スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

19歳の国会議員

2005-09-22 21:35:14 | コラム
画期的な社会保障政策や環境政策、男女平等政策で世界の国々を魅了してきたスウェーデンであるが、この斬新さやダイナミックさの背後にある要因の一つは若者の力の強さだと思う。いくら若くて経験が比較的少なくても、発言する場を社会の中で与えられ、それに対して周りの大人も耳を傾けざるを得ない。若者は自分の声が聞いてもらえると分かれば、より積極的に自分を取り巻く社会の事柄に関心を持つであろう。一方で、若い間はずっと下積みに甘んじなければならず、年を取ってから地位についてやっと影響力の行使ができる、というような社会では、若者は社会に対して無関心になってしまうし、斬新なアイデアも生まれてこない。

スウェーデンで生活してきて思うのは、政治の世界でも、大学の世界でも、それ以外の領域でも、個人としてのアイデンティティーが、集団の中でのアイデンティティーよりも重視されるということだ。若者でも年寄りの目を気にせずに、比較的自由に自分の意見をしゃべっているのはとても興味深い。私はどう思う、と自己主張がきちんとできなければやっていけない。それに対し、日本では一人一人を個人として捉える代わりに、やたらと、あの人の師匠は誰で、あの人は誰々の弟子で、とか、あの人は何々派に属する人で・・・、自分はどこどこの企業の人間で、などなど、とその人の縦の関係とどのグループ・団体に属するのかということが重視される。こんなことは、スウェーデンではあまり聞かれない。私自身も、そのような“付随的”な情報には興味がない。その人自身がどんな人間でどんな考えを持っているか、ということこそが重要だと思う。それを説明する手助けになる限りにおいて、そのような“付随的”な情報が意味を持ってくるのだと思う。

スウェーデンでは、若者でも社会に影響力を行使することができる一つの例として、若い国会議員がたくさんいるということが挙げられる。スウェーデンの選挙制度は比例代表のみなので、ある政党の中で実力を見せ、認められ、党の比例代表名簿に名を連ねることができれば、20歳で国会議員というのも夢ではない。これが、日本のような小選挙区制度で、例えば60歳になるベテラン議員の対立候補を打ち負かさないと当選できないのであれば、相当に難しいだろうが。

2002年の議会総選挙で、記録が更新された。19歳の国会議員が誕生したのだ。Gustav Fridolinという男の子で環境党(緑の党)に属する。スウェーデンでは国会の政党(全部で7つ)それぞれに青年グループが存在するが、この男の子は環境党の青年グループに積極的に関わってきた。なんと12歳の若さで母体である環境党の党大会に出席し、演説をしたという。その後、1999年から2003年にかけては青年グループの代表を務めるに至る。

2002年の議会総選挙に先駆けて、党の比例代表名簿が作成された際には、彼の属するストックホルム地区で第2番目に選ばれた。党としては、若者の間で人気のあった彼を選挙活動の前線に立たせることで、若者の票を確保したいという狙いもあったのかもしれない。環境党は5%前後の支持率しか得られなかったが、結果として彼は議席を獲得するに至った。

選挙後のインタビューでこう述べている。
「これまで政治に関わってきた中でも、まだ若いということで、周囲の大人から軽んじられることが多々あったが、若者の有権者の代表として、積極的に発言していくことは大切なことだと思う。伝統や慣習に挑戦していくのは、ワクワクすることだ。エリート政治家がたくさんいるのは問題だ。有権者によって選出される議会のメンバーは、有権者をもっと反映したものであるべきだ。だから、もっと若者がいてもいいし、女性議員や移民の背景を持つ議員がもっといてもいいと思う。」

スウェーデンの歴史上で一番若い国会議員として、これまで注目を受けてきた。自ら法案を提出したり、議会内外で(過激な)パフォーマンスを披露して、荒波を立てることもあった。そして、数週間前、こんな決意を記者会見で述べた。
「次の任期を終えたら、国会から退くつもりだ」
おいおいおい、早々と引退宣言か、と思いきや、真相はこうだ。
「政治家の中には何年も何十年もそればっかりやっている人間がいるが、それはよくない。他の職業にも就いて、違った経験もしなければ、一般の市民との意識の格差はますます広がっていくだけだ。草の根の運動と、現実感覚、そして、政治家としての仕事がしっかりと繋がっていれば、このまま議会にとどまることも考えられるけれども、現実はそうなっていない。」

これはもっともな発言だと思った。彼が当選当時に語った、職業議員化に反対、という主張と一貫しているなと思う。若い政治家の中には、将来のキャリアを目論んで、権力目当てで政治家の道を選ぶものもいる。それに比べて、この環境党のGustavは社会を変えたいから政治に加わるんだ、という意気込みが伝わってくる。

日本の国会議員の平均年齢って何歳くらいなのだろう。一番若いのはどれくらいの年齢なのだろう。

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Galtero島の神隠し

2005-09-21 21:29:01 | コラム
Galterö島の神隠し

現在住んでいるBrännö島の裏には、別の島Galterö島が接している。Brännö島の中心部から砂利道を1kmほど進み、さらに海沿いの小さな畦(あぜ)道を苦労しながら500mくらい進むと、Brännö島の裏側にたどり着く。細い岩場の道をさらに歩くと、このGalterö島に渡れるのだ。

今日土曜日は日中は大学関係のことを自宅で処理し、夕方からこの島に散歩に行ってみることにした。大家の話だとこの島の草原にはキノコがたくさんあるとのことだ。



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以前は道が分からず途中で引き返したあぜ道を、今日はさらに進んでいく。海沿いは湿地帯が続き、あぜ道もところどころ雨水で水没している。水没すらしてなくても、ちょっと足を踏み込むと、とたんに、はまり込むところもあるので注意が必要。Galterö島に渡る岩場まで来ると、ピクニックをした人たちだろうか、私が来た道を逆に引き返していく人々に出会った。16時を少し回るので人々がちょうど帰っていく時間だ。

さて、Galterö島。この島はどうやらBrännö島と同じくらいの大きさだが、Brännö島とは対照的に、人がほとんど住んでいない。サマーハウスが数件あるくらいだろうか。しかし、それも岩場などの隠れたところにあるので、島はほとんど荒野だといっていいほどだ。岩場がたくさん続き、ところどころに草が生え、そんな丘を越えると平原がしばらく続く。ここには羊が放牧され、のどかに草をかいつまんでいる。あちこちに糞が落ちている。

道といえるような道はなく、人が頻繁に通ることによってできるあぜ道程度のけもの道しかない。そんな中を道に沿って歩いていく。キノコらしいものは残念ながら見当たらない。海沿いにぽつんと立つ一軒家を見つけた。サマーハウスのようで今は人はいない。

ゴツゴツした岩盤からなる丘陵がある。見晴らしがいいのかと思い、あぜ道をそれて登ってみる。真っ青な大西洋が広がっていた。ヨーテボリから海外に向けて大きなフェリーが立て続けに発っていく。島自体はそれほど大きいものではないだろうと思い、丘陵づたいにそのまま歩いてみることにした。道なき道を歩いていく。

しまった!と思った。あぜ道からかなりそれてしまい、自分の居場所が分からなくなった。回りの景色を頼りに方角を推測する。海が開けている方角が西のはずだ。しかし、行く手には湿地帯が開け、進めない。かといって、引き返すにも、どちらから来たか分からない。遭難した? 小さいはずの島で? すぐ近くをデンマーク行きの大きなフェリーが横切っていく。もし助けを求めることが必要になったら、どうしようか? 携帯を忘れてしまった。船に叫ぶしかないのだろうか?

数十分歩いた。別の一軒家の横を通り過ぎたが、ここも人の気配がない。その後しばらくして、それらしきあぜ道を発見した。しかし、どちらに向かえばよいのか、分からない。勘を頼りにあぜ道を歩いていく。島の反対側に出た。どうやったら、戻れるのだろう。と、そのとき、遠くに二人の人影を見つけた。助かったと思った。その方角にひたすら歩いていった。しかし、そこには誰もいなかった。太陽が低くなりつつある。冷たい秋の風が吹き始める。背筋がゾッとした。やな予感がした。

どこに続くか分からない、あぜ道をたどって進んでいく。見覚えのない新しい景色が次々と広がる。この島ってこんなに大きかったのか? 数十分してポツンと立つ一軒家に遭遇した。この島に来て3軒目に見る家だと思った。でも、まてよ・・・。このとき気がついた。実は同じ家だった。つまり、1軒目も2軒目も、そしてこの家もみんな同じ家。ということは、出口はこの近くか?

最初の記憶をたどりながら、しばらくして出口を見つけることができた。

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2年ほど前にタブロイド紙に、孫を連れてキノコ狩りのためにスモーランド地方の森に入ったおばあさんが、道に迷ってしまい、孫とともに一晩森で明かした後、救助された話が載っていた。自宅への道を探すべく焦るあまり、同じ場所を何度も回りながら、結局、発見されたのは自宅のすぐそばだったとか。焦ったときのあの感情は思い出すだけでも怖い。同じ風景がまったく違って見えてしまうこともある。まるで神隠しに遭ったようだ。それにしても、途中で見かけた二人の人影、何だったのだろうか?

泥棒

2005-09-16 23:37:21 | コラム
今月の初めに大学内に研究室をもらった。二人で割りと広め(25m2以上はある)の部屋をシェアしている。同じ部屋にいるのは、同じく博士課程二年目のNiklas。各研究生に最新のコンピューターが与えられ、電話も備え付けてある。荷物や文献の移動もだいぶ片付き、さてこれからがんばっていこうと張り切っていた時だった。

今朝、研究室に来てみると、パソコンがごっそり消えていた。メンテナンスでIT部門が持っていったのかと思ったが、そうではない。部屋の鍵が乱暴にこじ開けられていた。我々の部屋だけでなく、他の研究生の部屋も無残にこじ開けられて、パソコンだけがごっそりと無くなっていた。

やられた。大学の経済学部に泥棒が入ったのだった。私はちょうど前の日に市立図書館で音楽CDをレンタルして、パソコンで再生していたので、それも奪われてしまった。

被害は最新のパソコン20台、個人のノートパソコン2台。それから、個人の持ち物など。過去10年間ではじめての出来事らしい。警察がやってきて事情徴収をし、指紋を採っていたが、さてどうなることやら。奪われたパソコンが大学のものだったから、いくら最新であろうと落胆感は軽いけれど、私も前の晩に自分のノートパソコンを危うく置いていくところだった。


富めるノルウェーの贅沢な悩み(続編)

2005-09-15 23:14:11 | コラム
天然資源の豊富さによって、その国の富が決まるとすれば、それらの豊富なナイジェリアやリビア、イラクは今頃は世界で一番豊かな国であっただろう。一方で、スイスやシンガポール、日本などは、後進国の中でも一番下のほうであったろう。

ノルウェー沖の北海で石油が発見されたのは1960年代末。スウェーデンの自動車産業や医薬品産業のような基幹産業を欠くノルウェーにとっては降って湧いた話だった。ノルウェーのように天然資源によって富を得た国というのは、数え上げたらきりがない。石油の豊富な中東やダイヤモンドや金の採れるアフリカの国々・・・。

しかし、国を豊かにしてくれるはずのこれらの富をうまく活用できた国は少ないという。民主主義の未熟なこれらの国では、天然資源で得た利益が一部の富裕層のふところを潤すだけであったり、利益の分配をめぐって内戦になった例も珍しくない。石油王であるサウジアラビアの国王Faisalはこう言ったという。「たった一世代の間に我々の国民はラクダからキャデラックに乗りかえることに成功した。我々が今こうして富をもてあそんでいる間に、次の世代が再びラクダ乗りの時代への道を歩み始めているのではないかと心配だ。」

むしろ天然資源に欠く国のほうが経済発展は順調にやってこれたのかもしれない。日本やシンガポールなどは、天然資源がないゆえに、原材料やエネルギーの確保に躍起にならざるを得なかった。資源の輸入のためには、別のものを輸出することによって外貨を得る必要があった。もちろん天然資源を輸出するわけにはいかない。そのために、しっかりと産業政策を作って、国際競争力のある産業を育て、それを輸出せざるを得なかった。そのために改革に躍起になり、そして競争力のある産業立国になった。

これに対し、天然資源の豊富な国というのは、お金が次から次へと降り注いでくるために、国内の潜在的な経済問題や社会問題が陰に隠れてしまう。改革すべき国内問題に手が付けられないために、ひとたび窮地に陥ったとたんに、それまで溜まった問題が噴出することになる。

天然資源による収入の活用が容易にいかないことは前回書いた。これは「オランダ病」という名前で知られているのだという。1960年代にオランダは天然ガスを北海の沖合いで発見し、盛んに輸出を行った。しかし、オランダは流れ込んでくる外貨の管理に失敗し、オランダ通貨ギルダーの高騰によって国内産業の国際競争力が急降下した。好調な天然ガス産業とは対照的に、他の多くの産業が淘汰され、天然ガスが底をついた時に最後に残ったのは、自分の足では立てない、肥大化した公共部門だったというのも皮肉な話だ。

このような反面教師があったからこそ、ノルウェーは慎重にならざるを得なかった。前回書いたように様々な問題を抱えながらも、天然資源を抱える国としては例外的に持続的な発展を遂げてきたという。もちろん、ノルウェーが発達した民主主義国であったという事実の重要性はいうまでもない。

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前回の補足を少しだけ。石油収入をそのまま国内に垂れ流すことは危険なので、ノルウェーでは財政政策に自ら縛りを利かせるべく一定の財政ルールを設けている。石油収入は「石油基金」としてそのまま蓄積させ、それを外貨のまま海外で運用する。そしてその運用益しか、国家財政の歳入部門に流し込めないことになっている。

それから、ノルウェーが現在抱える危急の問題は簡単にまとめるとこうだ。近年の急激な賃金の上昇によって、国内産業の国際競争力が低下している。賃金の上昇を抑えるべく、中央銀行は金融の引き締めを行っているが、その結果、ノルウェーの公定歩合はヨーロッパ最大だ。高い利子率は、投資活動を停滞させ、経済の低迷に追い討ちをかける。高い利子率は為替レートをさらに上昇させる。

国際競争力の停滞と投資意欲の低迷は、失業率の上昇につながる。失業手当など社会保障費の上昇が避けられないし、人件費の上昇は公共福祉部門の歳出を拡大させる。一方で、産業の縮小によって課税ベースも縮小し、税収が逆に減っている。このアンバランスをどう解決するか。石油基金を切り崩すなりして、穴埋めをすると同時に、それによって為替レートがさらに上昇することがないようにうまくやる。そして、国内インフレを意図的に上昇させることで、実質賃金(=名目賃金/物価水準)を下落させるとともに、インフレによって為替レートを押し下げる。私が考え付くのはこれくらいだけれど、このような綱渡りのような舵取りに成功しなければ、悪循環(ス語:onda cirkel(=魔のスパイラル))に陥ってしまう。そうなると、天然資源によって一世を風靡した他の国の二の舞にもなりかねない。

産油国ノルウェーの総選挙

2005-09-14 23:10:05 | コラム
産油国ノルウェーの総選挙が今日行われた。産出量が順調に拡大し、しかも石油の高値のおかげで、貿易収支は急拡大してきた。石油輸出の収入からなる「ノルウェー石油基金」は過去最高の累積高を記録し、国庫を潤した。国連機関であるUNDP(国連開発計画)は、経済指標だけでなく他の要素も含めた“豊かさ度”を先週発表した。それによると、世界で一番住みよい国はノルウェーなのだそうだ。(スウェーデンは5か6位くらいのはず) 失業率は3.7%(2002年)と西側諸国の中では優等生。これだけ経済が好調だと、現政権の人気が高く、余裕を持って政権を維持できてしまう、と思われるかもしれないが、現実はそう簡単ではないようだ。

ノルウェーは過去4年間、右派連合が政権を握ってきた。首相はキリスト教国民党のKjell Magne Bondevik。好調な経済とは裏腹に、過去数年で国民の間の貧富の格差が広がってきた事実が、野党・社民党の選挙活動に加勢を与える。直前の世論調査によると、与党・右派連合と野党・左派連合が互角で最後の最後までどちらに転がるか分からない情勢だという。

左派の各党は、石油収入を使って、福祉や医療・教育の充実に力を入れるべきだと訴える。はたから見たら、そんなに大きな「石油基金」あるなら、他の多くの国が頭を悩ましている財政難だとか貿易赤字などの懸念がノルウェーには全く無さそうな気がする。実際、貿易黒字はGDPの15%もある。石油基金は年間の国家予算を上回る。でも、実のところノルウェーはノルウェーで、豊かな国ならではのマクロ経済の悩みを抱えているようだ。

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ノルウェーはサウジ・アラビアとロシアに次ぐ世界第三の石油輸出国。石油輸出の対価はドルなどの外貨で支払われる。問題はこの外貨収入をどうするか、だ。儲かった分をそのままノルウェー・クローネに両替して、福祉・医療・教育政策にバンバンつぎ込んだとしよう。この帰結の一つは、まず、①国内のマネーサプライの急上昇だ。マネーサプライとは市場に流通するお金の量のこと。市場に出回る商品の量が変わらないのに、人々が手にするお金の量だけが増えていけば、少々高いお金を払ってでも、生活に必要な商品を買おうとする。その結果、急激なインフレになる。

②さらに、外貨を大量にノルウェー・クローネに両替する段階で、クローネ買いの圧力が高まって、クローネ高になってしまう。国内インフレのために、クローネ高の圧力は多少は抑えられたとしても、やはり押し上げる力の方が強ければ、クローネの過大評価になり、ノルウェー製品の国際競争力が弱まってしまう。つまり、外貨(例えばドル)に換算した製品価格が割高になり、外国の人々がノルウェー製品を買おうとしなくなってしまう。石油は相変わらず需要があっていいけれども、他の産業が打撃を被ってしまう。

それから、③賃金をどうコントロールするかも大きな課題だ。いくら石油部門を始めとするノルウェー経済の業績がいいからといって、それを労働者の賃金上昇に反映させてしまうと、他国に比べて労働コストが高まってしまい、これも国際競争力の低下につながる。もしこれが、労働生産性の上昇による収入上昇であれば、労働一単位あたりの生産量が高まっているわけであり、賃金をそれに応じて上昇させたところで、それが製品一単位あたりの労働コストには影響を与えない。しかし、ノルウェーの貿易黒字上昇はむしろ石油の需要増と価格上昇が大きな原動力だ。だから、注意が必要だ。

というわけで、ノルウェー政府はせっかくの石油収入も、財政政策に思う存分に活用することはできずにいるのだ。代わりに、それを外貨のままでドンドンと積み立てているだけなのである(年間の石油収入はGDPのなんと18.1%)。金融政策のほうも、インフレや賃金上昇を心配するあまり緊縮気味。しかし、緊縮させすぎて利子率が上昇してしまうと、今度は為替レートの上昇につながり国際競争力の低下を招いてしまう。

実際のノルウェー経済をみてみると、これらの問題をもろに被っている。石油収入を少しでも医療・福祉・教育を始めとする財政支出に役立てようとすると、金融をそれに応じて引き締めない限り、インフレを免れることができない。それを意識してか、インフレ・ターゲット制を設けているノルウェーの目標インフレは2.5%と国際的に見て少し高めだ(スウェーデンは2%)。

石油関連部門からの賃上げ要求の圧力は高い。これが他のセクターにも広がっている。生産性上昇がそれほど見られないのに、要求に応えて賃上げを行っている。近年の賃金上昇率は5.8%、これに対し、生産性上昇率はわずか1.7%。このために、国際競争力の低下が深刻だ。(例えば1995~2001年の間に24%減)

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この世に、パラダイスなどありえないように、お金持ちはお金持ちなりの悩みを抱えているのである。溜まりに溜まった石油基金は、じゃあどうするのか? というと、高齢化に伴う年金や医療のために、長期的に使っていくのだそうだ。ノルウェーは少子高齢化になっても当分は大丈夫というけれど、以上に挙げたような理由で、果たしてそう簡単にいくのだろうか・・・? 今日の選挙はどうなったのかな?


追記:ここに挙げたノルウェーの悩みは、マクロ経済の仕組みを考える上での、いい教材になると思う。実際のデータをもとにしながら、私なりの勝手な解釈を加えてみたけれども、もし何か間違ったことを書いていれば、ご指摘いただけると幸いです。

追記2:結果は、左派連合の勝利でした。(左派連合 = 社民党・左党・中央党)

スウェーデン警察の悩み

2005-09-09 23:34:24 | コラム
スウェーデンでのテロ対策にちょこっと触れてみたけれど、実際にはアメリカやイギリスでのようなテロの危険性はずいぶん小さいとされている。一方で、現実にはそんな大事件とは全く違った犯罪にスウェーデン警察は頭を悩まされている。

現金輸送車襲撃事件
ここ数ヶ月立て続けに起きている。日本や他の国でも同じかもしれないが、スウェーデンでも現金輸送は民間の警備会社が請け負っているようだ。拳銃を持った強盗に襲われたら、ひとたまりもない。輸送車の荷台にある金庫は強固で、非常時には警備員のカギでも開けられない仕組みになっているようだが、そんなことは襲う側もお見通し。威力のある爆薬で金庫ごと爆破して、その中のスーツケースを奪ってしまう。

数年前には、ストックホルムのアーランダ空港で空輸されてきた現金を滑走路の端のほうで輸送車に積み込もうとする作業中に、どこからともなく重武装した強盗が襲い、奪った後はまた跡形もなく逃げてしまう、という事件があった。後で分かったのは、空港を取り巻く森から、フェンスに穴を開けて滑走路に進入したことだった。

数週間前には、担当する警備会社のストックホルムにある収集基地が、ブルドーザーに破られ、集められていた現金がごっそり持っていかれてしまった。このおかげで、その週末はストックホルム各地の現金引き出し機で現金不足が起こったほどだった。

そして、極めつけは数日前。ストックホルムを走り抜ける幹線高速道路E4の路上で白昼に現金輸送車が狙われた。しかも、やることがすごい。まず、襲撃に先駆けて、共犯者が現金輸送車の前後の高速道路上、そしてインターチェンジの乗り入れ口で複数の乗用車を燃やし、警察車両や一般車両が現場に入って来られなくしてしまった。その上で、輸送車を襲撃し、ワゴンごと金庫の壁を爆破。この間、3分から4分。現場には渋滞ができ、多くの一般人が目の当たりにした。みな口々に、ハリウッドのアクション映画のようだったと印象を語る。そして、現金を奪った後は、車で逃走。その際も念入りに、トゲ状の突起がある金属片を路上にばら撒き、追跡車両が追って来れなくした。どうやら十数人がかりの大きな犯行のようだが、そのうちの一人、車に乗り切れず、原付バイクで現場から逃げる羽目になった20歳の少年が幸い捕まった。

現在、捜査が続いているようだが、警察はストックホルム郊外に住み、警察には以前から知られていた、若者の犯罪グループを絞り込み始めている。どんな若者に容疑がかけられているか、気になるところだが、スウェーデン・メディアや警察は世間の過剰な反応を避けるために、例えば“移民グループ”などとは極力発言しないようにしているようだ。でも、実際はやはり外国系のスウェーデン人と(スウェーデン系)スウェーデン人の混成のようだ。

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それにしても、これまでの滞在の中で、スウェーデン警察が貧弱だ、という印象は何度も受けてきた。実際に、警察に直接お世話になるようなことは今まで経験していないので、もしかしたら、メディアの否定的な報道に惑わされているだけかもしれないけれど。警察の脆弱さがスウェーデン社会が普段は温和であることの証拠であればいいのだが。(これを書いている横で、テレビのニュースが経費削減のための警察のさらなるリストラを伝えている・・・)

かつて、ヨンショーピンの同僚で、大学に入る前には警備会社で警備員をしていた男の子がいたけれど、彼がある日、病欠をし、彼が本当は警備するはずだった輸送車が強盗に襲われたそうだ。比較的平和なヨンショーピン県で、十数年ぶりに起きた現金強奪事件だったのだそうだ。悪運の強い彼は、病欠のおかげでうまく免れたわけだ。

そんな彼にこんな質問をしたことがあった。「こんなに強奪事件が多いなら、民間警備員も武装したらどう?」「拳銃なんか持っていたら、我々警備員は襲撃の際に真っ先に撃たれて、確実に命がなくなっているだろうね」たしかに、ごもっとも。撃たれるよりも、地面にうつ伏せて、ハイどうぞ持っていってください、と叫んだほうが賢いわけだ。これだったら、一般人にもすぐにできそうな気がするが、一般人との違いは、迅速に警察に連絡して逮捕を容易にする、訓練をしているか、ということのようだ。
ようだ。

ベリー "bjornbar"

2005-09-05 21:09:15 | コラム
電話のほうの引越しがうまく行かず、新居からインターネットにアクセスできないので、更新が遅れております。

これを含めて、3つ分、一気に追加です。
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ブルーベリーの季節はもう終わりに近づいてきているけれど、ベリーの季節はまだまだ終わりではない。島のあちこちに野生のbjörnbär が熟しつつある。赤いのはまだ未熟て、これが熟してくると濃い紫色になる。そうすると、実が柔らかくなり、とても甘酸っぱくなる。手で触れただけでも、ポロッと摘めてしまうのだ。

先日、週刊誌を読んでいたら、ブルーベリーやhallon、björnbärなどを砂糖とともにラム酒に漬けると、おいしいデリカテスができると紹介してあったので、早速試してみよう。




ドラマ「Kommissionen」

2005-09-03 21:04:39 | コラム
スウェーデンの公共テレビSVTが総力を結集して製作した「Kommissionen」(The Commission) が先週から始まった。ストックホルムがテロに襲われる、という想定で、社会の舵取りを担う人間がどのように対応するのかを描いたサスペンス・ドラマだ。冒頭で、爆薬を積んだ貨物ボートがストックホルム中心の運河を経て、水際に位置する議会議事堂や官庁街を爆破させるシーンは迫力がある。ロンドンやマドリードでのテロの規模をはるかに超える犠牲者が出たとの想定だ。しかし、このドラマのメインはアクションではなく、あくまでも政府の中枢にいる人々の人間模様だ。

テロの直後にどう対応するのか、重要な決断は誰が下すのか、警察や国防をどう動かすのか、時々刻々と変化する状況の中で、決定的な決断を下さざるを得ない人々の苦悩や葛藤が、次々と移り変わるシーンの中でうまく描かれていると思った。二次攻撃に備えるべく過敏に対応するあまり、沿岸警備隊が全然関係ないボートを沈めてしまうシーン、ストックホルム上空に迷い込んだ民間機を空軍が危うく打ち落としてしまうシーンなど、この間のロンドンでのテロの直後に無実の市民が射殺された出来事を予期していたかのようだ。

見ている者は、危機に際してスウェーデンという法治国家がどのように機能するのかというシステムについても、ちょっと知ることができる。例えば、テロ直後、国家の要人の安否が分からないようなときでも、大臣級の閣僚が少なくとも5人以上同席しない限り、権限を持った決定を下すことができないとか、情報の流れはどうあるべきかとか、警察と消防の権限の範囲や、緊急事態に国防軍をどこまで活用できるのか、といったようなことを、ドラマの合間合間に、首相の傍に控える、法務・行政・国防担当者がそれぞれコメントを加える。切羽詰った状況でついうっかり誤った決定を下してしまったり、政府の要人が汚い手を使って世論を操ろうとするところなど、現実っぽいシーンもあって面白そうだ。



全12回のシリーズ。第1回と第2回を150万人以上の人が視聴したというから、人口900万人のスウェーデンでは上々の出だしのようだ。いろいろな批評を読んでみると、このドラマはアメリカのドラマ「ホワイト・ハウス」からインスピレーションを得たとのこと。今後に期待したい。

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ところで、そもそもスウェーデンをテロの標的として狙ったところで何の得があるのか、そんな潜在的な危険性がどこまであるのか、あまりピンとこない。だから、ストックホルムで西欧で最大規模のテロが起こったという想定は、ちょっと現実離れしているかな、なんとも思った。

ともあれ、現在スウェーデン政府でも将来起こりかねないテロに備えて、実際に様々な議論が行われているようだ。論点の一つは、例えば、国防軍を警察力としてどこまで治安維持に投入すべきかどうか。この点で、権力の乱用によって国民の権利を侵害しかねない行き過ぎた対応には、スウェーデン人は慎重だ。国防はあくまで国の防衛が任務であって、国内の治安の維持は警察の役割、というのが主流派の考え方のようだ。この徹底した役割の分離は、1931年、恐慌下のストックホルムでデモ隊に対して軍隊が発砲し、多数の死傷者が出たことがきっかけで、これまでずっと徹底されてきたのらしい。

1週間経過

2005-09-02 21:02:42 | コラム
ヨーテボリのBrännö島に移り住んでから1週間が経つけれど、平日はなかなか時間がなくて、部屋もあまり片付いていない。毎朝、連絡船に乗って本土に通勤する毎日が始まった。新しい環境に慣れなければならないし、必要なものを揃えるべく路面電車やバスでヨーテボリをあちこち走り回っているおかげで、こちらに来てからもうしばらく経ったような気がしたが、実はまだたったの1週間だ。大家とのザリガニ・パーティーがずいぶん以前のことのように感じられる。それだけ毎日、新しい発見をしながら、充実した毎日を過ごしている証拠だと思いたい。充実した日々を送るために、こうやって、環境を時折変えるのはいいことだと思う。

大学教官である大家のBert(ベァット)も夏休みが終わり、連絡船で通勤するようになった。帰りの船がたまに一緒になる。そんな時、たまたま私が大荷物を抱えている時は、港から家まで原付三輪車で荷物を運んでくれるので、大助かりだ。

私が借りている家には作業用・勉強用の机(arbetsbord)がなかった。大家に相談すると「すぐに手配するから安心しろ」と言って、島の掲示板に“机買います”の張り紙を張って探してくれた。本土と島との間では大きな物の輸送が面倒なので、島の人々の間で物を融通しあうのはよくあることなのらしい。しかし、残念ながら見つからず。そこで、IKEAに行って新しいのを買ってやる、という話になった。中古の机を探すのは、島の中でなくても市内でもよかったのだが、そうなると今度は市内から港までの輸送が面倒なのだそうだ。その点、IKEAの家具なら自宅で組み立てられるようにコンパクトに包装されているから、乗用車でも運搬が可能だ。彼の勤務する心理・社会学部は経済学部のすぐ近くなので、帰りに待ち合わせて、ヨーテボリ郊外のIKEAに買出しに出かけた。

こんな感じで、大家とは仲良くやっていけそうだ。あまり時間がなくて、キノコ狩りはまだやっていない。一方で、庭には果物がたくさん実っており、これらは自由に取って食べていいということなので、プラムやさくらんぼ、Björnbärと呼ばれる木の実などを収穫した。もう少しすれば、リンゴや洋ナシが収穫の時期になる。

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スウェーデンの年度替りは8月から9月にかけてだ。長い夏休みが終わり、日が少しずつ短くなっていき、肌寒くなってくる。それでも時折、晴天が続き、暑さが戻ってくると、ああ、まだ夏が終わっていないんだと、みんなホッとして嬉しくなる。そんな、太陽と暑さを名残惜しみながら迎える新学期なのだ。

引越し

2005-09-01 22:02:02 | コラム
クロネコ・ヤマトや日通のような引越しサービスは、スウェーデンではあまり見かけられない。個人の引越しはむしろ自分たちで済ませる人が多い。

ガソリンスタンドの多くで、乗用車の後ろに連結できる“貨車”を貸し出してくれる。小型乗用車で貨車を連結するのは難しいけれど、ある程度以上の大きさの乗用車には後部に連結用のカギが付いている。ここに連結させるのだ。

“貨車”では間に合わない人や自分の乗用車にカギが付いていない人は、小型トラックをガソリン・スタンドで借りることもできる。

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今回の引越しも友人が手伝ってくれることになった。でも、彼の車は82年のFiatで、貨車を繋いで走るには馬力が足りない。そこで、最初は小型トラックを借りるつもりだったのだけれど、いろいろ比べて見ると、カギ付きの乗用車をレンタルした上で、さらに“貨車”を借りたほうが安上がりなことに気がついた。ガソリン・スタンドでは乗用車のレンタルもしてくれる。

小型トラックを1日レンタルすると、走行距離無制限の場合、1300kr。これに対し、乗用車のレンタル750kr(走行距離無制限)+貨車のレンタル300krというわけだ。

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ヨーテボリからBrännö島までは連絡船だが、荷物を運ぶためには一日一往復の貨物船を頼らなければならない。それが港を発つのが朝10時。これに余裕を持って間に合わせるためには、ヨンショーピンを7時には発たなければならない。

そのため、前の日の夕方から車と貨車をレンタルして、その日のうちに積み込み完了。そして、翌朝はそのまま出発!

港に着くと、食料品や雑貨を載せたトラックが小型の貨物船に荷物を積み込んでいる。食料品や雑貨は行き先の島ごとに檻に入れられ、それぞれの島のスーパーマーケットに送り届けられる。島に住む人々の生命線だ。私の荷物もその中に混じって、船に積み込まれていく。「Brännö」とマジックで側面に大きく書いておいた。




さてさて、我々は旅客船に乗って、先に島に渡り、大家から借りた原付三輪車を持ち出して、港で荷物の到着を待つ。大粒の雨の中、船から原付に荷物を移し替え、二往復で何とか荷物の移動が完了。