花好き・旅好き女性のセカンドライフ

通院しつつ、夏場半年間はガーデニングと家庭菜園で汗を流し、その合間に外国旅行を楽しむリタイヤ女性の生活日記

南米の世界遺産を巡る(13)

2012年04月29日 | 海外旅行「南アメリカ」
≪首都リマの市内観光後、ナスカへ≫

7日目も出発は早かった。6時過ぎにホテルを出て、真っ暗い中をバスでクスコに向かった。
クスコ発8:50のラン航空機で一旦リマに戻り、11時からバスでリマの市内観光をした。

前にも書いたが、リマはスペインのフランシスコ・ピサロがインカ帝国を征服後、1535年に海に近い乾燥した台地のリマを首都と決め、開発造成した町だ。現在はペルーの人口の1/3、820万人が生活する大都市で、旧市街にはスペイン風の建物が立ち並んでいる。
ピサロが計画した「アルマス(マヨール)広場」を囲むように壮大な「カテドラル」写真①と「大統領邸(ペルー政庁)」②がある。
「カテドラル」はピサロが1535年1月18日に自ら礎石を置いて着工したものだ。その6年後、仲間に殺されたピサロの遺体が納められているという。
「大統領邸」はピサロの私邸として建てられた建物を1938年から政庁として使っていると聞き、ピサロの当時の金権力に驚いたし、建築資金はインカから奪い取った金銀財宝だったことを考えると、こうしてペルーの国内に今も使われる形で残された事は良かった訳だ。(スペインに持ち出された大量の金銀は、当時のスペインをインフレにしたらしい)
また「大統領邸」前で毎日12時に閲兵の交代式があるのを、大勢の市民や観光客が見学していた。

 ① ②

          

広場の「大統領邸」の近くにはスペイン風の外観をした「リマ市庁舎」③、別の面には美しい「サンフランシスコ教会」④が建っていた。

 ③ ④

旧市街も新市街⑤もその賑わいはさすが大都会だと感じた。

その後ペルーの海鮮料理「セビーチェ」を食べる店で昼食を摂った。真ん中の茹でたマグロを囲んで黄色いさつま芋、ジャイアントコーン、揚げたピーナッツを盛り合わせたサラダに、エビやイカなどが入り、ターメリックで色づけした炊き込み飯が出た。なかなか美味しかったが、最後の紫色のデザートの材料が芋だと聞いて何となく食欲が無くなった。

 ⑤ 

         

昼食後、リマから「ナスカ」まで444kmを8時間かけ、バスは「パン・アメリカンハイウエー」をひたすら南下した。
このハイウエーは、カナダからブラジルまで続いているが、1923年の米州国際会議で初めて構想が出され、1940~50年代に各国の既存の道路を整備してネットワーク化したものだ。ペルーには余り鉄道が敷かれていない。
道路のすぐ右手に砂浜と太平洋が見える場所が続いた。左手は砂漠から直ぐにアンデスの高地が迫るのだ。
この辺りは滅多に雨が降らない乾燥地帯で、山から流れ着く水源も限られているらしく、緑があり、農業が行われていそうな地域はほんの少ししかなかった。(一か所、葡萄畑があった)
しかし、ある所から道路の両側には壁で囲んだだけで、屋根がなかったり、葦やナメコトタンを乗せただけの建物が累々と続いた。
ガイドは「これらは国の許可を得ないで勝手に土地を使っている不法建築物です。地面が砂漠なので、屋根が無い方が夜涼しいそうです。飲み水は国が所々に給水所を作って供給していますが、衛生状態が悪く問題になっています。」と説明していた。
世界的に格差社会が問題視される様になったが、ここには職にもつけないペルーの最貧層の人々が暮らしているのだと分かった。幸いに年間を通して気温が高いので、食べ物さえ手に入れば何とか生きて行けるのだろうが、ペルーの深刻な現実を見た。
(実はガイドがこちらを見て話している前で、スラムの写真を撮るのは憚れたので、こっそりと撮った)

    

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南米の世界遺産を巡る(12)

2012年04月27日 | 海外旅行「南アメリカ」
≪天候に恵まれた絶景のマチュピチュ≫
旅行6日目はウルバンバのホテルを5時に出発し、まだ暗い内に「オリャンタイタンボ」駅に向かった。ウルバンバ川の流れに沿って聖なる谷をマチュピチュの近くの「アリエス・カリエンテス」駅まで列車に乗るためだ。
私達は上部がガラス張りになっていて景観を楽しめる『ビスタドーム』という電車に乗った。この電車では1時間15分乗る間にスナック菓子と飲み物のサービスがあった。
電車は狭い渓谷を快適に走ったが、雨交じりの天候だったので高山のマチュピチュの天気が心配だった。
「アリエス・カリエンテス」駅で列車を下り、つづら折りの狭く急な坂道「ハイラム・ビンガム・ロード」を30分ほど専用のバスに乗るのだ。雨が降っていたがバスはどんどん登って行く。窓外に雨に霞む渓谷とウルバンバ川が見えた。

     

やっと「マチュピチュ」に着いた。バスから下りると間もなくマチュピチュ遺跡の入り口に着いた。そこからはガイドに導かれるまま急な傾斜地を高台目指して登って行った。結構きつい坂で、私は息が切れた。
途中、インカ道があった。さらに階段を上に登って高台の「墓地跡」に行った。向こうに聳える「ワイナピチュ」山(意味は「若い峰」)にガスが掛かっていた。ガイドの説明を聞きながら「見張り小屋」近くに下りた頃、覆っていたガスが徐々に晴れたのだ。眼下には夢に見たマチュピチュが広がっていた。正に≪天空の城≫がそこにあった。私は夢中で写真を撮った。

         

クスコがスペイン軍の手に落ちてから、インカ軍は「ビルカバンバ」という町に籠って抵抗を続けたという。その町はどこにあるのか、探すアメリカの学者『ハイラム・ビンガム』が1911年7月24日、急斜面をよじ登った所に見つけたのがマチュピチュだった。クスコから114km離れた高地2430mにあり、下からは絶対に見る事ができない≪天空の城≫が発見されてから今年で101年目になる。

今までの研究では、マチュピチュはビンガムが探し求めた「ビルカバンバ」ではなく、それはまだ奥にある遺跡だと言われている。
では、マチュピチュは何のための町だったのか。諸説あるが、「太陽信仰」の拠点だったのではという説が強いらしい。
この町を作るには、大きく重い石を運び、それを削って組み合わせ、段々畑に入れる膨大な土を下から運ばねばならなかった。水は確保できたらしいが、大勢の人が暮らすのは無理だ。発見後、男性より女性の人骨が多く出た事から、巫女が多くいて、この場所を撤退する時に巫女たちを殺したのでは、という説がある。(高野潤著『マチュピチュー天空の聖殿』によると、ビンガムは都市の東側下部や見張り棟上部の洞などから173体人骨を見つけたが、そのうち150体が女性だったと書いている)

その後さらに石段を下りて市街地に入ると「石切り場」があった。一説にインカが統一するかなり前から造り始められていたのではというマチュピチュは、まだ未完成だったらしい。
そこから、「主神殿」「神聖な広場」と傍の「3つの窓の神殿」を見ながら有名な高さ1.8mの日時計「インティワタナ」の場所に行った。36cm突き出た角柱の対角線を冬至に太陽が通るという。つまり4つの角は東西南北を向いているのだ。(ガイドが磁石を置いて説明してくれた)

   

「ワイナピチュ」に最も近い場所が「パチャママの神殿」だ。
広場があってそこには「ワイナピチュ」に形が似た「聖なる岩」が建てられていて、岩から離れて立つと「ワイナピチュ」と岩が重なる様に置かれていた。またその裏側を少し下りた所に標高差250mの「ワイナピチュ」に登る登山口が見えた。かなり急峻な山だ。

  

少し下りて居住区を通り、儀式が行われていたらしい「コンドルの神殿」(コンドルの頭をデザインしたらしい石が置かれ、その背後には大きな石で羽ばたく羽根が表現されている)とその隣に「拷問の間」を見た。(前掲書によると、拷問は頭が反り返る様な体型で石に縛り付け、食料や水を数日間与えず、水音だけを聞かせたりするものだったらしい。)
それから急な階段を少し登って行くと「太陽の神殿」(上部がクスコのコリカンチャの土台を思い起こさせる神殿、下が墓場になっている)があった。
下部地域には小さな石を雑に積んだ「庶民の居住区」と思われる石組みがあった。
さらに市街地への入り口を出ると谷に沿って段々畑があった。畑の上にはマチュピチュの全体が見渡せる「見張り小屋」が建っている。

  

  

元の入り口に戻り、これで高低差が結構あるマチュピチュの外周を一回りしたのだ。私はもう一度マチュピチュを振り返って「さようなら!!マチュピチュ」と声にして別れを告げた。
心配した天候も回復し、本当に素晴らしい一日だった。まだまだ謎が一杯隠されているインカの都市「マチュピチュ」をこの目で見た感動は、一生忘れないと思った。

           

 また「マチュピチュ」からバスに乗って「アリエス・カリエンテス」(「温泉」の意)に戻り、『ビスタ・ドーム』列車に乗ってウルバンバ川の流れる渓谷を走り、ウルバンバ村のホテルに戻った。途中雨が降り出した。私達には何と幸運だった事か。

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南米の世界遺産を巡る(11)

2012年04月26日 | 海外旅行「南アメリカ」
≪ピサロに滅ぼされたインカ帝国の町、クスコ③≫
ガイドに従ってアルマス広場の「カテドラル」の横を通り小路に入ると、そこにはインカ道がそっくり残っていた。
その先の石壁の1つが有名な「12角の石」だった。12も角をつけて組み合わせた理由は、王の一族が12人だったとか、1年の歳月を表しているとか想像されているらしいが、確かに石工の熟練した技術力を今に伝えていた。別の壁には、14角の石もあるそうだ。

   

その後、バスに乗って北西の小高い丘の上の遺跡「サクサイワマン」を見に行った。巨石を3層に積み上げたインカの要塞跡で、3万人が80年をかけて造ったのだという。1536年5月に2万人の兵士と立て籠もったマンコ・インカがスペイン軍に敗れた所だ。(何でもインカ軍は、農繁期には家に戻り、夜は休むという習慣があって、その隙に攻め込まれたらしい)

  

             

少し離れた丘の斜面に造られた「ケンコー」遺跡に行った。そこは岩を削って造った祭礼の場だったという。皇帝が座った玉座や生贄の台もあった。
訪れる観光客は多くはないと思うそんな所の駐車場でも、数人の女性たちが手作りの帽子や人形、布などを売っていた。店を出して商品を並べている女性もいた。どこの国に行っても、庶民の女性たちは本当に働き者だと思った。
ふと木の間を覗くと眼下遠くにクスコの町の郊外が広がっていた。

       

             

クスコの観光を終えた後、ウルバンバ渓谷を下りて標高2870mのウルバンバの村のホテルに行く途中で、伝統的な農業をしているある農家を訪問した。
茹でた白い「ジャイアントトーモロコシ」を用意して私達を迎えてくれた奥さんは、インカ時代から続く姓に誇りを持っている人だった。
じゃが芋、トーモロコシ、ビート、豆などを栽培し、専用の飼育小屋で大きさがうさぎ位の「クイ」を数十匹育てていた。「クイ」は大事な日に食べるらしかった。アメリカがこのトウモロコシを加工食品用に買ってくれるようになってから生活が良くなったと言っていた。
写真の芋の傍にある白いものが「チューイ」だ。じゃが芋を乾燥させて作るインカの伝統的な保存食である事は知っていたが、私は初めて見た。

  

 

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南米の世界遺産を巡る(10)

2012年04月25日 | 海外旅行「南アメリカ」
≪ピサロに滅ぼされたインカ帝国の町、クスコ②≫
クスコに着いて直ぐに行った高台の上の「サント・ドミンゴ教会(コリカンチャ)」を下から見上げながら、ガイドは「インカを滅ぼしたスペイン軍は、立派な石の土台だけ残して、その上の建物を破壊し、この教会を作りました。その後幾度かの大地震で教会の建物は破壊されましたが、インカの土台はびくともせずに残っています。」と説明した。続けて、土台の石は鉄分を多く含んでいるために黒くなっていること、剃刀の刃一枚も入らない程ぴったりと組み合わされている事を説明した。本当に石はしっかりと組み合わされていた。またガイドブックによると、壁には20cm幅の黄金の帯がかけられていたらしい。

        
それから「サント・ドミンゴ教会(コリカンチャ)」に入った。コリとは黄金の事でカンチャとは居所を指す言葉だそうだ。
インカ時代には、広場を囲んで「月・太陽・稲妻・虹・星」などの部屋があり、壁には台形の棚状のへこみが作られ、金銀の像が飾られていたらしい。
土台の上に葺いた敷石と部屋を仕切る壁が数枚残っていた。壁には幾つか穴があり、まん中の穴は幾つもの部屋を貫通していた。換気口かも知れない。
庭に出て遠くを眺めると、山のかなり高い所まで家が沢山建っていた。

       

見学の後、ペルー料理とフォルクローレで有名なレストランで、「コンドルは飛んで行く」や「花車」といった今や世界中に広まったフォルクローレを聴きながらゆっくりと食事をした。

        

インカも広場を中心とした街づくりをした。その「アルマス広場」の周りには今、インカの宮殿があった場所には1650年の地震後に再建された「ラ・コンパニーア・ヘスス教会」(下左)が、またインカのビラコチャ神殿があった場所に1550年から100年の歳月を費やして建てられた「カテドラル」(中)の他、ホテルや旅行社、土産物店が並んでいる。フォルクローレの音楽CDやサンポーニャを演奏しながら楽器を売っている中年男性もいた。(彼らは「コンドル…」の曲を吹いていたが、余りにも音程が変なので私が歌を歌って上げたが、考えて見たら、彼らのがペルーの原曲だったのかも…)

  

         

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南米の世界遺産を巡る(9)

2012年04月24日 | 海外旅行「南アメリカ」
≪ピサロに滅ぼされたインカ帝国の町、クスコ①≫
5日目はリマのホテルをスーツケースをバスに積んで4時半に出発して空港に向い、7:10発の国内線航空機でリマの東南東、約580km離れたクスコ空港迄飛んだ。
今回も窓側席だったので、窓外の景色を見る事ができた。遠くに白く輝く左の山は、多分アンデスの高峰「サルカンタイ」山6,271mだと思った。良く見るとかなり高地にまで整備した農地が作られていて驚いた。
クスコに近づくと眼下にインカの神「ピューマ」の形に造られたという町が見えて来た。

   

8:25に着陸したが、クスコの町が標高3399mの高地にあるため酸素が薄く、私は数歩歩く度に深呼吸をし、時々ペットボトルの水を飲みながらゆっくりと進んだ。(この後、高山病の症状らしきものが数人にみられたらしいが、私は何ともなかった)

世界遺産の町「クスコ」は山に囲まれたなだらかな斜面に作られたかってのインカ帝国の首都だ。現地ガイドは若い頃東京で暮らした事があるという男性だったが、1つ1つの説明を詳し過ぎる程丁寧にしてくれた。

ガイドブックによると、ペルーは日本の3.4倍の面積の国だが、今から3000年前に北部アンデス山岳のワラス付近に蛇やジャガーを神とする「チャビン文化」が発生、瞬く間に全土に広がったという。
その後11世紀末に中部アンデス地域にインカ族が出現して新しい文化を築き、15世紀末にはコロンビアからチリにまたがる4000kmにわたり大帝国を築き上げ、首都クスコを中心に繁栄していた。
今でも当時のまま残っていて使われているのが、帝国中に張り巡らされたインカ道だ。谷や山、川を越え、その場所の地盤の特徴に応じて基礎工事も頑丈に作られた石の道路である。当時、馬や車が無かったインカでは、これら全ての工事を人力でやったらしい。どれだけ多くの人々が道路工事に参加したか。多分膨大な人数だったと思われている。このインカ道を走る人間の通信を発達させ、クスコの王の命令は数日で国の隅々に行き渡ったという。

ところが1532年、スペイン人探検家フランシスコ・ピサロが少人数の兵を率いてクスコを攻め落とし、「コリチャンカ=太陽の神殿」から黄金を奪い、間もなく皇帝アタワルパを処刑した。これでインカ帝国は誕生から僅か数十年、インカ文明が広がり始めてから約三百年で姿を消した事になる。
その後、征服者ピサロは首都を海に近いリマに移して、新しい都市づくりをした。

しかし19世紀に入ると南米植民地の独立運動の高まりの中で、ペルーは1821年、サン・マルティン将軍率いる独立派が勝利して289年間のスペインの植民地から独立、ペルー共和国が誕生したのだ。

1990年には日系人アルベルト・フジモリが大統領になったり、1996年12月に起きたリマの日本大使館公邸事件は私たちの記憶に残っているのではないだろうか。

歴史的世界遺産の代表、「コリチャンカ=太陽の神殿(現在はサント・ドミンゴ教会)」は空港から緩く傾斜した広い道を1kmほど行った場所にあった。
その途中、インカ織りの布や手編みの帽子を売る女性が声を掛けて来た。歩道に置かれたベンチを前に靴磨きの人達が数人いた。ベンチで休んでいる人、赤ん坊にお乳を与えている女性もいた。教会下の広場で草刈りをしている一団もあった。



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南米の世界遺産を巡る(8)

2012年04月23日 | 海外旅行「南アメリカ」
≪アルゼンチンから見た三国国境地帯≫
アルゼンチン側からイグアスの滝を見た後、またトロッコ列車に乗って戻った。周囲に色々な国の人達が乗っていたが、前の子供連れの夫婦はブラジルから来たと言っていた。時々こうして国境を越え、家族で遊びに来るのだとか。簡単に来られる人たちが羨ましく思った。

次の駅で列車から降り、バスに乗り換えて「プエルト・イグアス」の町を通り、「アルゼンチン・ブラジル・パラグアイの三国国境地帯」に行った。
イグアスの滝から約18kmの所でイグアス川とパラナ川が合流する川の中に国境があった。
最初の写真の手前側が私が居るアルゼンチンで、川向こうの右側がブラジル、そして左側がパラグアイだ。
アルゼンチンのモニュメントは、国旗の色を表す白と青の色に塗られていた。
川岸の道路を現地の人や観光客が歩いていた。川の向こうには、かすかにパラグアイ共和国のモニュメントも見えた。

帰りのバスでガイドが『パラグアイは物価が安いので、大勢の人達が食料品や日用品の買い出しに行きます。』と話してくれた。
しかし私が調べた所、海を持たない内陸国パラグアイ共和国は大型船の出入りが一部の川に限られ、台地もアンデスから流れる多くの川が作った沖積平野で荒涼としていて農業に適さない場所が多く、多くは牛飼いと『原住民グアラニー』が住んでいるという。
国内にはこれと言った資源も無く、鉄、鉄鉱石、石油も全面的に輸入に頼っていて、工業生産が低迷し、経済の中心は肥えた土地で採れる大豆、サトウキビ、綿花などの農産物と牛の放牧、林業、織物加工といった小規模生産に頼った経済らしい。
近年、水力ダムで発電した電力を、ブラジルに売る売電事業がパラグアイの経済に貢献しつつあるという。だから物価が安いのだろう。

  

          

十分に国境地帯の様子を眺めた後バスに戻ろうとした時、数人の子供たちが通路の横で歌を歌っているのに気が付いた。私は皆の最後だったので慌ててバスに向かいながら、少し離れた所で振り返り子供たちの写真を写した。
後で知ったのだが、実はそのこどもたちは三国国境地帯で小集団で昔ながらの自給自足生活を今なお続けている「ボロレ村」の先住民族『グアラニー・インディアン』だったらしい。
私は帰国後TVで知ったのだが、言葉はやがて消えて行くかも知れない「グアラニー語」を話し、その歌を歌うとか。もう少し早く子供たちが居るのが分かっていたら、日本から持って行った飴もあったのにと思ったりした。改めて写真を見たら、皆靴を履いていなかった。
(先日のBSジャパンの『イグアス国立公園』では、豆やトウモロコシ、さつま芋、マンジョウカを栽培し、マテ茶を愛飲する人達だと放送していた)

 

その後、また、バスで国境を越えてブラジル側に戻り、イグアス飛行場からラン航空に4時間15分乗ってペルーのリマに行った。やっと窓側に座れたので夕暮れになる直前に眼下にペルーの広大なチチカカ湖を見る事ができた。
ホテルに着いたらペルー時刻で23:50になっていた。

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南米の世界遺産を巡る(7)

2012年04月21日 | 海外旅行「南アメリカ」
≪アルゼンチン側のイグアスの滝≫
旅の4日目4月8日は、イグアスの滝をアルゼンチン側から見学する日である。
ブラジルのホテル前から9時にバスで出発。30分程でブラジルの国境に着いた。パスポートを添乗員に預けたら、現地のガイドと一緒に出入国管理事務所に行って全員の出国手続きを済ませてくれた。
バスがゲートを通過して間もなく、今度はアルゼンチンの出入国管理事務所があり、そこで同じ様に入国の手続きを済ませてくれた。その間両方で25分程私達はバス内で待っていた。そしてようやくアルゼンチンのイグアスの拠点の町「プエルト・イグアス」に入り、国立公園の入り口でバスを下りた。
そこからは壁が無くすずしいトロッコ列車に乗って、一番奥にある「悪魔ののど笛」の散策路入口まで行くのだ。トロッコ列車は大勢の人達で賑わっていた。

  

「悪魔ののど笛駅」で列車を下り、散策路を奥へ20分ほど歩いた。
途中、びっくり眼の様な目をした野鳥『ルリサンジャク』に出会った。また数組の母子でグループを作って行動するという『アカハナグマ』にも何度も会った。飛び出した鼻先で土の中にいる虫を取って食べるらしいが、観光客が持っている食べ物を奪ったりもするのだ。
(バッグの中の食べ物を狙ったアカハナグマに噛まれた人もいたので、「狂犬病」の予防接種をしていない私は噛まれないように注意した。ちなみにこういう国では動物の衛生管理がされていないので、人間が噛まれるとまず危ないのだそうだ)
母親が尾を立てて歩くのは、自分の子供への目印だという。

   

           

穏やかに流れる川の上にかかった長い橋を2つ越えると水煙が見えた。突き当りが「悪魔ののど笛」を正面に見る事ができる有名な展望台だった。ブラジル側からは遠くにしか見えなかったのだが、まさに直ぐそこにあった。
余り広くないその展望台は、観光客で溢れていた。私は人の隙間にもぐり込んでほとばしる様に流れ落ちる滝を眺めた。細かな水滴が降り注ぎ、人もカメラのレンズも濡れた。それで撮った写真が大分駄目だった。
対岸の遠方を見ると、前日行ったブラジル側のホテルとエレベーターで上がった展望台が見えた。

   

アルゼンチン側には遊歩道を上下に幾つか作ってある様だったが、私達は上の2か所に行っただけだったので、私自身はどちらかと言えばブラジル側から見たイグアスの滝の方が全景に近い景色を眺める事ができたし、また、変化に富んでいて良かったと感じた。
(下の写真は上から下の展望台を写した)

       

現地ガイドの話では、この日のブラジル側の滝は水量が少なく、ボートツアーも中止になったと聞いた。多分上流に作った水力発電所が、放水を調整したのだろうと思った。

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南米の世界遺産を巡る(6)

2012年04月20日 | 海外旅行「南アメリカ」
≪ブラジル側のイグアスの滝②≫
ホテルを出て、車道を横切り、イグアス川沿いの1.2kmの遊歩道を歩き始めた。そして数か所ある展望台に立ち寄りながらそこから見える景観をカメラに収めた。
最初の展望台からはイグアスの滝の全貌を見る事ができた。歩いて行くに連れて滝は異なる姿を見せてくれた。
最後は川の上に作られた遊歩道の先端まで行って水煙を浴びながら、その中にできた美しい虹を見た。
水量も水音も物凄く、私はこれを見たくてここまで苦労して来たのだと本当に嬉しく、まるで時間が止まってしまったかのような世界にひたすら浸った。

  

               
 

様々な滝の姿をたっぷりと鑑賞してから、エレベーターに乗って展望台に上がった。眼下にはゆったりと流れるイグアス川が最後に滝になって二つの国の国境の裂け目に落ちる光景と、対岸には明日行くアルゼンチン側の展望台が確認できた。(最後の写真)
展望台からは車道に出る事ができた。
(左下の写真は川の上の遊歩道からエレベーターと展望台を写したもの。また最後の写真の奥が「悪魔ののど笛」だと思う。その右上に人が大勢いる)

  

              
 
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南米の世界遺産を巡る(5)

2012年04月19日 | 海外旅行「南アメリカ」
≪ブラジル側のイグアスの滝①≫
昨夜は遅い時刻に到着したため、3日目は9時の出発だった。最高気温は30℃前後だというので、服装は真夏と同じ格好をした。
朝食後、ホテルの中庭を散策した。シンボルツリーのブーゲンビレアが紫色の花を咲かせていた。
バスでまず土産物店に行った。日本人の店員もいる清潔な店だったが、チョコレートはやや高かったので私は250g入りのコーヒーを土産用に数個買った。
帰宅後飲んで見たら、独特の味がして、私の場合は嵌まってしまいそうなコーヒーだった。ちなみに消費税は10%だった。

  

その後、野鳥園を覗いた。亜熱帯に生息する珍しい鳥や色が綺麗なオウムの仲間が飼われていた。南国の植物も珍しかった。

   

      

バイキング形式の大きなレストランに行き、早めの昼食となったが、時刻が早すぎて私は食欲が湧かなかった。牛肉の串焼き、牛のこぶ肉のあぶり焼きが美味しかった。ケーキも色々あったが、私はプリンを少し食べただけだった。

 

いよいよブラジル側からイグアスの滝を見学する時が来た。
半数の人が現地ガイドと一緒にオプショナルの「滝ボートツアー」に向かったが、私はナイヤガラの滝で『霧の乙女号』を体験した事から、ただずぶ濡れになるよりはしっかりと滝を見たいと思った。それで添乗員に付いて遊歩道をじっくりと見学するコースを選んだ。

遊歩道の入り口でバスから降り、まず最も滝に近い場所に位置する国立公園内唯一の老舗最高級のホテル『ダス・カタラタス』に案内された。
外観は植民地時代にヨーロッパの建築様式を取り入れた「コロニアル風」で色はピンク、内部は古典的な作りだった。(写真中央は、食堂)
中央にある4階建ての展望台に上がると目の前に車道と亜熱帯雨林、そして滝が臨め、水音が聞こえた。憧れの滝を初めて見て感動した。

(ガイドブックによると11~3月が滝の増水期で水量が多いが、そのため遊歩道に進めないこともあるらしい。4~6月は水量が少なく迫力に欠け、ベストシーズンは10~2月だという。私は暑さに弱いので真夏のイグアスには耐えられないだろうし、マチュピチュとの兼ね合いで今回の4月を選んだのである) 

    

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南米の世界遺産を巡る(4)

2012年04月18日 | 海外旅行「南アメリカ」
≪イグアスへ≫
2日目の4月6日は、ペルーのリマのホテルのモーニングコールで8時に起こされ、朝食を摂ってから荷物をまとめ、9:30にバスでホテルを出て、再びリマ空港に戻った。リマ発13:30発のラン航空機でブラジルのイグアス空港に向かうためだ。
空港でペルーからブラジルへの出国と搭乗手続きを済ませてから搭乗口で待っている間、隣席の夫婦に「どこから来たの。」と話かけられた。彼らはリマに住むペルー人で、イグアスの知人に会いに行くのだと言う。イグアスの滝は見たことがないと言っていた。
夫人は指輪を3つとブレスレットを2つもしていたので聞くと、「夫がプレゼントしてくれたもので、ゴールドだ。」と言っていた。一緒に写真を撮った。彼らには帰りの飛行機でも会った。

                 

リマからイグアス迄もまた希望した窓側には座れず、窓外の景色を見られなくて残念だった。機内食に出たチーズサンドと飲み物が美味しかった。
搭乗時間は3時間55分だったが、ブラジルはペルーより+2時間の時差なので、到着時刻は19:25だった。
着陸時に乗客たちから拍手が上がった。どうしたのかと思ったら、女性機長が初フライトしているという機内放送があったらしい。どうりで着陸の仕方が頭から突っ込むように急で未熟だったと思った。

入国検査を終えて荷物を受け取り、バスでイグアスのホテルに向かった。このホテルはイグアスの滝の観光拠点の町「フォス・ド・イグアス」にある。滝から28kmのこのホテルに2泊して、イグアスの滝をブラジル側からとアルゼンチン側から観光することになるのだ。
結局、私が家を出てからイグアスに着くまでに2日間が経っていた。

ホテルに着いてからレストランで遅い夕食を摂った。私の予想よりも比較的あっさりとした味付けで食べやすい料理だった。メインは川魚のムニエルで、ご飯は細長いインディカ米のバターライスだった。

  

22時過ぎにホテルの隣のパン屋に行くと大勢の市民が食事をしていた。私は清涼飲料水を買ったが、1.5L入りのペットボトルが2.4$(206円)だった。この時刻なのに気温は20℃以上あった。

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南米の世界遺産を巡る(3)

2012年04月17日 | 海外旅行「南アメリカ」
≪遠かった南米≫
先ず4月5日、1日目。
出国の安全検査を終え、成田空港発14:55の大韓航空機に搭乗し、アメリカのロスアンゼルスに向けて飛び立った。飛行時間は9時間55分だ。
私の座席は窓側、隣はオメガの時計をしたタイ人の70歳代後半かと思われる男性だった。聞くとアメリカで仕事をしている長男の所に、次男の妻と小学生の孫3人を連れて約1か月間、遊びに行く所だそうだ。彼の元の仕事は公務員だというが、かなり上の地位にいた人らしかった。それにしても彼のリッチな生活ぶりに驚いた。
長距離、大韓航空機に乗ったのは2度目だったが、エコノミー席でもまずまずゆったりしていたし、食事も韓国らしいビビンバもあり、朝食にはおかゆもあって良かった。

日付変更線を通過しロスアンゼルスに着いた。時差は日本よりー16時間なので、到着時刻は4月5日8:50だ。
一旦アメリカに入国し、改めて出国してペルーのリマに行くラン航空機に乗り換えた。

ツインタワーが崩壊したテロ後、アメリカ入国時の審査が厳しくなった。両手10本の指の指紋と顔写真を取られるし、数年前からは予めESTAを取った上で入国する必要があるのだ。
また出国時は、上着、ベルト、靴、手荷物を箱に入れて検査を受ける。液体物の制限も厳しい。こうした検査が厳し過ぎると批判する人もいるが、厳しい位の検査をして安全性を確保してもらう方が、搭乗する私達にとっても安心だと思う。

ラン航空機はロスアンゼルスを13:25に飛び立った。大型飛行機の機内は多国籍の人達で一杯だった。
8時間34分掛けてリマ空港に着いた。ペルーはロスアンゼルスより時差が+2時間なので、時計を2時間早めた。リマ到着時は4月5日23:59だった。
入国審査を受け、荷物を受け取ってからバスで1時間弱の所のホテルを目指した。着いたら既に2時になっていた。
成田からの飛行時間だけで18時間半。待機、乗り継ぎ時間を合わせると長時間となり、流石に疲れた。

モーニングコールは8:00だと添乗員から言われたので、私は催眠薬を飲んで早々にベットに入った。






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南米の世界遺産を巡る(2)

2012年04月16日 | 海外旅行「南アメリカ」
ただ今!!帰りの成田発新千歳空港行きのANAが1時間も遅れたため、14日夜22時過ぎに帰宅できた。
(ところでこの飛行機には中国人観光客が沢山乗っていた。彼らは英語が分からないので、キャビンアテンダントにサービスの飲み物の種類を聞かれると、近くの人のを指さして同じものを注文していた。また成田空港ターミナルの女性用トイレに紙が一杯投げてあって流していなかったのは彼らのせいかもと思ったが、この時期、北海道観光に訪れてくれる彼らには感謝したいと思った)

出発した5日は異常な低気圧が通過した翌日だったので、何とか順調に新千歳から成田に向かう早朝の航空機が運行した。成田で今回のツアーに合流し、大韓航空機で無事に出発できた。
こうして行きはラッキーだったし、観光内容も素晴らしかった。
標高が3600m以上あるクスコで高山病になるのではないかと不安だったが、数人、体調が悪くなった人が出たが、幸いに私は何ともなかった。

しかし、往復とも乗り継ぎをしながら飛行時間がすごく長い旅だったので、今までよりかなり疲れた。
おまけに帰国時、30℃近かったペルーのリマから夜中にラン航空の飛行機に乗ったら、機内は冷房を入れているのではと思う位低温で、あちこちで咳き込んでいる人が居た。そして私もついに風邪を引いてしまった。
また悪い事に、ロスアンゼルスから大韓航空機に乗り継いで成田に着いた時、出て来た私のスーツケースの角がへこんでいた。
係りの人から修理の伝票を受け取って帰宅したものの、家でスーツケースを開けようとしたら、へこんだ部分に近い方のTSAロックが開かないのだ。焦ってしまった。
大韓航空機に電話してどうしたら良いか相談すると、「鍵を壊して開けて下さい。」という返事。ドライバーでこじ開ける様にして何とか開けた。
明日、スーツケースを修理に出す連絡をしようと思う。
こんな訳で良い事も悪い事もあった旅だった。
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南米の世界遺産を巡る(1)

2012年04月03日 | 海外旅行「南アメリカ」
1988年8月、小学5年生だった娘を連れてアメリカ東海岸とカナダのツアーに参加した時、そこで「ナイヤガラの滝」を見たのが、世界三大滝を見た最初だった。
その後、2008年6月にアフリカに行って2つ目の「ビクトリアの滝」を見た時から、南アメリカにある3つ目の「イグアスの滝」が、私がどうしても行きたい場所になった。

思い起こせば私が滝に憧れる様になったきっかけは、60年程前に「小学1年生」という雑誌のグラビアに載っていたナイヤガラの滝を見た時の感動からだった。その時小学1年生だった私は、生きている内に何とかナイヤガラの滝を見て見たいと強く思ったのを覚えている。

今回は同行者を求めて身近な人数人に声を掛けて見たが、遠すぎる、体力的に不安だ、日数が長すぎるなどと言って断られた。それで仕方なくビクトリアの滝に行った時と同様に毎度参加しているK旅行社のツアーに1人で参加することとなった。



今回のツアーは、折角、往復長時間の航空機と費用を掛けるので、滝だけではなくペルーにある世界遺産「マチュピチュ遺跡」「クスコ市街」「リマ旧市街」「ナスカの地上絵」の見学もする。
富士山より高度がかなり高い場所にも行く事になるので、高山病になるかも知れないという不安はある。しかし、なったらその時に対処することにして、とにかく行って来たい。

現在の気温は1℃で先程から雪が降り出した。天気予報では、発達した低気圧の影響で今夜から明日に掛けて強風と風雪に見舞われそうだ。
明後日の航空機が欠航しないかと気になるが、5日早朝、家を出て、新千歳空港から成田空港に行き、そこで集合して14;55発の大韓航空機でロスアンゼルスに向かう。
そこからリマ行きのラン航空に乗り継ぎ、ペルーに行く。リマで1泊後、「イグアスの滝」のブラジル側まで飛び、1日半「イグアスの滝」をゆっくり見学する事になりそうだ。
(イグアスの滝は、アルゼンチンとブラジルの2つの国の国境にある。先日まで私は、先ずアルゼンチン側から見てからブラジル側に行くのかと思っていたが、どうやらその反対で、ホテルもブラジル側だそうだ)

「イグアスの滝」当たりは最高気温が30℃以上あるらしいので夏服だが、「クスコ」は今の北海道の気温とほぼ同じで最低気温はー4℃、まだ冬服だ。温度差が30度あるので、服装の準備を入念にして体調にも気をつけたいと思う。
帰国は14日の予定。それまで暫くブログを休むが、帰国後、また宜しくお願いしたい。
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球根が芽を出した

2012年04月02日 | ガーデニング
昨日、畑の友人の1人から電話があった。
開口一番「ビッグニュースだよ!」という。
何かと思ったら、私が贈ったプランターにクロッカスの白い花が咲いていたと言うのだ。かなり感激したらしい。
彼女は札幌中央区の高層マンションに住んでいて自然の草花が身近にない。それで昨秋(9月20日)、数種類の球根を植えこんだサプライズ鉢を1鉢作って、藻岩山登山の帰りに渡したのだ。(記事は昨年9月15日付)

その時、「寒気に一定期間当てないと来春の花芽ができないから、温かいマンション内に置かずに、冬中外のベランダに放置して置いて良いよ。だけど鉢に水が入って凍結したら駄目だから、雪が融けるまでビニール袋をかぶせて置くと良いかも知れないよ。」と言ってあった。
彼女はその鉢を南面するベランダに置いて、言われた通りにしたらしい。数日前から気温が上がって来たので、ビニール袋を取り除いたと言っていた。
この後、私が植えこんで置いた水仙やチューリップ、ムスカリ、ミニアヤメの球根が順番に起きて芽を出して開花し、きっと彼女を楽しませてくれるだろう。

今朝5時半の外気温はー7℃。3月上旬に戻ったような寒さだ。
我が家の庭にはまだ雪が残っているが、早く融けた所に植えてあるチューリップや水仙の芽が出て来た。植物はちゃんと芽を出す時を知っていて、重く冷たい雪の下でじっとこの日を待っていたと思うと愛おしい。
明日、明後日と大荒れの天気予報なので、また雪が降るだろう。でも最高気温が+になるので、もうそんなに積もることはないと思う。
この後、私は十日間程家から離れるが、帰宅する頃には庭がどのようになっているか、とても楽しみだ。

①チューリップ(左の細い葉はムスカリの葉) ②水仙 ③クロッカス

 ① ② ③
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