花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

ここ数日の事

2017年12月26日 | 日記
急だったが、娘が休みが取れたといって帰省した。
4時間以上運転して来たが、途中の道路の雪が溶けていたらしく、着いた時には車が酷く汚れていた。
3日間居たが、野菜や魚を多く使った食事を作って食べさせた。
記憶に残っている手料理を2~3書く事にする。

生の「タラ」のブロックがあったので、「天麩羅」にした。
まず薄く削ぎ切りにし、酒で臭みを消してから塩と胡椒をして衣を付けて揚げた。娘が好きな「海老」と「蓮根」も一緒に揚げた。美味しかった。

次の日は、「オージービーフ」の肩ロース肉があったので「ビーフシチュー」を作った。
まず肉を賽の目に切り、塩、胡椒をしてから、微塵切りのニンニク、角切りの玉葱と一緒に圧力鍋に入れて炒め、水を加えてから15分、圧力を掛けて煮た。
肉が凄く柔らかくなったので、人参、じゃが芋を適当な大きさに切ったのを加え、圧力を掛けずに野菜が柔らかくなるまで煮てから、トマトピューレ、赤ワイン、ビーフシチューのルー、バターを加えて加熱して作った。美味しかった。

また、残っていたもち米があったので、うるち米を1/4足して「赤飯」を炊いた。
米は収穫した「小豆」を茹でた汁に浸けて、色づけしてから炊飯。結構良い色の赤飯ができた。

じゃが芋を火の気が無い屋内に置いてあるが、「キタアカリ」の芽が出掛かって来た。それで「ポテトサラダ」をたっぷりと作り、食べさせた。
また「牛蒡」「人参」で「きんぴら牛蒡」を作ったりもした。
「ニラ」の特売があったので、「卵とじ」にして食べさせもした。

娘はいつもは年末から正月にかけて帰省するのだが、新年に留守番係りに当てられたらしく帰省できないそうなので、帰りには「大根」や「みかん」「野菜炒め」などを持たせた。

また昨夜は、前に買ってあった100均で買った材料で「リース」を作った。
「クリスマス」が終ったら、普通は出番が無いものだろうが、雪に埋もれた北国の室内飾りに良いかもと思って居間の壁に掛けることにした。
初めて作って見たので配色が少し地味かも知れない。こんなものでも、暫くは楽しめそうだ。

                
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従姉に年賀状を届けた後、乳癌の定期検査受診

2017年12月20日 | 日記
昨日は今冬一番の寒さで、最高気温も札幌で-3℃だった。
従姉とは、JRの札幌駅の改札口で待ち合わせをしていた。
今回会うのは4か月ぶりだったので、家にあるじゃが芋(2品種)や小豆、ニンニク、みかん、キウイフルーツ、ジャム、それとオーストラリア土産の菓子などをリュックサックに詰めたが、重いこと。7~8kgはあったと思う。それを背負って私の町の駅まで歩いて行った。
従姉は先に来ていた。じゃが芋などを持参すると連絡してあったので、やはり、リュックサックを用意して来てくれて良かった。

喫茶店に入り、まず作成した年賀状を渡して内容を確認してもらってから、近況報告などし合った。
従姉は私よりも4歳年上なので、我が家の伯母の現状や今の高齢者の生活などの話が多かったように思う。
古くても自宅がある人は家賃が要らないので良いが、都市に住み、借家で家賃を払っている人達は、年金の種類にもよるが生活が大変なのだ。
知り合いの人の話など、あれこれ話し合って別れた。

これからは、用事が無くてもたまに会って、お互いの近況を確認しあいたいと思った。

従姉と別れてから、今では1年に1度になった乳がん検診のために病院に行った。
今回の「マンモグラフィー」の撮影は、それ程辛くなかった。
1時間半待ち合い室で待ってから、医者の診断を受けた。
結果は「異常なし」だった。
いつも健診の日は、結果が出るまで緊張するが、これで手術後満13年、再発も転移もしなかったのだ。
13年前の手術後に主治医から「あなたの癌細胞の検査結果では、再発、転移し易い性質の細胞だと分かった。」と告げられていたので、夢のような話なのだ。
またこれから1年間、心置きなく生活を楽しめると思うと凄く嬉しかった。

帰りは気温がさらに低くなり-5℃程の中、病院から雪道を25分歩いてJRの最寄駅に向った。
暗くなる寸前に帰宅できたが、疲れ切った。
                                 
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年賀状作り 今年の顛末

2017年12月18日 | 日記
毎年の事ながら、今年も残す所2週間になり、年賀状を作る時期になった。
伯母はもう3年ほど前から、「出す人がいなくなった」と言って出していない。
私は年賀状を止めるというこれと言った理由もなく、相変わらずパソコンで原稿を作って、それをプリンターで印刷し、出している。

ところが、今月初めにプリンターの点検をしたら、印刷ができない。「故障です」という文字が出て来るので、メーカーに問い合わせる場所をクリックしたら、「古いので、すでに修理の期間が過ぎています。」と出て来るではないか。困ってしまった。

仕方が無いので、大型電気店に行き、適当なプリンターを見て歩いた。
数年前に比べて、プリンター自体の価格が安くなっているように感じた。
私の場合は、例年、従姉などからも作成と印刷を頼まれて来たので、全部で3種類、枚数は250枚以上になる。
作成時期が迫っているので、思い切って買う事にした。
しかし、昨年製造したメーカーの旧型が余っていた。そこそこ安いし、今まで使って来たメーカーの機械なのでそれにした。
10年前の1/3程の価格だった。

でも喜ぶのは早かった。
インクも代わってしまっているので、手元にあるインクが使えないというのだ。
メーカーは、機械は安く売るが、インク代で設ける作戦なのだ。
消費者は、修理すればまだ使えるかもしれない機械を捨てざるを得ず、新品を買う羽目になり、規格違いの付属品も新たに買わなければならないのだ。
メーカーの魂胆が透けて見えるというものだ。

憤慨しながらも、昨日から今日にかけて従姉からの電話で文面を受け、それをデザインし、郵便局から年賀状を買って来て新たな機械で印刷を済ませた所だ。
実は、今朝から2~3回、従姉から部分変更の電話もあって、デザイン完成まで時間も掛かった。
しかし、数十枚印刷してしまったのだから、もう何と言われようが変更はできないのだ。

自分のデザイン案は、半月前から思案して来たのだが、最終的に今日、最後のデザインの見直しをし、伯母の名前も連記してから印刷した。
こちらも数十枚だったので、印刷に半日掛かってしまった。

数日後にもう一つ、別の年賀状の原稿を貰って作らなければならない予定だが、そちらの基本のデザインは昨年から決めてある。
後は文面を受け取り次第、最終的に作成してから印刷するだけだが、こちらは毎年100枚以上の予定なのだ。
プリンターに付いて来たインクで間に合えば良いけれど、どうなる事やら。

兎に角、今年も何とか従妹達の期待に答えられて良かった。
まず明日は、できた年賀状を届けがてら、従姉と会う事にしている。今日は気温が-10℃以下と寒かったが、せめて明日は暖かければ良いなあ。
                                    
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満98歳になった伯母の体調

2017年12月15日 | 高齢期の生活全般
先日、伯母は満98歳の誕生日を迎えた。
最近は体重38kgの身体ながら風邪も引かず、比較的安定した生活をしている。

認知力は、最近の事や少し前の事を忘れ易くなって来た。
歩行する時も、ゆっくりしたすり足状態で、片足を15cm程の間隔でしか出せない。
また、耳の聴力が随分衰えて来たなと感じたので、先週、耳鼻咽喉科を受診させた。
すると、医師から「診察の結果、鼓膜や外耳に異常は無く、カタツムリ器官の老化によって聞こえ難くなっている」と言われた。
聴力を測定してもらった所、「高度の難聴だ」とも診断された。
その度合いは「身体障害者手帳」を受け取る事が出きる程なので、診断書を書くから申請しなさいと告げられた。
早速、市役所の窓口に行って申請したが、結果は1ヶ月半後らしい。

また、白内障の薬が無くなったので、今日眼科を受診させた。
視力を測った所、矯正視力で0.06だという。私には想像が出来ないので驚くが、これが老化の現実なのだ。

それでも伯母は、精神的には落ち込んだりせず、外見的には今の体調の変化を受け入れているように見える。
私にできる事は、伯母に好きな食事を食べられる様に作り、美味しく食べてもらって現状の体力を維持してもらう事だ。
これから寒さが日毎に厳しくなるので、誕生日には、私から厚手の靴下と下着をプレゼントした。
                
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「2度目のオーストラリアの旅」(13)

2017年12月14日 | 海外旅行「オセアニア」オーストラリア
≪「エアーズロック」(ウルル)観光後、帰国≫(2)
登山が中止になったので、ガイドと一緒に「エアーズロック」のハイキングに向った。
真近で見ると、様々な場面が見られた。その幾つかを写真で紹介する。



       
     (大きな洞窟と、その天井に描かれた壁画)


 (ほとんど雨が降らないのに、年中、水が枯れない池)



 

      
       (ウエーブ状の壁面)

登山しなくても太古の歴史を伝える箇所を見たり、ガイドから言い伝えられている物語を聞いて、十分に楽しみ満足できた。

全ての観光が終了し、10時過ぎにホテルに戻った。
11時にホテルから空港に向かい、12時35分発の「アリススプリングス」行きに乗った。そこで「シドニー」行きの出発を待ち、「シドニー」で乗り継ぎ、21時35分発で「羽田空港」に向った。予定より少し早く約9時間で日本に到着。私はその後、「新千歳空港」に戻った。

予想よりも空港近辺の雪は少なかったが、気温が-3℃だったので「エアーズロック」とは40℃差。
帰宅したら居間は8℃しかなく、冷え切っていた建物の構造体を温めるのに2日かかった。
十分に室内が暖かくなった頃、「ショートスティ」の施設に伯母を迎えに行った。久し振りの再開は嬉しかった。

1回目の「オーストラリア」が「シドニー」や「ゴールドコースト」など東海岸の観光だったのに比べると、2回目の今回は移動時間が長かったとは言え、地球の神秘に触れる事ができ、内容的に充実していた様に思う。
今は何日もかかった旅行記が、やっと完成してホッとしている。             (完  成)
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「2度目のオーストラリアの旅」(12)

2017年12月13日 | 海外旅行「オセアニア」オーストラリア
≪「エアーズロック」(ウルル)観光≫(1)
翌日は早朝にモーニングコールがあり、4時50分、まだ暗い内にバスで「エアーズロック」の朝日鑑賞に向った。
昨日午後は37℃もあったが、朝は嘘の様に涼しく18℃程度だった。これが砂漠の気候の特徴なのだろう。
昨日の夕日鑑賞とは反対の場所に階段状の観賞場所が用意されていたが、ここも既に様々な国の観光客で賑わっていた。
砂漠の真ん中にどっしりと構えた「エアーズロック」の背後に朝日が登り始めた。
そして5時45分から6時迄、そこにいる大勢の人達と一緒に、岩山の色が少しずつ変っていく姿を眺めた。神秘的だった。

           


朝日が昇った後「エアーズロック」の北側を通り、バスに戻った。その時見た側面の姿も素敵だった。



         

ガイドと一緒に、東側の登山口に様子を見に行った所「登山禁止」になっていて、ロープが張られていた。
すぐ横に「あなたの安全のために」という説明の英語の看板が立てられていた。
【入山禁止】
「3~11月は午後5時~午前7時」「12~4月は午後5時~午前6時半」
「午前8時以降は、気温の予報が36℃かそれ以上の時。12~2月の夏季間」
そしてその下に、さらに絵と説明で8項目の登山禁止措置を取る条件が示されていた。
「頂上の風速が25km以上の時」「頂上が雲で覆われている時」
「3時間以内に20%以上の降雨の可能性がある時」「気温が36℃か、それ以上の時」
「岩山の表面が20%以上水で濡れている時」「救急車が来ている時」
「3時間以内に雷雨になる可能性が5%以上ある時」「民族的文化的理由で所有者から求められた時」
最後に、「これらの細則に明らかに反する場合は、罰金を科す」とあった。(和訳は筆者)

さらに横に英語と日本語の立て看板があり、そこには「アナング族(先住民アボリジニの事)の神聖な『ウルル』に登らないで下さい」と書かれていた。
その理由として「登山は危険で、これまでに多くの方が登山中に亡くなったり怪我をして来ました」「本来するべき事は、万物に耳を傾けることです」とあった。

正直な所、登ろうか、止めようかと迷っていた私は、「登山禁止」が取られていたことで結論が出、気持ちが決まり軽くなった。
眼前に登山路を見ると、固い岩肌には持って来た杖は役に立たず、本当に危険だという事も良く分かったし、2年後から登山することができなくなるのは、良いことだと納得もできた。


              
                    



資料によると、かってこの地域を自由に使って来たが、1985年、オーストラリア政府は先住民「アナング」の人々の土地であることを正式に認めた。同時に政府が彼等からこの地域を借りるという協定を結んだのだ。
その結果彼等は、公園入場料の25%と年間使用料15万$を受け取る事となった。
しかし、別な資料によると、年間50万人以上の観光客が来るため、働かなくても大きなお金が手に入る結果となり、中には賭博や麻薬、暴力に走る若い人達の存在が問題になっているという。

現在公園は、オーストラリア自然保存局(ANCA)とアナングの人々の共同管理がなされ、世界遺産に登録されている。


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「2度目のオーストラリアの旅」(11)

2017年12月11日 | 海外旅行「オセアニア」オーストラリア
≪7日目は「エアーズロック」空港へ飛行後、「カタジュタ」ハイク≫
朝7時半にホテルを出て空港に向かった。「メルボルン」発9時半の国内線で内陸部の「アリス スプリングス」まで1時間20分で到着。そこは時差が-1時間35分なので時計を戻した。昼食は弁当だった。「アリススプリングス」発13時45分の飛行機に乗り継ぎ「エアーズロック」に14時35分に着く。気温は37℃、猛烈な暑さだ。

まず宿泊するホテル「エアーズロックリゾート」の「セイルズ イン ザ デザート」に着き、大きな荷物を置いてハイキングの準備をした。水を1本貰い、50km離れた「カタジュタ国立公園」へ向った。
15時35分、2.2kmのほぼ平坦な「風の谷」の道を出発し、往復約1時間のハイキングをした。バスにも水が積んであり、ペットボトルの水が減ると足してくれた。その時間は、「風の谷」の名前に反して風はほとんど無く、私達は15分置きに水を飲むように指示された。

35k㎡の大地に広がる「カタジュタ」もかっては「エアーズロック」の様な一枚岩だったそうだが、風雨にさらされている内に36個の岩に分かれてしまったのだそうだ。一番高い岩は546mもある。
ここもアボリジニーの「ビチャンチャチャラ族」の聖地で、天地創造の時代からの物語が伝えられていた。特に男性の聖地である東側地区には、アボリジニーの女性も入られないそうだ。
鉄分の多い砂岩が酸化して赤色になった「カタジュタ」の景色は独特だった。



            

その後、「エアーズロック」に戻り、「エアーズロック」(アボリジニーの言葉では「ウルル」)の夕日鑑賞場所に行った。
この岩山は、周囲9.4km、高さ348mある世界最大の一枚岩の山だ。しかも目にできる地上部分は全体の10%に過ぎないというのだから驚く。
この岩は、今から6億年以上前に海底に堆積した花崗岩質の砂岩層が、造山運動で隆起した後、浸食と風化で表面の固い部分が残ったものだと考えられているそうだ。何という地球の現実だろうか。

観賞場所は、既に多くの人達で賑わっていた。グループごとにテーブルが用意されていて、「スパークリングワイン」や「オレンジジュース」またチーズやキューリ、人参をスティック状に切った「スティックサラダ」「チーズ」「ポテトチップス」などが並んでいた。
そして張られたロープの内側から数百m先に見える「エアーズロック」が、日没と共に刻々と色を変えていく様子を鑑賞しながら写真を写した。凄い迫力と存在感を感じた。
バスに戻ったのは19時40分だった。


  (日没前に友人の持つワイングラス越しに写した)

  (日没後の姿)


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「2度目のオーストラリアの旅」(10)

2017年12月11日 | 海外旅行「オセアニア」オーストラリア
≪「グレートオッシャンロード」観光≫

旅の6日目は、「オーストラリア」大陸の東南端、「メルボルン」から235kmの距離を「グレートオーシャンロード」と名付けている海岸線に沿って、片道3時間半バスが走った。
この海岸は、かってオーストラリア大陸と南極大陸が一つの大陸だったのが、今から5000万年前頃、二つの大陸が徐々に離れ、オーストラリア大陸が北へ移動した時にできた時の裂け目を今に伝える海岸なのだ。
現在の位置に落ち着く迄移動したオーストラリア大陸は、徐々に乾燥が進んで砂漠化し、乾燥に強い「ユーカリ」などの樹木が茂る大地になったと言われている。
晴天だったので真っ青な海と空、陸側には「ユーカリ」の林が続いていた。



ある場所に真っ黒い「ユーカリ」の林があった。ガイドが「油分が30%と多いユーカリは、常に油の多い水蒸気を蒸散している。気温が高い時に葉が触れ合うと、発火して森林火災が起きる。しかしユーカリは根まで燃える事はなく、やがて根元から新芽が出て来て、若木が立ち並ぶのです。」と説明してくれた。「コアラ」は消化しにくいこの葉や茎を消化するために、1日13時間も眠っているのだそうだ。また子供は暫くの間、母親が腸で消化して作った独特の乳液を食用にするのだとか…。



目的の観光場所「12人の使徒奇岩」に行く途中の「ケネットリバー」で、野性の「コアラ」探しをした。
背が高い「ユーカリ」の並木が道の両側を埋めていた。
先ず綺麗な色の「インコ」を発見。探すと他の木枝にも止まっていた。新しいカメラはズームが効くので拡大して撮れた。
誰かが「コアラ」を見つけた。木のかなり高い場所の枝にしがみ付いていた。これも拡大して撮った。

  



                

最後にバスが止まった所は「12人の使徒奇岩」がある場所だった。
キリスト教で最初の信者12人が、キリストの使徒となって布教したという話に因み名付けられていた。
美しい海岸だったが、狭い遊歩道には観光客がぶつかり合うほど多くいて、写真撮影もままならなかった。





またバスで20分程走った場所に、美しい入り江「ロック・アード・ゴージ」があった。小高い駐車場から木製の階段を海岸まで78段降りると、静かな美しい入り江で多くの観光客がはしゃいでいた。
この沖合いで1878年6月1日ヨーロッパの移民船が座礁して沈没、若い2人だけが助かったそうだ。



帰路、内陸の道を通り「メルボルン」に帰ったが、途中で広大な牧草地で草を食みながらのびのびと飼育されている「オージービーフ」の牛を見た。

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今冬初の本格的な除雪をした

2017年12月09日 | 日記
昨日は1日3回もの除雪をした。
1回目は朝。前夜の積雪20cmを除雪。
2回目は午後。朝からの積雪15cmを除雪。
そして3回目は、夜20~21時まで2回目以降降った30cmを除雪した。幸い我が家の車庫前には街灯が点いていて、明るい。それで、なんとか作業ができる。
合計で約65cmの積雪を3回、計2時間強の時間で除雪した事になった。今冬初めての本格的な除雪だった。今朝は筋肉痛がある。

ところが最後の除雪で見たものは、禁じられている「道路への排雪」を、隣家の人がしている姿だ。
どうしようか迷ったが、勇気を出して話しかけた。
「道路に出した雪は、除雪車が来て削って左右に振り分けて置いて行くから、結局あなたの家だけでなく、我が家にも置かれてしまいます。」と言うと、「家の前を綺麗にしているだけだから。」と言うのだ。実は綺麗にするためではなく、自分の車の路上駐車場を作っているのだ。
「道路に冬場車を駐車させたら駄目なんじゃないですか。」と言うと「それぞれの家庭の都合があるから仕方が無い。」と言われた。

寝しなに考えた。刃物で切り付けられたりしたら怖いなあ。もう苦情を言うのは止めようかと。

今朝、外へ出て確認した。やはり夜中に除雪車が来て、路上の雪を削り、我が家と隣家の向かいの家の車庫前ににどっさりと置いて行っているのだ。
その家の人が除雪していたので、昨夜の事を告げた。
すると、「幾ら言っても聞かないから、もう言わない事にした。」と言って、セッセと置いていかれた大量の雪の始末をしていた。


     (今朝の庭)
      
         (新聞配達の人の長靴の跡が残っている玄関前通路)




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今年は寒い

2017年12月07日 | 日記
一昨日、積雪量25cm程のまとまった雪が降った。
気温も昨日朝は-8℃、最高気温もマイナスで真冬日だ。本当に毎日寒くて震えている。
玄関前通路と車庫前の除雪は、30分かかった。



最近本州も気温が低いそうで、秋野菜が十分育たず、価格が高騰している。
白菜は最近では1/6個に切り売りされているし、ホウレン草は1把300円もする。
そのためか気候に関係なく生産されていて価格が安定しているきのこ類やモヤシが良く売れているようだ。

短期予報では、もう暫くこんな冬型の低い気温が続くらしいので、年末年始の物価高を予想すると今から切なくなる。
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「2度目のオーストラリアの旅」(9)

2017年12月04日 | 海外旅行「オセアニア」オーストラリア
≪5日目は「メルボルン」へ≫
早朝ホテルを出て、パース空港から8時発の「メルボルン」行きに搭乗。3時間35分の飛行で14時35分に東南の海岸にある街「メルボルン」に着いた。
時差が+3時間なので、時計を3時間早めた。

「メルボルン」は「オーストラリア」第二の都市だ。庭園が450もあり、「庭園都市」とも呼ばれる。

①「キャプテン・クックの家」
市内はバスからの窓外観光だったが、「キャプテン・クックの家」を見学した。
この家は「キャプテン・クック」が生まれたイギリスヨークシャーの木造の家を移築したもので、19世紀の生活様式が分かる。(家の管理状態が悪く埃が積もり、乱雑だった。2階に資料室があった)
庭に身長が191cmあったという彼の等身大の銅像が立てられていた。また19世紀のイギリスの家庭では、庭にハーブや野菜を植えて自家用にしていたというが、その様な庭も作られていた。

 

 



「キャプテン・クック」の本名は「ジェームス・クック」(1728・10・27~1979・2・14)彼はイギリスの航海士であり探検家、測量士だった。
1770年4月20日「エンデバー号」で航海中に「オーストラリア」の南東海岸に到着し、アボリジニーとも接触した。
1772年軍艦「レゾリューション号」で航海、8月22日「オーストラリア」東岸の英国領有を宣言した。またこの航海では、船員に柑橘類、キャベツの酢漬け「ザワークラフト」「トモシリソウ」(ニュージーランドホウレン草の事)などを食べさせ、世界で初めて壊血病による死者を0にしたという。
1973年1月には、ヨーロッパ人として初めて南極圏にも突入したが、気候的に人間が住めないと判断して引き返している。
1779年の航海で、2月14日、ハワイ島「ケアラケクア湾」で先住民との諍いが起き、その最中に殺された。50歳だった。
彼は6人の子どもを設けたが、孫は一人も生まれなかったため子孫はいない。

彼の死後、1778年、イギリス最初の流刑者が「シドニー湾」に到着し入植が始り、今に至っている。
この背景には、アメリカの「独立戦争」があり、流刑地を失ったイギリスが新たな場所を「オーストラリア」に求めたのだ。
2013年3月の人口は2294万人で、欧州系が大半を占めるが、中東系、アジア系も多い。人口の85%以上が、海岸線から100km以内に住んでいる。




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「2度目のオーストラリアの旅」(8)

2017年12月04日 | 海外旅行「オセアニア」オーストラリア
≪「ピナクルズ」の夕日鑑賞≫

「ワイルドライフ・パーク」を40分程見学した後、一路「ピナクルズ」を目指した。
途中、「塩の山」を見た。地中から次々と塩が吹き上がって来て、畑や林を浸食して行くのだと言う。農地を失った農民もいるらしい。植林をすればいいのかどうか私には分からなかった。



やがて、バスが止まり、低い潅木林の中を歩いて行くと、突然背が低い石の林が現れた。「ピナクルズ」だ。
赤い夕日に染まった赤い景色だった。「荒野の墓標」と言われているらしいが、それがピッタリ来る景色だった。
この景観は、数万年前、この地域が海底だった時、細かく削られた貝殻などが堆積して石灰岩層が作られていた。やがて陸地となり、長い年月の自然の風雨で浸食されて今の景観が生まれたという。つまり、今も刻一刻と形を変えて行っている訳だ。

さらに砂地を先に進むと、少し背が高かったり、台座の様になっていたりと面白い景観が広がっていて、観光客も多くいた。
写真を撮っている間に、夕日が勢いを増して沈んで行った。空の雲が夕焼けに染まった。
真っ暗くならない内にバスに急いだ。







          

3時間かけて「パース」に戻る途中の「ピナクルズ・モーテル」で、夕食を食べた。メニューは「カボチャのスープ」「ステーキ」「ヨーグルトケーキ」だったが、スープがぬるくて不味かった。
そこを出発して間も無く、人工的な明かりが無い場所でバスから降りて、星空を仰いだ。無数の南半球の星々が美しく輝いていた。うっすらと「天の川」も見えたが、時期的に「南十字星」は見えなかった。

前に「シドニー」で三日月を見た時、北半球と南半球とでは三日月の見え方(形)が同じなのかどうなのか、疑問が湧いた事があった。今回ガイドに聞いてみると、「北半球で右端に見える三日月は、赤道付近では下に寝ているように見え、その時南半球では左端に見えるのです。」と教えてくれた。

翌朝は3泊した「パース」から「メルボルン」に戻る。朝早いので、スーツケースを整理して早々に寝た。
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「2度目のオーストラリアの旅」(7)

2017年12月03日 | 海外旅行「オセアニア」オーストラリア
≪動物園で固有種を見学≫

自由行動から戻り、ホテルのレストランで昼食を食べた後、「パース」の北北東に195km離れた「ナンバング国立公園」まで片道3時間かけて行ったが、その途中で「ジャカランタ並木」で下車して鑑賞した。大分前に「南アフリカ共和国」でも見かけた。
「ジャカランタ」の紫色の花は、北海道で5月中旬に咲く「ライラック」(別名リラ)の花に雰囲気が似ている。晴天だったが、私は午前中の疲れから並木の入り口までしか行かなかった。



次に「カバーサム・ワイルドライフ・パーク」で下車して「カンガルー」や「コアラ」「エミュー」「ディンゴ」など、固有種を飼育している施設を見学した。案内してくれたのは、素敵な女性だった。

まず「カンガルー園」に入ったが、草原でのびのびと飼育されていた。
ガイドの女性がペット状の餌をくれたが、ほとんどが寝そべってリラックスしていて、どうやらお腹が一杯らしく食べようとしてくれない。残念だった。



 

                       
   
次に「コアラ園」では、係りの男性が1匹の大きな「コアラ」を奥から連れて来て木に掴らせ、一人ひとりにコアラとの写真を撮らせてくれた。
「コアラ」の指は片手に5本ずつあるが、その内の2本が人間の親指に当たる角度で付いていて、指先の大きな爪でユーカリの木にしがみ付けるようになっている。「コアラ」はその状態で1日13時間も毒性のあるユーカリの葉を消化するために眠っているのだという。

次に「ウオンバット舎」に行った。ここでも奥から連れて来た「ウオンバット」を飼育員が抱き、私達はその隣に座って写真を撮った。触っていいのは小さな足の膝に当たる所だけだった。私は初めて見た。
土に穴を掘って生活する夜行性で、お腹の袋は後ろ向きに付いている。草食で雄より雌の方が大きい。
   
 

「エミュー」は、卵生で「カンガルー」に次ぐ大きさ(体高1.6~2m体重40~60kg)の飛べない鳥だ。翼はあるが小さくて外部からは分からない。
雌は1度に10~30個の卵を産むと何処かへ行ってしまう。卵が孵化するまでの2~3ヶ月間、雄が飲まず食わずで温める。孵化後も雄がヒナの世話をするという珍しい習性の鳥だそうだ。

「ディンゴ」は犬にそっくりだが、インド系のアジア狼だ。自然界では純粋種は絶滅し、現在は雑種だけが残っていると言う。鳴き声を聞いたが、狼に良く似ていた。

 

この他にも、多様な鳥類やトカゲなどが飼育されていた。





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「2度目のオーストラリアの旅」(6)

2017年12月02日 | 海外旅行「オセアニア」オーストラリア
≪4日目の午前中は自由行動≫

ホテルが「パース」の街中にあったので、午前中の自由行動時間には駅の北側にある「西オーストラリア美術館」に行く事にした。
9時過ぎにホテルを出、ぶらぶら歩いて15分程すると美術館に着いた。しかし何と開館は10時からとあったので、少し前庭で待った。前庭には小さめの向日葵が咲き誇っていた。
美術館の入館料は無料。ただし、寄付箱が置いてあったので、持っていた小銭を入れた。
作品では、この地域に古くから居住している「アボリジニー」の画家の作品が主に私の目を引いた。点描で彼等の神話や精神世界を書いた独特の作品だった。
フラッシュ無しなら撮影はOKだった。

 

 

      

40分程で出て、街中のスーパーマーケット「WOOLWORTHS」に行った。ここも11時からだということで、3階に行って少し待った。
1階の食料品売り場で、国内生産をしているというチョコレート菓子「チムタム」(価格2.5$)白米1kg(2.3$)、それと隣国「ニュージーランド」産の「マヌカハニー340g」(8.5$)それと伯母にと詰め合わせチョコレート菓子(19$)を求めた。

 

「オーストラリア」ではオリンピックが開催された2000年から、それまで無かった消費税が10%に定められたという。
牛乳、育児用ミルク、パンでは食パンとバターロール、マーガリンなどの生活必需品には軽減税率が適用されているらしいが、私が買った食品には10%が課せられたと思う。伯母用の菓子が輸入品の為か、一番高くついた。
(レシートを確認したら、16%の消費税だった。17年の間に上がったのかもしれない)

「チムタム」は美味しい。白米は日本のよりも粘り気が少ないが味は良かった。
現在日本政府は、輸入白米に関税を7倍以上掛けているので日本国内で買えば高いのだが、現地では安い。味を見たくて自家用に買って来た。
隣国「ニュージーランド」産の「マヌカ・ハニー」は蜂蜜の中でも抗菌力が特に強いと言われているので、これにした。日本国内で求めると高価なので、これも自家用に買って来たものだ。
「オーストラリア」の平均賃金は日本の2倍程度らしく、そのために物価も2倍以上だから、現地で暮らしている人たちには高く感じなくても、外部から行った旅行者には高価になる。
近年、雪が降らない国の「オーストラリア人」が、大勢北海道の「ニセコ」にスキーをしにやって来ている。中には土地や家を買って長期滞在する人達も多いそうだ。日本とオーストラリアの平均賃金や物価を考えたら、彼等にとって日本では半額で生活できるのだから納得できる。
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