国の一人当たりの温室効果ガス排出量。スウェーデンは、ラトヴィア、ルーマニアに続き、低いほうから3番目
[イギリスはStorbritannien、ドイツはTyskland]


----------

では、最初の話に戻ろう。「ボリ蔵相、売っちゃダメだよ、そんなもの!」

何を売ってはいけないのかというと、スウェーデンが排出削減を達成してきたことによって生まれた排出枠の余分、つまり、2009年の4%+17.2%を含め、過去に累積してきた余分だ。昨年末、ボリ財務相はこの余分を他国に売ることもありえる、という考えを表明したのだ。

この余分は、3つの使い方が考えられる。まずは (1) 京都議定書の実行期間が終わる2012年以降の期間に回す(つまり、この分だけスウェーデンは排出量を増やせる)という手だ。次に (2) 課せられた排出削減義務を満たすことができない国に売る、という方法がある。最後に (3) 何もせず放っておく、という手もある。

スウェーデンとしてこれまで大幅な削減に取り組んできた理由は、気候変動抑制のために少しでも貢献し、国として頑張ればこれだけ減らせるということを他国に示すためであっても、余った分を他国に売って国庫歳入の足しにしようというケチ臭い考えからではなかっただろう。それに、2012年以降は今よりもさらに削減していくつもりだ。だから、(1)(2)という選択肢は消去される。

そうすると残るのは(3)だ。そうすれば、より積極的な排出削減を主張する立場からすれば甘いと考えられた京都議定書の削減目標以上の削減に貢献することができる。そして、自国での削減努力を怠り、義務を満たせない分は他国から買えばよいと考えている国に「そんな甘い考えは止めよう!」と言ってやることができる。それに、スウェーデン同様に排出削減義務に余裕があるイギリス(3)の選択肢を選ぶ、と表明している。

だから、ボリ財務相の考えは理解に苦しむ。それとも、その余分を売ることによる対価がそれほど魅力的な物なのだろうか?

しかし、専門筋によると、これまでの20年間に貯めてきた「余分」を売ることによる対価は80億クローナ(約1000億円)ほどだという。もちろん貴重な収入源だと考えることもできるが、確かスウェーデン中央政府の年間の歳入規模は9000億クローナほどだから、それに比べたら1%にも満たない。しかも、スウェーデンは昨今の金融危機を経ても財政状況は健全で、ヨーロッパの中でも優等生だ(2009年でも財政赤字はGDP比2%程度)。だから、血眼になって少しでも歳入を増やさなければならない、いうわけでは全くない。

だから、ボリ財務相には失望する。

2006年以降、政権についてきた中道右派連立の政策を見てみると、口では「環境政策を重視し、力を注いでいる」と言っているものの、実行されてきた具体的な政策を見てみると、それとはまるで違うとしか思えない側面がたくさん見つかる。今回のボリ財務相の発言も、その一つだ。

オゾン層が厚くなってきた

2011-01-09 13:49:32 | スウェーデン・その他の環境政策
1980年代に大きく議論されていた地球規模の環境問題といえば、酸性雨オゾン層破壊だ。小学生の頃に『×年生の科学』という学研の月刊雑誌を定期購読していたが、この雑誌は一般の科学や技術の話題だけでなく、環境問題も分りやすく説明しており、酸性雨とオゾン層の問題もその雑誌で知った(今から思うと、子供に科学への関心を持たせるという点で非常によい雑誌だったと思う)。

子供心に「非常に怖い問題だ」と感じ、「将来どうなってしまうんだろう」と心配したものだが、フロンガスの規制が次第に議論されていき、1987年に採択されたモントリオール議定書によってフロンガスの使用が国際的に規制されていった結果、オゾン層の破壊にも徐々に歯止めが掛かるようになったようだ。

スウェーデン気象庁が金曜日に発表したところによると、スウェーデン上空のオゾン層の厚みは1991年以降で最大だったという。ただし、オゾン層の厚みは気象によって大きく影響を受けるため、たまたまよい条件が重なったという可能性を排除することはできず、「オゾン層が回復している」と断定するには時期尚早だという。しかし、よい方向に動いているという兆しでもあるようだ。


オゾン層を破壊するフロンガスなどの排出量(スウェーデン)


オゾン層破壊への対策は、世界の国々や人々が危機感を抱き、その原因の抑制のために国際的な合意を取り結び、規制を実行することに成功した好例だと言えるだろう。この時も「オゾン層が薄くなっているのは短期的な変動によるもの」という見方もあったようだが、やはりフロンガス使用などの人間活動によるところが大きいという可能性が明らかにされていった。

だから、90年代以降の地球的課題と考えられている気候変動も、いずれはうまく解決できるのではないかという希望を与えてくれる。しかし、そのためには今からちゃんと行動を起こさなければならないことは言うまでもないが(いや、本来はもっと早くから動くべきだった)。

学研の『科学』雑誌に話を戻せば、オゾン層破壊の話を読み、皮膚がんの増大など深刻な問題が起こることを知ったときには確かに非常に怖い思いをした。しかし、そういう危機感を抱くことはあっても、幸いにも悲観主義(ペシミズム)に陥ることはなかった。そうではなく、みんなで頑張れば解決できるのではないかという、漠然とした楽観主義(オプティミズム)をむしろ抱いていたように思う。それが、科学技術の進歩が解決してくれるという期待だったのか、賢い大人たちが解決策を見つけてくれるという期待だったのかは、今ではあまり覚えていない。

現在の気候変動の問題に対しても、危機感をしっかりと抱くことが行動を起こしていくための出発点だと思う。しかし、悲観主義になりすぎても問題だ。そんな面倒な問題は考えたくもない、と目を背けてしまう人も出てくるだろうし、何をやっても意味がないから、まじめに取り組むのは馬鹿げている、といったシニカルな考え方が蔓延するようになれば、社会はますます暗くなってしまう。重要なのは「確かに大きな問題だけれど、様々な形で努力すればいずれ解決は可能だ」という期待を持ち続けることだと思う。

そして、そこで重要な役割を担っているのは政治だろう。つまり「いまから私たちが取り組んでいけば、問題は着実に解決に向かっていく」という期待を与えてくれる政治だ。10年先、20年先にその問題がどの程度まで解決される見通しがあるのか、そして、そのために政治サイドからどのような取組みを行っていこうとするのかを示して、負担が必要であればそれを国民に求めていく。悲観論や落胆・諦めが世の中を席巻してしまう前に・・・。

失業率は「上がった」、「下がった」、それとも「変化なし」?

2011-01-04 19:13:13 | コラム
新聞を読んでいると、たまに首を傾げてしまう記事を目にすることもあるが、今日の日刊紙Dagens Nyheterのネット上記事もその一つだ。「ドイツの失業率が上昇」という見出しに続いて以下のような短い記事が書かれていた。

----------

ドイツの労働市場当局によると12月の失業率上昇し7.2%となった。失業者数は85000人増え、300万人強となった。11月の失業率は7.0%だった。2010年全体で見た場合、EU最大の経済を誇るドイツの失業率は、前年の8.2%から7.7%へと下落した。季節変動を除去した場合の12月の失業率は7.5%であり(前月と比べて)変化がなかった。これは、アナリストの予想と一致するものだった。

----------

さて、ドイツの失業率は「上がった」のか、「下がった」のか、それとも「変化なし」なのか? 読む側は混乱してしまうかもしれない。実のところ、この3つの表現がこの短い記事の中にすべて登場している。

(1) 12月の失業率は11月よりも上昇(季節調整なし)
(2) 2010年全体を通した失業率は2009年よりも下降
(3) 12月の失業率は11月から変化なし(季節調整あり)

この3つの情報のうち、価値のある情報は(2)(3)だろう。失業率を含め、経済統計の多くにはある一定の季節変動(月ごと・四半期ごと)があることが多いから、数字そのものは上昇していても、長期トレンドは変化がないか、もしくは減少していることもありうる。だから、季節調整済みの数字を見る必要がある。(1)の情報も本文中では触れても構わないと思うけど、見出しには使うべきではなかった。しかし、この見出しを付けた人は、よりによって重要度の一番低い情報を選んでしまったようだ。

(この記事はTTとAFPいう通信社が配信したものをDNが使ったようだが、本文や見出しをそのまま掲載したのか、それとも、DNの担当者がアレンジした上で掲載したのかは不明)

交通事故による死者数が10年で半減

2011-01-03 00:51:28 | スウェーデン・その他の社会
明けましておめでとう。




今年初めての書き込みは明るい話題をと思っていたら、非常に嬉しいニュースがあった。

「2010年の交通事故死の総数が記録的に低く、過去10年間で死者数が半減した」というものだ。交通事故による犠牲者の総数は287人(このうち、明らかに自殺行為だと分かったものを除けば270人)だった。実は昨年2009年も犠牲者の数はそれ以前よりも大きく減少していた。しかし、この年は不況下であったためトラック運輸が減少したことがその背景にあると考えられていた。しかし、2010年は景気が大きく回復し道路運輸が再び増えてきたにもかかわらず、2009年の低水準よりもさらに2割も減少したのだ。


グラフからも分かるように、過去10年でほぼ半減している。これだけ低い数字を過去に見つけようと思えば、100年以上前までさかのぼる必要があるのだとか。

世界的に見ても、スウェーデンの交通事故死の少なさは顕著である。人口10万人あたり2.9人日本が4.5人EU平均が6.9人だ。ただし、人口密度の低さなど、スウェーデンは他国よりも条件が恵まれているので、単純に国際比較をすることは難しいと私は思う。


一方で、既に触れたように、世界的に見ても交通事故による死者数が低かったスウェーデンが、それをさらに低く抑えることに成功した、という時系列でみた快挙は大いに評価すべきであろう。

4年ほど前のことだっただろうか、日本の警察庁の官僚の人と一緒にスウェーデンの道路庁道路運輸研究所を訪ねたことがあるが、スウェーデン道路庁の行政職員や道路運輸研究所の研究員は「ゼロ・ビジョン」という長期プロジェクトをしきりに強調していたのを思い出す。つまり、交通事故による死者をゼロに抑えよう(それは無理だとしてもかなり低い水準に抑えよう)という野心的なプロジェクトだった。長期目標をまず設定した上で、それに到達するための個別行動計画がみっちりと用意されていた。町や集落の中心部におけるスピード制限、学校付近など子供が多いところでの障害物の設置(スピードをわざと出せなくするため!)、郊外道路の制限速度の引き下げ高速道路の中央分離帯の整備、ネズミ捕りのための自動監視カメラの増設酒酔い運転の摘発強化、商用車(トラック・バス・タクシー)へのアルコールキーの設置奨励、etc。これらの個別行動計画を一つ一つ地道に行ってきた成果が、こうして現れてきているようだ。もちろん、行政機関による対策のほかにも、自動車そのものの安全性が向上したという点も忘れてはならない。

交通庁(元・道路庁)は今後も「ゼロ・ビジョン」を続けていくという。次なる長期目標は「2020年までに今よりもさらに半減させる」というものらしい。これだけ大きく減った今でも、対策すべきことはまだまだあるようだ。たとえば、自殺者を除いた交通事故死者の270人のうち、実に200人以上が男性、特に30歳以下の若者だという。だから、彼らに重点を置いた対策が急がれる。