花好き・旅好き女性のセカンドライフ

通院しつつ、夏場半年間はガーデニングと家庭菜園で汗を流し、その合間に外国旅行を楽しむリタイヤ女性の生活日記

秋の韓国旅行(8)

2012年10月23日 | 海外旅行「韓国」
またまた私の「老人力」の凄さを思い知った。
2ヶ月余ぶりに行った病院で、医者から「随分来るのが遅かったね~。」と言われたが、「今日は薬がなくなったので来たのですが…???」
処方箋を貰い薬局へ。
そこで薬剤師から、「今迄と同じ薬です。朝夕飲んでください。」と言われた瞬間、私は「えっ!」と驚いた。
「今までも1日2回だったの? 1回しか飲んでいなかったけど。」
とまあ、そこでやっと医者の疑問が解けた訳。
だんだん凄くなる私の老人力。先が思いやられる。(-_-;)




《ソウル「南山韓屋村」》
3日目午後、ソウルについてから「くずし豆腐(スンドップ)チゲ」の昼食を食べた。チゲは熱いくらいで美味しかった。金属製の箸とスプーンの両方を置く箸おきを初めて見た。

        

食後行ったのが「南山韓屋村」だった。
ここは市内にあった大韓帝国最後の皇帝妃『イ妃』の実家など数軒の伝統家屋を移設して作った所だという。私達が見学した家は、格式のある立派な韓屋だったので、多分皇帝妃の実家だったのではと思う。

現地ガイドは言わなかったが、ガイドブックによると実は日本統治時代の「憲兵隊跡地」だった所だそうだ。
ここは私にとっても初めての場所だったので、伝統的な朝鮮の生活を想像できて興味深かった。

先ず母屋を囲む低い「塀」の一部に立派な「入り口の門」①がある。2度横木をまたいで入った。女性は裾が長いチマを穿いていたので、この門は男性用だったのではないかと思った。
中には広い平屋敷があるが、台所②には「竈」が3つあり、熱気は床下の「オンドル」に行き渡る。庭にオンドルの煙を出す「煙突」③も見られた。
祖先の位牌を祭る目的で作られた別の「祭祀用建物」④があり、それぞれの位牌の前には立派な菓子などの料理が備えられている。

 ① ②

 ③ ④ 

様々な食品を入れる「大きな甕」⑤があったが、「キムチの甕」は恒温を維持するために土に埋めて保存する専用の「わら葺き小屋」⑥があった。(今の韓国にはキムチ専用冷蔵庫が多くの家庭にあるそうである)

 ⑤ ⑥

色々な目的の部屋に分かれていたが、この棟の右端にあった「主人専用の部屋」⑦は、意外と狭かった。

  

      ⑦

また広場には、各種地域の行事用に大量炊事用の「かまど」が作られていて興味深かった。

               

この日は、最後に世界遺産「宋廟」に行ったが、私は前回見ていたし疲れたので、バスで休んでいた。
この日は「ロッテ免税店」にも連れて行かれた。ガイドが宣伝したカタツムリエキス入り栄養クリームなどを多くの人が買い求めたらしい。私はそこでは何も買わず、1階に下りてぶらぶらした。ロッテホテルの駐車場があったが、案内役の女性がダンスのようなしぐさで誘導するのが面白かった。

翌日の朝、6時に起きて7時過ぎにホテルを出、途中食品店に立ち寄り、仁川空港10;15離陸の大韓航空機で新千歳空港に帰国した。新千歳には予定通り12;55に着陸した。
日本との時差もなく、北海道からでも僅か2時間35分で行き来できる国なのだ。
韓国海苔は「キムチ海苔」という新製品ができていた。今回も土産に買ったが好評だった。  (完)
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秋の韓国旅行(7)

2012年10月18日 | 海外旅行「韓国」
昨日から北海道には寒気が入っていて、今日の私の町は晴天だが正午現在11℃しかない。今朝道北では氷点下になったり雪が舞った地域があったらしい。中山峠でも雪が降ったらしい。
3日前から、蕾がついていないためにこの先花が咲きそうにない薔薇の茎を切り取って細かく裁断し、コンポストに入れる作業を始めた。剪定鋏1つで太目の枝も切るので、握力がかなり必要だ。
今後、花が咲き終わった枝から順に切って行き、今月末の冬囲いに持って行きたいと考えている。

また、タオルケットと毛布だけの寝具では寒くなったが、厚地の羽毛掛け布団しかなかったので、一昨日新たに1,1kgの薄い羽毛の掛け布団を買い、軽いけれど暖かく寝られるようになった。

残暑が長引いたが、もしかすると冬は早くに来るかもしれない。




《世界遺産「水原華城(スウォンファソン)》
丹陽のレストランで食べた朝食は、「韓国式定食」だった。韓国海苔、アミの塩辛、焼き豆腐、キムチなどの副菜と干し鱈のスープだった。
スープは私の好みではなかったが、昔、母親が塩干し鱈を手で裂いて汁にしたのをよく食べた事を思い出した。
副菜はあっさりしていて食べやすかった。

 

その後2時間バスは西北西に走り、黄海から10kmほど内陸に入ったところにある「水原華城」に行った。
3年前の11月に訪れた時は、夕方仁川空港に着いた後水原に行ったため、城がライトアップされていて美しかったし、北側の「長安門」から城内に入り、城壁に沿って東に移動してから「華紅門」を通り、見晴らしの良い「東北角楼」に登り、「練武台」まで散策したので、夜にも関わらず城の雰囲気をとても良く感じることができたのだ。
しかし今回は門を通らずにいきなり外壁に登り、外側を回っただけで見学は終わった。折角素晴らしい世界遺産を訪れながら、美しい建築様式を見られる門の一つも通らなかったことで私は肩透かしに会った様で実にがっかりしたのだった。

この城は、李氏朝鮮22代の正祖王が、王位に就けずに非業の死を遂げた父親のために楊州から水原郊外の華山に陵を移す事を決意し、5.7kmの城郭を築いて新しい都にしようとしたのだった。今放送されているTVドラマ「イ・サン」が作った城なのだ。
1796年に、日本、中国の様式も取り入れながら設計し着工したが、その後、正祖王が亡くなって遷都が中止された。その結果、結局城は作られず、城郭だけが残されたのだ。
現在は城郭の内外は市街地になっていたが、石とレンガで造った城郭には、当時48箇所の見張り場所があり(今は43箇所が保存されている)、その建築様式が多様であることから世界遺産に指定されたのである。

  

この門は地面より下がったところに作られた「北暗門」で、秘密の出入り口として作られた。右隣は「練武台」で射弓場を兼ねた。

  

最後、東の「蒼龍門」を見ながらバスに戻った。今回の見学コースでは、美しい門を間近で見る機会がなかったことが残念に思えた。

       
 

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秋の韓国旅行(6)

2012年10月18日 | 海外旅行「韓国」
《「古数洞窟」と丹陽の温泉つきホテル》
「安東河回村」を見学した後、バスは丹陽(タニャン)の郊外にある「古数洞窟(コスドングル)」に向かった。
ここは韓国で1番の石灰岩洞窟で天然記念物に指定され、遺跡から古代人が住居にしていたことも分かっているという。

全長1.3KMの内部を約1時間、設置されている細い通路に従って1列に並び見学した。
奥の方に行くと洞窟は深さが増して、石筍などの美しい鍾乳石が見られた。
今まで色々な石灰岩洞窟を見たが、通路がこんなに狭い洞窟は初めてだった。

洞窟見学中、雨が降ったらしく、出口の周囲に出ている土産物屋の商品にはビニールが掛かっていた。

  

  

夕食は「ゴンドレ釜飯定食」だった。
既に焼いてある豚肉をサンチュの葉に乗せ、色々な副菜の中から適当なものを肉の上に乗せてから辛みそを少し付け、葉で包んで食べる。
石釜で炊いてあるご飯にも適当に副菜を載せ、混ぜてスプーンで食べるのだが、この定食は意外と美味しかった。(写真は横から撮ったもの)

     

その後、丹陽のリゾートホテルに入った。
ここも韓国式の作りになっていて、玄関で靴を脱ぎ、オンドルが通っている床に置かれたベッドで寝るのだが、気温を高める事がサービスだと思っているのか、夜凄く室温が上がって寝苦しかった。
ホテルには温泉があると聞き、早速行って見た。宿泊客だけが入るらしく閑散としていたが、設備も管理も行き届いた清潔な温泉だったのでゆっくりと体を温めることができた。



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秋の韓国旅行(5)

2012年10月17日 | 海外旅行「韓国」
《世界遺産「安東河回村(アンドンハフェマウル)」 》
「安東河回村」は小さな村だが、2010年7月にユネスコの世界遺産に認定され、韓国で10番目の世界遺産になった。
貰ったパンフレットによると、世界遺産として登録されたのは朝鮮王朝時代の貴族階級である両班(リャンバン)文化が継承されていて、朝鮮時代の儒教的な建築物が残され、風水を利用した自然地形が活用されている。それで保存が必要だが、急速な都市化、現代化によって存続が危ぶまれる事例だというものだった。

先ず、小さな古い韓国風食堂で昼食に「安東さば定食」を食べた。店の入り口に立つ木彫りの看板が風情があった。
塩さば半身が1人前だったが、油の乗ったさばは塩味が薄くて美味しかった。

  

その後、村を散策した。数度目になる今回の韓国旅行で、私がまだ来ていなかったのはここなのだ。
この村は豊山柳氏が代々600年暮らして来た韓国の同姓村で、どの家も姓は『柳』であり、朝鮮時代の儒学者『柳雲竜』と現代の首相に当たるかっての領議政『柳成竜』の出身地だそうだ。
また、村を囲むようにS字型に流れている洛東江によって「河回村」と呼ばれている。看板に全景が画かれていた。
現在は125世帯、232人が農業などで生活をしていた。丁度稲穂が実った田んぼが黄金色に輝いていて、鳥除けのかかしが立っていた。
家々の柿の木には、色づいた柿が沢山なっていた。

  

  

  

儒教の「男尊女卑の思想」が具現化された家があった。
写真の右側が主人など男性の室と玄関が設けられ、塀で仕切った左側に女性の生活の場と出入り口があるのだ。
現地ガイドの女性は、しきりと「男尊女卑の風習は早くなくなって欲しい。」と話していたが、韓国は日本以上に儒教の影響が現代でも実生活に強く尾を引いているようだ。
長い間、韓国には《同本同姓の男女の結婚禁止規定》が民法にあったが、3年前に改定された。
つまり、姓が同じで先祖の出身地が同じなら、遺伝上子どもに問題が起きるので結婚できないというものだった。
韓国では、実際大半の人が金、李、朴等という限られた幾つかの姓であるため、結婚が著しく阻害されていて問題となっていたのだ。
法律が改定されたことをガイドは知らなかったので、私が教えたら早速調べたらしく「分かった。」と言っていた。

        

村で一番高い広場に行くと、樹齢600年という大きな欅(ケヤキ)の木があり、人々が願い事を書いた紙が沢山結わえてあった。
川岸を歩いたが、向こう岸に断崖絶壁があった。ここはよく映画の撮影に使われるらしい。民族服を着た郵便配達と出会った。
散策中出会ったのは修学旅行生と数人の観光客だけで、他の世界遺産には見られない全く静かな雰囲気の村だった。私はこの村に韓国の精神的な風土の元点を見たように思った。

  

     
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秋の韓国旅行(4)

2012年10月16日 | 海外旅行「韓国」
《慶州観光ー石窟庵・仏国寺》
1日目の宿は慶州(キョンジュ)のホテルだった。ツインの部屋だが、大きいソファーがあるリビングキッチン(リゾート客が自炊できるような立派な台所が付いていた)と、その他に広いベッドルームが2室あり、私と従姉は別室でゆっくりと寝た。
朝、目を覚ましてカーテンを開くと私達の7階の部屋からは、眼下に朝もやに霞む広いゴルフ場とさらに遠くには水田が見えた。

2日目は、レストランで朝食を終えてから、午前中は慶州(キョンジュ)観光だった。
慶州は紀元前57年から935年までおよそ1000年間、国王の数では56代にも渡り栄えた新羅の都が置かれていた所である。

先ず世界遺産「石窟庵(ソックラム)」に行った。
吐含山に751年に作られたという石窟寺院だ。山門を入ってから10分程山道を歩いた所にその「石窟庵」はあった。
洞窟は、自然石でドームを作り、その上に土を掛けて天然の洞窟の様に作ったようだ。
洞窟の奥のガラス越しに見た如来坐像は、ライトアップされているとはいえ金色に輝いていて、素晴らしく神々しく感じた。
洞内の写真撮影は禁止されていた。

  

次に世界遺産「仏国寺(プルグッサ)」に行った。ここも528年に創建されたという古い仏教寺院である。
この寺は仏教世界を現世で体験できるように作られていて、門から入って歩いて行くにつれて煩悩が清められ、「紫霞門」への階段は俗世から仏国土に渡る橋の意味があるらしい。(ここは綱が張ってあって入れなかった)
中には新羅時代に建てられたという石塔や「大雄殿」、「極楽殿」、魚の形の木魚があった。
小学生が修学旅行で来ていた。
このころ朝鮮人が持っていた進んだ寺院建築技術は、頻繁にあったらしい往来や日本への帰化人の手によって日本に伝えられたのだろう。

  

  

  

バスから7基の王陵と23基の古墳がある「古墳公園」を見ながら北の「安東(アンドン)」に向かった。
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秋の韓国旅行(3)

2012年10月15日 | 海外旅行「韓国」
《チャガルチ市場散策》
次に行ったのが有名な「チャガルチ市場」だ。
海の町釜山は豊かな海産物に恵まれているが、市場で並べられている魚は北海道ではあまり見かけない太刀魚などの珍しい魚がズラリと並べられたり、豪快に盛られていて、その商売の最前線ではオモニ(お母さん)達が頑張っていた。
韓国風のお焼きを焼いている女性もいた。
その町のマーケットを見ると人々がどのようなものを食べているかなど生活が分かるが、私はこんなに豊富な海産物がある釜山で1~2週間暮らして見るのも良いかも知れないと思った。

  

  

       

散策後、レストランに入って、今回初めての食事となった。メインは豚肉の「プルコギ」だった。ジンギスカンに似ていたが、煮えた肉を細長く大きい「サンチュ」の葉に乗せ、さらに適当な野菜料理を乗せてから包んで食べるのだが、私は肉が熱くて上手く包めなかった。(写真で「サンチュ」は、右端に一部分しか写っていない)
周りの小皿に入っている「キムチ」などはどれも2~3人用になっていてお代わりができる。黙っていても「キムチ」や「サンチュ」はお代わりを持って来た。私にとっては2年ぶりの懐かしい味だった。

 


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秋の韓国旅行(2)

2012年10月14日 | 海外旅行「韓国」
《釜山の景観と龍頭山公園》
今回の韓国旅行は、短期間だったのにもかかわらずスケジュールがきつめだったので少々疲れた。
私にとっては数回目ということもあって、新鮮味や感動が少なかったのは否めない。
しかし、晴天続きで気温も最高22度程度と季節的には良かった。
また、韓国は初めてという5歳上の従姉と同行したので、彼女の援助もでき、バスやホテルでの他愛無い話も面白かった。

1日目は新千歳空港から12;35発の大韓航空機に乗り、僅か2時間40分後には南の釜山空港に着いた。
着陸前の窓から釜山の町並みが見えた。以前来た時とは違って高層ビルがぎっしりと林立していていたのには驚いた。
そういえば韓国には地震がないので、こんな建物も建てることができるのだ。

  

入国手続きを済ませて出口を出ると、現地ガイドが待っていた。
早速バスで釜山の「龍頭山公園」に向かった。公園は標高180mの丘の上にあり、かって日本の江戸時代には対馬藩の駐在施設「倭館」が付近にあった所でもある。
公園内には、高さ120mの釜山タワーと韓国の英雄「李舜臣将軍」の銅像がある。

今回のガイドは説明を省いたが、「李舜臣将軍」は豊臣秀吉が1592年4月12日に16万人の兵を率いて朝鮮侵略を狙った「壬申の乱」で、倭軍を迎え撃ち戦った朝鮮水軍の将軍である。
彼は(事実かどうか疑問点が多いとされるが)「亀甲船」で戦い、数箇所で倭軍を敗退させ、日本の朝鮮侵略を挫折させた。
銅像の台座には、彼が造らせたという無敵の亀甲船のモチーフを刻んだレリーフが嵌め込まれていた。

  

また、公園の一隅には、愛の鍵がぎっしりとかけられていて、日本語で書いてある札も幾つかあった。

 

 
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秋の韓国旅行(1)

2012年10月08日 | 海外旅行「韓国」
明日午後12;35新千歳空港出発、釜山行きの大韓航空機で韓国4日間の旅に出る。
新千歳空港発着の旅行は、成田まで自分で行く時間やお金が要らない分良いのだ。
4日目にソウルで1日自由行動となる5日間の行程もあるが、私自身は今回の見学コースで回る5箇所の世界遺産中、今までの数回の韓国旅行で既に4箇所迄は観光済みなので、観光は実質的に中2日間となる全行程4日間の方のコースを選んだ。

         

私がどうしても行きたい残す1箇所の世界遺産とは、2日目に行く予定の「安東河回村」である。
韓国の時代劇を見ていると必ず出てくるのが貴族階級の「両班(リャンバン)」だが、ここでは朝鮮王朝時代の支配階級であった「両班」の住居や生活、韓民族の伝統的な文化を見ることができるのだ。

韓国も秋が深まっているようなので、ベストやカーディガンも持った。
今回は従姉と彼女の友人との3人で参加するが、楽しい旅行になると期待している。

                    


今朝から旅の準備を始めたが、大韓航空機のマイレージカードが見つからなくて2時間位探しまくった。結局、色々なカードをまとめて保管してある中にあったのだ。今迄と違う置き場所に変えたことを忘れていたのだが、見つかって良かった。
やれやれと一息ついてブログの記事を書いたが、探し物をする度に自分が情けなくなって来る。

                      「またどうぞ…」


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韓国の旅(9)

2009年11月15日 | 海外旅行「韓国」
(8)の続きである。

4、ガイドは、最近の40~50代の女性の話題は、お金儲けとプチ整形なのだという。
韓国では今では男女とも就職活動の1巻として、抵抗なく整形手術を受ける人が多いらしい。親が子どもを病院に連れて行く事も多いそうだ。
整形した男女が結婚して、生まれた子どもが親に似ていないと言うことも現実には出てきているようだと言う。

また、日本でも馴染みの韓国の女優が、TVのCMで宣伝している「BBクリーム」(化粧水、乳液、日焼け止め、保湿成分が全部入っているクリームなので、忙しい朝の化粧に良いとヒットしているクリーム)について、韓国では男性も使い出していると聞き驚いた。
ソウルで夜、散歩がてらドラッグストアーに入って見たら、今では多くの会社から10種類以上のBBクリームが製造されて棚に並べられ売られていた。
しかし、バスの中でガイドが良いと言った商品(それは日本円で1600~2000円と決して安くはなかったが)を、免税店で多くの人が1人数個づつ買っていた。
私は、時間がたっぷりある生活をしている身なので、必要ないから買わなかった。

5、私は今回韓国に1年7ヶ月振りに行ったのだが、世界的な不況の筈なのに、人口1000万人を越すソウルを初めとした大きな町の建築ラッシュに驚いた。
①は水原市内の建築中のマンション。②は①の近くで見かけた高層マンション。いずれも朝の散歩時に見た。
③は、バスの窓越しに映したソウル郊外の新しい高層マンション。総ガラス張りなので、室内が暑く、年中クーラーが必要だとガイドから聞いた。
韓国には地震がないので、見たところほとんどが15階建て以上の高層ビルなのだ。

 ① ②

 ③

ガイドの話では、「ソウルの高層マンションは1坪(3.3㎡)150万円位するので、30坪(100㎡)でベランダ2箇所、トイレも2箇所ある所なら4500万円する。しかし、今の多くの人の夢は家を所有することなので、半分くらいお金ができたら買おうと思っている人が多い。」という。
日本では近年、高層ビルに住む問題点も指摘されるようになったが、韓国では高層ビルに住むことに人生の最終的な夢を描いている人が多いようだった。
それだけ韓国は、日本の後を追って経済成長している国なのだろう。そして、いつかその内、きっと色々な問題が出て来るだろうなと私は思ったのだった。

6、今まで韓国ドラマでも働く女性の姿を多く見て来たが、今回の旅でも色々な場所で元気に働く中高年女性たちを見かけた。
光州市の儒城(ユソン)温泉町の市場で、朝8時前に見かけた伝統的な餅菓子を売る女性。にこやかにポーズをとってくれた。④

韓国では餅菓子は、何かにつけて良く食べるそうである。写真手前のは、色々な木の実や乾燥果物をトッピングしてあった。色は全て天然染料だと言う。

高速道路のドライブショップで、さつま芋餡の蒸し饅頭を売っていた女性もポーズをとってくれた。私は3個買って、バスで何人かと分け合って食べたが、紫さつま芋餡の自然な甘さが美味しかった。⑤

朝まだ気温が低い時間に、観光地の路上でぎんなんなどを売っていた女性。⑥
韓国の頑張る中高年女性たちに拍手したくなった。

 ④ ⑤ 

 ⑥

7、宿泊地が儒城温泉のホテルだった日に、初めてホテルの隣の温泉に入って見た。
入り口で浴用タオル2枚と靴ロッカー・服ロッカーのキーを渡された。
その番号のロッカーを使って脱衣し、大浴場に入った。
夕食後の時間帯のせいか、町の女性たちで溢れていて、沢山有る洗い場には人がいないのにもかかわらず、個人のタオルなどを入れた洗面器で洗い場がふさがれてほとんど空いていないのだ。日本でも以前はそうだったが、今では大分改善されて来ている。韓国では、まだマナーがなっていないと感じた。
どこにいるのかと見たら、みんな大きい浴槽の傍で垢すり中なのだ。
一人で垢すりをしている人、2人でお互いにしている人と色々だが、兎に角、力を込めて真剣にやっていた。私ならあんなにこすったら皮膚がただれてしまうと思った。
私は最初、洗い場所を探して大分うろうろしたが、何とか隅にもぐりこんで身体を洗い、シャンプーをして出たのだった。(固形石鹸はあるが、シャンプー剤は持込だった)
これも良い経験だった。

以上、思いがけず長くなったが、これで「韓国の旅」の報告を終えたい。
今まで4回の訪韓で韓国旅行は終わりにしようと思っていたのだが、また、まだ訪れていない都市が気になり出している。
言葉の問題がなければ1人でも行きたいところだが、その内行っていない郊外の町を巡るツアーが見つかったら、また是非行きたい。
私の拙文を読んでくれた方々には、この記事から韓国をより身近な国に感じてもらえたら嬉しい。 (完)



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韓国の旅(8)

2009年11月12日 | 海外旅行「韓国」
6日間と言っても最後の日はモーニングコールが4;50で、5;30にはホテルを出て、仁川空港近くの日本人専用免税店で朝食と買い物をした後、空港に行って10;05の大韓航空機で新千歳空港に帰って来たから、正味4日間の観光だった事になる。世界遺産以外に色々と観光したが、記事からは割愛したい。
今日は最後に、今回の旅で「見たり感じたりした韓国」について書く事にする。

まずガイドが50代のベテラン女性の方だったので、細切れながら現代の韓国事情を聞くことができた。

1、韓国はオリンピックの開催地等を契機として高速道路網や鉄道網が整備され、ソウルから南端の釜山までの380kmを新幹線なら2時間半、高速道路なら時速100kmで4時間半程で行く事ができるようになった。
高速道路は片側3~4車線と幅を広く作ってあり、ひとたび戦争になれば航空機の滑走路にできるようにしてある。
北朝鮮とはまだ敵対関係なので、戦争は遠い事としては考えられていない。

車は1家に1台になったが、車優先社会なので事故には十分に気をつけて欲しいと言われた。
(韓国ドラマでは、しばしば交通事故が起こるストーリーがあり、私はそれに初め違和感を持っていたが、現実に事故が多いのだと言う)
日本車が少ないので聞くと、韓国では欧米の車の輸入は前から認められていたが、日本車は3年前から認められたと言っていた。その理由をガイドは、「韓国車を守るためだと思います。」と言ったが、私には日本の音楽や映画の輸入を最近まで禁止していたのと同じく、日本に対する国民感情を配慮しての国策だったと思えた。
韓国の若者は「角ばった日本車の形は野暮ったい。」というそうだが、なる程韓国車は丸みを帯びた形に見えた。私も次に買う時は、韓国車も視野に入れてもいいかなと思ったりした。
私が見た所、車は皆綺麗で、持ち主が丁寧に管理しているようだったが、ガイドは、「韓国では、車は自分の顔と同じだと考えて綺麗にします。」と言っていた。多分韓国では、まだ車が20~40年位前の日本のようにステータスシンボルの1つなのかも知れないと思った。車検制度は日本と変わらない様だった。

2、韓国の男性には兵役の義務がある事はよく知られているが、何時行くかは18~27歳の中で自分で決める事ができ、陸海空軍のどれにするかも希望できて、試験があるそうだ。
ガイドの話では、最近、年々期間が短くなって来て、2年2ヶ月、2年6ヶ月という勤務を終えると結婚ができ、給料も倍になると言っていた。
ところが「物語 韓国人」(田中明著)によると、韓国では徴兵逃れがいつも問題になるのだという。
この本には『1999年6月、国防省検察部は、現役将校88人を含む四百余名を捜査し、軍人5名を拘束した。』『この時起訴された兵務庁の元准尉などは、富裕層の150余名から総額54000万W(5400万円位)を受け取っていたというからすざましい』とある。
徴兵検査の結果には、合格者と不合格(徴兵免除)者の他に「防衛兵」という区分があり、一家の大黒柱の人、体力、学力が著しく足りない人は、入隊しないで半年~1年、公務員の補助的な仕事をすれば兵役にかえられる。それでずっと楽なこの区分に隠れた希望者が多いらしい。
実際には高級住宅地に住んでいる人やエリートの中には、兵役に行っていない人が多いという報道もなされているという。

3、韓国は儒教の考え方を尊重する国で、人間関係、特に親や祖先を敬う気持ちが今でも本当に強いのだ。
ガイドは、「親孝行をするために、息子は親を国内旅行に連れて行こうとするけれど、娘は海外旅行に連れて行くのが夢という人が多い。」と話してくれた。
私にとっては夢見たいな話しに聞こえたが、確かに景勝地で高齢の親を連れている人たちを多く見た。

今読んでいる「物語 韓国人」(田中明著)という本に、儒教が伝えられた韓国と日本では、その「忠孝」の伝わり方が違うと書いてあった。
韓国では家族を何よりも大事にする「孝」の考え方が強く伝えられたので、家族のために仕事を休む事は当たり前だと考えるが、日本では社会を構成する個人という考えが強く伝わったため、仕事のために親の死に目に会えない事があっても、仕事を優先するべきだという「忠」の考え方が一般的なのだという。


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韓国の旅(7)

2009年11月11日 | 海外旅行「韓国」
今日は目先を変えて今回食べた韓国料理について書く事にする。

まず最初の夕食で食べたのが、水原(スオン)の店の「骨付き王様カルビ」だった。
かなり大きい店で、1階には普通客、2階フロアーがグループ席だったので、私たちはそこへ通された。
すでにテーブルがセットされていた。①
向かい合う2人で炭火焼の肉とこれだけの種類の惣菜を食べるのだ。
店員が骨付きカルビを持って来て、客の前で骨から外して切り、焼き網に乗せていく。
今回は惣菜だけでなく肉もお変わり自由だった。(前回はお惣菜だけがお変わりでき、肉の追加は個人負担だった)
サンチュ(今回はリーフレタスだったが)に焼いたカルビを乗せて辛みそをつけ、さらに好きなように惣菜も乗せてから、サンチュで包むようにして食べるのだ。

韓国料理は、「宮廷女官チャングムの誓い」を見たら判るように「医食同源」の思想に基づいていて、とにかく野菜が多い。
私には今回の生のニラと水菜、大根のサラダは初めての経験だった。
久し振りに食べる白菜キムチは辛く感じたが、大根の塩漬けはおいしかった。水キムチは少し酸っぱかった。
肉は美味しかったが、さらに2回足されたし、惣菜も食べると自動的に付け足され、かなり余してしまったが満足できた。

 ① ②

次は鎮安(チナン)の馬耳山道立公園内の食堂で昼に食べた韓国料理「参鶏湯(サムゲタン)」だ。
写真②のセットが2人分の惣菜。「参鶏湯」は1人1鍋である。
「参鶏湯」は、若鶏1羽の腹の中に、もち米、高麗人参、胡桃、ぎんなんなどを詰めて、スープで煮込んだ滋養食で、鶏肉のコラーゲンが肌に良いと言われている。私には2回目の体験だった。
鶏の身をほぐして小皿に取り、塩を適当につけて食べたが、私自身高麗人参の味に馴染みがないのであまり美味しいとは思わなかった。鶏肉からだしが出ていてスープは美味しかった。
韓国で沢庵が出されたのは初めてだった。

また、ある日の夕食として全州(チョンジュ)の店で「全州ビビンパ」を食べた。③
全州がビビンパの発祥地という事で、この夕食になったらしい。
私は胃腸が弱いので、生の牛肉ユッケを入れない様にしてもらったが、本来は写真手前の各人の器内にユッケも乗っている。
全てをよく混ぜて食べたが、甘辛味噌が特に美味しかった。
この惣菜も2人分だが、美味しくて、まだ食べたいものはお変わりをした。

 ③ ④

ある日の夕食は「韓定食」だった。④
写真は、最初にセットされていた4人分の料理である。
基本的に野菜、山菜、海産物が多く、肉はわずかだった。
この後、さらに次々と数品の料理が出てきたが、全部食べても満腹はしなかった。そしてこれといって記憶に残った料理はなかった。
韓国では昔から銀製の食器や箸、スプーンを使って食べるが、これは王宮で料理に入れられるかも知れない毒を見分けるためだったらしい。
「韓定食」は、多分日本の「懐石料理」に匹敵する料理ではないかと思う。

ソウルでの夕食は、「ボッサム」だった。⑤
これは、キムチに蒸した豚肉や惣菜を乗せて、巻いて食べる料理だ。
写真が2人分のキムチだが、直径17~18cmで、高さ6~7cmに盛り上げてあり、まずその量の多さに驚いてしまった。
途中で煮立った豆腐のチゲ(味噌スープ)も出てきたが、熱いスープを口に入れるとキムチの辛さが増して口の中が痛いように感じた。
美味しかったが、豚肉が多すぎて、たいていの人は残していた。

 ⑤
 
こんなわけで、旅行中、毎食キムチを食べたが、店により少しずつ味が違った。
私が好きだったのは、酸味の少ない浅漬けキムチだった。
大抵旅行をすると体重が増える事が多く、帰国後ダイエットに励まなければならないのだが、今回は変わらなかった。
唐辛子と野菜中心の食事のお陰かも知れないと思っている。

ガイドは、年末に月給の230%程度のキムチボーナスが出ると、5~6人家族がいる一般家庭では100個の白菜を買って来て、半年分のキムチを漬け込み、キムチ専用冷蔵庫に入れて冬越しの惣菜にするのだと話してくれた。(昔は数個のカメに仕込み、2/3位を土中に埋めて保存したようだ)
私は作る量の凄さに驚いた。

下は軒先にニンニクを干していた民家の写真である。多分キムチの準備だろう。⑥
またレンガの煙突は、オンドルの煙り出しの煙突であろう。

 ⑥

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韓国の旅(6)

2009年11月10日 | 海外旅行「韓国」
今回はかっての百済の都があったとされる扶余(プヨ)で観光したことを書きたい。
5日目の午前中、最初にかって百済王朝の「扶蘇山城(プソサンソン)」があった山に行った。
百済の都は、初め、今のソウルにあったが、高句麗に侵入されて光州に下り、最後は扶余まで退き、538年、26代聖王が「白馬江(ペンマガン)」という黄海に続く大河を臨む標高102mの扶蘇山の上に山城を建立したのである。
現在は何も残っていないが、発掘調査で池の跡、軍倉跡が確認されているそうだ。
また38年前には王墓が見つかり、2906点もの遺物も収集されたという。

当時半島には、高句麗、新羅、百済の3国があり、互いに対立、懐柔を繰り返していたが、百済は日本とは特に友好関係にあり、538年、日本に仏教を伝えている。
百済王朝は31代続いたが、最後は唐と新羅の連合軍に攻め込まれ、最後の31代義慈王の660年7月に滅びた。
この時日本は、百済の援軍要請に応じて白馬江まで400隻の水軍を送り、唐、新羅の連合軍と戦ったが敗退した。
敗れた百済の貴族達は、その後日本に逃れて帰化人となった人も多く、飛鳥時代の芸術文化に大きな影響を与えたのだ。
中でも百済の副官2人は、急に唐に脅威を抱くようになった日本で、対馬、九州に幾つかの防備の山城を築く協力をしている。
(これらは田中明著「物語 韓国人」に詳しく書かれている)

当時、百済の義慈王は毎日、昼間から遊興にうつつを抜かす緊張感に欠けた生活をしていたが、攻められた日も3000人の宮女をはべらせて酒宴をしていたという。
その宮女たちは、攻めて来た敵軍から辱めを受けるのを恐れて断崖絶壁の上まで追い詰められた後、そこから次々と下の白馬江に身を投げたらしい。
後にその女性たちを悼んで、韓服のスカート「チマ」を風にひるがさせて落ちた姿を花びらに例え、そこに「百花亭」を建てて韓国女性の鏡としてたたえ、語り継いでいるという。

私たちは「扶蘇山城」の山門①の横を抜け、整備された紅葉の林道②を20分程登ると「百花亭」③に着いた。

 ① ② ③

その断崖からは、眼下に悠々と流れる白馬江を臨む事ができた。④
そこから急な石段を降りて行くと白馬江の船着場に着いた。観光用の古い帆をかけた遊覧船が待っていた。それに乗って10分程川を下って、川下の町で下船した。
船からは「落花巌」と刻まれた百花亭の下の絶壁⑤を見上げる事ができた。(写真ではよくわからないが、頂上には「百花亭」がある)
私は船に乗りながら、遥か昔、遠く日本からやって来て、ここで戦った水軍の兵士たちに思いを馳せた。負け戦だったのだから、この川に沈んだ兵士も数多かった事だろう。

 ④ ⑤ 

船を降りた後、バスで「宮南池(クンナムジ)公園」に行った。
百済時代ここに王の別邸があり、中島がある池が作られたのだが、中の築山では連日、宴会が盛大に行なわれたという。
今は中島まで橋が渡された人工池になっていた。⑥
この池のデザインは新羅や日本に伝えられ、長く池作りのモデルになったらしい。

 ⑥

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韓国の旅(5)

2009年11月09日 | 海外旅行「韓国」
最後の世界遺産は、5日目の夕方、ソウル市内観光で行った「宗廟(チョンミョ)」だ。
ここは朝鮮国初代王の李成桂(イ・ソンケ)が今のソウルに都を置いた1395年に建てられ、李氏朝鮮の1~27代までの歴代国王とその妃の位牌49位が祭られていて、1995年に世界遺産に指定された。
かっての建物は文禄の役(壬辰倭乱)時侵攻した日本軍によって1592年に消失させられ、今の宗廟は1608年に再建されたものだという。

私は今まで3回、李氏朝鮮王朝の正殿だった「景福宮(キョンボックン)」(これも文禄の役で消失されたものを再建したものだ)を訪れていたが、「宗廟」に行くのは今回初めてだった。
お墓と言っても良いこの場所は、緑に囲まれた静かな場所にあり、正殿前の少し高く作られた広い前庭には石が敷き詰められていた。①
毎年5月の第1日曜には、王族の子孫達が全土から集まって、雅楽の演奏とおごそかな儀式を行なっているという。この祭礼楽も2001年にユネスコの無形遺産に登録された。

 ①

ツアーの中の1人が、「今、王様の宮殿はどこにありますか。」とガイドに聞いていた。
「チャングムの誓い」「宮」など、王宮を舞台にした韓国ドラマの時代劇が色々作られて日本でも放映されているので、勘違いする人がいても不思議ではないと思った。

また、ガイドがそこで説明した中で、王妃「閔妃(ミンピ)」が殺害された事件には触れたが、日本が1910年に韓国を併合してから、1945年に日本が敗戦して、南北に分割占領されるようになるまでの35年間について、ほとんど具体的に話さなかった。
それは、私達日本人の感情に配慮しているのだろうが、私には少し遠慮し過ぎだと思うし、物足りなかった。
やはり、今の私達にも歴史的な事実を知る勇気が必要だし、隣国の人達が今どう思っているのかを知りたかった。
近代史を知らないまま韓国を訪れる日本人が多いとすれば、これからも思わぬトラブルを起こしかねないし、その時、「知らなかった」では済まされないと思ったのである。
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韓国の旅(4)

2009年11月08日 | 海外旅行「韓国」
2つ目の世界遺産は、「高敞(コチャン)支石墓群(コインドル)」だ。
光州市の北西45km、全羅北道地域にある支石墓は先史時代の人たちの墓で、下部の支石と上部の巨大な上石を組み合わせて作られている。
高敞では、山の裾野の広大な地域に広がって点在する支石墓が、500個もあるという。

晴天で気温が高い午後だったので、私たちは1人1000W(80円)で小さなトロッコバスの乗車券を買い求めて乗車し、巡回しながら見学をした。①②
支石は土に埋まっているのか、良く確認できなかった。
数人の女性が下草を刈るなど保全のための作業をしていた。③
ガイドブックによると、近くに墓石を採掘した場所も発見されているらしい。
また、光州の南東17kmの所には、「和順(ファスン)支石墓群」もあるという。

初めて支石墓を見たが、先史時代の人々がここまでどのように石を運んで来たのか、大きく重い石をどのようにして重ねたのか、石の大きさに違いがあるが、理由はあるのか、当時の死者に対する考え方は、またこの地域でどのような生活が営まれていたのだろうか、など、私には次々と疑問が湧いて来たのだった。

  ① ② 

 ③
 
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韓国の旅(3)

2009年11月07日 | 海外旅行「韓国」
今回の旅は、今までの外国人観光客を対称にした観光コースではなく、韓国人向けの国内旅行コースだった。
ガイドの説明では、韓国も経済成長を遂げ、多くの人が都市に集中して高層ビルのマンションに住み、1日中携帯電話やインターネットに取り囲まれ、高速鉄道、地下鉄、車で移動するようになった。
それに伴い、精神的な安定や時間的なゆとりを十分得られなくなり、人間関係も希薄になって来た。
すると、人間らしさを取り戻すために、休日には都市を離れて田舎の綺麗な空気とスローライフ、自然との触れ合いを求める人達が増えた。
そんな韓国人たちに人気がある癒しの旅行コースが、今回のコースなのだという。
だから今回の行程中、外国人ツアーには、本州から来た日本人ツアー1団体、ヨーロッパ人の1団体に出会っただけだった。

このコースには、3箇所の世界遺産が含まれていた。
水原(スウォン)にある「水原華城(スウォンファソン)」、高敞(コチャン)の「支石墓群」とソウルの「宗廟」だ。

今日は先ず、最初に訪れた「水原華城」について書きたい。
仁川(インチョン)空港には1日目、16;40に着陸した。
この空港の存在は、日本でもにわかに知られる様になったが、2001年に永宗(ヨンジョン)島周辺の海を埋め立てて新しく開港した韓国のハブ空港で、私は今回初めて降り立った。
(今までのソウル金浦(キンポ)空港も、その後国内線を中心に営業している)

仁川空港に着いた時はまだ明るかったが、荷物を受け取り、3列シートで座席数28のデラックスバスに乗り込んだ17;40頃には夕暮れになっていた。
ガイドは、「韓国は、日本より日の出、日の入り共に約1時間遅れます。」と言っていた。
空港を出ると、バスは海上に架かる18.2kmもの長い仁川大橋を渡って仁川市に入った。
それから102kmを1時間半走り、水原に着いたのは19;15だった。
昼食は機内で3時過ぎに食べたため、私たちはそのまま夜の「水原華城」に向った。

ガイドブックによると、李氏朝鮮22代の正祖王は、王位に就けずに非業の死を遂げた父親のために、楊州から水原郊外の華山に陵を移す事を決意し、5.7kmの城郭を築いて新しい都にしようとしたのだった。
1796年に着工したが、その後、正祖王が亡くなって遷都が中止された結果、城は作られず、城郭だけが残されたのだ。
現在は、城郭の内外は市街になっていた。

石とレンガで造った城郭には、当時48箇所の見張り場所があり、その建築様式が多様であることから世界遺産に指定されたのだという。今は43箇所が保存されている。
ライトアップされた城郭に北の「長安門」①②から入り、城郭③に沿って水原川の上に立つ「華紅門」④、高所にあって見晴らしの良い「訪花隋柳亭」⑤と辿りながら、40分間、主に北側を見て歩いた。
東西南北に6つあるという門と見張り場のデザインは、地形に合わせて非常に繊細に優美に作られているのに驚いた。
210年前に設計されたこの壮大な建築に、私は儒教の国、韓国の父を思う子の深い心情を見る思いがしたのだった。

 ① ②

 ③ ④

 ⑤




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