スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

EU新憲法 フランスの国民投票(2)

2005-05-30 05:13:34 | コラム
今日の主要日刊紙はどれもフランスの国民投票を大きく取り上げている。

このEU新憲法は各国の首脳によって既に署名されたものの、これが正式に発効するためには、加盟国すべてで批准されなければならない。一カ国でも批准を拒否すると、発効しない。批准の仕方は国によってそれぞれで、国によっては議会で採決を採り批准するところもあれば、国民投票を行ってその結果に基づいて決める国もある。

加盟国25カ国のうち、スペイン・フランス・オランダ・ルクセンブルグ・ポーランド・デンマーク・ポルトガル・アイルランド・イギリス・チェコは国民投票によって決める。(スペインでは、賛成派が僅差で勝ち、フランスでは昨日の通り反対派が勝った)スウェーデンは今年末に議会で決定する見込み。(国民投票にかけるべきという声もかなり聞かれる)

新憲法否決のニュースに落胆の声があちこちで聞かれる。ヨーロッパの根幹をなす国の国民がEU統合の流れを止めてしまったと考えられるからだ。一方でスウェーデンの日刊紙DNの社説は「ヨーロッパ統合自体に対するNoと受け取るのではなく、今回の新憲法が描いているEU像とは異なる形のEUに、人々が関心を抱いていることの現われだ」としている。事実、No票を投じたフランス国民の多くが、これまでのEUの発展を好意的に支えてきたのだという。

つまり、EUに賛成か反対か、ヨーロッパの統合に賛成か反対か、という単純な二者択一の問題ではなく、EUの今後のあり方をどのように定義するのか、例えば、前回挙げたように、超国家的な“ヨーロッパ合衆国”を目指すのか、それとも“協力機構”のレベルで協力関係を今度とも深めていくのか、別の言い方では、中央集権化と地域レベルでの意思決定という民主主義との間のバランスをどこで取るのか、というようにヨーロッパの統合にも様々なシナリオが描ける。

(余談だけれど、このDNの社説は、こう書くことで暗に、EUに賛成か反対かと、とかく二分論になりがちなスウェーデン世論に警鐘を鳴らしてもいるように感じられる)

さて、こうして既に一カ国が否決してしまったので、この新憲法の行く末はどうなるかというと、現在いろんな議論がなされている。シナリオ1は、新憲法を一部修正して、もう一度フランスで国民投票にかける、というもの。EU基本法(憲法)の全身であるマーストリヒト条約を各国が批准していく過程では、デンマークが国民投票で否決してしまった。この際にとられた手がこれだ。シナリオ2は、新憲法の様々な要素のうち、加盟国の多く国である程度の合意が得られている事項や、既に事実上施行されている事項(!)を抜き出して、EU首脳会議などのレベルで採択して、基本法に加える、という手もあるようだ。

しかし、こうして一国が既に否決してしまった以上、うちの国で否決しても自分の国だけが足を引っ張ったとは思われないから、いいや、っと他の国でも立て続けに批准を拒否する動きが出てくるようになると、部分的修正などという小ワザが効かなくなるのかもしれない。

EUの基本法というのはこれまで段階的に発展してきており、ローマ条約(1957)、域内市場の取り決め条約(1987)、マーストリヒト条約(1992)、アムステルダム条約(1997)、ニース条約(2000)、今回の新基本法。この基本法が各国で批准されるまでは、その一つ前のニース条約が通用する。

(そういえば、ニース条約の批准でも大変もめたな。アイルランドかどこかの国は、可決されるまで何度も国民投票をやり直していた。まるで、ゾロ目が出るまでサイコロを振り続けるみたいに・・・)

さて、水曜日にはオランダでも国民投票が行われる。

EU新憲法 フランスの国民投票(1)

2005-05-29 07:22:45 | コラム


フランスでEU新憲法の是非を問う国民投票が今日行われた。
投票率は70%にも上り、近年まれなる高い率だという。出口調査によると、反対派が55%に達し、投票前の世論調査の予測どおり否決される模様。

EU新憲法は、これまでのヨーロッパ統合の流れをさらに加速させるものだ。
資源の共同管理や域内の関税の撤廃から始まりEEC、ECそしてEUと発展してきたヨーロッパ連合は、東欧への拡大以降、参加国が25カ国にまで達し、2007年にはルーマニアとブルガリアが加盟することが決まっている。トルコが既に加盟交渉を開始し、さらには旧ユーゴ諸国も近い将来に交渉を始めることが見込まれている。(うちスロヴェニアは既に加盟国)

EUの現在の狙いは、各加盟国の権限を徐々にEUレベルに移して行き、中央集権を加速させ、第二のアメリカ合衆国、つまり“ヨーロッパ合衆国”にならんとすることのようだ。

その流れを加速させるべく書き直されたのが今、焦点のEU新憲法。度重なる交渉の中で3年がかりで草案が作成された。これまで明文化されていなかったことを条文に加えるとともに、加盟国の増加で困難になってきた意思決定を簡潔にする制度の提案などがある。この中身の主なものは、

・価値観の明記。つまり、民主主義と自由、基本的人権の尊重が加盟国の共通の理念であること。

・EU加盟国の国民の権利の明記。つまり、社会権、労働権など。

・EUレベルでの政治的決定を容易にするため、EUの決定に対して、加盟国が拒否権を発動する権利を大幅に削減させる。(税制や外交問題を除く)そして、多くの政治的決定を、代わりに加盟国による多数決によって決める。(単純多数決とは限らない)つまり、この結果、すべての加盟国が同意してなくても、新しい決定がEUレベルで下され、同意していない国々にもその決定が課せられるようになる可能性があるということ。この背景には、加盟国が大幅に増えたため、これまでのEUの意思決定プロセスが非効率になったということがある。

・それから、各国の有権者によって選ばれた議員によって構成されるEU議会に、それぞれの国レベルの議会から、意思決定権を委譲させることで、EU議会により大きな権限を持たせる。

・EU大統領とEU外務大臣のポストを設ける。

・集団的防衛の義務を加盟国に課す。つまり、ある加盟国が攻撃された場合に、他の加盟国が自動的に防衛に手を貸す。しかし、非同盟を掲げる加盟国(例えばスウェーデン)は、軍事的行動を行う必要はない。(しかし、その国が攻撃された場合は、他の国も参戦する?(Asymmetric?))


と、このような感じ。EUの掲げる基本的価値観を明記するとともに、EUにより大きな力を集めようとする狙いもある。そのため、一部の人々からは、EUが超国家的 (Super-state)になり、EU中心主義がますます加速する結果、加盟国レベルでの民主主義の原則が踏みにじられるのではないかと懸念する。

フランスでの今回の国民投票は、EUを一つの国家にしたい人々と、それを阻もうとする人々との争いとなったようだ。だから、どちらに票を投じるかは、結局その人がEUの発展をどのレベルにまで持っていきたいかに関わってくる。

EUの超国家的な統合が進み、加盟国のレベルでの意思決定が難しくなってきた、という懸念もある。最近の例では、ギリシャのギャンブル機販売の規制が挙げられる。ギリシャ政府は国民のギャンブル依存を防ぐために、スロットマシンなどの販売に規制を加える決定をした。しかし、これに対し、EU委員会は、この規制がEU内での経済の自由競争の原則を阻害するものとして、ギリシャ政府に撤回を求めた。こういうときは、各国の決定よりEU委員会の指令(directive)が優先される。

また、スウェーデンでは慣行として労働組合と企業が集団交渉によって、賃金を集団的(collective)に決めてきたが、最近になって外国の企業がこの原則に基づかず、東欧からの労働者を低賃金で雇って、スウェーデン国内で働かせることが問題になっている。労働組合やスウェーデン政府は激しく反発したものの、この企業はスウェーデン政府の判断を不服として、この争いをEUレベルに持ち上げ、近いうちに判断が下されることとなっているが、スウェーデン側が負ける可能性も十分にある。

このようなEUと加盟国との間の紛争は、EUによる民主主義の侵害だ、と見る見方もある。そのため、EUは本来の目的であった、域内の関税の撤廃、共通市場の創設、ヨーロッパ諸国の利害の調整、国境を越えた問題の共同対処(環境問題等)などを行う“協力機構”で十分であり、それ以外の事柄については、各国の議会が民主主義の原則に基づいて決定すればよいのではないか、という意見もある。

逆に、ヨーロッパの統合をさらに推し進めて、EU合衆国の創設を唱える人々の狙いというのは、それぞれ小さなヨーロッパ諸国の経済力・政治力・軍事力をともに統合することで、アメリカと肩を並べ、国際舞台でのアメリカの一極集中主義を阻止すること、それから、統合を密にすることで、ヨーロッパ諸国同士の戦争の可能性をゼロにする、ということのようだ。

後者に関しては、そもそもEU、ECのもともとの始まりは天然資源の共同管理をすることによりヨーロッパ内での第三次世界大戦を阻止することだったのは確かだけれど、経済の統合がここまで加速した現在のヨーロッパで国と国同士の戦争になる可能性はほぼないと思う。それに領土拡大=国力という考え方は古いものではないだろうか。だから、あまり説得的な論拠ではないと思う。


ともあれ、今日の国民投票は本国ではずいぶん白熱したようだった。将来の政治制度を大きく変えかねないこのような問題に対して、国民一人一人が賛否の票を投じることができるのは、とても理想的に聞こえるかもしれないが、果たしてそうか? 投票に先駆けた報道を聞いていると、一般の国民の少なからずの人が、EU新憲法ってなんのこと?今までとどう違うの?と、内容をよく把握しないまま、票を投じるケースが目立つ気がする。むしろ、なんとなくYesとか、もしくは、現在の高い失業率に対する不満を賛成派のシラク大統領にぶつけるために、No票を投じる、という動きもあったようだ。

こういう専門知識を要する技術的な問題に対して、国民投票をもちいるのが、果たしてよいやり方か、これは大いに議論されるべきことだと思う。(スウェーデンで2003年に行われたユーロ加盟の是非を問う国民投票でも、同じような問題があったので、また後ほどまとめてみます。)

ニアミス

2005-05-28 06:24:10 | コラム
木曜日にヨンショーピンでスターウォーズを見たけれど、後ろの席のほうから英語の会話が聞こえていた。そのときは別に気に留めなかったけれど、実はそれはEthan(米客員研究員)で、彼も同じ映画をそのホールで見ていたことを次の日知った。あれっ、ヨーテボリに住んでいるんじゃなかったの?

実は、次の日にヨンショーピン大学で研究論文の発表をするため、一日早くヨンショーピン入りしていたのだった。コロンビア大学時代の旧友のイタリア人Agostinoがヨンショーピン大学で助教授をやっているので、そのつてだ。今回の研究発表の内容は「アメリカの選挙における利益団体の寄付行動と政治家からの見返り」。その後の昼食では、スターウォーズのネタで話が盛り上がった。

それにしても、スウェーデンは狭すぎる。どの町にいても、絶対だれか知っている人、もしくは会ったことのある人とニアミスしている。あれ、この人が何でこんなところに、ということがありすぎる。(これは大袈裟じゃなくて)

さてさて、このEthanには大変感銘を受ける。金融市場の研究をやっている傍らで、政治学っぽく、アメリカ人の投票行動の研究をやっていたり、それに私が受けている授業はマクロの労働経済学、不均衡理論、などなどだ。やっぱり、現実社会の中での問題意識と数学の知識があれば、研究者としてはどんなテーマでもやっていけそうだ。彼は今年の秋からストックホルム大学に数年間、席を構えるということなので、これからもいろんなことが聞けそうだ。

(地理に詳しくない方へ。いろんな町の名前が最近ここに登場していますが、勝手に読み流してやってください)

またまたスウェーデンの鉄道

2005-05-27 05:52:10 | コラム
しばらく鉄道ネタが続いたので、このままもう少し書かせて。
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新世代の高速特急LINX。今ではちょっと古くなりましたが。現在は改良型X2000も登場しています。

スウェーデンでの企業と従業員とお客さんとの関係について、簡単に書いたけれど、うまく機能している限りにおいて、私としてはスウェーデンのやり方が好きだ。

鉄道を例に挙げれば、車掌はとっても肩の力が抜けていて人間味がある。スウェーデンの鉄道は改札がなく、車上での検札のみだ。駅に停車して発車するたびに「新しい乗客はいませ~んか?」とやってくる。のんびりしている。やる気がない、とは私は思わない。車掌によっては、乗客と簡単な世間話をしたり、ジョークを飛ばしたりする人もいる。いつもニコニコしながら、気軽に応対しているおじさんもいる。好きじゃないと、できない仕事だ。

(通学で日々電車を使っているので、その路線で勤務している車掌の顔も覚えてしまったし、向こうも私のことを覚えていてくれて、たまに、定期見せなくてもいいよ、と言ってくれたりする。その中に一人、京都大学のN村先生によくにたおじさんがいて、背広の着方からリュックを背負って歩く姿もそっくり。写真が取れたら、また紹介します)

別の車掌は、アナウンスでも巻き舌を使って面白おかしく話す。多分、その人の生まれ育った町なのだろうけど、その町に差し掛かるたびに「次の停車駅はかの大都会Falköping、Falköping。」というもんだから、初めて乗る人はビックリするけど、実は特急も停まらない小さな田舎町。名物車掌だ。

これらとは全然関係ないけど、他に今まで経験したおかしな例では、

ある週末に長距離列車に乗っているときのこと、出発してから30分ほどしてから、アナウンスがある。「4号車以降に乗車のお客様は、次の駅で1~2号車に乗り換えてください。というのも、間にある食堂車を管理する会社の社員が今朝、搭乗し損ないました。車両全体の鍵も彼らが持っているので、われわれ国鉄の職員すら通過できないのです。この列車の車掌は私一人なので、安全のために、皆さんにまとまって座っていただきます。」

次もまた食堂車ネタ。食堂車を管理しているのは国鉄SJじゃなくて、オリエンタル・エキスプレスという別の会社。契約は定期的に更新するものの、去年の8月の終わりに、土壇場になって交渉決裂。9月初日から、食堂車を運営するものがいなくなってしまった。ちょうどその頃、ヨーテボリ発の長距離列車に乗ったところ、こんなアナウンス。「残念ながらしばらく食堂車はお休みです。契約更新の交渉がうまく行かず、オリエンタル・エキスプレスが投げ出してしまいました。他に食堂車の面倒を見てくれる会社を現在探しておりますので、それまでしばらくお待ちください。」だって。そんな国鉄の内側のことなんか曝け出さなくたってもいいじゃない。ここでもし誰か乗客が、私やります!料理うまいし、コーヒー注ぐのもうまいよ! って申し出れば、急遽雇ってはもらって、その代わり運賃タダになったりしてね、などと余計なことを考えてしまった。

STAR WARS エピソード3 の封切

2005-05-26 08:00:59 | コラム
先週の木曜日に封切されたスターウォーズ・エピソード3を友人と見に行く。

スウェーデンでは外国の映画はもちろん吹き替えなしで、オリジナルの映像にスウェーデン語の字幕が加わるだけなのに、スターウォーズの始めで、テーマ曲と共にあらすじが文字となって流れていくところとタイトル文字では、なぜかスウェーデン語にすべて置き換わっていて、ちょっとビックリ。

このエピソード3の内容はご存知の通り、新シリーズの2作と、旧シリーズの3作をうまく結びつけるもの。主人公が闇の世界に誘惑されていき、銀河系の共和国が帝国になっていく様子を描く。他の5作を見ていれば、その間に足りないものが何か知っているわけで、この新作のあらすじ自体は簡単に想像がついてしまう。で、分かりきっているストーリーが新作の中でちゃんと描かれているのか、製作者が描き忘れたところがないのか、確認するために見ているようなものなので、ハラハラどきどきなんてのは全然ない。どうでもいいことだけど、出てくる宇宙人も旧作に出てくるものばかり。

冒頭は空中戦から始まるけれど、20年以上前に作られた旧シリーズとはぜんぜん違い、コンピューター・グラフィックだらけで、なんだかアニメを見ているよう。クローン兵士とロボットが戦う集団戦のシーンはスピード感があって面白かったけど、その他は、レーザー刀によるチャンバラごっこが永遠に続く。後半半分は、悲劇。製作スタッフが旧シリーズにいかに繋げようとしたのか、苦労だけは垣間見れる。なんで「皇帝」は顔がしわくちゃの老人なのか、ダースベーダはなぜマスクをかぶっているのか、がここで解明されるのだ! ていうか、マニアでもない限り、そんなことが判ってもどうってことはないのだけど。

日本語で見たときは気づかなかったけれど、緑の老人「ヨーダ」はいつもわざと倒置法を使って英語をしゃべっているんだね。”Many mistakes I have made”とか、”Help him you should now”とか。でも、スウェーデン語ではこのような倒置を普段の日常会話で常に使っているから、字幕としてスウェーデン語に訳したところで、全然違和感がなくて、本来の効果が出せていないことに気づいた。日本語の字幕ではどう訳されているのだろう。

このブログに何回か登場したEthan(アメリカからの客員研究員)は、このスターウォーズの新作は「反ブッシュ的」と興味深々だったけど、これは映画の中ではあからさまなので、別に深く考えなくても分かることだった。まあ、批判される当の本人のやることのほうが、もっとあからさまですが。そんな意味合いも映画に込めるとは、タイミング的に面白い。

従業員の役割とリーダーシップ

2005-05-25 05:12:49 | コラム

ヨンショーピン-ヨーテボリ間を走る列車

この間書いたように、スウェーデンの国鉄は遅れた場合に運賃の一部を払い戻す制度を設けた。場合によっては1時間も遅れないと、払い戻しの対象にならないけれど、大きくダイヤが乱れれば国鉄にとっては大きな損失になるから、少しでも遅れないようにと努力しているみたいだ。2005年になってからも、大規模な線路の付け替えによる代替バスの遅れ、分岐ポイントの不良が各地で見つかったため全国的に徐行運転、などなど、大きなトラブルもあったものの、努力の成果か、1ヶ月前に発表された統計では、95%の列車がダイヤ通りに動いているのだと! しかも、“ダイヤ通り”の基準も以前の15分以内から5分以内に大きく改善されている!

スウェーデンでも、ダイヤが比較的に密な地下鉄や近郊通勤列車では、焦りの度合いは多少は違うかもしれないが、それでも5分遅れなければ遅れたことにならないから、この間の宝塚線での事故のときに、JRの運転手が90秒の遅れを必死に取り戻そうとしていた、というエピソードに対して、スウェーデンでは驚嘆の声が上がる。

日本に帰ったときに鉄道を使うと、山陰線のようなローカル路線でも、普通列車が3分遅れただけで「遅れて大変申し訳ありません。松江には定刻どおり着くよう全力を尽くしております」と車掌さんが本当に申し訳無さそうにアナウンスを入れるのは、とても健気(けなげ)だと思う。

日本では、たとえ一車掌であっても、一運転手であっても、乗客にとってはJRという会社側に立つ人間。だから、その人に原因がなくても、会社側に立って必死に弁解する。スウェーデンではどうかというと、車掌さんも運転手さんも国鉄SJに雇われた労働者に過ぎない。労働者一人一人に車掌さんなら車掌さん、運転手さんなら運転手さんなりの役目が決められていて、その範囲ならちゃんと役目をこなすけれど、それ以外のことはしない。

あるとき、私が特急でスウェーデン中部のSundsvallに向かっているときのこと、突然の豪雨でダイヤが大きく乱れていた。その特急も立ち往生。乗客から苦情が出たのか、車掌がアナウンスを入れる。「指令所が待てというので、次の指示を待っているんだけども、一向に連絡がありません。われわれには待つ以外になす術がありません。」 遅れて申し訳ない、と国鉄側にたった“お詫び”などはもちろんない。

今年始めに中南部のスモーランド地方を暴風が襲った時には、その地域を通過するはずだった特急列車は、途中の駅で乗客を降ろして、ストックホルムに折り返すよう突然、中央指令所から指示を受けた。この先どうすればいいのか尋ねる乗客に車掌は「我々はただ折り返すように指示をもらった。それ以外のことは分からない」と答え、そそくさと出発してしまったという。

日本の感覚からすると、ちょっとこれは驚きだ。従業員は会社側に立つ人間、ということだけでなく、お客様は神様、という概念がしっかり染み渡っている。だから、お客はきちんともてなされて当然と思っている。各従業員には役割が与えられているが(どこまでそれが明確かは別として)、場合によってはそれ以上のことを要求される。(宝塚線の事故の後に、事故とは関係ないJR西日本の従業員が懇親会や飲み会をやっていたことが発覚して、ずいぶんと世間から叩かれたけれど、なぜ彼らが咎められなければならないのか、スウェーデン人にとっては理解しにくいのではないだろうか・・・?)

スウェーデンのやり方でよいのは、一人一人の従業員が何をすればよいのか、とても明確なこと。そして、それ以外のことに無理に気を使って、神経をとがらす必要がないこと。自分とはぜんぜん関係ないことが原因で列車が遅れても、それを自分のことのように弁解しない。従業員は気楽にやっていける。企業という大きな組織に個人がつぶされるリスクが小さい。

このようなシステムにおいて必要になるのは、労務をしっかりと管理する人。実際に現場で働く従業員をしっかりと管理し、必要なところに適切な人員を素早くまわすといった、臨機応変なリーダーシップを発揮できる人。だって、正規の従業員は与えられた職務を、定められた勤務時間内にしかしないんだもん。予期せぬ事態が起こったり、急に人手が足りなくなった時は、急遽、人員を充てる必要が出てくる。逆に、ニーズが変化して、必要が無くなった役職にいつまでもポストを設けていては、無駄なだけ。こういうときに機敏に反応して、人を配置換えする度量もリーダーには要求される。

このようなリーダーシップがしっかりと発揮される限りにおいて、スウェーデンのやり方は機能する。例えば、スマトラ島沖の津波の時に、モタモタする政府・外務省とは対照的に、リゾート地へのチャーター旅行を企画する旅行会社のお客様担当の女性が、災害の直後からてきぱきと行動し、必要な支援や、帰りの便の飛行機の手配を整え、しかもニュースにも登場して、着実に手を打っていることをアピールしたので、それ以降、ずいぶん人気者になった。(次の外務大臣は彼女だ、というジョークも聞かれるほどだ)

しかし、そのような立場にあるものがリーダーシップの発揮に失敗したときは、大きな無責任体制になる。例えば、暴風のときに、途中の駅で乗客を降ろして特急が引き返してしまったが、降ろされた乗客の面倒を誰も見なかった! 国鉄側が従業員を派遣し忘れたのか、代替バスの手配が整わず、そのまま忘れ去られてしまったのか? 数十人の乗客は、嵐吹きすさぶ中、小さな駅舎で一夜を明かした。しかし、朝になって事態が落ち着いてからも、何の助けも来ず、結局、その町を通過した長距離バスに自費で乗ってその場を後にしたというではないか!

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思いつくままに書いてみました。この辺のところ、経営学部でHuman resource managementとかLeadershipとかという科目でもうちょっと勉強できるんでしょうかね。近いうちに、ちょっと勉強してみたいものです。

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いま、電車に乗りながらこのブログを書いているけど、ちょうど今、途中の駅で業務員交代のために長めに停車している。この駅から搭乗予定の車掌さんが、他の乗客に混ざって、のんきにプラットホームのベンチに腰掛けて、パンを片手にコーヒーをすすっている姿を見ると、この国は本当にのんびりしているなと、つくづく思う。

春の到来

2005-05-24 17:51:33 | コラム
時間がなくて、なかなか更新ができないので、今日は写真で許して・・・。
先週にヨンショーピンで撮った写真です。





①ヨンショーピンの遠景。カヌーが見えるかな、②桜の季節。青空、③菜の花の季節、④もう一度、桜。背景は高齢者向けのケアつき住宅

またもやバブルの兆候?

2005-05-20 05:00:54 | コラム
今、スウェーデンの経済が熱い! といっても、失業率は未だに6%前後だし、インフレ率も1%を下回る。2004年に好調だった経済も世界的な景気の頭打ち(原油価格高騰・アメリカ経済の陰り・中国の景気抑制政策・ヨーロッパの景気後退・鈍い日本経済 etc)のあおりで、これ以上続きそうにない。

じゃあ、何が熱いのかというと、住宅の価格だ。スウェーデンは過去2年近くに渡って史上まれなる2%という低金利政策をとってきた。2004年の好調な経済成長はこの政策のおかげもあるのだろうが、低金利政策がもっと大きく影響を与えているのは、むしろ住宅市場だ。金利が低いために、家を建て替えたり、分譲マンションを買うための住宅ローンの貸し出しが大きく伸び続けている。これに従来から問題だった都市圏・地方都市圏での住宅不足が拍車をかけて、住宅の価格が大きく上昇している。銀行からの貸し出しが容易になれば、価格が少々高くても、人々は太っ腹で住宅を手に入れようする。そういう人が増えていけば、価格をさらに吊り上げても、それでも買いたいという人が出てくる、という論理だ。(需要曲線のシフト)特に、政府系の住宅金融公庫 (SBAB)による貸し出しが活発だ。最近盛んに住宅ローンの利下げを宣伝している。朝刊を広げるとSBABや他の銀行の住宅ローンの広告が目白押しだ。今年の1月から4月までの貸し出しは去年の同時期と比べて27%増という。

一部の報道によれば、住宅バブルの様相が見えつつあるらしい。さらに、もし将来、金利が上がれば窮地に立ちかねない家庭もある、ということだ。では、なぜ中央銀行は低金利を維持するのかというと、他の商品を含めた全体としては、まだまだインフレ率が低いからだ。

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スウェーデンの中央銀行は90年代始めに、政府・財務省から独立して、金融政策を担当することになった。これは、日本の大蔵省が財務省に変わり、財政政策を担当する一方で、金融政策は大蔵省から切り離されて、日本銀行が担当することとなったのと、同じ流れだ。

金融政策というのは、公定歩合の変更や、債券の売買を通じて、世の中に流通するお金の量を調節することだが、さて、中央銀行が何を指針にこの金融政策をするかは国によって差がある。詳しくは分からないが、日本の場合は、価格の安定(今の場合むしろインフレ促進)や為替レートの誘導などだろうか。スウェーデンの場合は「インフレ・ターゲット」を設けて、このターゲットを守るべく、市場に出回るお金の量を調節している。具体的には、ターゲットを2%に設定し、この上下1%、つまり1~3%を許容範囲とし、インフレ率を誘導するのを、絶対的な使命としている。

(日本でもやたらと議論された「インフレ・ターゲット」論だが、この制度を導入していないのは、先進国の中では日本とアメリカだけらしい。この制度は、インフレの抑制には効果があっても、その逆のインフレ促進にはあまり効果がないというのが、日本での議論の一つだった。アメリカでは、ヨーロッパと違って高インフレが歴史的にそれほど問題でなかったから、というのが理由だと、例の客員教授が昨日話してくれたところだった。ニュージーランドの場合、インフレ・ターゲットを守ることは中央銀行員のまさに絶対的な使命で、これが守られないと解雇されるのらしい。)

スウェーデンは中国などからの安い製品の流入や、電気製品の価格の下落、さらにはドイツ系のスーパーマーケットなどの参入によって、消費者物価の上昇率は0~1%に抑えられている。いわゆる、競争激化による物価下落だ。さらに、経済全体を見ても、2004年に経済が比較的高成長だったとはいえ、それが物価上昇にも雇用回復にもつながっていない。だから、低金利による刺激が必要だということになる。

(低インフレや雇用の伸び悩みの原因として、新聞でも雑誌でもみな口々に「技術革新によって労働生産性が高まったため」というが、これはただ不況の間に遊休していた生産設備や企業内でダブっていた労働力が効率的に使われるようになっただけだからと私は思う。)

経済が正常に機能するためには、適度な物価上昇が必要だ。そのための低金利政策も、一見すれば理解できる。しかし、物価上昇にも金融政策が効果を持つものと、持ちにくいものとがある。競争の激化や、安い製品の海外からの流入による物価下落は後者に該当するだろう。一方で、住宅などの資産市場は前者に当たるだろう。だから、効果があまり無さそうな分野での物価調節のために、全然別の分野から大きな悪影響が噴出することにもなりかねない。

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スウェーデンは1980年代後半に大きなバブルを経験した。金融の自由化政策の下で、各金融機関が担保や保証など、貸し出しに関わる制限を取り払って、貸し出し合戦に没頭した。「お客が住宅ローンをほしいと言うなら、必要な額100%全額を用立てしてやればいいじゃないか。住宅の価格が下がることなんてありえないし、下がったとしても少々で、まさか50%も下がることはない。住宅資産ほど価値の確実なものはこの世にない」と主要銀行の幹部は言ったという。住宅ローンだけでなく、電化製品や家具を買うためのローンを担保なしで貸し出した銀行もあったそうだ。結果として、住宅や株式などの資産価格の急上昇。そして、1991年にバブルの崩壊を迎えた。住宅資産の価値も見事に半減した。

さて今後どうなるのか、注目したい。ミクロのレベルでは、一銀行員として、自分の銀行からの貸し出し促進に励むのは分かるし、他の銀行が必死に売り込みをするなら、自分の銀行だって負けずに競争をするのも理解できる。じゃあ責任はマクロのレベルに経つ、政府や中央銀行か? でも彼らは彼らで、別の言い分がある。

今のスウェーデンで面白いのは、政府系の住宅金融公庫(SBAB)が進んで、火に油を注いでいるところだ。あの恐慌から15年近く。人々は経験から何を学んだのか?

スウェーデンの鉄道

2005-05-19 20:17:21 | コラム


通学のために電車を使うが、ホームで電車を待っていると突然こんなアナウンスが流れてくる。「次の列車は運休となりました。代替バスが20分ほどしたら来るので、×番のバス乗り場に向かってください。」こんなことが去年の秋にはしょっちゅうあった。

ちゃんと予定通り列車がやってきて、乗り込んだとしても油断は禁物。なかなか発車しない。突然のアナウンス:「信号不良のため、これから先には進めなくなりました。代替バスを用意します。」こんなことがよくあると、アナウンスのはじめの「ポーン」というシグナルにも、やけに敏感になってしまう。

ちゃんと鉄道が機能していても、ダイヤよりも10-15分遅れで走っていることは頻繁だ。私の住む町とヨーテボリの間には乗換えがあることが多いから、出だしでつまづくと接続の電車に間に合わず、1時間遅れで大学につくこともあった。

突然の運休の原因は、もちろん技術的なトラブルもあるが、人員的な問題によるものも多いようだ。搭乗予定の運転手・車掌が時間になっても現れない。早朝・週末に職員を確保できない、などなど。始めに挙げた例では、逆方向の電車は動いていたから、技術的なトラブルでは無く、車掌の朝寝坊だろう・・・。ストックホルムの地下鉄は、夏休みの間、職員確保が困難なため、かなり多くの便を運休にした夏もあるらしい。

ウプサラにいた頃に、60km離れた町の老人ホームで夏休みにアルバイトをしたことがあったけれど、早朝、ウプサラ駅に駆け込んで、モニターに出た「運休」の文字には何度泣かされたことか・・・。次の電車が1時間後だから、老人ホームに断りの電話を入れる。老人ホームの職員は、突然の運休は夏休みにはよくあること、というものの、朝の一番忙しいときに職員が一人抜けることには、もちろんいい顔はしない。

そんなことだから、大切な約束がスウェーデンのどこかであるときは、なるべく1本か2本、早い電車で向かうことにしている。(特に日本人との待ち合わせでは)

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去年の秋に国鉄SJ(株式会社化されたものの、全部の株を国が所有)が、広告を発表した。「今では、すべての列車の93%が定刻どおりに動いている!」過去数年の記録を塗り替える、喜ばしい数字だという。で、その広告の隅に書かれた小さな文字を見ると「“定刻どおり”とはダイヤよりも15分以内に到着した場合のこと」・・・唖然。

それでも、SJは列車の遅れを減らすべく、それなりの努力をしてきたようだ。去年の初めから「Resegaranti (=travel guarantee)」といって、目的地への到着が遅れた場合に乗客に補償をする制度を設けた。でも、これまた補償の対象となる「遅れ」の基準には笑っちゃう!

・所要時間1時間以内の場合、20分以上の遅れが補償の対象。
・所要時間1~2時間の場合、40分以上の遅れが補償の対象。
・所要時間2時間以上の場合、60分以上の遅れが補償の対象。


ヨンショーピン・ヨーテボリ間は2時間を少し上回るから、60分遅れないと補償の対象にならない! だから、軽度に遅れ始めたときは、少しでも早く着いてくれと願うけれど、ある程度遅れはじめると、もう少し遅れてくれ、と遅れが60分を超過することを願うばかり:-)

映画 「No Man's Land」

2005-05-18 07:33:59 | コラム
映画「ノーマンズ・ランド」

旧ユーゴ・ボスニアの内戦を風刺的に描いたボスニア製(2001年)の映画だ。前線の真っ直中の塹壕で出くわしてしまう敵同士の兵士。お互いを一人の人間として見始め、殺し合うこともできなくなってしまう。そしてドラマが始まる。戦争の愚かさを描くと同時に、泥沼化する戦争を前に何も積極的なことをせずに、しかも、やる気もないのに世界平和のためと言って、大きなことをしているかのフリをしていた国際社会、特に国連を風刺しているのが面白い。

真面目なテーマを扱っている一方で、至る所にちりばめられた風刺やジョークが、ユーゴ人のユーモア(結構、ブラック)を感じさせてくれる。ある一場面、ドイツの国連兵士が地雷を除去しようとする場面。フランスの国連兵士が陰で眺めながら、フランス語でつぶやく。「地雷除去部隊なんて、なんてひどい職業だ! 一度でも失敗すればそれでおしまいだ。」それに対して、もう一人のフランス兵士がこう答える。「いや、一度でなくて二度だ。最初の失敗は、彼が地雷除去の仕事を選んだことだ・・・。」

この映画のさらに興味深いところは、セルビア系ボスニア人の人気俳優が、イスラム系ボスニア兵士を演じているところだ。内戦中はこの二つの勢力が主に争っていたのだが・・・。

スウェーデン 新幹線計画?

2005-05-14 20:13:57 | コラム
雨、晴れ、雨、晴れ・・・

いつもこの季節は心地よい天気が続き、澄んだ空が広がっている。緑が出てきはじめたかと思うと、2週間も経たないうちに満開になり、まさに緑の爆発する季節!


晴れた日にバルコニーにて昼食


なのに、今年はなぜか天気がとても変わりやすくて、雨が多い。緑もゆっくりゆっくり出て来はじめているだけ。3月の終わりに来られた静岡大学のA先生は念のためにいつも折りたたみ傘を持ち歩いておられるというので、私は「少なくともこの時期は、傘はほとんど必要ないですよ。雨は降ってもちょっと待てばすぐやみますからね」なんて、言ったけれど、言った先からぜんぜん当たっていない。

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話題としてはここに書くのが遅くなってしまったけれど、この間起こった宝塚線での電車脱線の大惨事のことは、スウェーデンのニュースでも少しだけれど伝えられていた。まず、事件当日の朝に目覚まし時計のラジオのニュースで目が覚めた。すぐさまテレビをつけると、映像つきでニュースを流していた。NHKのニュース映像をそのまま使っていた。スウェーデンのテレビ局は、日本で何か大きなことが起こったときは、たいていNHKがニュースで流した映像をそのまま使っている。だから、時刻表示とか日本語の字幕もそのまま入ったままだ。

新聞でも紙面の1/3 ほどを使って、事件の記事を書いていた。事件の惨状についてもさることながら、参考情報として「日本の鉄道技術は世界でも有数で、事故はめったに経験しない。今回の規模の事故は70年以来だ」とフォローがしてあった。それから「新幹線技術では、歴史的にフランスのTGVと競ってきたが、営業速度では日本の新幹線が世界最速だ」と付け加えていた。

新幹線についてはこの記事の通り、日本の新幹線がフランスのTGVとスピード競争を繰り広げてきたことは、日本でも知られていることだけれど、日本ではあまり語られないことが一つある。それは、フランスのTGVがいくら日本の新幹線並みに速くても、実際の線路でお客を乗せて走るときは、一つの線路に一時間当たり2本しか走らせることができないということだ。日本では同じ線路を4, 5分おきに別の新幹線が走っていく。だから、一時間当たりだと12~15本も走っていることになる。フランスではそれだけ、安全管理の技術が進んでないといえるのかもしれないし、むしろ、日本ほどお客がないから、そんなに頻繁に走らせる必要がないのかもしれない。

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ここスウェーデンのヨンショーピン大学の経済学部でリサーチ・アシスタントとして勤務したことがある。様々な研究プロジェクトの一員として、データの収集や、関係団体と連絡を取ったり、統計の処理や計算などを手伝うのだ。研究プロジェクトには、大学の研究者が独自に進めている研究もあったし、自治体や利益団体からの委託調査もいくつかあった。

その中の一つが「スウェーデン新幹線計画」。フランスのTGVやドイツのICEにならって、スウェーデンにも新幹線を走らせようという野望を持つグループがある。ストックホルムからヨンショーピンを経由して、マルメに到達させる。さらにマルメの北のヘルシンボリ(Helsingborg)から海峡トンネルを掘り、デンマークに繋げ、コペンハーゲン経由で、ドイツのハンブルグに接続させる。スウェーデン国内ではヨンショーピンからヨーテボリに支線を張ることで、ヨンショーピンを中心にストックホルム・ヨーテボリ・マルメの3大都市を結ぶという、とてつもない計画だ。ヨーロッパ大陸との距離感をグッと縮めるという意味で「ヨーロッパ回廊 (Europakorridoren)」という名前がつけられている。推進しているのは、このスウェーデン新幹線が通るであろう自治体と産業界が集まってつくる「ヨーロッパ回廊 実現の会」。



で、この団体が、構想に説得力を持たせるべく、意見書を発行したいということで、技術的な部分の分析をこれまでにも大学に委託してきた。この調査プロジェクトの中での私の担当は、旅客数の推計。スウェーデンの国民が普段、どのくらいの頻度で車や公共交通を使って、どの町からどの町へ足を運んでいるか、という統計データがある。その統計データをもとにしながら、新幹線建設のおかげでそれぞれの町の間の所要時間がどれだけ縮むと、旅客数がどれだけ増え、そのうちのどれくらいが新幹線や在来線を使うようになるか、というような推計だった。推計に使うモデルは、既に出来上がっていたのだけれど、私がもう少し高度なモデルを使ってみたい、と担当の教授に言ったところ、この委託調査では大学にそんなにお金が入ってこないから、そこまで時間をかけなくても良い、との返事だった。

新幹線の夢はもう5年以上も前から、関係者の間で持ち上がっているのらしいが、政府のレベルでは議論すらされていない。だから、この委託調査は「捕らぬ狸の皮算用」的なところが多分にあった。建設を10年先に見据え、その頃は技術がさらに進歩し、コストも下がっているだろうということで、「のぞみ系」の最高営業速度を350kmに設定。そのあとに、停車駅の多い「ひかり系」と「こだま系」が続き、停車駅の数も増えていく。で、いくら「こだま系」といっても在来線並みに停車駅を増やしては、新幹線の価値がなくなるので、駅の設置場所の候補から、小さな自治体を私が勝手に外して推計したところ、途中の原稿を見た、ある自治体の担当者が「うちの町に停まらないのなら、この「実現の会」からは脱退する」と憤慨したらしい。で、委託調査を束ねる教授が慌ててやってきて「××は小さな町だけれど、ちゃんと駅を設置して推計をし直してほしい」と言ってきたなんていう、顛末もあった。

私としては、スウェーデンに新幹線なんかを作っても、割に合わないのではないかと思う。350kmも出そうと思ったら、在来線型ではなくて、踏み切りの無い特別な路線を作る必要がある。それだけ費用をかけても、旅客数が日本やドイツ、フランスとは比べものならないだろうから、それほど頻繁に列車を走らせるわけではない。
現在の在来線に走らせている超特急X2000(時速200kmくらい?)も、ストックホルム-ヨーテボリ間やストックホルム-マルメ間は一時間に一本ずつだ。

私としては、そんな費用をかけるくらいだったら、むしろ、このX2000を改良するなりして、もう少し快適にすればいいと思う。(現在のままでも、そこそこ快適だと私は思うのだけど・・・)


(※脚注)この前、新聞で目にしたけれど、スウェーデン語にも「捕らぬ狸の皮算用」という表現があった。『熊を狩る前から、毛皮の売り上げの計算をする』みたいな表現で、日本語の表現とほとんどかわらないでしょ!

共通点と相違点

2005-05-11 07:11:05 | コラム
日本から来た人からたまに尋ねられることがある。「外から見て、日本のことをどう思いますか」 日本から出て留学したばかりの頃は、政治にしろ、経済にしろ、社会にしろ、日本のネガティブな面ばかりが頭にあって、それと比較して、スウェーデンってなんて居心地の良いところなの? と、ちょっと行き過ぎた高揚感に浸った頃もあった。隣の家の芝生は何でも青々と見えがちなもの。しかし、もちろん、この世にパラダイスなんてありえない。時間が経ち、少しずつバランス感覚が身についてくると、やはりスウェーデンの社会も日本が抱えているのと同じような問題、それから、まったく異なる問題に四苦八苦しているしていることに気が付く。

弘前のほう大学からウプサラ大学に以前来られていたM先生が、こう話してくださった。「新しい場所に出れば、何でも、違いばかりが目に付き、そればかりに気が取られがちだ。しかし、むしろ共通点に注目してみることで、より新たな発見が生まれるかもしれない。」この言葉、それから4年間ずっと心に焼き付いている。それからいろいろ考えてみるにつけ、M先生が何を伝えたかったのか、分かってきた気がする。

逆に、私が最初の頃、スウェーデンの良い部分ばかりに圧倒されたのと同じように、スウェーデンに来て、ここのネガティブな面ばかりが気になって、不平しか言わない人を耳にしたことがあるけれど、これはこれでつまらない話だと思う。ここは日本ではないのは分かりきっている話で、日本でやるようにうまく行かないからといって、すべてに不平を言っていては何しに来たのか分からない。ここは外国と思って、一歩はなれたところから冷静な目で見ていれば、新たな発見があるかもしれないし、へこたれることもないだろう。

要は、バランス感覚。すべてを白と黒で分けようとするのではなく、グレーの部分が世の中にはいっぱいあることを頭に置いておくべきだと思う。

私にとって、スウェーデンは驚きの国でもある一方で、やっぱり理解行かない部分もあるし、怒りに駆られることも多々ある。先にも書いたように、スウェーデンも多くの問題を抱えている。しかし、ナンだカンダ言って、もうかれこれ5年もこの国に居続けたからには、やっぱりこの国の何かが気に入っているのだな、と実感する。

私の見る、そんなスウェーデンの気に入ったところ、優れたところを、このブログで直接的に、間接的に、今後も触れられたらと思う。

一番最初の話に戻って、「日本のことをどうおもいますか」と聞かれると、日本にもいいところもあるし、気に入らないところもあるし、なかなか一言では答えられない。ただ、はっきりしてきたことは、自分自身の問題として、「やっぱり、自分の根っこは日本の文化と社会にあるんだな」ということを実感する。当たり前のことだけれど、新しいことばかりに目がいって、そんなことを自覚することはあまりなかった。以前にこのブログで取り上げたことがある、駐米のスウェーデン大使Jan Eliassonが講演の中で「国際人として生きていくうえで、忘れてはならないのは2つのもの:“根っこ”と“翼”。“根っこ”は自分がどこから来たかということ。“翼”は常に冒険心と好奇心を持って、新しいものに触れること。」と、おっしゃった。夢を膨らまして行く目的地が自分の目の前に開けていて、それと同時に、困ったときには自分の拠り所となる帰るべき場所が自分の背後にちゃんと備わっていれば、自信を持って生きていけるのではないかと思う。とてもよい言葉だと思った。

日本語講座、ひとまず終了

2005-05-10 07:15:10 | コラム
このブログではぜんぜん触れなかったけれど、1月の終わりから、実はヨンショーピンにある公共の生涯学習機関で、日本語の初級講座を担当してきました。

スウェーデン語を初めとして語学にはとても興味があるし、日本語教育にも以前から関心を持ってきたけれど、教鞭をとるのは初めて。知人伝いに、この生涯学習機関が日本語を教えてくれる人を探しているということで、考えた末に引き受けました。

生徒は、下は15歳の高校生の女の子から、上は40代のおじさんまで幅広く、全部で8人。日本語を習いたいという動機も様々で、アニメ・漫画に関心を持つ生徒もいれば、日本映画、特に近年世界進出した日本のホラー映画に圧倒された男の子、日本の音楽への関心がある人もいれば、幼年期に父親の都合で日本に3年住んだ(76年から78年)ことがあるおじさん。日本旅行にあこがれる人まで、てんでバラバラ。

そんな生徒さんを相手に、毎週月曜日の夜間、90分ずつ、12回。今日、最終回があり無事終了しました。なかなかよい教材が手元に集まらない中で、週末はいつも準備に追われ、毎週毎週やつれ顔で大学のほうとの両立をやってきました。今日の最終回は、これまでの11回を振り返って、参加者からのフィードバックをもらったり、今後の希望を議論。幸い、皆さん満足してくれて、他の町に引っ越すことが決まっている人や、高校卒業後一年間、徴兵される男の子を除いて、ほとんどの生徒さんが、来学期も続けたいとのこと。そんなやる気を聞くと、こちらもこれまで苦労してきた甲斐がある。

私も教えるという立場でいろんなことを教わったので、今後の人生に生きてきそうだ。それに、ヨンショーピン界隈に知り合いが増えました。この間、自転車トレーニングで30kmほど行った町まで訪ねに行ったのは、実はこの幼少期に日本滞在経験のあるおじさんの家族でした。それから、メーデーのデモに参加していた高校生の女の子も実は私の生徒でした。

Liberalism (自由主義)

2005-05-08 23:55:07 | コラム
TTさんからコメントを頂きました。文字化けしておりましたが、幸い私も同じ辞書を使っておりますので、訳つきで書き直してみたいと思います。

Liberalism - politisk åskådning som slår vakt om såväl den enskildes som den privata företagsamhetens frihet men ändå accepterar statliga ingrepp för att säkra medborgarnas välfärd

自由主義 - 個人の自由および民間主体の利潤追求の自由を擁護する政治的イデオロギー。一方で、国民の福祉を保障するための政府による介入をも容認する。


とあります。ご指摘の通り、スウェーデンのFolkpartiet(国民党)はLiberalernaとも呼ばれるため、和訳の際には自由党とも訳されます。イデオロギーを比較する上での位置づけが難しいところです。しかし、そもそもliberalism(自由主義)というのは、ずいぶん幅広い概念なので、左-右という対立軸の中には収まりきらないと思います。むしろ、liberalismと対峙する概念はconservatism(保守主義)だと思われます。もともと中世の終わりから近代の始めにかけて、絶対王政や専制主義、国教会の宗教独占に反発して、人々の生活や経済活動の自由が謳われたときの考えではないでしょうか。(ピューリタン革命・フランス革命・アメリカ独立戦争・・・)

conservatismと対立するこのliberalismというイデオロギーにはpassiveなものとpositiveなものがあると聞いたことがあります。以前に走り書きした私の落書き帳を見ますと、

Den passiva liberalismen(受身的自由主義): friheten från att andra människor eller politiska institutioner begränsar min egen frihet
(他人や政治的な機関が個人の自由を制限することからの自由)

Den positiva liberalismen(積極的自由主義): friheten (rätten) att själv få bestämma över sina egna villkor
(自分自身の人生の条件(あり方)を自分で決めることができるという自由(権利))

とあります。

チョコッとだけ書いたように、スウェーデンではliberalismの中にもmarket liberalism(市場自由主義)social liberalism(社会的自由主義)という二つの路線があります。market liberalismは上記の訳の「民間主体の利潤追求の自由を擁護する政治的イデオロギー」の部分だと思われます。passive/positiveという区分からすると、これはpassive(受身的)により近い気がします。
social liberalismは、これとは対照的に、訳の後半の部分「国民の福祉を保障するための国家による介入も容認する」の考え方をより強調したものだと思います。以下のパルメ元首相(社民党)の発言に端的に表されていると思います。

Olof Palme: ”Vad är frihet värd om man inte har medel att utnyttja den?”
「せっかくの自由も、それを活用するための手段(お金)がなければ何の価値があるのか? 」


つまり、自分の人生を自分で決めるという自由も、社会的な権利を行使する自由も、経済的な条件の整っている人にとってはその価値を存分に享受できても、そうでない人にとっては、何の意味も持たないということです。ここには、低所得水準の人や、何らかの形でハンディを負った人などが含まれます。そのため、social liberalismの考え方では、政治的な決定を通して、自由をうまく行使しきれない人の生活条件を改善し、国民一般に一定レベルの自由享受の水準を維持していこう、ということになります。例えば、教育をうけて自分の好きな職業に就くという自由を行使できるようにするために、教育補助金を大学生に供与することで、親や本人の所得に関わらず、大学教育を受けることができるようにしたり、子供を持って家族を形成するという自由を、職業人生と両立させることができるように、公的な育児手当の供与と、育児休暇の権利の保障するなどです。挙げればキリがありませんが、避妊やabortもここに含まれます。つまり、自由を享受するための前提条件を政府による介入によって保障しようというわけです。

このように、social liberalismやpositive liberalismに従えば、政府による経済や社会への介入もれっきとした自由主義ということになり、他人や政府の介入から逃れるというmarket liberalismやpassive liberalismとは相対するということにもなります。こういうわけで、同じliberalismでも何の自由を強調するかによって様々な見方ができるようです。

最後になりましたが、懸案のFolkpartietですが、この党のいうliberalismは「伝統的な価値観による個人の束縛からの解放」という漠然としたアイデアがおおもとになっており、marketとsocialの両方の意味合いのどちらにも取れます。実際、所属の議員や党員は中道から中道右派にかけて幅広くいるようです。しかし、どちらかというと政府による経済や社会への介入という考えには消極的で、現在、党が掲げる具体的な政策も、民営化、減税、私立学校の導入・・・となっており、こういった意味でスウェーデンでは右派として捉えられているのが理解できると思います。ただ、例えば、失業手当については現在の80%水準の維持を訴えており、他の右派系政党のいくつかが掲げる、失業給付の削減とは一線を画しております。

言葉の持つニュアンスの違い

2005-05-07 18:23:19 | コラム
先日、マクロ経済学IIであったやり取り。アメリカUCバークレーから来ている客員研究員が教官だが、金融と財政政策に関するモデルで、Gというのが財政政策の変数を表すということで、ごく自然に「保守政党が政権をとればこのGは小さくなり、逆にリベラルな政権ならGは大きくなる」と教官が口にしたところ、すかさず私のクラスメートから「Liberal in an American sense?」とツッコミが入った。

アメリカでは、政治イデオロギーを ”左-右” もしくは ”革新-保守” というスケールで見た場合に、共和党が保守(右派)で、リベラルな民主党が革新(左派)、というイメージがあるようだ。一方、スウェーデンではリベラルといえば、一般にmarket liberal(市場自由主義)と捉えられることが多く、この意味から言うと、リベラル=右派と思われがちだ。だから、言葉一つが持つ意味もどの文脈で語られるかで、大きく違ってくる。ちょっとしたカルチャー・ショックかもしれない。スウェーデン政治でもっとも右側に位置するといわれる穏健党(保守党)やキリスト教民主党も、アメリカのスケールに並べると、革新の部類に入るのだろう。このあいだ挙げた移民排斥・極端な減税を掲げるSverigedemokraterna(スウェーデン民主党)になって初めて、アメリカでいう保守の部類に入るのかもしれない。

同じ講義中に、教官が紹介した論文の中に、”American economy in the post-war era”という表現があって「アメリカ経済の”戦後”って、いつのことを指すんだろうね」と隣のクラスメートと笑ってしまったが、これはちょっと酷な皮肉なので、ツッコムのはやめた。

(*脚注)スウェーデンでも、リベラルをあえてsocial liberalと言い方をすれば、これは中道から左派にかけてのイデオロギーのことを指します。