火曜日にスウェーデン議会が正式に開会された。儀式性の高いもので、国王が登場し議会を開会する。そして、その後に首相が所信表明演説を行った後、新内閣を発表する。
しかし、国会の開会に先駆けては、議会と王宮の近くにあるストール教会でミサが行われ、ストックホルム主教区の主教が説教(説法)を説くことが慣例となっている。ただ、政教分離の原則があるため、宗教色の濃いものではなく、議会の開会を前にした緊張の面持ちの議員たちに国民の期待に応えてしっかりと頑張るようにエールを送るための儀式となっている。主教の説く説教(説法)も聖書の内容に基づくものではあるが、今の社会にとって特に重要なキーワードを選んで、一般的な道徳を説くものである。
さて、国王などの来賓に続いて、議員たちが到着した。みな正装だが、中には民族衣装を身にまとっている議員もいる。やはり注目されたのは、ポピュリスト・極右政党であるスウェーデン民主党の議員だが、愛国主義や伝統をことさらに強調する党とあって、党首は自分の出身地であるブレーキンゲ地方の民族衣装を身につけて登場した。スウェーデンの伝統を守れるのは自分たちの党だけ、とでも言わんばかりだ。一方、社会民主党の女性部会の代表を務めている女性議員Nalin Pekgulはトルコのクルド地方の出身だが、彼女はクルドの民族衣装を着こなして、スウェーデンの旗を手にしながら登場した。多文化のスウェーデンを象徴するためでもあるし、スウェーデン民主党に対抗するためでもある。
このミサで、大きなハプニングがあった。主教である女性牧師による説教(説法)の途中の出来事だった。
彼女の話はこう始まった。
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国民から信頼を託され、議員という役目を担うことになった皆さん、おめでとう。85%の有権者、つまり600万人強のスウェーデンの人々は、
私たちみんなのために良い社会を築き、素晴らしい将来を作り上げる資質を持ち備えているのはあなただと考えたからこそ、議員に選んだのです。その
信頼を背負うということは偉大なことです。議員という役目は、一人で果たせるものではなく、ともに助け合いながら行っていくものです。その協同が一人ひとりの活動よりも大きな意味を持つのです。民主主義とはそうやって機能するものだと思いませんか? 政治とは、自分自身のエゴから
私たちみんなに関わる物事へと視野を広げていくことです。自分の住む地域の社会に目を向け、さらにその向こうを見つめてみましょう。なぜなら、私たちは自分だけで生きているのではないのですから。
私たちの役目と責任は、国家というものが規定する国境よりも大きなものです。私たちを必要としている
世界があるのです。
私たちの連帯、お金、そして特に私たちの視線と声を必要としている
世界があるのです。
あなた方には多くの期待が掛けられています。しかし、勇気を失ってはいけません。あなた方に声の代弁を託した私たちは、傍で応援しています。民主主義とはそうやって機能するものだと思いませんか?
(中略。聖書からの一節に触れる)
すべての人間には出生地や性別、年齢に関係なく、そして、ホモセクシャルであるかどうかに関係なく、
尊厳があり、同じだけの価値を持っているのだと信じている私たちは、議員となったあなた方が常に私たちと対話を持ち続け、「あなたのために何ができるだろうか?」と問い続けてくれることを期待しています。そして、そのことで社会が良い方向に動いていけば大きな喜びとなります。
昨日、ストックホルムや国内の各地では数千人の人々が集まり、声を上げました。
同じ人間同士に区別を設けようとする動きに対して、反対の声を訴えたのです。
「あなたには私ほどの価値はない」「あなたには私ほどの権利はない」「あなたには自由を享受しながら生きる資格はない」と主張する
人種差別に対して、拒絶の気持ちを表現しました。この
人種差別は、ある人がたまたま世界の別の場所で生まれたという違いだけで、人々に差別をつけようとしているのです。キリスト教を信じる者にとって、そのような差別は決してできません。人間に違いをつけることは、尊厳を犯すことです。人種差別をなくすためには、あなたたち数百人の人に議員としての役目を託すだけでは不十分です。これは、私たちみんなの役目であるからです。そして、人間としての価値を護るという闘いにおいて、誰かが声を上げなくなったり、声を封じられることがないように、石でさえ声を上げるくらい私たちみんなで頑張っていかなければなりません。そのために、神は支援の手を差し伸べてくれることでしょう。
私たちはたくさんのことを成し遂げなければなりません。そして、そのためには巧妙さと勇気と人間同士の温もりが必要です。役目に喜びを感じましょう。役目の重さを感じましょう。私たちが託した信任を実感してください。すべてのことにトライして、良いものを生かして行こうではありませんか。人間に区別をつけてはいけません。私たちを創った神の慈悲を感じましょう。
そうすることで、私たちは今を生き、将来へと歩んでいけるのです。
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説法のテーマは、
基本的人権と
すべての人々の同一価値、そして
人種差別反対であった。このようなテーマについて牧師などが道徳として人々に説くのはよくあることだが、今回は、
イスラム教を敵視し、外国生まれの住民の排斥を訴えるスウェーデン民主党が議席を獲得したという事実もあったので、
主教はその重要性を特に強調したかったのだろう。
スウェーデン民主党の20人の議員は、この説法を最後まで聞くことなく、
途中で退席してしまった。スウェーデン民主党と名指しをされたわけではないのに、「すべての人々が同じ尊厳を持っている」や「人種差別に反対」という部分が、
自分たちに対する嫌がらせだと感じたのだった。
教会を後にするスウェーデン民主党の議員
また、「昨日、ストックホルムや国内の各地で人種差別に抗議する集会が開かれた」という部分に対しても、スウェーデン民主党は「一部の集会では左派の活動家が多かった」と指摘した上で「過激で暴力的な極左な活動家を擁護するつもりか!」と怒り狂ったのだった。しかし、実際には、スウェーデン民主党が議会入りを果たした
国政選挙の翌日から、スウェーデン各地では極右のこの党に抗議する大規模な集会が断続的に開かれており、左派だけでなく、中道保守などの政党を支持する人も含めた
スウェーデン社会を構成する幅広い人々が、
基本的人権の重要性を改めて考えるキャンペーンに賛同するようになっている。主教が説法の中で触れた「昨日の集会」というのは、その一例に過ぎず、左派の活動家だけを賞賛したわけではない。むしろ、
スウェーデン社会を織り成す基本的な価値観を述べたに過ぎない。
スウェーデン民主党はこれまでの活動の中で、極右というレッテルを貼られないように「自分たちは人権を尊重しているし、人種差別はしない」と主張してイメージアップに努めてきたのだが、この説法の途中に退席するという行動を通じて、
ひたすら隠そうとしてきた本当のイデオロギーをむしろさらけ出すことになってしまった。スウェーデンに対する愛国主義や伝統を重んじるこの党は、
スウェーデン国教会を自らのイデオロギーの拠り所の一つとしているのだが、そのまさに国教会からそっぽを向けられてしまったわけだ。サッカーの過激なフーリガンが、自分の応援するチームから「あなた達にはスタジアムで応援してほしくない」と言われたような感じだ。ただし、説法を行ったストックホルム主教区の主教は
「基本的な価値を共有している限り、誰でも教会には歓迎したい」と言っており、特定の政党を追放したりするつもりはないという。