スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

ベリー摘みと困った税法

2006-06-30 05:48:14 | スウェーデン・その他の経済
毎年8月になるとスウェーデン各地で、ベリーが実をつける。ブルーベリー(blåbär)をはじめ、lingon、björnbär、svartvinbärなど様々。中でも、スウェーデン北部の湿地帯でしか獲れない黄色いhjortronは希少価値が高く、比較的高値で取引される。(といっても、種ばかり大きくて、何でそんなにもてはやされるのか、私は理解できない)


あたり一面、ブルーベリーだらけ。去年は自家消費分のブルーベリーをたくさん取りました。

様々なベリーはジャムなどの食料品に加工されて出荷されるほか、ブルーベリーなどは医薬品やヘルシーフードとしても重宝される。(去年このブログにコメントを下さった業界の人によると、日本に入ってくるのは主に粒の大きめな北米産だとか)

収穫は1年のうちの限られた時期。卸業者はその時期にできるだけたくさんのベリーを収穫して、冷凍保存する。しかし、収穫作業は肉体労働の上に、買い取り価格も低く、スウェーデン人でやるものはいない。なので、今ではスウェーデンのベリー産業はほとんど外国人の季節労働者に頼っている。主に、タイ人、ポーランド人、ロシア人、ベラルーシ人などが入国ビザを取得してやって来る。労働ビザはベリー摘みには必要ない。特にタイ人がスウェーデンでは好評だ。稲作に慣れているために、森林や湿地帯など、歩きにくいところでも身軽に動き回り、前かがみで長時間、収穫を続けることができるからなのだそうだ。
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しかし、今年はどうも例年通りにはいかないようだ。税制が変わったためだ。これまで、ベリーの収穫による所得は5000クローナ(75000円)までは非課税とされていた。(税法の中にわざわざ“ベリー”の項目があるのだ。)外国人に対しても同じ。彼らは自分で収穫したベリーを買い取り業者の所へ持って行き、その場で現金に替える。どの人が5000クローナ以上の所得を得たかなんて、なかなか分からないから、事実上は非課税は青天井だった。

だが、今年から外国人の季節労働者にはarbetsgivaravgift(=payroll tax =支払給与税)が課せられることになった。つまり、買い取り業者が外国人から買い取る時に、彼らに支払う対価とは別に、その約3割を税金として国に納めなくてはならなくなったのだ。

理由はこういうこと。ベリー摘みの季節労働者の多くが、最近は買い取り業者に招かれてスウェーデンへ来るようになった。そして、ベリーを摘み、業者に卸して対価をもらう。スウェーデンの国税局は「まさに買い取り業者に雇われているのと同じこと。それならば“雇い主”である買い取り業者は、他の業種と同じように労働者の給与とは別に、支払給与税を払うべき」と主張するようになったのだ。

さぁ、今頭を悩ませているのはベリーの買い取り業者だ。今年の夏は、この税金分を差し引いて、外国人のベリー摘みに対価を支払わなければならない。彼らの手取りは減るわけだ。

一方、お隣フィンランドでは、それまでのスウェーデンと同じように、相変わらずベリー収入には非課税。スウェーデン北部とフィンランド北部は陸続きなので、摘んだベリーをフィンランドまで行って買い取ってもらえば、収入は多くなるのだ。これに目をつけたフィンランドの買い取り業者は、トラックでスウェーデンに乗り入れ、ベリー摘みから直接買い取る計画もあるそうだ。そうなると、誰もスウェーデンの買い取り業者に売りたがらなくなる。そうなると、せっかく新設したあたらしい税法も、税収入を生み出さないばかりか、国内のベリー業界に大きな打撃を与えることになる。

島国である日本ではあまり考えられないことだが、他の国と陸続きのヨーロッパの国々では、ある国の政策が他の国の人々にも影響を与えかねない。もしくは、この話のように、ある国で作られた政策が、隣国の政策とのバランスを考慮しなかったために、当初の目的に適わないばかりか、別の分野で悪影響を及ぼす、ということにもなりかねない。

今回の例でも、スウェーデン国内でベリーを加工する業者は、あえてスウェーデンでベリーを手に入れずに、フィンランドで買い取られたベリーを逆輸入すれば、今までどおり簡単に原材料を調達できる。スウェーデンで収穫されたベリーがフィンランドで買い取られ、再びスウェーデンに輸入される。なんという二度手間だろう。打撃を受けるのはスウェーデンの買い取り問屋と輸出業者だ。

考えられるもう一つの悪影響は、闇で買い取る業者が出てくる恐れだ。外国人労働者も、そういう業者に高値で買い取ってもらえるうちは喜ぶかもしれないが、足元を見られて不当に買い叩かれるようになると、闇なので文句も言えなくなる。
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副次的な影響を考えずに導入されたこの税制。ベリー業界は不服を申し立てている最中で、今年の間はこの新法の適用が回避されることを願っている。

Vatternrundan 2006 (3) 夜明けの闘い

2006-06-29 07:48:54 | Vatternrundan:自転車レース
この大会に参加しているサイクリストは16000人。一人一人のタイムを主催者側が手で測っていくのは不可能。そのため、各サイクリストは足にICチップをつけて、スタートとゴールで自動的にコンピュータに記録されるようになっている。途中にも3つのチェックポイントがあって、通過時間が記録される。

Jonkopingの手前にあるHuskvarnaという町の入り口に最初のチェックポイントがあり、路上にしかれた赤い絨毯の上を通過すると、ピッ! と音が鳴る。

Jonkopingのデポに到着。ちょうど4時。このデポでは朝食が振舞われる。朝食といっても、茹でたソーセージ二つにマッシュポテト、酢漬けキュウリ、バナナと簡素なものだけれど。着いた人から大きな体育館に駆け込んで、食事をもらい、体育館の中で座ったり、外に出たりして食べている。ゆっくりと休憩しながら食べる人、大急ぎで食べて、また自転車に跨り、先を急ぐ人、全然止まらない人、と人それぞれ。ここでは、自転車の応急処置もしてくれる。

外はちょうど朝日が北東の山影から顔を出す頃で、もう明るい。

※動画(音が出ます)

Jönköpingのデポ(4時7分)

体育館の中

自転車の応急処置もしてもらえる

後ろで喋っているデンマーク人。もっとはっきり喋ってくれ!(これをデンマーク人に言うのはちょっと酷か・・・)

Jönköpingのデポを後にすると、町に向かって坂を下っていく。ここでも、湖に面した町の空気が坂の上と比べて、急にひんやりしていく。この坂の下で、キコママ・Snickareさん一家と本当は落ち合うことになっていたのだけれど、予定よりも一時間近く早く来てしまったから、まだ来ていないだろうな・・・。

と思ったら、道端の芝生に立つ双子を発見。その後ろにはSnickareさんも! 慌てて右手を上げて、私の後ろの自転車数台に緊急停車の合図。追突されても困るので急には止まれない。なんと、早朝の4時からわざわざ出てきてくださった。感謝感激。でも、ついさっきデポで休憩を取ってきてしまったので、あまり長居ができず、記念写真を撮って、すぐに先を急ぐ羽目になってしまった。


キコママ・Snickareさん一家と記念撮影。キコママさんの写真提供 (1枚目のバックの自転車2台、もろに歩道を走っているんですが・・・。あっ、これは言わない約束ですね、キコママさん)

でも、勝負はここから。Jönköpingから北上することになるのだけれど、毎回、ここから次のFagerhultのデポまではいつも大変なのだ。しかも、去年はパンクのためにJönköpingの町を出た直後に道端でチューブ交換をする羽目になったから、あまりいい思い出がない。

何が大変って、まず、Jönköpingの町の出口に峠がある。ここの坂道が結構急なのだ。スムーズに流れていた自転車の車列も、この坂道に差し掛かると滞ってしまう。耐え切れず歩き出す参加者も数知れず。私も、もうダメ、もうダメ、と思いながらも、あと少し、あと少し、と自分に言い聞かせながら、他の人をゴボウ抜きしていき、今年も何とか登りきる。きつい坂とはいっても、そんなに長くない。

それをクリアすると、今度は単調な国道が続く。一晩中、自転車を漕いできて、今ちょうど朝日が昇ってくる。頭がぼんやりしてきて、眠くて仕方がないのだ。自分の意識に絶えず鞭を打っていなければ、サドルの上でうたた寝もしかねない。スピードが落ちてきているとはいっても、それでも時速25km以上で走っているから、絡車・転倒すれば、大変なことになる。眠るまい、と自分に言い聞かせようとするが、それでも、10秒のうちに0.1秒間くらいは記憶が飛んでいる。

おまけに、エネルギーもちょっと尽きてきた感じだ。Jönköpingのデポで牛乳を飲みすぎた。「さわやかな朝は一杯の牛乳から」と思って、調子に乗って2杯飲んだのが悪かった。胃が苦しい。おまけに眠い。テンションも下がる一方。まだ半分も走っていないのに、この先どうなるのか。もうダメ。次のデポに着いたら、仮眠を取ろう・・・。

Fagerhultのデポ。140km地点だ。ここで、自転車から降りて、朝日を体全体で浴びる。眩しい光の粒子を飲み込まんとするばかりに深呼吸をしてみる。すると、それまでドン底だったテンションも少しずつ回復してくる。


Fagerhultのデポ(5時38分)

Fagerhultを後にする。最初のうちは、小康状態が続く。速度の不安定な3人組が、私を追い抜いて、猛スピードで前に出たかと思うと、しばらくしてバテて来て、私に追い越され、しばらくすると、また果敢に追い上げてきて、抜いて行ったな、と思うと、またバテて後ろに引っ込んでいく。こういうのはすごい鬱陶しい。つられて、こっちまでペースが乱されかねない。

そんな訳の分からぬ3人組に撹乱されながらも、しばらくすると安定した大集団に追いついた。2列縦隊×25人くらいのかなり長い集団。自分よりもかなり速い、と思いつつも、頑張って集団の中にもぐりこむと、なんと不思議、風の抵抗が急激に小さくなるおかげで、かなり楽に付いて行けるようになる。

小学校の国語の教科書に「スイミー」という小魚の話があった。それぞれバラバラでいると大きな魚に襲われて食べられてしまうので、皆で団結して大きな群れを作って、自分たちを大きな魚に見立てることで、大魚の攻撃から身を守る、というストーリー。今こうして、自転車で数十人の群れを作って走っていると、なんだかスイミーの気持ちが分かるような気がしてくる。それまでの眠気も消えて、自然と力がみなぎってくる。こわいものは何もない。果敢に前に進むこの2列縦隊は、他の小さなグループを巻き込んで行きながら、しまいには3列×30人くらいの巨大集団になっていった。

参加者はスタートの順番ごとにゼッケン番号を身につけているので、数字を見ればどの時間帯にスタートしたかが分かる。私が7166なので、それよりも小さな数字の人は、私よりも早くスタートして、私のほうが追いついてきた人、それよりも大きな人は私の後にスタートして追い上げてきた人だと分かる。前後を見渡すと、6000番台の人から8000番台、中には9000番台の人まで、幅広くいる。(6000番以前の人で、私が追いついてきてしまったような人は、そもそもペースが遅い人なので、同じ集団にはほとんど見かけられない)

ところが、150km地点を過ぎたあたりから、10000番以降の人たちがチラホラ見受けられるようになるのだ。10000番というと、私よりも1時間半ほど後にスタートした人たちだ。概算すると、これまでの道のりを私よりも平均7km/hも速く走ってきたことになる。なので、我々を追い抜くときも、相対速度7km/hくらいの速さでゆっくりと、しかし軽やかに追い抜いていく。我々が大集団を作って「特急」スピードで漕いでいるのに、それよりもさらに速いスピードでいく「新幹線」集団がいるのは、いつも信じがたい。たいてい、彼らは4~6人のグループで1列縦隊で左横をすり抜けていく。

長い長い、国道を走っていくと、次第にHjoの町が近づいてくる。

超長い市バスの誕生

2006-06-27 21:39:21 | スウェーデン・その他の社会
ヨーテボリ地域の地方交通 (Västtrafik) が新型バスを導入する。なんと3両編成のバスだ。Volvoが特別に製造したこのバスは、全長24m、定員も165人とかなり大型。しかも低床。現在ヨーテボリのあちこちを走っている2両編成バス(全長18m)に比べて6mも長いが、曲がりきることができるカーブの半径は、現行の2両編成と変わらないのらしい。なんでも、3両目についている車軸の傾きが制御可能で、内輪差を一定に保つことができるかららしい。

“スウェーデンで一番長いバスがやってくる”

ヨーテボリのどこにそんな長いバスが必要なのか? 乗客が多いなら、運行時間の間隔を狭めて、本数を多くすれば済むのじゃないか、と思われるかもしれない。

このバスが投入されるのは市バス16番線で、通称「Stombuss(幹線バス)」と呼ばれる路線だ。私の住むHögsbohöjdから市内を抜けて、運河を渡り、運河北岸に沿って西のEketrägårdenまで走る。この運河北岸はかつては造船業が盛んだった地域で、造船業が廃れた後は、工科大学のキャンパスにしたり、オフィス街にしたり、新しい住宅街に生まれ変わってきた。バスの乗客が多いのは、中央駅からこの運河北岸にかけての区間。今でも、朝夕のラッシュ時には、2両編成のバスを3分間隔で運行するものの、それでも立ち客がでる状況なのらしい。これ以上、運行本数を増やすことができないとすれば、最後の手は、一便あたりの輸送力を上げるしかない、ということらしい。

残念ながら、この3両編成が走るのは、中央駅から北のこの区間のみらしく、Högsbohöjdまでは乗り入れないらしいから、私はあまり乗るチャンスがなさそう。それにしても、3両、最大165人の乗客を一人の運転手で(ワンマン)でうまく管理ができるのだろうか・・・?


「Stombuss(幹線バス)」という路線は、80年代以降の再開発で新たな住宅街やオフィス街が造成され、人々の行き来が盛んになっている区間を走っている。本来は、路面電車を敷いて、円滑に通勤客を輸送していきたいのだけれど、路面電車の新設にはお金がかかるし、道路事情の都合で、それが簡単にはできない。その代わりに、大きなバスをその区間に投入して「幹線」にしようというアイデアらしい。

何年か前にドイツのHamburgで開かれた公共交通の国際会議で、ヨーテボリ市の交通局長がこの“超長い(extralång)”バスのアイデアを思いついたのらしい。そのアイデアを元に、Volvoのバス部門と協力。それと前後して、Volvoはブラジル・サンパウロの地域交通の要請で似たようなプロジェクトに取り掛かっていた。その結果、スウェーデン側で実現化したのがこの3両編成のバスだ。ブラジルでは、さらに長い26.8m(定員300人)バスをVolvoが作成し、実用化されつつある。

私としては、この「幹線バス」区間もゆくゆくは路面電車にしてほしいけれど。なんといっても乗り心地がぜんぜん違う。路面電車は静かだし、あまり揺れないけれど、バスはかなり揺れる。現在走っている2両編成のバスですら、振動が激しいし、あまりつかまるところがなくて、カーブで振り落とされそうになる乗客もいる。(おまけに、運転手の運転が乱暴だし、かなりスピードを出す)

算数・数学教育の国際比較

2006-06-25 07:50:03 | コラム
エリクソン、Volvo、SAABを始めとする先進技術産業で成り立っているスウェーデンだが、学校教育における算数・数学の出来は、どうも低下傾向のようだ。OECD諸国間の国際比較(PISA)でも14位と、OECD平均をかろうじて上回る程度だ。一方で、OECD諸国の中で1位はフィンランド、その後、2位:韓国、3位:オランダ、4位:日本、と続く。

スウェーデン人の友人と一緒に経済学部の様々な授業を履修してきて気がついたことは、ここの経済学部の大学生はあまり数学ができないこと。だから、ややこしい計算や数式が出てくると、とたんに私が教えてあげる立場になって、結構:-) 誇らしく思ったりしたものだ(私が高校時代に理系だったこともあるが)。一方で、英語やスウェーデン語での議論になると、やはりなかなかついていけないこともあって、せっかくの高揚感もすぐに失墜してしまう・・・。いくら言葉の面で不自由がほとんどなくなっても、喋ること・議論することに関しては、スウェーデンの友人にはかなわない。

こちらの数学のレベルの低さについては、スウェーデン駐在経験のある日本人も「スウェーデン社会事情」(江上洋一著)という本に書いている。10を3で割って、あとで3を掛けるという計算をするときに、あるスウェーデン人の同僚が暗算ができず、電卓を取り出した。そして、10÷3×3と打ち込むと、9.9999999999と答えが出てきたのだそうだ。つまり、10÷3の段階で3.3333333333になり、それに3をかけるということになるためだ。その日本人が答えは暗算で簡単に10と出ると主張しても、いや電卓が正しいに決まっている、と譲らない。いや、電卓は正しいけれど正確だとは限らない、と言っても聞く耳を持たなかった、という笑い話だった。(電卓といっても、関数計算などができる電卓だと、ちゃんと10と出てくるようだけれど。)ちなみに、江上氏の著書は1991年出版とちょっと古いものの、日本人から見たスウェーデンでの生活事情についてバランスよく書かれていて、良くも悪くもとかく誇張されがちなスウェーデンの生活事情を知るのにいいと思う。

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数学力の低下はスウェーデン政府にとっても頭の痛い問題だ。ついこないだも、大学入学選考における数学の内申点に重みをつけることで、より多くの生徒に高度な数学を履修し習得するよう促す、という決定を行っている。

そんな中、日刊紙DNのあるコラムニストが、アメリカの研究者による算数・数学教育の国際比較調査 "The Teaching Gap" (by J. Stigler & J. Hiebert) を取り上げて議論している。アメリカ、ドイツ、日本の学校における算数・数学教育をビデオ撮影し、授業の仕方の違いがいかに生徒の数学習得力に影響を与えているかを調べているのだ。ちなみに、日本は優等国の代表、アメリカが劣等国の代表、ドイツがその中間、という位置づけで、成績の違いの原因を探ろうとしている。

アメリカでは、各授業の始まりに、まず教師が算数・数学の典型的な練習問題の解き方を示す。その後、残りの時間を使って、似たような練習問題を生徒にひたすら解かせる、という形で授業が進んでいくのだそうだ。

ドイツでも、授業の始まりに教師が練習問題の解き方を示す。しかし、示される例がアメリカのそれよりも高度なのだそうだ。でも、その後はアメリカと同じように、生徒は先生がやったやり方で、似たような練習問題を解いていくのだそうだ。

さて、日本はどうだろう。日本では、教師がまず典型的な練習問題を示すのだそうだ。だが、解き方をいきなり示すのではなく、まず生徒にどんな解き方ができるか考えさせる。教師は生徒にアイデアを発言させ、みんなでそれぞれのアイデアがいいのか、悪いのか、議論させる。たとえ間違ったアイデアでも、それがなぜ間違っているのか、生徒に考えさせる。

3カ国の比較で、このような違いが浮き彫りになったという。この調査を行ったStiglerとHiebertは、授業の仕方におけるこの違いに、算数・数学とは何か?という根本的な問題に対する教師の捉え方が反映されているのではないか、というのだ。

つまり、アメリカでは、算数・数学はあくまでもツール(解き方)を集めたものに過ぎない、と考え方が強いのだそうだ。生徒が授業の中で何を習得すべきか?という問いに対して、多くの教師が「ツールが使いこなせるようになること」と答えているのだそうだ。だから、解き方を例示した上で、練習問題をひたすら解かせる。

一方、日本では、算数・数学は概念・事実・ツール(解き方)を含めた総合的なもの、という認識が強いのだそうだ。だから、授業の狙いも、新しい方法で考えることを生徒に促し、算数・数学の様々な要素の間の関連性について発見させること、とされているのだそうだ。

成績では、この2国の中間であるドイツも、アメリカ型に近いのではないか、とされる。また、この比較研究には含まれていないスウェーデンの算数・数学教育に関しては、このコラムニストは、やはりアメリカ型、つまり、概念の暗記とツール(解き方)の反復、に近いのではないかと見ている。

これを踏まえたうえで、このコラムニストは「Matematik är inte främst ett antal metoder att nöta in genom många upprepningar av likartade uppgifter. Matematik är ett sätt att tänka, en värld att upptäcka.」つまり「数学というものは、似たような問題の繰り返しによって、ただ単に各種のツール(解き方)を頭に詰め込む、というものではない。数学とは、頭を働かせる一つの方法、そして、発見すべき一つの世界なのだ。」と締めくくっている。つまり、日本の算数・数学教育を大いに褒めているのだ。
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このような国際比較は、調査に使われたサンプルが本当にその国の典型例なのか、など様々な問題があるかもしれないが、算数・数学そのものに対する考え方が、授業の仕方に現れている、という指摘はなるほどと思う。算数・数学のように、小学校低学年から長い年月をかけて積み重ねていく科目は、最初の基礎段階がとても重要なのではないかと思う。自分の頭を使って、問題を処理していけるか、ということが、算数・数学、そして科学そのものに対する興味・関心へとつながり、さらに、それがその後のレベルの高い算数・数学の学習を容易にしていく。私の小学校時代の土岐先生も、様々な教育法を用いて試行錯誤しながら、生徒の側から興味・関心を引き出そうとしていたのを思い出す。今から思うと、とてもstimulativeな授業を受けていたのだと、感謝する。

ただ、日本の数学教育も中学・高校と受験教育色が濃くなっていくにつれ、詰め込み勉強になっていく感じは否めないと思う。もちろん、いくら詰め込み勉強であっても、高度な練習問題に取り組んでいくうちに、暗記ごとの裏にある理屈や仕組みについて自分の中で理解が深まっていく、ということはあるけれど、これはできる生徒の話であって、そうではない生徒にとっては、数学は「退屈な機械作業」に過ぎないのではないかと思う。こうやって、日本の数学教育が他の国で褒められている今こそ、その褒められている部分をもっと伸ばす努力をしてはどうだろうか、と思う。

Vatternrundan 2006 (2) - 夜明けのグレンナと「半ケツ君」

2006-06-23 18:32:19 | Vatternrundan:自転車レース
この自転車レースの全行程は303kmと長いので、だいたい20~40kmごとにデポ(サービス・ステーション)が用意してある。パンや酢漬けキュウリ、水、ジュース、コーヒーなどが補給できる。私はエナージー・バーと呼ばれるスナックや、ゼリー状の栄養補給ドリンクをたくさん背中ポケットに最初から用意してきている。

毎回、デポに差し掛かるたびに、ここで休憩すべきか、先へ急ぐべきか、と迷う。デポに入ってしまうと、混雑に巻き込まれてしまって遅くなる、でも、去年の経験から何となく分かってきたのは、少しでもいいから自転車を降りて休憩したほうが、私の場合、結果的に早く走れる、ということ。

なので、名コンビの“7339”が先を急いでしまっても、私は最初のデポで少し休憩することにした。

さて、再び走りだす。あまりいい集団が見つからず、スピードも不安定な少人数の集団に仕方なく付くことになった。Ödeshögという集落を抜けると、なだらかな起伏が始まる。上り坂なので、集団もすぐに離散してしまう。たいてい、平地では同じペースの人たちも、上り坂ではペースの違いが現れてしまうものなのだ。私は今年も上り坂は強い。果敢に登りきってみたものの、後ろに誰も付いて来ず、集団形成も無理なので、そのまま一人で先を急ぐ。

一部、森の中を抜けるものの、道の右手にはVättern湖が広がっている。湖に比べて道路がかなり高いところを走っているので、ずっと遠くまで見渡せる。湖に浮かぶ島Visingsöの灯も窺える。2時を回り、沈んだ太陽が北東の空を少しずつ、淡く染めていく。それに水面にかすかに跳ね返って、Vättern湖がほのかに輝いているのが見える。

Vättern湖は水深がかなり深いことで有名だ。だから冬はなかなか凍りにくく、夏は逆になかなか温まらない。それがよく分かるのが、高地からGrännaの町に向かって坂を下っていくときだ。気温が急に下がるのだ。つまり、暖かい空気は軽いので、高地は暖かいが、低地で湖近くのGrännaには湖に冷やされた空気が立ち込めているのだ。自転車で坂を駆け下りると、急にヒヤッとして目が覚める。特に、ちょうどこの時間は夜明け前の一番寒いときだ。駆け下りたところで、“愛しの7339”を追い抜いた。やはり、休憩した私のほうが早かった。

Grännaの町は2キロほど石畳だ。だから、走りにくい。父親はいい眠気覚ましになってよい、という。これも父から後から聞いた話だが、今年は自転車のライトがたくさん落ちていたとのこと。振動でつい落としてしまった人が多かったのだろう。

Grännaの町を越えて、小さな丘を越えると、Grännaのデポがある。
※動画(音が出ます)

Grännaのデポ(2時58分)

Grännaのデポ(3時00分)
暗く写っていますが、雰囲気が伝われば幸いです

Grännaのデポで気がついた。なんと、まだ3時前!平均時速30km以上の、去年からはとても考えられない速さで来てしまった。この調子で行けば、次のJönköping(ヨンショーピン)にも4時前に着いてしまう。実は、ヨンショーピンでは、その町に住むキコママ・Snickareさん一家とコース傍の芝生の上で朝ごはんを食べる約束になっていた。去年のペースを考慮して、だいたい5時ごろに出てきてもらう予定になっていた。なのに、もう既に一時間も予定が繰り上がってしまった! 4時から出てきてもらうのは申し訳ない。一緒に朝ごはんを食べるのは無理と思いつつ、携帯メールを入れておく。

GrännaからJönköpingまでは走りなれた道。いくつかアップダウンがあるものの、全体としてはなだらかな下り調子だ。一人で練習として走っていたときは、上り坂が辛かったけれど、今こうして十数人で隊列を組んで走っているとスイスイ走られる。向かい風の影響が少ないことも理由の一つだし、負けてられるかという根性が自然と出てくるからかもしれない。

私の目の前を走るサイクリストの服装が変だ、と気づく。自転車用のパンツの右半分に裂け目が入って、尻が半分丸見え。おそらく、どこかで転んだのだろう。上り坂では相変わらず私のほうが早く「半ケツ君」の前に出る。すると、下り坂では「半ケツ君」が横をかすめて追い越していく。次の上りでまた私が追い越し、下りで彼が前に出る。こんな風に、追い越し・追い越されが続いても、また平坦な道に来て、隊列ができると、なぜか「半ケツ君」が私のすぐ目の前にいるのだ。恐るべし「半ケツ君」。なんという偶然だろう。それとも、そんなに私に半ケツを見せたいのか?

そんな「半ケツ君」の攻撃に耐えながらも、気づいてみると、平均時速33kmくらいで、この区間を走っていた。私の自転車だと、普段の練習ではよほどの追い風じゃないと、こんなスピードは出ない。

Jönköpingの手前8kmほどに大きな峠が待ち構えている。これをクリアすると、あとはJönköpingのデポまでまっしぐら。4時前、もう十分明るい。

若者の国際交流 YFU

2006-06-22 17:42:41 | コラム
私が以前在籍していた、ヨンショーピン大学の話。ヨンショーピン大学の一部であるJönköping International Business School(JIBS)は、経済・経営・経営法学・政治学などの学部によって構成されているのだが、1994年設立と比較的新しい。しかし、この大学がスウェーデンで注目されている理由は、その充実した交換留学制度。どの在学生にも、卒業するまでに少なくとも一学期間は外国の大学へ交換留学をするチャンスがあるというのだ。しかも、希望をし、条件が会えば、4学期間(2年)も外国の大学に行くことができる。4学期間、同じ国・同じ大学でもいいし、4つの異なる国に1学期ずつ行くことも可能なのだ。規模の大きいウプサラ大学やストックホルム大学に比べると、在学中に外国へ留学できる可能性ははるかに大きいどころか、2度も3度も行けてしまう。

そうやってたくさんのスウェーデン人を国外に送り出す一方で、それとほぼ同数の外国人留学生を受け入れている。その数、毎年300人前後だとか。だから、規模のそれほど大きくないヨンショーピン大学には外国人の留学生があふれかえっている。

ヨンショーピンにいたときに知り合ったスウェーデン人の友人も、この大学の制度を利用して、様々な国に行っていた。Martinという友人は、台湾に2学期間(1年)その後、南アフリカに1学期間行き、さらにはインドの児童労働について学士論文を書くために、スウェーデンの国際援助庁(SIDA)から奨学金をもらって、インドにも数ヶ月間行っていた。

彼に限らず、そうやって若いときに世界を見るのは、その後の人生観を変えるに違いない。他の社会や文化に対して理解が(共感、とまでいかなくても)生まれれば、その後、出くわすかもしれない様々な対立にも、そういう経験のない人とは違った目で冷静に対処できるかもしれない。

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このMartinは、1年ほど前から、彼にピッタリの仕事に就いて活躍している。「Youth For Understanding」という、高校生の国際交流プログラムを推進している団体のスウェーデン支部の代表にいきなりなってしまった。スウェーデンの高校生を1年間、世界各国に送り出して、現地の高校に通わせ、その間、ホームステイも体験してもらう、という国際交流活動をやっているのだ。それとは逆に、外国からの高校生をスウェーデンへ受け入れ、彼らがスウェーデンの学校へ通い、さらにホームステイができるようにアレンジもしている。スウェーデン支部が1961年に設立されて以来、実に9000人もの若者を海外に送り出してきている。
そんな彼いわく、スウェーデンの高校生にとって一番人気のある派遣先はアメリカ、そしてその次が日本なのだそうだ。だから、スウェーデンと日本の間の交流をもっと盛んにしていきたいのだそうだ。Youth For Understandingのホームページにも、英・独・仏・西語に加えて、日本語で紹介文を載せようと企んでいて、私に簡単な翻訳を頼んできた。(今年はじめに訳を送ったものの、日本語のページには未だに「1月に完成予定」の文字が・・・。どうなったのだろう・・・)

この団体の交流プログラムに参加するのは自費。スウェーデンからヨーロッパの国々に行く場合はだいたい4万クローナ(60万円)。日本へ行く場合は、約5万クローナ(75万円)。結構な額なので、誰でも参加できる、というわけでは無さそうだ。

あと、彼の話だと、ホームステイ先の確保が一つの課題らしいので、もし日本でも海外から(もしくはスウェーデンから)高校生のホームステイを受け入れてみたい、という方がおられれば、日本支部のほうに問い合わせてみるといいらしいですよ。



Vatternrundan 2006 (1)

2006-06-21 17:28:45 | Vatternrundan:自転車レース
スタート地点であるMotala(モータラ)へは大会当日の金曜日の午前中に到着。Motalaでは、毎年お世話になっているHolm一家の家に泊めてもらう。

Motalaにて

私のスタートは真夜中0時5分。父のスタートは2時17分。それから10数時間、自転車に乗り続けることになるので、スタートの前にいかに睡眠をとるかが、一つの鍵となる。私は数日前から昼夜逆転の生活リズムに変えようと努力していたけれど、ちょうどその週は大学のほうで日中は忙しく、さらにW杯のスウェーデン戦の誘惑に負けて見てしまって、ほとんど変えられなかった。それでも、スタートの直前は夕方から23時ごろまで少しは寝られた。

さて、去年に書いたこととダブルが、Vättern湖の周り303kmを走るこの自転車大会にはなんと今年も15000人以上が参加する。同時スタートではなく、60人ずつが2分ごとにスタート。最初のグループが金曜日の20時に出発。それから、グループごとにスタートしていき、最後のグループ、第277グループがスタートするのは土曜日朝5時12分。

23時に起床し、大慌てで身支度をして、スタート地点に向かう。緊張が高まる。薄明かりの残る外の涼しい風にあたり、気が引き締まる。

スタート会場では、6つの柵が用意され、グループごとに入って、自分たちのスタートを待つ。自転車の前方には白色ライト、後方には赤色ライトの点灯が朝3時まで義務付けられている。

22時半ごろの北西の空

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0時5分にスタート。第123グループ、7366人目のスタート(ゼッケンの番号)。大会全体のちょうど真ん中あたりのスタートだ。最初の3kmは、バイクに先導され、Motala市の中心部を走っていく。入り江の中で孤独にライトアップされた噴水を横目に眺める。徐々にウォーミング・アップしていき、国道50号に出たら、ここからが勝負だ!

自分のペースを慎重に探りながら、各自が漕いでいく。似たようなペースのサイクリストを見つけて、徐々にグループ形成が始まっていく。最初なので、体力はある。調子に乗って、飛ばしすぎる人もいる。そのうちに、2分前にスタートしたグループの一部に追いついてくる。

ひんやりとした風が気持ちいい。天気は快晴に近い。真夜中だが、太陽は22時ごろに沈んだばかりで、北の空が淡く輝いている。うっすらとした黄金色の地平線に、薄い筋雲が長く伸びている。薄暗いので、周りの人の顔も輪郭が分かる程度。周りにいるのは一人一人のサイクリストたち。日本人もスウェーデン人も関係ない。余計なしがらみから解き放たれた開放感。私がこの大会に期待していたのは、まさにこの瞬間なのだ、と気づく。

道に沿って、自転車の後ろに付けられた赤色ランプが、まるで灯篭流しのように、私の前方にどこまでも連なっている。あたりは静寂。聞こえるのは「シュッ、シュッ、シュッ、シュッ」という自転車の音だけ。隊列をつくる。10人ほどだ。風除けのために、車間距離をぎりぎりまで詰めている。それでも、前の自転車との間隔が1mを切ると、自然とブレーキに手がかかる。夜の間は、車間距離を誤って、追突する人も珍しくない。案の定、接触したのか、国道脇の畑の中に放り出されて、救急隊に助けられている人を何度か見かけた。


国道は大会のために閉鎖されているわけでなく、一般の車が行きかう。しかし、深夜とあってか、交通量は少ない。乗用車やトラックがたまに通るほかは、巡回パトロールをする大会関係者のパトロール車が通り過ぎる。右側一車線は自転車が我がもの顔で走っているので、後ろから来る車は、徐行した上で、左車線にはみ出して、通り抜けなければならない。たまに、青色の点滅灯が近づいてくる。救急車だ。

15km程すると、私のいた隊列はバラバラになり、私ともう一人の二人だけになった。風除けのために、私がこの人の後ろにペタリとへばりついている格好だ。ゼッケン番号7339のこの人、私とペースが同じで、絶好のパートナーだ。二人の縦隊で、他のサイクリストらを次々と抜いていく。

Vadstenaという集落を抜け、国道50号線はなだらかなカーブを描きながら南下していく。起伏もそれほど問題にならない。突然“7339”が、振り返って言った。「後ろにいるのは、君一人か!」てっきり、後ろに何人も連なっているのかと思っていたようだ。彼は最初のデポ(サービス・ステーション)のあるHästholmenで曲がらず、そのまま先へと急いでいってしまった。

動画(注:音が出ます)

最初のデポ・Hästholmen(1時36分)

Vatternrundan(自転車レース)に先駆けて

2006-06-18 20:40:57 | Vatternrundan:自転車レース
Vättern(ヴェッテルン)湖の一周303kmを駆け抜ける自転車の大会Vätternrundan(ヴェッテルンルンダン)が今年も無事に終了。天気に恵まれ、41年の大会史に残りそうだ。私たち親子もそれぞれ新記録を達成。ロードレーサーを日本から担いでやってきた父親が9時間46分、普段の生活で使っている自転車でいつも参加している私が11時間56分と、これまでのそれぞれの記録を1時間半も一気に縮めてしまった。これも一つは好天候のおかげ。私の場合は、それまでに積んでいたトレーニングの威力も大きかった。

大会の詳細については、現在書いている最中なので後ほど。

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今年の春は(も)、外で自転車に乗ってトレーニングをする時間があまりない。そこで、フィットネス・クラブというかスポーツ・ジムを使って、屋内でトレーニングをすることにした。

といっても、自転車マシーンに乗って、一人で黙々とこぐのは、私の場合15分で飽きてしまう。長続きせず失敗。そこで始めたのが「グループ・アクティビティー」。エアロビクスのように、十数人+インストラクターでみんなで同時に運動をする、その自転車版があるのだ。一つのホールに自転車マシーンが何台もあり、参加者はそれぞれ跨ぐ。インストラクターが前に座り、自分でリミックスした音楽を流しながら、全員を導いていく。「これから上り坂に差し掛かってきた」とインストラクターが言うと、皆それぞれ自転車マシーンの抵抗をあげて、ペダルを重くする。彼(彼女)の指示で、段階的に上げていくこともある。「山を登り終えた」といえば、みんな一斉にペダルを軽くする。テンポの速い曲のときは、回転数を早めて、遅い曲では、ゆっくりと漕ぐ(たいていは、同時に抵抗をかなり上げて)。体勢も座って漕ぐ、立って漕ぐ、それから、前かがみで漕ぐ、など、頻繁にチェンジをする。そんな感じで、1時間、みっちり漕ぐと汗もダクダクになるのだ。


屋外を自転車で走るときは、追い風も下り坂もあるので、足を結構休めることができる。しかし、この屋内トレーニングでは1時間なら1時間、ずっと抵抗が重かろうと軽かろうと、とにかく漕ぎ続けなければならないので、インテンシブなトレーニングになる。

大会前の1ヶ月はこの1時間のグループ・アクティビティーを少なくとも1回やるようにしていた。1日1回、みっちりとトレーニングすると、その後はぐったりとしてしまって、あと何もする気がなくなる。このジムは、私の研究室からかなり近いところにあるので、それをたまに1日2回、ランチ休憩と夜にやった日もかなりあった。午後からは眠くて眠くてしょうがない。終わった後に飲むビールは格別。

ただ、これと比べて屋外で実際に走る実地トレーニングでは、足だけでなく、肩や腕、腹筋の筋肉、左右のバランスのとり方も同時に鍛えることになる。今回は、大会に先駆けて、その手のトレーニングをほとんどしていなかったので、さて十数時間もハンドルをちゃんと握り続けていけるのか、不安ではあった。気分としては、水槽の中で育った養殖のサケ。きちんと手の施された環境は熟知しているものの、外界の厳しい世界を知らない。

夏の青空と群青の湖

2006-06-13 07:13:15 | コラム
ヨンショーピンの1軒屋でスウェーデン人の学生12人と共同生活をしていたときに、隣の部屋の女の子が貸してくれたCD。毎年、夏がやってきて、深い青色の空が広がり、ひんやりするそよ風が吹くたびに、その中の1曲を思い出す。
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- Sol, Vind och Vatten - (Ted Gärdestad)

Ännu spelar syrsor
till vindarnas sus
Ännu rullar kulorna
på skolgårdens grus
Och än strålar solen
på brunbrända ben
Ännu ruvar fåglarna
fast timmen är sen

Det finns tid till försoning
innan dagen är förbi
För jag tror, jag tror på friheten
jag lever i
Och är det inte verklighet
så drömmer jag...

Sol, vind och vatten är
det bästa som jag vet
men det är på dig jag
tänker i hemlighet
Sol, vind och vatten
höga berg och djupa hav
Det, är mina drömmar vävda av

そよ風のざわめきに合わせるように
コオロギも未だ鳴き続ける。
学校のグラウンドでは
ボールも未だ転がっている。
茶色に日焼けした足には
太陽が未だ照り続ける。
そして、鳥たちは未だ卵を
あたため続ける。
夏はもう過ぎていったのに。

今日という日が過ぎ行く前に
仲直りをする時間はあるはずだ。
なぜなら、今ここで生きている
この自由というものを信じているから。
もし、これが現実でないとしたら、
夢を見ているのかもしれない...

太陽、風、そして、水
それは、私が知っている一番素敵なもの。
でも、心の中で密かに想っているのは
君のこと。
太陽、風、水
高い丘、そして、深い海
それは私の夢を織りなしているもの。
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曲はここで聴けます。

こうして歌詞を改めてみてみると、どうも晩夏を歌った歌詞なのですが「太陽(sol)、風(vind)、水(vatten)、高い丘(höga berg)、そして、深い海(djupa hav)」がスウェーデンの春・夏を象徴的に表しているような気がします。

私個人的には
För jag tror, jag tror på friheten jag lever i
「なぜなら、今ここで生きている
この自由というものを信じているから」
の部分の力の入り方が好きなのですが。

スウェーデンに来て、まず気づくことは空が澄んでいて、大きく開けていること。空って、こんなに青かったんだ、とそんな単純なことを改めて実感します。そんな空を見てふと思うのはfrihet「自由」という言葉。

まだ若いから、もう年寄りだから、男だから、女だから、××だから・・・。そんなどうでもいいことに囚われずに、自分の人生を自由に生きることができたら、いいのだけれど・・・。

ちなみに、歌っているTed Gärdestadは若くしてこの世を去ってしまいました。

Vatternrndan近づく

2006-06-12 15:39:40 | Vatternrundan:自転車レース

盛り上がっているのはワールドカップだけじゃない。
さあ今年もやってきた、自転車の祭典。
ツール・ド・スウェーデンならぬ「Vätternrundan」(ヴェッテルンルンダン)

今年も300kmを一日で駆け抜けます。
今回は13時間を切ることが目標。

下で去年の大会について読めます。
VÄTTERNRNDAN 2005(1)
VÄTTERNRNDAN 2005(2)
VÄTTERNRNDAN 2005(3)
VÄTTERNRNDAN 2005(4)

スウェーデン VS トリニダードトバゴ 戦

2006-06-11 08:59:49 | Yoshiの生活 (mitt liv)

タブロイドのスポーツ紙もほんとは第一面に上の4つのレイアウトを考えてみたものの、最後にきめたタイトルは「いや、ワールドカップはまだ終わっちゃいない!」

スウェーデンはボール保有率も高く、盛んにチャンスを作って攻め立てるも、惜しいミスが続いて、得点にならず。「キタ、キタ」と思って手に汗握るけれど、シュートが外れて、みんなで口を揃えて「NEJ!」と叫ぶ瞬間は、やはりスウェーデン人との連帯感を感じるもの。(Snickareさんのご指摘の通り)

初戦を白星で飾ってくれるかと期待していたけれど、0-0の引き分け。引き分けなのに、トリニダードトバゴの応援団は大喜び。スウェーデン相手に引き分けで持ち込めただけでも上出来だったのだろう。(追記:トリニダードトバコは今回の参加国中で最弱小と見られていたのらしい・・・)

スウェーデンの花形はやはり、Zlatan Ibrahimovićと愛称HenkeことHenrik Larsson。今日も彼らの活躍はすごかった。

ちなみに、Zlatan Ibrahimovićはクロアチア・ボスニア系の両親を持つが生まれはマルメ(1981年)。移民の多く住む、市郊外のRosengårdで育ち、若くして頭角を現すようになる。前回のワールドカップでは、控えのメンバーで、試合の後半戦で少しだけ登場したが、192cmの大きさとアンバランスな体つきのため、印象によく残っている。移民の子でもスウェーデンで活躍できるんだ、という希望をスウェーデンの若者に与えてくれている。

それから、Teddy Lučićも苗字から想像つくようにユーゴ系。父親がクロアチア人で母親がフィンランド人のヨーテボリ生まれ。
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スウェーデンの属するグループBの国々のFIFAランキングは次の通り。
・スウェーデン (16)
・トリニダードトバコ (47)
・パラグアイ (33)
・イングランド (10)


それから、グループF
・ブラジル (1)
・クロアチア (23)
・日本 (18)
・オーストラリア (42)

ブラジルは無理としても、クロアチアを抑え込めば、決勝トーナメントにいけるでしょう。まずは、オーストラリアに負けないこと。
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ともかく、同じくらい感情移入して応援できる国が2つあるのは嬉しい。ワールドカップも2倍楽しめるというもの。「お前がスウェーデンを応援するときは目が血走っている」と今日もスウェーデンの友人に言われた。案の定、観戦で力みすぎて、友人宅の食器を割ってしまった。

スウェーデンの活躍(Aftonbladetより)
スウェーデンの活躍(DNより)

ボールが転がれば、病欠が増える

2006-06-09 20:40:01 | スウェーデン・その他の社会
今日からサッカーのワールド・カップが始まる。スウェーデンのナショナルチームにも大きな期待がかかっている。予選リーグでの注目の一戦は、6月20日の対イングランド戦。イングランドの監督は愛称Svennisと呼ばれるスウェーデン人の監督だから。

(スウェーデンのナショナル・チームを見たい方は、ここをクリック

ところで、今日の開会式に先駆けて、面白い調査報告が出ている。4年前に日本・韓国で行われたワールドカップの期間中、スウェーデンでは職場を病欠するものが続出したらしい。社会保険庁へ病欠申告をする者が通常に比べて、なんと40%も増えたのだ!

しかも、増加分のほとんどが、男性による病欠だったのだ。主に男性が感染する“流行病”といえば、もちろんサッカー観戦、だったのではないか!という見方が有力になっている。

4年前は時差の関係で、スウェーデンの試合はたいてい平日の朝に行われていた。例えば、対ナイジェリア戦や対ブラジル戦はスウェーデン時間で朝の8時半開始だった。(ヨンショーピン駅前のスポーツ・バーで、大きなスクリーンを見ながら、学生寮のスウェーデン人たちと観戦したのも、そういえばまだ肌寒い早朝だった。ブラジルを下して、決勝トーナメントに進出したときのあの騒ぎは今でも忘れない)

だから、その日は「腰が痛い」とか言って仕事を休む人が続出したのだろう。病欠は有給になることが多い。制度も年によって変わるので明確なことは知らないが、病欠の1日目は医者の診断書の提出が必要ないこともある。

仕事よりも大事なことがあると、ついついそっちを優先したいと思うのはどこの国でも同じこと。

さて、今年はドイツ開催なので、スウェーデンとは時差がない。ほとんどの試合は夕方から夜にかけてだ。だから、スウェーデン人は今年の夏は「あまり病気にかからないだろう」と社会保険庁も予想している。もちろん、これは観戦のためにドンちゃん騒ぎして、次の日に二日酔いになる者が続出しなければの話だが・・・。

引越しの報告 part2

2006-06-07 08:02:39 | コラム
大切なことを書くのを忘れていました。
新居の大きさや家賃についてです。

住居の区分としては「1 rum och kök (rok)」つまり「ワンルーム+キッチン」ということなのですが、実際に下見をしてみてびっくり。普通「1 rum och kök (rok)」と書かれていると、リビングと寝室が一緒になっているケースが多く、最悪の場合、キッチンもリビングと一緒のこともあるのですが、このアパートは、寝室別、キッチン別だったのです。浴室にはトイレとシャワーが一緒(浴槽なし)。

広さはぜんぶ合わせて、35平米。日本の畳の数え方がよく分からないのですが、だいたい20畳くらいでしょうか。家賃は3800クローナ(57000円)。賃貸住宅の相場からすれば少し高めですが、それはここが学生住宅で、学生や大学関係者でないと住めないようになっているからです。つまり、待ち時間が一般の住宅よりも短い、というメリットがあるからでしょうか。

といっても、このアパートを手に入れるのに、1年待ちました。住宅探しはネット上で全自動なのですが、まず、顧客登録をしなければならない。そして、その登録の日から「私の待ち日数」が数えられていくのです。空き部屋ができると、ネット上で紹介され、その後1週間、希望者の受付がネット上で行われるのですが、希望者が複数いると「待ち日数」の長い人から優先的に部屋を獲得できるのです。

なので、条件の悪いところは、登録した直後に、獲得できることもあれば、条件のいいところは、何ヶ月も待たなければならない。聞いた話だと、3年待ちも稀ではないとか。(ただ、こういう学生は、もともと別の住居を確保していて、あわよくばより良い所が見つかるかもしれない、と冗談半分で登録しておく、というケースもよくあることだから、3年間、ずっと野宿していた、というわけではありません。)

私の住む地域の学生住宅も平均は1年半から2年待ちらしいので、たったの1年待ちで、しかも最上階の見晴らしが一番いいところが獲得できたのは、とても嬉しいこと。学期変わりではなく、学期の途中に部屋探しをしたのが功を奏したようです。(時間に余裕があるなら、これはいい作戦です。)ちなみに、以前は島に住んでいて、6月頃までに新居が見つかればいいと、のんびりしながら部屋探しをしていたのですが、部屋探し開始から3週間くらい、20物件くらいの応募に失敗した後、住宅管理会社から「下見に来てください」、しかも「現在の住人は、今すぐにでも明け渡せると言っているので、入居はいつでも可能」との知らせに、飛んで喜んだ。

家賃がちょっと高いな、とは思ったけれど、見晴らし、静かな環境、バスが10分ごとに市内に出ていること、などなどを考慮して、即決。

ちなみに、学生住宅とあって基本的な家具も部屋についていたので、自分の家具とうまく組み合わせながら使っています。屋根裏と、1階のそれぞれに収納スペースもあり、大助かり。1階のほうは自転車の収納にもってこい

洗濯機や乾燥機は、住人が共同して使える物が1階に備え付けてある。コイン・ランドリーなんてケチ臭いものではなく、無料。時間予約のためのボードがあり、そこで3時間単位で予約を入れるのだ。このような共同物はすべて住宅管理会社(Poseidon)が管理。中庭の共同スペースや庭木の手入れも含めて、ちゃんとケアが行き届いていて、満足満足。

引越しの報告

2006-06-06 06:13:24 | コラム
随分遅くなりましたが、引越しの報告です。
3月1日より、島を飛び出して、ヨーテボリ市内から5km程度の団地に住むことになりました。日本からの郵便物もあまりないので、郵便物の転送を申し込んでいません(有料なので)。なので、島の住所には送らないで下さい。新しい住所が知りたい方は、メールで連絡ください。

新居はHögsbohöjdと呼ばれる地域。Slottsskogenの裏にあたります。もともとHögsboという地域があり「高いところにある集落」というような意味を持っていたのだけれど、60年代にその集落のさらに高台を開拓して、団地にしてしまったのです。Höjdが高台、という意味なので、Högsbohöjdはまさに「高いところにある集落の高台」。自転車では家に帰るのがしんどいです。なので、バス通勤。

一方で、嬉しいことに、手に入れたのは4階建てアパートの最上階の部屋で、しかも窓はすっきり開けていて、ヨーテボリの街や運河が遠くに見渡せるところ。毎朝起きると、ちょうどデンマーク行きやドイツ行きのフェリーが運河をゆっくりと出て行くのが眺められる。それから運河の対岸の貨物列車が工業地帯に向けて走っていくのがかすかに見える。右手には、市内に建つ住宅地や遊園地Lisebergの垂直落下マシーンの塔も見えるのだ。

夜も太陽が北西の空に沈んでいくのが見え、その黄昏が23時過ぎまで続くのだ。雲の流れも面白い。だいたい海からの風に乗って、雲が陸のほうに流れてくるのがよく分かる。

建物は68年築。しかし90年代の終わりにリノベーションがなされ、外装・内装ともに新築並みに綺麗になっているから嬉しい。一帯の建物が赤やオレンジ、クリーム色に塗られているのだけれど、スウェーデンお得意の落ち着いた感じに仕上がっているのがいい。

季節の移り変わりを窓からの写真にて:

引っ越した当初の3月

雪が解け終わった4月

緑の爆発する5月


緑が生い茂り、きらきらと青空が輝く今から振り返ってみると、1枚目のような頃があったことが、なかなか信じられないのだけれど。