いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

アフター6の教室は… (第6編)

2005年06月30日 11時18分50秒 | 娘のエッセイ
 今ほど、その職業がメジャーではなかった頃のこと。私は、あるフラワーデザ                             イナーの学校に1年間通っていた。職業訓練校と名の付くだけのことはあって、                            その講義内容は結構ハードで、特に資格試験の直前の先生は赤鬼に突如返                             身し、
 「あなたは、コサージュだけは、上手に出来るのね」など、相当辛辣な言葉を
生徒に投げつけていた。そんな時、私達生徒は帰りに喫茶店に寄り、ケーキを
つつきながら
 「先生達って結構ひどいこと言うよね」
 「あれって、ひとり受かったら幾ら、とか学校からお金貰っているんじゃないの?」
と、不埒なこと言ったりすることで、ストレスを発散していたのだった。

 結局、私はある職業病にかかり、その道を断念したのだが、その代わりに、
以前から覚えたかった手話の勉強を始めることにした。毎回、生徒がペアで手
話の実践をする。黒板の前に立つのがあまり苦痛でなくなった頃には、仲の良
くなった女の子と組んだ時など、先生を手話のネタにさせて貰い、先生の苦笑

を誘ったりもした。この教室、何故か女性に可愛い子が多かったのが印象深い。
手話には全然関係ないことだけれども……

 そして、それと平行して、私はエッセイの講座で勉強を始めた。今、いつでも
私の中には、活字でいっぱいだ。何か嫌なことがあっても、それをネタにして
しまおう、というずうずうしさも幸いか不幸か身に付き、少しは落ち込みにも強
くなった。

 そんな私が、先日○○で偶然に、以前交際していた男性に会った。彼が言っ
た。「見違えたよ。年と共にいい女になっていくな」と。6年前、私に結婚を断られ
たことを、彼はとても悔しく思ったのだろうか?『年と共に』とは、それにしても素
敵な響き。その秘密は、多分積極的な向上心と好奇心にある。

 アフター6の教室は、それを私にくれる。本来の目的の他にオマケもある、正に
グッドな場所なのだ。
             
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おつかれさん (第5編)

2005年06月29日 08時44分26秒 | 娘のエッセイ
 「ムムッ、なんだ? これはー」
ある日、ふと鏡の中に発見してしまった……。それは、私の愛くるしい? 瞳の
下にいつの間にか巣食っていた、小憎らしいクマだったのである。

 こりゃ、大変!とばかりに、私は即刻ここ数カ月の雑誌をひっくり返し、化粧品
特集のページを読み漁った。そして、翌日すぐにデパートへ。目星をつけておい
たフランスC社のカウンターへと直行した。そこで私は、やたらと化粧の濃い
オネエサマのアドバイスを受け、昼用のアイジェルと夜用のアイクリームを買
い、「これで、クマともオサラバダ!」とウキウキして帰宅したのである。

 アドバイスに忠実な私は、翌日からさっそく昼はジエルを持ち歩き、洗面所へ
行く度にジエルを手に取り、薬指でトントンと下瞼につける、ということを行った。
もちろん、夜のケアも怠りはない。

 でも、私のクマは一向に消えてはくれなかった。「ああ、やっぱりこの職業が
いけないのかもしれない」。私は、目の前のCADを睨みつける。そう、あんただ
って疲れちゃうわよね。1日8時間、週48時間もこんなディスプレイと、細かい図
面を正確に見ないといけないんだものね。私は、制服のポケットから二種類の
目薬を取り出し、乾き切った瞳にそっと液体を垂らした。

 あれから、もう1年以上が過ぎた。転職し、CADから解放された私だったが、
なんの因果か、今度の仕事もコンピュターとお友達、なのだ。ゆえに、私の下
のクマは今もしっかりと健在? である。でも今度は仕事のせいではなく、もし
かしたら、年齢のせいかもしれない……そんな不安がよぎる。

 果たして、今日も私は「リッチな化粧品が欲しいっ」と思いつつ、30ml六千円
のハーブ入り美容液を下瞼にせっせとたたきこむのに余念がない。
 あーあ、おつかれさんな話。
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私の美学 (第4編)

2005年06月28日 10時26分45秒 | 娘のエッセイ
 毎朝、同じ電車に乗る、ひとりの男性がいる。恐らく三十歳代であろう
その人を見るたび、私はどょ~んと暗い気持ちになってしまうのである。
 
 その理由だが、不潔そうだから? 違う、違う。スケベっぽいから?
それも違う。じつは、彼の姿が美しくないからだ。

 彼は毎日のように、その日に発売されたビジネス××だのヤング○○、
果ては少年△△という少年向けの漫画雑誌まで熱心に読んでいる。
ああ幻滅! 彼は、ビシッ(?)としたスーツ姿の大人の男なのだ。

 ”きちんとした服装で、漫画雑誌を読む”これは私の美学、もとい
審美学におおいに反する行動のひとつ。例え、自宅でどんなに大口を開け
て笑いころげながら漫画をみていようとも、一歩正装して外に出たら、
そんなことはおくびにも出さない。(そんなのただのエエかっこしいじゃ
ないかと言われようとも、私にとっては美しくない行動なのだから仕方が
ない)

 美学といのは、ある意味でこだわりである。あれは美しい、これは美
しくないという基準を、恐らく誰もが心のなかに明確に持っているに違い
ないーーと思うのだが、どうだろう。

 最近の日本人は、「美学」から遠いところにいるような気がしてならい。
自然や美術関係の美学以外の美学というのは、ほんのちょっぴりムリをし
たところにあるのではないだろうか。昔からある言葉に「伊達」という言
葉がある。伊達ということも、生きる上でのひとつの美学。でも、近頃の
若い人達は、ムリを嫌がり、ありのままというのを尊ぶみたい。あるいは、
まったくの横一線並びのほどほどか。そのくせ金銭面で自分より上えを望
むことは得意だ。それも悪いとは言わないけれど、どせなら違う面で上を
目指して見たい。

 安易に周りに流されないための、ちょっぴりのヤセ我慢と、ほんのちょ
っぴりの上昇志向、それが生活する上での私の美学と言えるのかもしれない。

 そして、こんな現代(いま)だからこそ、自分の美学美意識を見失わな
いよう、しっかりと生きていけたらいいな、と思うのである。

            平成11年記

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うめぼしの歌訂正

2005年06月27日 19時05分52秒 | 心に留めた言葉
 皺わ寄っても若い気で の次に「小さい君らの仲間入り」を挿入する。
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気を許した?音(第3篇)

2005年06月27日 18時04分15秒 | 娘のエッセイ
 先日テレビを見ていたら、面白いアンケート結果を放送していた。それは「彼女
が気を許してくれたと思う時」というもので、若い男性を中心にアンケートをとっ
 
いた。それを見ていて笑ってしまったのは、第二位だか三位に入っていた「僕の前
で彼女がオナラをしてくれた時」という答えのことだ。オナラがど~して気を許し

た基準になるのだろう。番組の出演者も言っていたが、それは単にリラックスのし
すぎ、気を許したのではなく気を抜いているだけじゃないの?と私も思うのだが、

男というのは不思議なものだ。 でも、オナラをある意味での基準にするのは、何
も男に限ったことではないらしい。

 例えばタレントの山田邦子さん。彼女はテレビ番組やエッセイのなかで、男のオ
ナラ大歓迎と言っている。なんでも彼女は男のオナラの音を聞くと「あ、この男も

らった」と思うとか。私は嫌だなぁ、と思う。「この女の前でではオナラをしたっ
て構わない」と思われるのなんて少し悲しい。それって、もう男と女ではなく、緊
張感のないだらけた関係でしょ。

 ところが私が聞いた話だけでも、つきあっている時から、あるいは結婚した途端
に、ブーブーとやらかす男の多いこと。まったく「おはよう」ブー。「おやすみ」

ブー。なんてやられた日にゃ、たまったものじゃない。もしかしたら、結婚した途
端に男と女ではなくなる日本の結婚の実情も、実はこうしたオナラ幻想の影響が大
きいのかもしれないぞ。

 それなら、結婚しても「I LOVE YOU」を言い続けたりする他の国では、オナラは
どんな扱いを受けているのか? 友人の協力を得て、ちょっとオナラ調査をしてみた。

 まず、フランス人のアラン。「家の中では、父も母もするよ。食事中だって、おか
まいなしさ。でも、オナラをすることで気まずくなることはないね。すぐに誰かがそ
れをジョークにしちゃうからさ」。次はオーストラリアの女性。「友人同士で食事し

ている時だって、みんなしちゃうわ。そうすると誰かが「わー、臭いわねぇ」とか言
って、笑いとばしちゃうのよ」。最後に元カレがフランス人というA子さん。「彼、
最初は私の前ではしなかったの。しちゃいけないと思っていたらしいのよ。でも「し

てもいいよ」と言った途端、所構わずものすご~くするようになって……。それが嫌
になって別れちゃったわ」。

 なるほど意外と外国の方々は、開放的にオナラをされているようだ。オナラをする
仲でもスィートになれる、それはやっぱりお国柄の違いだろうか。A子さんの話がそ
れを物語っている。結局、日本女性の理想はこうだろう。オナラを平気でする夫の前

では自分もリラックスし、同じようにオナラをかまして夫を油断させておく。そして、
外ではオナラをしない男とロマンティックでホットな緊張感のある時を過ごす……。
いいじゃない。

 えっ、男だって同じ?そう、同じ穴のムジナというわけ。だから不倫が流行るのね。



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うめぼしの歌

2005年06月27日 11時32分41秒 | 心に留めた言葉
 二月三月花ざかり 鶯ないた 春の日の たのしい時もゆめのうち 五月六月実がなれば
 枝からふるい落とされて 近所の町に持ち出され 何升何合計り売り もとよりすっぱい
 このからだ 塩に漬かってからくなり 紫蘇に染まって赤くなり 三日三晩の土用干し
 思えば辛い事ばかり それも世のため人のため 皺は寄っても若い気で 運動会にもついて行く
 まして戦のその時は なくてならぬこの私

 
 これは昔の尋常小学校読本巻五にのっている「うめぼしのうた」です。この読本を習ったのは明治43年度から大正6年度に小学校に入学した人たち、ことしは77歳から84歳になっておられるはずです。……

 昭和62年6月6日読売新聞 倉嶋 厚記
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とことこ族

2005年06月27日 11時11分28秒 | 心に留めた言葉
 やめとこ、せんとこ、行かんとこの「とことこ族」では、平均寿命の80歳まで健康に生きるのは無理。何でも見たい、聞きたい、してみたいの「たいたい族」は心も身体も若いと、生涯学習のすすめは説く。

 健康と言うのは、要するに運動、栄養、休養のバランス。しんどいからと休養ばかりしていたら当然、筋肉は衰える。そうならないためには、自分のことは自分でする習慣をつける。

 いちばんいけないのは、アレ取ってくれ、コレ取ってくれの人任せ。……

  平成8年7月30日 産経新聞 服部素子記
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掌の温度(第2編)

2005年06月26日 14時43分12秒 | 娘のエッセイ
 「目は口ほどにものを言う」という台詞を人はよく口にするけれど、それ以上に手は雄弁であると思う。十代の頃、私は女の子同士でよく手をつないだり、腕を組んだり、あるいは抱き合ったりしていた。それら

の行為は、ある種の連帯感を生む行為であり、また「大好きだよ」という気持ちの表現方法のひとつだった。彼女たちの身体や掌はほんのりと温かく、そこにはいつも「安心」が存在していた。

 ところが今の若い女の子達は、あまり同性の友人とスキンシップをしていないように見える。その結果、最初に触れ合いを経験する他人は、自然と男の子になるケースが増えてくる。けれど若い男の子の掌にある

ものは、温かい「安心」ではなく、多くの場合、熱い「欲望」だ。本当に面白いほどに、男の子の掌の温度は正直なのだから。

 恋に落ちたふたりが初めて手をつないだ時や、狭い階段を上がる時に、前を歩く男の子からそっと差し出された大きな手は、心地よく温かだったに違いない。そして、ふたりの関係が熟してきたときにつないだ男

の子の掌の温度は、摂氏百度に近いくらいに熱く、じんわりと汗ばんでいなかっただろうか。「男性とキスした時、その唇が冷たいと感じたら別れが近い証拠」と言っていたのは、確か南美希子さんだった。同様の

ことが掌の温度にも言えるのではないか。と私は思う。口先だけならいくらでも嘘はつける。けれど身体は嘘をつけない。体温を意のままに操れるほど人は便利にできてはいないのだ。

 誰かを励ます時、人はその人の手を握る。喜びを分かち合う時も、手を取り合う。また苦しい時、悲しい時も、愛する人の手は何者にもかえがたく貴い。

 だから手をつなぐとか、手を握り合うという行為は、もっともっと日常的な習慣になってもいいと思うのだけれど、現実はそうではないみたい。手で気持ちを伝える行為に若い人達は違和感をもたないけれど(今

はもっと積極的に表現してしまう輩が多いゾ)、中高年、特に夫婦同士は苦手らしい。感じとしては、奥方がそっとダンナの手元に手を伸ばしても、ダンナのほうは見ぬふりをしてしまう……というところかな。

 ただ、その行為がテレからきているのか、単に手に触りたくないだけなのかは判別不能だ。もちろん、その逆の場合も多いにある。ま、いずれにしても、そんな状況は淋しいかぎり。

 それゆえに私は、やっぱり気持ちがいっぱい詰まった掌に触れたい。そしてメッセージを伝えたいと思う。大きな手、小さな手、肉薄の手、ぽってりした手、骨ばった手。手にはその人自身があらわれている。

 その人をあらわし、しかも人の心の温度までも表現してくれるこの小さなパーツ。これからも先、その温かさのほうだけを感じていられたらいいのに…な。

                            平成8年記
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パチパチお上手

2005年06月26日 13時41分02秒 | シルバー社交ダンス風景
 学校の体育館でのダンスパーテー60名ほど。暑い暑い!扇子,団扇、扇風機の助けを借りて皆さんウキウキとステップを踏む。広いので思いっきりのステップにスカーと気分爽快。
 家内とルンバを踊る。終わって引き上げる途中に中年の方が出てきて、パチパチと拍手。一瞬驚き、かの方はお上手と言ってくれた。そのように見えるのかなー。うれしい。
 
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涙・涙・オトコの涙 (第1編)

2005年06月25日 18時39分30秒 | 娘のエッセイ
 人目を気にせずに「泣くオトコ」が世に登場して久しい。ここで言う「泣く」とは、俗に言う「男泣き」のことではなく、女の子にフラレて泣くとか、映画を見て泣くと言った類の「泣く」である。

 以前勤めていた会社で、朝、顔を合わせた途端に「昨日の××見た?泣けたよなぁ」などと、ドラマやドキュメンタリーを見て泣いたことを、皆にふれまわる男の子を目の当たりにした時には、”世の中は変わっ

たもんだ”とつくづく感心してしまった。その昔、男は人前で泣くもんじゃないと言われた。ゆえに、「涙」と言えば女の専売特許だった。なにせ子供向けアニメの主題歌に♪真珠の涙を浮かべたら、男の子な

んてイチコロよぉ~♪なんていう歌詞があったくらいだから、その威力は凄かったに違いない。そう、涙は

いつだって女の子の強い味方だったのだ。その証拠に、「彼女の涙に負けてしまって……」と言う話は世間にざらにあったではないか。また、涙の効き目がなくて、男の子を引き止められずに「さよなら」を言われ

てしまった女の子は、部屋に閉じこもると食うものも食わずに(その後、猛烈な食欲に襲われるのだが)わんわんと泣いた。何日も何日も。そしてその何日かが過ぎて、大量に流した涙が乾く頃、彼女達は何故か例

外なく次の恋に突入していくのである。どうして、彼女達はこんなにも簡単に、心の痛手が癒えてしまうのだろう。その秘密は「涙」にあるようだ。涙には二種類あって、感情からでた涙と物理的刺激(目に塵が入

つた時など)から出た涙だが、この二つは成分が違うそうだ。感情の涙の方が成分が濃く、べとべとしているという。つまり、物理的涙はただの洗浄液だが、感情の涙のほうは排泄行為であるということらしい。

なるほど、ね。失恋した時、耐える男の子よりも、わんわん泣く女の子のほうが立ち直りが早いのは、泣くことによって感情の全てを排泄し、すっきりしてしまうからだったのだ。

 となるとこのごろの泣き虫男たちも、別れの場面が来たら、昔の女達のように”排泄の涙”をふり絞るのだろうか。何だか冴えないね。おまけに「男は耐えて…」の体質が若干は残っているから女たちのようにわ

んわんとは泣かぬ。サメザメだろうな。あーあ、ますます冴えないね。おまけに、「思い切り泣いた。すっきり!」なんてことになると、全くらしくない話だ。

 いずれにしても「泣くオトコ」の出現で、今や涙は女の武器にはならなくなった。その結果、もはや偽りの涙を流す女の子は、魅力的でなくなる。

 これからは、映画を見て涙を流す男の子に黙ってハンカチを渡してあげ、泣いている男の子の肩をそっと抱き寄せ、「私の胸でお泣き」と言える女の子のほうが、モテモテの時代になるのかもしれない。
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娘がこの世で思っていたこと

2005年06月25日 15時10分50秒 | 娘のエッセイ
 娘は、平成11年9月27日に「○○病院」で精密検査を受けたところ「がん」と診断されました。しかも、入院の前日に記した「あなたは まだ若いから…」などの遺書を残して行くなんて……

 以来、「がん」と闘いながら入院生活を続けてきました。しかし、この結果に、悔しくて悔しくて…厳しかった226日間の入院治療に、気力、体力のすべてを消耗し尽くして、5月11日午後9時に、家族に看取られ

ながら、アッという間に、この世の命を閉じてしまいました。享年34歳でした。結婚生活2年目で、流産を原因とする、一万人に1人にも至らない難病の「絨毛がん」に侵されていました。

 入院中は、何度にも及ぶ「抗がん剤」の投与による、強度な副作用と闘いながらも、グチ、弱音ひとつ吐かずに、同じ部屋の人や、看護婦さんに時には辛口の、そして明るく言葉を掛けていました。

 節分の日には、看護婦さんたちが、「マメ」と書いた小さな紙を何個も作って、病室を訪れ、娘の、健康回復を願ってもくれました。

 また、娘の勤務先「○○の家(障害者)」の人達と、入院直前に撮った、生前最後のスナップ写真を、何時も見つめながら「早く仕事がしたい」「皆に会いたい」と言っていました。娘は、その望みを二度とかな

えることなく、いってしまいました。娘は、生前、エッセイ、物事を文字で表現することが、好きでした。入院当初は、小さなテーブルに向かいながらペンを走らせている姿を何度も見かけました。それは、日々の

症状、薬、治療などを克明に記していました。今は、残された遺稿を何とかまとめてやりたいと思っています。

 娘は、亡くなりましたが、娘は娘らしく、死んだ後にも、大きな仕事を、自分の意志でやり遂げていきました。

 それは、「アイバンク」への「角膜」の提供でした。このことは、娘が「○○の家」での仕事との関わりがそうさせたものと思います。私達家族は、その思いに満足しています。お二人の男の方の目が見えるよう

になったと聞いています。このお二人の目を通しながらこの世をカッポし、きっと、どこかで、みなさんに、そーっと、目線を送りながら皆様に感謝していることと思います。……

 娘が、二十台に数多くのエッセイを残していきました。娘の供養にも是非皆様に読んでいただければと思い「ブログの講習」を受けました。文字だけなら発信できるようになりましたので、これから逐次娘の思い

を娘に代わって送り続けたいと思います。





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このスモモはだあれ!

2005年06月25日 12時07分24秒 | シルバー社交ダンス風景
 参加者14名のフリーダンス。タンゴのウオークのところ時々すり足ですよ、体重が後ろに行っているね、ホールドでは顔が前に来てします人など、また個人レッスンを受けている方は先生から同じ指摘を受けるのと一度ついた癖はなかなか治らない。コーヒータイムでは、女性が多いと話の途切れることが無い。このスモモは○○さんの差し入れです。この白菜のおしんこは○○さんでーす。熱いお茶をすすりながら暑気払いはどうするーと気が早い。
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ご婦人達の話題

2005年06月24日 17時14分25秒 | シルバー社交ダンス風景
 午前参加者21名(内女性16名)午後参加者13名。汗を流しながらのレッスン後、昼食へ。足が痛いの・腰をちょっとひねったの、70歳を過ぎたら体力はがくんと違うわよとしばらくは各々の身体の具合を話題にしていたが、年金がこうよ、国民健康保険に隣の若い人加入してないの、あそこは家賃収入があるから月4万円以上払っているわよ、パチンコをやっている人の自慢話、三味線をやっている人の話、今度佐渡へ行くグループ同士の話、またロシアへ旅行するので二回ほど欠席しますと言う人など次々に話題は変化しよく口が動いているところにコーヒーが運ばれてきた。おーいママミルクが無いよー。ママのでもいいよー。私はね、もー…と会話は弾み次にカラオケをやろーと元気いっぱいの紳士淑女たちでした。

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ウオーク ウオーク

2005年06月23日 16時39分18秒 | シルバー社交ダンス風景
 ジャイブの練習、跳ねる気持ちでと言われるがステップがままならないのでリズムに乗った動きが出来ず皆それぞれの動き、ルンバでは音がとれず、プロでも難しいのですよと先生は慰めてくれる。タンゴでは、ウオーク ウオーク リンクをヒール、ヒール、そしてリンクはヒールから虫を踏みつける気持ちで踏むと。コレにあまり気がとられると足が先に伸びて体は後ろ。何事も基本基本。
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ブログ講習最終日

2005年06月22日 17時26分36秒 | Weblog
 最終日の今日は、「トラックバック」を中心に行ったが確実に理解するにはいたらなかった。
これからは、試行錯誤しながらブログの機能を自由自在に使いこなせるようにやっていきたい。
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