花好き・旅好き女性のセカンドライフ

通院しつつ、夏場半年間はガーデニングと家庭菜園で汗を流し、その合間に外国旅行を楽しむリタイヤ女性の生活日記

オーストラリアの旅(8)

2009年12月08日 | 海外旅行「オセアニア」
5日目の朝は、(7)に書いたようにビーチサイドで朝食を摂った後、ゴールドコーストの南西方向100kmに位置する「ラミントン国立公園」に2時間半かけて向った。ここは、世界自然遺産に指定されている公園だ。
起点は2箇所あるらしいが、私たちは「オライリーズ」へ行った。

ここは牧畜をしようとオライリー一族が山を買った後、その土地を含む地域が国立公園に指定されたため、今、彼らの子孫がその土地で観光客に野鳥の餌付けなどを無料で行なっているというのだ。
山に沿ってくねくねと曲がった道路を登っていくと、山間に羊の群れや点在する家々が見え、のどかな山岳地帯に入った。
暫く昇ると日が翳る樹林帯に入った。
ガイドが、「この辺がワラビーの生息地域ですから、見逃さないように。」と言ったので、私も必死で車窓の外を探したが、その日はとうとう1頭も発見できず、目だけがひどく疲れた。

標高を1000m程昇った所に、整備された熱帯雨林ウオークができる場所があった。
木道をガイドに付いて歩いて行くと、鳥の声が聞こえた。
「板根」が特徴の珍しい「スオウの木」①が沢山生えていた。私と友人は1月に行った西表島の仲間川で、サシシマスオウの巨木を見ていたので、何か懐かしかった。
ネットで調べると、スオウの木は英名でsapanwoodと呼ばれ、熱帯から亜熱帯に生えるマメ科の小高木である。心材やさやから取れる赤色の色素ブラジリンは、日本ではスオウ色として古くから使われて来たのだという。そういえば私は3月に行った台湾でも見た。
他にも、数本の幹が絡み合って中央の木を締め付け、やがて枯らしてしまう木②など、珍しい熱帯の特徴ある木々が沢山生えていた。

 ① ② ③

野生のキブツカツクリ(雑木を集めて大きな塚を作り、その中に卵を生む鳥)が歩き回っていたが、早すぎて上手くピントを合わせられなかった。③
暫く散策すると、立派なつり橋があった。1度に6人までと人数制限された橋を渡っていくと、15m下に熱帯雨林の木々が茂っていた。④⑤

 ④ ⑤

散策の後、野鳥の餌付けができる場所に行った。⑥
管理人が1人に1つづつ、中央に餌を入れた金属製の盆を渡してくれた。
するとすかさずオームに似た赤や緑の美しい鳥が何羽も飛んで来て、盆にとまり、餌をついばむのだ。
頭が赤で身体が緑色の鳥はキンショウジョウインコの雄、頭が緑色で胸が赤色のインコはその雌、鮮やかな青色と赤色が混じった鳥はクリムゾンロゼーラで、別名アカクサインコともいうそうだ。
鳥は頭や肩、腕にお構いなくとまるので、帽子を被っていなかった人の中には髪に糞をされた人もいた。
鳥の足の爪は結構鋭かったが、7~8分、互いに写真を取り合って楽しい一時を過ごした。⑦

 ⑥ ⑦

最後の夜となったその日の夕食は、ホテルのレストランで海鮮料理だった。⑧
豪華な海の幸や果物、デザートなどをビュッフェスタイルでたっぷり味わいながら、ツアー仲間との最後の交流を存分に楽しんだ。                   
            ⑧

翌朝は4時に起きて、明るくなった5時にホテルを出、ブリスベン空港から8;50発の飛行機で帰国の途に着いた。
成田空港には9時間20分後の17;10分に到着。
私と友人は成田発19;55に乗り継ぎ、帰宅したら23時に近かった。
疲れが溜まっていたのか、私は1日中機内で、食事時間以外ずっと寝ていた。

今回は正味4日間のオーストラリア旅行だったが、今まで知らなかったオーストラリアの雰囲気をたっぷり味わえた本当に楽しい旅になった。円高のせいなのか、今回のホテル、食事はとても良かった。
海外は初めてだった友人も、十分に満足したようで嬉しかった。

ただ一つ不満を言えば、ガイド料やバスの使用料を支払っている貴重な時間の中で、毎日1回は旅行会社が提携していると思われるお土産屋に、結構な時間、連れて行かれたことだ。
その時間を、シドニーなら水族館に行くとか、ブリスベンならシティホールで下車して館内にある美術館や博物館を見たり、ブリスベン川で市民の足だというフェリーに乗るなど、もっと観光に有効活用して欲しかった。
確かにお土産を買う目的の人もいると思うが、そういう人にはその日の観光を終えた後で案内するべきなのではと思ったのだ。
今後のためにも日本の主催旅行社には、現地の旅行会社に日程を丸投げせずに、もう少し客の立場に立って考えてもらいたいところだと思った。

コメント (3)
この記事をはてなブックマークに追加

オーストラリアの旅(7)

2009年12月07日 | 海外旅行「オセアニア」
牧場滞在の後、バスでゴールドコーストに向った。
まずガイドブックにも載っているカンガルー皮の加工工房に連れて行かれた。
数人の人がカンガルーやダチョウの皮(オーストリッチ)のバックを買い求めたが、私は何も買わなかった。行く先々で買い物をしていたら、家中、物で溢れてしまうからだ。
しかし、広い土地があるなら、そこでダチョウを飼って排泄物は野菜作りの有機肥料にし、皮は取って商売をするなどというのはどうかなと思った。

ゴールドコーストは、オーストラリア大陸の東側海岸線の中ほどにある60kmも続くビーチで、別名「サーファーズパラダイス」とも呼ばれている町だ。
雨が少なく、1年で300日は晴れているらしい。
ガイドは、周辺の海や河口には鮫がいて、海には遊泳が許可されている場所だけで、時間を守って入ると話した。
監視人がいる台が設けられていた。カイトサーフィンを楽しむ人が多いそうだ。

翌日の朝食は、ビーチサイドにある監視人たちの宿泊所のレストランだったが、食事の後、私たちは裸足になってビーチを歩いた。砂が細かく、柔らかだった。
ビーチでは、カヌーの競技が行なわれていた。①
またビーチから町を見ると、まるで砂上の楼閣のように見えた。②
若者達が水着、裸足のスタイルで町を歩いていたのに驚いたし、スーパーマーケットで体格の良い女の子がビキニスタイルで買い物をしていたのにも仰天させられた。

 ① ②

地上230mの「Q1タワー」に昇った時、展望台から見たゴールドコーストは、幾筋もの用水路が張りめぐらされ、そこをモーターボートが行き来する美しい水の都だった。③
鮫が入り込むのか、素晴らしいビーチがあるのにプールのある家やコンドミニアムらしい建物が眼下に多く見えた。④

 ③ ④

ガイドの話によると、捕れた鮫はフカヒレとして中国に輸出され、肉はフライにして食べる。鮫の肝油はサプリメントとして、その多くはイギリスに輸出されるそうだ。
それを聞いて私は、緯度が高くて紫外線が少なく、そのために骨の形成不全になりやすいイギリス人がお得意様なんだと納得できた。
また伸縮性がある独特な鮫の皮膚は、イアンソープ選手の水着のデザインのモデルになったのだ。
ガイドがこの話をした途端、ドライバーが口を開いた。「このバスにも彼が乗ったことがある」と。

私たちの部屋は、レジャーランドとビーチが見える15階だった。⑤⑥
レジャーランドでは、夜遅くまでネオンサインが輝き、バンジージャンプなどに興じる若者達で賑わっていた。
鯨やイルカも来るというこの町に、2日間しかいられないのが残念だった。

 ⑤ ⑥

その夜、オプショナルで「土蛍洞窟ツアー」があった。
私は6年前ニュージーランドで、水が流れる洞窟をボートに乗って下りながら、天井に満天の星空のように輝く土蛍を見た事があったので、ホテルで洗濯をしていた。
10時半頃帰って来た友人は、真っ暗い洞窟を探検しながら、珍しい土蛍を見たことに大感激していた。






コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

オーストラリアの旅(6)

2009年12月06日 | 海外旅行「オセアニア」
4日目の朝は早起きして、7時半に朝食の弁当を渡されてホテルを出発し、空港に向った。
紙袋の中の弁当は、ビン入りオレンジジュース、りんご、野菜サラダ、菓子パン3個だった。バス内は飲食禁止なので、空港と機内で分けて食べた。
オーストラリアは、州が異なると規則が違う。また異なる州からは、果物を持ち込めない規則があるので、今回りんごは機内で処分した。

ニューサウスウエールズ州のシドニー空港を8;05に離陸した飛行機は、2時間半後にクイーンズランド州のブリスベン空港に着陸したのだが、ブリスベンは夏時間を採用していないためシドニーとは時差が1時間あり、私たちは時計を1時間戻した。
日本に比べてプラス1時間になったが、時差については何度経験しても、私にはまだぴんと来ないのだ。

空港を出てバスに乗り、ブリスベンの市内観光に出発した。
気温は30℃。陽射しが強く暑い。
「マウントクーサー展望台」から、オーストラリア第3の都市、ブリスベンの町を眺めた。
幾筋かの川が蛇行してゆったりと流れ、年中温暖な気候の町は緑も多かったが、山は遥か遠くにしか見えなかった。①
展望台にあった真っ白く大きな花を咲かせている木は、プルメリアだという。亜熱帯の景色だった。②

 ① ②
 
そこからバスは南のゴールドコースト方向を目指して走り出した。
その途中で「パラダイスカントリー牧場」に立ち寄った。
そこではコアラ、カンガルー、羊などを飼育していて、観光客はコアラを抱いた写真を撮影したり、羊の毛狩りショウを見る事ができる。
幾つかあるコアラの放牧柵に行ってみると、炎天下、上にテントが張られた柵の木に捕まって、夜行性のコアラはほとんど寝ていた。③
たまに目を開けたり、姿勢や位置を変えたり、片足を上げて身体を掻いたりするのもあった。④

 ③  ④  ⑤

コアラと写真撮影をする建物では、並んだ順番にコアラを抱いて写真を撮り、それを大判に仕上げて渡してくれた。
私の感想では思っていたよりもコアラは大きく、上半身だけで30cmもあり、抱いた時はずしりと重かった。
しかも抱くと爪を立ててしがみついて来たので、爪がTシャツを通して肌にさわり、少し痛かった。
撮影後見ると、私のTシャツはコアラに汚されていたので、夜、ホテルで洗濯した。(一応、汚れ防止にナイロン製のジャンバーを羽織る積りで持っていたが、あまりの高温で着ることができなかったのだ)

羊の毛狩りショウは、数年前にニュージーランドでも見た事があるが、それよりもそこの規模は小さかった。
しかし、担当した中年の男性の一生懸命なサービス精神が伝わったし、毛を刈られる羊が従順なのも意外だった。⑤
電動毛狩り機で裸にされたメリノ種の羊は、とてもスリムだった。
その後、広いレストランでバーベキューのランチを食べたが、テーブルは各国から来た観光客でごった返していた。

最後に20cm位のコアラの縫いぐるみと出来上がった写真をもらった。
お土産屋で売られている縫いぐるみのほとんどは『made in china 』の表示が付いていたが、その縫いぐるみも例外ではなかった。

            
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

オーストラリアの旅(5)

2009年12月05日 | 海外旅行「オセアニア」
3日目、朝、ホテルを出たバスは、シドニーの西方100kmのところにある「ブルーマウンティンズ国立公園」まで、約2時間かけて走った。
走行中、道の両側ある街路樹のほとんどがユーカリの木であることを知った。
ユーカリの特徴は、葉が下を向いている事だが、ガイドは、「雨が少ない地域なので、少しでも葉に付いた水分は全部落として、根に吸収させるためです。」と話してくれた。
ユーカリの木は、抗菌成分が含まれていて腐りにくいため、道路脇に立てられている電信柱に使われていた。80年は持つらしい。
また所々に紫色の花が咲いた目立つ木があった。南アフリカにもあるジャカランタの木だった。初めて見たが存在感のある素敵な木だ。

やっと「ブルーマウンティンズ」についた。ここは約8000年前に巨大な大地が隆起した場所だが、その後、徐々に風化されて大地が削られ、幾つかの深い渓谷を作った地域なのだそうだ。

私たちは渓谷の一つ、「ジャミソン渓谷」に降りるため、最高傾斜52度ある世界一急勾配のトロッコ列車「シーニック・レイルウエイ」に乗って急なトンネルを下った。①はトロッコ列車が下りる小さなトンネルの入り口である。

トロッコから降りて、整備された木の遊歩道をガイドに案内されながらユーカリの森を歩いた。
土がない砂岩だらけの大地に、しがみつく様にして根を張っているユーカリの木は、ここだけで90種類もあるというが、原始の森さながらに生い茂り、太陽の光は木漏れ日程度しか届かない亜熱帯雨林の森の風情を見せていた。
ユーカリの殺菌防腐成分のため、土中に細菌がいないため、落ち葉も朽ちた木々もいつまでたっても分解されずに堆積していた。写真の木は、栄養の足りない砂岩の上に、賢く1つの根から数本の幹を生やす種類のユーカリの木である。②

 ①  ②

かって、埋蔵する石炭を掘った坑道跡もあったが、今は廃坑になっていて、石炭を運ぶ人馬の彫像が置いてあった。③
傍で鳴く鶯の声が響き渡った。
しばらく谷底のユーカリの森を歩いたら、ケーブルカー乗り場に着いた。
大きいケーブルカー「シーニック・スカイウエイ」で、それに乗ると瞬く間に深い谷底から抜け出し、最初にトロッコに乗った地点まで登って戻った。④

  ③  ④

次は、バスで「エコポイント」展望台に向った。
そこからは広大な「ジャミソン渓谷」の全望を見る事ができたが、遥か遠くは霞んでいて良く見えなかった。
渓谷は確かにユーカリの木が発する油分を含んだ蒸気によって波長の短い青い色だけが透過し、ブルーマウンテインの名の通りブルー色に霞んで見えるのだ。⑤
また「スリーシスターズ」と呼ばれるシンボルの岩が、展望台傍の眼下に美しく見えた。⑥
展望広場には、炎天下、一緒に写真撮影を希望する観光客からチップを貰う老アボリジニの姿があった。⑦

 ⑤  

 ⑥ ⑦

汗だくになった頃、私たちはエコポイントからバスでまた2時間かけて、シドニーに戻った。
夕食は、シドニー湾をクルーズする船でのディナーだった。色々な国の人がいた。私たちの傍には少人数の日本人ツアーの一団もいた。
海を見ながら、ツアーの仲間たちとしたディナーと交流は楽しかった。

埠頭ではアボリジニの男性が、ユーカリの木で作った長い木管楽器を吹いて、独特の民族音楽を演奏していた。
私にはその音色が、アイヌ民族のムックリが奏でる音色にそっくりに聞こえた。どうやらそこではCDを売っているらしかった。

あるガイドブックに、「1788年1月26日は、イギリスから囚人を乗せた船がシドニーに着いたオーストラリア建国の日だが、同時にその日は、アボリジニが自分達の土地を奪われた日になった」と書かれていた。
私は、彼らはその日から生活権も奪われてしまったのだと思った。




コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

オーストラリアの旅(4)

2009年12月04日 | 海外旅行「オセアニア」
シドニー初日の夕食会場は、町の中心に聳える324mの「シドニータワー」だった。
下から見上げると恐ろしいように思えて気が進まなかったが、250mの高さまでエレベーターで昇り、3層ある展望台の中の回転レストランに入ると恐怖感は小さくなった。
私達はそこで徐々に360度回転する1段高い内側の座席に座って、刻々と変化する夕刻のシドニーの町並みと沢山のヨットが浮かぶ遠くの海の景色を楽しみながら、1時間余りビュッフェスタイルの食事をした。カンガルーのステーキを食べてみたが、硬くてあまり美味しくなかった。①②

 ①  ②

ホテルに戻ってもまだ明るかったので、友人と1時間ほど周辺を散歩した。
仕事帰りの多くの人々が沢山歩いていた。
高層ビルに囲まれた広場がカフェになっていて、仕事帰りに仲間と一息入れる様子は日本と同じだった。
とに角高い高層ビルがぎっしりと立ち並んでいた。
ガイドの話では、「オーストラリアは古い大陸でほとんど地震がないため、耐震構造になっていない高層ビルを建てています。」というのだ。
しかし、全く地震がない訳ではなく、「10年に1度程度の割合で、震度1位の地震はある。」と話していた。
重厚な彫刻をぐるりと飾った歴史的な建築物もあったが、ガイドブックを持っていなかったので何の建物かわからなかった。③

 ③

空を見上げたら半月が見えた。日本でもこの月を見ている人がいるのだろうなと、少し感傷的になった。
翌日、「南半球で見る月は、形が逆です。」というガイドの説明には、そうなのかと納得した。

ホテルの部屋は、ビルの谷間にシドニー湾、ハーバーブリッジが見える18階の部屋だったので、夜、ライトアップされた光景も綺麗だった。

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

オーストラリアの旅(3)

2009年12月02日 | 海外旅行「オセアニア」
昼食後、ゴシック様式の「セントメリーズ大聖堂」に行った。①
古い建物は1868年に消失したらしく、現在のは1923年に60年掛けて復元したという。
内部は写真撮影が禁止されているので写せなかったが、十字型の先端に作られた大きなステンドグラスが美しい大聖堂だった。
私は教会や寺院に行くと、信者達の強い信仰心に基づく寄進がその陰にある事をいつも思う。
友人と2人で集合時間ぎりぎりまで椅子に座って、ステンドグラスに描かれた宗教画を鑑賞した。


その後、イギリスからの移住者が最初に住んだという古い面影を今に残すロックス地区の免税店に連れて行かれた。私たちは直ぐに店を抜け出し、シドニー湾に向って散歩をすることにした。
現代美術館を覗くと、中国の兵馬俑の兵士が数体実物大にコピーされて飾られていた。2人の受付女性と少し言葉を交わした。
書店にも入った。オーストラリアの自然や動植物の写真がのった数点のカレンダーを品定めしたり、素敵にデザインされたクリスマスカードを見て楽しんだ。
やがてシドニー湾の埠頭に着いた。初めて潮風の香りがした。
そこから見た対岸のオペラハウスは、また違う表情をしていた。②

 ① ②  

ハーバーブリッジのバイロン展望台が眼前に見えた。③ 橋の手前の建物は、湾に張り出して建つパーク・ハイアット・シドニーホテルだろう。
埠頭から見えたロックス地区の教会(多分、ホーリートリニティ教会だと思う)などを撮ってから、免税店に戻った。④
30分程だったが、時間を有効に使えて良かった。

 ③  ④  
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

オーストラリアの旅(2)

2009年12月01日 | 海外旅行「オセアニア」
最初の観光はファーム湾の対岸に「シドニーハーバーブリッジ」と世界遺産「オペラハウス」を臨む事ができる岬から始まった。
強い陽射しを受けて湾の向こう岸に建つ「オペラハウス」が白く輝いて見えた。(写真①)
これはデンマークの建築家が描いたデザインで、シドニーハーバーを駆け抜けるヨットの帆をイメージしたもので1973年に建てられた建物だと言う。
オペラハウスの右手奥にはこれも有名な「ハーバーブリッジ」があり、その下を観光船が行き来していた。②
「ハーバーブリッジ」は、シングルアーチの橋としては世界で2番目の1149mという長さだが、49mある幅は世界一である。
その中に8車線の車道と2路線の鉄道の他、自転車、歩行者のレーンもあるらしい。

 ①  ②

その後、「ミセスマッコーリーズ・ポイント」と名付けられた直ぐ傍の岬に案内された。
彼女の夫は19世紀初頭に長年総督をして忙しかったので、彼女は晴れた日には一人でこの岬から海を見るのが好きだったらしい。それで夫が夫人のために椅子を作ったというのだ。
私は木造の椅子を想像して行ったのだが、行ってみて驚いた。椅子というのは大きな岩盤でできたもので、200年経った今もそのまま残っていた。③

ひとしきり交互に椅子に掛けて写真撮影をしてから、再びバスに乗り、湾に沿ってぐるりと回ってベネロング岬に建つ「オペラハウス」に行った。
近くで見るとまた違ったデザインに見えた。④

 ③  ④

階段を登り、近づいて見たら、表面に張られた沢山のタイルは、少し灰色がかって見えるのだった。⑤
オペラハウスのトイレに入って見た。手洗い場も素敵にデザインされたものだった。⑥
丁度この後、子ども向けのショウがあるらしく、3~7歳位の着飾った女の子と親でホールはごった返していた。

 ⑤  ⑥

目の前に見える「ハーバーブリッジ」は、巨大で美しかった。⑦

 ⑦




コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

オーストラリアの旅(1)

2009年11月30日 | 海外旅行「オセアニア」
昼に家を出てJRで新千歳空港に行くと、同行する友人は先に到着していた。
団体受付カウンターでeチケット(全行程のフライトチケット)の写しを受け取り、旅行会社の係りの説明を受けた。
今回私たちの荷物は、真っ直ぐシドニー迄行くというので、ダウンのコートを着て来た友人は、脱いでスーツケースに入れた。
私は向こうが雨なら着られる薄物を上に羽織っていたので、脱いで機内持ち込み手荷物に入れた。
搭乗受付でスーツケースを預け、オーストラリア入国に必要なEATAS取得のコピーとパスポートを提示し、シドニーまでの搭乗券を貰った。
国際線の成田からシドニー迄は、前日、私がネットで座席の予約を済ませてあったので、その搭乗券も渡された。
それからセキュリティチエックを受けて、成田行き飛行機の人になった。

1時間45分で成田到着。
成田でグループ全員が集合し添乗員に会う事になっていたので、国際線受付カウンターに向った。
説明を受けた後、空港の銀行でオーストラリアドルに両替をした。レートは1AUS弗=91.57円だった。

19;55発のJALとジャルウエイズのコードシェア便に乗った。
何とネットで自分で取った席は、「スペシャルエコノミー席」だったのだ。
エコノミー席よりもかなりデラックスでふかふか、フットレストも付いたゆったり座席だったので、9時間半、いつもの機内よりも楽に寝たり、楽しくおしゃべりしたりして過ごせた。他の人も近くにいるかどうか探したが、見当たらなかった。

現地時間7;40にシドニー着。
シドニーは、日本との時差1時間+夏時間1時間の合わせて2時間遅れの時差なので、腕時計を2時間戻した。
荷物を受け取る間に急いで顔を洗って、待っていたバスに乗り、いよいよシドニーの市内観光に出発した。
まだ朝だというのに気温は20度以上あって陽射しが強い。観光している内に次第に陽射しが強まった。
現地ガイドが、オーストラリアは日本の面積の21倍の広さがあるが、南極のオゾン層が薄くなって来ている影響で紫外線が日本の10倍も降り注ぐ。皮膚がん対策に日焼け止めクリーム、帽子は必需品だと説明した。

また、客と店の従業員は対等な立場なので、物を頼む時は「コーヒー、プリーズ」のように丁寧に言うこと、煙草は屋根のある所は禁煙なので、絶対ホテルの部屋では飲まないこと。飲むと罰金だと話した。
ぽい捨ても罰金だし、煙草は1箱1000円もするらしい。

さらにオーストラリアは国内で物の生産をあまりせず、多くの物を輸入に頼っているため、輸入関税と10%の消費税が加わって物価が高いと説明された。
なるほど、その後何度も立ち寄った土産店やスーパーマーケット、コンビニなどで、私は物価高を実感させられた。
チョコレートや菓子類、牛乳を除く飲み物類は日本の1.5~2.5倍もした。
国内生産されている肉、卵、果物は比較的安かったが、こんなに物価が高いなら、給与水準が余程高いのだろうかと思った。
野菜サラダは綺麗に洗った野菜が適量組み合わされて、皿に盛り合わせできる状態でパックされていた。
果物や野菜はkg単位の値段が表示された量り売りだった。

     

    

 


コメント (3)
この記事をはてなブックマークに追加

明日からオーストラリア

2009年11月23日 | 海外旅行「オセアニア」
初め、友人と5月に行く予定だったオーストラリアが、新型インフルエンザが世界的に流行して来て、4月末には飛行場の検疫も強化されたため、キャンセルしていた。
3月にネットで取った入国ビザの有効期限は1年間だし、インフルエンザについても最近、様子や対策が分かって来たので、オーストラリアが真夏になる前に、やはり思い切って行く事にしたのである。
先月末から今月初めまで、私が韓国に行くことになっていたため、オーストラリアへは明日からにしたのだ。
今回は5泊6日でシドニー、ゴールドコースト、ブリスベンを回る基本的なコースである。

日本はこれから冬になるが、南半球のオーストラリアは初夏、ゴールドコーストはすでに最高気温27~28℃になっているという。
明日はまず、30℃も低い北海道新千歳空港から14時に出発して成田に向う。
成田からは19時55分発のシドニー行きに乗り換え、到着予定は翌朝7時40分だ。
そのままホテルには行かず、バスで観光に向うみたいなので、夏の服装の上に重ね着をして出かけるしかないようだ。
こんな事は初めてなので、果たしてどうなるのか興味が湧く。

昨日はマイレージカードが見つからず、2時間も探した。3週間前に置き場所を変えたのが、忘れる原因になったのだ。
いよいよ私も、物忘れでは人に負けなくなって来たので、これからは普段からの対策が必要みたいだ。

今回同行する友人は、この3年間、一緒に畑仕事にいそしんで来た仲間で、今までに国内旅行には何度も同行して、気心も十分にわかっている人だ。しかし、彼女にとって海外は初めてという事なので、どんな旅になるか楽しみなのだ。

帰宅予定は、29日夜。それまでブログを休む。
再開は12月になると思うが、どうかみなさん風邪を引かぬようお元気で。
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

オーストラリアのビザを取った

2009年04月15日 | 海外旅行「オセアニア」
農作業を一緒にしている友人が、オーストラリアに行きたいと言い出した。
私もまだ行っていない国なので、畑の作付けが済んだ時期に行く事にした。
ツアーのパンフレットを見ると、予めETA(電子入国ビザ)を取得する必要があるのだが、旅行社に頼むと経費として4200円がかかると書いてある。
前に友人がハワイに行く前にアメリカのETAを自分で簡単に取ったという事を聞いていたので、私もやってみることにした。

インターネットで申請画面を探し出し、パソコンの傍にパスポートを広げ、ナンバー、生年月日、有効期限などを入力した。ここまでは簡単にできた。
次に申請1回に付き、20豪$をクレジットカードから支払う段で、CVVナンバーというのが何か分からないのだ。東京のカード発行会社まで電話をして聞き、やっと分かった。

以上の必要項目を全部入力して夜送信したら、翌朝、1年間有効なETAが取得できたとメールで知らせてきた。
何だ、意外に簡単じゃない。費用も問い合わせの電話代と通信料、それに20豪ドル(今だと多分1500円程度になる筈だ)だけだった。

所が改めて旅行社の説明文を見たら、「もし個人で取得してトラブルが起き、旅行に行けなくなった場合は、正規のキャンセル料を申し受けます」と書いてあった。気の弱い人は、旅行社に頼んでしまうだろうな。恐ろしい‥

先日、同行する予定の友人が来宅した時に、彼女はインターネットをしないので、私のパソコンで申請してこれも無事取得できた。
そんな訳で、前に簡単にできたと教えてくれた友人に感謝している。


コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加