花好き・旅好き女性のセカンドライフ

通院しつつ、夏場半年間はガーデニングと家庭菜園で汗を流し、その合間に外国旅行を楽しむリタイヤ女性の生活日記

「スイス連邦の旅」(10)

2017年07月17日 | 海外旅行「中央ヨーロッパ」
≪「ストラスブール」を観光後、「フランクフルト」から帰国≫

最終日は、バスで宿泊した「チューリッヒ」を出てから国境を越え、フランスのアルザス地方の中心都市「ストラスブール」まで225kmの道のりを3時間半かけて向った。途中には、トウモロコシや小麦畑が広がっていた。



「ストラスブール」で世界遺産の旧市街を散策後、ランチを食べ、今度はまた国境を越えてドイツに入り、東方220km3時間半走って「フランクフルト」空港に行った。
何故こんな無駄とも思えるルートを取ったのか不思議だったが、「成田」迄のJALの直行便は19時20分発だったので、多分、時間稼ぎの経路として企画されたのだろうと思う。
しかし、ドイツとの国境に近い「ストラスブール」にはなかなか行く機会はなかったので、こんな機会に行けた事は良かったと思った。

「ストラスブール」は、日本の教科書にも1952年~1985年には「アルフォンス・ドーデ」が1871年に書いた「月曜物語」の一つ「最後の授業」として登場していたので、私などは印象深い。
豊富な埋蔵量の石炭を巡ってドイツとフランスが領土を取り合う戦争を繰り広げた町だ。その結果、両国の文化が融合した建築や生活が生まれたのだ。今はドイツ語を話しているが、フランス語も教育されているらしい。
ここも「イル川」に囲まれた旧市街はバスの乗り入れは禁止されているので、駐車場から徒歩での観光になった。
バスから降りて、先ず花で飾られた橋を渡って旧市街に入ると、そこは「ラ プティト フランス」と言われる木組みの家々が連なる地区だった。第二次世界大戦で破壊されたものを忠実に復元したという。



         



  

次に旧市街の中心にある「大聖堂」に行った。高さが142mもあるそれは正に「大聖堂」だった。余りに大き過ぎて写真には納まらない。外側の彫刻が繊細なのに驚いた。
内部には世界最大と言われるからくり式の天文時計があるらしいが、見るのには2ユーロ必要だし、丁度昼休みの時間で内部には入れなくて残念だった。

 

その日のランチは、茹でたじゃが芋、ソーセージ、茹でた豚肉、酢キャベツを盛り合わせた「シュークルート」というこの地方の家庭料理だったが、私には塩辛過ぎた。
バスに戻る途中で、観光船を見た。



    

帰りの「フランクフルト」~「成田」間は11時間20分の飛行時間で、「成田」には13時40分に無事着いた。その日の夕方の飛行機で新千歳空港に戻って来た。
今回のスイスの旅は充実した楽しい旅だったが、今年に入ってから4回目の海外旅行だったから8日間で丁度良い日程だったと思った。
翌朝からの庭仕事と畑仕事では、まず留守中繁茂した雑草の除去作業から始った。この後は秋が終るまで暫く家にいて、薔薇と菜園の管理、それと伯母の介護をする予定である。
                             (完 成)
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「スイス連邦の旅」(9)

2017年07月16日 | 海外旅行「中央ヨーロッパ」
≪「ルツェルン」旧市街散策≫

昼食後「アンデルマット」を出たバスは北北東に向かい、約72kmの距離を1時間半かけて「ルツェルン」に到着した。
「ルツェルン」は標高436mにあり、「フィアヴァルトシュテッター湖」(俗称「ルツェルン湖」)に「ロイス川」は続いている。遠くを高い山に囲まれた風光明媚な町だ。


(写真は「カペル橋」の東側にある「ゼー橋」を写した。この橋の向こうは湖だ)

旧市街の真ん中を流れる「ロイス川」に掛かる有名な「カペル橋」は、1333年に完成し、1993年に一部が焼け落ちた後で修復された、屋根つきの斜めの橋だ。
全長が204mあって、湖から市街に入ってくる敵を見張り、防御するためにできた橋で、片方の端には八角形の塔がある。
この塔は見張り台だが、拷問部屋や貯水槽としても使われていたという。橋の梁には、町の歴史や聖人の生涯を描いた三角形の絵画が飾られている。
私がこの橋を訪れたのは3回目だったが、今回が最も観光客で混雑していた。





自由時間が50分あったが、近くの2つの教会を訊ね、旧市街の写真を撮っただけで終ってしまった。


(「カペル橋」の西隣にある「ラートハウス橋」も人通りが多かった。真ん中は「旧市庁舎」)



          

散策後、バスで北北東50kmにある町「チューリヒ」に向った。

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「スイス連邦の旅」(8)

2017年07月15日 | 海外旅行「中央ヨーロッパ」
≪「氷河特急」に乗車≫

マッターホルンをたっぷりと鑑賞した翌朝は、スイスの南端のある「ツェルマット」から北東「アンデルマット」まで90km強の距離を約3時間、「氷河特急」に乗車した。
私たちが乗ったのは2等車の「パノラマ車輌」で、窓が大きく天井部分もガラス張りになっていた。
座席はくじを引いて座ったが、残念なことに当たったのは後ろ向きの北側の席で、写真を撮るには窓に反射して上手く行かなかった。
それでも何枚か写した。
線路の両側に次々と高い山が現れた。時々僅かな平地や傾斜地で農業や牧畜を営んでいるらしい家々も見た。



           



列車は左右に曲がりながら山を登っているらしかった。
ある駅で、幾つものグループが降りた。数人ずつ同じコスチュームを着ていた。どうやら、この町で「ヨーデル」のコンクールが開かれているらしかった。走り出した列車の窓から、大勢の人で埋め尽くされた通りが見えた。パトカーも出ていた。日本のとは違って明るい配色で塗られていた。
その後、中年の男女が車輌に入って来た。誰だろうと思っていると、「ヨーデル」を歌いだした。2~3曲唄ったが、なかなか良かった。

 

            



              



そうこうしている内に列車は「アンデルマット駅」に着いた。
駅から歩いてランチの店に行った。大勢のグループで混んでいたが、茹でたじゃが芋にチーズを乗せてオーブンで焼いた「ラクレット」が美味しかった。

             

食事後は1時間半バスに乗って「ルツェルン」に向った。
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「スイス連邦の旅」(7)

2017年07月11日 | 海外旅行「中央ヨーロッパ」
≪「ゴルナーグラート」から望んだ素晴らしい景観≫

今度は自分で「ゴルナーグラート」鉄道駅に行き、94フラン(約12,220円)でチケットを買って展望台行きの登山電車に乗った。
標高差1485m、距離9kmを高度を上げて登りながら、中間にある5つの駅で停車し、最後の3089mの「ゴルナーグラート」まで約30分間かかった。途中の窓外の景観も素晴らしかった。





展望台の上には立派な天文台付きのホテルがあった。
3130mの「ゴルナーグラート」頂上まで行く人もいた。
その頃「マッターホルン」には残念ながら厚い雲が懸かっていたので、私は直ぐ下の展望台に下がった。
そこからは、4634mの「モンテローザ」を源とする「ゴルナー氷河」が眼下を静かに下っているであろう迫力ある姿を見る事ができた。実に素晴らしかった。





その後、下りの鉄道に乗って「リッフェルアルプ駅」(標高222m)で一旦下車した。
そこから散策しようとしたら、駅横に可愛いトロッコがあったので急遽、終点まで乗った。(往復10フラン)
終点には公園と山小屋、ホテルなどがあった。公園からは丁度「マッターホルン」が見られた。「ゴルナーグラート」よりは雲が少なくなっていたが、頂上近くに掛かった雲が最後まで消えなくてスッキリとした頂上を見られず、残念だった。

          

またトロッコに乗って駅に戻り、鉄道に乗って下り「ツェルマット」に戻った。

街中のスーパー「COOP」に行って、お土産を買い、ホテルに戻った。
心配だった「ゴルナーグラート」行きの自由行動も、自力で無事に済ませ、ホッとしたし満足だった。
(実は旅行社の「ゴルナーグラート」に行くオプショナルツアーもあった。料金は1人25,000円だった)
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「スイス連邦の旅」(6)

2017年07月10日 | 海外旅行「中央ヨーロッパ」
≪「マッターホルン」を「スネガ展望台」より臨む≫

イタリアとスイスの国境にある独立峰「マッターホルン」(4478m)を間近に臨むには、標高1620mの「ツェルマット」から幾つかの展望台がある。ツアー全体で用意されていたのは2300mの高さの「スネガ・パラダイス」だった。
「ツェルマット」の駅前にあるケーブルカー乗り場から1980年にできたというケーブルカーで向った。
僅か数分で標高2288mの展望台駅に到着。そこには少し遠いが町から見た「マッターホルン」とは違って全体が見渡せた。
駅の奥にあったエレベーターで下に降りると、小さな「ライゼー湖」があり、水に写る逆さマッターホルンが見られた。



       


展望台で解散後は夜まで自由行動だったので「スネガ展望台」のチケットで町まで降りた。
散策していると、ホテルの横から「マッターホルン」が良く見えた。
さらに行くと教会と墓地があった。ここに命を落した町出身の登山家たちが眠っているのだ。
全体の墓碑があった。教会の中も静かな雰囲気だった。



       



          

それから改めて次の展望台を目指した。
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「スイス連邦の旅」(5)

2017年07月09日 | 海外旅行「中央ヨーロッパ」
≪「サースフェー」の町から「ミシャベル連峰」見学≫

「モンブラン連山」の麓の町「シャモニー・モンブラン」から東北東150kmのスイスの「サースフェー」までは、バスで3時間要した。
「サースフェー」の南方はイタリアとの国境の標高800mの町で、その背後を氷河に取り囲まれている町なのである。
町の中には車は入れないので、駐車場にバスを止めて散策した。
南側正面に迫るのは「フェー氷河」。まるで町に覆いかぶさる感じがした。その源は4000m級ある13山の山群だ。
大きな「フェー・フィスパ川」に掛かる「グレッチャー橋」が、氷河の展望場所に最適だった。



自由行動中、平な石を柱に取り付けて「鼠返し」にした木造の干草倉庫「シュタデル」や遠くに見える「フエー氷河」を写真に写した。
駐車場傍の小さな丘も、良い展望場所だった。
右端に見える高い山は、スイスで2番目に高い「ドーム」だそうだ。



                



他に「スキーと登山学校」、ロープウエイ乗り場が2箇所、ゴンドラリフト乗り場が1箇所、スキーリフト2基があるという。
その後、次の宿泊地「ツェルマット」に向った。

「ツェルマット」は、「マッターホルン」がある小さな山岳リゾート地だ。ガソリン自動車の乗り入れが禁じられているので、私達は隣町「テーシュ」の駅に行き、そこから列車に10分乗り「ツェルマット」に到着した。下りて間もなくホテルから中型の電気自動車が私達のスーツケースを受け取りに来た。
駅から近いホテルだったが、入り口から振り返ると「マッターホルン」が見えた。





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「スイス連邦の旅」(3)

2017年07月06日 | 海外旅行「中央ヨーロッパ」
≪首都「ベルン」見学≫

「インターラーケン三山」の展望を終えて「ヴィルダースヴィル駅」に戻った後、バスでスイス連邦の首都「ベルン」に向った。70kmの距離を約1時間で到着した。

「ベルン」は、湾曲した「アーレ川」と高い山に囲まれた天然の要塞都市で、現在旧市街は世界遺産になっている。
1191年、そうした自然の砦に着目して小さな町を築いたのは「ツェーリンゲン公」だったが、15世紀初めの大火で街は消失した。その後、石造りで町が再建されて今日に至っている。



全長6kmにもなるという石造りの全天候型「アーケード」、1218年から動いてきた大きな「仕掛け時計」、100箇所もあるという「泉」(水飲み場)などが印象に残った。周囲の山から引かれた湧き水は、人口が多い都市を今までどれだけ潤して来た事だろうか。



             



 

散策途中のビル内に「アインシュタインの家」があった。「アインシュタイン」は1879年にドイツで生まれ、24歳で結婚してから住んだのがベルンのこの家だそうだ。この家に居た3年間に光電効果の理論、ブラウン運動の理論、特殊相対性理論を発表している。
「ベルン歴史博物館」内に「アインシュタイン博物館」があるらしい。

     

大きな「連邦議会議事堂」とその前の広場に設けられた噴水で遊ぶ子供たちの姿が微笑ましかった。1641~1897年まで実際に使われた「牢獄塔」も残っていた。



           



大聖堂を見学したかったが、何があるのか大勢の人が警護していて近づけなかったのが残念だった。

           























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「スイス連邦の旅」(2)

2017年07月03日 | 海外旅行「中央ヨーロッパ」
≪「シーニゲブラッテ展望台」より、ユングフラウ三山見学≫

今回の「アイガー」標高3970m、「メンヒ」4107m、「ユングフラウ」4158mの三山は、対岸の「シーニゲブラッテ展望台」からの眺望を楽しむ事にしていた。
その日は朝から晴天だったので、期待しながら「インターラーケン」のホテルから登山鉄道の出発駅、標高584mの所にある「ヴィルダースヴィル駅」に向った。
そこから9時25分発の可愛い登山鉄道に乗ること50分。二つの湖に挟まれた「インターラーケン」の町など窓外の景色を楽しみながら、標高1987mの「シーニゲブラッテ展望台駅」に到着した。





前に「グリンデルワルト」から登山列車で登った「ユングフラウヨッホ」の標高3454mある「スフインクス展望台」では「アレッチ氷河」を真近に見られるが、三山の姿を見る事はできなかった。しかし今回の展望台からは、左側から順に正面に並ぶ三山を眺める事ができた。



また、遊歩道が整備された「高山植物園」が造られていて、「エーデルワイス」など色とりどりの初夏の花が出迎えてくれた。
1時間弱写真を写したり、ベンチに座って素晴らしい景観をたっぷりと味わった。





驚いたことに、何と展望台の直ぐ下に一軒の農家が見られた事だ。酪農業と少しの農業を営んでいるように見えた。作業中なのか、1台の車が動いていたので、下の町からの道路もあるのだろう。このような高い場所で営む放牧が、草丈を短くしてスイスの山の景観を保っていると思われた。
展望台のレストランで昼食を食べ、また登山鉄道で下に下りた。
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「スイス連邦の旅」(1)

2017年06月30日 | 海外旅行「中央ヨーロッパ」
≪スイスから帰国した≫

この度、薔薇が開花する直前の6月20日から27日迄の日程でスイス連邦に旅行していた。
この時期のスイスアルプスは、きっとまだ高山には残雪があって美しいに違いないのではと考えたこともある。

出発前日、伯母を昼近くに「特養ホーム」の「ショートステイ」に預けてからスーツケースを出し、大急ぎで旅支度をした。
また菜園に行き、小松菜、青梗菜、ほうれん草が沢山採れたので、近所にお裾分けした。
それから人参の種が買ってあったので、蒔いて不織布をかけて来た。

スイスの6月の最高気温は、「チューリッヒ」で21度、「ツェルマット」で16度だという資料が旅行社から送られて来ていた。
おまけに「ツェルマット」の最低気温は5度と書いてあったので、「マッターホルン」の見学に2000mの展望台に登ればさぞ寒かろうと予想して、長袖の下着やスパッツ、セーターに冬のマフラーなどをスーツケースに詰めた。
しかし気温の予想は見事に外れた。
今年の中央ヨーロッパの気温は、例年よりも高い日が続いていて、連日日中の気温は30度前後、山の展望台でもジャンパーを着たら暑いほどだった。
お陰で毎日汗だくになりながら観光をして来た。
そして全く雨らしい雨は降らなかったので、持参した傘は町歩きの観光中一度も開く事無く、雨天時の登山用に持参したゴアテックスの上下もスパッツも無用だった。

今回のスイスは私にとっては確か3度目の訪問になる。
以前「ユングフラウ山」の「スフインクス展望台」には登った事があるものの、まだ一度も「マッターホルン」を見ていなかった。
それで歩ける内にと決意して、今回の旅に参加したのだった。
実際にこの季節に行ったスイスの山々は、天候にも恵まれて、私の想像をはるかに超えた素晴らしいものだった。

27日は夜遅く帰宅したので、翌朝見た庭は、何本もの薔薇の花が開花して私を迎えてくれた。いよいよワクワクする様な毎日が始った。
この2日間は、留守中伸びた雑草取りと畑の手入れを頑張ったが、今後はまた、庭と菜園の管理、そして伯母の介護と多忙な日々が続く。
しかし、美しい薔薇を愛でながら、楽しい気持ちで秋まで過したいと思っている
帰宅した伯母も庭に出て、「綺麗だね!」と言って見てくれている。
また今朝は、既に3人の方が庭に立ち寄ってくれた。

スイス旅行の行程表(旅行社のパンフレットにあった原本を少し修正した)と地図を下に転載した。
また、少しずつ、報告記を書いて行くので宜しく。


(「ツェルマット」から登山鉄道とゴンドラで行った標高2300mの「スネガ展望台」より「マッターホルン」を写す)
        
     
     
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「チェコ共和国の旅」(12)

2017年06月14日 | 海外旅行「中央ヨーロッパ」
≪世界遺産「テルチ旧市街」観光≫

「テルチ」は「プラハ」の南南東130kmのボヘミア・モラビア高地に位置し「オーストリア」との国境近くにある12世紀に作られた町だ。二つの池に挟まれた地形が、天然の要塞になったらしい。現在その一つは、干上がっていた。
16世紀に交易路として繁栄したが、そのままの姿が現在も保たれていて、1992年世界遺産に登録された。
旧市街の中心「ザハリアーシュ広場」に建つ建物は、皆ルネッサンス様式か初期のバロック様式で、下がアーケード状に通路になっていた。これは当時の領主「ザハリアーシュ」が住民に協力を求めたためだという。
広場の中央に立っている「聖母マリアの柱像」は18世紀初頭にペストの終焉を記念して市民の寄付で建てられたものだという。
この地方で生まれ育った犬を連れていた男性が、写真に応じてくれた。



          

 


 

その他の世界遺産2箇所ほどは割愛する。ガイドが来なかったり、施設が閉鎖されていたりした所だ。
その代わりに見られた場所があったり、スーパーに立ち寄る時間もあった。

「チェコ」の歴史的文化的世界遺産は、大国に取り囲まれた位置のために歴史に翻弄されながら、幸いに第二次世界大戦の破壊を免れたためどれも保存状態が良く、その価値が現在も良く保存されていた。
石造りの建物がほとんどなので、数百年建ち続けて来た物は、今後も世界遺産として更に数百年保存できるに違いないと思う。今回、再訪した値があった。            (完 成)



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「チェコ共和国の旅」(11)

2017年06月11日 | 海外旅行「中央ヨーロッパ」
≪「チェスキー・クルムロフ城」≫

この町は、山に囲まれた盆地の様な地形の所に、山の裾を流れる「ヴルタヴァ川」が大きく折れ曲がっている。
丘の上に13世紀、南ボヘミアの貴族「ヴィートコフ家」が城を建設し、川の内側の場所に町ができた。
城は14世紀から次々と幾つかの貴族の支配が変ったが、16世紀に現在の形ができ上がったという。
その後この街は衰退したため、中世の姿が残されたのだ。

初めて着いた日は、バスを下りると駐車場から傾斜した坂道を350m程登らされた。暑い日だったので、私はかなり汗をかいた。20年前には、いきなりこんな坂道を登らなかったのにと思っている内に「チェスキー・クルムロフ城」の西側に出た。
展望台があったので、下を流れる「ヴルタヴァ川」と赤い屋根の家々がぎっしりと建ち並ぶ城下町を眺めた。

その後坂を少し下りて「チェスキー・クルムロフ城」の中を通り抜け、さらに下って橋を渡り、少し歩いたら市庁舎やホテルがある町の広場に着いた。その日のホテルは、その中の1軒だった。
古い旧市街の建物なので、エレベーターはない。スーツケースを各自が運び上げなければならず、本当に大変だった。わざわざ、この場所の不便なホテルを選ぶ必要があったのかどうか、私には大いに疑問が残った。

(この町の観光は翌日の午後だったので、翌朝は他の町に行くため、もう一度丘の上の城まで上り、坂を下りて30分近く歩いて駐車場に行った。私にとっては朝からすっかり疲れてしまった)


(旧市街の展望台から丘の上の「チェスキー・クルムロフ城」を臨む)
 
(下から城の塔を写す)                  (市街地の入り口にある門)

(城の第一の広場。だまし絵の壁面装飾)

(旧市街広場の一角)

(城の西側展望台から下の市街地を写す)

(最後の朝、ホテルを出て他の町に向うに当たり添乗員が案内した駐車場までの道は、城のある丘を越えない平坦な道だった。つまり彼女はその道を知らなかっただけだったのだ)

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「チェコ共和国の旅」(10)

2017年06月11日 | 海外旅行「中央ヨーロッパ」
≪「ホラショビッツェ」の「フルボカ城」≫

「フルボカ城」は「プラハ」の南方約125kmの所にある世界遺産である。
ボヘミア王プジェミスル・オタカル2世が所有していた頃からの記録はあるが、この城を誰が建てたのか不明だ。やがてドイツの貴族「シュバルチェンベルク家」の所有になり、膨大な経済力でこの城を豪華なものにして行ったという。
19世紀には、イギリスの「ウインザー城」をモデルにネオゴシック様式に改装された。
この城には広いフランス様式庭園と広大なイギリス様式の自然庭園があり、立派な温室では熱帯植物が育てられていた。

   

≪「トゥシェビーチ」の「ユダヤ人街」と「聖プロコビウス大聖堂」≫

「プラハ」の南東180kmにある「トゥシェビーチ」は、かって12世紀にモラヴィアの中心だった都市だというが、1468年ハンガリー軍が侵攻してから衰退し、18世紀に復興した。
またこの街は、チェコで最も大きいユダヤ人街があった事でも知られる。町を東西に流れる「イフラヴァ川」をはさんで北側にユダヤ人達が町を作り、第二次世界大戦前は1700人に上ったが、ナチスドイツの迫害が始ると多くは他の地域に移住、300人居た人達も収容所に送られ、戦争終了後は僅か3人が残っただけだったという。
現在でも約123棟の建物、学校、病院、工場、ユダヤ人墓地などが残されいて、「ユダヤ人集落の全機能が残る場所」として2003年に世界遺産に指定された。



                

ユダヤ人街の端にある「聖プロコビウス大聖堂」は、1290年ベネディクト修道院の一部に建てられたが、ハンガリー軍の侵攻後破壊された。18世紀に現在のゴシック様式に修復された。





 
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「チェコ共和国の旅」(9)

2017年06月09日 | 海外旅行「中央ヨーロッパ」
ここからは「プラハ」以外に訪れた世界遺産の中から幾つかを記録することにする。

≪「カルロヴィ・ヴァリ」のコロナーダ≫
「プラハ」の西100km、ドイツとの国境に近いこの町は、伝説によれば14世紀に神聖ローマ皇帝「カルロス4世」が鹿狩りの最中に偶然、この温泉を発見した。12の源泉を有する「チェコ」一番の保養地となった。日本の「草津温泉」と姉妹提携をしている。
テプラー川とオフジェ川の浸食作用でできた谷合の場所に温泉街が造られていた。
温泉水の利用は日本とは違い飲泉「コロナーダ」が中心で、幾つかの飲泉場所がある。湯を汲むコップは独特の形をしていて、売られていた。
入浴やマッサージを希望する場合は、公共温泉施設がある。
駐車場近くの公園の石畳に、ここを訪れた歴代の有名人の名前と年を書いたプレートが多数はめ込まれていた。
私たちが訪れた時期は早春で、ツツジや西洋とちの木の花が咲いていた。



  

 


 
 

 

        

≪「ブルゼニュ」の「ピルスナービール醸造所」見学≫
この日は「カルロヴィ・ヴァリ」の観光後、南南東65kmの距離をバスで1時間半かけて「ブルゼニュ」に向った。
4本の川が流れるこの町では、良い水と生産されるホップ、麦から作り出す「ピルスナービール」が、700年以上前から造り続けられて来たと言う。
またこの町の地下には、20kmにも渡る地下道が作られていて、ビールの熟成保管庫として活用されていた。
その一つ、ヴィジターセンター傍のビール醸造所に行った。ビールの製造工程が説明され、そのご醸造釜を見てから、地下道に案内された。地下道の気温は12~13度しかなかった。
そこで貯蔵されている大きな樽から直接グラスに注がれたピルスナービールを試飲することができた。モルトの風味がしっかりしていて飲みやすく美味しかった。
因みにビールの国別消費量は、1位がチェコ、2位アイルランド、3位ドイツで、日本は38位だそうだ。

昼食はビヤホールで食べたが、ポークだけではなくご飯にも塩味をつけてあって、私には塩辛すぎて食べられなかった。ビールを沢山飲ませる工夫だったのかも…と思った。



            

 












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「チェコ共和国の旅」(8)

2017年06月08日 | 海外旅行「中央ヨーロッパ」
≪首都「プラハ」の観光≫(6)

⑩「ヴェルトゥルジュニー宮殿」で近代絵画・彫刻を鑑賞
「聖ヴァーツラフ騎馬像」傍の地下鉄「ミューゼアム駅」からC線に乗って、北に移動。下りてトラムに乗り換え、最後の自由行動場所の「ヴェレトルジュニー宮殿」を目指した。
前に来た時は「プラハ城」内の美術館を見ていたので、今回は近代絵画が沢山展示されているというここを見たかったのだ。
ガイドブックに小さな字で午後4時以降の入館は安くなると書いてあったので、20分程近くの公園で休んだ。
その時、公園の角に犬の糞を始末するゴミ箱を発見した。紙の袋も用意されている。多分ビニール袋は環境に不可をもたらすからだろうと思った。なかなか良い対策だ。

     

4時きっかりにチケットを買った。250コルナの所150コルナ(約800円)で入館し、5階建ての美術館の上から下に降りながら見て行った。
3階には良く知っているミュッシャ、ピカソやゴッホ、ゴーギャン、モネ、マチスなどの画家の作品もあったが、チェコ出身の画家や彫刻家の作品が印象的だった。





 



             



6時の閉館まで鑑賞後、トラムと地下鉄でC線でホテルの傍の「パンクラック駅」に戻った。
駅の地下2階にスーパーマーケットがあり、そこで手持ちのチェココルナを使って土産を買った。
物価は物にもよるが、日本よりも1~2割安いように感じた。特に主食のパンなどは、消費税が掛けられていないのではと思うほど安かった。
色々買ったが、8個入りの「クリームチーズ」を12個買って来たのが一番良かった。
ホテルに戻り、夕飯を食べた。疲れたが、これで1日半のプラハの自由行動を満喫し終えたのだった。
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「チェコ共和国の旅」(7)

2017年06月07日 | 海外旅行「中央ヨーロッパ」
≪首都「プラハ」の観光≫(5)

「チェコ」滞在最終日は一日自由行動だった。旅行社のオプショナルツアーもあったが、それよりも私と知人の二人で自由に「プラハ」を楽しもうと自由見学を選んだ。
添乗員から24時間有効な「交通チケット」を貰っていたので、朝9時過ぎにホテルを出て、直ぐ傍の地下鉄C線「パンクラック」駅に行って乗り、途中でA線に乗り換え、さらに「プラハ城」の傾斜が緩い「東門」近くまでトラムを利用して、昨日見られなかった城内の「聖イジー教会」を目指した。
前日「プラハ城」に入っているので、場所の検討は付いていたが、門に入る時と教会に入る時、並んで手荷物検査を受けた。


⑦「聖イジー教会」
この教会は、920年に創建されたという城内最古の教会だが、火事の後、1142年に再建されたバロック様式のものだった。
音響効果が良いとして、「プラハの春」国際音楽祭のコンサート会場にもなっているという。



この後、チケットでまだ見学していない「黄金の小路」の奥にある牢獄だった「ダリボルカ」に行きたかったが、すでに前日入場した「黄金の小路」でチケットが切られていたために入場できなく、残念だった。

⑧「スメタナ博物館」
「プラハ城」の東門を出てまたトラムに乗り継ぎ、「カレル橋」の東の袂にある「スメタナ博物館」に行った。
確か入館料は、パスポートを示してシルバー料金で70コルナ(約370円)だったと記憶している。
内部の展示は、「我が祖国」他の作曲をしたチェコを代表する「ベドルジハ・スメタナ」の若かった頃から没するまでの資料が幾つかの年代に分けて展示されていた。日本語の展示解説書も渡された。
彼の学生時代の成績表や自筆の楽譜、結婚後の家族の写真なども展示されていて、分かりやすく興味が持てた。

博物館の前に小さな庭があり、「スメタナ」が「ヴルタヴァ川」を眺めているような像が立てられていた。
その前にベンチがあったので、そこでランチのサンドイッチを食べた。
傍に座っていた2人は台湾の女子大生で、色々話をしたり写真を撮ったりして交流した。

 

⑨「ヴァーツラフ広場」
トラムを乗り継ぎ、「ヴァーツラフ広場」で下りて散歩した。幅60m長さ750もある広場だ。メトロのムゼーム駅側にボヘミアの最初の王だった「聖ヴァーツラフの騎馬像」が設置されていた。



               
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