スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

温暖化ガスの削減状況

2005-11-27 08:33:43 | コラム
EUのプロジェクトとして、南極の氷を地下3000メートル掘り、取り出された氷に含まれる二酸化炭素の量を測定が続いているそうだ。過去650000年にわたって地球の大気に含まれる二酸化炭素の量の変化が分かるだけでなく、氷に含まれる水素原子の同位体(アイソトープ)を計測することで、気温の変化も分かるのだという。

歴史的に見て分かるのは、二酸化炭素の含有量が増えた時期と地球上の気温が上昇した時期は驚くほど一致しているのだそうだ。両者の増減には定期的な波があり、100000年の周期で氷河期と温暖期を繰り返しているのだという。面白いことに、氷河期から温暖期に移行する時には、これまでは大気の気温の上昇が、600年から1000年ほど二酸化炭素の含有量の上昇に先駆けて起こっていたのらしい。

つまり、仮説はこういうことらしい。地球が太陽を回る軌道は、100000年の周期で円形と楕円を繰り返す。この軌道のズレに応じて、まず大気の気温が上昇し始めるのらしい。そうすると、海水の水温が少しずつ上昇し始め、溶け込んでいた二酸化炭素が大気中に放出される。大気中の二酸化炭素の濃度は次第に上昇していき、温暖化効果を生み出す。既に暖かくなっていた地球の気候が、この温暖化効果によって相乗効果を得て、さらに暖かくなる、ということらしい。つまり、歴史的に見ると、気温の上昇が先(卵)で、二酸化炭素の上昇は次に起こること(ヒヨコ)なのだそうだ。

現在、地球の気候は氷河期から温暖期への移行中で、大気の気温は過去2、3千年の間に上昇してきている。それと共に海水中から二酸化炭素が放出されていき、大気中の濃度が上昇している。

地球温暖化論争で、二酸化炭素の排出削減に消極的な側の論拠の一つは、人間の産業活動に関わらず、地球は氷河期と温暖期を繰り返しているのであり、今はその温暖化移行期なのだから、意味がない、というものであった。しかし、このEUのプロジェクトで明らかになったのは、現在の二酸化炭素濃度の上昇の勢いは、これまでの自然なサイクルでは説明できないほど凄まじいものだということだ。やはり、人間の活動が温暖化のプロセスを促進しているのではないか、という見方がますます有力になってきた。

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地球温暖化防止のための国連会議が近々、カナダのモントリオールで始まる。今回で11回目の開催だ。第3回の京都会議では、各国の温暖化ガスの削減義務枠が定められたが、それが実際に発効したのは、ロシアが批准した今年の春であったことは記憶に新しいところだ。

京都会議では、削減に積極的なEU(15%削減を主張)と消極的なアメリカ・オーストラリア・日本の対立のために、最終的な合意に至ったのは、期日を一日延長した真夜中だった。その「京都議定書」ではEU・アメリカ・日本がそれぞれ8%・7%・6%削減で確か合意した。

自らに厳しい目標を設定した上で、その達成に向けた具体的な行動計画を作成するというEUの戦略にはとても感心した。そんなの非現実的と、最初っから取り合おうとしない他国の態度との違いがとても顕著だった。

さて、EUは6%削減という目標をEU加盟国に一律に課して達成する、というわけではなく、国ごとに環境技術の水準や経済状態、これまでの省エネ努力などに配慮しながら、国ごとに違った削減目標を設けている。(国によっては排出を増やせる国もある)そして、EU全体として6%削減できればいいという戦略だ。

さてさて、前置きが長くなりましたけれど、スウェーデンや他のEU諸国の進捗状況はどうだろうか。スウェーデンはEUの中でも温暖化ガス排出量を増やしてもよい国の一つで、2010年までに1990年比で4%増に留める、という目標を課せられている。一方で、スウェーデン政府はそれよりも厳しい、4%減という目標を自らに課して、排出量削減に努力してきた。その結果、2002年の時点で、既に2%減を達成するに至っている。

この達成水準は他のEU諸国と比べると顕著で、スウェーデンはイギリスに次いで、ドイツと共に二番目の優等生のようだ。下の図は、2002年の時点で削減目標をどれだけ達成したかを示したもの。グラフが左側に出ていれば、EUの定めた目標を既に超えて、それ以上に削減達成を果たしていることを意味し、一方で、右側にグラフが出ていれば、まだまだ削減が不十分であることを示している。(スウェーデンの場合は、目標の4%増と達成値の2%減を比較して、6%の達成超過ということ) 火力発電の多いドイツがスウェーデンと並んでいるのはちょっと驚きだ。EU全体では目標まで1.9%の削減が必要だとわかる。



削減達成を容易にするために、排出権取引が認められたり、途上国への技術移転や植林の効果なども、自国の“削減”に数えることができるようになった。しかし、スウェーデンの場合にはこれらの措置を加えなくても、自国での努力だけで削減が着実に進んでおり、これは見逃せない。

スウェーデン政府は、削減目標の緩和を期待する産業界と、12%減を主張する環境党の間で板ばさみになりながらも、これまでの4%減という目標をこのまま維持し続ける意向のようだ。

村上春樹 『Underground』

2005-11-25 09:51:33 | コラム
東京の地下鉄サリン事件を扱った村上春樹のドキュメンタリー作品『Underground』が最近スウェーデン語にも翻訳されて刊行された。スウェーデン語の翻訳本は『Norwegian Wood』に続き二つ目だ。彼の作品はスウェーデンでも比較的知られている。他のヨーロッパの国々でも知られているようで、例えば、クロアチアにいたときの私の課長であったポーランド人の女性も、彼の作品をポーランド語で読んでいた。まさかと思って、地元の図書館に行ってみたら、どの作品だったか忘れたけれど、クロアチア語にも訳されていて仰天した。

さてさて、発売に前後して、今月は日刊紙の書評欄やテレビの文化番組でも盛んに取り上げられていた。スウェーデン人にとってなぜ興味深いかというと、事件自体のもつインパクトもさることながら、セクトによるテロという点に着目すれば、スウェーデンを始めとする西側諸国で起こってもおかしくなく、人ごとではないから、とも言えるのかもしれない。

日刊紙DNの書評では、村上春樹が“オウム真理教”現象を日本を始めとする、豊かな先進国の社会とは切っても切り離せないものだ、と指摘している点に注目している。日本では、社会から疎外感を感じる、特にエリート階層の人間が挙ってこのセクトに押し寄せたとか。社会が同じく成熟した西ヨーロッパでも似たような現象が見られる。今年の夏にロンドンで起きた地下鉄テロの犯人らは、社会の本流から疎外感を感じ、あるイスラム過激派のグループに魅了された人々だったことも記憶に新しい。ちょうどその頃、スウェーデンでも社会に馴染めない移民系の若者を積極的に勧誘して、イスラム教の原理的教義を教え込む団体があることが新聞に取り上げられたりしていた。(過去のブログ)

この本『Underground』を通じて日本の社会や文化を垣間見ることもできるようだ。書評では「日本人のサラリーマンの多くが、事件に巻き込まれながらも、そして、体がしびれ、視界が真っ暗になりながらも、這いつくばいながらタクシーや次の電車で職場に向かった」ことを取り上げ、「スウェーデンの財界関係者やそれに関わる政治家にとっては、なんと羨ましいことだろうか」と逆説的なコメントが付け加わっている。

これは極端な例としても、他の例として、90秒の遅れを取り戻すべく電車を必死に走らせて脱線した事件などは、日本の社会のある種の異常さを端的に示している例(anecdote)ではないだろうか。この『Underground』では、サリンの被害者の多くが、その後、長い間にわたって体調が思わしくなく、職場で思うように仕事ができないために、職場で厄介もの扱いされ、イジメや冷たい待遇を受けた、ということが書かれているようだが、スウェーデン人はこれを読んでどう思うのだろうか。

村上春樹の分析によると、サリンを撒いたオウム教徒だけが特別な、異常な人間なのではないようだ。自ら通勤途中に被害に遭って後遺症を負ったサラリーマンはインタビューにこう答えているらしい。「自分がもし彼らの立場だったら、自分もサリンを絶対に撒いていただろう。上司の命令は絶対で、言われたとおりにしかできないという点では会社組織も同じものだ」と。会社社会の中の会社人間。自らも盲目的に組織に従い、良心に関わらず、言われたことをしっかりこなしている。会社の不正を隠したり、有害な汚水を垂れ流していたり。気づけば、自分も彼らと変わらない、同じ精神状態にあったという指摘はなるほどな、と思った。

ヨーロッパの社会でも多かれ少なかれ組織への盲目的追従は見られるだろうから、村上春樹がこの本で扱っているテーマはどの社会にも当てはまる普遍的な問題なのだろうか。それとも、その傾向が日本で以上に高いとすれば、日本特有の問題だということになるのだろうか。

学科をまたぐ学際的な特別講義

2005-11-18 05:43:45 | コラム
Comparative Political Economy(比較政治経済学)という講座が10月から、毎月3回という集中講座形式で始まっている。これは博士レベルの講座で、経済学部だけではなく、社会学、心理学、行政学、経済史学、経済地理学、経営学など様々な学部から講師を招き、講座のタイトルに関連するそれぞれのトピックについて学ぶのだ。学生もこれらの幅広い学部から参加し、それもヨーテボリ大学だけではなくて、スウェーデン中の大学から、北はウメオから南はルンドなどからも来る。とかく交流の少ない学部間で共同の講座を持つことで、それぞれのディシプリン(学部)でアプローチがどのように違うのかを知ったり、他のディシプリンのアプローチからも新しいものの見方やアイデアを得ることを狙った面白い企画だ。

日本の大学では経済学部の中に、経済学や経営学、経済史学、経済地理学、政治経済学などアプローチが大きく異なる学問分野が一まとめになっていることが多い。扱う分野やアプローチがまったく違っていても、すべて“経済学”の名のもとに集約されてしまいがちで、学ぶ学生としては(少なくともはじめのうちは)、全体像がつかめぬまま混乱してしまうこともあるかもしれない。経済学というのは幅広いテーマを扱うことができるのだ、という期待を持たせてくれる半面、それぞれの先生がまったく異なる研究テーマを持ち、それぞれの立場からテンでバラバラなことを言っていて、学部として一貫性が見えにくい、と思ったものだ。

これに対し、スウェーデンの経済学部は大雑把に言って、経済学と計量経済学の部分だけを含んでいる。そして、他の経済史、経済地理学、政治行政学、経営学はそれぞれで独立した学部を持っているのだ。それぞれのディシプリンがこうして明確に学部ごとに分かれていて、分かりやすい。(もちろん、一つのディシプリンの中にも様々なアプローチがあるのは、言うまでもないが)

しかし、この制度の弱点は、ディシプリン間の交流があまりなく、視野が狭くなってしまうこともかもしれない。たまには隣の学部の研究者がどのようなやり方でものを考えているのか、ちょっと覗いてみることは面白いし、刺激を与えてくれる。だから、この講座はそんなことを狙ったものなのだ。各回に共通するテーマはInstitutionalism(制度学的アプローチ)だ。

スウェーデンの様々な大学から博士課程の精鋭が集まり、全部で17人。経済学部は僕と同級生の女の子、それからヴェクショー大学で既に博士論文を発表した女性。それから、幾人か社会学部や行政学部、あとはみな経済史学部。

やはり感じるのは、各ディシプリンで研究の仕方が大きく違うことだ。経済史や社会学の文献はダラダラと文章が長くて、しかも、同じことを手を変え品を変え、繰り返し言っているだけのように私には思えた。一方で、経済学お得意の、(アド・ホックな)仮説を立てて、データを集め、実証分析をして、因果関係を示すようなやり方は、経済史や社会学、政治学の人にとっては不満がたくさんなのだそうだ。さらに面白いことに、これらのディシプリンの人々も仮説を実証的に示すために回帰分析を使うこともあるのだが、結果のプレゼンテーションの仕方が経済学のものと異なっていることもあるようだ。

経済学の中にも最近は、完全情報や完全合理性という新古典派のオーソドックスから離脱して、それらの仮定では説明できない「贈与、互恵、協力、正統性、etc」といった概念を扱った“行動経済学”などの発展も見られるが、このアプローチで頻繁に用いられる“実験ゲーム”や“アンケート”などを使った価値観や心理状況の計測といったやり方は、他のディシプリンの教授から、そんなもの当てにならない、と相手にすらされていなかった。経済学の上記のような先端分野は学際的で、他のディシプリンとの情報交換なども多分に進んでいるのかと思っていたが、実はまだまだのようだ。

スウェーデン人らしく、初回の授業ではみな大人しい。いかにもスウェーデン人らしい。それでも、1回、2回と回を重ねるごとに、みな少しずつ打ち解けてきて、昨日、5回目の講座の後の夕食会では、ワインもかなり入り、みんなよく喋ること。“スウェーデン人はお酒が入れば社交的になる”というけれど、その好例をまた一つ見せてもらった。それにしても、スウェーデンでの博士の学生は年齢がかなり幅広い。80年代生まれもいると思うと、一方では、子持ちや40代半ばの人まで様々。これも見て、内心ホッとする。

話をした中で一番印象に残ったのは、“博士課程在籍中にしたことが後々の研究者としての人生を決める”ということだ。つまり、博士課程の4年間なり5年間なりに学んで、使いこなし、研究を行った手法なり方法論なり分野と同じことしか、その後できない、と極端に言えばこういうことらしい。時間的余裕がなくなり、新しいことを試す可能性が少なくなるし、とくに理論系の研究のように、意味のある結果がでるかどうか分からないリスキーな挑戦を支援してくれる財源を見つけることも難しいからのようだ。だからこそ、今のうちにアンテナをしっかり張りながら、いろんなことを試しておきたいと思う。

今度はヨンショーピン!

2005-11-13 02:07:30 | コラム
また、やられた!

つい一週間前にヨーテボリ北部で現金輸送車の襲撃事件があり、その後の現金不足の記憶がまだ青ざめない時に、また起こった。しかも、今回のはヨンショーピン。

日本語教室をアレンジしているFolkuniversitetetと同じ建物の一階に、スウェーデン中央銀行のヨンショーピン支店がある。ヨンショーピン地区の現金はここに集積されており、ここを警備する民間の警備会社の事務所も併設されている。ここが今朝7時半に暴走してきた車に突っ込まれ、4~7人の強盗に襲撃された。ホンの数十秒のうちに現金が奪われ、市内を走り抜けて逃げていったという。現場は市の中心部であるのにもかかわらず、目撃者の話だと、警察の到着までに30分近くかかったとか。

これだけですまなかった。犯人が置き土産を残してくれたのだ。しかも、現場とはまったく関係ないところに!

ヨンショーピンは県庁所在地ということで、県庁や県警、税務署や農務庁などの公共機関が集まっているところがある。ヨンショーピン大学もこの地域に併設されている。ちょうど大学とこの地域の間を抜ける道路上に、強盗事件を前後して、おかしな車が止められているのを誰かが発見した。ただの駐車違反かと思いきや、中からは爆発物らしきプラスチックの物体と電線が出てきた。

とっさに、周囲には退去命令が出され、官庁や大学の建物がすべて閉鎖。3000人が直ちに退去した。マルメから爆発物処理班が急行し、午前中かかって爆発物の撤去が試みられたとか。でも、どうやら幸い爆発物ではなかったらしい。近くに県警本部があるため、警察の捜査活動を妨害するつもりで置かれたものと見られている。実際、事件の直後に、警察はこちらの車の対処と周辺の安全を優先せざるを得ず、現場への到着にてこずったのらしい。

官庁街では仕事ができず、大学もすべて休講となり、暇をもてあました人々は警察の作業の間、近くの(私が以前住んでいたところの近くの)体育館でコーヒーがふるまわれたとか。この辺は、ヨンショーピンらしく、のんびりしている感じがする。

それにしても、こんなことがヨンショーピンでも起こるとは。月曜日の日本語の授業はどうなるのかな・・・?

テレビのニュースより
映像1
映像2

また、やられた! 現金強奪!

2005-11-05 20:38:04 | コラム
ヨーテボリはやはり大きな町ということで、パトカーがサイレンを鳴らしながら走っているのをよく見かける。青い非常灯を回しながら、数台で路面電車やバス専用のレーンを思いっきり、たまには逆走もしながら走っているのを目撃すると、また何事かあったのかと気になる。いや、本音を言えば、ちょっとワクワクする・・・。

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今年の夏に数件の現金輸送車の襲撃事件があり、今後は警察のエスコートも検討せねばならないが、警察にはそれだけの余裕がない、というニュースが流れたその日だった。

木曜日に、ヨーテボリ北部、30kmのところにあるStenungsundという町で、また現金輸送車が襲われた。手口は以前の事件と似ていて、高速道路を降りるときに、誘導路の細い部分を走っている最中に襲われた。民間の警備員二人は引き摺り下ろされ、犯人は車両の後部にある金庫を車両ごと爆破。こうして大量の現金が盗まれた。

統計を見ると、今年に入ってから34件の襲撃事件があったという。しかし、近年では年によって36件や50件も起こったこともあるから、数自体は急増したわけではない。ただ、一件あたりの被害額が急増しているとのこと。夏には、現金の集積所自体が襲われたこともあった。

今回の事件を受けて、警備員が所属する労働組合が声明を発表した。「従業員の安全を第一に考え、警察のエスコートが確保できるまで、当面、現金を輸送させない」公共の利益が損なわれることが懸念されたが、この労働組合の声明に対し、国の機関である「労働環境庁(Arbetsmiljöverket)」も支持を表明した。これに対し、警察側は急にそんなことを言われても無理だと、消極的。

日常生活に対する影響もでてきた。ストックホルムやヨーテボリなどの大都市周辺を中心にほとんどの現金輸送車がとまったままなので、現金引き出し機(ATM)の現金が当面、補充されないとのことだ。商店の現金も不足する。カードによる支払いが日本とは比べ物にならないほど進んでいるスウェーデンとは言え、手元にいくらかの現金がないと困ることが多い。金曜日の午後町に出てみると、案の定、ATMの前に行列ができていた。あるうちに引き出しておこうと、みんな必死だ。

新党乱立の時代

2005-11-01 07:28:59 | コラム
日本では90年代に自民vs社民の対立構造が崩れていく中で、様々な新党が誕生した。新党さきがけ、新進党、日本新党、新社会党、などなど、ちょっと努力しないと思い出せないくらい過去のものになりつつある。そういえば、今回の総選挙でも自民党の小泉派から離反した議員がいくつかの小さな政党を作ったりした。

スウェーデンの政界も現在、新党乱立の時代だ。これまでの既存の政党は以下の7つだ。左から右へと一次元的に表現するのは適当ではないかもしれないが、彼らのイデオロギーをあえて並べてみると、次のようになる。



これに加えて、新しく誕生したのが以下の4つの党だ。このうちのいくつかは来年9月の総選挙に正式に立候補することを決めている。

(1) Vägval Vänster(左党分派、通称VVV)
上のスペクトラムの一番左に位置する左党は、かつては左翼共産党と称していたが、冷戦終結後に党名を改めた。共産主義という言葉がもつ否定的なイメージを消すように努力しながら、それまでは一線を画していた社会民主党(社民党)とも協力関係を持つようになった。社民党が左から中央にと位置転換をしていく中で、落胆した社民党支持の有権者を取り込んで行き、一時期は15%にまで支持を伸ばす。カリスマ的な女性党首の存在も、支持急増に貢献した。

しかし、昨年の秋に選出された新党首は、かつてのマルクス派を唱える旧守派。さらなる巨大な公共部門と民間企業の公有化がスローガンだ。ちょうどこの頃、公共テレビが左翼共産党の暗い過去を扱ったドキュメンタリーを作成し、これが大きな話題を呼ぶ。内容は、左翼共産党が自己声明とは裏腹に80年代に入ってからもソ連や東独の共産党と太いパイプを保っていたことを暴いたものだった。これらの結果、支持率は5%を下回るようになった。

そんな中、危機感を持った党内の“改革派”が結成したグループがこのVVVだ。リーダーはなんと、ここヨーテボリ大学経済学部の教官だ。彼は2002年まで国会議員であり、左党の副党首を務めていた。このVVVは左党に代わる、左派イデオロギーのオルターナティブを形成するためのネットワークとして始まり、メンバーは左党議員を始め、社民党議員、自由党議員など幅広い。

ただ、あくまで議論を戦わせるためのフォーラムに過ぎず、具体的なマニフェストを作るまでには至っていない。メンバーが幅広く、そもそも無理なのかもしれない。来年の総選挙に新党として参加するかが議論されているが、リーダー曰く「現在の政界には既に7党あり、新党の入り込む余地がない」とのことだ。


(2) Feministiskt Initiativ(フェミニズム的イニシアティブ、通称FI)
左党から飛び出したのは上のVVVだけではなかった。90年代から2003年にかけて党首を務めたカリスマ的女性は、フェミニズムを掲げていたことでも知られていた。彼女を中心に“フェミニスト”達が集まり、今年の初めにグループを結成した。
左派・右派を問わず、幅広いフェミニズムのフォーラムを作るという当初の考えにも関わらず、グループの幹部を占めるのは旧左党党員や急進的なイデオロギーを持った人々が多い。

メディアでこのような発言をしている。「男は獣だ」「男性と女性の権力的分配を是正すべきだ」「男性の本性は暴力によって権力を示すこと」「スウェーデン国民の50%(つまり女性)は常に虐げられ、市民権を奪われている」という怒り狂ったセンセーションが一部の有権者に受けて支持を博してきた。一方で、男性は悪者で、女性は常に被害者という、ドグマ的な社会の捉え方によって、男性と女性を真っ二つに分け、互いの権力闘争を描き出すことで女性の地位向上を達成しようとする手法には、女性の間でも反発が多い。

「フェミニズム」という言葉が具体的に何を意味しているのか不明なことが多い。「男女同権」と捉えるならば、スウェーデンの政治は様々な画期的政策を打ち出し、女性の地位向上に取り組んできた。それを支える草の根的な運動も盛んで、それが社会改革を支えてきた。このこと自体はとても素晴らしいことだと思う。この点において、スウェーデンの社会もまだ完璧ではなくて、まだ変えていける余地はある。しかし、Feministiskt Initiativはそのような土台に根を下ろすというよりも、「フェミニズム」という言葉をもてあそぶ、一部の知的エリートによる閉鎖的集団という傾向が強いようだ。最近の流行語で「エリート・フェミニズム」という言葉が聞かれるほどだ。

今年の春に、スウェーデンにおけるフェミニズムの一部に見られるセクト化を扱ったドキュメンタリーがテレビで放映され話題を呼んだ。そして、上に挙げた過激で考慮のない発言が、世間一般から集中砲火をあびた。これまで男女同権に取り組んできた人々の間でも「フェミニズム」という抽象的な言葉に嫌悪感を感じ、使うのを避けようとする人も多くなったという。

先ごろ総会があり、総選挙に新党として参加することが決まったが、具体的な政策提言がないままだ。出てきたものといえば「従来の“結婚”という概念を解体し、3人以上の結婚も可能にする」とか、「6時間労働」とか焦点がずれた物が多い。「男女同権」というコアの政策分野での提言はほとんどない。関係者曰く「そのようなことを議論し始めれば、とたんに意見が食い違って、分裂してしまう」。だから、そのような議論は避けているのだそうだ。女性同士の権力闘争も激しく、すでに幹部の数人がイジメの結果、脱退を表明している。「敵は内部にあり」か!? 総選挙まで生き残れるか・・・?

(つづく)