いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

一龍斎貞花講師師の「パール判事と東京裁判」の講談に触発されて!

2012年08月28日 07時57分28秒 | ハマ風は踊る
 一龍斎貞花師匠の熱演に触発されて、平成10年7月に私の起草文「プライド 運命の瞬間(とき)」(映画)を掲載してみる。

 街の灯りが とてもきれいね ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ…と昭和44年に歌った「いしだあゆみ」も今では演技派女優として活躍している。その彼女が平成10年5月23日から上映された東映映画「プライド 運命の瞬間」に東條元首相の夫人かつ子役で出演している。この映画は、勝者が敗者を裁いた「東京裁判」を素材にその矛盾を浮き彫りにし、一方的な断罪に異議申し立てて日本人の誇りを取り戻そうとするいわゆる「東京裁判史観(戦前のことはなにもかも日本が悪かったという歴史の見方)を批判したものである。

 しかしこの映画は、一般公開される前から問題映画だと批判されていた。例えば、まっ先に、制作会社東映の労組が東條をとり上げたということだけで反発、②5月9日・中国中央テレビは、「日本で侵略を美化し、東條英機の功労を賛美する映画が制作されたことに衝撃と憤りを覚える」、③5月15日・韓国の各紙は、「侵略戰爭の美化」「軍国主義への郷愁」「歴史のわい曲」等と報道、④5月15日・映画演劇労働組合総連合を中心に4月20日結成した「批判する会」は東映に公開中止を要請、⑤5月19日・日中友好協会全国本部(平山郁夫会長)は、歴史をわい曲するものとする「アピール」文書発表など、これらはいずれも時間的に見て映画を見た上での内容批判とは思えない。

 裁判の冒頭の場面で、アメリカの弁護人が、国際法では戦争による殺人は罪にならない。それを原爆を投下した者達が裁くとは!と発言したその時日本人の通訳が仕事の中断を命ぜられるという衝撃的場面があった。

 つまり戦勝国が敗戦国を裁くということ自体、裁判の名に値しない不公平なものだと言うところから、この映画は始まっている。マッカーサー連合国軍最高司令官は、昭和21年1月に「極東国際軍事裁判所条例」を公布し、①侵略戦争に関与した「平和に対する罪(A級)」、②捕虜虐待など「通例の戦争犯罪(B級)」、③迫害行為など「人道に対する罪(C級)」の三っを個人責任を問う犯罪とした。なお、B・C級戦犯裁判は、米国、英国、オーストラリア、オランダ、フランス、中国国民政府及びフィリッピンの7か国それぞれの国内法を根拠に実施されたが、米国を除き全て海外で行われた。

 昭和21年5月3日11か国で構成された、東条英機ら7人の「A級戦犯」に絞首刑の判決がくだされた東京裁判(極東国際軍事裁判)終結から今年で50年。そして、絞首刑を執行したのが平成天皇誕生日の昭和23年12月23日である。この裁判の判事でただ一人、全被告の無罪を主張したのがインドのラビダビノード・パール博士であった。

 東京裁判は、国際法に基づいて行われることになっていたにもかかわらず、11人の判事のうち国際法の法律専門家はパール博士だけだった。昭和21年11月12日全員に有罪判決が言い渡されたが、パール博士は個別意見書(パール判決)で『東京裁判が国際法に違反し、勝者が復讐の欲望を満たすため、単に法律的手続きを踏んでいるような振りをしているだけだ…』と全員無罪を主張したが、このパール判決は法廷で朗読を許されず、しかも占領中はGHQ(連合国軍総司令部)によって出版が禁止されていた。

 その後、東京裁判が違法であることを世界中の政治家や学者が認めるところとなった。博士は、裁判後国連国際法委員長などを歴任し、3回にわたって来日し「日本人よ、日本人に帰れ」と訴え続けた。特に、広島原爆犠牲者慰霊碑に碑文『過ちは繰り返しませんから』の意味を知って激怒した。「誰が誰に対して誤っているのだ」「原爆を落としたのは日本人ではない」「日本の子供達が罪悪感を背負って卑屈、退廃に流されていくのを見逃せない」などと東京裁判の影響を憂い続け、昭和42年にカルカッタで亡くなられた。

 平成9年11月京都霊山護国神社境内に博士の顕彰碑が建立され、除幕式に弁護士である長男(71歳)が出席し「博士は真っすぐに道を進むべく裁判に臨んだが、法廷は正義を否定した。だが彼の判断は歴史的なものだ。人は歴史をつくることはできても、変えることはできない」と訴えた。

 戦争が終わってからほぼ5年にわたって、国内外で千人を超える日本の指導者や兵たちは様々な形で命を奪われている。これは、平成10年6月15日「B・C級戦犯裁判」関係の外交文書が公開されたことによって、この50年間全く知られていなかったその実態が明らかになった。B・C級戦犯の悲劇を描いたテレビドラマ「私は貝になりたい」の原作者加藤哲太郎氏に対する起訴状も含まれていると言う。

 現在の日本の社会的混迷、歴史認識、教科書問題、反日の丸の偏向教育などの原点は、おしなべて『東京裁判』にあるとする声が大きくなりつつある。これらの問題がマスコミなどに登場したら、どの立場で報道しているのか、その内容を吟味し考えてみると世の中の流れが見えてくるかも知れない。これらを考える場合に『再検東京裁判』(小堀経佳一郎著・PHP研究所)が参考になると思う。
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「君が代」の由来

2012年01月03日 10時02分03秒 | ハマ風は踊る
 それは横浜! 1859年以降文明開化に彩られた横浜には、ビール、アイスクリーム、ガス灯など70種を超える発祥地とするものが記念碑とともに存在する。
 その内の一つに薩摩藩軍楽隊の寄宿舎だった妙香寺(中区)境内には、「日本吹奏楽発祥の地」と「国歌君ケ代発祥之地」の石碑がある。
また同山門前には「国歌君が代由緒地」との碑もおかれている。
 その由来は、横浜居留のイギリス軍楽隊長フェントンの「日本も国歌を持ったらどうか」との提言に薩摩藩歩兵隊長大山巌(西郷隆盛のいとこ)は平素愛唱していた蓬来山にある『君が代』がいいだろうとなった。
 歌詞「君が代」の初見は古今和歌集にある。
この歌集は905年に紀貫之らによって編まれ次の一首が収められている。
 わが君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで(詠み人知らず) この歌は、平安時代の頃から普及した祝い歌である。中世に第一句「わが気味」は「君が代」へと変転しながら全国に広がり、謡曲や神楽歌そして小唄・浄瑠璃・薩摩琵琶などに取り入れられ、貴族だけでなくあらゆる階層の人々に身近な祝い歌として親しまれてきた。
 薩摩琵琶の名曲とされる「蓬来山」は、島津家中興の祖、戦国武将島津忠良(日新公~じっしんこう・・1492~1567)によって作詞された。

「目出度やな 君が恵みは久方の 光り長閑き春の日に 不老門を立ち出でて 四方の景色を眺むるに 峰の小松に雛鶴棲みて 谷の小川に亀遊ぶ 君が代は 千代に八千代にさざれ石の 巖となりて苔のむすまで 命ながらえて…千草万木花咲き実り 五穀成熟して…」

と薩摩藩では賀歌として祝の席でよく歌われていた。また、薩摩藩士の郷中教育の基本書となる「いろは歌」や戦国時代の武士たちを弔うための六地蔵塔などを残している。
 加えて日新公いろは歌は「いにしえの道を聞きても唱えてもわが行いにせずばかいなし」に始まる47首の歌で、薩摩藩士に人としての儒教的な心構えを説いた忠良は明治6年に竹田神社に祭神として奉られている。
 「君が代」は、国連参加193ケ国中で最も短い歌詞であり平成年に法律で国歌と定められた。曲はフェントンが命じ年に作曲したが曲調に違和感があり明治13年に現在のメロディーとなった。毎年10月に妙香寺本堂で「初代君が代(横浜うた物語CDに収録)」を含む吹奏楽の演奏会が行われている。因みに昨年は、大西学園中学校・高等学校吹奏楽部と海上自衛隊横須賀音楽隊による「吹奏楽発祥の地」記念演奏会が行われた(横浜市中区妙香寺台8所在)。 
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カラー記念1000円銀貨~私の宝物と想い出~

2008年10月19日 15時30分17秒 | ハマ風は踊る
 「人生は朝露の如し」。70の大台を超えて自分の人生を振り返ってみると、今更のように「あっというまだったなぁ」と言う思いを深くする。幸いこの世に3億分の1の確率で生まれたからには、楽しく生きてゆきたいものである。

 若いときは仕事一筋で趣味は持ちにくいものだが何かのきっかけで何かに興味を持ちすこしずつ目で見耳で聞き知識を広めて行くことで自分の趣味が生まれてくる。

 私は仕事柄民法の身分法等に触れ法律、条文の成り立つ背景を知るにはその時代の社会状況を紐解く必要性を痛感したことから歴史に興味を持ち、そこから私の趣味が大きく広がっていった。

 事始は、鎌倉の海岸に現存する日本最古の築港遺跡「和賀江嶋」の探索から古銭、切手、陶器、山車、根付、道祖神、五百羅漢、釣り、えびね蘭、社交ダンスなどなどに連なり今では趣味が趣味を広げている。

 最近私が凝りだしたのは、宝物としての「カラー記念硬貨」の収集である。地方自治法60周年の記念硬貨を2008年度から47都道府県ごとに異なる図柄で、1年間に5自治体程度ずつ10年かけて発行される。

 因みに初回は今年6月に発行された「北海道・洞爺湖とタンチョウ図柄・1000円カラー銀貨」を抽選で1個取得した。

 2回目は今年9月に「京都・源氏物語絵巻の一部を図柄にした1000円カラー銀貨」ただいま申し込み中で発行数は10万セットである。

 平成18年12月に「国際連合加盟50周年記念・地球と桜花図柄・1000円カラー銀貨」も取得した。今後どんな図柄のカラー記念硬貨が発行されるが楽しみである。

 平成20年6月5日~8月31日の間横浜ユーラシア文化館及び横浜都市発展記念館に於いて「みんなでエキスポー小さな万国博覧会ー」が開催された。

 開催に当たり今年1月~2月にかけて「なつかしい昭和の想い出・異国の思い出・思いが詰まった宝物」の募集がありわたしもこれに応募し展示されることになった。出品の説明版では告ぎの様な紹介がされた。

         ラスター彩の陶器
 ペルシャ陶器に興味を持っています。鉢は、骨董屋で入手したラスター彩の陶器で、12~13世紀のものではないかと考えています。花瓶は、「輝き」という意味を持つラスター彩の技術を、人間国宝の故加藤卓男さんが30年かけて復元した作品です。両者の対比を、味わってもらえればと思います。と表記された。

 人間国宝故加藤卓男氏には、平成2年名古屋の松坂屋で作陶展が開催され先生の著書「やきもののシルクロード」にサインを頂いた。最近では「横浜の文士たち(国文学者笠原 實)」及び「横浜ハイカラ青年記(花・昆虫の細密画家熊田千佳慕・今年8月にNHK放映)」各氏のサインを頂いた。

 そして神田神保町街の古書店などを巡りかつ新聞などからペルシャ陶器に関する図書・記述、加藤先生の著書の大方を収集した。

 東京・日本橋の三越本店で開催された「古代ペルシャ秘宝展」に出品・即売された47点の大半がニセ物と昭和57年に各紙は連日大々的に報じた多くの資料にもであった。

 また「いまや日本は世界中のニセ物の『はきだめ』となりつつある」とも報じている。現在の偽装食品で揺れる日本は一体何なんだろうか。

 物事の小さなことにも驚き、感動し、喜び、時の流れに磨かれて肉体こそ衰えるが精神の老化を防ぐのは自分次第。これからも「夢を見て、夢を追いかけ、夢をくい」ながら宝物獲得への挑戦を続けてゆきたい。




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映画鑑賞は何時も1,000円!

2008年05月10日 08時12分31秒 | ハマ風は踊る
 昨日三度目にして映画「相棒」を鑑賞することができた。今日の観客は30人程度で相棒に二度振られた観客数は夢のような気が抜けた感じだった。今年で9年目になる「相棒」のTV放映。
 ボランティア活動で外国に居る日本人の青年が拉致され銃殺される映像が流れる。銃殺された原因が時の政府、外務省にあり「Sフアイル」として密閉された。それに気づいた人物がその開封を成し遂げようとする。今現実に起きている拉致事件にかかる社会問題を訴えているものと私は理解した。張った切ったのない心が吸い込まれる映像であった。
 日本人の海外旅行者は増えている。外務省も各国の治安状況を5段階に区分けして警告している。先日も二人の女性が拉致されたが幸いに何の事故もなく無事解放された。旅行者の自己責任か国の責任かと議論される。
 この映画を見ていて、日本がアメリカとの開戦通告が遅れたことが原因で「真珠湾奇襲攻撃」とされてしまった。情報伝達のタイミングにより大きな事件をそして悔恨を残すことになる。相棒も退去勧告の遅れから事件は発生している。
 毎日、TVをつけると長がテーブルの前で頭を下げている光景が映し出されている。情報の隠匿である。社会保険庁にしろ道路公団にしろすべてが情報の隠匿から始まっている。そのような意味でこの映画を鑑賞すると社会問題を相当に強く言及し今の日本のこの官庁などにおける秘密主義を鋭く突いていると感じた。
 映画鑑賞にはいろいろな特典が設けられている。
 通常、一般の料金は1,800円である。これが特典を使うと廉価で鑑賞できる。
 1 レイトショー(毎日20時以降の最終回)1,200円
 2 レディースデイ(毎週水曜日・女性のみ)1,000円
 3 ファストデイ(毎月1日)       1,000円
 4 夫婦の日&カップルデイ     二人 2,000円
 5 夫婦50割引(どちらか50歳以上の夫婦 2,000円
 6 高校生友情プライス3人以上      1,000円
 7シネマポイントカードデイ        1,300円と言った具合である。
 私達はシニア(60歳以上)ですので毎回が1,000円で映画鑑賞を楽しんでいる。
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娘との再会(不思議物語)

2007年11月14日 08時51分35秒 | ハマ風は踊る
 横浜の関内に「あじさい」というカラオケ店がある。
 友達に連れられてその店に行ってきたと、ダンス仲間の女性は次のように私に語った。
 友達はこの店でダンスを楽しんでいる。またカラオケ・ダンスなどを趣味とする男性が来ており、その方と女性は何度か踊っているうちに、いろいろな会話を交わすようになった。
 ある時、女性はその男性から、こんなものを書いていると、「シャンソンに魅せられて」「続・自惚れ鏡」「我が社交ダンス奮戦記」など、八百字に収められた署名入りエッセイの写し二十枚ほどを受け取った。
 平成19年8月24日。その女性が、「貴方は、自分史講座などに行かれているから興味があるかと思って」と、そのエッセイを私に手渡してくれた。
 そのカラオケ店の場所を聞くと、以前その店のママと多少縁があって、妻と私の友人を誘って行ったことがある店であった。が、今は経営者が替わって伊いるとのことであった。
 ダンスレッスン会場で、手渡されたエッセイの写しをペラペラとめくっていたところ、「青いペン15号参加作品」と記された文字が目に止まった。
 まさか!もしや!でも、あの、「青いペン」ではないだろう、とは思いながらも、胸の高鳴りを抑えることができなかった。
 ダンスレッスンを終えて早々に帰宅し、取るものも取り敢えず書棚にある「青いペン」5冊を取り出して、そわそわ、わくわくしながら著者名の確認に入った。
 「青いペン」は、あるエッセイ教室が年に1回程度、生徒のエッセイをまとめ、冊子として発刊しているエッセイ集の表題である。
 娘は、この教室に通っていた。エッセイの提出締め切り近くになると、夜中にもかかわらず原稿用紙に向かって、唇の皮膚にふれながら構想を練っている姿をよく目にしていた。文字数は八百字内と制約されての創作には、その構成に相当くろうしていたようだった。
 家にあるエッセイ集「青いペン」の1冊目には無い。二冊目・三冊目・四冊目にも無い。
 最後の五冊目を、祈るような気持ちでゆっくりゆっくりと、一つ一つ目次を追っていく。と、アッタ! アッタ!何と四十六番目に男性の名前とエッセイが登載されている。その男性の名前を何度も何度も確認しながら……、ウーン!と大きなため息が身体全体を突き抜けていった。この冊子には70名の方のエッセイが収められている。
 何と言うことか。娘が通っていたエッセイ教室と、その男性とは同じ教室でエッセイの作成に励んでいたことになる。
 このつながりは何と不思議なことだろうか。人との出会い、人とのつながりは、この世に存在するということだろうか。
 私は思う。やはりこの世には、人と人とを結ぶ「赤い糸」と言われる糸は存在するんだと言うことを。そして確かなことだと。だから通常あり得ないこと、想像し得ないことに人は遭遇するのだろう。

 「青いペン」に搭載されている娘のエッセイを転記してみる。

 好きな花は、なぁに?
 九月は私の誕生日だった。そこで私は淡い期待を抱きつつ、さりげなく事前に好きな花の名を彼に教えておいた。しかし、当日待ち合わせ場所に現れた彼は、
 「本当は花束も持ってこようと思ったんだけど、名前を忘れちゃってさ」
と言い、私の淡い期待は無残に打ちくだかれてしまった。日ごろ花とは余り接触のない男性にとって、トルコ桔梗という名前は難しすぎたんだ。そう自分に言い聞かせ、空しく自分を慰めるしかなかった。
 好きな花のアンケートを見ると、必ず一位は「薔薇」である。確かに薔薇はいい。花の女王様だ。蕾から始まり、咲ききるまでの間、どの時期をとっても、その姿は魅力的だ。そしてその後も、ドライフラワーやポプリにすれば、いつまでもその姿や香りを楽しむことが出来る。これだけ一本で楽しめる花は他には無い。
 それに、「好きな花は何?」と男性に聞かれた時、薔薇と答えておけば無難だからという理由もあるのではないだろうか?薔薇は男性にとって、覚えやすいし、わかりやすい。結果としてプレゼントして貰う確率も自然と高くなるはずである。
 けれど花好きな女性なら必ず、「薔薇」も好きだけれど、本当に好きな花は……」という花があるに違いないと私には思えるのである。
 三年前ほどのこと、私が通っていたフラワーデザイン学校で、ウェディングショーなるものを催した。場所は川崎の市民プラザである。数名の生徒がドレスを着て、生徒の作ったブーケを手に、しずしずと舞台を右から左へ……という企画である。私もそのモデルの一人に指名された。その時、私が持ったブーケは、トルコ桔梗のブーケと、デンファレと百合のブーケの二種類だった。私は特にどちらを……という意識もなく舞台の上を歩いた。そのつもりだった。ところが後でその時の写真を見、私は意外な発見をし、自分でも驚く。同じはずの私の笑顔が、トルコ桔梗のブーケの時のほうが断然にいいのである。
 たかが花の種類一つで笑顔の質が変わる私も私だが、やはり花の力は凄い!と感心する出来事であった。
 世の男性の方々、好きな人に思いを伝えるための花束を贈る……それは結構なことだけど、彼女が何の花が空きなのか、その辺の取材が欠けている気がするんです。いかが?だって花の好みは十人十色なんですから。
       (筆者は平成十二年五月にご逝去されました)

 慟哭の尽きる日々なし気高くもトルコキキョウを愛でし人ゆえ

 現世にあまたの珠玉ちりばめしトルコキキョウの麗しの精

 この短歌は、ダンス仲間のご婦人が「好きな花はなあに?」を表題とした娘の遺稿集を読まれた感想をこのように表現してくださった。
 娘は、結婚二年目で流産を原因とする病に侵されて享年三十四歳でこの世から姿を消してしまった。
 遺稿集は、娘がエッセイ教室で書きとめたエッセイのうち八十八編を収録し、娘の一周忌に、菩提寺そして縁者にお渡しし、お読みいただいた。
 平成十三年四月二十二日娘の一周忌のとき、菩提寺から墓地に向かう途中で珍しい自然現象に遭遇した。
 「横一線のにじ」が突然大空に現れたのである。四月二十三日付日刊紙にも、その状態のカラー写真が登載報道された。
 報道によれば、「水平環という珍しい現象で、高度5000メートル以上の雲の中で氷の結晶が太陽光を反射して起きる。」そして、埼玉県の熊谷地方気象台の職員は、「みることができた人は幸運です」と。
 エッセイを読んで頂いた喜びで、娘も天国で華やいでいることだろう。娘との間には、過去何度もこのような不思議な現象に、家族ともども巡り合っている。
 例えば、息子の嫁さんが入院していた病院では、出産手当が難しいからと、救急氏やで川崎方面の病院へ向かった。途中、横浜市大付属病院に特別室一部屋が空いているということで、急遽入院が決まった。ここから娘との関係が派生してきた。

① 娘はこの市大病院の裏手にあった愛児センターで産声をあげたこと。
② 娘は、けいゆう病院で亡くなったが、生前の娘の意志で角膜を提供し、そのこ  とに関わった医師は、この市大病院の方であったこと。
③ 市大病院入院三日目に帝王切開で798グラムと超未熟児の元也が息子の第三子  として誕生し、「未熟児網膜はく離」による手術を三度も行った。今では小学  校一年生として元気に通学していることは、娘の角膜提供行為によって網膜は  く離が治癒し、娘に守られたのだろうということ。
④ 平成十二年に開設された市大病院の産科医療は、横浜一の設備と人材を揃えた  最高の病院であったこと。
⑤ 娘はこの市大病院を眺望できる墓地に眠っていること。
⑥ 元也の母親が入室していた入り口には、普段ドライフラワーが飾られている   が、元也を残して母親が退院する日には、何故か、それにしても偶然に、娘の  大好きな「トルコ桔梗」の生花が飾られていたこと。
⑦ 生花のトルコ桔梗は、元也が入院中(143日間)は、「私が見守っているから  安心して退院していいわよ」との娘からのメッセージではないかと。
⑧ 庭にでたとき、お墓参りに行ったときなどに何処からともなくアゲハチョウが  私たちの周りをひらひらと飛ぶ蝶は、娘の化身ではないだろうかと……など。

 娘の法要時に現れたあの珍しい虹は、キット娘と再会するための、そして再会することができた虹の架け橋だったのだと、私ども家族は何時までも何時までもそう思い続けている。

 書きとむる言の葉のみぞ水茎の流れてとまる形見なりける
        新古今和歌集・按察使公通(あぜちのきんみち)

と、遺稿集の巻頭にこの和歌を書き添えて娘への供養とした。

 このエッセイは、ここで完結し、九月十六日に開かれた自分史講座において朗読し、感情が自然にこみ上げてくるなかで、皆さんに披露したところであった。
 ところが、九月十八日の朝、床から離れて庭の草花を眺めながら、家周りの清掃をと思い外に出たところ、隣家のザクロの木から落ちた大きな実が、三個路上にころがり、その先に一匹の蝶が横たわっていた。割れたザクロの実を片付け、その蝶を庭の草花の傍らに埋めた。
 なお家を廻ると、路上で何か動いているものが見えた。大きなミミズのようである。近づいてみたところ、二十センチ程のヘビの子が路面をくねくねと這っていたのである。
 一瞬ドキッとしたが、このままでは人に踏み潰されてしまうと思い、ヘビをほうきで塵取りに乗せ、空き家となっている隣家の庭へそっと放した。
 娘は、昭和四十年のヘビ年生まれで、九月二十三日は四十二回目の誕生日でもある。
 実は、九月十七日の日に、我が家に運び込んで三年になる娘の遺品、衣類・手紙・本などをやっとの思いで、妻と共に整理したところだった。遺品をせいりしたその日の夕方、私が網戸を開けて外へ出ようとした時に、突然、一匹のモンシロチョウが部屋に飛び込んできた。
 モンシロチョウは、部屋を通って妻の居る台所へ……そして妻の周りをひらひらと……
 このあまりにも不思議な十六日・十七日・十八日にわたって起きた現象を「娘との再会」のエッセイに追記しようと、パソコンの前に座ったところ、今度は、金網越しにアゲハチョウがひらひらと舞っている。

 ああー なんということだろうか!
 あまりにも不思議なことばかり。
 娘は、蝶々に化身したのだ!

 今、娘の部屋には、美しい女性を描く画家で、夢二との共通性を持つエルテ(ロシア生まれ)作の、シルクスクリーンに色彩輝く二枚の大きな女性像の絵が飾られている。
 この絵は、独身時代の娘が惚れ込んで、三年月賦で購入した遺品のひとつで、「エルテ」画集に収録されている絵でもある。




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私の名刺

2007年09月05日 08時37分35秒 | ハマ風は踊る
 水戸市・伊東市・名古屋・臼杵市・骨董市・ペルシャ陶器・美濃焼・織部・からくり・山車・投げ釣・へそ石・化石・ひすい・地えびね・すみれ・トルコ桔梗・柴犬・デジカメ・パソコン・社交ダンス・アコーディオン・雨の東京・望楼の果てに・十区の春。
 これは私の名刺のうらに印刷してある文字である。最近はあまり日の目を見ることがなくなった私の名刺だが、初対面の人との会話の端緒にでもなればとの思いから名刺の裏面を活用したものである。
 最近、ある方が名刺の裏に「言葉が変われば、行動が変わる!行動が変われば、習慣が変わる!習慣が変われば、人生が変わる!」と印字しているという文章に接した。
 私にはこの文言に似た好きな言葉がある。「継続は何事にも勝る力なり、思いは行動となり、行動は習慣となり、習慣は品性となり、その人の運命を決定する」この文言を自分の名刺の裏に引用しようかとも思ったが、内容があまりにも高尚で硬い印象を与える。
 それなら自分の趣味などを表した方が気楽でよかろうと思い、自分自身にかかわる色々な事柄をランダムに並べてみたのが今の私の名刺の裏面である。
 人との会話では、「木戸に立ちかけせし衣食住」を織り交ぜて話を進めるとよいと言われている。「気候」の話をきっかけに「道楽(趣味)」「ニュース」「旅」「知人」「家庭」「健康」「世間話」と話題を移し、初めて仕事に触れる。そして衣食住にと。会話というものは不思議なものでひとつの話題から次から次へと話が踊り輪を広げていくことである。
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10年前のペルー事件

2007年05月16日 10時44分45秒 | ハマ風は踊る
 平成9年4月24日。127日目にして、ペルーの日本大使館公邸占拠事件は、特殊部隊による見事な救出作戦で解決した。日本政府は「人命尊重」「速やかな平和的解決」「対話路線」を唱えていたが、具体的解決策の提示はなかったようである。
 対する、フジモリ大統領は、「国民が安全に住めるようにする義務がある」として、テロには屈しないという大原則のもと、断固とした決断力、陣頭指揮の行動力を持って実行し解決した。また、日本政府に連絡しなかったのは『国家』の安全を考慮してのことであると発言された。この事件(戦争)処理を通して、両国の「国家観」の違いを浮き彫りにした。フジモリ大統領は、解放された人達の先頭に立ち、バスに乗りながらペルー国旗を掲げ、活躍した特殊部隊は大統領の前で国家を歌った。
 きしくも、日本の政治家が、その相違するところを示してくれた。それは、「保・保」の動きを批判した加藤紘一自民党幹事長の発言であった。
 曰く「中曽根さんたちとは、世代が違い、使う言葉の好みが違う」「中曽根さんたちは、国家と言いたくなるし、わたしたちは国民といいたくなる。先に国民の生活や幸せを考えていくのと、まず国家があることを前提に、個人の意見を抑えるという、ニュアンスの差だ」と。色々な意味で、大勲位菊花大綬章を受章された中曽根康弘元首相は立派である。
 平成9年4月12日付読売新聞「地球を読む」のコラムで、中曽根元総理の次のような考え方が掲載されていた。
「行政改革以上に大事なことは教育改革である。今日諸般の改革をしなければならなくなった根本は、戦後教育の誤りである。その教育改革の一番基本は、教育基本法の改正である。その中身を見ると、人類、平和、自由、民主主義という言葉はあるが、国家、民族、文化、歴史、家庭という言葉はない。」と。そして、「最近の若い政治家の著書を見ると、共同体という概念が希薄である。従って、歴史、伝統、文化に対する思いが少ない」と。また、首相当時、フランスのミッテラン大統領と約2時間、食事をはさんで濃密な東西の文化談義を行ったことが報道された。
 そこで思い出されるのは、平成7年に村山首相、河野外相、橋本通産相(元首相)とシラク仏大統領との昼食会で、親日家の大統領がお三方を相手に日本の古代史から蒙古来襲、ジンギスカンと義経の関係、芭蕉没後300年祭など日本文化を話題にした。
 この時、大統領と対等にやりあったのは、橋本通産相だけだったとか。村山さんも河野さんも黙して語らずだったそうです(パリ支局山口昌子記者の取材)。
 ところで中曽根元首相は、これから日本が持つべき哲学として、
  第一に自然主義…自然を尊び、自然と共存
  第二は歴史主義…民族と伝統と歴史を大事に
  第三は科学主義…合理主義の保持
  第四は宇宙主義…命の中身は、DNA等を通じ先祖代々さかのぼる無限の彼方から与えられた。無限に前進するところに各々の目標が生まれ、理想や希望が発生すると説いている。
 平成9年は日本国憲法制定から50年。地球上には今、191ヶ国が存在している。そのうち成文憲法を持たない9ヶ国を除く182ヶ国中、一言一句改正されていないのは日本国憲法だけであることから実質世界最古の憲法となる。因みに世界で最も古い1787年のアメリカ合衆国憲法は18回、スイス119回、ノルウェーは139回も改正している。日本と同様の敗戦国ドイツは43回、イタリアも6回改正している。
「憲法改正の是非について」衆参両院議員752人中465人のアンケート結果は、是とするものが自民党76%・民主党26%・公明党44%などで若い世代ほど改憲志向が強いと分析していた。
 今回の事件解決までの経緯を見て、日本にもペルー大統領のように、正義のためには己を捨てる覚悟を持った政治家の出現を期待したい。平和ボケの終焉を願う!

 以上の文章は平成9年に「ペルー日本大使公邸占拠事件」に触発されて書き留めていたものである。
 10年後のこの平成19年はどのような状況下にあるだろうか。
平成19年5月14日に憲法改正手続きを定める「国民投票法」が成立した。そして「ちょんまげを結い、とてつもなく太った男たちの戦いのどこに魅力があるのか。知的なスポーツとはとても言えない」と相撲を酷評したサルコジ氏が仏大統領として近く就任する。慰安婦問題の当事者河野洋平氏は衆議院議長にいるこの異常さであり、安倍晋三首相が靖国神社への供物奉納を「出したか出さないかは申し上げない」の発言に「これだけ大きな政治問題で行動したときに言わないのはおかしい」などとどこの国に顔を向けているのかわからない幼児性丸出しの加藤紘一氏を中曽根元総理(89歳)の言動と比較すればそのことは一目瞭然である。そして、政治理念が見られぬ新YKK(山崎拓・加藤紘一・古賀誠)と呼んで喜んでいる旧態依然とした政治姿勢の持ち主たちには呆れる。
 フジモリ元ペルー大統領は、国へ戻れない状況にある。この10年で大きく変わったもの変化しないものそれぞれあり”祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり”といずれにしてもこの世の中何らかの変化を水の流れのごとく移り変わっていく。
 同じ変化をするならば、良い方向に変わって行きたいものである。その意味でも今後の安倍晋三総理のリーダーシップに日本の未来と前進に期待するところ大である。
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シウマイといろは四十八文字

2007年05月08日 12時09分23秒 | ハマ風は踊る
 やっさもっさ
 格差問題が何かと問われている今日日。方やインターネット専業証券大手五社の2006年の売買代金は初めて200兆円を越えたとの景気のいい報道があった。上場企業の株は、2009年から電子化され、売買や管理はすべてコンピュター処理になる。
株ばかりではない。電子マネーや電子チケットの普及が進み、お金も資産もペーパーレス化と技術は進歩して、私たちの生活環境は急激な変貌を遂げていくようだ。
 ひるがえって、今のところ株券の所持が命と言われているこの一昔前の株取引の実態については、週刊朝日に『大番』と題して兜町を舞台に小僧から成上がった元証券会社社長をモデルにした物語が、昭和31年~33年に亘って連載された。
 その主人公は、通称ギューちやんと呼ばれ、週刊誌連載中から実に4回も映画化され大人気を博した。
 この経済小説の作者は、横浜生まれの獅子文六氏で、食通でも知られている作者である。著書には、『私の食べ歩き』『飲み食ひの話』『飲み・食い・書く』『食味歳時記』など、食に関するエッセイを数多く執筆されている。
 アジの味・煮ざかな・おでん・枝豆・バナナの皮など題材は豊富である。その文中で「私は、日本酒とブドー酒が好きなごとく、りょうりは、日本料理とフランス料理が口に合う。」と語っている。
 その獅子文六氏は、毎日新聞に小説『やっさもっさ』と題して昭和27年2月14日~8月19日の間188回連載し、挿絵は宮田重雄氏が担当していた。その物語の中に「シウマイ娘」が登場するのである。
 私が初めて横浜の名物、シウマイの存在を知ったのは、昭和29年水戸から関西への修学旅行の時でであった。団体列車が横浜駅に近づくと、友達が「おーい。名物のシュウマイを買うぞ」と叫んだ。その声で周りの友達は衝動的に買い求めた。 「シウマイ娘」が横浜駅に登場したのは昭和25年8月15日とされている。修学旅行時に横浜駅でシウマイを求め食した時の味も、シウマイ娘の姿もその記憶も当の昔に走り去ってしまった。
 旅の途中、列車の中で駅弁を味わうのは楽しみの一つであった。今、プラットホームに立って売る姿は見かけなくなった。少し古い数字だが昭和63年現在で、359の駅で駅弁を売っていたが、プラットホームでの立ち売りがあるのは、その内わずか89駅だったと。
 駅弁の立ち売りが消えたのは、新幹線をはじめ、特急や急行列車の窓が開けられなくなったのが大きな原因であるらしい。駅弁を売るのも買うのも30秒からせいぜい3分間の停車時間が勝負であり、これがまたスリルのある旅の楽しみの一つでもあった。加えて「駅弁の売り声」には、それぞれ駅のそして地域の特色がある。その売り声を採集した著者は、多くの駅弁の売り声を紹介している。その一部を記述してみる。

 駅弁の売り声
・長万部駅…もりそば もりそば もりそば もりそば
・青森駅 …弁当弁当 ほたて釜めし 弁当弁当釜めし
・北上駅 …天ぷら弁当 天ぷら弁当 アツアツの弁当
・仙台駅 …エー皆さん 仙でゃあには このように うめえ弁当がいっぴゃあ ごぜえますので 是非食べに 来てくりゃい!
・宇都宮駅…弁当弁当 おにぎり弁当 おにぎり弁当 おにぎり弁当
・横川駅 …弁当弁当 峠の釜めし 熱い弁当 お茶お茶 お弁当お弁当
・長岡駅 …弁当 お寿司はいかがですか お茶もありますよ 弁当 お寿司はいかがですか お茶もありますよ
・東京駅 …お弁当に お茶に シューマイは いかがでしょうか(車内)
・横浜駅 …元祖シューマイ弁当は……
・高山駅 …1日3個の 限定限定 うめえょ(その名は「地酒弁当酒蔵」)
・篠山口駅…天然イノシシ イノシシのボタンめし えー熱いお茶に イノシシ弁当 丹波笹山名物 イノシシの本場 天然イノシシ ボタンめし
・姫路駅 …弁当弁当弁当弁当 いらっさいいらっさい 弁当弁当 いらっさいいらっさい

 愛知県在住の著者服部勇次氏によると、駅弁の売り声で一番長いのは京都の「篠山口駅」であったと語り、著者は全国の8,666駅を訪れて駅弁の売り声を録音、採譜し、本にまとめている。

 シウマイ娘
 横浜駅のシウマイ娘の売り声が取り上げられているのかは不明だが、獅子文六氏によって『やっさもっさ』の小説のなかでその状況が記述されている。それは毎日新聞の昭和27年4月23日と24日の両日に亘り「シウマイ娘」の画とともに売り声などが紹介されている。
 「シウマイ・ガールという商売。エンジ色のシナ服を着て、応召兵のように、肩からタスキをかけ、それに、赤く『シウマイ娘』という字が、書いてある。肘に、商品を入れたバスケットをかけ、列車の窓に向かって、『エー、名物のシウマイ、お召しになりませんか』……本給4千円に、売り上げ3分の歩合がついて、勤務時間7時間ー決して、悪い職業でない。……」と、その状況が描写されている。
 シウマイの発売元「崎陽軒「は、明治41年6月に創業された。「崎陽軒」という名称の由来は、横浜駅の構内で雑誌、お菓子、パン、牛乳など雑貨類の販売権を所有していた長崎出身の久保家から、その営業権を承継するにあたり、縁のある前所有者の出身地長崎にちなんだ名称をということで「崎陽軒」とされた。つまり「崎陽」は、長崎の一種の別名であるという。確かに長崎県の電話帳をめくってみると、崎陽経営懇談会・崎陽軒・崎陽工業・崎陽電気・崎陽製造所など、崎陽を冠した企業を多く確認することができた。
 関東では馴染みの薄い崎陽軒の読み方を当初は、「さきようけん」と、ずいぶんと間違われていたようだ。そのようなことは、例えば「田原坂」をタバルザカと九州では読むし、宮崎県の東国原英夫(そのまんま東)知事の読み方も「ひがしこくばる」と読まれるように。
 そこで「キョウケンノシウマイ」と仮名を振ったところ「珍しいものがあるものだ。俺は豚肉のシウマイはくったことがあるけれど、狂犬のシウマイは食ったことがない」とからかわれたという。「キョウケンと狂犬」をひっかけたウイットに富んだ話題である。今は、「きようけん」とひり仮名されている。
 通称「シューマイ」だが、横浜の崎陽軒のシウマイは何故「シュウマイ」「シューマイ」「しゅうまい」「焼売」でもなく、「シウマイ」として商標が登録されたのか。この四文字に収まるまでの経緯はいろいろとあったようだが、中国人の発音「シャオマイ」を文字にすると、「シュウマイ」より「シウマイ」のほうが中国人の発音に近いということで落ちついたらしい。
 崎陽軒の一大飛躍のきっかけになったのは、この「シウマイ娘」の登場にあったようだ。そのヒントになったのが、昭和25年に新発売になったタバコのピースキャンペンガール「ピース娘」にあったと初代社長は回顧されている。
 毎日新聞に連載された『やっさもっさ』の小説内容は、当時の終戦直後の横浜の女性、進駐軍の兵隊を相手にする女性、その結果生まれてきた混血児たちを養育する女性たちなどの一人として、シウマイ娘が登場する。このシウマイ娘は、プロ野球選手と恋をした。それも列車の窓越しに恋を語る。この物語が映画となり全国的にヒットした。昭和28年のことだった。この映画を通じて「横浜名物崎陽軒のシウマイ」の名前が全国に広がっていった。

 ひようちやん
 シウマイを食べるときにはしょう油をつける。崎陽軒では白焼きの磁器にしよう油をつめその器を瓢箪型にした。昭和30年ごろである。この瓢箪型入れ物を鎌倉在住の漫画家「フクちゃん」を画いた横山隆一氏が見て、「私がこれに目鼻をつけてあげよう」と、笑っている顔・怒っている顔・べそをかいている顔・楽器をもっているもの・本をもっているもの・ペンをもっているもの等など、さまざまな表情が画かれた。横山隆一氏は、この瓢箪型入れ物に「ひょうちゃん」と名前をつけた。これがまた多くの評判と話題を呼んだ。
 この数々の表情を持ったひょうちゃんは、全部で何種類作られているのかと、購入者からの照会が相次ぐようになった。崎陽軒の話によると、「いろは四十八文字」にちなんで48種類作られたのが一代目とのことである。そして、二代目は、イラストレターの原田治氏によって昭和62年に、崎陽軒創立80周年を記念して80種類の表情を持った「ひようちゃん」がつくられているという。
 以前我が家にも多くのひようちゃんを保管してあったが、「改築のときに全部捨ててしまいまぢた」と、内心ガッカリする妻の返答であった。残念である。当初は、知り合いの助産師の方から頂いた絵柄の異なる四角型のひょうちゃんが5個であったが、今ではシウマイを買ったり友達から頂いたりして現在その数82個である。私の趣味の一つとして、一代目・48種類、二代目・80種類を蒐集しようと張り切っている。

 広告宣伝
 崎陽軒では、常に新しい商品の開発に努められている。長期保存可能な「真空パックシウマイ」、販売拡充を狙った「シウマイ年賀状」、贈答用の「特性シウマイ」、電子レンジ対応の「レンジパックシウマイ」等など、21世紀に向けて同族企業ととは思えぬチャレンジ精神と先見性を持って営まれている。同じ同族企業でも、「ぺこちゃん」の愛称で知られ、横浜元町を発祥の地とする「不二家」の不祥事には何ともやり切れないものが或る。
 崎陽軒のシウマイの特色のひとつに「冷めてもおいしい」ということがある。崎陽軒では、この特徴をとらえて、社員の結婚式でのスピーチでは大いにシウマイの宣伝に努めている、とのことである。
曰く「崎陽軒のシウマイのような夫婦になっていただきたい。夫婦仲というものは、結婚当初は人も近寄れないくらい熱いが、いずれは冷めてしまう。しかし冷めた時にも独特の風合いがある。崎陽軒のシウマイというのは、大地の上で取れた豚肉と、海の底で獲れたホタテの貝柱という、別々に育った二つのものが一つになってお互いの味を引き立て合って独特の風味を出す。だから冷めてもおいしい。このような夫婦になってください」と、しゃれたお祝いの言葉である。また、テレビコマーシャルソングも存在する。

 シウマイ旅情      作詞:伊藤アキラ 作曲:越部信義

1 旅の窓辺の 想い出は
 ふたりでひらいた シウマイの
 ひとつひとつの 物語
 あのシウマイは 崎陽軒
 あの時のふたり
 今のふたり
 おいしいシウマイ 崎陽軒

2 きみが歌った 旅の歌
 ことばをうつした シウマイの
 赤いきれいな つつみ紙
 あのシウマイは 崎陽軒
 あの時の歌を
 今も歌う
 おいしいシウマイ 崎陽軒

3 旅に出るたび 思いだす
 なかよくつまんだ シウマイの
 味とふたりの 約束を
 あのシウマイは 崎陽軒
 あの時のように
 きょうもあすも
 おいしいシウマイ 崎陽軒

 そして、平成19年2月19日、テレビ朝日で放映された「全国おいしい人気の駅弁サイト100ツアーガイド厳選」では、崎陽軒の「シウマイ弁当」が見事第三位にランクされた。なお、大船駅の「特上鯵の押し寿司」も第十六位と健闘している。ちなみに、第一位は、富山駅の「ますのすし」、第二位が横川駅の「峠の釜めし」であった。
「いろは四十八文字」。これは、漫画家横山隆一氏によって画かれたひようちやんの絵柄模様の数である。
 私もこれに似たような揮毫を持っている。それは、「ブログ」の表題「いろはの踊る」である。この言葉でけんさくしていただくと私のブログがでてくる。「いろはに踊る」の記号は、言葉の原点であるいろは文字と、ダンスはいろいろなステップで踊ることをもじって「いろはに踊る」として平成17年6月に七つのカテゴリーを設けてブログを開設した。ブログは、インターネットを意味する「ウェブ」と記録を意味する「ログ」を合わせた造語で、日記形式の簡易ホームパージと言われている。
 私のブログには、搭載した文章の後に「スポンサーリンク」が設けられている。大体ひとつの文章に三社くらい会社の宣伝したい項目が掲載され、私の文章を読まれた方がこの広告をクリックしてくださることにより、広告宣伝が出来るという新しい高校媒体方式である。この広告をクリックしていただくことによって、私にも大きなメリットがある。
 株式の売買には到底及ぶものではないが、ワンクリックしていただくことで3円ほどが私の収入となる。平成18年11月から始まったものだが、現在の私の収入額は723円となっている。この他に商品などについて二百字 程度のコメントをすることで、1社あたり100円から300円の収入が生じる方式もあるが、登録はしてあるが今のところ私は取り組んでいない。
 私のブログは、日常的な事柄を主体に、思うがままに気の向くままに記述している。これがまた私のストレス発散の場所にもなっている。これからも気楽に言葉の踊りを楽しんでゆきたい。

 私のキャッチフレーズ
 「シルバー社交ダンスの風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい」
 私のブログ「いろはに踊る」へのお立ち寄りを心からお待ちしております。

 本日の産経新聞によると、4個5,000円のシウマイが崎陽軒と映画「女帝」とのタイアップで売り出されるとの報道があった。19日からの発売で1日5セットの限定販売とある。是非とも試食したいものである。 
イブ 

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古希記念同窓会

2006年11月30日 10時06分39秒 | ハマ風は踊る
 昭和27年3月中学卒 卒業生452名。5年ぶりの同窓会が過日開催された。当日は91名(恩師7・男41・女43)が参集し、それぞれが還暦を無事に越え、古希を迎えた人達である。
 「人生七十古来稀なり」が集いお互いの健康を祝し、近況などを語らいながら旧交を温めるなど懐かしいひと時を持つことが出来た。これも、当会には永久と称する会長が存在しその陣頭指揮の下、10組あった各クラスに2名の幹事を配置しての運営の賜物である。
 生まれて七十年も経つと故郷もおのおのの人生も様々な変遷が刻み込まれていく。同窓生の消息は、幹事の話によると住所不明者は125名・物故者47名で、卒業生の28%が音信普通ということであった。
 おのおのが寄せた便りから様々な人生模様をうかがい知ることができた。
☆ 8月にシドニーオペラハウスで日本の歌をコーラスで発表してきました(75歳 恩師・女)
☆ 一人身となり老人ホームで生活しております(77歳恩師・男)
☆ 年金生活です・行動範囲が狭くなりました・人工透析の体に・老々介護のた  め・現役でサービス業に・地域ボランティアと忙しく・車椅子の身・ゴルフ練習 場でパート・病気療養中・海外旅行中・腰痛、眼科の医者通い・脳梗塞になりま した・十分楽しい生活を満喫・今は趣味の世界に・銀座でパンフラワーの作品展 のため・合唱連盟の仕事に・難聴のため・水資源確保の為の森林活動(工学博士 の人)・独居老人の生活にもなれ(市内でも有数のお嬢様育ちの人だった)・孫 の運動会のため・9人の孫に振り回され・要介護5の身の上……など(以上同窓 生)
  私は「毎日シルバー社交ダンスに興じ【自分史】作成に挑戦しながら日常生活をエンジョイしています……」と寄せた。
 当時の先生方は若く私の担任は、大学を出たばかりの23歳であった。その分、学校には熱気が満ち溢れていた。その彼方の想い出のなかで忘れられない記憶が私には二つある。
 一つは、休み時間中(10時頃)に弁当を食べているところを担任に見つかり校長室でビンタをくらい床に正座させられた。仲間は私を含めて8人であった。
 二つ目は、各経科目の学年統一試験結果を順位100番までの氏名と点数を書いて廊下の壁に張り出されたことで、私の最高順位は国語の3番であった。度々統一試験があり廊下に張り出された壁紙の記憶は、青春の思い出をいろいろと引き出してくれる貴重な私の玉手箱である。
 初恋の人? 手紙を交換しあった彼女とも巡りあえた同窓会。郵便受けにあった彼女からの手紙を母親に見つかり「どのような人か」と説明を求められたこともあった。郵便受箱んp気配が気になっていたあの時期が私の青春の始まりであったようだ。「心のときめき……」いい響きだなー
 その母親には、縁側で母の膝に頭を置いてよく耳掃除をしてもらった。今は、母と同じように妻にしてもらっている。これが何とも気持ちよく極楽気分を味わえる私の贅沢のひとつである。
 今、生存していれば、父108歳・母は98歳で20年ほど前になくなった。里帰りは毎年1回の墓参で、6人兄弟であったが、今は兄・妹たちと酒をを酌みながらの昔話に花が咲く。お袋が存命中は、私の好物、唐辛子のしそ巻・赤飯・なす料理などを作って待っていてくれた。今は兄嫁がお袋と同じ味で私の帰省を待っていてくれる。
 同窓会もみんなで想い出の歌「白い花の咲くころ」「青い山脈」そして「校歌」を歌い5年後の75歳での再会を誓って三々五々会場を後にした。
 【校歌】
    阿武隈の青き遠山 
    那珂川の清き流れを
    見はるかす城あとここに
    集いたる関東の子ら
      その男の子ひとみは黒く
      少女子のこえ冴え冴えし
    ……
 母校は、水戸(水府)城本丸跡にあり眼下には那珂川がゆったりと流れる風景が眺望できる。そして、二の丸、三の丸には、それぞれ高校があり今でも緑地に包まれた文教地帯となっている。
 当時の通学は、1841年に創設された水戸の藩校「講道館」の門に残る弾痕をそして講道館を眺めながら水戸学を語る歴史のなかを自由に横断していた。今、思うと何と贅沢で心豊かな通学路であったことだろう。
 この故郷を後に、列車の座席に深々と腰を下ろし移り行く車窓を眺めながらゆっくりと独りワンカップを口にした。シュッシュツポッポッと蒸気機関車が黒煙をあげながら上野駅に向かった乗客の一人であったころを思い出しながら、そんな思いのなかからふと、明日はダンスパーティーの幹事役であることを思い出した。
 同窓会を開催した幹事の方々から受けた心配りを糧に、私も参加者に十分「ダンスを楽しんでもらおう」と肝に銘じながら、会場の準備・受付・会の進行・開会宣言・来賓紹介・音楽の操作・親交ダンス・ぶっけ本番で妻とのトライアルで踊るワルツのステップ・抽選会などと思い巡らしているうちにいつの間にか夢の中へと引き込まれていった。

 後日、クラスごとの写真が送られてきた。妻から「初恋の人」はどの人と……
そして、この文章のお袋の話の段は「初恋の人とのカモフラージュのために挿入されたものです」と予想外の反撃を食らってしまった。


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改めて映画「プライド」を思う

2006年07月22日 09時08分44秒 | ハマ風は踊る
 8年前の平成10年に上映された「プライド」に関連して私の記述を再現してみ
たい。

 街の灯りが/とてもきれいね/ヨコハマ/ブルー・ライト・ヨコハマ…と
昭和44年に歌った「いしだあゆみ」も今では演技派女優として活躍している。
その彼女が平成10年5月23日から上映された東映映画『プライド運命の瞬間』
に東條元首相の夫人かつ子役で出演している。この映画は、勝者が敗者を裁
いた「東京裁判」を素材にその矛盾を浮き彫りにし、一方的な断罪に異議を
申し立てて日本人の誇りを取り戻そうとするいわゆる「東京裁判史観(戦前の
ことは何もかも日本が悪かったという歴史の見方)」を批判したものである。
 しかしこの映画は、一般公開される前から問題映画だと批判されていた。
例えば、真っ先に、製作会社東映の労組が東條を取り上げたということだけで
反発、②5月9日・中国中央テレビは、「日本で侵略を美化し、東條英機の功労
を賛美する映画が制作されたことに衝撃と憤りを覚える」、③5月15日・韓国
の新聞各紙は、「侵略戦争の美化」「軍国主義への美化」「軍国主義への郷愁」
「歴史のわい曲」等と報道、④5月15日・映画演劇労働組合総連合を中心に4月
20日結成した「批判する会」は東映に公開中止を要請、⑤5月19日・日中友好
協会全国本部(平山郁夫会長)は、歴史をわい曲するものとする「アピール」
文書発表など、これらは時間的に見て映画を見た上での内容批判とは思えない。
 裁判の冒頭の場面で、アメリカの弁護士が、国際法では戦争による殺人は
罪にならない。それを原爆を投下した者達が裁くとは!と発言したその時日本
人の通訳が仕事の中断を命ぜられるという衝撃的な場面があった。つまり戦勝
国が敗戦国を裁くということ自体、裁判の名に値しない不公平なものだという
ところから、この映画は始まっている。
 マッカーサー連合国軍最高司令官は、昭和21年1月に「極東国際軍事裁判所
条例」を公布し、①侵略戦争に関与した「平和に対する罪(A級)」②捕虜虐
待など「通例の戦争犯罪(B級)」、③迫害行為など「人道に対する罪(C級)」
の三っを個人責任を問う犯罪として示した。
 なお、B.C級戦犯裁判は、米国、英国、オーストラリア、オランダ、フラン
ス、中国国民政府及びフイリッピンの7か国それぞれの国内法を根拠に実施さ
れたが、米国を除き全て海外で行われた。
 昭和21年5月3日11か国で構成され、東條英機ら7人の「A級戦犯」に絞首
刑の判決が下された東京裁判(極東国際軍事裁判)終結から今年で50年。
そして、絞首刑を執行したのが平成天皇誕生日の昭和23年12月23日である。
この裁判の判事でただ一人、全被告の無罪を主張したのがインドのラダビノー
ド・パール博士であった。
 東京裁判は国際法に基づいて行われることになっていたにもかかわらず、
11人の判事の内国際法の専門家はパール博士だけだった。昭和23年11月12
日に有罪判決が言い渡されたが、パール博士は個別意見書(パール判決)で
『東京裁判が国際法に違反し、勝者が復讐の欲望を満たす為、単に法律的手
続きを踏んでいるような振りをしているだkrだ…』と全員無罪を主張した
が、このパール判決は法廷で朗読を許されず、しかも占領中はGHQ(連合国軍
総司令部)によって出版が禁止されていた。
 その後、東京裁判が違法であることを世界中の政治家や学者が認めるところ
となった。博士は、裁判後国連国際法委員長などを歴任し、3回にわたって来日
し「日本人よ、日本人に帰れ」と訴え続けた。特に、広島の原爆犠牲者慰霊碑
の碑文『過ちは繰り返しませぬから』の意味を知って激怒した。
「誰が誰に対して謝っているのだ」「原爆を落としたのは日本人ではない」
「日本の子供達が罪悪感を背負って卑屈、退廃に流されて行くのを見過ごせな
い」などと東京裁判の影響を憂い続け、昭和42年カルカッタで死去した。
平成9年11月京都霊山護国神社境内に博士の顕彰碑(靖国神社にも?)が建
立され、除幕式に弁護士である長男(71歳)が出席し「博士は真直ぐに道を進
むべく裁判にいどんだが、法廷は正義を否定した。だが彼の判断は歴史的なも
のだ。人は歴史をつくることはできても、変えることはできない」と訴えた。
 戦争が終わってからほぼ5年にわたって、国内外で千人を超える日本の指導
者や兵たちは様々な形で命を奪われている。これは、平成10年6月15日「BC級
戦犯裁判」関係の外交文書が公開されることによって、この50年間全く知らさ
れていなかったその実態が明らかになった。BC級戦犯の悲劇を描いたテレビド
ラマ「私は貝になりたい」の原作者加藤哲太郎氏に対する起訴状も含まれてい
る。
 現在の日本の社会的混迷、歴史認識、教科書問題、反日の丸の偏向教育な
どの原点は、おしなべて『東京裁判』にあるとする声が大きくなりつつある。
これらの問題がマスコミ等に登場したら、どの立場で報道しているのか、どの
立場で政治家等は発言しているのか、その内容を吟味し考えてみると世の中の
流れが見えてくるかもしれない。




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夢と自信に満ちた女性たち

2006年05月10日 08時52分00秒 | ハマ風は踊る
 ドイツの動物学者ヘッケル(1834~1919)曰く、生物の個体発生は系統発生を
反復する。つまり我々は、母親の胎内にいる10ヶ月ほどの間に、数億年の生物
の進化を早回しで追体験するのだそうだ。因みに、生物が海から陸に上がり、え
ら呼吸が肺呼吸に切り替わる際の苦闘のしるしが「つわり」だという。35億年
前、生命は海から生まれた。だから「海」という字の中には「母」がある。
 近年、日本人の平均寿命は、男女とも年々延びている。その平均寿命は、縄
文時代が約29歳で弥生時代以降ゆるやかに延びてきた。明治24年から31
年までの7年間では男性42.8歳、女性44.3歳で、男女共に50歳を越
えたのは昭和22ねんであった。そして、男女の寿命差が5歳以上になったの
は昭和50年(1975)で、それは毎年拡大の傾向にある。
 (財)岐阜国際バイオ研究所では、人間の細胞内にある「ミトコンドリア」
の遺伝子の塩基配列の違いが、人が長生きするかどうかに影響を与えていると
言う。塩基配列を大別すると「アデニン」を含むA型と「シトシン」を含むC
型があり、A型が成人病に強く、長寿であること。この塩基配列は、母親の配
列の仕方がそのまま子供に受け継がれるそうだ。
名古屋の長寿姉妹だったきんさん・ぎんさんは、A型遺伝子を持っていたそ
うで、この研究結果を英医学雑誌ランセットに発表した。
 また、生物が持つ一日の体内時計を働かせている遺伝子を東大医学科研究
所が発見したとの報道があった。それによると、生物の体内時計は、人で
25~26時間の周期を持ち、日中の光りなどとともに睡眠など体全体のリズムを
調整していると言う。
 そして、『時間医学がつくる自然治癒力(田村康二著)』によれば、生体リ
ズムは、ほぼ秒単位の脈動、ほぼ1日単位の睡眠と覚醒、ほぼ月単位の女性の
生理など生命と時間とには強い繋がりがあって、病気にも起こりやすい時間が
有ると言う。例えば、心筋梗塞、狭心症などの血管系の病気は朝方に発症しや
すく、がん細胞は夜に増殖し、胃潰瘍も夜進行する。がから抗がん剤も、時間
に構わずむやみに使うよりも、夜間に投薬すると効果が大きいそうだ。そして、
アメリカでは、ひざの裏に光りを当てると、眠りや目覚めなどの生活リズムを
刻む「体内時計」を遅らせたり、進めたり調節できることを突き止め時差ボケ
防止にも応用できるなどの報道があった。
 ところで、年々、時間のたつのが早く感じられるのは何故だろうか。時間の
長さは、年齢の逆数に比例するとの説がある。例えば、10歳の子供の1年間
は、それまでの人生の10分の1だが、50歳の人の1年は50分の1にすぎ
ない。それだけ時間の流れを早く感じ、50歳の1年は10歳のときの5分の
1にしか感じないと言うことだ。これは、年を取って新陣代謝が弱まり、体内
時計がゆっくり回るため、相対的に周囲の時間を早く感じるのだと言う。
 グリム兄弟(兄1785年生)が集めたドイツの民間話「グリム童話集」のなか
に、お馴染の「寿命」という童話が収められている。それは『神様がこの世を
作り、生き物の寿命を決めることにした。ロバや犬や猿に30年の寿命を与え
ようとしたが、生きている間の苦労を嘆き、それぞれ18年・12年・10年
に縮めてもらった。人間だけは30年では短すぎると、ロバなどの寿命を足し
てもらい、70年生きることになった。そして、人間は最初の30年間、健康
で楽しく人生を楽しみ、続くロバの18年は、次々と色々な重荷を背負わされ、
他の人に食べさせる穀物を運び一生懸命働いても殴られたり蹴られたり、次の
犬の12年は人間は隅っこに寝転んでうなるばかりで、物を噛む歯も抜け、最
後にくる猿の10年では、人間は頭がにぶくなり、ばかみたいになる。そして、
いろいろ変なことをして子供に笑われる』というものである。
 確かに年をとると、ぼけたり愚痴っぽくなるが、経験や知恵など老人にはそ
れなりの力を持っている。
 だが、近年の熟女のあのエネルギーはなんなんだ。シルバー社交ダンスで実
感している。この活力は持って生まれた遺伝子によるものなのか。最近、横浜
関内で昼間店を空けておくのは勿体ないと手料理による10人限定昼食を始め
た女将は、65歳を超えるも溌剌とし、好きなオペラのレッスンを受けている
と言う。
 アメリカの「ワーキングウーマン」誌では、『日本の女性たちは今、男性た
ちよりエネルギーと夢と自信に満ちている』と具体例を挙げて語っている。男
が今までの価値観で、家庭生活を犠牲にして、趣味も友達も持たない会社一辺
倒の往復生活を続けていると、パワーに溢れ、柔軟性に富んだ女性に見放され
かねない。
 夫婦は、それぞれが確かな生きがいを持って過ごしたいものである。
来週の、5月14日は母の日です!
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アーロン捕虜収容所

2006年03月30日 13時20分09秒 | ハマ風は踊る
 過日、ある週刊誌に「荒川静香は卑怯な女王」なる見出しに、NYタイムズ・
NBCほか猛烈批判続々とあり、もしや人種差別かなと思い、その週刊誌を購
入した。
 その内容は、「荒川はライバルが転んだからタナボタで優勝できた」「荒川
は自分の演技の後、選手たちが自分の点数を抜けないのを見るたびにコーチと
ともに控え室で笑っていたところをカメラは映し出した」「荒川はクリーンな
演技をした。しかし、2回の3回転・3回転のジャンプを3回転・2回転にラ
ンクを落とした。…そして他の選手を明らかに凌ぐものの、見たところ努力を
必要としないスピンとスパイラルで審判の評価を勝ち取った」などが記載され
ていた。
 思うに、フィギアスケートは欧米の競技と自負していたのが、アジアの黄色
人種に優勝をさらわれたといった敗北感が、荒川選手の演技を中傷誹謗するこ
とになったのではないか。その点、日本はどうか。柔道にしても相撲にしても
その強者を称えている。
 蛇足だが、その週刊誌は、「やい、ニューヨーク・タイムズ!4年後のバン
クーバーにはジャンプキレ、キレの浅田真央も行くかんな、待ってろよ!」と
結んでいる。
 ここで、平成10年10月に記した己の文章を思い出し再読してみた。

 ビルマでの捕虜体験を通じ西洋文明を批判したベストセラー「アーロン収容
所」(昭和37年)の著者で京都大名誉教授の会田雄次氏は平成10年9月に
81歳で逝去された。
 「アーロン収容所」は、英国の日本人捕虜に対する虐待を描いたもので、
例えば
 ① 飢えに苦しんでいる時、赤痢菌をたっぷり蓄えた川ガニしかいない川の
  中洲に捕虜を放置し、カニを食いつなぐしかない状況に置いて『日本兵は
  衛生観念不足で、自制心も乏しく、英軍のたび重なる警告にもかかわらず、
  生ガニを捕食し、疫病にかかって全滅した。まことに遺憾である』と報告
  している。

 ② 食事に供されていた米はビルマの下等米で、粉米、臭く、3割ぐらい
  泥と砂が混じる米の支給に抗議したところ『日本軍に支給している米は、
  当ビルマにおいて、家畜飼料として使用し、なんら害なきものである』
  と答えた。

 ③ 英国人の女性士官が目の前で裸になって服を着替えた。「英国人の目に
  はアジア人など、犬猫のたぐいに見えるのだろう。しかし、フランス人や 
  アイルランド人の前では裸にならなかった」など言語に絶する悲惨な体験
を語っている。
 そして、著者は、白人以外は人間と認めず、「目には目、歯には歯」の復習
を鉄則とし、陰険、狡猾、冷酷、残忍、尊大、傲慢、老獪、偽善を常とする、
それが英国の真実であると肌で知ったと語る。従って、日本人を人間以下とみ
る英国人捕虜が日本人兵士に殴られたら、同じ目にあった日本人捕虜以上に、
恨み骨髄に徹するところに英国人の人種観に問題はないか、と著者は問うてい
る。
 平成10年5月26日。天皇、皇后両陛下の英国訪問に対し、第二次大戦
中に日本軍に捕らえられた元戦争捕虜が、謝罪を求める抗議活動を行った。
両陛下の馬車列に背を向け、謝罪と補償を求め、インデペンデント紙は「あな
たは彼を許せるか」との見出しで、凶悪犯と一緒に天皇陛下の写真を掲載した。
 英国人捕虜問題が再燃したのは、平成5年8月に細川元首相が「先の戦争は
侵略戦争で、間違った戦争だったと認識している」であり、次いで、平成7年
8月。社会党の村山首相による戦後50年談話で「植民地支配と侵略に対して
改めて痛切な反省の意を表し、心からのおわびの気持ちを表明いたします」
そして、平成10年1月橋本首相は、英大衆紙「ザ・サン」に旧日本軍の英国
人捕虜の扱いについて謝罪と反省を表明した文章を寄稿した。
 これで日本の最高指導者による対英謝罪は三度を数える。これと同様な例
が、平成5年8月根拠のないまま「従軍慰安婦の強制連行」を認めた河野官房
長官談話である。この談話を基にして、平成10年8月、国連人権小委員会は
日本に賠償勧告を行った。
 香港返還の際のチャーチル皇太子は、英国の支配が「民主主義、自由、繁栄
をもたらした」と自画自賛。「謝罪する国」日本と「謝罪をしない国」英国。
 故塚本幸一氏は、インパール捕虜時代、上記の③以上の虐待を受けたが、こ
れを前向きに捕えて世界のワコールを育て上げた。日本人捕虜には、英国人以
上に怨念を抱いているが語らない。それを表明させる社会環境にない。いつの
日か、きっと、「アーロン収容所」等の事実が事実として世界に表明できる日
本になってほしい。そして、精神の拠り所を持ち毅然とした曲がらない強固な
日本の背骨の構築を願う。

 と記しているが、今の日本の状況は、8年前とは変わっていない。次期総理
には小泉総理の意志を受け継ぐ人になってもらいたい。

 アーロン収容所(西欧ヒューマニズムの限界) 会田雄次著
   昭和34年11月15日初版
   昭和49年 8月15日45版
   中央公論社発行
  
 追記 天皇陛下ご訪英に際しての行動に対しこのような投稿があった。
      元英軍捕虜の抗議に怒り!と題して
   『…思えば終戦後、英軍当局こそ国際法を無視し、数万人の日本軍人、
    軍属を捕虜収容所に収容、重労働に就労せしめました。しかし、この
    暴虐な報復行為を約二年余りにわたり行使したことを、今日までただ
    の1回も弁明、謝罪したときいたことがありません。私は当時の捕虜
    の一人ですが……』と当時75歳の方が投稿されていた。
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横浜高校松坂大輔投手

2006年03月02日 10時07分40秒 | ハマ風は踊る
 世界16チームが参加する野球の世界一決定戦。「ワールドベースボールクラ
ッシック」の1次リーグ「アジアラウンド」がお雛様の日の3月3日に火蓋が切
られる。まず日本は、中国との対戦である。このメンバーに松坂大輔投手も出
場する。65球の制限があると言うことで投げ込みがたの松坂選手にどう影響
するか、活躍を期待したい。
 平成10年8月の甲子園で横浜高校は逆転逆転の連続で優勝をもぎとった。
その時の、活躍振りを再現してみたい。

 「宣誓っ!大会80年の歴史の中で、先輩の高校球児が数々のドラマを演じ
てきたこの甲子園で、21世紀に向けて多くの人々に生きる勇気と希望を与え
ることが出来るように全力でプレーすることを誓います」と8月6日横浜高校
の小山良男主将が本塁前の壇上で、背筋を伸ばし、ひとつ深呼吸して、通る声
で叫んだ。
 宣誓途中で球場内から拍手が起こり、「勇気」と「希望」のメッセージは
十分に通じたようだった。ここから横浜高校のドラマは始まった。渡辺元智
監督のコメントはいかに!

 1回戦 柳ヶ浦 001 000 000 1
     横 浜 010 010 04X 6
   「簡単には勝てないとは思っていたが、これほどプレッシャーがあると
    は。松坂の制球が悪かったのは、力みがあったようだ。我慢のピッチ
    ングをしてくれた」

 2回戦 星 陵 000 000 000 0
     横 浜 102 020 00X 5 
   「ふだん通りの野球ができた。松坂はていねいに投げていた。小山の
    リードがよかったと思う。次も今までと同じ気持ちで冷静に試合を
    したい」

 3回戦 鹿児島実業 000 000 000 0
     横   浜 000 001 05X 6
   「前半は我慢しながらチャンスを待った。本当にこれだけ素晴らしい
    試合ができるとは思わなかった。100点あげてもいい。6回の三盗
    から、先取点を取れたのが大きかった」

 準々決勝
  横 浜 000 220 010 010 000 12 9
  PL学園 030 100 100 010 000 10 7
    「試合中に『勝て』と言ったことはなかったが、初めて『絶対に負け
     るな』とげきを飛ばした。こんないい試合は初めて」

 準決勝 明徳義塾 000 131 010 6
     横  浜 000 000 043X 7
    「信じられない。まったく信じられない。数字の上では逆転は不可能
     と思っていた。だが、可能性を信じ、試合を楽しんでみろと選手に
     話した。8回に4点取った後、何が起こるか分からないと思い、
     松坂を投げさせた。それで周りの気持ちも高まった」
 準決勝以上では史上最大の6点差逆転勝利であった。これまでは第9回大会
(1923年)の準決勝、甲陽中(兵庫)対立命館中(京都)で甲陽中が5点差
を逆転した。

 決 勝 京都成章 000 000 000 0
     横  浜 000 110 010 3
    「苦しい状況の中で、まさか松本が打つとは思わなかった。あの本塁
     打でチームに活気が出た。今日は5.6点は覚悟していたが、松坂
     がこんなすごいピッチングをするとは思わなかった。こんな幸せは
     最初で最後かもしれない」

 横浜の松坂は、夏の甲子園決勝戦で59年ぶりのノーヒットノーランを演じ
春夏連覇の立て役者となった。「平成最強のチーム」横浜高校は、全国4,102
校の頂点に立ち、全国の野球ファンに、選手宣誓の通りの「勇気」と「希望」
を与えた。
 ドラマチックな全国高校野球選手権大会も8月22日をもって終了した。
様々なドラマを残して。
 なかでも、7月18日、夏の高校野球青森大会では、次のような史上最多
122点の試合があったが、「勇気ある敗北」をバネに県立深浦高校チームは
8月1日、秋季大会での雪辱を期して練習を再開したそうだ。

  東奥義塾(弘前市)39 10 11 17 16 12 17 122
   深  浦(深浦町 0   0  0  0  0   0  0 0

 思えば、高校野球地方大会前の6月12日、横浜高校渡辺監督は「高校野球
と我が人生」と題した講演の中で、「現在29連勝中でありますので、本年の
夏の神奈川大会を征し、全国大会連覇に向かって行きたいと思いますが、最近
の生徒は母親を含め自己中心者が多く、生徒の指導にとどまらず父母を含めた
指導が時には必要である」と述べられていた。
 また、「お母さん。夢っていう言葉は、かなわない時につかう言葉なんだよ。
僕の場合は、目標なんだ。目標っていうのは、努力すれば必ずかなえられるん
だ」と松坂大輔投手が中学3年時の言葉である。それぞれに、人の心に訴える
言葉であり、含蓄のある表現である。『宣誓っ!』勇気と希望を持って……
行こう。

 以上は7年ほど前に感動とドラマに酔いしれた日々であった。松坂大輔投手
の健闘を祈る。



     

   
 
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箸に始まり箸に終わる

2006年01月14日 08時25分18秒 | ハマ風は踊る
 「日本人の衣類は非常に美しく清潔で、我等にものとは、些かも類似してい
ない。いわんやその食事の方法や料理、汁に到っては理解する事は不可能であ
る。ことごとく清潔を保ち、その方法は重々しく、我等の食事とは全く共通点
がない。即ち、各人は、それぞれ一人づつの食卓で食事し、テーブル掛け、ナ
プキン、ナイフ、フォーク、スプーンなどは何もなく、ただ彼等が箸と称する
2本の小さい棒があるのみで、食物には全く手を触れる事なく、極めて清潔巧
妙に箸を扱い、パン屑(ご飯粒)一斤といえども皿(お碗)から食卓に落とさ
ない。極めてつつましやかに礼儀正しく食事し、その作法についても他の諸事
に劣らない規則がある」
 と、日本の「箸」について、16世紀に来日したイタリア人宣教師バリーニ
ャーンはこのように述べている。
 ところで、8月4日は「箸の日」と定め千代田区所在の日枝神社をはじめ各地
の神社で毎年「箸感謝祭」等が行われている。これは、日本人が年間に消費する
「塗り箸」1億2千万膳、江戸中期に登場した「割り箸」250億膳と日頃世話
になっている、箸に感謝し併せて箸のPRもしようと昭和50年に設けられた。
そのほか菜箸、火箸、取り箸、茶の湯の箸など多くの箸が毎年作られている。
「ハシは、食物と人間の口知の間を渡すもの、つまり語源は間(ハシ)にある」
と国学院大学教授阿部正路氏はいう。一般的には、次の五つのことが言われて
いる。
 ① ハシは「橋」である。「食と口知との橋の意」であり、植物と人間の口を
   結ぶかけ橋である。橋はかけ渡すもの、仲介・媒介するものである。

 ② ハシは「間(はし)」である。「間(はし)に挟むの意」といわれ、二
   本の箸の間に、食物をはさみ、食物と人間の間を結ぶもの。また神と人、
   人と人との間を結ぶもの。

 ③ ハシは「端」である。「はしとは端なり」といわれ、竹または木の中程
   を折り曲げて、その端と端を向かい合わせて食を取ったことによる。

 ④ ハシは「嘴(はし)」である。「箸は嘴なり」といわれ、箸を持った形
   姿は、鳥の嘴で物をついばむのと同じ姿である。

 ⑤ ハシは「柱」である。箸は、これを使う神や人の霊魂の宿る依代(より
   しろ)から「箸は柱なり」と。まさに神霊や祖霊が宿る小さな柱であり、
   小さな神木である。

 このように、箸には神や人の魂が宿るとの信仰から。「野外で使った箸は折
って捨てないと、キツネや魔物につかれる」「箸を折ったり踏んだりすると財
産をなくす」という話や風習が残っている。また、日本の箸は、神に食べ物を
ささげる神事に登場したことから古来、神と人を結ぶものとの謂れから、神社
や寺院はさまざまな祝い箸・祈り箸・厄除け箸などを授与している。例えば、
出雲大社の縁結び箸、春日大社の長寿箸、鶴岡八幡宮の福寿箸、松蔭神社の
開運箸……といった具合に。
 ところで、世界の民族が食物や料理を口に運ぶ食事方法は、
   ① 世界人口の44%が手食
   ② 箸食28%
   ③ ナイフ・フォーク・スプーン食28%
の三っに大別されるそうだが、箸を主な食事用具としているのは、中国文化圏
に属する日本、韓国、北朝鮮、中国、台湾、ベトナム、シンガポールの7か国
だそうだ。箸が普及した中国文化圏では、二本の箸にもっとも適した粘性の米
と麺類を主食にしてきたことによるそうだ。
 この「ほぐし・はがし・まぜ・分け・はさみ・つまむ」という箸の機能は、
切って突くだけのナイフやフォークからはけして生まれない独特の箸文化が日
本に誕生した。
 ヨーロッパでのナイフ・フォーク・スプーン食の歴史は、わずか300~
400年間にすぎず、それ以前はすべて肉類は手づかみで食べていた。今日、
パンを手でちぎって食べるのも、手食文化の名残と言われている。日本の箸は
中国から伝わったが、古事記(712年)に「スサノヲミコトが出雲国に降り
立った時、川上から箸(はし)が流れてきた。上流には人が住んでいるに違い
ない。と訪ねてみると、老夫婦が娘を囲んで泣いていた。…」ヤマタノオロチ
退治の導入部で、「箸」は日本最古の文献に登場している。これだけの長い歴
史を持つ日本の箸文化も時代の変遷と食生活の変化に伴い「箸のマナー」が疎
かになってきているのではないだろうか。
 日本人の食事作法は「箸に始まり箸に終わる」といわれ箸の取り方に始まり
箸の置き方、しまい方に終わる、箸は正に「礼儀の標(シルシ)」と言われてき
た。それに従い、和食の席でタブーとされる箸の作法が生じ、それが「嫌い箸」
である。
 先箸、中箸、天箸、握り箸、クロス箸、つかみ箸、そろえ箸、迷い箸、移り
箸、探り箸、こじ箸、せせり箸、寄せ箸、そら箸、立箸、刺し箸、、持ち箸、
もぎ箸、直箸、二人箸、箸渡し、かき箸、込み箸、横箸、涙箸、渡し箸、ねぶ
り箸、指さし箸、落とし箸、かみ箸、叩き箸、受け箸、振り箸、洗い箸など
約70の箸使いのタブーがあるそうだ。つい無意識にやってしまうことがある。
 箸のマナーは幼児期から…そして箸に感謝すると共に食べ物に感謝する気持
ちを養うのも一考かと思う。
 私達夫婦が今使用している箸には、それぞれの名前が金文字で書き込まれて
いる。デパートで開催されていた職人の巧展においてお願いしたものである。
私達にとっては、「考える箸」とも言える大切な箸である。

 
 
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日本の生活習慣

2006年01月04日 13時30分18秒 | ハマ風は踊る
 あけましておめでとうございます。お正月はゆるりと過ごされたことと拝察
致しております。おせち料理などを十分に堪能され、年頭に当たって思いを新
たにされたことでしょう。古来、お正月の縁起物として食卓を飾る食べ物には
それぞれの言われがあります。

 ① れんこん…先の見通しがきく→先頭から後まで穴があいているから
 ② さといも…子孫繁栄→里芋は親芋の周りに沢山の子芋ができる縁起をか
        つぐ
 ③ 八つ頭 …人の頭に立つ→「八」は末広がり「頭」は人の頭に立つ
 ④ だいだい…代々末広がり→熟しても実が落ちず、次の実がなってもなり
        続け三代続くから
 ⑤ くわい …芽が出る→ひと皮むくと芽がでていることから「芽が出る」
        に「めでたい」縁起ものとされている
 ⑥ ごぼう …健康で長生き→細長いその姿から健康で長生きを願って食さ
        れる
 ⑦ たけのこ…一年の節目に→節があることから年の節目のお正月に食べる
        と良いとされ、スクスク育つ竹の子に願いをかけて食する
 
 正月の儀礼として、これを食するに使用する箸は、一般に柳を材料としたも
のが多い。それは、柳に神霊が招き寄せられて乗り移るとされ門松も年神さま
の衣料とされている。
 そして、正月七日の行事がある。中国は楚の国(春秋戦国時代)の習俗で
「荊楚歳時記」に「正月一日鶏と為し、二日狗と為し、三日羊と為し、四日
猪と為し、五日牛と為し、六日馬と為し、七日人を為す」と。七日間を以って
神の創造が完了するとみる思想は、旧約聖書にも見られ水や樹や鳥獣がつくら
れ、六日に人を男と女に創造し、七日には工(わざ)が終わったと…
 その正月七日には、七草菜を吸い物として食べ(日本は七草粥)身内の邪気
を払う。
 七草としては、現在はセリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベ・ホトケノザ・スズ
シロが食され、この風習は804年の「皇大神宮儀式帳」に見られる。
 そして、正月に味わう最高のものは「ゆ」である。
  正月一日・クコ葉ヲ入レタ湯ニ入レバ、病ムコトモナク老イルコトモナイ
  正月二日・五木(ウメ・モモ・ヤナギ・クエワ・スギ)ヲ取リ、湯ヲ煮テ
       コレヲ浴ビレバ、老ニ至ッテモ鬢モ髪モ黒イママデアル
  正月七日・コノ日入浴スレバ、歯ガ堅ク丈夫ニナル
  二月二日・正月一日ト同ジ
  二月八日ノ黄昏時ニ入浴スレバキワメテ健康ニナル
  三月三日・正月一日ト同ジ
  四月四日・コノ日明ルイウチニ入浴スレバ病気ヲシナクナル
  四月七日・コノ日入浴スレバ金持チニナル
  四月九日・日没ノ時ニ入浴スレバ、長命ニナル
  八月七日・コノ日入浴スレバ頭ガヨクナル
  十一月十五日・夜半過ギニ入浴スレバ憂イヲ去ルコトガデキル
  十二月十三日・夜半過ギニ入浴スレバ、スバラシイ女性ヲ得ルコトガデキル
  十二月三十日・正月一日ニ同ジ などなど
 これは、1631年編「養生月覧」等に記されている。日本人は、古来から
湯を浴びることを好み「ゆ」はまた「神聖な水」でもあった。「日本書紀」に
「熱湯ヲ探リ真偽ヲ定メシム」と記され「湯」には、私達の先祖の心の真偽を
見定める神の意志がこもっていると信じられてきた。そして、「ゆ」につなが
ることが、いつまでも続く健康をも約束するものと信じられていた。実際にそ
の効能も認められ、日本各地での温泉の効能書きをみれば納得されるであろう。
 冬至の日にゆず湯、五月五日菖蒲湯につかるなど日本には素晴らしい生活習
慣が根付いている。
 ところで、いよいよ「団塊の世代」が、2007年から順次60歳の定年を
迎える。終戦後の1947年~49年生まれで、総勢約680万人と報じられ
ている。
 この時代、ベビーブーム、受験戦争、ニュータウン、マイカーブーム……
団塊の世代が受け取る退職金総額は50兆円以上と試算されている。これら
の人たちがどのような人生設計を打ち立てているのだろうか。その動き、方
向によって社会の情勢は大きく変わって行くだろう。
 夢舞台「すべてが面白い」と人生第2幕を挑戦していただければ、超少子化
超高齢化の世の中も明るく良い方向へ導かれていくだろう。
 
 とにかく、『これからが本当の人生ですから!』GO GO GOそれそれゆけ!
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