花好き・旅好き女性のセカンドライフ

通院しつつ、夏場半年間はガーデニングと家庭菜園で汗を流し、その合間に外国旅行を楽しむリタイヤ女性の生活日記

高騰する燃料代のあおり (続編)

2007年11月30日 | 暮らしと経済
 北海道では、今年はいつもより早く寒い冬が到来し、近所の灯油タンクには、配達の車が出入りしている。明日にもまたガソリン代が上がるというニュースが流れ、それらにどう対処したら良いかという生活の知恵的な話が多くなっている。

 それら暮らしの情報的なコーナーの報道で私が成る程と思ったのは、「暖房温度の設定を下げる」のはもう当たり前だが、そうすると寒く感じる。一枚余計に上着を羽織る様にするのももう当然だ。
 かって北海道の冬の室内では、暖房ストーブをガンガン焚き、夏のような薄着で冷たいビールを飲むというのが普通だったが、もうそんな贅沢はできなくなった。
 民放のある女性キャスターは、「TVを見ながらストレッチをして、体温を高くしている。」という秘策を紹介していた。

 また、今年は、暖房用ストーブとして「薪ストーブ」が見直され、売れているそうだ。
 薪ストーブは比較的安価だし、薪もタダで手にはいるなら燃料代は0、燃える炎を見ることができるので目でも暖かくなり癒されるという利点がある。
 しかし、薪を買うとなると結構な費用になる。そこで紹介されていたのが、古新聞で薪型のチップを作って燃料にする方法だ。新聞紙をちぎって水に浸し、圧縮して絞りかためてから乾燥して作るのだそうだ。こちらも燃料代はタダだ。

 但し、薪ストーブには煙突が必要なので、我が家のようにセントラルヒーティングで煙突が無い家には向かないが、従来型の石油ストーブを使っている場合は、ストーブだけ交換すれば良いのだから簡単だ。
 もう一つの薪ストーブの欠点は、薪を保管する場所が家の内外に必要になるので、都市のマンション住まいでは無理かも知れない。

 私は、今更ながら、今の家を建てる時、煙突も作っておくべきだったと残念に思うが、普通は二通りの暖房など考えないだろう。自分が高齢になる事を考えて、当時は火災にならない暖房方式を選択したのだ。今となってはちょっと甘かったかも知れないと思っている。

 これからもこうした暮らしの情報が盛んに報じられるだろうが、私もできることは進んでしたいと考えている。
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高騰する燃料代のあおり

2007年11月27日 | 暮らしと経済
 昨日は珍しく暖かい一日だった。最高気温が6~7℃になったので庭へ出ても秋のような心地よさだった。
 庭で枯れた菊を摘んでいたら近所のおじさんに声を掛けられた。立ち話をしている内に今冬の燃料代が高い話になった。
 娘家族と同居しているおじさんの言うには、「最近の子どもは変だ。毎朝髪を洗ってから高校へ行く。灯油代が馬鹿にならないから止めろと言った。」そうである。
 
 そういう私も、ゆったりとしたスペースだけが贅沢な家に住んでいるので、玄関も吹き抜けのあるホールも二階の全室と廊下も温めて快適にし、住居内の温度差を少なくする事で結露を防ぐようになっている家なのに、実際はそうできなくなっているのだ。
 昔の人は隙間だらけの家に住んでいても、必要な部屋だけ暖房する局所暖房をし、綿入れの袖無しを羽織り、火鉢や炬燵で暖をとって寒さを凌いでいたのだ。
 私の子ども時代は、冬、敷き布団2枚を重ねてから、それにさらに1枚を半分に折って縦長にくっつけて敷き、その真ん中に入れた一個の湯たんぽを両側から妹と共有して寝かせられていたのを思い出す。考えて見ればこのやり方が一番経済的だし、断熱材など入っていない昔の家は朝起きたら布団の襟元に霜が付くぐらいの厳しい寒さだったから、それが子どもを守る方法だったのだろうと思う。
 そういえば昔は綿入れの「丹前」なるものも愛用していた。肩が寒くないし、起きた時にそのまま着たら温かいし、なかなかの優れものだったと思う。しかし、綿入れは洗濯が難しいので、家の気密性・断熱性が格段に良くなってからは、すっかり姿を消してしまった。
 今はアクリルで作られた似たような形の「かいまき」なるものが売られているので、今度スーパーで見てみようと思う。アクリル製なら弱水流で家でも洗えるだろうから、清潔も保てるし良いかも知れない。

 昨夜のニュースでは、生協が灯油1Lを96円に値上げすると発表したらしい。値上げされたら世帯当たり平均で今年の燃料費は4万数千円以上高くなるだろうと報道していた。
 また一方で、京都議定書目標枠に届きそうにない日本は、ハンガリーから一酸化炭素排出削減の枠を買い取って帳尻を合わせる方針を決めたとも報じられている。いよいよ、国をあげて省エネに取り組まねばならない時期に来たのだと思う。

 私も今年は、必要な部屋に必要な時だけ暖房を通す事にした。
 昨日はホームセンターからちょっと洒落たデザインのガラスシートを買ってきて、まだ張っていなかった二階寝室のガラス窓の下半分に張った。目隠しを兼ねて断熱効果もあるのだ。
 カーテンも床に届いていないのは、冬だけ適当な布を裏から縫いつけて丈を長くしたいと思っている。

 また先日は業者に来て貰って、各室の強制換気量(我が家は今の国の基準通り、年中、常時機械で換気が行われていて、自分では止めることができない)を測定し直して貰い、少し低くしてもらった。

 また最近、冷え性になって来て足が冷たくて困るので、金属製の湯たんぽを980円で買った。お湯を入れて足元に置くと、朝までぐっすりと眠られる。湯たんぽは一酸化炭素を出さず、身体に優しい省エネ健康器具だと思う。
  
 今冬は北海道に生活する者にとっては厳しいが、色々と知恵を絞って燃料代高騰に対処して行かなければならないので、皆さんの知恵もお借りしたいと思う。
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伯母の家の仏壇を始末

2007年11月26日 | 高齢期の生活
 昨日行った時に伯母から、奥の仏間にある年代物の立派な仏壇を始末するために、お寺さんにお経を上げて貰って仏壇の魂抜きをする必要があるのだと聞いていたが、先程、電話が来て、今日、無事に済んだといっていた。
 そのお布施はどの位包むと良いかが気になったので、数日前に若い僧侶に聞いたら、「お気持ちで結構です。」と言われたと言って、伯母は困っていたが、幾ら包んだのだろうか。
 仏壇は後から仏壇店が引き取り、お焚き上げをするそうだ。こちらにもお金がかかると言っていた。

 私のような不信心の物には良くわからないが、お骨は納骨堂にあるので、家の仏壇は家族にとって便宜的に設置した祭壇だと思っていたのだが、そうではなく、面倒なものなのだと初めて知った。
 でも、伯母はこれで家の片づけは終えたことにして、まだ残っている衣類や家財道具、寝具類の片づけは、一切、業者に委託すると言っていた。建ててから50年近くになるいわゆる農家の本家の大きな家屋を処分するには、そんな方法しかないのだろうと思う。
 モルタル作りの大きな物置も、農作業道具と共に潰して処分してしまうのだろう。日本の農家の縮図の一つに思えてくる。
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一週間振りに伯母に会いに行く

2007年11月25日 | 高齢期の生活
 今日は朝から晴天なので、急いで洗濯を済ませ、リンゴジャムを作って伯母のホームに出掛けた。
 たまたま、伯母の妹さん(多分80才位だと思う)も来ていて、2時間ほど3人でお喋りをした。

 妹さんは普段から赤い色の洋服を好んで着る方なのだが、今日も真っ赤なトレーナーに、コートも真っ赤だった。彼女の「誰にも遠慮せずに、自分の着たい物を着る」という考え方は今の高齢者には珍しく、私は自分の意志をしっかり持っている素敵な人だと思っているのだ。
 色々な話をしたが、中でも特に「高齢者には、健康とお金が大切だ。それさえあれば、子どもや人の世話にならずに済む。」と言っていた言葉が記憶に残った。
 私も伯母にはよく、「現代は一番大切なのは命、二番目はお金だよ。」と言っている。これからの高齢者は、自分の意志で自由に使えるある程度のお金がなければ、ヘルパーさんを頼むことも、適当な施設に入ることもできないからだ。子どもは大抵、自分の生活で精一杯だから、高齢者自身がしっかり金銭管理をする必要があるのだ。

 伯母は旅行の疲れはほとんど出なかったらしく、今は雪が降ったので、毎日施設の階段を上り下りしたり、各階の長い廊下を歩き回ったりしているのだという。
 私には伯母が前より元気になった様に見えて嬉しかった。それで「今度は忘年会に、何処かへ出掛けようか。」と誘ってみた。

 ひとしきりお喋りをしてから伯母と別れ、同じ町にいる娘の所へ行って一緒に寿司屋に行き、ランチを食べながら話をした。
 娘からは、一昨日、韓国の俳優、パク・シニャンが夕張に来たので、ファンミーティングに行って来た、という話を聞かせて貰った。私が韓国ドラマを見る様になってから、娘も見るようになったのだが、パク・シニャンのファンだったのだ。
 彼は夕張を励ますために自ら私費で来日し、自分が出演した映画を持って来て、無料で上映もしたそうだ。娘の話では、モスクワの演劇学校に留学するなど、韓国の俳優としては異色の人なのだと話してくれた。会場には本州からも女性ファンが沢山、駆けつけて来ていたらしい。
 
 それから食品スーパーで買い物をしたのだが、つい今日は自分の物の他、娘にも色々な食材を買ってしまったので、それを別れ際に渡した。
 元気に、また明日からの仕事を頑張って欲しいという親の願いが伝わったかな、と思いながら、日没を眺めながら家に急いだ。
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血圧脈波検査を受ける

2007年11月23日 | 医療・健康問題・食生活
 前回、循環器でいつもの病院に行った時、「最近、足が冷えて、夜、ぐっすり眠られない事がある。」と言ったら、若い女医から「では血圧脈波の検査を受けて下さい。」と予約を入れられたのだ。
 昨日が予約日だったので行った。
 採血、採尿の後で、心電図室に行かされた。
 心電図を計る時と同じ服装になってベットに寝ていたら、両腕と両足のふくらはぎに血圧計を巻かれた。何と4カ所の血圧を同時に測って、動脈の硬化状態を調べるのだ。

 30分位待って女医に呼ばれ、検査結果を渡された。
 血圧   血圧最高 138mmHg、 最低血圧 71mmHg    (高値正常血圧)
 動脈の詰まり(ABI) 右 1.06 、 左 1.14           (標準値0.9~1.3なので正常領域)
 動脈の硬さ(baPWV) 右 1572cm/s、 左 1669cm/s (同世代の平均値1400cm/sと比較して高値です)

 足の動脈の硬化が疑われるので、生活習慣を見直すように言われた。どうすれば良いかというと、もっともっと歩いたり活動したりするようにという事だった。
 自分では秋まで、結構、活動的な生活をしてきたと思っていたが、足りないらしい。これから半年は庭仕事もパークゴルフもできないし、外は雪で寒いし、困ったな。

 それと血液検査の方は、相変わらず肝臓に脂肪が溜まっている状態だった。食事では極力脂肪を避けているが、なかなか数値に表れない。
 これもどうしたら良いか、困ったな。さらにダイエットに励むべきなのだろうか。
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伯母に写真を送る

2007年11月19日 | 高齢期の生活
 昨日は雪がちらつく中、車で伯母を送ったのだが、今朝カーテンを開けてびっくり。気温は氷点下7℃で世界が真っ白くなっていた。
 朝日が昇ったら直ぐに雪は溶けるだろうと思ったが、気温は一日中零下のままで、ついに氷も薄雪もそのまま残り、富士山の5合目より寒い一日だった。やはり北海道だとしみじみ思った。

 昨夜、伯母から改めてお礼の電話があったが、その時、老人ホームの人達から、「6日間も居なかったので心配していたよ。」と言われた事、「旅行に行っていた。」と話したら驚かれた、という話しを聞かされた。
 それで私は、伯母の旅行の説明が、他の人達に良く分かるように、急いで写真をプリントして送ろうと決意したのだ。

 今朝、プリンターで印刷開始。前に色調が変だったのに不思議なことに直っていて、伯母が写っている旅行の写真21枚と、先週、伯母の家の庭で撮した写真4枚をプリントした。
 こちらは、伯母が精魂込めて育て、真っ赤に色づいたドウダンツツジ、真っ赤な実を一杯つけた梅もどき、真っ白に咲き誇っていた菊、大きく育ったシャクナゲの木の傍にそれぞれ伯母を立たせて、シャッターを押したものだ。
 その庭も年末には人手に渡るので、私はどうしてもそこで伯母を撮してやりたかったのだ。

 急いで郵送したので、明日には伯母に届くだろう。今から写真を見た伯母の電話が待ち遠しい気分になっている。

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先程、無事に帰宅

2007年11月18日 | 道内・国内旅行
 14日~17日迄3泊4日で伯母を伴って参加した旅から、先程(23時半)無事に帰宅した。

 今回は4日間共晴天に恵まれ、雪を抱いて光り輝く富士山を駿河湾でフェリーの上からと、5合目までバスで登って心行くまで鑑賞できた。(写真①)
 また、北海道の紅葉は一気に色が変わる場合が多いが、愛知県の香嵐渓(写真②)、山梨県の河口湖畔(写真③)他で本州の徐々に色を染めていく美しい紅葉を堪能したり、伊豆の浄蓮の滝、三保の松原、箱根の関所跡や長野県の諏訪大社を見学したりと、本当に伯母と一緒の思いでの多い旅ができた。
 ① ②


 ③ ④


 また、木曽山脈に添って下った所での妻籠宿散策(写真④)では、観光客が溢れていたがタイムカプセルに入った様な感じを受けた。
 柿や蜜柑がたわわになっている様子や軒下の干し柿の風情などに、北海道では見ることができない伝統的な日本人の生活を感じる事ができた。
 さらに標高1500mの長野県茅野市車山高原温泉街から見た2530mの蓼科山の美しさ(写真⑤)、険しい木曽山脈の雄大さを間近に見たことも貴重な経験だった。

 ⑤

 しかし、腰の曲がっている伯母には思っていた以上に歩くことが難しく、私が常に腕を支えながら、ある時は伯母の身体を引きずるようにして歩いた。(伯母の体重が40kg以下だった事が、今回、私には幸いだった) 後半、腰が痛いし足が前に出ないと情けない顔をする事もあったが、時々休ませながら、それでも、ほとんどの見学場所をみんなの最後になりながらも、伯母はよく頑張って歩いてくれた。
 それに普段の老人ホームに比べてホテルの食事が伯母には美味しかったらしく、私が驚く位、常に私よりも多く食べていたので、4日間、体力が持ったのだと思う。
 行く前は大丈夫だろうかと不安もあったが、ツアー参加者の中で最高齢だったので注目もされ、他の参加者を勇気づけた面もあった。最後の日には「88才と高齢なのに、参加して頂いたから」と、ガイドさんからプレゼントを貰ったりもした。
 私が夜中に目が醒めた時は、隣のベットの伯母がちゃんと息をしているかどうかが気になった旅だったが、先ずは何事もなく無事に帰宅できてホットしている。

 帰りの飛行機の中で「予想外だった事があったかい。」と、伯母に聞くと、返事は「ホテルと食事が素晴らしかったこと」「ガイドさん他、みんなが優しく接してくれたこと」だったと言っていた。また、「色々な素晴らしい所を見られて、まるで夢のような毎日だった」とも話してくれた。
 明日、伯母を老人ホームに送り届けた時に、今回の私の責任は終わりとなる。

 また今回、名古屋に住むメル友と中部国際空港と香嵐渓から電話を掛けて話ができた。
 この友は、現在、乳癌が再発・転移しているのだが、実に客観的に自分を見つめ、自己実現のために病気と戦いながらも前向きに頑張って生きて行こうと努力をしている方なので、私はいつも励まされるのだ。メールとは違って声を聞いたら、何かもっと通じ合うものを感じる事ができて嬉しかった。彼女には、身体を大事にしながらこの先もずっと元気でいて欲しいと願った。

 こんな訳で、少し大変だったけれど、今回は意義深い楽しい旅ができて本当に良かったと思う。
 
 

 

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最後の庭仕事

2007年11月13日 | 道内・国内旅行
 今朝の気温は3℃で晴れなので凄く暖かく感じた。一昨日ホームセンターを覗いたら球根が全部3割引になっていたので、ピンク色のカサブランカ5球と薄いピンク色のチューリップを20球買って来たのを植えることにした。
 カサブランカは全部まとめて、チューリップは3~4球ずつかためて木の根本に植えた。
 チューリップは、来春、どのような咲き方をしてくれるか楽しみだし、カサブランカも初夏の庭に良い香りを漂わせてくれるだろうと期待した。これで冬を前にした最後の庭仕事が済んだ。

 今日は農家を止めた伯母を我が家に連れてくるため、迎えに出掛けた。二人で明日、「富士7景」を見に行くツアーに出掛けるためだ。
 老人ホームに入ってからすっかり意欲が無くなっていくように見えたので、目的を持たせたいと思って誘ったのだ。
 伯父が亡くなった後、しばらく鬱病の様な症状に陥っていたが、ようやく目の色にも力が出てきて、最近は旅行を前にして気温の低い中、毎朝散歩に前向きに取り組んで来ていたのだ。
 腰が曲がり、杖をついて歩くので、グループの人には迷惑を掛けるかも知れないと心配だが、今回が伯母の最後の旅行になるかも知れないので、私は精一杯ケアーしながら、一緒に西日本の紅葉や富士山の景観を楽しんできたいと思っている。
 
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老健施設の叔母が弱って来た

2007年11月11日 | 高齢期の生活
 今日は午後から雨の予報なので、家にいても仕方がないと思い、亡くなった母の妹にあたる叔母の慰問に行った。
 老健施設に入って2年半、一切外出させてくれないし、ディサービスにも行けないので、籠の鳥と同じ生活をしているのだが、案の定、叔母の体力は次第に弱くなって行く。
 私が行った時は必ず連れ出して外の空気を吸わせ、歩かせる様にしてきたが、今日の叔母は私の腕につかまってやっと歩く状態だった。

 今日も近くの大型スーパーマーケットに連れて行き、ファミレスの片隅に座らせ、私が行きがけに土産に買ったフルーツケーキを差し出した。「こんなに美味しいケーキは久し振りだ」と言いながら平らげてくれた。

 しばらくお喋りをしてからスーパー内を歩いた。5分位で「疲れてもう歩けない」と言うので驚いた。無理強いしても仕方がないので、予定よりずっと早く部屋まで送った。まだ84才なのにと哀れに思った。
 
 叔母はまだ私に居て欲しいらしかったが、雨で暗いし、日暮れが早いからと別れた。駐車場に戻って部屋の窓を見上げたら、叔母が何時までも手を振っていた。
 施設まで車で往復3時間かかるので道路が良くても一月に一回がやっとだし、これから雪の季節になれば、車が渋滞してもっとかかるので、思うように行ってやれないのが残念なのだ。
 それにしても、どうしてわたしのまわりの高齢者は、理不尽な生活をしなければならないのだろうと思う。
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車と私の冬支度

2007年11月10日 | 日記
 今朝の気温は-1.5℃、予報では「明日、明後日は雨、所によっては雪になる」というので、早速スタッドレスタイヤに交換する事にした。

 向かいから油圧式ジャッキをお借りしてやり始めた。
 夏タイヤを外そうとしたら、きつくてなかなか回らないボルトが一カ所に一つはあった。春に自分の体重で締めたボルトなのだから、その同じ体重で外れる筈なのに外れない。
 ひょっとして体重が減ったのかなと思ったが、そうではなくて体重を掛けるときのかけ方が弱くなった様で、半年の体力低下と老化を感じた。30年間、年2回、自力でやって来たが、ふと、何時まで続くかなと初めて弱気になった。
 でも、力を足に集中させて踏ん張り、何とか全てのタイヤを外して交換し終えた。ついでにワイパーも雪用に交換した。
 これで車の冬支度が終わったから、何時雪が来ても大丈夫だとホットした。
 終わってふと見たら、ジャッキを貸してくれたおじさんが、近くで作業を見ていたのだ。お礼を言って返したら、「呼ばれたら助けようと見ていたけれど、結構、要領よくできたね。」と言われた。

 もう一つ、私自身のいつもの冬支度もした。インフルエンザワクチンの予防接種をしたのだ。
 月曜日、庭仕事で汗をかいたのに寒い庭に居続けて風邪をひいたらしく、火曜水曜と微熱があった。おまけに血圧も高かったため、火曜の予約を延期していたのだが、やっと木曜日の午後、体調が良くなったので接種に出掛けたのだ。
 病院では医者の診察があり、体調はどうか、卵アレルギーは無いかとか聞かれた。看護婦からは「接種後も異変が現れる事があるので、30分は院内にいて下さい」と言われた。注射1本受けるのに最近は大変だ。
 昨日一日は何となく身体がだるかったが、今日は元気。
 札幌では既にインフルエンザによる学級閉鎖が行われた学校があるらしいが、これで私の風邪対策も50%済んだ。
 
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私が好きなもう一人のピアニスト

2007年11月08日 | TV・映画・音楽・美術
 私の好きなもう一人のピアニストは、スタニスラフ・ブーニンである。
 彼は1985年のワルシャワのショパン・コンクールで躍動するピアノを弾いて、堂々優勝した人だ。その時、彼はまだ18才だった。
 私が彼を応援したいと思ったのは、ピアノ演奏の表現力の豊かさに感動したのは勿論だったのだが、他の理由もあった。
 先ず彼が、当時のソヴィエト政府によって演奏の自由を制限されていたことを知ったことだ。
 そればかりではなく、私もミーハーの部類に入るかも知れないが、彼の生い立ちを知ったことも大きい。

 彼は音楽大学のピアノの教授を父親とし、ピアノ講師を母親として生まれたのだが、父母は愛人関係にあり、父親には正式の家族がいたのだ。
 父親はブーニンが生まれる前に母の元を去った。母親は驚くことに、生まれてきた男の子に父親と同じ名前を付けた。そしてピアノを特訓したのだ。母の子育ては、まさに父親に対する女性としてのプライドをかけた必死の子育てであり、教育だったのだろうと私は女性の一人として思ったのである。

 ブーニンが優勝後も、ソヴィエト政府は正式な結婚をしていない母子に冷たかったらしい。
 狭いアパートでレッスンをすると、まわりから煩いと苦情が来る。防音装置のついた部屋を要求しても聞き入れて貰えない状況の中で、苦労したらしい。
 先月29日の朝日新聞夕刊の記事によると、彼は優勝後の革命記念日にクレムリンで演奏する事になり、その前に文化省の大臣から何を弾きたいか質問されたらしい。「勿論ショパンです。」と答えたら、「ショパンみたいなブルジョアではなく、誰かソ連の作曲家の曲は弾かないのか。」と言われたのだと言う。音楽芸術への無理解ぶりに若いブーニンは幻滅したのだろう。
 また、世界的に有名になり、外国に出入りするようになったブーニンは、ソ連政府から監視され続けたのだ。
 彼が優勝した翌年の夏、私がソヴィエト旅行をした際に、彼のCDを買いたいと思って探したが見つからなかった。店の人はブーニンの名を告げても知らない様子だった。

 当時のある雑誌の記事だが、その頃、仲良くしていたガールフレンドが、夜、ブーニンの家を辞した直後に車に轢かれて死亡するというショッキングな事も起きたらしい。
 
 1988年6月、ブーニンと母親は西独に亡命した。
 1991年12月にソ連が崩壊した時、私はブーニン親子が3年早すぎた亡命を悔やんでいるのではないかと思ったりしていたが、今考えると、やはり自由のない中では、芸術家として一刻も生きられなかったのだろうと思っている。
 朝日新聞によると、時速160kmの車で国境を越えたらしい。そして、日本のブーニン支援者の助けを得て、洗足学園大の客員教授に迎えられ、日本女性と結婚し、全国で何度も演奏会をし、日本のファンに熱狂的に迎えられたのである。
 私も2度、演奏会に行った。CDも数枚買って、数え切れないほど聴いた。

 以上が私が彼を応援する理由である。

 彼が優勝してから23年が経ち、41才になったブーニンは、現在日本で1年の1/3を過ごすという。今月、東京、大阪、仙台、札幌などで演奏ツアーをするというので、円熟した彼の演奏を多くの人に聴いて欲しいと思う。
 
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フジ子・ヘミングの演奏に感嘆

2007年11月08日 | TV・映画・音楽・美術
 先日子どもと食事をした時に「フジ子・ヘミングの奇跡」のCDを渡された。帰ってから聴いてみたら凄い!!

 彼女の半生は何度もTVでドキュメンタリーとして放映されているので、知っている人は多いと思う。
 レナード・バーンスタインに演奏力を認められながら、パリの極貧生活で風邪をこじらせて突然耳が聞こえなくなり、その結果演奏会で失敗する。
 そんな体験を乗り越えたからこそ、心に訴えかけるような強い響きの演奏ができるのだろうと思った。

 彼女の得意な「ラ・カンパネラ」が最初に録音されているが、素晴らしい。
 「ハンガリー狂詩曲」も「革命」も、彼女のような力強く哀調を帯びた演奏にはなかなか出会えないと思った。そんな訳でここ数日、ずっと彼女の演奏に聞き惚れているのである。
 ピアノ曲が好きな方には、是非一度、聴いてみて欲しい。
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いよいよ初冬

2007年11月07日 | 日記
 今朝5時半、まだ暗いけれど起きてビデオを見た。一昨日夜のNHKスペシャル「眠れる再生力」だ。
 見た人も多いと思うが、本当に驚いた。自分自身の骨髄液を採取して、その中の幹細胞を脳梗塞や心筋梗塞になった人の血管に入れると、ダメージを受けていた細胞が蘇り、脳や心臓が機能を回復していったのだ。
 映像に出ていた札幌医大の52才の男性患者は、脳梗塞で半身麻痺状態から脱し、職場復帰を果たしたのだ。
 これって凄いことで、科学的な薬品による治療に頼るのではなく、自己再生力を目覚めさせる手法なのだ。
 ひょっとして、骨髄液にはもっと沢山の病気の治癒力があるのかも知れない。人間の身体の不思議がまた一つ解き明かされたと思った。

 今朝6時の外気温は-1℃だった。今年初めての氷点下だ。ゴミをステーションに出すため外に出たら、青空の下で空気は冷たく、強い霜が降りて地面が白くなっていた。庭木の冬囲いを済ませた事を安堵した。

 シャクナゲの芯摘みの事を講習で教わったので遅まきながらした。近所から昨年若木を頂いた時は、枝がだらしなく間伸びしていたが、今は葉が沢山増えて良い感じになってきている。来年、もっと良い格好になる様願った。

 10時に農園の友達が来宅した。今日は今年最後の仕事として、伯母の家から持ってきたアスパラの根を農園に植える約束をしていたのだ。
 我が家でお茶を飲んでから出掛けた。まず近くの農協資材部に寄って苦土石灰と荒縄を買った。(苦土石灰20kgを注文したら粒状の性能の良いのを渡されたが、自家製野菜を作るので値段が1/3の粉状の炭カルに替えて貰った)
 それから市民農園に向かった。いつものように牛糞堆肥をビニール袋に入れて車に積んだのだが、今日は私が袋の口を開け、友達がスコップで堆肥を入れる様にしたら、袋詰めが苦労なくできた。みみずが一杯いる堆肥をスコップで入れながら、「一緒に働いていた時、退職後、二人でこんな事をやるなんて全く考えもしなかったね。」と笑いあった。

 畑に着いたので、隅のアスパラを植える場所に堆肥、石灰、化成肥料を蒔いて土を起こし、固まりになっていた根をほぐして植え付けていった。上手く行けば、来春美味しいアスパラが食べられる筈だ。

 それから少し、雪害を受けそうな庭の薔薇やツツジを縄で縛る作業を手伝った。友達に男結びを手ほどきしたが、指導の仕方が悪くてなかなか理解して貰えなかった。晴れていても風は冷たく、やっていたら鼻水が出てきた。

 終了後、いつものように家に上がってコーヒーを頂きながら二人でお喋りをした。半年間、農作業を一緒にしたことで信頼関係がより深まった様に感じた。来年の作業を約束して別れた。


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伯母の畑に行く

2007年11月04日 | 高齢期の生活
 実は伯父夫婦が3代目として営んで来ていた農地を、春に伯父が90才代で亡くなり、伯母も老人ホームに入ったので手放す事になったのだ。それでこの間、広い庭や畑から、私が引き継ぐ事ができそうな庭木やアスパラガスの根を頂いて来ていたのだ。
 今日は秋晴れの下、一週間振りに伯母をホームから車に乗せて家に連れて行った。

 立派な根太長ネギが80本位植えてあったのを収穫して、半分は小分けにして縛り、段ボールに縦に入れて蓋をしてきた。残りの半分は私が頂いて来て、ご近所にも差し上げた。これで畑の始末は全部済んだ。

 蝦夷紫ツツジを掘り出して持って行って欲しいと言われた。植えてから30年位経っているらしく、何本もの太い幹があり、背も高い。車で運べるように丈を50cm程切り、小枝も剪定した。根も張っていたが、やっとの思いで掘り上げて持ってきた。来年の花は駄目だろうが、強い木なので、何とか私の庭で生きて欲しいと思う。

 最後に真っ赤に色づいたドウダンツツジや咲き誇っている菊、赤い実が鈴なりになったウメモドキの木の前に伯母を立たせて、数枚、写真撮影した。
 嫁入りして以来60数年、この家と農地で苦労を重ね、唯一の慰めが庭いじりと花木の観賞だったのだろうと思ったからだ。その全てが人手に渡る事をどう思うか聞いたら、「肩の荷が下りてホットした。」と答えてくれた。私の予想とは違った答えだった。 

 帰りに和食レストランに寄って生寿司定食を食べた。伯母は「久し振りで美味しかった。」と言ってくれた。
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庭木の冬囲い開始とパセリの冷凍保存

2007年11月03日 | ガーデニング
 昨日で講習が終わったのでようやく時間ができたし、朝から秋晴れだ。良し!庭木の冬囲い開始!!
 今年はできるだけ手抜きした冬囲いにする事にした。

 先ず、前年、木で囲っただけで冬越ししたら、春に枯れたようになり、花が全く咲かなかった道路淵のさつきから始めた。まだ小さい木なので、すっぽりと青色の収穫袋を被せ、その上を縄で巻いた。勿論、結び方は男結びだ。これだけは昨年よりも丁寧に囲った。一列に並んでいる10本のサツキが、面白い姿になった。

 次は薔薇やツツジ、紫陽花などの比較的小さな物だ。
 真ん中に竹を一本差し、その周りに枝を集めるようにして縄で縛った。一段縛りで足りない物は二段縛りや三段縛りにした。これが一番簡単だし、過保護にならない方法だ。寒さに強い木なら、雪の重みで枝が折れないようにさえすれば良いのだから。
 
 こうしてどんどん縛って行った。疲れたので今日の仕事を終わりにして数えて見たら、30本も縛り上げていた。おまけに男結びの要領が良くなり、悩まずに素早くぐっと縛れるようになった。
 今日できなかった大きめの木には、竹を数本立てた冬囲いが必要だが、後日、また頑張りたい。

 作業していたら、近所の80代のおばさんが立ち寄ってくれた。ベンチに座りながら医療保険税が高くなるので困るとか、近所の高齢のご夫婦が揃って施設に入った、などという話しを聞かされた。

 また今日は、昨日庭から摘んでおいた無農薬のパセリを冷凍保存した。
 方法は、まず茎を除去し、洗ってから細かく刻んだ。それからフライパンで空煎りして水分を飛ばし、冷めてからジップロックに入れて冷凍した。
 嵩は1/5位になってしまうし、パセリの色も濃い緑色になるので、利用価値のある保存ができた。
(電子レンジで乾燥させる方法もあるが、すでに深夜電力料金の時間外になっていたので、フライパンでの空煎りを思いついてやって見た。なかなか上手くできたと思う。)
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