村の水車番

水車小屋のおじさんは見た?  山村のくらしは、今日も快調!

情けない

2011年03月17日 | Weblog
連日、福島原発の事故の報道を見ていたら今まであまり知らなかった原発の構造と仕組みに詳しくなった。
聞けば聞くほど大変な事故である、
それでも、記者会見の模様を見ていると、まだまだ知らされていない部分があるような気がする・・・

登場する学者の解説を聞く限りでは・・・
そこまでわかっていたのなら、何故に設計に生かされなかったのかと・・・
素人は疑問に思ってしまう・・
こんな大事故になってからいくら正論でも画餅に等しい・・・

停止した原子炉をたんに冷やせばよいのなら、そもそもが海に囲まれた海洋国家日本である・・・
海面より下に位置する場所に原子力発電所を作ることはできなかったのだろうか?
もし、どんな災禍で冷却装置が壊れても、誘水路を通じて海水を流し込むことが出来そうな気がする・・
日本の優れた土木技術なら可能に思える・・・
素人の考えではあるが・・・

今回の事故はどこかに設計ミスがあったように思えた・・・・

原発に変わる代替エネルギーが使用可能になるまでには、まだ相当の年数が掛かりそうである・・・
自動車業界でのリコールのように、今からでも遅くない・・・
稼働している原発をもう一度設計から見直すことである・・・

それにしても・・・・
人類最初の被爆国日本は、放射能の怖さを一番知っている国のはずなのに・・・
なんとも情けない事故である・・・
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救援物資

2011年03月17日 | Weblog
掛合の総合センターへ用事で出掛けたら玄関ロビーで東北地震被災地への救援物資の受け付け所が開設されていた、
すでに相当量の物資が集まっていた・・・・
窓口には義援金を入れる箱もある・・・
不謹慎だったが箱の中身を覗いて見た・・・札に交じってコインもある・・・・
テレビの報道を見るとつらかったが、持ち合わせのなかった私は、小銭でご勘弁を願った・・・・

我が家で一度に認知症と言われる状態になった老父母を看た時の経験から思ったことだが・・
人間は幸福な時よりも困難なことに直面した時がより絆が深まる・・・

父母の認知症の期間は足掛け7年に及んだ・・・
子どもたちが中学生から大学までの期間だったような気がする・・・
自宅での介護だったが、家内は勤めを辞めて専念してくれた・・・
7年間は家族の慰安行事と言ったことも無かったのに、子どもたちも不満を口に出すこともなかった、むしろ私たちの留守の時には、おしめの交換から食事まで兄妹で看てくれた・・・

地震、津波、原発事故と・・・国難ともいえる非常事態である・・・
日本国が一つになる機会でもある・・・

全国の過疎に悩む地域に、あの避難者の皆さんを受け入れることはできないものだろうか?
救援物資を大型バスで輸送して帰り便に避難者を乗せて帰れば効率的である・・?

少子高齢化した山村に、一時的にせよ活気がよみがえる・・・
昔、防人達がもたらせた東北文化が、また西日本によみがえるかもしれない?
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