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ラフロイグの香り

「ロックでいいですか」
「そうだな」
 カウンターに座った高木は小さくためいきをついた。
「もうすぐ春だな」
「はい」
 鏑木はブラックニッカのボトルを開けてグラスに注ぐ。高木はグラスに口をつけて、ひと口飲んだ。グラスを置いて、ふっと息をはいた。
「今井さんはまだこの町にいるのかな」
「1年ほど前に来られました」
「あれから20年か」
 高木は地元のK電機を2年前に退職。今はシルバー人材センターで週に3日ほど公園の樹木の手入れなどをしている。その帰りに、時々、ここ海神に立ち寄る。
「そういえば、あのころ高木さんと今井さんはよく二人でお見えになりましたね」
 20年前。高木はK電機の労働組合の副委員長で、今井は常務取締役だった。
「あの時の春闘は苦労したよ。5月になっても妥結しなかった」
 高木はグラスを開けた。2杯目のロックはひと息に開けた。
「オレのボトル、あとどれぐらい?」
「そうですね。あとワンフィンガーといったところです」
「もう1杯ロック」
 3杯目はゆっくり、いつくしむようにグラスを傾ける。
「マスター。鏑木さん。新しいボトルはキープしたくないんだろう」
「はい。でも高木さんなら」
「オレ、シルバーの仕事は今週一杯で終わりだ。完全隠居だ」
 高木はさみしそうな顔をした。グラスを傾ける。グラスの中で氷がゆれる。
「考えてみたら、オレがやった仕事で一番大きな仕事は、あの春闘を終わらせたことだな。今井さんと二人でな」
 鏑木が棚の奥から1本のボトルを取り出した。スコッチのシングルモルト、ラフロイグの10年。
「これは?」
「今井さんの置き土産です。高木さんが来たら渡してくれって」
「ストレートですね」
「もちろん」
 鏑木がテイスティンググラスにラフロイグを注ぐ。高木は香りをかぐ。独特の香り。スコットランドはアイラ島で蒸留されるラフロイグは個性の強いシングルモルトウィスキーである。独特な香りがする。ピートの香り。人によっては正露丸のような臭いだという。飲む人を選ぶウィスキーである。高木はラフロイグに選ばれたようだ。
「うまいな。久しぶりだ。小遣い1万の身の上じゃラフロイグなんてめったに飲めん」
 20年前の春闘。高木は組合側の主席交渉委員。今井は会社側の主席交渉委員だった。連日深夜まで団交を重ねるが、なかなか妥結点まで到らなかった。
 高木と今井は主席交渉委員どおし、二人だけでこの海神で会って、なんとか組合会社双方譲歩できるぎりぎりの線を見つけ出した。その時、二人でよく飲んだのがこのラフロイグだ。20年前はスコッチのシングルモルトは入手しにくかった。今井の妻がイギリス旅行の手土産に買ってきたモノだ。
 高木は初めて今井に飲まされた時はウェといった。しかし、何度か飲んでいくうちにラフロイグの魅力に取り付かれた。ラフロイグを飲みながら二人で遅くまで話し合った。そのボトルが空になった時に妥結点を見出した。その後、今井は会社を去った。高木も退職した。今井とはその後一度も会ってない。
「今井さん、どうしてるかな。鏑木さん、知ってるか」
「存じません」
 ラフロイグのボトルからアイラ島の海底の香りが漂ってくる。
「あの仕事がオレの仕事で一番大きな仕事だった」

 星群の会ホームページ連載の「SFマガジン思い出帳」が更新されました。どうぞご覧になってください。
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作戦終了

「渡辺さん。どうかお元気で」
 これで三人目。渡辺が定年でこの職場を去る。三百人以上いるこの会社の従業員で、声をかけてくれたのはこの三人だけ。
 有志が幹事となって、盛大な送別会を開いて送り出される定年退職者もいる。渡辺の場合、かようなモノはない。ひっそりと会社を去っていく。人望がないわけではない。存在感がないのだ。
 総務部庶務課庶務係主任補佐。渡辺のこの会社での最終肩書きだ。四十年この会社に勤めたが管理職にはなれなかった。直属の上司の係長は十歳以上若い後輩。人事部の会議ではどうも、みんな渡辺のことは忘れがちなようだ。 
渡辺は人よりも三十分早く出勤する。ロッカーを開ける。古びたロッカーだ。中にはボールペン、鉛筆、サインペン、カッター、コピー用紙といった事務用品、文房具が収納されている。このロッカーが渡辺の仕事道具。九時になり朝礼が終わると、何人かがボールペンなどをもらいに来る。手渡す。在庫が少なくなれば出入りの業者に発注する。これが渡辺の仕事だ。四十年この仕事をやってきた。
 会社の門をでる。もう、この門をくぐることはないだろう。通信機器を製造している会社だった。そんなことは渡辺には関係ない。文房具の在庫管理と発注。それだけの四十年であった。
 とことこと十五分ほど歩く。地下鉄の駅。三駅で都心。そこからJRで四十分。郊外の住宅地。駅から自転車で十分。古い賃貸マンション。三階の2DK。ここが渡辺の家だ。
「ピンポン」チャイムを鳴らす。「はあい」
女性の声。ドアが開く。「ただいま」「おかえりなさい」

 敵にはまだ対空レールガン砲塔が五基残っている。攻撃機はあと五機。隊長機は撃墜された。隊長は骨の髄からの軍人。ただでは落とされない。一基の砲塔に激突。地獄への道づれとした。おかげで五対五。互角の勝負となったわけだ。
 独裁者コン・ジュンが支配する惑星ヒタセン。コンは禁断の反物質爆弾を首都に撃ちこむと惑星メリを脅迫。銀河連盟のたびたびの非難決議、経済制裁にかかわらず、コンは反物質爆弾を完成していた。
 惑星メリ絶体絶命の危機に救いの手を差し伸べたのが惑星チキュウ。チキュウは密かに宇宙空母イズモをヒタセン宙域に派遣。ヒタセン静止軌道上でワープから実体化したイズモは艦載機ネオ・ゼロを発進。反物質爆弾ミサイル発射基地を空爆させた。
「こちらワタナベ。ミサイルの破壊に突入する。援護を頼む」
「了解。武運を祈る。理力とともにあらんことを」
 四機のネオ・ゼロが対空砲塔に向かって、三十ミリ機関波動砲を撃ちまくる。レールガンからは対空砲火がシャワーのごとく噴出される。弾幕が張られた。ミサイルが肉眼でも視認できた。ワタナベ機は急速に接近。次ぎのチャンスはない。照準。ロックオン。
「ワタナベ。理力を使え」
 戦死した隊長の残留思念が頭脳に直接届いた。隊長はワタナベの師でもある。師は死の直前、弟子に対するアドバイスを強く念じた。その師の思念が残留思念となり死の直前にいた空間に残った。そこをワタナベ機が通過した瞬間、ワタナベの脳に直接届いた。
 照準器のスイッチをOFF。分子離散空間魚雷ツルギ・クサナギ発射。命中。発射台に設置されたミサイルが一瞬揺らいだ。輪郭がうすれた。次ぎの瞬間ミサイルは消えた。空間魚雷ツルギ・クサナギは爆発力で目標を破壊するのではない。目標に着弾すると、目標物の分子の結合力をゼロにする。分子がバラバラになって目標は消滅する。究極のピンポイント攻撃が可能だ。以前、敵の将軍を暗殺するミッションで、パーティに参加している将軍だけ消して、他の参加者にはキズ一つ負わせなかった。
「作戦終了。帰投する」

「四十年、ご苦労さまでした」
 頭に白いモノが増えた妻が、お酌をしてくれた。
「うん。んまい」
「どうでした。この四十年は」
「うん。作戦は成功やった。地球から惑星ヒタセンまでワープを使っても四十年かかった。これで惑星メリは安泰だ」
「ほんと、たいへんなお仕事ですね」
「なんか夢を見ていたような気がするよ」
「航空宇宙軍のエース渡辺中佐がどんな夢を見ていたの」
「毎日、ボールペンの数を数える夢さ」
 

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アドバイス

 眼があったというのかな。こっちは単眼、あっちは複眼なので不思議なことだが、私にはそう思えた。
 その時は少し酔っていたことは確かだ。最終のバスも出たあと。駅から家まで歩けば三十分はかかる。タクシーに乗ってやろうと思ったが、あいにく一台も停まってないし、きれいな月の夜だ。酔い覚ましに歩いた。
 いつもはバスで通り過ぎるこの道だが、歩くと、けっこう自然が残っている。
 里山を切り拓いてできた新興住宅地である。通勤に二時間近くかかる。こういうところだから私でもマイホームが持てたのだろう。
 ご他聞にもれず、子供のころの夏休みの自由研究は昆虫採集だったが、昆虫のことなど大人になれば、すっかり忘れている。
 そんな私でも、そいつが甲虫類であることぐらいは判る。ようするにカブト虫の仲間だ。元昆虫少年のなけなしの記憶をたどっても、そんな甲虫は知らない。でかい。大人の握りこぶしぐらいだ。日本で最大の甲虫はカブト虫だ。そいつは、あきらかにカブト虫よりでかい。だれかが飼っていた外国産の甲虫が逃げ出したモノか。
 イチョウの木の根元にごろんと転がっているそいつが、首を上げてこちらに顔を向けた。視線が合った。複眼のヤツの視線はどの視線かわからないが、ともかく私にはそう感じた。
「オレヲ、ツレテカエレ」
 そういっているように「感じ」た。拾って持ち上げた。思ったほど重くない。バックに入れた。中でおとなしくしている。
 以前、飼っていたセキセイインコの鳥カゴが物置にあるはずだ。
 午後十二時過ぎの深夜だ。妻はもう眠っている。彼女をおこさないように、静かに物置の中を探す。あった。鳥カゴ。とりあえず、そいつを鳥カゴに入れた。
 その時、ふと気がついた。オレはこいつを飼おうとしている。昆虫なんかに興味のないオレが。なぜなんだろう。
「なあに、この虫。気持ちわるいわ。どうしたの」
「きのう帰りしなに拾ったんだ」
「こんな大きな虫イヤだわ。捨ててよ」
「めずらしい。虫なんだ。大クワガタなんかなん万円で売れるんだぞ」
 欲をからめて妻を説得して、飼うことにした。
 手間のかからない虫である。なんでも食べる。きゅうりの端っこ、にんじんの皮、魚の内臓、鶏肉の切れはし。何を入れてもむしゃむしゃとよく食べる。手がかかることは、黒い仁丹のような糞を掃除して捨てることぐらい。
「ごちそうさん。では行って来る」
 朝食をすませて、着替えをして玄関に行こうとしたら、カゴの中のそいつと目があった。
「ヤメロ」そいつはそういった。いや、こんな虫がものをいうはずがない。私がそう感じたのかもしれない。
 靴を履いていると妻がそこに座った。
「あなたのいいようにしてください。貯金もまだ有るし」
 会社が早期退職者の募集を始めた。対象は四十五歳以上。私は四十九歳だ。妻のいうとおり貯金もある。子供がいないから夫婦でしばらくは食べていける。でも私は迷っていた。ついさっきまでは。やりかけている仕事に未練もあるし、会社には愛着もある。でも、もう決めた。退職する。なぜ、こう決心したのか判らない。何かが私の心を動かしたのだ。
「退職届けにハンコを押してきたよ。わずかだが退職金に割り増しがつくよ」
「出かける」
「あら、どこへ」
「ハローワーク」
「ゆっくりなさったらいいのに」
「いや、早く次の仕事を見つけなきゃ」
 私もしばらくはゆっくりするつもりだった。ところが、昨夜、夜中にトイレに立った時、あいつがいった。
「ツギノシゴト。ハヤクミツケロ」
 ハローワークで何件か求人検索をした。これはと思うのを二件見つけた。
「チカクガイイ」
 結局、近くの食品会社に内定をもらった。ここなら自転車で通える。
「あなた。お願い。あの虫捨てて」
「なぜだ」
 私があいつのアドバイスで動いていることは妻にはいってない。
「なんか、気持ち悪いわ」
 夜中にトイレにたった。
「アノオンナヲ、コロセ」
 台所に行って包丁を持ち出した。妻が寝ている寝室に入った。包丁をふりかざした。

                      
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続・正月のお酒

 正月の三日だ。鏑木は一升瓶を持って店に入った。店内の灯りを点け、壁のスイッチを押す。ランタンに灯がともり、「海神」の字がやわらかくともった。
「おめでとうさん」老人が入って来た。
「おめでとうございます」
 今年のバー海神の最初のお客は、医者の重松だ。この地で古くからやっている内科の開業医だ。
「今年はワシが一番のりか」
 重松はカウンターに座り、おしぼりで顔をふいた。おしぼりで顔をふくのは、医者としてあまり人にはすすめられない。重松も他の店ではやらない。おしぼりはけっこう雑菌が多いから。この海神のおしぼりは、客に出す直前にマスターの鏑木が煮沸消毒して出す。
「長いあいだワシは2番だったんだが、安藤のじいさんめ先に逝きおって」 
 鏑木が一升瓶の包装紙を取る。灘正宗。灘の生一本、というより神戸の地酒といった方がふさわしい。鏑木は一合枡を五つカウンターに並べる。
「おめでとうございます。マスター」文房具屋の佐賀だ。
 鏑木が灘正宗を枡に注いでいった。鏑木、重松、佐賀の三人が枡を持った。
「おめでとうございます。乾杯」重松が枡を上げた。鏑木も佐賀も枡を上げる。
「こんなモノを用意しました」
 鏑木が皿を出した。ブリのカマと大根おろしがのっている。 
「知り合いでブリを釣ってきたのがいまして。カマをもらいました」
 ブリのカマ。ブリの鰓のフタ。いわばアラであるが、脂がのっていておいしい部位だ。
「竜田揚げにしました」 
 三人はブリのカマの竜田揚げに箸をつけ、枡を傾けた。カウンターには灘正宗が入った枡が二つ並んでいる。
写真屋の犬飼も逝ったな」
「さみしくなりましたな」佐賀がいった。
「来年の正月は、こんなかで一番若いあんたとマスターと二人だけになるな」
「なにをいうんですか先生」
「ワシもそろそろ80だ。もういいじゃろう」
「先生、この商店街を無医村にするつもりですか」
「そうじゃなあ。困ったもんじゃのう」
 カウンターの二つの枡の酒が少し減っている。
「安藤のじいさんと写真屋の犬飼も来ておる」
 三人の枡が空になった。
「おかわり入れましょう」
 鏑木が灘正宗を枡に注いだ。
「正月もいいですが、年々、さみしくなりますね」
「そうでもないさ。安藤のじいさんと犬飼写真屋もちゃんとここに来てるさ」
 カウンターの二つの枡の酒の量が少し減っている。
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寒い風

 12月31日。大晦日。午後8時30分。鏑木は店の掃除も終わり、グラス、食器類の手入れも終わった。そろそろ店を閉めようかと思った。新年は3日から店を開けるつもりだ。
その時、入り口のカウベルが鳴った。風が吹き込んだ。寒い風だ。風とともに男がひとり入ってきた。バタン。戸が閉まった。カラン。カウベルがもう一度鳴った。
スーと、カウンターまでやって来て、スツールに腰かけた。氷面を滑っているような歩き方だった。寒い。戸は閉まっているが、まだ寒い。男の周辺から冷気がただよっているようだ。
「ブッカーズ。ストレート」
「チェイサーは牛乳にしますか」
「チェイサーはいらない」
 鏑木はテイスティンググラスに半分ほど、その強いプレミアムバーボンを入れて出した。
 男はひと息に飲んだ。63度の酒をむせもせずクイッとのどに流しこんだ。鏑木は50度以上の強いウィスキーを提供する時は、チェイサーに牛乳をすすめる。客の胃のことを考えているのだ。
「おかわり」
「ストレートですか」
「そうだ。チェイサーはいらない」
 男はブッカーズのストレートを3杯立て続けに飲んだ。
 寒い。エアコンは止めてないが、寒い。男とその前に立つ鏑木の周りだけ温風がさけて通っていく。
 男は4杯目を空けた。63度のブッカーズを200cc以上飲んでいる。顔色が少し赤くなっただけで、酔っているようには見えない。
 午後9時を過ぎた。大晦日である。さすがの鏑木も早く帰りたい。無口な男だ。5杯目のグラスを左手に持って、だまって座っている。鏑木と視線があっても。その視線になんの感情もこもっていない。5杯目を空けた。
「そのボトル、キープしてくれるか」
「申しわけありません。新規のボトルキープはおひきうけしていないんです」
「そうか。勘定してくれ」
 男は支払いをすませて立ち上がった。
「また来る」そういうと、スー滑るような歩き方で出て行った。ゾクッ。鏑木は強い冷気を感じた。ほどなく、その冷気は去って行った。温かくなった、というより冷気が去ったという方がいいだろう。
 午後10時になっている。今年もあと2時間ほどで終わる。灯りが消え、暗くなった店を鏑木は出た。入り口の上に付いている、ランタンが風で揺らいでいる。灯が消えているので「海神」の文字は読めない。がらんとした商店街を冷たい風が吹きぬける。
 今年もこの「海神」で一年を過ごせたな。来年はどうかな。商店街を歩く。冷たい風は吹き続ける。 
「うう、寒い」コートの襟を立てて鏑木は暗く寒い商店街を歩く。
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コンビニ死刑

「どうだった。あなた」
 ことさら聞かなくても、良一の顔色を見ただけで、結果は判っている。時子も、覚悟はできているはずだ。
 良一はだまって靴を脱いでいる。上がりかまちに足をのせて立ち上がる。少しよろけた。
「だいじょうぶ。あなた」
「うん」
「で、判決は出たの」
「うん」
 良一は判決の結果をいいたくないのだろう。おしだまったままトイレに入った。ゲーゲーという声が中から聞こえる。吐いているようだ。トイレから出てきた。口の周りが赤い。
「血を吐いた」
「ええ。ほんと。すぐ病院に行きましょう」

「胃癌です。それも悪質なスキルス性胃癌で末期です」
「で、あとどれぐらいですか」
「あと2カ月」
 医師のこの余命宣告にも、良一は平然としていた。
「あなたはきょう、判決を受けられましたね」
 医者は書類を見ながらいった。
「はい」
「東京の国立中央癌センターに行ってください」
「地元の関西の病院で手術を受けたいのですが」
「だめです。あなたは向こう3ヶ月は絶対に死ぬことはできません。あなたのような癌で3ヶ月以上生存させることのできる病院はあそこだけです。あなたはお仕置きをうけなければなりません。あなたは病死できないんです」

 裁判官が顔を上げた。
「主文。被告人を死刑に処す」
 なんの感情も顔に表さず良一に死刑判決を告げた。あきあきしているようだ。これで、今日、五つめの裁判。五つとも判決は死刑であった。ここ数年の犯罪者の増加はすさまじい。1日に五つも六つも裁判をこなさなければ、裁ききれない。時子は傍聴に来なかった。家で待っていると、朝、家を出る良一にいった。
 夕方、帰って来た良一の顔色は非常に悪かった。判決もさることながら、体調も最悪だったのだろう。胃が痛い。それに腕も痛い。裁判所を出る時、腕に痛い注射をされた。

「退院です」
 国立中央癌センターの主治医はそれだけいうと、さっさと部屋を出て行った。入れ替わりに事務職員が入ってきた。
「この書類を持って退院手続きをしてください。10分以内でこの病室を出てください。次の患者さんがおります」
 退院手続きを終わると、法務省の出張所があって係員が今後の指示をした。
「はい。これが帰りの関西までの新幹線のキップです。あなたは在宅拘置死刑囚ですので、あなたのお住まいの市から出てはダメです。市内を移動するのは自由です」
「あのう、処刑はいつになりますか」
「判りません。あなたの地区の役所から3ヵ月以内に通知がきます。それが来たら、もよりの処刑室に出向いて処刑してもらってください」
 法務省出張所を出る時1枚の書類をくれた。それにはこう書かれていた。

 在宅拘置死刑囚の皆様へ。
 手続きが終了しましたら、あなたのお住いの法務省出張所から、処刑のお知らせのハガキが届きます。そのハガキを持って、もよりの処刑室に出向き処刑してもらってください。
 処刑室はコンビニ、JR各私鉄の駅、スーパー、デパートなどに設置してあります。そのハガキを提示してくだされば処刑されます。処刑は薬物で行います。苦しまず死亡することができますので、ご安心ください。
 なお、自殺はおすすめしません。処刑用の薬物以外で絶命を試みることは可能ですが、三週間多大な苦痛をともなった上に絶命することをご承知おきください。あなたが裁判所を出る時に受けた注射はその処置です。逃亡は不可能です。注射によって、あなたの体内には微小な発信機が埋め込まれています。
 では、その日まで、平安な心でお過ごしくださいますように。

 駅前のホーソン。「いらっしゃいませ」レジのアルバイトの女の子がにっこり微笑んだ。
 ハガキを見せる。「あ、死刑を受けられるんですね。少しお待ちください。前の人がもうすぐ終わりますので」
 週刊誌を立ち読みしてると「吉田さん、どうぞ」銀行ATMの横を通って奥に行くと半分だけカーテンがかけられた部屋がある。ちょうど駅などにある証明書用写真の撮影ボックスのような部屋だ。
「ここに座って下さい」女の子にいわれてパイプ椅子に座ると、腕にチクリと針が刺さった。

「おうい。カスミちゃん。終わったか」
「はい。終わりました」
「山本さん、どうぞ」
「さっきの吉田さんってよくビールを買いに来てた人だろ」
「はい」
「なにやったんだ」
「駐車違反ですって」
「駐車違反で注射で死んじゃった。なんちゃって」
「ははは。店長ヘタなオヤジギャグ」
 
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大震災のマッチ売りの少女

「おじさん、あたしのおっぱい見たくない」
「なんや、お前、高校生やんか」
「そうよ。女子高生のおっぱい見せたげる」
「かわいい子やな。ほんなら見せてくれ」
「その前に、これ買って」
「なんやマッチ棒やんか。これ、どないすんねん」
「マッチ棒の光であたしのおっぱい見て。マッチが消えたらおしまい」
「ふーん。で、なんぼや」
「1本3000円」
「5000円やったら、どこ見せてくれるんや」
「見せるのはおっぱいだけ」
「1万やるから、あそこを見せろ」
「いやよ」
「ええやんか。減るもんじゃなし」
「ないのよ」
「なにが」
「ともかく、あそこはいや」
「しゃあないな。1本くれ」
「はい、高輝度LEDスティックよ」
 高輝度LEDスティック。いわゆるマッチ棒。夜間や停電した室内で、太陽電池を充電する光源として使われる。長さ5cmの細い棒で、先端の高輝度LEDが光る。あくまで緊急充電用で1分しか光らない。
 
「ナオミ。お前、まだそんなことやってるのか」
「ジュン。なんで、あたしがここにいることが判ったの」
「GPSさ」
「あたしになんの用?」
「きょうはクリスマスイブだよ。二人でケーキでも食べようと思って」
 少女はセーラー服の胸元を直した。ポニーテールを揺らしながら少年から、さっさと離れていった。少女の足もとに何かが落ちた。小さなボルトだ。
「おい。待てよ。ナオミ」
「ごめん。ジュン。あたし、もう少しかせぐわ」
「金ならほれ」
 少女は立ち止まって振り返った。少年はスマホを少女に見せた。
「おれの預金額だ」
「あら、この金額」
「おれ、いっしょうけんめいバイトして貯めたんだ」
「すごいわジュン」
「これで二人ぶんのユニットが買えるよ」
「そうね」
「だからお前がマッチ売りの少女やらなくていいんだよ」
「すてき」
「センター街の月電社で、最新型のハナソニックのユニットが売ってる。二人で買いにいこ」
 少女は少年に抱きついた。ここは地下街だ。二人は手をつないで地上に上がろうとした。地上行きのエスカレーターに乗ったとき、衝撃が襲った。ドスン。下から突き上げるような衝撃。世界が上下に激しくゆすぶられた。
 マグニチュード8震度7の巨大地震がクリスマスイブの夜を襲った。
「何日目かしら」
「さあ、10日ぐらいじゃないかな」
 すぐ上に建つビルが崩壊した。瓦礫が地下街の出口を完全にふさいだ。多くの人が地下街に閉じ込められた。その一角はビルの瓦礫が流れ込んだのと、地下街の天井が崩落したため、そこにいた「人」は「全員」死んだ。
少年と少女の二人はまだ生きている。二人は漆黒の闇に中に13日間生き埋めになった。13日間、光にまったく当たっていない。
「ジュン。バッテリーは」
「もうほとんどない」
「あたしも」
「マッチ棒はあと何本?」
「1本よ」
「つけて」
「うん」
 漆黒の闇の中にポッと小さな明かりが灯った。すぐ消えた。少しだけ充電できた。
「せっかく結婚できるのに」
「わたしたちにもあの世があるのかしら」
「あるよ」

 震災後15日。崩落した地下街にやっと救助隊が入った。16人の遺体と、2体のアンドロイドが発見された。少年型のアンドロイドと少女型アンドロイドはしっかり手を握っていた。太陽光充電のバッテリーは完全に空になっていた。こうなると再び稼動させることは不可能。スクラップとなる。少年型アンドロイドのポケットにはハナソニック製アンドロイド用生殖器ユニットのカタロクがあった。
 アンドロイド同士の結婚は認められている。子供は生まれないが「愛しあう」ことは可能である。♂アンドロイドと♀アンドロイドは外見容貌だけ男女だが、内部構造は共通。下半身に♂生殖器ユニットと♀生殖器ユニットを装着することで性交だけは可能となる。
「かわいそうに。二人は結婚するつもりだったんだな」
 救助に来た自衛隊員がふたりにやさしく毛布をかけた。

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ウィスキーと和菓子

拝啓
 
 晩秋の候、鏑木さまにおかれましては、いかがお過ごしですが。あれから、この地、松江に流れ着いてもう5年経ちました。おかげさまで、元気で暮らしております。
いまは、和菓子店で働いております。ご承知のように、松江は、松平不昧公のお膝元、和菓子の街です。私が働いている店は、老舗のお店です。大きな茶会が催される時は、季節季節にあわせたお菓子を作ります。また、松江市内の旅館にも和菓子を納品していますから、ご主人以下、お店の人全員が、毎日忙しく、お菓子作りに励んでいます。
 最近は、ご主人からお菓子作りを任せてもらえるようになりました。私は若くはないですが、これから菓子職人として生きていき、そしてこの松江に骨をうずめるつもりです。
 いまだから、正直にいいます。あの時、私は死ぬつもりでした。どうせ死ぬのなら、故郷のS市で死にたい。死に場所を探そうと、電車を降り、駅前商店街をフラフラ歩いている時、あのランタンが目についたのです。シャッターばかりの夜の商店街。その中ほどにポッと灯った灯かり。その灯かりは、真っ黒な私の心にも、ポッと灯かりを灯しました。
「海神」そのランタンの光に誘われるように入っていきました。あの時、私は「水割り」とだけいいました。鏑木さん、あなたはオールドの水割りを出してくれましたね。なんのへんてつもないオールドの水割りをあんなにおいしく感じたのは初めてでした。それまで、山崎だのマッカランだのといった高価なウィスキーを愛飲してた私がです。私はあの一杯の水割りで救われたのです。
 それから1年後、私は、お店のお休みを利用して、オールドのボトル代を支払いに行ったのです。鏑木さんにお金を払わなければ。死ぬのはそれからにしようと思ってました。
 行くあてはありませんでした。親切なトラックの運転手にヒッチハイクさせてもらい、着いたところが松江だったのです。その運転手の知人が、今のお店の主人です。
 あのオールド、まだ残ってますね。こんど飲みに行きます。私が作ったお菓子を持って。ウィスキーには和菓子はあわないかもしれませんが、どうしても鏑木さんに私のお菓子を食べていただきとうございます。
 
                                                               敬具
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利息を払え

 四年だ。四年たてば月がなくなる。夜、空を見上げれば、必ずそこにあった、あの地球の弟ともいうべき月だ。
 二十三億年前になされた契約である。地球のだれがそんな契約をしたのか、判るはずもない。だいたいが、そのころは人類はまだ影も形もない。
 しかし、契約は契約だ。だれがそんな契約書にサインしたのかだれも知らない。ただ、契約事項を四ヵ月後に実行されるだけ。
 選択肢はある。絶望的な選択肢ではあるが。月を手放したくなかったら、借りたモノを返せばいい。
                          
 いつごろから「声」が聞こえているのか判らない。ものごころついた時からだ。還暦をすぎて、今までの人生より、これからの人生のほうが少ない年齢になった。
 遠い記憶をたどってみれば、小学生のころ、夏休み、家族と海水浴に行った時、「声」が聞こえた。
「君を連絡人に指名する」確か、こんなことをいったと記憶する。なんのことだか判らなかった。波の音のまぎれたそら耳だと思った。
 二回目は大学生になったころだ。クラブの新入生歓迎コンパの席。なれない酒を飲まされ、意識を半分失いかけた時、「利息を払え」こういう声が聞こえた。私たちのグループ以外にも、何組ものグループがコンパをやっている。周囲は喧騒の渦の中。そんな時の、こんな声が聞こえてきても、気にも留めないのが普通だ。しかし、私は、なぜかそのことが気になって頭の片隅に残った。二十代のことだ、あれから四十年たった今も、そのことを覚えている。「利息を払え」

 日本国の首相が目の前にいる。きのう、首相の次席補佐官という男がとつぜんやって来た。
私は、大学卒業後、電機会社の購買を四十年やってきて、このたび退職した。子供は独立し、妻とふたりで小さな楽しみをみつけて日々を過ごしている。こんな男に一国の首相がなんの用だ。
「きのうクライトン大統領から電話がありました」
 首相はこう切り出した。アメリカの大統領?ますます縁のない話だ。
「アメリカの土星探査船が土星の衛星エンケラドス近傍の空間で不思議な電波を傍受しました。なにか意味があるような電波です。それを解読すると、二つの数字のかたまりと図形だと判りました」
 数字のかたまりは地球の緯度と経度をあらしている。一つは私の住所。もう一つは南太平洋の無人島。図形は酸素の元素記号。そういうことが判明した。
 アメリカはオスプレイをその無人島に飛ばし、海兵隊に観測にあたらした。無人島、酸素。これが何を意味するのは判らない。何が起こるのか。ともかく海兵隊を駐留させた。
 全滅。アメリカの海兵隊一個分隊十二人の兵士が全員死んだ。無人島である。敵はいない。致死性の病原体も発見されない。死因は窒息。全員酸素不足で窒息死。その島の酸素濃度は大幅に低下していた。
 私の住所は東京の杉並。杉並で、無人島で起こった事と同じことが起これば、大惨事である。
 拉致されるように、ここに連れて来られたというわけだ。
 実は、きのう三度めのメッセージが来た。
「私たちの力は確認できただろう。二十三億年分の利息を払え。払えないのなら質草として衛星を持っていく」
 昨夜、午後十一時ごろ、布団に入って、寝入る前に聞こえて来た。今度は静かな環境でのことだ。はっきりと判った。それは音ではない。私の頭の中に直接届いたのだ。
「利息は全地球の酸素の四パーセント。猶予は四年。利息が払えないのなら月を持っていく」

 地球にはもともと酸素はなかった。二十三億年まえシアノバクテリアが出現。光合成を行い、二酸化炭素を吸って酸素を出す。こうして地球に酸素が豊富に存在するようになった。
 地球上から酸素が四パーセント無くなれば、月がなくなれば、どうなるかをこれから人類の英知をかけて四年のあいだに研究する必要がある。

「ただで酸素をもらっていたと思っているのか」 

                      

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みまもりナース

「松阪のおばさんは帰ったか」
「うん。おとうさんのことをくれぐれも気にかけろ、と、しつこくいってタクシーに乗ったよ」
 火葬場から帰って、初七日の宴が開かれた。最近は、葬式から七日たって、また親族が集まるのは時間のムダということで、火葬場から帰ってすぐに初七日の法要をすますことが多い。
 仏事の膳を食べ、精進落としの酒を飲んで、親族が順々に去って行った。最後に松阪在住の父の妹が帰って行った。連れ合いを亡くし、これから一人暮らしとなる父を盛んに心配していた。
「兄さん、お父さんをもう一度説得したら」
「したさ。ダメだ。一人でだいじょうぶといって聞かない」
「で、お父さんがOKといったら、結局、だれがめんどうを見る」
「やっぱ、長男のシゲにいさんが見るべきじゃ」
「うちはダメだ。なんせヨメさんがアレだから」
「そうだな。久代さんはオヤジの顔見ただけでゲロ吐くぐらいだからな」
「お前がこの家に引っ越して来て同居すりゃいいんだ。家賃がいらんからトクだぞ」
「博之が念願のN中に入ったんだ。できるだけ学校に近い方がいいんだ」
「ヨシニイの家は子供の教育第一だからな」
「末っ子のお前がここに来ればいいんだ。お前はまだ独身だし」
「オレ、来年当たり、MITに留学するかも知れないんだ」
 と、いうわけで、結局、七十五歳の三兄弟の父は、この家に一人で暮らすことになった。七十五歳と高齢者といってもいい年齢だが、まだまだ身体は元気で、自炊もできるし、認知症の兆候はでてない。月に1度は松阪の妹が様子を見に来るし、兄弟が順番に週に何回か顔を見に来ることになった。
 母の四十九日の法要である。
「私が、もっとひんぱんに来れるといいんだけど、松阪から神戸じゃ月に1度がせいいいっぱい。私もそんなにヒマじゃないんだし」
 叔母はそういうと、見慣れない電子機器を出した。
「これを兄さんにつけてあげて」
 マッチ箱ほどの小さなシール。「みまもりナース」と書いてある。かわいい女性看護師のイラストがある。
「これ、なんですか。叔母さん」
「兄さんの健康を守ってくれるものよ」

 息子たちと妹がおかしげなシールをワシの背中にくっつけていきおった。首の少し下、肩甲骨の間に小さなシールを貼り付けおった。薄いシールだから重くはないが、不思議なことにこいつがしゃべる。なんでも「えーあい」とやらが、このシールの中におって、ワシを見張っとるそうな。
「おはようございます。今のあなたの身長は168センチ体重76キロ。血圧上が158下が97。血糖値145。尿酸8.5。肥満で高血圧、糖尿病と痛風の心配があります。食事と適度な運動を心がけてください」
 朝起きると、必ずこんなことをしゃべりよる。こないなマッチ箱がどうしてワシの健康状態を知って、それをしゃべるのか判らんが、死んだ女房が生き返ったみたいだ。しゃべるのは朝だけではない。おりにふれて、しょっちゅうしゃべる。
「きょうの歩行数は2576歩です。あすは10000歩は歩きましょう」
「いけません。ウィスキーは200CC以上飲んではだめです」
「現在の時刻は21時27分です。21時以降の食事は許しません」
「ちょっと待ってください。イクラは魚卵です。魚卵はプリン体が多いからダメです。あなたはいつ痛風になってもおかしくないのですよ」
「お酒は2合までです。血糖値が上がります」
「またビールのアテは唐揚げですか。中性脂肪が275ですよ。あなたは」
「お風呂に入る時は脱衣場を温めてください」
「1日に水を2リットルは飲みましょう」
「前立腺のPSAが15になりました。近日中に泌尿器科に行ってください」
「胃酸が少々多いめです。胃潰瘍の再発が心配です」
「白内障の兆候が認められます。眼科へ行きなさい」
「コーヒーに砂糖を入れすぎです」
「トーストにマーガリンを塗ってはダメです」
 ええい。うるさいわい。マッチ箱を外してやった。
 携帯電話が鳴った。だれだ。松阪の妹だ。
「兄さん。『みまもりナース』外したらダメでしょう」
 また電話。長男の茂之だ。
「お父さん。糖尿と痛風になってもいいのか」
 う~む。こやつシールのくせに、妹や息子に告げ口しおる。これじゃ、女房の方がマシだった。あいつも口うるさかったが告げ口はせんかった。死んだ女房が恋しい。困ったもんだ。
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木曜日の男

 カラン。入り口のカウベルが鳴った。男が入ってきた。カウンターに座る。
「いつもの」
「はい」
 鏑木はブッカーズをテイスティンググラスに入れて、男の前に置いた。甘い香りが漂う。ストレートだ。その横にチェイサーを置く。男はグラスに口をつけ、コクッと飲んだ。続いてチェイサーを飲む。 
 63度という高いアルコール度数のバーボンを男は好む。男は、ブッカーズしか飲まない。
 コト。鏑木は、小皿にソルトピーナッツを入れて、男の前に置く。男は、毎週木曜日の午後8時17分に海神にやって来る。誤差は前後に5分ほど。きょうは午後8時17分ちょうどにやって来た。
 いつごろから男が木曜日の夜に来店するようになったのか、鏑木は覚えてない。つい数ヶ月まえかも知れない。もっと前、数年前からの常連客のような気もする。
 男が、海神でしゃべるのは、ひと言。「いつもの」それから、だまってブッカーズのストレートを2杯飲んで、ソルトピーナッツをつまんで、チェイサーの水を飲む。ブッカーズのボトルのキープはしてない。鏑木もすすめない。
 63度のバーボンをストレートで2杯飲んで、会計をして帰っていく。男が海神にいる時間は、15分ほど。
 
 木曜日になった。夜の7時。海神に鏑木が来る。おもてのランタンの灯を灯し、かるく打ち水をする。カウンターの上を拭く。棚のブッカーズを見る。バッファロートレースやノブクリークの奥にあるはずだ。あった。しかし、もうほとんど空だ。いかん。さっそく仕入れておかなければ。キープはしてないが、ブッカーズなどどいう高価でアルコール度数の高いバーボンを飲む客は、あの男だけ。
 8時15分になった。カラン。
「いつもの」
「すみません。きょうは1杯ぶんしかありません」
 鏑木はそういいながら、ブッカーズのストレートとチェイサーの水を置いた。
「そうか。あいつはこのバーボンが大好きだった」
 男は初めて鏑木に語りかけた。親友がいた。その親友は死んだ。そいつはブッカーズが大好きだった。
 2台のバイクでツーリングしている時、親友のバイクが転倒。親友は男の手の中でこういった。
「また、お前とバーボンを飲みたいな」そして死んだ。
「やつが死んだのが木曜の夜の8時17分だ」
「きょうはいいよ。おれ一人飲むわけにはいかん」
 男は一人ぶんの会計をすませて出て行った。男の後ろには影が二つあった。
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ドライブスルークリニック

「いらっしゃいませ。トミタクリニックへようこそ」
国道から右折して、ゲートの前で車を停めた。右に立っているポールがしゃべった。このクリニックは私のかかりつけで、車のカーナビには登録してある。完全自動運転の私の愛車は、病人の私をここまで運んでくれた。
「初診ですか?再診ですか?」
 ポールの前面の一部がディスプレイになっている。「初診」のボタンにタッチ。
「当クリニックの診察券をお持ちでしたら、スリットに入れてください」
 青く光る細長い穴に診察券を挿入する。ゲートが開いた。指示された停車位置で車が停まる。
「いらっしゃいませ。青柳さま。どうなさいました」
「風邪」「腹痛」「頭痛」「その他」「自覚症状から判断して、これと思われるボタンにタッチして下さい」
 朝、起きた時から頭がフラフラして体温を測ったら38℃。そういえば昨夜、風呂から上がったとき、ゾクッとした。「風邪」にタッチ。
「腕をそこに出してください」横の壁から小さな台がせり出してきた。腕を乗せる。プシュー。アルコールの臭いの霧が腕に吹き付けられた。台の横からバンドが出てきて腕を巻く。
「ランプが青になるまでそのままにしてください」
 イー。小さな音がして、カラオケのマイクみたいな機械が、グルグルグル顔の周りを3周した。
 ランプが青になった。
「体温39℃。血圧最高150最低90。コロナウィルスを検出。上気道に軽微な炎症を認める。急性上気道炎の確立85パーセント」
 ディスプレイにそう表示された。ようするに風邪である。
「この診断に納得しますか。YES/NO」
 ここでYESにタッチすれば、処方された薬をもらって、あとは帰るだけ。このクリニックには何度も来ているが、NOを押したことがない。NOを押すとどうなるのだろう。一度、試しに押してみよう。NOにタッチ。
「セカンドオピニオンを希望しますか。YES/NO」NOにタッチ。
「次の患者さんがお待ちです。支払いは現金ですかクレジットカードですか」
 ふ~ん。なるほど。診断が気にくわなければ、金を払って、とっとと出ていけということか」
「戻る」のボタンにタッチ。
「「セカンドオピニオンを希望しますか。YES/NO」YES。
「当院が推奨するクリニックの案内をします。音声による案内を希望しますか。あなたの車のカーナビにデータを送信しますか」「データ送信」にタッチ。
 ニュルニュルと細いケーブルが出てきた。
「このケーブルの端子をお車のカーナビのUSB端子に挿入してください」
 なんかめんどうになってきた。高熱でフラフラしているし、早く家に帰って寝たい。
「戻る」を2度押す。
「この診断に納得しますか。YES/NO」YES。
「薬の処方を希望しますか」YES。
 コト。薬が出てきた。薬だけは昔ながらの紙袋で薬剤師のハンコが押してあった。
「支払いは現金ですかクレジットカードですか」こんどは「次の患者さんがお待ちです」がない。それ以外の支払い方法をタッチ。「ポイントを使用する」にタッチ。
「ポイントが足りません」と表示。「戻る」「クレジットカード」「残高が不足してます」
 しまった。給料の振込みは明日だ。きのう、阪鉄電車の豪華列車虎風号のキップを夫婦二人ぶんカードで買ったのだった。
「戻る」「現金」「お札はここに、コインはここに入れてください」
 財布を見た。350円。足らない。困った。
「お金を入れてください」青い表示がチカチカ。このディスプレイには「係員を呼ぶ」というボタンはない。このクリニックは無人なのだ。
「お金を入れなさい」青くチカチカ。
「お金を入れて」黄色に変わった。
 困った。
「金入れろ!」赤い表示になった。
「車を置いて歩いて帰れ。3日以内にお金を払えば車は返してやる。3日以内に払うか。YES/NO」YES。
「お大事に」ディスプレイにかわいい女性看護師の映像が出てきて、ペコリと頭を下げた。
 とぼとぼと国道ぞいを歩く。非常にしんどい。39℃も熱があるのだ。タクシーに乗りたいがお金がない。薬を見ると「葛根湯」であった。あそこ、前に腹痛で行った時も葛根湯を出した。頭痛の時も葛根湯だった。それにしても、最後のYES/NOでNOを押していたらどうなっていたのだろう。
 うう、なんか吐き気もしてきた。ゴロゴロお腹もおかしい。いかん。近くの公園の公衆トイレにはいる。ドアが閉まっている。ディスプレイがある。
「大ですか小ですか」「大」
「トイレットペーパーを使用しますか」YES。
「和式ですか洋式ですか」ううう。いかん。もれた。

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「出張なんだ」
「またあ。今度はどこ」
「九州」
「最近出張多いね」
 結婚して十五年。子供はいない。夫婦仲は、まあ、いい方だろうと、晴子は自分では思っている。
「疑い」は一度発生すると消えない。大きくはなる。小さくなることもある。しかし、ふとしたことで、また大きくなる。消えることはない。
 昭夫に限ってそんなことはなかろう。と、否定したい気持ちがわきあがる。
「それじゃ行って来る。あしたの午後には本社に戻っている」
 小さな旅行鞄一つ持って昭夫はでかけた。一泊の出張だ。今晩は帰ってこない。夕食のしたくはしなくていい。
 晴子は近所のスーパーでシャンプーと醤油を買った。クリーニングに出していた昭夫のカッターシャツも引き取った。
 昼食はそのスーパーの軽食コーナーでお好み焼きを食べた。今晩、どうしよう。自分のぶんだけ夕食を作るのもめんどうだ。駅弁大会をやっている。お弁当でも買っていこう。売り場で一番高い弁当を買った。ビールも飲んじゃお。五〇〇ミリリットルの缶ビールも買った。
 テレビでバラエティを見ながら弁当を食べる。外でちょっとぜいたくな食事をしても良かったかな。
 弁当のおかずの唐揚げをつまみにビールを飲む。ちょっとヤバイかも知れない。昭夫がいないとき、ときどきだが、酒を飲む。酒といっても、三五〇ミリリットルの缶ビールを一本飲むぐらいだった、以前は。それが最近では、五〇〇 ミリリットルの缶を飲むようになった。
 キッチンドリンカーになるのかな、わたし。 「疑い」が重しのように意識の中でのしかかる。消えない。小さくもならない。大きく重くなってきた。
 なぜかは判っている。昭夫のことだ。最近、残業が多い。出張も多い。昭夫は人事部なのだ。会社勤めの経験がない晴子は、人事部が具体的にはどんな実務をしているのかはよく知らない。でも、営業や技術とは違い、人を扱う部署だということぐらいは判る。
 一度、問いただしたことがあった。
「最近、残業や出張が多いのね。あなた人事部なんでしょう」
「春闘が妥結したばかりなんだ。社員一人一人の査定をまとめなくては、昇級の数値がでないんだ」
「出張は」
「九州と名古屋の支社の人事のベテランが急にやめたんだ。偶然だな。俺が手伝いにいかなくては支社が動かん」
 納得はしない。しかし、会社の組織と業務をよく知らない晴子は抗弁するすべを知らない。夫を信用したい。その気持ちはある。
 クリーニングから引き取ってきた昭夫のカッターシャツをタンスにしまう。
 ん。そのカッターシャツに妙な違和感を感じた。クリーニングはちゃんとできている。しみ、しわはない。ほころびもない。ボタンもみんな付いている。なんの異変もない。しかし、何か「感じる」五感のどれに感じるのかは判らない。しいていうのなら嗅覚か。別にそのカッターシャツから異臭がするというわけではない。ともかく、なんか「臭う」のだ。
 カッターシャツを手に持って子細に観察する。きれいにクリーニングされた、なんのへんてつもない白いカッターシャツだ。でも、「臭う」なんの「臭い」か判らない。どういう「臭い」かも判らない。鼻で感じる「臭い」でもなさそうだ。さっき、嗅覚といったが、これは、いわゆる第六感といった方がいいかも知れない。
 このカッターシャツは何を発信しているのだろう。
 ん、このボタン。胸のボタンの上から三つ目。他のボタンと違う。カッターシャツなどのボタンがとれれば、晴子が付ける。昭夫はボタンなど自分でつけるような男ではない。
 こんなボタンをつけた覚えはない。このボタンが「臭い」のもとだったのだ。晴子の「疑い」は確信に変わった。このボタン、どっかの女がつけたモノだ。
 晴子は、そのボタンに指をかけた。親指、人差し指、中指で、きつくつまんだ。
「こうしてやる」
 思いっきり引っ張った。ボタンが取れた。「ん、なにこれ」指先が赤くなった。血だ。
指に傷は負ってない。だれの血だろう。
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ワイルドターキーを飲む男

 エアコンが異音を発する。古いエアコンだ。もう寿命だろう。そろそろ買い替えが必要だ。それでもなんとか動いていて、いっしょうけんめい涼風を噴出している。
「もう少し冷房の温度を下げましょうか」
 鏑木が聞いた。
「これでいい」
 男は答えると、ワイルドターキーを飲んだ。一見の客だ。夕方、ふらりと海神にやって来た。
 ワイルドターキーの8年をボトルごと所望した。鏑木がキープできないことをいうと、それでいいという。ボトルをカウンターに置くと、あとは自分でかってにやる。と、いって飲みはじめた。
 ストレートでグイグイあおるように飲む。ワイルドターキーの8年ものはアルコール度数が50度。かなり高いアルコール度数である。そのウィスキーをストレートで何杯も飲む。かなり酒に強い男と見える。
「氷とチェイサーを出しましょうか」
 さすがに心配になって鏑木が声をかける。
「いらない」
 そういって、男はワイルドターキーを生(き)のまま杯を重ねる。ボトルの中身が半分近くなくなった。
 ボトルを傾けグラスにそそぐ。飲む。これのくり返し。酔っているようには見えない。首はしゃんと立っていて、視線は水平。海神のカウンターに座っているが、その視線の先ははるか遠くを見ているようだ。
 今夜は客は、この男ひとり。海神にとって、客がひとりというのはめずらしいことではない。しかし、一見の客でひとりというのはめずらしい。そして、こんな無口の客もはじめてだ。
 男にとって鏑木はいないのと同じ。彼はこのせまい空間にただひとりいるのだ。ボトルを傾けグラスにそそいで飲む。
 鏑木も男に、もう、話しかけない。
 古びたエアコンがたてる異音だけが聞こえる。あとは男がカウンターにワイルドターキーのボトルを置く音だけ。
 もう、どれぐらいの時間がたっただろうか。1時間はこえているだろうか。判らない。男がバーボンを飲む時間だけが流れている。
 ボトルを傾ける。グラスに半分ほど液体が流れ込んだ。ボトルの口から雫が1滴落ちた。空になったボトルを置く。グラスの半分の液体を飲み干す。
「いくらだ」
 男は鏑木のいった金額を置いた。そして店を出て行った。50度のバーボンを700ミリリットル飲んだ男だ。心配になって鏑木は海神から出て外を見た。シャッターが並ぶ夜の商店街には、人っ子ひとり歩いていなかった。
 店に戻った。ワイルドターキーの空びんだけがそこにあった。
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24年もののスコッチ

 あれから30年か。おれも80というトシになった。もう充分生きた。もういいだろうというのが正直な思いだ。
 ずいぶん歩いた。30年だ。30年歩いてきた。もう歩かなくてもいいだろう。希望と絶望。期待と落胆の30年であった。
 あの時、おれは地下70メートルの現場にいた。突然の衝撃。トンネルの内壁と天井が崩れ落ちてきた。大量の水が流れ込んできたのまでは覚えている。気がついた時は、材木にひっかかり水面と天井のわずかなすき間に浮かんでいた。天井に人が通れるぐらいの隙間ができていた。そこを通って地上へ出た。
 地上は荒野となっていた。工事事務所の建屋はぺしゃんこだった。かろうじて人間であったとわかる肉の塊が周辺に散乱していた。山の向こうに巨大なきのこ雲がそびえたっていた。
 
人が恋しい。拾ったラジオは雑音が鳴るだけ。生きて動いている人間を見なくなってずいぶん時間がたった。ある日、山の上から下界をみたら集落が見える。何軒かある家はみんな無傷だ。そのうちの1軒の煙突から煙が出ている。人だ人がいる。
転がるように山を降り、集落に入った。戸を開けるのももどかしく、その家に飛び込んだ。中には白骨化した死体が5体。なぜは暖炉で枯れ枝がくすぶっていた。何度目の落胆だろう。その家を出ようとしたら足もとにウィスキーの瓶が転がっていた。封を開けてない瓶だ。マッカラン12年。上等のスコッチだ。
「これ、いただくよ」
 一番大きな白骨死体にことわって、それを拾った。こいつは、最初に出会ったヤツと酌み交わそう。そう思った。

 そういうわけだ。酒の相手はあんたしかいないということだ。酒、いけるくちだろう。スコッチは好きか。そうか、おれはほんとうはバーボンの方が好きなんだけどな。世界中を歩いて、結局、ここへ戻ってきたよ。
 飲んでくれ。あんたの酒だ。マッカランの12年ものだ。あんたからもらった時から12年たった。24年もののマッカランだ。こんなスコッチなかなかないぞ。
 おれはもう歩かない。疲れた。もう死んでもいいだろう。

 そこには6体の白骨死体がある。一番大きな死体に横には、同じぐらいの死体。その死体だけなぜは新しい。その2体の死体の間には空のウィスキーの瓶が転がっていた。

 
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