縋りつく空蝉ひとつ忠魂碑 法夢子
散策をする道際に忠魂碑がある
その近くに小公園があり
お年寄りがゲートボールをしたり
お茶屋お喋りを楽しんでいる
忠魂碑は戦没者の供養塔で全国各地にあるのだが
戦後70年
配線と言わない日本人はその戦争さえも風化させているようだ
またあの熱い日の記憶が蘇るが
忠魂碑にお参りする人は少ない
空蝉がひとつすがりついているように見えるのは
私の感傷だろうか
散策をする道際に忠魂碑がある
その近くに小公園があり
お年寄りがゲートボールをしたり
お茶屋お喋りを楽しんでいる
忠魂碑は戦没者の供養塔で全国各地にあるのだが
戦後70年
配線と言わない日本人はその戦争さえも風化させているようだ
またあの熱い日の記憶が蘇るが
忠魂碑にお参りする人は少ない
空蝉がひとつすがりついているように見えるのは
私の感傷だろうか
敗戦という記憶はないのですが、全てを無くした後の日本で育ちましたので、
敗戦という感じは何処かにあります。
終戦からの年ですから、記念日の周年というのがそのまま自分の歳になります。
私の年の生まれは、日本の人口では記録的に少ない年で、希少価値のある人種ですが、私達の後の団塊の世代の人とは、その経験が全く違う人種ではないかと秘かに思っています。
2014/7/29(火) 午前 9:17 meganeoyaji