スウェーデンにいると、この言葉の組み合わせが、『海と老人』とか『猫に小判』とかと、同じくらいしっくりして聞こえてくる。
3月に正式に社会民主党党首となったMona Sahlinだが、1995年にスキャンダルによって政界を追われる羽目になったことは以前に何度か触れた。さて、このスキャンダルの真相は何だったのか?
< 以前の書き込み >
Mona Sahlin 正式に党首へ(07-03-18)
社会民主党の新党首(07-01-19)
社会民主党党首の後任は・・・?(06-11-24)
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「トブレローネ・スキャンダル(Tobleroneaffären)」(1995年10月)
時は1995年。1991年から3年の間、政権の座を追われた社会民主党は1994年9月の総選挙で、政権を取り戻し、Ingvar Carlsson(カールソン)首相が内閣を率いていた。(カールソンは1986年から1991年の間も首相に就いていた。)Mona Sahlinは当時、副首相。
そのカールソンが党首および首相の座から引退すると表明。その以前から新党首および新首相の候補選びが始まっていたが、この時点で有力だったのは、Mona Sahlinのみだった。
しかし、その後、タブロイド紙の一つ「Expressen」がスクープを流す(1996-10-13)。1990-1991年にかけて、当時、労働市場大臣だったMona Sahlinが、職務に掛かる経費を支払うために国会から与えられているクレジット・カードを使って私物を購入した、というものだ。その私物の一つとして挙げられたのがデンマークの有名なチョコレート「Toblerone」であったため、通称「トブレローネ・スキャンダル」と呼ばれるのだ。
実際の使途は、チョコレートだけでなく、衣服、私用のためのレンタカーの借り出し、クレジット・カードによる現金の引き出し、などだった。しかし、Mona Sahlinはこれらの明細をきちんと提出し、私用の分を自腹で後でちゃんと支払っていた、とされる。しかし、タブロイド紙は、国会のクレジット・カードの使用規定に「私的な購買に使用しない事」とあることを指摘。さらに、彼女が行ったクレジットの引き出しを「国会に利払いをさせた無利子ローン」だ、と解釈したのだった。一方、これらの払い戻しの手続きが不明瞭だったことを指摘されたMona Sahlinは「内閣府の経理の手続きがややこしく不明瞭だった」と弁明、さらに、クレジットの引き出しについては「給料の前借りをしたつもりだった」と説明した。
しかし、このスキャンダルの火種が大きくなっていくと同時に、ベビーシッターを闇で雇っていたことや、TV受信料が未払いだったこと、駐車料金の未払いが数多くあり、国の債務管理局から取り立てられていたこと、などもスクープされた。
1996年10月16日の記者会見で、政界からの一時的引退を表明(time-out)。メディアのさらなる追求を避けるため、一家そろって海外へ退避した(モーリシャス諸島へ)。その後、社民党党首および首相への立候補の断念を表明したのだった。これをもって、Mona Sahlinはスウェーデンの政界から、姿を消したのであった。そして、ほとんど人気がなかったGöran Persson(ヨーラン・パーション)の名前が次期党首および首相の候補として徐々に挙がっていくのである。
スキャンダル発覚後から、検察庁は立件に向けた初期調査を行っていたが、犯罪を裏付けるものがない(もしくは、犯罪性が薄い)との理由から、調査は中止され立件もされず。よって、裁判も行われていない。
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果たして、一人の政治家の政治生命を奪うほど、大きく取り上げられるべき政治スキャンダルあったのか? それとも、メディアが事実を必要以上に誇張して世論をあおっただけだったのか? 意見は分かれる。実際、検察も立件を行っているわけではないし、彼女も有罪とされたわけではない。
また、クレジット・カードの私的使用も、悪意があってやったのか、後で返せばいい、という軽い気持ちでやったのか、明確な答えは分からない。
一方で、このスキャンダルから数年後にも、彼女には駐車料金の未払いが100件近くあり、その案件の多くが国の債務管理局に引き継がれていたり、税金の払い込みが数ヶ月遅れていたり、自動車税の納入も遅れていたりしたことまでが発覚している。だから、彼女は家計管理がいい加減だ、ということは少なくともいえるようだ。
Tobleroneって、こんなチョコレート。でも、たかがチョコレートとあなどっていると痛い目に遭う。Mona Sahlinはこれで失脚したし、下の男はこの食べすぎで腹がここまで出てしまった。しかも、首相の座という“棚から牡丹餅”を得た。