花好き・旅好き女性のセカンドライフ

通院しつつ、夏場半年間はガーデニングと家庭菜園で汗を流し、その合間に外国旅行を楽しむリタイヤ女性の生活日記

三笠フットパスに参加して(2)

2011年08月29日 | 道内・国内旅行
かっての幾春別駅跡からもう一つの「奔別立坑コース」2.9kmを辿った。
道路は緩い登りが続いていて、気温29℃の下、水を飲みのみ着いて行った。
高台に着くと広い平地があって、そこは小学校のグラウンド跡で、1つのグラウンドを挟んで両端に二階建ての小学校校舎が二つあったのだと言う。右側に幾春別小学校、左側に奔別小学校である。二つの炭鉱別に従業員の子供が通っていたのだ。私は自治体が建てる学校しか知らなかったので驚いた。

   

道を折れて下ると「住友奔別鉱立坑やぐら」が下に見えだした。さらに行くと説明看板があり、かって炭鉱マンだったという男性が説明してくれた。
少し降りた所に巨大な立坑跡が聳えていた。ここは1960(昭和35)年、地下750m以上の深部の採炭をするためにドイツから技術を輸入し、三菱造船株式会社が建造した立坑で、やぐらの高さ50.5m、深度750m、内径6.4m、エレベーターは1度に人を16人×4基=64人という巨大なものだった。
採炭効率は飛躍的に向上したが、坑内温度の高さを嫌った採炭夫が大量に辞めて行く事になり、1971(昭和46)年に閉山となったと言う。
巨大な立坑の骨組みとエレベーターを見て、僅か11年間しか操業できなかった立坑に強い悲哀と化石燃料に切り替わって行った時代の変遷を感じた。

   

博物館に戻り、この一帯から出土した約1億年前の中生代白亜紀に海中にいた「アンモナイト」の化石と大型海生肉食爬虫類「モササウルス」の骨の展示室を見てから帰宅した。(三笠から骨の一部が発掘されて国の天然記念物になっている「エゾミカサリュウ」は、モササウルスの新種だそうだ)



暑さの中、今は人口1万人余になってしまったかっての産炭地三笠を半日歩き回って疲れたが、久し振りに知的好奇心を満足させられたフットパスだった。
私が中学生だった50年程前、遠足で幾春別駅まで列車で来て、そこから三笠市の奥にある桂沢湖に行った事があるし、北炭の炭住で暮らしていた親戚を訪ねた事もあるのに、この辺りが当時どんな様子だったのかを定かに思い出す事ができなくて残念だった。
もしこの先、この地域の特徴ある地形と化石、炭鉱の歴史と記憶を自然と文化の遺産として残すのであれば多額のお金が必要だが、地域の知恵を集めて宣伝し、もっと良い状態で建物を保存した方が良いのではないかと思った。建物をこのまま放置すれば、やがて風化し崩れ落ち、消失するのは時間の問題と感じた。

         

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三笠フットパスに参加して(1)

2011年08月29日 | 道内・国内旅行
昨日、娘と一緒に南空知の町三笠市の炭鉱の歴史的建築物と自然を訪ねる「三笠フットパス」に参加した。
北海道空知総合振興局が主催したこの会は13時からだったので、札幌を11時に車で出発し、途中岩見沢市で昼食を食べた。
集合場所の三笠市立博物館に着いたのは、5分前だった。
博物館前で受付をして、説明されているパンフレットと無料見学券を受け取った。(ブログの文はこの資料を活用した)
館内に入り、最初に三笠周辺の地形は、今から2000万年前の造山活動の際に1億年前の白亜紀の層がその上にあった5000年前の古第三紀層と共に押し上げられ、左右からの力で潰れて、直立に近い急傾斜の地層ができた国際的にも貴重な場所である事と、閉山前には「北炭幾春別炭鉱」と「住友奔別鉱」の二大炭鉱が操業をしていたという歴史を写真やスライドで説明された。

      

フットパスは2コースがあったが、最初に幾春別川に沿って作られた「錦立坑コース」2.6kmに向かった。
まず1885(明治18)年に開坑した北炭幾春別炭鉱の「錦立坑」の跡地を見学した。笹は刈ってあったが、滑りやすい山道を少し登った所に立坑が残されていた。
この立坑は1919(大正8)年に建設され、現在北海道に残る立坑としては最古のもので、やぐらの高さ10m、立坑深度195m、内径4.5mのものである。
1953(昭和28)年に採炭を止め、1957(昭和32)年に閉山したというから、この立坑は34年間日本のエネルギー生産の一翼を担い、多くの採炭夫を地下200mの採炭現場に下し、掘った石炭を地上に運んだ事になる。雑木に埋まっている大きな滑車と傍の変電所の廃屋に当時を偲んだ。

  

また少し歩いて行くと山肌に縦の地層が露出していた。砂岩の間に黒い石炭層があるのが分かった。ここの石炭層は数千万年前生えていたメタセコイアなどの巨木が倒木して地下で石炭ができ、2000万年前に地上に出て来たものなのだと言う。斜面に露出する石炭を掘ってできた「狸掘り」の穴もあった。

      

その先に「ひとまたぎ覆道」があり、入り口の場所が一跨ぎで5000万年異なる地層になるという神秘的なロマンあふれる所だった。
覆道の出口には、ずれた断層が露出している場所があった。

      

引き返してかっての国鉄幾春別駅があった所に出た。往時のコンクリートのホーム跡が雑草に埋もれていた。この辺りには商店街、歓楽街があり、当時はとても賑わっていたらしい。
実は小樽手宮~幌内間の鉄道は、全国で3番目、北海道では初めて1882(明治15)年に敷設された鉄道で、三笠~幾春別間は1888(明治21)年に石炭を搬出する鉄道として開通したものだった。そして1987(昭和62)年に人口減少に伴い廃止されたのである。(つづく)

           

            


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チャレンジ!地元の食材で食生活

2011年08月24日 | 医療・健康問題・食生活
少し前、TVでカナダの田舎町に住む有志グループが実験的に取り組んだ「100マイルチャレンジ~100日」のドキュメンタリー番組が、4回に渡って放送されたのを見た。
とても興味深かったので、少し長くなるがここに内容を報告したい。

そのミッションは2人の男女がリーダーとなって、地域の人々に参加を呼びかけた所から始まった。
数家族、20人程が参加を名乗り出た。
最初の会合でリーダーは言った。「この町から100マイル以内で生産された食品だけを食べる生活を100日続けます。例外は認められません。」と。100マイルとは160kmだ。
100マイル以内で生産されていない食品として、小麦粉、砂糖、コーヒー、チョコレート、テキーラなどがあった。

参加者の中には、ジャンクフード(ハンバーガー、インスタントラーメン、スナック菓子、アイスクリームなどの様に、高エネルギーだがその他の栄養素が少ない『ガラクタ』食品の事)ばかり食べて来た14歳の娘や、妻が料理は苦手なために結婚以来夫だけがやり、妻はできた料理を食べるだけという中年夫婦、レシピが無ければ料理ができない主婦と全く料理をしたことが無い夫という組み合わせの夫婦もいた。
また、夫の食生活を何とかしたいと思って参加した妻だったが、厳しいルールを前に2日目で夫が脱落してしまい、グループを離れなければならなかった家族も出た。

いよいよ取り組みが開始した。
どの家族も最初の2週間位は、じゃが芋と卵、限られた野菜のサラダ、ミルク、紅茶程度の変化のない食事を続けていた。

そのうちにコーヒーを飲みたくて、代わりとなる植物の根を探しに行き、炒って代用のコーヒーを作る女性が現れた。
また、無い砂糖の代わりに蜂蜜業者を訪ねて蜂蜜を採取した家族や、飼育していた羊を殺して肉にして食べた酪農家もいた。
リーダー2人は、必死に小麦の栽培農家を探した。やっと見つけた農家だったが、大半の小麦はすでに納入先が決まっていたため、実際に少ししか手に入らず、製粉した小麦粉はわずかなものでグループ員を落胆させた。しかし手に入ったその貴重な小麦粉でパンを焼いたり、パスタを作って食べる家族も出た。
そのうち、何とか必要な小麦粉が100マイル以内で見つかって、小麦粉の問題は解決した。

取り組む内、レシピ通りの料理しか作れなかった主婦は、料理人の手ほどきを得ることで手元にある食材で工夫して料理を作る事ができる様になった。そればかりでなく、家族で協力して庭を耕し、種を蒔き、楽しみながら野菜の自給の努力をし始める家族が現れた。親と一緒に野菜を育てた子供たちは、「庭の野菜が1番美味しい。」と言い出した。
ジャンクフードが中心だった酪農家の娘は、それらを食べなくなり、自分と同じ少数民族の家族を訪ねて、地元で獲れる鮭の伝統料理の作り方を教えて貰うなど、民族の食文化を知った。
リンゴ園に家族で出かけて採って来たリンゴでケーキを焼き、料理を作る家族もいた。

また、皆で時々集まって経験を紹介し合ったり、料理を持ち寄って食べたり、料理作りの会をする中で、お互いに学び合い、食材を手に入れる情報を交換し、料理の知識、技術が高められ、食生活に関心が高まって行った。

食材探しと料理の工夫、努力を続けた100日間の挑戦が済んだ時、多くの大人の体重は10~20kgも減っていた。
大人たちは100日間飲めなかったコーヒーを入れて舌つづみを打ったが、もう以前の様な加工食品が中心の自主性の無い食生活には二度と戻らないと話した。子供たちもジャンクフードから解放されていた。

私はこのドキュメンタリーを見て、地元にある食材を中心にした「地産地消」の食生活は、人々の生活観を変え、生活そのものを変えて行く事が手に取る様に分かって興味深かった。
私も庭で色々な野菜を育てたり、農園で友人たちと野菜栽培をしているが、それは改めて大きな意味がある事なのだと思った。(勿論、栽培ができる土地がある私は、恵まれていると思っているが)
また、現在の日本は食糧自給率が40%を切っているが、この地産地消の食生活を目指す取り組みは私達日本人こそ努力するべきなのではと思った。
ロシアでもドイツでも勤労者達は、以前から週末には家族で郊外の家庭菜園に出かけて農作業をすることが当たり前なのだそうだ。菜園は安価で売られたり、借地が用意されているそうだ。
最近、私の町でも、市民農園や農家が貸し出す家庭菜園があちこちにあり、人気があるのは良い事だと思う。
NHKTVでは今年、ベランダのプランターで育てる野菜の作り方を放送しているが、とても良い啓発番組だと思う。

最後になるが、番組の中で指輪を3つもしたままの手で料理をする人達がいるのを見て不潔だと感じたし、全く料理をしない女性が存在すること、また、肉料理一つをとっても色々な材料でその上を飾りたてる所などがカナダらしいと思った。
と同時に、毎日の食生活こそ、家族全員が参加して行う事で絆が強まるのだと、改めて感じた番組でもあった。


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農園の野菜を収穫

2011年08月23日 | 家庭菜園・市民農園
今年はゴールデンウイーク明けまで低温が続いたため、農園の植え付け作業は5月12日と例年よりも遅かったが、その後6月は気温が高めだったため心配していた芋の疫病も発生せず、何とか収穫までこぎ着ける事ができた。

昨日10時頃、JRで札幌から来た2人の友人を車に乗せ、スコップ、収穫ネット、段ボール、作業手袋、帽子、バンダナ、長靴などを積んで農園に向かった。
先ずさつま芋の除草をしてから、すでに茎も葉もほとんど枯れている「北あかり」「メークイン」「洞爺」を手分けして掘り出した。作柄は並みだ。
続いてトーモロコシ「ピーターコーン」の所に行った。
7月19日に追肥して以来だったが背丈がすっかり伸びていた。穂は枯れていなかったが、トーモロコシのひげ根が黒くなって丸々と太く実が入ったものを10本収穫した。
豆類では「ツルなし金時豆」の莢はほぼ枯れていたので収穫した。「虎豆」は完全に枯れてはいなかったが、虫が入ると困るので黄色くなった莢を収穫してネットに入れ、家の庭先で乾燥することにした。

     

なお「花豆」はまだ青々していているので、もう少し様子を見る事にした。
「早生の枝豆」は6割方に実が入っていたので、昼に食べる分だけ収穫し、莢を外した。虫食いはわずかだった。
ここまでの仕事に2時間かかった。

来たついでに友人の庭の薔薇などを剪定していたら、友人がトーモロコシと枝豆が茹で上がったと知らせてくれた。室内に入って、早速、採れたてを味わった。枝豆もトーモロコシも甘くて素晴らしく美味しい。これが自給菜園の良い所で、スーパーから買って来たのを茹でてもこの味は絶対に味わえないのだ。
朝、私が造って持参した胡瓜、玉ねぎ一杯のポテトサラダ、友人が出してくれたミニトマトとスイカも食べると満腹した。

               

1時過ぎにまた畑に出て、掘ってから3時間程放置して干したじゃが芋を種類別に集めて3人で分けた。
ピンポン玉より小さい極小芋を畑に放置すると、来春芽を出して厄介だし、そんなのでも皮付きのまま茹でたら食べられるので持ち帰った。
(二十数年前にスイスを旅行した時、レストランで出た皮付き極小芋のオーブン焼きを食べた。日本では決して一般に流通しない小ささの芋でもスイスではちゃんと流通させて消費されている事に驚き、感動した事がある)
帰りに私はトーモロコシ数本と枝豆10本程を獲って自宅に持ち帰り、茹でた。明日、従妹が来るので食べて貰う積りだ。

1人の友人には我が家に寄ってもらい、私の中型キャリーバックを貸して上げた。
じゃが芋を入れた段ボールが1つ、丁度すっぽり入った。上の隙間に私が今朝収穫して置いた庭の胡瓜、インゲン豆、トマト、青紫蘇も入った。友人はリュックサックと合わせると十数キロの野菜を持って札幌のマンションに帰ったのだ。「暫くは野菜を買わなくても良いから嬉しい。」と喜んでいた。

植え付け作業を入れて僅か3回しか農園に行っていないのに、予想以上の良い収穫だったことを友人たちと感謝した。
10月になるさつま芋の収穫を最後に、今年の農作業は終わる。来年もまた、野菜作りを楽しみたい。


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庭の野菜

2011年08月13日 | 家庭菜園・市民農園
庭の凡そ1/4を菜園にしていて、今年も各種類のミニトマト5本、きゅうり2本、青唐辛子、ピーマン2本、インゲン豆、サンチュ、春菊、小松菜、長ネギなどを植えている。
例年、こぼれ種が芽を出した青シソを間引きして数本育てているが、これは夏中、冷麺やサラダの薬味に大活躍してくれる。
じゃが芋は離れた農園の生育状況を知るために庭には数株だけ植えてあるが、やっと茎が黄色くなってきたのを1株掘った。天候が良かったためか大きな芋は縦9cmもある結構大きい芋が取れた。この分なら農園のじゃが芋も順調に育っていると思うと嬉しい。

 また先日は、少しの大根やこかぶ、スナップエンドウの収穫を終えた後に、春菊、小松菜、つるなしインゲン豆、ミニキャベツの種を蒔いたところだ。
先日から毎日収穫しているのは、インゲン豆ときゅうりだ。インゲン豆は毎日次々と採れるので、近所の方など5軒におすそ分けした。

今朝は、薔薇の花殻摘みの後で写真の通りきゅうりとミニトマトを収穫した。

      

             

きゅうりは、昨夜採ろうかどうか迷いながら今朝まで置いて置いたらすっかり太くなってしまった。きゅうりの生育の速さには、全く驚かされる。
写真のトマトの内、1番大きいのは、私が種から苗を育てた中玉トマトだ。今年は4月末に旅行した際、管理が悪くてほとんどの苗をだめにしてしまい、2本だけ残ったものだ。
赤色よりも黄色のミニトマトの方が糖度が強いので、黄色を多く植えてあるが、赤色に比べて完熟度を見分けるのが難しいと感じるのは私だけだろうか。
少し楕円形の「愛子」の黄色を初めて植えて見たが、今までのと比べて実の付き方が凄く良いように思う。
いつもの事ながら、土の素晴らしさ、種の生命力の凄さに感嘆するばかりだ。
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ハスカップとユスラ梅、ブルーベリー

2011年08月10日 | ガーデニング
我が家の狭い庭にも小さな実がなる小木を少し植えてある。
ハスカップ (和名;クロコスミノ) にユスラ梅、それとブルーベリーだ。
いずれも熟した実でジャムを作ろうと思い、植えた木だ。
以前に友人の庭のユスラ梅でジャムを作った事があるが、我が家のはまだ幼木のため実もそれほど多くならないので、毎日庭に出る度に摘んで食べてしまって、今まだ残っているのはブルーベリーだけだ。
ハスカップ(写真①)もユスラ梅②も熟した実は酸味が少なくなり美味しいし、今育てているブルーベリー③にはほとんど酸味はないのだ。

 ①  ② 

            ③ 

昨日、近所の方から手作りのハスカップジャムを頂いた。
材料のハスカップは、近隣の農園に摘みに行って買って来たのだそうだ。
今朝、溶けるチーズを載せて焼いたトーストにつけて食べて見たら結構酸っぱい。多分、十分熟し切っていないのを取って来たのかも知れないと思った。砂糖か蜂蜜を足して食べようと思う。

              

ハスカップは、ロシアの原野に自生する木で、実を食べた渡り鳥が種を糞と一緒に苫小牧近郊の原野に落としたのが根付いたと言われている北海道の木だが、実の皮が薄く破れやすいので店頭で売られることもない。それにジャムを作る手間を考えるとこの貴重品のジャムを感謝しながら大切に味わいたいと思っている。


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ピエール・ドゥ・ロンサール

2011年08月09日 | ガーデニング
私の庭で1番存在感が大きい薔薇が、このピエール・ドゥ・ロンサールだ。世界的にも多くのファンがいる薔薇だと思う。
つぼみの色は緑がかっているが、開くと中心部が上品なピンク色だ。その後も色が少しずつ変わって行く。また、花弁の数が多いために豪華さを感じさせる薔薇で、花は余り開花し過ぎない内が綺麗だ。
植えてから5年目になるが、その間2回移植している。
木が太くなって来たので今年も花の数を期待していたが、6月に新芽がアブラムシの被害に遭って1番花は10個程しか咲かなかった。
ところが花殻を摘んで置いたら新芽がどっと出て来て、先日から2番花が咲きだしたのだ。

  

このピンク色が気に入ったので、先月、色違いの赤色と白色のピエール・ドゥ・ロンサールを新たに購入して植えた。こちらも成長を楽しみにしている所だ。
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ダブル・ディライト

2011年08月08日 | ガーデニング
この薔薇は、つぼみから開花間もなくの頃は花が白く、淵が薄い赤色だが、花が大きく開くに連れて白色は次第に消えてしまうという面白い魅力的な薔薇だ。
毎日刻々と表情が変わし、1株の木に色々な状態の色の花が混在して目立つし、つい目が行ってしまうのだ。
今年は根が成長したらしく、7月初めから次々と新しい蕾をつけて楽しませてくれている。

   

                           ⇒
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