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とつぜんリストラ風雪記 最終回

とつぜんリストラ風雪記 38
 
S昆布でとろろ昆布製造の仕事をして3ヶ月。この会社に勤めながら、再就職先を探していた。収入がまともな収入ではない。毎月の収入が10万円を切る。これでは家賃を払って、家族を養っていくことはできない。しかも、生産調整だといって、昼から帰らされたりした。そうなると、ますます収入は少なくなる。
 とろろ昆布がうまく削れない。ものすごくストレスを感じる。とうとう持病の胃潰瘍を再発して、出血、入院してしまった。昼休みをつぶしてまで削りの研究をするのだが、うまく行かない。例え、とろろ昆布をうまく削れるようになっても、こんなケチな会社にいるわけにはいかない。遊びで仕事してるんじゃないんだ。生活がかかっているのだ。胃から血を出してまで、がんばってもむなしいだけ。
 早急に次ぎの仕事を見つけなければならない理由がもう一つある。足だ。左足が痛い。元々、小生の左足は関節がまともではなく普通に歩けるのだが、ときどき痛んだ。それがAF社、S昆布と、立ちっぱなしの仕事をしている。常時、痛むようになった。平地を歩くには平気だが、階段の上がり下がりが困難になってきた。

2006年1月1日(日)
 年が改まった。今年はS昆布を退社する予定。そのためには次の職場を早急に探さなくては。
 正月なれど酒は飲めない。年末に胃潰瘍で入院したのだから当然だ。

1月5日(木)
 ポートアイランドの市立中央市民病院に。入院時に受けた胃カメラで、念のために取った細胞の生検の結果を聞きに行く。異常なし。胃癌の心配はない。

1月17日(火)
 かかりつけの消化器専門医Tクリニックで診察を受ける。お酒は胃カメラの後に先生が判断するとのこと。1月28日に胃カメラの予定。

1月18日(水)
 足が痛い。座って仕事をさせてくれと工場長にいう。士気にかかわるから、立って仕事しろとのこと。

1月26日(木)
 生産調整のため休み。会社の都合で休むのだから、普通は、なんパーセントか給料は保証するものだが、S昆布は一銭も出ない。

1月28日(土)
 Tクリニックで胃カメラ。きれいに治っている。お酒もOKとのお許しがでる。

2月23日(木)
 おばさんどものヤイヤイがいっそうひどくなる。とろろ昆布はあいかわらず、満足に削れない。また胃がおかしくなりそう。

2月24日(金)
 荒川静香がトリノ五輪フィギアスケートで金メダルを取った。

3月11日(土)
 岡本の梅林へ梅見に行く。

3月21日(火)
 WBC決勝戦。日本、キューバを破って世界一。

3月22日(水)
 産業雇用安定センターに立ち寄る。以前に聞いた、尼崎のD電子の件、話を進めるように依頼する。

3月29日(水)
 左足が痛い。

3月30日(木)
 座って仕事させてくれと、再度、工場長にいう。痛くても立ってろとのこと。がまんできず昼から早退。家の近くの整形外科へ行く。

4月8日(土)
 梅田ハローワークへ行く。

4月9日(日)
 芦屋川へ花見。阪神の金本が連続フルイニング試合出場の世界記録を作った。

4月13日(木)
 S昆布を休み、午前中、西宮ハローワーク、梅田ハローワークへ行く。有望な案件を1件見つける。午後、書類作成。ただちに郵送。

4月17日(月)
 神戸のKD社、尼崎の人材派遣会社で面接。KD社では良い感触を得る。きちんとした会社と見た。

4月20日(木)
 KD社で2次面接。前回は総務の人事担当者だったが、今回は常務が面接をしてくれた。当方は好感を持つ。

4月21日(金)
 尼崎のD社で面接。5人を相手に面接。新たに資材部を立ち上げる計画とのこと。資材部の構築をゼロから小生にやってもらうとのこと。非常にしんどそう。でも面白そう。もし、ここに決まって入社となると、相当の覚悟が必要か。

4月22日(土)
 S工業で面接。土曜日なので休み。社長が一人で面接してくれた。仕事は電子部品の購買。気軽に仕事ができそうな感じではあるが。

4月24日(月)
 KD社から内定の知らせが来た。

4月26日(火)
 KD社にて入社を前提とした面談。満足の行く条件を提示される。リストラ以降に関わった会社の中で一番の好条件。もちろん小生は、入社希望の意思を伝える。

4月28日(金)
 S昆布に出社。退職を申し入れる。辞表を提出する。封筒の表書きは「退職願」とは書かない「退職届」と書く。「願う」のではない。こっちから「届ける」のである。この会社に8ヶ月いたが、胃と足を痛めただけだった。午前中で帰る。
 KD社から正式に採用との連絡がくる。5月2日から出社してくれとのこと。

5月1日(月)
 KD社に出勤シュミレーション。神戸市内だから1時間あれば行ける。終業時間は4時45分で、残業もないから、甲子園の阪神タイガースのプレイボールに間に合う。

5月2日(火)
 KD社に初出勤。

 KD社に入社して3年経った。毎日機嫌よく働いている。朝が早く、お休みがなかなかとれないが、残業がなく、寄り道しないで家に帰れば6時前には帰宅できる。定年まで、ここで働くつもりだし、働けそうだ。また、定年後も嘱託として働ける。小生はKD社には感謝しているし、また、この職場には満足している。典型的なモノ作りの会社である。鉄と格闘している現場の職人のおじさんたちと、日々接して働いている。仕事そのものは、小生の専門分野の資材購買。扱う品物は電子部品ではないが、3年経ったから品物も判ってきた。購買、資材、倉庫といった仕事は20年以上の経験がある。
 現場の中の倉庫が小生の職場。モノ作りの現場はいい。やはり小生は現場が性に合っている。
 2002年11月にK電気をリストラされ、H屋D堂、MK産業、NP社、AF社、S昆布、と5社を渡り歩いた。最長はH屋D堂の9ヵ月。最短はAF社の2ヶ月。無職の期間の最長はK電気からH屋D堂の間と、H屋D堂とMK産業の間の7ヶ月。この間、2度胃から出血して入院した。左足を痛めた。胃潰瘍の再発はないが、足はまだ痛く、外出時は装具をしている。
 本当に苦しい不安な4年間だった。でも、今は毎日を平安に暮らしている。思えば、小生のようななんのとり得もない中高年が、正社員として採用され、3年経った。奇跡だと思う。2009年の今は、小生が求職活動をやっていた時よりも、中高年の再就職事情は悪化しているだろう。このブログをご覧の諸氏の中にも求職活動を展開している方もおられるだろう。少しでも、そのような方々の参考と、励ましになれば、これに勝る喜びはない。

 これで「とつぜんリストラ風雪記」は終ります。ご愛読ありがとうございました。
 11月から新カテゴリーを立ち上げる予定です。
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とつぜんリストラ風雪記 38

とつぜんリストラ風雪記 37

 S昆布ではとろろ昆布削りの仕事をした。大昔に経験があるとはいえ、小生はこの仕事の素人である。とろろ昆布削りは、長年経験を積んだ職人がやるべき仕事。小生のごとき素人が2ヶ月や3ヶ月の経験でできるものではない。
 確かに、機械さえちゃんとセットすれば、削ろうと思えばだれでも削れる。ただし、すだれのようなバラけたとろろ昆布になってしまう。きれいな半紙みたいなとろろ昆布は一朝一夕に削れない。
 きれいなとろろ昆布を削るためには様々な要因がある。機械の調整。のせ前(削るために昆布をプレスで固めた物)のでき具合。カンナ(刃物)の処理。
 特に重要なのはカンナの処理。カンナはひんぱんに交換して、常に鋭利な状態にしておかなければならない。少しでも切れ味が落ちると、きれいに削れない。
 カンナの処理だが、研磨機にかけて刃先を研いだだけではとろろ昆布は削れない。刃先を上にしてカンナを立てて、刃先を金属のヘラでこすってやる。それで、刃先をねかしてやる。「かえし」をつけるのだ。この「かえし」をアキタという。すべてはアキタの立て方にかかっている。
 左手でカンナを持ち、右手にヘラを持ってアキタを立てるのだが、カンナを立てる角度、ヘラの角度、ヘラを当てる力の強弱、これらの作業は全部手の感触で調整しなくてはならない。機械で行うのならば、カンナは何度に斜めにして、それにヘラを何度の角度で何グラムの力であてがって、何回こすれば、こういうとろろ昆布ができるとなるわけだ。ちょうどNCマシンで鉄板を加工するように、定められたデータを入力するだけで、だれでもいつでも鉄板は常に同じ規格で加工される。
 ところがとろろ昆布は違う。その時の湿度、機械の調子、のせ前の具合を勘案してアキタを人の手で立てなければならない。長年の経験を経た職人がやるべき仕事だ。
 お手元にとろろ昆布の袋があるのなら開けて見て欲しい。外側と内側の2重構造になっているだろう。きれいなとろろ昆布で中身を包んで袋に入っているだろう。
 S昆布では、とろろ昆布袋詰めはパートのおばさんたちがやっていた。袋詰めのやり方はこうだ。おばさんは、削りの機械の前に座る。機械から削り出されるとろろ昆布を手で受ける。この手で受けるとろろ昆布はガワといって、袋の外側になる部分。客の目にふれる所だから、きれいなとろろ昆布でなければならない。ガワをハカリに置き、その上に中のアンコの部分を置いていき、全体を畳んで、袋に詰める。この中のアンコは少々バラけたとろろ昆布になっていてもかまわない。ガワはきれいでなければならない。アンコはたくさん削れる。ところがガワがけずれないと袋詰めができない。工場長やおばさんたちに「雫石さん、アンコはたくさん在庫があるからもうええねん。ガワを削ってえな」小生も削ろうと思っているのだが。
 おばさんたちがプッレシャーをかけてくる。機械の前に座って、最初に出てきた1枚を見て、フンと鼻で笑ってポイとそれを捨て、すたすたと自分の席に戻るやつ。何度も何度もカンナの交換を要求するやつ。アキタの立て方がゆるいんじゃないの。アキタの立て方がきついんじゃないの。その、うるさいこと、しゃくにさわること、プレッシャーを感じること。
 必死になって研究した。昼休みも機械を動かして、とろろ昆布を削った。削る時は機械の横に立って仕事をする。このころは、座るのは昼食の時に10分座るだけで、8時半の始業から5時の終業までずっと立ちっぱなしの日が何日も続いた。
 小生は今、左足に装具をつけないと痛くて歩けない。S昆布の前、AF社でも立ちっぱなしの仕事だった。左足は元々、関節の具合が良くなく、時々痛んでいた。どうも、このあたりの無理がたたったようだ。

2005年12月4日(日)
 胃の具合がおかしい。食後に痛む。とろろ昆布のガワがうまく削れずストレスがたまっている。胃潰瘍の再発でなければいいが。

12月5日(月)
 仕事を終ってから関西雇用創出機構に行く。生活できない給料。胃を苛むストレス。足も痛い。早急に次の勤務先を探さなくては。

12月13日(火)
 芦屋の串カツ屋にて家族で忘年会。そのままルミナリエに行く予定であった。ところが電車の中でものすごく気分が悪くなった。灘で下車。クラクラする。吐き気もする。駅のトイレへ。出血した。下血。胃潰瘍の再発。タクシーでポートアイランドの中央市民病院へ。そのまま入院。

12月17日(土)
 昼から退院。

12月21日(水)
 退院後初めての出勤。

12月28日(水)
 2005年最後の出勤日。S昆布で3ヶ月を過ごした。

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とつぜんリストラ風雪記 37

とつぜんリストラ風雪記 36
 
 30年ぶりにコブ屋に舞い戻った。仕事はとろろ昆布の製造。具体的には機械を使ってとろろ昆布を削る仕事。経験があるとはいえ、30年ぶりである。未経験と同じといっていい。
 とろろ昆布削りは100パーセント職人仕事。微妙な刃物の扱いしだいで、きれにも削れるし、汚くも削れる。本当は長年、経験を積んでやっと一人前の仕事ができる。

2005年9月12日(月)
 多忙な一日であった。朝、S昆布に出勤シュミレーションをする。場所はJR神戸駅を降りて10分ほど歩いたところ。8時始業だから、7時少し前に出れば間に合う。
 阪神で移動。AF社にて、ロッカーの私物を引き取る。大阪は天満橋に移動。AF社へ小生を派遣している派遣会社へ。退職の手続き。9月とはいえ暑い。
 午後は社会保険事務所へ。年金の任意継続の手続きを行う。帰りしなかかりつけの医院に立ち寄り血圧の薬をもらう。

9月14日(水)
 S昆布に初出勤。30年ぶりにとろろ昆布を削る。うまく削れるはずがない。10年ここでとろろ昆布を削っている人が教えてくれる。この人、Y氏は元漁師で、10年前に漁船を手放して神戸に来たそうな。水産学科出身の小生と話があう。Y氏は10年の経験があるのでさすがに上手く削る。ほんとは30年前に経験した小生の方が、歳は若いが先輩なのだが。
 この会社で、とろろ昆布の削りをやっているのは、このY氏と、小生が来る前にやっていた人の二人。その人も、小生同様、転職者で契約社員。その人が辞めて入れ替わりに小生が入社した。つまり10年の経験者と、契約の素人の二人で、この会社のとろろ昆布の製造がなされているわけ。あと、工場長が削れるけれど、彼も素人同然である。
 Y氏に異変があれば、とろろ昆布の製造はストップする。長い目で見て、一人前の職人を育てるべきだと思うが、S昆布の経営者は少々違う考えをしているようだ。小生の来る前の人も、その前の人も、あまりの薄給で辞めていった。会社は失業して職に飢えている中高年を、薄給の契約で雇用する。薄給に耐えかねて辞められても、小生のようなリストラ中高年が、ダボハゼのごとくすぐ釣れる。失業者は街にあふれている。替わりはいくらでもいる。

9月26日(月)
 研磨機が壊れたから、とろろ削りの仕事が出来なかった。1日中工場の掃除をしてすごす。
 削りの仕事は刃物が命。とろろ昆布削りの刃物(カンナという)は。削りの機械にかけて、5分も持たない。刃先の鋭さが命。5分に一度はカンナを交換しなくてはならない。そのため研磨済みのカンナを5.6枚は常に用意しておき、5分に一度交換する。機械から外したカンナはすぐ研磨機にかけて、刃先を鋭くして、アキタをかける。
 削りの機械を動かすと同時に、研磨機も作動させている。その研磨機が故障したから削りの仕事ができなかったというわけ。

9月27日(火)
 2週間経った。職場体験就労の期間が終了した。総務部長と話し合いを持つ。会社はOKということで、当方の意向を問う。月収はお話にならない。AF社と同程度の条件。時間給だから、1月、5月などの休みが多い月は、10万を切る。これではとても生活できない。ただ、AF社が派遣、S昆布は契約。契約社員の方が少しは安定しているかもしれない。ともかく、ここで働きながら、次の仕事を探す必要がある。

9月29日(木)
 阪神タイガースが優勝した。せめて阪神が優勝しないと、なあ~んも救われない。

10月5日(水)
 阪神VS横浜。阪神勝つ。下柳15勝目。最多勝おめでとう。鳥谷サヨナラヒット。下柳ズボンを上げながらベンチから出てきて、鳥谷を迎える。

10月6日(木)
 S昆布での昼食は更衣室で食う。食堂はあるが、パートのおばさんたちで満席で、男子社員4人は更衣室のベンチに座って食べる。机はない。小生は弁当持参で、他の3人は給食会社の弁当を食べていた、弁当箱を手で持って食べる。下に置くことはできない。薄暗い小汚い更衣室である。昼食ぐらいは、ゆっくり食べたいものだ。

11月25日(金)
 S昆布の契約社員となって2ヶ月が経った。とろろ昆布削りは難しい。うまく削れる時もあるし、そうでない時もある。なかなか安定しない。削りの機械の調整。アキタのかけ方。カンナの研磨ぐあい。材料の昆布ののせ前の状態。さまざまな要素がとろろ昆布の出来具合に関係する。
 小生は30年前に経験があったとはいえ、そのころとは機械も違うしやり方も違う。それに30年のブランクは大きい。実質の経験は2ヶ月である。常に半紙みたいなとろろ昆布は削れない。10年の経験のY氏も時々苦労している。
 小生たち削り職人の仕事に相手はパートのおばさんたちである。このおばさんたちがなかなかのクセ者であった。


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とつぜんリストラ風雪記 36

とつぜんリストラ風雪記 35

 AF社の仕事は派遣の仕事。仕事そのものは単純作業で簡単だが、肉体的にきつい。小生もあまり若くないのだから、一日中立ちっぱなしの肉体労働はさすがに疲れる。給料は、派遣だから話にならない。高校生のアルバイトの方がマシなのではないか。
 昼から休んでハローワークに行くなどして求職活動をした。

2005年8月19日(金)
 小生の勤務は朝7時半から、午後4時まで。昼から夜9時までという勤務パターンの人もいる。午前中は小生一人だから気楽でいいが、昼からTという奴が勤務につく。Tは小生より少し先にここに来ていた。別に相棒ではなく、それぞれがそれぞれの仕事をしている。だから自分の仕事だけをしておけばいいのに、こやつが先輩面して、小生になんやかやと指図をする。人のことはほっとけ、とピシャといってやろうかと思ったが、こんな奴と喧嘩するのもナンだし、あまり長くここにおるつもりはなかったので、ぐっとがまんする。

8月31日(水)
 昼から退社。昼食後、西宮ハローワークへ行く。収穫なし。夜、阪神VS中日を観る。阪神負け。井川がアホや。

9月3日(土)
 夫婦で西宮市大谷美術館へ、イタリア・ボローニャ国際絵本原画展を観に行く。久しぶりのデート。
 絵本の展覧会を見て、美術館の庭を散策して、館内の喫茶室でケーキにコーヒー。くつろぐなあ。平日は少々きつい派遣労働者。お休みの土曜日ぐらいこんなことをしてもバチは当たらんだろう。とはいえ、派遣労働者といっても、小生は恵まれている方だろうな。

9月6日(火)
 ORにて面接。神戸税関の横のきたないビル。電気製品の出荷、梱包作業の仕事。

9月9日
 S昆布にて面接。仕事はとろろ昆布の製造。実は小生、昆布会社に勤務した経験がある。コピーライターになる以前に、O昆布に勤務して、製造の仕事をしていた。その会社に勤務しながら、夜、久保田宣伝研究所コピーライター養成講座(現宣伝会議)に通っていた。
 O昆布で、キャラ蕗の原料の蕗の塩漬けを水洗いしながら、窓から外を見ていた。小生はまだ二十歳代の青年だった、絶対にこのコブ屋を抜け出してやろう。ワシはいつまでもこんなところでくすぼっていないぞ。モノを書く仕事をするんだ。もっとクリエイティブな仕事をするんだ。と、思っていた。
 コピーライター養成講座に1年通って、終了した。大阪教室17期生(情熱の17期といってあるスジでは有名)小生は優秀な生徒だった。3人優秀賞を受賞したが、そのうちの一人だった。この時、東京校の最優秀者が糸井重里だった。
 養成講座終了と同時にO昆布を退職した。当時の総務部長に、、そういう勉強をしたのなら、O昆布に残って宣伝広告の仕事をしないかと引き止められた。断って、養成講座が紹介してくれた広告制作プロダクションに就職した。
 O昆布はその後順調に成長して、関西では中堅の食品会社となった。もし、あの時、総務部長の提案を受け入れて、O昆布の宣伝広告の仕事をやっていたら、同社の宣伝業務を小生がゼロから構築することになっただろう。順調にいけばO昆布の宣伝担当の重役になっていたかもしれない。
 ともかく、今は大昔、青年雫石鉄也(当時からこのペンネームは使っていた)は、コブ屋を抜け出し、クリエイティブの世界に羽ばたいていったのであります。ほんと、薄暗いどぶの中から青空に出た気分だった。
 S昆布は職場体験就労という制度がある。2週間働いて、双方がOKなら正式に契約ということになる。契約社員である。正式契約となっても、給料はAF社の派遣とさして変わりはない。ただ、派遣より契約の方が少しは安定しているかもしれない。
 S昆布に行くことにする。思えばコブ屋から抜け出したのに、30年経って、またコブ屋に舞い戻るとは思わなかった。
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とつぜんリストラ風雪記 35 

とつぜんリストラ風雪記 34

 NP社をクビになった小生は、新聞のおり込み求人チラシで見つけた、派遣の仕事に就いた。大手薬品販売会社の傘下の人材派遣会社に採用された。もちろん契約社員である。職場は、その大手薬品販売会社の配送センター。
 給料はお話にならない。家族を養っていけない。ここで働きながら、次の就職先を見つけるつもり。

2005年7月26日(火)
 AF社へ初出社。家から近い。30分あれば通勤できる。今までいろんな会社に通勤したが、ここが一番近い。7時30分始業で午後4時終業。7時に家を出れば充分に間に合う。小生、起床は午前4時のため、だいぶんゆっくりできる。いろいろやりたいことができる。また、午後5時前には帰宅できるため、タイガースの試合をプレイボールから確実に観られる。
 自宅から近い職場は時間を有効に使える。ただし読書量が少々減った。小生の主な読書の場は電車の中だから。
 先輩のM氏に仕事の手順を教わる。3ヶ月早く入社した人。M氏は午後4時にここの仕事を終った後、別の職場でアルバイトをしているとのこと。それでも生活は苦しい。契約の派遣とアルバイトじゃ確かに収入は少ない。小生はこの職場だけだが、早急に次の就職先を見つけるつもり。

7月28日(木)
 6月28日に面接したSTから電話。先方に欠員ができたので、小生のことを紹介するとのこと。ぜひとも話を進めてくれとお願いする。

7月29日(金)
 STの件、ダメだった。残念。
 この職場に自分の机はない。場所は薬品倉庫。椅子もない。一日中立ちっぱなし。派遣の分際でそんなもんは不要ということか。疲れる。昼食の時だけ事務所の机を貸してくれる。そこで弁当を食べる。派遣先の事務所なり。気を使う。就業時間中の、手待ちの時、どこかに座っていれば、派遣が怠けとると白い目で見られる。

8月2日(火)
 ここの仕事がおおむね判った。AF社は病院、医家向けに薬品を販売している薬問屋である。小生がいる配送センターは神戸市内向け。
 須磨区の大配送センターから、トラックが1日に3度来る。トラックから荷降ろしして、商品を分類、各棚に収納する。荷は薬品だからそんなに重いものではない。トラックにはカーゴテナーに収容されて運搬されて来る。トラックはパワーゲート付だから、荷降ろしは楽だ。ところがこのセンターにはフォークリフトがない。倉庫の入り口はスロープになっているから、満杯のカゴテナーを人力で押して入れなくてはならない。ハンドリフトを使うが、これがけっこう重くてつらい。1日立ちっぱなし。重い荷物を押して入庫。現在、小生は左足に装具を付けている。なしでも歩けるが痛い。小生の足の不具合はこのあたりから始まっていたのかも知れない。
 倉庫に搬入したカゴテナーから、薬品をそれぞれの収納棚に収納する。ほとんどの薬品は段ボール箱入り。この段ボールを破損することは許されない。収納する時は、新しい物は下、古いものは上に置く。先入れ先出しは在庫管理の基本中の基本である。
 約1時間に1枚出庫品リストが出る。棚から商品を取り出し、パレットの上に置く。これを営業が車に積んで、受け持ちの医院や病院、調剤薬局に配達する。
 だから、医院でもらう薬は、元の配送センターでの出庫は、小生たちのような素人の派遣社員がやっているのだ。もちろん営業が持ち出す前にチェックをしている。これで、もし小生が間違え、営業がそれを見逃しそのまま納品。薬局の入庫で見逃し、そして、そのまま患者の手に渡るということも考えられる。だから、医院、調剤薬局で受け取った薬は必ず患者本人が確認した方が良い。
 仕事は、段ボール箱の薬品を棚に入れ、棚から出す、というもので、単純作業で、薬の名前もすぐ覚えられる。ただ肉体的にきつい。座れるのは、昼食の時だけ、トラックから倉庫への入庫のさいは、真夏のことだから汗だくになる。
4時に仕事が終った時は、身体はドロドロ、足はガタガタになる。
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とつぜんリストラ風雪記 34

とつぜんリストラ風雪記 33

 夏の求職活動はつらい。ハローワークに行くのは、どのような服装でもよいが、面接がたいへん。カンカン照りの中、背広にネクタイはさすがにつらい。小生は暑さには強いが、真夏の面接はきつい。

2005年6月24日
 尼崎のFMへ面接。阪神尼崎から南へ。43号線を越えたところ。背広にネクタイは暑い。政府は「クールビズ」とやらを流行らしたいらしいが、その服装で安心して面接に行けるようでないと定着したとはいえない。あの「クールビズ」で面接に行くにはためらわれる。
 面接の後、阪神百貨店の地下で昼食。ごまだれラーメン。真夏に熱いラーメンも一興とてラーメンを食う。ちょっと変わったラーメンなり。麺は細め。スープは鶏がら醤油味。芝麻醤で味付けしてある。坦々麺に似ているが、辛くないしスープがまったく違う。すりゴマがたっぷりトッピングしてある。デパ地下なれどなかなかうまいラーメンだった。
 県会議員選挙をやっている。「5児の母」をウリにして、子育て支援といっている女性候補者がスピーカーで連呼して、寝た子を起して回っていた。

6月27日(月)
 灘ハローワークへ行く。MK産業、NP社の2社でかけていた雇用保険は出ないのかと聞く。1ヶ月ほど少なくて受給資格なしとのこと。残念。

6月28日(火)
 猪名寺のSTへ面接。M電機系の業務請負会社。小生をリストラした会社K電気は、M電気の下請けだったので、お互い知っている人の名前がたくさん出てくる。

6月29日(水)
 午前中自宅で求職活動。2社に履歴書、職務経歴書を送る。2週間前に書類を送ったたがうんともすんともいって来ない所がある。どうなってると電話。応募者多数のため選考に手間取っているとのこと。
 午後西宮ハローワークへ。収穫なし。西宮から元町へ移動。海岸通の業務請負会社CPで面接。帰りの電車の中で昨日面接をうけたSTから電話。別の会社を紹介するとのこと。明日面接に行く。

6月30日(木)
 STへ。STの人に連れられて自転車で20分。AGへ行って面接。AGは組み立て工場だが人材派遣もやっている会社。実際に働くのはM電機構内。仕事は電子部品の購買。それなりの手ごたえを感じる面接だった。

7月6日(水)
 尼崎ハローワークへ。あまり希望が持てそうにない案件が2件収穫。JR西宮で降りて歩く。昼食後自宅で求職活動。明日と11日に面接の予定。明日の案件は場所が京都で少々遠いが通勤できないこともない。
 ST断ってきた。担当の人も大変熱心な人で、ものすごく期待していただけに大変に残念。
 阪神VSヤクルト。阪神勝つ。快勝かというとそうともいえん。11安打しとるのに2点。それも1点は押し出しという相手のピッチャーの自滅。それと金本のホームランの1点。安打をつなげての得点は1点もないわけ。11安打しとるのにこれじゃ拙攻だ。ヤクルトのキャッチャーが古田やったら負けてたかも知れん。勝つには勝ったが課題が残った試合であった。
 と、この日の日記には書いている。なんだ、岡田さんも真弓さんと同じようなことをやってたのか。

7月7日(木)
 京都は河原町のOT社で面接。久しぶりの河原町だ。星群の例会を京都でやっていたころは、よく河原町で飲んだ。

7月8日(金)
 梅田ハローワークのあと、サンケイホールに寄って、米朝一門会の前売り券を買う。OT社ダメだった。

7月17日(日)
 サンケイホールで米朝一門会。失業者だって落語を楽しむのだ。

7月21日(木)
 神戸は青木のAM社で面接。この案件は、新聞折込のAIDEMで見つけたもの。派遣社員の募集で、AF社という大手の医家向け薬品販売会社が派遣先。勤務地は面接場所の青木。ここはAF社の配送センター。

7月22日(金)
 AM社より採用の電話あり。
 

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とつぜんリストラ風雪記 33

とつぜんリストラ風雪記 32

 NP社をクビになった小生は、ただちに求職活動を開始した。K電気をリストラされて以来、4度目の求職活動だ。こうたびたび求職活動を経験すると、さすがに慣れたもので、試行錯誤なしで活動を展開できる。
 H屋D堂、MK産業、NP社と、三つの会社をクビになってきた。わずか3年間で3社。無職の期間は最大で半年。
 求職活動を通じて、多くの求職者と知り合いになったが、1年以上求職活動をしているが、まだ再就職を果していない人が多くいる。そのことを考えると、小生は求職者としては有能な方ではないだろうか。クビになっても、すぐ次を見つける。以前にもちょっと書いたが、求職活動期間中、求職活動そのものが面白いと感じる時があった。これは危険なことである。求職活動が目的ではない。要は如何に安定した会社に入社して、末永くその会社に在籍し、安定した収入を得るかだ。
 クビになってもすぐ次の会社に入社できる、などということは自慢にならない。次の会社を見つけることも大切だが、苦労して見つけて入社した会社にとけこみ、必要とされ、末永く働けるかが大切。この事に関して、小生も反省すべきところは多々ある。もちろん愚にもつかない会社に入社してしまったという小生の運の悪さもあるが、小生も悪いところはあった。
 このブログをご覧になっている人で、小生と同様の身の上の方もおられるだろう。そのような方には小生と同じ失敗をして欲しくない。ひとつだけアドバイスをさせていただく。プライドを隠すこと。捨てろとはいわない。プライドのない男はふぬけである。プライドは大切にしなくてはいけない。ただ、会社の門を一歩くぐると、プライドは心の奥の方に厳重に鍵をしてしまい込むべき。表面に出してはいけない。むき出しのプライドほど、新しい会社での仕事の邪魔になるものはない。

2005年5月18日(水)
 定刻4時起床。今後の方針、日々の行動計画などを考える。NP社にはサービス残業した給金を払わせたいものだ。
 NP社に制服を返却しに行く。健康保険は任意継続にする。この会社に3ヶ月いた。しんどい会社だった。西宮ハローワークへ行く。収穫なし。

5月23日(月)
 NP社の残業代未払いの件で尼崎労働基準局に電話する。書面で提出してくれといわれる。書面で出した。その後のことは判らない。ちゃんとNP社を摘発したのか、あるいは基準局がほったらかしにしたのか。

5月25日(水)
 尼崎ハローワークへ行く。同ハローワークはJR塚口が最寄駅だが、福知山線不通のため、尼崎駅から歩く。途中、脱線事故現場の前を通る。手を合わせて、犠牲になられた方々の冥福を祈る。
 現場にほど近い道路に違法駐車している車多数。中に人がいて、熱心にノートパソコンをたたいている。新聞社の腕章を巻いているから、記者が原稿を書いているのだろう。事故後1ヶ月なので喪服を着た遺族と思われる人たちが多数おられる。
 尼崎ハローワーク収穫なし。帰りは阪急塚口から帰る。

5月28日(土)
 女性から電話。中学の同級生だった女性。三宮のスナックで飲んでいるから出てこいとのとこ。女二人かなり酔っている様子。実は彼女らからは昨日も電話があった。クラス会の出欠。欠席といってあったが、どうも出席者が少ないらしく、飲みながら善後策を相談しているらしい。
 中学のクラス会は10年に一度は開かれている。いいだしっぺは、たいてい上記の彼女たち。小生は皆勤であったが、さすがに失業中のこととて、出席する気にならず、また金もない。小遣い5000円で会費は出せない。まことに残念ながら欠席の意志を再度伝える。次回は2015年か。
 録画しておいた「上方演芸ホール」を観る。笑福亭たまさんが「看板のぴん」をやっていた。相変わらず元気いっぱいの高座。この噺家きっと伸びる。少々気が早いが、第N代目笑福亭松鶴の候補の一人にしてもいいかも。こんど生で観れる。楽しみ。

6月2日(木)
 芦屋の食品会社で面接。小さな会社でなんでもしてもらわなければいけない、といわれる。この会社断ってきたが、社長は小生の人柄が気に入っていたらしい。別の人を採用したが、その人が辞退したら、雫石さん来てくれますかといわれる。なんとも身勝手ないい分だが、気持ちよく「はい」と答える。可能性は残しておかなくては。

6月10日(金)
 梅田の人材派遣会社で面接。午前10時という約束だったが、面接を始めたのは11時。1時間も小生一人応接で待たせおった。これが逆ならどうだ。応募者が面接に1時間も遅刻したら、それだけで不採用だろう。求職者は弱い立場なのだ。

6月13日(月)
 堺筋本町の人材派遣会社で面接。50歳以上の再就職は難しいといわれる。そんなこと小生にいってどうする。それなら電話で断れ。こっちは失業者が交通費と時間を費やして足を運んだのだぞ。結局、ここの社長、面接のあいだじゅう、中高年の再就職の難しい話ばっかり。厚生労働省の労働行政への不平不満批判をたっぷりと聞かされる。しょうもないことで時間をつぶした。

6月22日(水)
 伊丹ハローワークへ。帰りはJR伊丹から電車に乗る。伊丹駅のホームで待っていたら、来た電車は事故車と同じ「同志社前行き」快速電車。しかも同じ207系。あの事故以来初めて福知山線に乗る。事故現場の尼崎のカーブは大変にゆっくり走っていた。通過するさい手を合わせる。例のマンションから尼崎駅まで時間にして1分もない。小生は何事もなかったように尼崎駅に降り立ったが、あの日あの時あの電車は永遠に尼崎に到着しなかった。

6月23日(木)
 NP社に行く。健康保険証を返却して、健康保険資格喪失証をもらう。これでNP社とは完全に縁切り。きゅうくつな会社だった。本採用されるため、100時間を超えるサービス残業しながら、さまざまな辛抱を重ねてきたが、すべてムダだった。そう思うと、ここ数ヶ月の疲れがどっと出た。立っているのもしんどかったが、気力をふりしぼって梅田ハローワークへ行く。


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とつぜんリストラ風雪記 32

とつぜんリストラ風雪記 31

 NP社をクビになる。この会社、仕事そのものは小生の専門たる電子部品の購買だったが、疲れる会社だった。肉体的にではない。精神的に疲れた。
 朝のあいさつの声量から、おじぎの首の角度まで、ごじゃごじゃと箸の上げ下ろしまで文句をいわれる。この会社「士(もののふ)の心」とか「士十則」なんぞといっておるが、なにが「士」なもんか。従順な羊の群れであった。小生はどうも羊の群れにはなじめなかったようだ。

2005年4月30日(土)
 出社後すぐに松阪工場に向けて出発。小生は方向音痴だが、会社の車はカーナビが付いているので安心。阪神高速→西名阪→国道25号→伊勢自動車道→国道23号というルートを走る。お天気も良く、実に快適なドライブだった。
 連休中のこととて渋滞を心配したが、道はよくすいていた。そのかわり取締りだらけであった。あちこちでネズミ捕りをやっている。覆面パトらしき怪しげな車も見かけた。
 小生は飛ばす方だが、めったに捕まらない。10代で免許を取って40年近く車を運転してきたが、スピード違反で捕まったのは片手にあるかないか。ちょっとしたコツがあるのだが、ここでは書かない。乞う、安全運転。ご安全に!
 松阪工場での仕事は2時間ほどで終わる。NP社ではトイレでおしっこしてもレポートを部長に提出しなければならない。何時に何階のトイレで何CCしたか。ま、これは冗談だが、出張すれば必ずレポート。社外の出張ならどこの会社でもレポートは提出しなくてはならないだろう。ところがNP社は自社の工場に日帰りで出張してもレポート。松坂工場のパソコンを借りてちゃっちゃと作成。すぐメールで部長に送信。本人よりも先にレポートが届いている。かようなもんは、モタモタ時間をかけて書いてはダメ。ちゃっちゃと済まそう。
 夕方6時に尼崎の本社に帰社。今日は松坂まで行って帰ってきただけ。こういう日は気が晴れていい。

5月2日(月)
 世間は休日なれどNP社は出勤日。会社には出たけれども、取引先はほとんどが休み。メールで納期督促を送信したり、書類の整理などで一日を過ごす。
 部長と課長がなにやらヒソヒソと密談。耳に伝わる単語から推測するに、どうやら小生の処遇について話しているらしい。実は、こやつら何やら二人だけで密談をよくしている。この時以降、こいつらが二人で席を立っただけでイヤーな気分になる。小生をクビにする話に違いない。K電気をリストラされて以来、H屋D堂、MK産業と、わずか3年間で2社クビになった。もう無職になって求職活動するのは嫌だ。確かにNP社は居心地の悪い会社だ。サービス残業させられるし、部長課長どもも気に食わんやつらだ。それでも、さすがにこれ以上クビになるわけにはいかない。なんとか折り合いをつけてNP社に勤務しよう。
 部長と課長が立ち話しているだけでビクッとする。会社にいる間は心が休まる時は一刻もない。なんとしても試用期間の3ヶ月を乗り切って本採用にならなくては。この会社にいても針のムシロだが、生活のため家族のためがまんだ。そのうち慣れるだろう。
 めずらしく定時で退社する。あの脱線事故以降、電車に乗るのが恐い。特に事故車と同じタイプの207系の電車は恐い。1,2両目に乗るのは避けている。これは現在も小生は電車の1両目には乗らない。

5月11日(水)
 以前より督促して納期短縮を交渉している部品がある。相手先は言を左右してなかなか明確な返答をしない。さすがの小生も苦労しながら督促を続けた。それにこの相手先の担当者は非常に不誠実な印象を受けた。小生、30年近くこの仕事をしているが、あんな不誠実な担当者は初めて。小生が購買担当だと、絶対に取引をしない担当者だが、小生はNP社では担当を持たず督促業務だけをしている。
 交渉をし始めて1週間ぐらいすると、逃げ回って電話にすら出なくなった。しかたがないのでメールで交渉を続ける。返信メールが来た。「課長さんに報告します」
 その問題の担当者がNP社に来社した。小生にではなく、課長に面会するため。課長、課員を引き連れて面会に行く。「私も行きます」というと、来なくていいとのこと。色よい返答をもらったと見える。「どうでした」と聞くと、「雫石さんには関係ない」担当者にメールで問い合わせ。返信「課長さんに報告しました」
 小生の1週間の交渉はなんだったんだ。メンツ丸つぶれ。小生とて、長年この仕事をやってきた。メンツをつぶされたこともあった。小生が人のメンツをつぶしたこともあった。しかし、それは計らずも、結果として人にメンツをつぶされた。小生が人のメンツをつぶした時も同様。そこには決して悪意はない。あとで必ずフォローされるし、フォローしてきた。
 K電気時代も同じような経験は多々してきた。その時は営業の担当者は「すみません。課長さんが一刻も早く返答を聞きたいとおっしゃるから。決して雫石さんの顔をつぶすつもりじゃありませんでした」
 課長は小生の肩をポンと叩いて「今夜松葉でいっぱいどや」梅田の串カツ屋「松葉」で、小生にビールを注ぎながら「すまんな雫石くん。いや、なに、モトローラのICの件。本当ならキミが返事をもらってワシに報告するのがスジやけど、品管がやいやいいうもんで、あないなことしてしもた。キミが交渉してきてくれたから納期短縮ができたんや。ワシは結果を聞いただけや」
と、いう具合に松葉の串かつ数本とビール2,3本で小生の機嫌を治す。
 ところがこのNP社の場合、担当者も課長も悪意が感じられた。作為的に小生のメンツをつぶそうとした。

5月17日(火)
 NP社に入社して3ヶ月。試用期間が過ぎた。この日応接に呼ばれる。部長、課長、総務部長、総務の人事担当、などがガン首そろえている。小生一人、連中の前に座らされる。総務部長が口を開いた。
「試用期間が過ぎました。残念ながらあなたは不採用と決定しました」
 なんでやと聞くと、購買の部長が
「購買担当者としては有能ではあるが、雫石さんはわが社の社風とはあいません」
 クビである。


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とつぜんリストラ風雪記 31

とつぜんリストラ風雪記 30

 3月17日に購買課長が辞めて、購買課は課長不在だったが、4月に入って新任の課長が決まった。経理にいた若いのが購買課長となった。
 購買課で小生が一番の年長。この若いの、小生以外の課員どもとは和気あいあいと仲良くやっている。小生とは視線を合わさない。購買課に初めて来た時、席まで小生があいさつに行くと、コクリとうなずいただけ。無礼なやつ。生意気なやつだ。

2005年4月25日(月)
 午前中のことである。あたりが騒がしい。騒然とした雰囲気。数多くの救急車が走り回っている音が聞こえる。上空を何機ものヘリコプターが飛んでいる。阪神大震災の時のような感じだ。家から電話。「職場は尼崎でしょう。えらい事故が起きたそうよ。だいじょうぶ?事故に巻き込まれていないか心配で」事故現場はJR尼崎の北、NP社は南。
 無事と返事してすぐインターネットでニュースを見る。JR尼崎駅ちかくで電車脱線事故。107名の死者を出して大惨事となったJR福知山線脱線事故を、小生はこうして初めて知った。この時、小生がいたNP社と事故現場は1キロも離れていない。
 K電気での最後の職場は伊丹だった。駅は事故車がオーバーランした伊丹駅だった。事故現場は毎日通っていた。当時は毎週月曜日、伊丹から吹田工場での工程会議に出席していた。伊丹から尼崎で乗り換え、東淀川で降りて吹田工場まで徒歩。この時、伊丹から尼崎までは、事故車と同じ同志社前行き快速電車にも乗った。時間も事故発生時間と同じ時間帯の午前9時過ぎ。事故の時間軸が2年ずれていたら、小生もあの事故に遭遇していたかもしれない。大事故、大惨事、大災害の類いにあうのは阪神大震災だけで勘弁して欲しい。
 帰りの電車に乗るのが恐い。新聞、テレビのニュースで死亡者、けが人の名前をチェックする。知人友人の名前はない。とりあえずひと安心。

4月26日(火)
 今日も一日中、上空をヘリコプターが飛びまわっている。低空を飛行するため非常にうるさい。警察、消防のヘリなら致し方ない。がまんできる。ところが報道のヘリが多いようだ。
 阪神大震災の時もそうだった。救援物資のヘリなら大歓迎だが、報道のヘリはうるさいだけだ。無性にハラがたつ、あの時手元にスティンガーでもあれば撃ち落していただろう。
 帰宅後、テレビでニュースを観る。ヘリからの映像も映していた。各局、同じような映像を使っていた。あれじゃ、あんなに大量のヘリを飛ばさず、代表取材の1機を飛ばして、その映像を各局で使用すればいいだろう。ともかく、災害にあって苦しんでいる人の頭の上でパラパラとヘリコプターを飛ばすのは最低限にするべきだ。

4月28日(木)
 休みの前日なので定時に退社するつもりでいた。4時ごろ残業をいいつけられる。購買の仕事ではない。工作の仕事。配線を間違えたとか。ハンダ付けを外して、新たにハンダ付けし直す仕事。10時ごろまでかかる。NP社は時間外手当は出さない。サービス残業なり。
 4月に入ってから経理をやっていた若いのが購買課長として購買課を取り仕切っている。やつは購買の経験はない。もちろん電子部品に関しても素人。小生以外の購買課員に、取引先のことや電子部品の基礎知識を教えてもらっているようだ。その課長が購買のプロたる小生に、購買の心構えなどを説教する。どうも部長にいわれたらしい。ストレスがたまる。胃潰瘍を再発しそうだ。
 業者に納品方法に関する書類を作成して、発送しようとしたら課長が見せろという。いっぱい赤字で添削して返ってきた。赤字の部分を見直すと、まっとうな文章を、むりやりまっとうでない文章に改悪してある。購買業務のベテランで、元コピーライターで、この手の書類はゲップが出るほど書いてきた。
 せっかくNP社に採用されたのだ。がまんしなくてはいけない。例え犬が課長であっても、へいへいということを聞かなくてはいけない。やつは購買の素人だが、いちおう人間だ。

(追記)
 この時の小生は中高年の転職者が、絶対にしてはいけない心構えをしている。プライド。中高年の転職者にとって、これほど邪魔なものはない。
 長年、同じ仕事を続けて、その収入で家庭を持ち家族を養ってきた。当然、自信も自負もあるだろう。しかし、その呪縛から逃れられず、新しい職場で、それが出てくれば必ず失敗する。耐えがたいことだが、プライドは心の奥深くにしまい込んで、虚心坦懐に新たな環境になじまなくてはいけない。
 実はこの4月28日の記事は書かないつもりだった。今となっては、かようなことを考えていたことが恥ずかしい。こんなことは人に知られたくない。しかし、小生と同じような失敗をする人がいて欲しくないので、あえて書いた。
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とつぜんリストラ風雪記 30

とつぜんリストラ風雪記 29

 NP社に購買係として入社したが、なかなか小生の担当が決まらない。決まらないのか、決めないのか判らないが。
 あなたの担当する取引先はこの社とこの社。あるいは、あなたには、これこれの部品の仕入れを担当してもらいます。と、決めてくれないと落ち着かない。
 この間、なにをしていたかというと、工作の手伝い、基盤の整理、工作ミスした板金部品の手直し、松坂工場への出張、部品の引き取り、航空便荷物の引き取りに関西空港へお出かけ、などなど。
 ところが、どこで聞きつけたのか判らないが、K電気時代に、小生と取り引きのあった商社の営業が何人かあいさつに来社した。MK産業の時にもあいさつに見えられた人もいた。もちろんこれらの人たちは仕事で、小生に面会に来たわけ。お友だちとして来たわけではない。営業の相手として、NP社に入社した小生を訪ねてきたわけだ。相手も商売で来ているわけではあるが、小生に新たな取り引きを期待して来社したわけ。うれしい。こういう人脈が購買係としての財産でもあるわけだ。昨日、今日、購買を始めた者にはこういう財産はできない。担当が決まったら、彼らにも見積もりを出すつもりでいた。条件が合えば取り引きをしよう。合わなければ、古いなじみの商社でも取り引きしない。このあたりはシビアに行くべき。ビジネスである。ただ、相手は、雫石さんだからこそ、特別な計らいをしてくれるということがある。
 価格。商社は同じ品物でも、販売先によって違う価格で販売する。単発で10個買ってくれる客と、毎月コンスタントに1000個単位で買ってくれる客では、月1000個の客の方が単価が安い。もし、小生が10個発注したとしよう。すると商社はメーカーから1010個仕入れる。1000個は1000個の客に納品。10個は1000個ランクの単価で小生に納品してくれる。雫石さんでなければ、商社は1000個ランクの価格で仕入れて、10個ランクの価格で販売する。
 納期。長納期品というものがある。メーカーの生産能力が需要に追いつかない。納期が1ヶ月という品物もよくあった。それを1週間で仕入れなければならない。特注品ならそうだが、カタログに載っている品物なら、客の注文を聞いて造りはじめるということはない。常時造っているのである。だまっていれば注文を受けた順に出来上がった品物を出荷していく。品物は毎日できているのである、強力に申し入れれば順番を飛び越して、優先的に品物を回してくれる。
 メーカーが最もいうことを聞くのは、自社の製品を一番多く売ってくれる商社。次にエンドユーザー。エンドユーザーから直接督促の電話がかかってくれば、いうことを聞かざるを得ない。小生もK電気時代によくこういう電話をメーカーにかけた。ところがこのワザをたびたび使うと商社のメンツをつぶすことになる。部品を納入する商社との関係を悪くすることは購買係としては、絶対さけなければならない。一番いいのは、商社に督促させてメーカーを動かすことである。雫石さんのことだから、メーカーにもう一度督促します。また、雫石さんだったら、メーカーに直接電話されてもしかたがないです。
 こういう取引先を知っていて、しかも、すぐにでも取引に応じてくれる。これが購買係としての一番の財産である。幸いなことに、小生はこういう財産を持っている。

2005年3月1日(火)
 設計が実験用に特殊なICが欲しいと購買にいってきた。課長が話を聞いて、課員に指示を出す。小生以外の購買課員が、それぞれ自分の担当の取引先に電話して問い合わせる。小生は担当を持っていないので、課長から声がかからなかった。
 なかなか苦戦している様子。困っている。彼らの知っている取引先全部に電話して、インターネットでも調べたが、なかなか見つからないらしい。
 小生が課長に申し出た。「私が探してみましょうか」こういう経験はK電気でゲップがでるほどしてきた。この時の秋葉原の店に電話した。小生は電話1本で見つけた。こういうことも経験が必要である。

3月11日(金)
 担当が決まった。部品の仕入れの仕事ではない。長納期品の納期短縮と、督促を専門にやってくれとのこと。NP社のような自社ブランドをライン生産しているメーカーでも、納期ワレの部品が頭痛のタネ。納期どおりに部品が入らないと生産計画が狂う。
 この日から、小生は各機種の部品未入荷品リストを元に督促業務をはじめる。K電気時代も同様の仕事はしたが、当時は未入荷リストは手書きだった。これがけっこう手間だった。それがExcelで簡単にできる。督促もメールでしてメールで返答をもらう。ポイントだけ電話すればいい。
 業務そのものは慣れた仕事だし楽だったが、神経的に疲れた。これはNP社の体質によるもの。
 NP社の工場は尼崎と三重県松坂の2ヶ所。製品倉庫は松坂。松坂で生産、松坂で在庫、尼崎で生産、松坂で在庫の2パターンある。松坂生産なら無条件で松坂に納品してもえばいい。尼崎生産のものなら、部品を尼崎か松坂かどちらに納品してもらうか判断しなくてはならない。尼崎である程度仕上げて松坂で完成させる製品もある。その部品を使う製品はどの工程にあるのか見極めなければならない。繁雑である。
 月末の3日間は松坂の資材部が棚卸しをする。その間、物品の納入は受け付けない。従ってこの3日間をさけて納品してもらわなくてはならない。どうしても、この期間に松坂に納品するなら部長に書類を提出して許可を得なくてはならない。
 督促するのだから、いそいで納品してもらわなくてはいけない物だ。通常ならメーカーから商社に納品して、商社が所定の帳票類を品物に添付して納品する。ところが急いでいるからメーカーから松坂に直送してもらう。これが尼崎直送なら小生が実物を見るからいい。ところが松坂の資材部からよく電話がかかってきてた。納品された品物がよく判らん。どの機種に使う部品かわからない。決められた荷姿で納品してもらわなければだめだ。と文句をいってくる。
 NP社松阪工場の倉庫。確かに整理整頓が行き届いている。資材の基本、先入れ先出しも間違いなくなされている。非常にきれいな倉庫である。ところが臨機応変に突発事態に対処できない。このNP社松坂工場資材部は無能である。上げ膳据え膳で、購買がちゃんとお膳立てしてやらないと仕事ができない。しかたがないから、小生が尼崎から松坂に出張して、納品物一つ一つに伝票を貼っていく。
 あとで知ったことだが、NP社では少しぐらい納品が遅れても、ルール通りに納品させることが大切だ。
 K電気では小生は資材の受け入れも購買も経験した。K電気での督促は、とにかく手段は選ばない、どんな形でも良い、無条件で、K電気の門をくぐらせろ、というものだった。特急品が多いから、指定の伝票が添付されていない品物が非常に多い。資材の受け入れ部門はそんな品物が山となっている。それを的確にマテハンしていく。急いでいる工作や品管の担当者が自ら品物を、山の中から探し出して持って行く。
 小生は、こういう資材、購買を27年やって来た。
 ある日、部長に注意された、「雫石くんの督促の電話だけれど、ちょっと言葉遣いがきついね。もう少し優しくしゃべれないのかね」部長は関東の人なのだ。
 部長の電話。「あ、いつもお世話になっております。ところであの件ですが、弊社の松坂工場にまだ在庫がございます。誠にお手数ですが、お引取りに来ていただけないでしょうか」
 小生の電話。「まいど。例のICやけど、いつ入るんでっか。え、来月はじめ。あかんあかん。そんなに待てん。今月中でたのんまっさ」
 小生はこれで27年購買をやってきた。小生の言葉遣いが気に食わないといった取引先はない。だからこそ、NP社にまで多くにの商社があいさつに見えたわけだ。
 小生が相手にしていた大阪の電子部品の商社は、ある意味典型的な大阪商人が多く、小生とはこんな電話のやりとりだ。
「まいど。例のインテル、納品いつや」
「来月中旬」
「あかん。、待てん」
「いつやったらええんでっか」
「今月中」
「まだアメリカ出荷してへんねん」
「国内にないんか」
「あるかも知れんけど300個もおまへん」
「分納でええ。50個だけでも手入れてえな」
「わかりました。探してみまっさ」
「頼んまっさ」
 発注先の商社に探させると同時に小生も探す。小生が先に見つければ、所在の確認だけして、実物はその商社に買い取らせ納品させる。そんなことをすれば損だから、商社は必死になって探し、かつアメリカのインテルの代理店を督促する。
 小生が先に見つけた場合は商社にはすぐに報告しない。極力、商社に入手させる。商社に損はさせたくない。待てるギリギリまで待つ。その間、工作や品管は製品納期に間に合わないといって、やいやいいって来る。工作の工程、品管の作業日程、本当のタイムリミットはいつか見極める。商社はそれまで入手できるか。あらゆる要素を総合的に判断して決断する。

3月17日(木) 
 購買課長が会社を辞めた。部長とはそりが合わなかったが、課長とは比較的話があった。面接の時、小生と禅問答をやった人物である。NP社はあまりいごごちの良い会社ではないが、ますますいごごちが悪くなった。

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とつぜんリストラ風雪記 29

とつぜんリストラ風雪記 28

 尼崎のNP社。仕事は小生の得意分野、電子部品の購買だが、当初はなかなか小生の担当の仕事を決めてもらえなかった。正直にいうと、この会社は小生にとって、決して居ごごちが良い会社ではなかった。
 会社の玄関の前に社旗と国旗が立っている。朝、その前に「旗当番」と称する社員が立っている。出勤すると、2本の旗の前で旗当番が「おはようございます」と大きな声であいさつをする。その前を通過する時は、立ち止まって、旗に向かって、お辞儀をして「おはようございます」といわなければならない。
 ある日、副社長に注意された。「おはようございます」の声が小さい。もっと大きな声であいさつすべしと、叱られた。ある朝の朝礼で、部長にみんなの前に小生一人呼び出された。お辞儀をしてみろという。すると、旗の前でのお辞儀の角度が浅いと叱られた。
 NP社の始業時間は9時。8時半には出て来て、社内の掃除をすべしということ。この30分早出の時間外手当は付かない。朝の掃除は自由かと部長に聞くと、社員の義務だから出て来るべしとのこと。毎日30分早出してもくもくと掃除する。
 NP社の就業規則では12時から昼休みとなっている。ところが12時ちょうどに席を立つ者はいない。12時半ごろになって、勇気のある人が立ち上がって食堂に向かうと、パラパラと他の人も立ち上がり始める。午後の始業は1時からだから、この会社の実質昼休みは15分ほどしかない。
 ある日、意を決して小生が12時ちょうどに決然と、一人席を立って食堂に向かった。他の連中の席の間を歩く時は、非常に不愉快な視線にさらされた。だれもいない食堂で、小生が一人で弁当を食べ始めると、やはり12時半ごろにパラパラと食堂の席がうまりはじめた。ちなみに小生は愛妻弁当だ。自席での食事は禁じられていた。以前いたMK産業でも、H屋D堂でも愛妻弁当だった。愛妻弁当だから、もちろんおいしい。しかし、NP社の食堂で食べる弁当は砂を噛むような味だった。
 終業は5時だが、5時ちょうどに退社したことがなかった。7時か8時、二度か三度10時に退社したこともあった。用があって定時に退社したことがあった。課長に「すみません。今日は用がありますので5時に帰ります」とことわらなければいけない。別に5時になれば、だまって堂々と帰ればいいはずだが、「すみません」と謝って、コソコソと小さくなって会社を出ないといけないような雰囲気だった。ある日だまって5時に帰った。翌日「雫石君、昨日は用事か」と部長に聞かれた。もちろん残業代は出ない。
 月に一度、1時間ほど早く出て「全社朝礼」というのをやる。最初に社長の訓示。各部の部長がパワーポイントなどを使いながら前月の実績報告。前月の優秀社員の表彰。そしてこの朝礼のレポートを書かされる。時間外手当は出ない。

 松坂工場への日帰り出張を命じられる。この松坂行きは何度かやったが、会社を離れて一人でドライブするので気が晴れる。阪神高速→西名阪→伊勢自動車道で、5時間ほどのドライブ。
 このNP社は尼崎と松坂に工場がある。社長室、経理、営業、設計、購買などは小生がいた尼崎にある。また製品の一部は尼崎で造っている。尼崎担当以外の機種の製造と、製品倉庫、部品材料倉庫は松坂にある。だから尼崎で発注した物は、通常、松坂に納品される。
 購買課は課長、小生、他に3人の5人。小生と課長は購買業務のベテランだが、他の3人は初心者。だから彼らは自分が注文した品物を実際に手に触ったことがない。前回にいったが、部品を覚えるには、実際に部品を手で取って、触って覚えるのが一番。小生もそうして仕事を覚えてきた。ところがこの3人はそれができない。3人のうち一人は中途採用で、以前は板金のプレス屋さんだったとか。2人は学卒。いずれも入社後2年ほど。彼らは一生NP社にいるのならいいが、他社に移籍しても電子部品の購買係としては使い物にならないだろう。電子部品の実物を全く手にしたことのない人間が、電子部品の購買ができるはずがない。では、なぜ彼らがNP社で電子部品の購買ができるのか。
 NP社は自社ブランドの電源装置を作っている。従って、新製品が出ない限り、造っている製品はずっと同じ。ラインで生産している。だから、それに使用する部品も同じ品物。購買の仕事は、ラインを止めないように部品を供給すること。製品製造に使う部品の在庫の残量に気を留め、一定の数量になれば発注をする。基本的にはこれの繰り返しだ。
 小生がK電気でやってきた購買は違う。K電気は自社ブランドを持たない。客先からこういうモノを造ってくれとの発注を受けて、品物を造る。原則として一品料理を造る。マイクロ通信、光通信、衛星通信、ITV,ページングなどの守備範囲であれば、依頼を受ければどのような品物でも造る。当然、使う電子部品もオーダーによって違う。しかも特殊な部品が多く、なおかつ短納期のものが多い。少量、多品種、短納期に対応できなければK電気の購買はできない。小生はそれを27年やってきた。NP社の購買はこれと正反対、大量、少品種、長納期。
 従って、NP社の購買は仕入先との関係を良好に保つことに腐心していた。仕入先に対してものすごく気を使う。小生の目で見て、どっちが客先か判らない。これは理解できる。仕入先との関係が壊れれば、次の仕入先を開拓するまで、部品の供給は止まる。生産も止まる。
 小生がK電気でやっていた購買はそんなのどかなものではなかった。こんなこともあった。期日までに部品をそろえなければ製品納期が遅れる。するとその仕事は他社にとられる。また、原子力発電所の仕事などは、トラブルが起きれば新聞の1面に載る。真剣勝負だ。仕入先との関係を良好に、なんてのんきなことはいってられない。ともかく必要とするものを決められた期日までに、絶対に手に入れなければならい。
 時にはケンカ寸前にまでなる。それでも、お互い根に持たない。こちらも真剣、相手も真剣。スポーツのような快感さえある。27年間、小生はこんな仕事をしてきたが、仕入先と本気でケンカして絶交となったことは一度もない。
 こういうガチンコ購買の小生がNP社の購買に入ったのである。
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とつぜんリストラ風雪記 28

とつぜんリストラ風雪記 27

 2005年2月。NP社に入社。JR尼崎駅から南に歩いて10分ほどのところ。パソコン用の電源装置などを作っている会社。この会社に購買係として採用された。最初の3ヶ月は試用期間。
 電子部品の購買仕入れが仕事である。小生がK電気で27年間やってきた仕事。小生のスキルが100パーセント生かせる仕事である。NP社も工場を見れば、ものすごく整理整頓が行き届いている。きっちりした会社だ。きっちりしすぎているぐらい、きっちりした会社だ。

2005年2月18日(金)
 週明けの21日からNP社に出勤。それに備えて、朝に出勤シュミレーションを行う。9時始業に間に合うために、何時に家を出て、何時の電車に乗ればいいか知るため。NP社の前まで行って、すぐひき帰す。帰りしなにかかりつけの、Tクリニックに立ち寄る。提出用の健康診断書を作成してもらう。

2月19日(土)
 通勤用に新しいカバンとクツを買いに三宮へ。

2月21日(月)
 NP社へ初出勤。1月15日にMK産業をクビになって、1ヶ月と少し間が開いた。ブランクを作らないのを目標に就職活動したが、これぐらいであれば許容範囲か。
 この日は資料をあてがわれ、これに目を通すべしとの指示。小生は会社を何社も渡り歩いたから、よく判るが、新しい会社に入ってまずやらされるのがこれである。会社案内やら、就業規則、作っている製品のカタログ、取引先の資料、などなど。正直、さして面白い読み物ではない。こんなもん半日も読むとだいたいのことは理解できる。読むところがなくなる。あとは終業時間まで退屈地獄。
 どうしてこんなことになるのか。ようは総務人事と現場の連絡が悪いのである。人事募集は総務でやる。総務はいつどういう人が入社するかを知っている。採用する部門だから当然だ。ところが、このことを現場に連絡するのが遅くなることがある。会社の都合に、新入社員本人の都合など、様々な要素で何日にだれが入社するかはぎりぎりまではっきりしない。入社日が正式に決まると、現場に連絡が行くのが数日前、はなはだしきは前日ということもあるだろう。
 新入社員を迎え入れた現場としても困る。何からしてもらったらいいか判らないのだ。小生の場合は購買係として採用されたのだから、購買をやることは決まっている。具体的にどのような購買を担当するのかが決まっていなかったようだ。決まっていないからといって、遊ばしておくわけにも行かない。で、とりあえず資料をあてがっておいて、時間稼ぎをして、その間、何を担当してもらうか考えているわけだ。
 
 
 実は新入社員を迎える現場の人間の立場になれば、手間がかかって決してありがたくない。来てもらってすぐ実戦できる人ならば大歓迎だが。小生もK電気で同じ経験をした。
 まだ景気が良かったころ、毎年新卒の新入生が入社してきた。資材部に配属予定の新入りが来る。課長が新入りを小生のところに連れてくる。「雫石くん、今度資材部に来る××くんや。めんどうみたってや」
 新入社員が来ることは知っていた。しかし彼らのめんどうを見るようにいわれるのは当日なのだ。今年は他の部員がめんどうみればいいのにと思っていたが、小生が当たってしまった。
「なにしてもらお」
 隣でチンと座っている大阪府立Y工業高校出身の新入りくんを横目に、小生は考える。工業高校を卒業したばかりの子に何さしたらええやろ。何ができるんやろ。何ができひんねやろ。もちろんそんな子に本番の仕事を任せられない。適当な仕事をやらす。小生は自分の仕事にかかる。しばらくすると「あのう、雫石さん、終わりましたけど」こういう子はまだまし。
 ふと横を見ると新入りくんがボーとしている。「なにしとんねん」「あの、もうやることないんですけど」「だったら早くいえ、きみがボーとしている時間も会社は金をはろとんやで。会社での時間はタダちゃうで」
 こんなエラソーなことをいうが、正直、この時は小生は困っている。何をしてもらうか考えなあかん。で、手を止めて、彼に簡単な仕事を教えて、やってもらう。すぐ終わる。また小生の手が止まる。新入生のめんどうを見ていると、自分の仕事の能率は大幅に落ちる。困ったもんだ。こんなことを何年もやっていて、考えた。資材部に配属される新入生にぴったりの仕事がある。
 残品整理である。一つのオーダーが終わると、そのオーダーで使用しなかった電子部品が工作から資材に返却されてくる。最初の設計どおりにモノを作ると残品はゼロのはず。ところが製作途中で設計変更になるときもあるし、様々な理由で残品が出る。工作は箱にガサッと詰め込んで、ドサッと資材に持ち込む。この中には次のオーダーに使える部品がたくさんある。これの整理を新入生にやってもらう。
 半導体、コンデンサー、抵抗、コネクター、スイッチ、コイル、リレー、機構部品など種類ごとに分類して整理してもらう。新入生には、現物、整理用の箱、電子部品のカタログを渡しておく。彼らはカタログを見ながら、部品一つ一つを、それが何かを判断して、分類していく。未整理の残品は山ほどある。資材部の人間が手があいたら整理しようと思って、倉庫の奥に積み上げてある。新入生の仕事はいくらでもある。「これなんだか判りません」と聞きに来るが「きみが判断して分類してくれ」といって簡単には教えない。彼は頭を悩ませながら、カタログ首っ引きで仕事をする。
 こうすると、小生の手を取られる事はない。もちろん、一日の最後は、小生が新入生の仕事を点検して、分類間違いがないかチェックする。さらに、使えるもの、使えないものを判断して、使えないものは産業廃棄物とする。だから、日中は手を取られないが、残業時間が通常よりも多い。
 このことは新入生にとって非常に良い勉強になっている。資材部員にとって必須科目は部品をおぼえること。電子部品の特性、性能、装置のどのユニットに使われるか、などはベテランになってからおぼえればいい。まず、その部品が何で、どの部品と仲間か、そしてその部品の型名。これを早急におぼえなければならない。最低限、これができないと資材の仕事はできない。そのためには、この残品整理という仕事は大変に良い勉強になる。実物を手で触りながら、カタログを見る。電子部品をおぼえるのに最適の仕事ではないだろうか。
 小生もK電気に入社した時は、そうして仕事をおぼえた。麻雀で盲牌というワザがある。目で見なくても指で触っただけで、その牌が何かを判るワザ。小生は盲コネクターができる。K電気で最もよく使っていたコネクターはヒロセというメーカーのコネクターだった。そのヒロセのサミコンなら、目をつぶって手で握っただけで型名がわかる。形状でオスかメスか判る。大きさでピン数が判る。ヒロセのコネクターの型名の命名の法則を知っていれば判る。

 今回は少し寄り道をしてしまった。しかし、今、求職活動中の方々も、いずれ再就職を果たされるわけで、そうなると「新入社員」という立場になられるわけで、そうなった時に参考に少しでもなれば幸いだ。
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とつぜんリストラ風雪記 27

とつぜんリストラ風雪記 26

 2005年1月15日MK産業を辞める。2004年10月の入社だから、3ヶ月の縁である。11月にはクビをいいわたされていたから、まともに仕事をしたのは1ヶ月程度。
 この1ヶ月の仕事に関して、自分自身はよくやったと思っている。資材購買の現役のプロとしては、専門の電子部品は、どこに出しても恥ずかしくない見積もりを出した。機工部品は小生は専門外。素人である。図面の見方も知らない。それでも、なんとか数字を出した。
 元コピーライターとしては、企画書作りは、現役当時の小生の得意ワザであったから、それなりの広告企画案ができたのではないか。ただ、担当のKM産業の常務が、広告というものをまったく理解しない素人であった。
 わずか1ヶ月で、まったく畑違いの仕事を並行して遂行して、仕上げたのだから、自分自身ではあっぱれと思っている。

2005年1月5日(水)
 初出勤。まったく面白くない初出勤なり。大変に寒い。

1月8日(土)
 大阪は豊中のKJ社という人材紹介会社で面談。ひとしきり面談して、当方の希望などを聞いた後、「こんな仕事があります。ぜひお勧めします」といって、あやしげな健康食品をPRする仕事を勧められる。非常にうさんくさいものを感じる。先に送付してある小生の個人データをその場で消去させ、渡してある書類も取り戻して、早々に退散する。
 小生が求職活動中に接した人材紹介会社は、ほとんどがまともな会社である。非常に親身になって、転職先を紹介しようと努力してくれた会社もあった。また、兵庫キャリア交流プラザの仲間にも、人材紹介会社の紹介で、再就職を果たした仲間も複数いる。したがって、現在、求職活動中の人には、原則として人材紹介会社の活用をお勧めする。ただし、上記のごとき会社も存在するので注意する必要がある。
 人材紹介会社の利用の件だけではない。求職活動とは個人情報を、てあたりしだいに散布する行為である。小生は、別段不利益はこうむらなかったが、良からぬスジに、個人情報が流れて、思わぬ被害を受けることもあるやも知れない。注意できるところは、注意するにこしたことはない。
 小生の経験では、履歴書等の書類は、半数の企業は返却してきた。これにこしたことはない。返却してこない企業、全部ではないが、返却を要請する電話をした。ほとんどは「当方で責任を持って廃却します」といった。こういう返答ならば、その企業を信頼するしかない。「返却用の切手を送ってくれば返送する」といった企業もあった。その場合はそのようにして返送してもらった。
 1社だけ、非常に無礼な口調で「欲しけりゃ取りに来い」といった企業もあった。ものすごく腹が立ち、乗り込んでいった、ひと喧嘩してやろうと思ったが、相手はどんなヤクザか判らないし、そんな交通費も時間もないから、グッとがまんした。

1月15日(土)
 MK産業最後の日。3ヶ月の縁であった。なんの感慨もない。5時までおりたくない。昼から帰る。帰る間際に、課長に最後だから、みなにあいさつせえといわれる。何をあいさつすんねん。拒否するのも大人気ないから、「さようなら」だけをいった。
 なお、年末の、怒涛の面接5連チャンの結果だが、全滅であった。1月15日までに次の就職先を見つけて、ブランクを作らないという目標は達せられなかった。

1月17日(月)
 3回目の求職活動を本格的に開始する。慣れたものである。午前中、人材紹介会社を2社訪問。午後、灘ハローワークと神戸人材銀行。

1月21日(金)
 人材紹介会社3社訪問。梅田ハローワーク。風邪をひいたらしい。少々しんどい。

1月22日(土)
 本格的に風邪。体調、きわめて悪し。料理も求職活動も休んで一日寝ていた。

1月24日(月)
 W金属で面接。阪急園田の駅からかなり歩く。1時間以上待たされる。3人がかりの面接。たいそうな面接であった。

2月2日(水) 
 神戸は元町の人材紹介会社B社を訪問。応対してくれたおっさん、いままでどこの人材紹介会社に登録なさった、と聞く。答えると、ああ、そこ知ってる。××さんちゅう人が相手してくれたでしょう。それそれ、その会社の○○君ね、私の後輩やねん。あ、その会社、梅田の富国生命ビルにオフィスがあるでしょう。私、そことは、ちょいちょい情報交換してますねん。
 顔の広さを盛んにアピール。で、私にまかせときなさい。あなたはデキル人と私は見た。必ず、良い所を紹介してあげます。断言しおった。
 その後連絡なし。おっさんの自慢話を聞いただけだった。


2月4日(金) 
 人材紹介会社、梅田のC社、京橋のP社、御堂筋のA社、M社。梅田ハローワーク。ハローワーク一ヶ所。人材紹介会社4社。1日でこれだけまわると、さすがにしんどい。

2月5日(土)
 京都のNS電機で面接。JR向日町の駅から、20分ほど歩く。仕事は電子部品の購買。仕事は私のスキルにぴったり。私の住所を見て、神戸の東灘からだと通勤に大変ですね、と通勤距離の長さを心配していた。
 確かに距離は長いが、JR芦屋から新快速に乗れば、電車に乗っている時間は1時間以内。歩く時間を含めても通勤時間は2時間以内。そんなに長距離通勤ではない。だいじょうぶです。充分に通勤可能です。と答える。
 間違った返答をした。相手は二つの点を考えていたのだろう。交通費全額支給だから、交通費がかかるな。通勤に疲れて仕事ちゃんとできないかも。
 ここは、「御社に採用されましたら、神戸から京都へ引越しします」と、答えるべきだった。実際に引越しするつもりはない。もし採用されたら、「家庭の都合で引越しはもう少し先になります」といえばいい。ともかく、採用内定を取ることが大切。それからのことは、それから考えればいい。
 結果として、この会社には縁がなかった。

2月9日(水)
 尼崎のNP社で面接。仕事は電子部品の購買。NS電機同様小生のスキルにぴったり。場所はJR尼崎から歩いて10分。通勤時間は全部で1時間かからない。仕事、通勤時間とも理想的な条件。

2月15日(火)
 NP社で2次面接。1次の面接は総務部長だったが、今度は購買課長が相手。電子部品の購買ではベテランらしい。「購買とはなんぞや」と、禅問答を吹っかけてくる。小生は、コンニャク屋のおやじではないので、まともに答える。かなり専門的な問いかけをつっこんで聞いてくる。小生も負けずに答える。

2月17日(木)
 NP社から採用決定との連絡を受ける。


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とつぜんリストラ風雪記 26 

とつぜんリストラ風雪記 25

 2005年1月15日にMK産業をクビになるが、2004年12月から本格的に求職活動を展開していた。2度目の求職活動である。2度目ともなると、慣れたもので、手順もコツも判っている。4年間の小生の求職活動中で、一番、充実して効率の良い活動をしたのはこの時期だった。

2004年11月19日(金)
 KJ電機に面接に行く。実はこの会社での面接は2度目。この年の4月23日に一度面接を受けている。その時はかなり良い感触を得た。不採用ではあったが、相手も良い印象を受けていたらしい。連絡して、2度目の面接ですが、というと相手も覚えていてくれた。なんでも、その時採用になった人が辞めたらしい。かなり期待が持てる。

11月22日(月)
 KJ電機から不採用の連絡。大きな期待を持っていたから、落胆も大きい。この会社とは縁が無かったという事だ。

11月26日(金)
 東大阪の金属加工会社に面接に行く。社長が面接をする予定だったが、急用とかで、80を越えた老婆が面接。社長の母親らしい。小生も沢山の人に面接をしてもらったが、この時の面接が、小生に面接してくれた人の最高年齢記録。老婆に書類を手渡して、15秒で面接を終わる。不採用。

12月9日(木)
 N電子より電話。この会社、小生宅のすぐ近所の会社。とつぜんリストラ風雪記17で紹介したエピソードの会社である。あの時、数ヵ月後、総務部長から電話があったと記したが、その電話がこの日の電話。面接をしたいとのこと。
 N電子の社長も総務部長も小生のことを覚えていてくれたのだ。4年間の求職活動中、実に沢山の会社と接触した。書類を送付しただけの会社から、面接をした会社まで。その中には、非常に不愉快な思いをさせ、怒りを覚えた会社もあった。また、逆に誠実な対応を見せ、ものすごく好感を持った会社もあった。このN電子は一番好感を持った会社。二番目は2回も面接の機会を与えてくれたKJ電機だ。結果として、この2社とは縁がなかったが、小生は、この2社の発展を心から祈っている。そして、あの会社とあの会社にはいまだにハラを立てている。N電子とKJ電機に栄光あれ。あの会社とあの会社に呪いあれ。

12月10日(金) 
 梅田ハローワークへ。この日は大漁。4件収穫有り。しかも4件とも、来週に面接となった。N電子の面接も含めて来週は5日を面接に費やす。MK産業に1週間休むと電話する。

12月13日(月)
 さあ、怒涛の面接5連チャンの始まり。いくらなんでも、どこかに採用されるだろう。
 U工業で面接。この面接で驚いたことがあった。交通費が出た。4年間の求職活動中で交通費がでたのは、この時だけだった。なんでも関東では面接に来た人に交通費を出す会社が結構あるらしい。

12月14日(火)
 枚方のT社で面接。昨日より少し手ごたえを感じる。神戸から枚方までの通勤は大変そう。

12月15日(水)
 M運輸で面接。仕事は半導体倉庫の管理。若い専務が面接をしてくれた。若いがなかなかしっかりした人物と見る。好感を持つ。

12月16日(木)
 向日町市のTM社で面接。神戸から向日町市までの通勤は大変そう。面接の場で、ダイカスト加工した製品をゴロリと机の上に出して、見積もりしてみろといわれる。小生の専門分野外。さっぱり判らない。時間と交通費のムダであった。

12月17日(金)
 N電子で面接。総務部長と数ヶ月ぶりの再会。まず、小生に声をかけてくれたことにお礼を述べる。資材部でアルバイトが必要になった。来てくれないかとのこと。もし、この時点でMK産業を退職していたのならば、すぐこの話に乗っただろう。しかし、MK産業には1月15日まで在籍できる。
 小生、ブランクは作らない求職活動をやっているつもり。絶対に1月15日までに再就職するつもりでいた。N電子は長期のアルバイトを希望。正月休みがあるから、この時点でOKしても1ヶ月足らずでせっかくのアルバイトを辞める事になる。急いでおられる様子。1月15日まで待ってくれなんぞという勝手なことはできない。いずれにしてもN電子に迷惑をかけることになる。丁重にお断りした。
 さて、来週には、怒涛の面接5連チャンの結果が出る。
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とつぜんリストラ風雪記 25

とつぜんリストラ風雪記 24

 2004年11月16日にMK産業の常務にクビをいいわたされた。悪い結果である。しかし最悪の結果ではない。「最悪の条件で最高の結果を出す」というのを小生は座右の銘としている。
 10月に仮採用となり、3ヶ月の試用期間を経て1月には正社員となる、と小生は最初は思っていた。ところが、結果はクビ。確かに、コーヒー焙煎器を日本で生産しないのなら、電子部品仕入れの専門家は不要。広告の仕事も、まとまった企画さえあれば、焙煎器程度の商品、マスコミ広告やらPOPなどのSPは不要だろう。焙煎器の部材の見積もりと、広告の企画書が出来さえすれば、小生に用はない。最初からそのつもりだったのだろう。
 時給800円のアルバイトでいいから雇ってくれといえば、小生はハンダ付けができるから、工作のアルバイトとして雇ってくれただろう。しかし、それでは家族を養っていけない。直ちにMK産業と縁を切って、求職活動に専念すべきなのだが、1月15日までは会社に置いてやるとのこと。置いてもらうことにした。
 時給800円につられてMK産業にいるよりも、1日でも早く次の就職先を見つけなければいけない状況だが、少し計算をした。もし、MK産業を辞めれば健康保険は、自己負担の国民健康保険に切り替えなくてはいけない。小生は、胃潰瘍持ちで血圧も高め。胃酸を抑える薬と、血圧降下剤を常用している。家族も生身の身体とて病気をすることもある。医療費に結構お金がかかる。1月15日までMK産業に籍を置いておけば、健康保険の会社負担分が、3ヶ月だけだが助かる。
 常務に交渉した結果、工作の仕事がある時は、それを優先するという条件で、会社の時間中に求職活動をしても良いとのお墨付きをもらった。クビという悪い結果が出たが、それなりに良いクビのされ方をしたのではないだろうか。
 K電気をリストラされて、H屋D堂に採用されるまで、半年間無職浪人を経験した。もうあのような経験は嫌だ。なんとしても1月15日までに就職しなければならない。完全失業状態を作ってはだめだ。ブランクは作りたくない。
 
 2004年11月16日から2005年1月15日までの、小生の1週間の行動は次のようにしていた。
 
 月曜 午前MK産業 午後 神戸ハローワーク、神戸人材銀行
 火曜 終日MK産業
 水曜 午前中MK産業 午後 西宮、尼崎 伊丹ハローワーク
 木曜 終日MK産業
 金曜 午前中MK産業 午後 梅田ハローワーク
 土曜 履歴書 職務経歴書などの書類作成
 日曜 求人折込、新聞広告チェック、インターネットで求人検索
 
 もちろん、面接、人材紹介会社の面談があれば、そちらを優先する。アルバイトをしながら、求職活動をしていることになる。クビをいわれた時点で辞めても、期間が短いから失業保険は出ない。また、失業保険が出たとしても、受給中はアルバイトは認められない。ということを考えると、MK産業に、上記のような勤務であっても、籍を置いておくというのは良い判断だった。MK産業にとっては、保険などの負担分が損だが。

 自席でインターネットで求人検索していると、課長が時間中は職務以外のことをするなという。工作の仕事はない。常務の席に連れて行く。小生のことを、常務は課長に話していないらしい。
「手が空いている時は、求職活動してもいい約束でしたでしょう」と、常務にいう。「現場の課長にも話を通じておかなければだめでしょう」と、常務を厳重に叱りおく。
 席にもどると、課長、なにか考えている様子。ふっと何か思いつきおった。
「ちょっと明石の外注先まで車を運転してくれないか」
「課長は免許持っているでしょう」
「持っているけど、足が痛くてペダルが踏めない」
 朝、出勤時、駅から会社まで、おっさんの後ろを歩いていたが、足を痛めている様子ではない。その外注先は電話すれば向こうから来るはず。
「何の用ですか」
「いや、ちょっと急いでいるから引き取りに行こうと思って」
「電話すりゃ納品にくるでしょう」
「たまにはこちらから出向いた方がいい」
 おっさんが何を考えて、小生に運転させたいのかよく判る。時間中に求職活動されるのが、気に食わないのだ。
 しかたがないので、運転した。阪神高速から第2神明を走る。小生はかなり飛ばす方だ。小ワザは上手ではない(車庫入れで時々こする)が、大ワザは上手い(大阪→出雲600キロ6時間で走破の記録あり)決して機嫌よく運転していたわけでない。助手席の課長とは、ひと言も口を聞かないドライブであった。
 二日前にクビをいいわたされた、きげんの悪い男が運転する。ブスと押し黙っている。130キロ、瞬間最大時速150キロ。おっさん、助手席で青い顔をしていた。さぞかし後悔していたろう。
 外注先に着いた。品物はできていた。車に積み込み、帰ろうとすると「あ、オレはここで今後の工程について打ち合わせをするから、雫石君は先に車で帰ってくれ」といった。よほど、さっきのドライブがこたえたらしい。
「課長はどうするんですか」
「オレはバスと電車で帰る」
 ここはJRの明石からかなり遠い。明石の田舎とて、神姫バスもあまりこない。車でないと不便である。
「課長の用がすむまで待ってますよ」
「君は午後からハローワークに行くんやろ」
「ハローワークは5時までに行けばいいんです」
 結局、小生は強引に待って、また課長とドライブ。おっさん往きよりも青い顔をしていた。
 この行為について小生は反省している。課長をいじめた事について反省しているのではない。課長も意地悪で小生にドライブさせたのだ。で、意地悪を仕返ししてやっただけ。
 こんな無謀運転したことについて反省しているのである。少し自慢するが、小生、少々スピードを出す運転をするが、他の違反はしない。駐車場所がなくて、しかたなく駐車違反をすることはごくたまにあるが、他の違反はしない。スピードは出すが、免許を取ってスピード違反で切符を切られた回数は片手になるかならないか。ずっと優良運転者でゴールデン免許だ。とはいえ、あんな運転はだめだ。反省している。以後安全運転を心がけている。意地悪をするのなら、別の意地悪を考えるべきだった。

 
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