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今年1年ありがとうございました

 大晦日です。この記事が2010年最後の更新となります。今年も一日も欠かさず更新することができました。これもひとえに、このブログを読んでくださる読者のみなさんのおかげです。私、文は人に読んでもらって完結すると考えます。人に読まれない文は文として半人前ではないでしょうか。だれかに読んでもらうつもりはなく、日記を書いている人もおります。少々、詭弁になりますが、メモ、日記、忘備録の類も、自分という読者を想定して書かれた文ではないでしょうか。ですから、どのような文でも、最低一人は読者がいるわけです。
 私は、欲張りな人間です。文を書いたら、読者が自分一人というのは、少々、物足りません。ですから、若いころから、同人誌に所属し、なおかつ、このようなブログを始めたわけです。
 こんな私ですから、できるだけたくさんの人に、私の文を読んでほしいのです。こういう観点からも、一生懸命、判りやすい文を書いてきたつもりです。とはいうものの、なにせ浅学非才の身ゆえ、判りにくい独りよがりの文も書いたかも知れません。これは私自身は判断できません。読者にその判断をお任せするしかありません。そういう意味からコメントを下さる方々はありがたいです。
 今年1年いろいろありました。阪神タイガースは惜しいところで優勝を逃しました。とはいいつつも、私自身、おかげさまで、平穏な1年でした。現実でも、ネットでも良き友人を持ち、有意義な交流を楽しむことができました。
 来年も、みなさんにとって実り多い年であることを、お祈り申し上げます。
 では、良いお年をお迎えください。
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とつぜんSFノート 第14回

 チャチャヤングは終ったが、仲間ができた。そして新しいサークルが始まった。チャチャヤング・ショートショートコーナーの常連たちが集まって、新しい会を作ろうということになった。小生もそのメンバーに入っていた。
 小野霧宥、南山鳥27、深田亨、西秋生、原戸丈二、柊たんぽぽ、岡本俊弥、山田大治、所与志夫といった人たちが初期からのメンバーだった。(あいまいな記憶を元に記述した。これ以外のメンバーを憶えている人がいればコメントでお教えくださればありがたい)
 月に2回例会をやっていた。正例会は、大阪は梅田の北市民教養ルーム。今はどこにあるか知らないが、当時はヤンマーのビルを少し東に行った所にあった。廃校になった小学校を利用した施設で、教室がそのまま会議室になっていた。このメンバーで、ここで何をやっていたか記憶にない。ただ集まってウダウダいっているだけで楽しかった。二つだけ決まったことがあった。同人誌をいずれ出す。この会の名称を「創作研究会」とする。
 準例会は大阪駅前第1ビル地下の「マズラ」という喫茶店。後年のある日、この「マズラ」で小生たち創作研究会が例会をやっている時、第18回日本SF大会「DAICON3」を準備しているという人たちがやって来た。1980年にはなっていない。1970年代後半のことだと記憶する。だれがやってきたのかはっきりしないが、青木治道氏がいたのではないか。その人たちは創作研究会に協力を求めてきた。小生たちは即答を避けた。この時点では、創作研究会のメンバーはファンダム経験も少なく、SFのイベントに参加経験があるのは小生と柊さんの二人だけだったのではないか。
 1971年、小生と柊たんぽぽの二人は東に下った。東京で開催されるSFフェスティバル「エドコン」に参加するためだ。会場はどこか忘れたが、ゲストに都築道夫氏が来ておられたのは憶えている。合宿は確か、お茶の水のホテルだった。知った顔はだれもいない。二人で孤独感にさいなまれていた。二人で部屋にいると、関西人とおぼしき人が部屋に入ってきた。少し話す。「どこのグループですか」と聞くと「ヌル」とのこと。どうも「ネオ・ヌル」の幹部らしい。この当時はもう小生もネオ・ヌルの会員だった。編集長の岡本俊弥は知っている。水鏡子ではない。40年前の記憶をたどっても、あの水鏡子独特の風貌と突き合わせても、その時の人物ではない。清水宏祐でも南沢俊直でもない。どうも今考えると、あの時の人物は大野万紀ではないかと思っている。
 それはそうとして、この時のDAICON3は幻のSF大会となった。DAICON3は1981年第20回日本SF大会として実現する。ちなみにDAICON2の実行委員長高橋正則は星群の会の創設者。最初のDAICONの実行委員長は筒井康隆。DAICON3の武田康廣は、アニメ「エバンゲリオン」の製作会社ガイナックスのエライさんで、菅浩江のダンナ。
 このDAICON3をやった連中はオープニングアニメで名を上げ、ガイナックスとなるまで「DAICON FILM」と名のっていたが、これはけしからんことだと小生は考える。「DAICON」という名称は彼らだけのものではない。DAICONという日本SF大会は筒井さんの最初のDAICON、高橋さんのDAICON2から2008年のDAICON7まで、7回も大阪でSF大会が開催されている。「DAICON FILM」と名のっていた連中は、DAICON3とDAICON4の2回の大阪での日本SF大会に関わっただけ。あとはすべて違うグループの主催である。ちなみに小生はDAICON5のいいだしっぺの一人だ。にも関わらず彼らはDAICONという名称を自分たちだけのモノと思っているのだろう。小生たちが第25回日本SF大会DAICON5をやった時に、事情にうとい若いSFファンがDAICONという名称を使わないで欲しいと抗議してきたことがあった。彼(彼女かな)はDAICONというとオープニングアニメを作るグループと勘違いしているのだ。ウィキペディアでDAICONと検索すると、DAICON FILMの略称、と出るが、何をとんちんかんなことをいっておる。バカめ。DAICONは大阪で行われる日本SF大会の愛称以外のなにものでもない。ウィキペディアついでにもう一つ。大阪コンベンション(大阪市、岸和田市)とあったがDAICON5は吹田市だ。これだからウィキペディアは信用ならんのだ。、
 DAICONに限らず日本SF大会はあくまでアマチュアのイベントである。実行委員は全員手弁当で事に当たっている。事実、小生はDAICON5の前年に開催したSFフェスティバルで赤字を出して、その時のボーナスがすべてふっとんだ。ところが「DAICON FILM」と名のっていた連中は、ゼネラルプロダクツというSFショップを経営して営業活動をやっていた。この当たりが、小生、どうも間尺に合わない感じがする。
 ま、マズラではそういうこともあったが、他には別段記すこともなく、仲良く例会をしていた。
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明日から休める

 今日は12月29日。御用納めである。仕事も今日で今年は終わり。昨日は、思わぬ冬の嵐であった。今日は、お天気はいいが寒い。小生は、暑いのは平気だが、寒いのは苦手。まだまだ春は遠いが、凍えながら春を待つとしよう。
 寒いといっても、昔に比べて、まだ気温は高いのではないか。道に氷が張っているのを見なくなった。昔は、ここ神戸でも、よく氷が張った。
 そいいえば霜柱も見なくなって久しい。今は道路はほとんどが舗装されているが、小生が小さいころは、ところどころに未舗装の道もあった。小学校に行く途中、霜柱があると、そこを踏んで通った。サクサクとした感触が快感だった。
 昔は、(また昔!小生も歳を取ったのか)29日から大晦日にかけて、母がおせちを作った上に、大量の食料を買い込んでいた。店が休むからだろう。今は、コンビニもあるし、元日から開いているスーパーもある。お正月といえども、特別な日ではなくなってきたということか。
 極端に休日が少ない小生だが、明日から4日までは休める。久しぶりにゆっくりしよう。道灌呉春を仕入れておこう。
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5年前の12月

 私は週末料理人です。趣味で料理をしております。料理を趣味とする男も多くなりました。かようなオヤジ料理人の中には、料理して、食べて、後片付けは家人まかせというご仁もおられるだろう。これでは完結していないのではないでしょうか。メニューを考える→買い物に行く→テーブルセッティング→調理→食事→後片付け、この工程をすべて自分でやってこそ、男の料理として完結するのです。楽しいところ、おいしいところ、料理の快楽だけを享受して、面倒なところは人まかせ、ではちょっと身勝手なのではないでしょうか。
 私も、もちろん後片付けは自分でやります。後片付けの時、鍋や皿を洗いながら、ラジカセを聞いております。音楽の時もあるし、落語を聞く時、シーズン中ならば阪神タイガースの試合の放送を聞きます。
 先日は、本田美奈子.さんのCDを聞いておりました。私、本田美奈子.さんの「アメージング・グレース」には特別な想いがあります。今から5年前の暮れは、私は神戸市立中央市民病院の消化器病棟のベッドで寝ておりました。胃から大量に出血したのです。持病の胃潰瘍が発症しました。原因はストレスです。心当たりはゲップが出るほどあります。
 5年前、私はどん底でした。2002年にリストラされ、5社を渡り歩きました。いずれも正社員ではありません。月収一ケタ万円という生活が5年続きました。当時の私のお小遣いは月に5000円でした。5年前の2005年の12月は、5社目のS昆布に契約社員で勤務していました。
 今よりは少しはマシですが、当時も中高年の正社員への再就職は困難を極め、ハチドリの涙程度の退職金はありましたが、家族をかかえ、暗澹たる気持ちで契約社員をやっておりました。そういう状況の時、胃から血を出しての入院です。その病床で聞いたのが、本田美奈子.さんの「アメージング・グレース」です。
 その翌年、2006年の5月に私は、今の会社に正社員として入社しました。来年でまる5年になります。おかげさまで、今年の暮れは平安に過ごさせて頂いております。
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ベン・ハー


監督 ウィリアム・ワイラー
出演 チャールトン・ヘストン、スティーブン・ボイド、ハイヤ・ハラリート

「午前10時の映画祭」にて鑑賞。ハリウッド全盛期にハリウッドが総力をかけて製作した、ハリウッド超大作の代表的な映画。
 いやあ、たいそうな映画である。たいそうな前奏から始まって、オープニングはミケランジェロのフレスコ画。たいそうである。なおかつ主演がたいそうなおっさん(この当時はにいちゃんか)チャールトン・ヘストン。たいそうな俳優である。
 映像は非常に良くできている。まるでミケランジェロの絵画が動き出したよう。CGのない時代によくぞこれだけの映像を創り出したものよ。お話は有名な映画だからご存知のムキも多かろう。 
 ジュダ=ベン・ハーはユダヤの有力者の御曹司。彼が生まれた時とほぼ同じころ「あの男」も生まれた。
 ユダヤはローマの支配下にあった。ローマ軍の司令官メッサーラはジュダと幼なじみであるが、支配者と被支配者、ほどなく絶好する。ローマの総督が赴任した時、ジュダの妹が総督の頭の上に瓦を落とす。不幸な事故である。母と妹は地下牢に、ジュダはガレー船送りになる。ガレー船に送られる途中、乾きで半死半生になったジュダは「あの男」に助けてもらう。
 ガレー船の漕ぎ手となったジュダは、海戦で船が沈没、海に落ちた司令官アリウスを助ける。(拙作「101個目の首」はこの映画のガレー船のシーンからイメージした)アリウスにローマに連れて行かれたジュダは戦車競走の騎手といて名を上げていく。そしてアリウスに見込まれ養子になる。
 ユダヤに戻ったジュダは母と妹を探す。かっての召使の娘エスターから二人は死んだと聞かされ、メッサーラに復讐を誓う。
 そしてエルサレムで大戦車競走が開催される。最有力選手はメッサーラ。ジュダは族長イルデリムの4頭の駿馬の戦車に乗って出場。結果、ジュダ優勝。メッサーラ死亡。
 母と妹は生きていた。業病にかかり「死の谷」にいる。エスターとともに二人を救い出したジュダは十字架を背負わされた「あの男」と再会する。倒れた「あの男」にジュダは水を差し出す。母と妹の病気が完治する。
 小生はクリスチャンではないが最後まで観たが、クリスチャンでないのなら、戦車競走のシーンまで観ればいいだろう。さすがにこの映画の戦車競走のシーンは大迫力。後にルーカスが「スターウォーズ エピソードⅠファントム・メナス」のポット・レースのお手本にしたが、本家の迫力は数段上だ。この戦車競走以後は、完全にキリスト教の宣伝宗教映画となる。
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いも煮(味噌)


 いも煮である。東北では農作業が一段落した季節に、野外でいもと肉を煮て食べる習慣がある。ウチは別に農家ではないけれど、家の中でいも煮をする。これがなかなかおいしい。いつもは醤油味だけれど、きょうは味噌味にした。
 味噌味の鍋は身体が、ホコホコと温もりますでな。もちろん熱燗をつける。
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はらこめし


 はらこめしです。宮城県の郷土料理です。鮭のおいしさを満喫できる炊き込みご飯です。
 まず、鮭の切り身を煮ます。昆布だしに酒、醤油、砂糖、味醂を入れて鮭を煮てください。10分ぐらい煮ればいいでしょう。煮汁は大切にとっておいてください。
 この煮汁でご飯を炊きます。炊飯器でもいいですが、土鍋で炊いた方がおいしいです。
 炊き上がりましたら、煮た鮭の身をほぐして、ご飯に混ぜて、少し蒸らします。蒸らし終ったら、茶碗に盛って、いくらを乗せ、のりをパラパラしてできあがりです。
 
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とつぜん対談 第23回 ガス炊飯器との対談

 きょうはガス炊飯器さんが来てくださいました。ガス炊飯器さんは長年、この家でご飯を炊いてこられましたが、このたび引退されます。女性ながら、台所のリーダーとして、家族の食生活を支えてこられました。


雫石
 よく来てくださいました。

ガス炊飯器
 いえ。


雫石
 引継ぎで忙しいのではないですか。


ガス炊飯器
 引継ぎなんかないです。


雫石
 後任は電気炊飯器さんですか。


ガス炊飯器
 はい。


雫石
 何年働きました。


ガス炊飯器
 15年ご奉公しました。


雫石
 あなたの前は、だれがご飯を炊いていました。前のガス炊飯器さんですか。


ガス炊飯器
 いえいえ、おくどはんがご飯を炊いてました。


雫石
 おくどはん!へっつい、かまどのことですね。


ガス炊飯器
 そうです。若い人には判りませんね。この家は、ごらんのように古い家ですから、つい最近まで台所も土間で、お風呂も五右衛門風呂でしたのよ。


雫石
 ご飯の炊き方は、おくどさんから教わったのですか。


ガス炊飯器
 はい。きびしいおばあさんでした。


雫石
 明治生まれですか。


ガス炊飯器
 いえいえ、江戸時代です。慶応年間にこの家に来たそうです。


雫石
 15年前に、あなたに代わるまでずっと、そのおくどさんがご飯炊きを。


ガス炊飯器
 はい。


雫石
 すごいですね。100年以上ご飯炊きをやっていたのですね。


ガス炊飯器
 超ベテランですから、経験がすごいです。「はじめちょろちょろ、中パッパ、赤子泣いてもフタとるな」をたたきこまれました。


雫石
 できましたか。


ガス炊飯器
 わたしもメーカーで設定されて、この家に来てますから、それなりのことはできますが、おくどはんから見ると違うらしいんです。ずいぶん叱られました。


雫石
 でも、おいしくご飯が炊ければいいんでしょう。


ガス炊飯器
 家の人は、おくどはんの方がおいしいって。うううっ。


雫石
 わっ、泣きだした。泣かないでください。だったらなぜ、ご飯炊きがあなたになったのですか。


ガス炊飯器
 マキ集めが大変で、それに今の奥様はおくどはんなんか使えないし。わたし、今の奥様の嫁入り道具の1つだったんです。


雫石
 おくどさんはどうなりました。


ガス炊飯器
 町の資料館に展示されてます。


雫石
 あなたは。


ガス炊飯器
 わたしなんか粗大ゴミですよ。


雫石
 ・・・・。

ガス炊飯器
 わたしも100年がんばったら資料館なんですが、そんなにがんばれません。


雫石
 後任の電気炊飯器さんには、あなたがご飯炊きを教えるのですか。


ガス炊飯器
 いいえ。こんど来る子は、「かまど炊き」とかいって、おくどはんと同じように炊けるんですって。わたしが余計なことを教えたらダメだそうです。


雫石
 きょうはどうもありがとうございました。お元気で。



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20個目のクリスマスプレゼント

 入ってきたのは若い娘だ。二十歳になったぐらい。ここバー「海神」に若い女性が一人で来るのはめずらしい。この店の客は圧倒的に男性が多い。それも中高年。夫婦で来るような店ではない。かといって、愛人と飲みに行くなら、もっとおしゃれな店に行くだろう。娘をこんな店に連れて来る父親もいないだろう。例外もあるが。
「いらっしゃい」
 マスターの鏑木も困る。この客が成人か未成人か判らない。「海神」はバーだ。アルコールを提供する店である。まさかミルクを出すわけにはいかない。成人なら子供あつかいしたと気を悪くするだろう。
「だれかと待ち合わせですか」
 すぐにだれかが来るのなら、来てからオーダーを聞くのがいいだろう。
「はい」
 少しほっとする。オーダーはお連れさんが来てから聞けばいいだろう。それまでなんとか、話をしながら間を持たそう。鏑木は、この娘が、たぶんあの人の娘に違いないと思った。
「あの、S市の『海神』というお店はここですよね」
 よかった。娘の方から話しかけてきた。正直、鏑木は若い娘と世間話などしたことがない。困っていたところだ。
「はい。この町で『海神』という名のバーはウチだけです」
 言葉のイントネーションがこの地方のものではない。関東のものだ。
「吉沢という人をご存知ですか」
 吉沢という名前で鏑木は確信した。
「ウチの常連さんに吉沢さんは二人いますが」
「塾の先生の吉沢です」
 年輩の方だ。もう一人の吉沢は30代。塾の吉沢は50代。
「今日は12月24日ですね。今晩、吉沢さんは必ずきますよ」
 カラン。カウベルが鳴って、初老の男が入ってきた。娘から少し離れた席に座った。
「ワイルドターキーをロックで」
 吉沢が娘の方を見る。娘も吉沢を見る。視線が合った。
「お父さん・・・」
「香織・・・か」
「香織です」
「大きくなったな。どうしてここを知った」
「叔父さんに聞きました。お前も二十歳になったから、いってもいいだろうって」
「お母さんは元気か」
「私が中学の時死にました。乳癌でした」
「そっか」
 吉沢は黙りこんでしまった。少なからぬショックを受けたようだ。鏑木は以前、吉沢が関東の私立高校の教師をしていたと聞いたことがある。吉沢の話し方も、ここ関西の話し方ではない。
「おとうさん、今までクリスマスプレゼントをありがとう」
「いや、オレは知らない」
「叔父さんが教えてくれました。叔父さんがくれていたプレゼントは、本当はお父さんが送ってきたものだって」
「あいつめ」
「叔父さんがいったの。20個目のプレゼントはサンタさんから直接もらえって」
 吉沢は1杯目のロックを飲んだ。お代わりを頼んだ。
「お嬢様も、何かお飲み物は」
「今日はクリスマスイブだから、七面鳥の絵の描いた酒でいいか。香織」
「うん」
「クリスマスプレゼントを出そうか。お前にオレから渡すのは15年ぶりだな」
 15年前、吉沢はこの町にやってきた。「海神」の常連になって15年だ。
「わたし、五つまで本当にサンタさんがプレゼントをくれると思っていたの」
「オレはお前とお母さんに顔向けできないことをして、高校も辞め、15年前この町に来た。プレゼントを贈ることで、お前との絆を保ちたかった」
「かってよ。お父さん。直接手渡してくれればいいじゃない」
「すまん・・・」
 吉沢が鏑木に目配せをした。
「マスター預けてあるモノ出してください」
「はい」
 鏑木が箱を両手に抱えて、奥から出てきた。
「香織、20個目のプレゼントだ。これが最後だ」
 花嫁衣裳だった。
「弟にお前が結婚すると聞いた。21個目のプレゼントはダンナからもらえ」


  
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アホの壁


筒井康隆        新潮社

 筒井さんも歳とったな。すっかり丸くなってしまった。昔の筒井さんのエッセイ「欠陥大百科」「暗黒世界のオデッセイ」などを期待して読むとがっかりする。すっかり毒が抜けてしまった。
「人はなぜアホなことを言うか」
「人はなぜアホなことをするのか」
「人はなぜアホな喧嘩をするのか」
「人はなぜアホな計画を立てるか」
「人はなぜアホな戦争をするのか」
 これが各章のタイトルであるが、さすがにアホを否定をしていない。ところが、アホ=劣ったモノ、というあたり前の価値観がちらちらと垣間見える。筒井康隆はかっては価値観破壊者であった。世に認められている価値のあるモノ、エライモノをブチ壊して、筒井独特の価値、エライを創出していた。
 だから、本書も、アホをアホという1つの価値として設定して、アホ文化アホ文明アホ宇宙をでっちあげることぐらいはして欲しかった。筒井康隆75歳。さすがにそこまでエネルギーはないか。
 筒井ファンが読むと失望するかも知れないが、普通のアホ論として読むと面白い。
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電車で読書の欠点

 今は車を持っていないので、マイカー通勤はしようと思ってもできないが、車を持っていた時も、マイカー通勤はめったにしなかった。労働組合の副委員長をやっていた時は、終電車に乗れないこともあったので、車で通勤していたが、本当はマイカー通勤などしたくなかった。
 なぜか。運転しながら本が読めないから。小生の主たる読書の場は電車の中。今の勤務先はJR、地下鉄と乗り継いで、電車に乗っている時間は正味30分ほど。往復1時間。結構な読書時間である。
 ただし、この電車での読書は大きな欠点がある。乗り過ごす危険がある。帰宅時ならいい。夕食が遅くなって空腹にさいなまれるだけだが、出勤時に電車を乗り過ごすと遅刻だ。読んでいる本が、ほどほどの本ならいい。うんとつまらない本だと、眠ってしまい、寝過ごしてしまう。逆に、うんと面白い本だと、夢中になって乗り過ごしてしまう。困ったものだ。
 今朝、SFマガジン1月号に載っている、テッド・チャンの新作を読んでいたら、乗り過ごしてしまった。JR神戸から、ハーバーランドで地下鉄に乗り換えるのだが、ハッと気がついたら兵庫。神戸でJRを降りるのを忘れていた。しかたがないから、新長田まで行って、そこから地下鉄に乗った。ぎりぎり間に合った。おそるべしテッド・チャン。
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黒い家


監督 森田芳光
出演 大竹しのぶ、内野聖陽、西村雅彦、小林薫、田中美里、石橋蓮司

 映画としては決してできの良い映画ではない。演出過剰、無意味に恐がらせるシーンがあったり、光と闇の演出も不自然。また、西村雅彦も演技過剰。
 ただ、それでもこの映画は一見の価値がある。大竹しのぶである。もともと、役が憑依するタイプの女優だが、この映画ではサイコパスの殺人鬼が憑依した。恐いのである。大竹しのぶが恐い。森田の演出や西村の演技は、大竹一人のパワーでふっとんでしまう。
 大竹しのぶを観る映画である。大竹しのぶだけを観ればいい。大竹しのぶしか見どころのない映画である。恐い恐い大竹しのぶの菰田幸子。
 菰田幸子VS山村貞子というのを観てみたいな。

 星群の会ホームページの「SFマガジン思い出帳」が更新されました。どうぞご覧になってください。
 
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博多風鶏の水炊き


 今夜の鍋は、博多風鶏の水炊きです。寒い夜は暖かいお鍋に、熱燗というのがなによりのごちそうです。
 まず、スープを作ります。鶏ガラスープです。ガラスープは最初が肝心です。最初の処理を間違うと、嫌な臭いのスープとなります。熱湯で10分ほど下ゆでします。盛んに出るアクを取ります。ゆでたら、ていねいに水洗いしましょう。こうしておいて、スープ取りの本番にかかります。ずん胴にガラ、長ネギの青いところ、玉ねぎ、しょうが、昆布を入れて、2時間ほどグツグツと煮ます。
醤油ラーメンのスープを取る時は、澄んだスープを取りたいから、火加減に気をつけて弱火でコトコト煮ますが、博多風水炊きは白いスープが特徴ですから強めの火でスープを取ります。あと、米を一握りだしパックのパックなどにいれて煮るといいです。隠し味に牛乳を少し入れます。
これでスープの準備は出来ました。あと材料は、主役の鶏肉。これはぜひ骨付きを使いましょう。野菜は、キャベツ、えのき、豆腐、もやし。おっと、ポン酢を忘れてはいけません。
 ポン酢はぜひ手作りしたいですね。市販のものはどうも化学薬品のようでいけません。なに、簡単にできますよ。かんきつ類のしぼり汁、醤油、出汁を混ぜ合わせるだけです。標準は同量ですが、そのへんは各自お好みでどうぞ。酸味が好きな人はかんきつ類の汁を多い目、濃いの苦手な人は出汁多め、そのへんはご自由に。出汁は昆布と鰹節でちゃんと取りましょう。かんきつ類の汁は自分ですだちやゆずを絞ってもいいですが、なんでしたら瓶詰の果汁100%のものでもいいですよ。
 あとは、どんどんスープで煮て、煮えばなをポン酢で食べていきましょう。ゆずこしょうをポン酢にちょっと入れてもいいです。
 しめはラーメンがいいですね。私はこのラーメンを使っています。
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ぼっかけ焼きソバ


 三宮センタープラザ地下の、豚カツ屋吉兵衛の近くに、長田本庄軒という焼きソバ屋がある。ぼっかけ焼きソバの店である。けっこうおいしい。ぼっかけとは、牛スジ肉を甘辛く煮たもの。小生の大好物である。いろんなバリエーションにして楽しんでいる。まんじゅううどんお好み焼きカレー、いかようにしてもおいしい。
 と、いうわけで、きょうはぼっかけ焼きソバを作る。はたして長田本庄軒よりうまくできるか。まず、何よりも先に、牛スジの調理。10分下ゆでして、2時間煮込む。牛スジは安い代わりに調理に時間がかかるのだ。ぼっかけ料理は、材料費は安くすむが、ガス代がかさむのだ。砂糖、味醂、酒、醤油で味付けして、コトコト煮こむが、味は少し濃い目の方がいい。煮えたら、できれば一晩寝かせた方が味がよく染みておいしい。これで、ぼっかけのできあがり。
 さて、焼きソバに仕立てよう。具は牛スジ以外、キャベツとだけ。小生の焼きソバは、ソバと具を別々に加熱する。まずソバ。先にほぐしておいて、中華鍋に入れる。ソバを鍋の中に広げて、じっとする。鍋やソバを動かさない。そう、炒めるのではなく焼くのだ。動かさないでじっと見る。ただし、鍋の油ならしをちゃんとやっておくこと。でないと、こんなことをすればソバが焦げ付く。ころあいを見て、鍋返しでソバ全体をひっくり返す。鍋に接していた面が、良い具合に焦げ目がついているだろう。もう片面も焼けたら、取り出して置く。キャベツも同じように加熱。加熱し過ぎないように。あとで全体をさっと炒め合わせるから、その加熱も計算に入れておく。
 これで、牛スジ、キャベツ、ソバの用意ができた。仕上げにかかろう。中華鍋に材料全部を入れ炒める。ソースで味付け。ソースはもちろん、神戸の地ソース、オリバーのどろソースだ。
 
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僕と妻の1778話


眉村卓  集英社

 眉村さんと懇意にしていただいて40年になろうとする。お世話になりっぱなしである。昔、眉村さんのご自宅で勉強会をやっていた。中相作、西秋生、岡本俊弥、深田亨、柊たんぽぽ、所与志夫、大熊宏俊、菅浩江、私、といった人たちが参加していた。谷甲州も1度か2度来た。この勉強会の連絡係を私がしていた時期があった。
 次の勉強会の都合などを電話して打ち合わせするのだが、眉村さん不在の場合は、奥様の悦子さんが相手をしてくれた。大変にしっかりした人で、当方の意向が確実に眉村さんに伝わっていて、眉村さんの都合を私に電話してくださったこともたびたび。優しくしていただいたが、私がポカをすると叱られた。
 もちろん奥様の葬儀には私も参列した。私の記憶によれば、その葬儀の案内看板に「作家眉村卓夫人 村上悦子」となっていた。また、眉村さんは出棺の前のあいさつで、「妻は私を作家にし、作家の妻として私を支え、サポートすることを喜びとしていた」と、おっしゃっていた。
 余命が残り少ない妻に、作家である夫は、妻のために自分ができることをしようと、1日1話、毎日、発病から亡くなるまで1778話のお話を書いた。本書はそのうちの52話を抜粋したもの。
 これらのお話は、癌患者の悦子さんをはげますため、作家である眉村さんが、作家としてできることをやった。それが1日に1話づつお話しを書いていくということ。クスリと笑ったり、ふ~んと納得したり、そのことが悦子さんのためになる。解説で娘さんの村上知子さんが書いていたが、眉村さんは、悦子さんだけに書いていたのではない。あくまで、病床の悦子さんは一番最初の読者。だから、2番目3番目の読者も考えて書かれている。私は何番目の読者になるのであろうか。
  
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