岡井隆が若い頃書いた文章に「自分のところが発行する雑誌だけを読むように言う結社がもしあれば、直ちに辞めた方がいい」という誠にインパクトのあるものがある。「ずいぶん大胆なことを言うひとだと思ったが、この頃その意味がわかりかけてきた。若山牧水のこの一首に出合ったときからだ。
・山ねむる山のふもとに海ねむるかなしき春の國を旅ゆく・「別離」所収。
まるでソフトフォーカスをかけた写真を見るようにのどかだ。山も海も眠っている。人間も眠ってしまいそうだ。しかし、作者は大きな悲しみをかかえて旅をしている。おそらくひとり旅。酒と旅を愛し、流露する主情に特色をもつ牧水ならではの歌だ。
写実短歌ではこうはいかない。「表現が甘い」「擬人法を使いすぎている」「『旅ゆく』は俗だ」と様々に注文がつくだろう。
しかし、こうやわらかくて、素直に感情が伝わってくるところがよいのだ。絵画で言えば、淡い水彩画かパステル画。斎藤茂吉の歌などは、さしずめコッテリした油彩画。表現方法は違っているが、さまざまな異なる表現方法の短歌があるから、お互いがひきたつ。
若山牧水と言えば、「幾山河・・・」「白鳥は・・・」の歌がよく知られている。しかし、この一首も代表歌に入れてよいのではないだろうか。一般に自然主義歌人とよばれる若山牧水ならではの作品であるのと、「写実短歌」との違いが明らかだからである。
まぎれもなく近代の名歌であるとおもうのであるが、いかがだろうか。
つまり若山牧水も石川啄木も北原白秋も、それぞれ表現方法が違うだけで、どれも読んでいて面白い。島木赤彦も斎藤茂吉もである。
近代短歌に学ぶ、先人に学ぶとは、そういうことだろう。