花好き・旅好き女性のセカンドライフ

通院しつつ、夏場半年間はガーデニングと家庭菜園で汗を流し、その合間に外国旅行を楽しむリタイヤ女性の生活日記

海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(14)

2016年05月04日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪「ニューヨーク」市内観光≫(5)

⑨「メトロポリタン美術館」鑑賞
マンハッタンの南端から北の「メトロポリタン美術館」までは、現地添乗員さんに案内されて地下鉄で行った。
1870年に創建された「メトロポリタン美術館」は、世界三大美術館の一つに数えられ、収蔵品が多い。
2万㎡という広い館内の展示内容は、「エジプト美術」「ギリシャ・ローマ美術」「アフリカ・オセアニア・南北アメリカ美術」「ヨーロッパ絵画」「古代中近東美術」「日本美術」など、16の展示エリアに300万点の作品が展示されているというのだ。
疲れたら館内の「カフェテリア&レストラン」で飲食をしながら休む事もできる様になっている。

友人と二人で先ず「エジプト美術」のエリアから回ることにして、先に進んだ。レストランで昼食を採り、また見学した。
休みながら4時間近く見学したが、展示作品が膨大過ぎ、ついには先が見えないような気分になって疲れ果てた。
集合時間が来たので入り口に向ったが、その時「日本美術」のエリアに行っていない事に気づいたが遅かった。
ロンドンの「大英博物館」には今まで三回行っているが、結局ここも、再度行く事になるのかも知れない。



ここもフラッシュ無しの写真はOKだったので、少し撮って来たが、最初の「エジプト美術」のエリアのを記事に載せる。

 

 

 

帰りは個人で美術館前のバス乗り場から、バスで集合場所に戻った。
ニューヨークのバスは、バス停に車椅子の人がいたら、バスの入り口から道路に向けてスライド式の鉄板が降りる仕掛けになっていて興味深かった。

6日目の最終日は午前中自由行動だった。多くの人は「近代美術館」に行ったが、私は以前に来た時に行っているので、行かなかった。スーパーを見て買い物をしたり、疲れているので休憩していた。
午後、空港に向かい、18時のANA機で帰国した。最初に書いたが、帰国便は凄く空いていたので中央の4席を独り占めして寝る事ができ楽だった。

今回の「アメリカの旅」は、念願が叶って、親しい友人と数日間、一緒に旅を楽しめて凄く良かった。
しかし、観光についてはそれぞれの都市で幾つか思いが残る旅だった。きっといつかまた、行くかも知れないと思っている。
                          (完 成)
 



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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(13)

2016年05月02日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪「ニューヨーク」市内観光≫(4)

⑤「マンハッタン」の夜景
この日はブロードウエイ・ミュージカルの1つ「シカゴ」を鑑賞した。
その後、「ニュージャージー州」のホテルに戻る途中で、多分「ホーランド・トンネル」だと思われる所を通って「ハドソン川」を渡った。間もなくマンハッタンを望む展望場所に案内された。
私の小型デジタルカメラではなかなか遠くの夜景を撮るのは難しかったが、添乗員氏に操作を教えてもらって撮った。


⑥フェリーから「自由の女神」を見る
5日目の朝は9時にホテルを出発後、「スタッテン島」のフェリー乗り場に行った。15分毎に出る無料の公共フェリーに乗り、「マンハッタン」のフェリー乗り場まで25分の船旅をした。途中、反対側に向うオレンジ色のフェリーとすれ違った。
やがて遠くに島が見え出し、高い塔の様なものが高さ46mの「自由の女神像」だとはっきりと分かったので、カメラのズームを最大にして撮った。しかし上手く捕らえられない。この写真は、パソコンに取り込んでから拡大して見たものだ。
マンハッタンが次第に近づいて来た。
女神像がある「リバテイ島」に行くには予約が必要ならしいので、無料のフェリーから見るのもありかなと思った。

「自由の女神像」は多くの人が知っての通り、アメリカの独立100周年を記念してフランスの歴史家「エドワール・ドラブレー」が発案し、フランス国民の寄付で彫刻家「フレデリク・オーギュスト・バルトルディ」らの助言の下、建設され、アメリカに送られたものだ。
初め薄い銅板で造られていた像は強度が問題だったが、エッフェル塔の設計者「エッフェル」が、内部に鋼鉄製の骨組みを作って補強したという。
本来の名前は「世界を照らす炎を静かに掲げる像」だった。


              


⑦「セント・パトリック大聖堂」
全米最大の教会だ。ドイツの「ケルン大聖堂」を手本にして1858年に工事が始ったそうだ。
尖塔の高さは100m、聖堂の座席は2200もあり、パイプオルガンのパイプは何と9000本あるという。音色を聴いて見たかった。
夕方行ったので、夕暮れが迫る時刻の写真撮影となり、尖塔は高過ぎて写せなかった。

 

 

⑧「ロックフェラー・センター」
大聖堂の次に「ロックフェラー・センター」に行った。夕方だったので、仕事を終えた人達や観光客が大勢いた。
「ロックフェラー・センター」とは、そのエリアに19棟のビルが林立し、その中心的なビルがG・Eビルだ。
高さ259m70階建てのG・Eビルが一きわ高く聳え、前庭には「プロメテウスの黄金の像」が輝いていた。その背後の低い場所は、先日までスケートリンクだったという。
ここは毎年、年末には巨大クリスマスツリーが立てられてニュースになる所だ。

 

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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(12)

2016年05月01日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪「ニューヨーク」市内観光≫(3)

④「アメリカ自然史博物館」見学
この日の午後は自由行動だったので、私と友人は「アメリカ自然史博物館」に行って見る事にした。
添乗員からニューヨークの歩き方の基本と地図の見方を教わり、「地下鉄と市バスの共通利用券4回分」を貰っていたので、地下鉄で行く事にした。

(写真左はある場所の自転車駐輪場)  (写真右は地下鉄の改札口。入る時はチケットを
                    縦に通し、降りる時は何もしない)
 

所が乗って2つ目の駅で車内の標示が「ローカル線」から「急行」に変わって、目的の駅には止まらなくなってしまったのだ。
慌てて下車し、ホームで「次のは「ローカル線」だろうか。」と困っていたら、横の女性が、「何処に行きますか。」「私も同じ駅へ行く所だったので、一緒に他の線に行って乗り換えましょう。」と誘ってくれた。そして、「土日は、こういう事がよくあるんですよ。」と教えてくれた。
彼女の案内で複雑な地下鉄のホームを異動して別の「ローカル線」に乗り、目的の駅に行く事ができた。

 

駅を出てからも、「自分の家がその博物館の近くだから、一緒に行きましょう。」と言って、連れて行ってくれた。親切な女性だった。
今思えば一緒に写真を撮る事もせず、名前の一つも聞かずに別れてしまった事が残念だ。

「自然史博物館」の入場料は、一般が25ドル、シニアが22ドルだった。パスポートを見せてシニア券で入場した。
「恐竜・哺乳類」「鳥類・爬虫類」「海洋生物・隕石」などの部屋に分かれていたが、私は時間の関係で「恐竜・哺乳類」「鳥類・爬虫類」を中心に回った。ここもフラッシュなしなら撮影が許されていた。見学しながら数枚写真を撮ったので、掲載する。


(「アパトサウルス」1億5千万年前、北アメリカ大陸に棲息していた大型草食恐竜。体長21~26m体重24~32トン)
              
               「ティラノサウルス」
     
     「スケルトン」

次の2枚の写真は、確か「絶滅した鳥」として展示されていたと記憶している。(違ったら許して欲しい)
 

この化石の説明では、「75万年前、砂丘が突然崩壊した時に埋まった。2匹は20cm離れていた。左側がオスだ。2匹は影響しあって生きていたに違いない。何をしていたのか、私達は知る事ができない。」という様な事が書かれていた。


次の不思議な化石の説明は、「動物の卵管で2つの卵を運んでいる時に化石になったものだ。これは大昔の繁殖を示している。アフリカ鰐の先祖とこの鳥類は親戚だった。両者は現代の鳥の様に2つの卵管を持ち、1つの卵管には1つの卵しか有しない。生きていた時、巣の中の両端に2つの卵があった。」とある。
                 

次の写真の説明はこうだ。「この鳥は馬鹿のシンボルとして「ドードー」と一般に呼ばれている。鳥の恐竜「ドードー」には他の捕食動物から逃れる備えが無かったが、その事は馬鹿と言うのとは違う。」
     

一部を慌てて回ったので、今ひとつ充足感が少なかったが、行って良かったと思っている。
帰りは、親切な女性に教えられたバス停からバスで集合場所まで戻った。地下鉄よりもバスの方が外の様子が分かるし、運転手にも相談できたので安心だった。
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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(11)

2016年04月29日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪「ニューヨーク」市内観光≫(2)

②「国際連合本部」
この建物がある場所はミッドタウンの東端、「イースト川」の傍にある。
ツアーバスは、最初北に向って走り、やがて「イースト川」に沿ったルーズベルト・ドライブに出た。途中「ウイリアムズバーグ・ブリッジ」を右に見ながら川沿いを「国連本部」に向った。バスから降りて、写真を写しただけだった。

 

 
「国際連合」は第二次世界大戦終了後の1945年10月24日に発足したが、本部を何処に置くか議論があった。
結局1946年2月にロンドンで行われた第1回国連総会で、ニューヨークに設置すると決議された。1947年11月に建設場所が承認され、1952年に全ての建物が完成した。
「国連総会ビル」「ハマーショルド図書館」「会議場ビル」と、39階153.9mある高層ビルは「事務局ビル」で、4つの建物からなっている。
国連の加盟国は2016年1月現在は193カ国。主権を持つ国が承認を得て加盟できる。
国連には、今こそ世界の課題に立ち向かい、平和と人類の発展に努力してもらいたいが、拒否権を持つ大国が、審議決定を阻む結果、前に進めない事が課題となっている。
国旗掲揚塔には加盟国の国旗がアルファベット順に掲げられる。この日は日曜日だったので、国旗が無かったのかも。

    

③「セントラル・パーク」
南北4km、東西0.8kmの「セントラル・パーク」には多数の入り口があるが、私達は東側ほぼ中央の入り口から中に入った。
良く知られている芝生の広場とは違って「不思議の国のアリス像」や「アンデルセン像」があり、リスも生息している自然溢れる地域だった。



 

           



           

この後、「アメリカンレストラン」に行ってエビフライとポテトチップスの昼食を食べた。美味しかったが、量が多過ぎた。
また、写真の通り、雑誌か新聞紙を油取りの敷き紙に使うなど、不潔すぎて日本ではあり得ないと思った。(誰が手で触れたか分からないし、揚げ油で溶けた印刷インクが揚げ物に付く心配がある。印刷インクは食べられないと思うのだが…)

             
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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(10)

2016年04月29日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪「ニューヨーク」市内観光≫(1)
「ワシントンD.C」から「ニューヨーク」に戻って泊まったホテルには、3連泊した。
4日目は朝8時にホテルを出て、午前中、市内観光をした。

①「グラウンドゼロ 9.11メモリアル」とその周辺
バスで最初に着いた場所がここだった。2001年にテロによりツインタワーが崩壊した場所のその後を、是非自分の目で確かめたいと思っていたので、訪れる事ができて良かった。
ツインタワー以外に3つのビルが倒れたが、ツインタワーの跡地には「グラウンドゼロ 9.11メモリアル」が造られていた。2つの大きい四角形の池で、周りにはスワンプホワイト・オークが植樹されていて、静かな慰霊の場になっていた。
背が高い木があったが、多分テロの惨状を見つめた木かも知れないと思った。
池の淵には9.11の多くの犠牲者の名が刻まれていて、日本人の名前もあった。地下に「9.11メモリアル」の展示会場もあるという。
あの日、ハイジャックされた4機の飛行機に搭乗していた人は246人、ワールド・トレードセンターの崩壊で亡くなった人は2602人、ペンタゴンの攻撃の犠牲者は125人の計2973人に登り、テロ実行者を除く市民の犠牲者では2749人だという。
改めて世界中からおぞましく卑劣なテロが早くなくなり、安全で平和な世界が訪れるよう、願わずにはいられなかった。

 

             

鳥が羽ばたいている様にデザインされている箇所は、「メモリアル」の傍の地下鉄の出入り口だ。
早朝から警備員が数人巡回していた。その一人に声をかけて写真を撮らせてもらった。

   

                
周辺は高層ビルに取り囲まれていて、その間から一昨年完成した高さ541mの「ワンワ-ルド・トレードセンタ-」が見えた。ここの100~102階は展望台として公開されている。



 

トイレ休憩で案内された近くの「ワールド・フィナンシャルセンター」ビルの内部には、背が高い椰子の木が植えられていた。「ウインター・ガーデン」と言われているそうだが、コンクリートに囲まれた場所では自然の緑が何よりの癒やしになるからだろう。

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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(9)

2016年04月28日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪「ワシントンD.C」市内観光≫(3)

⑤「ナショナル・ギャラリー(国立絵画館)」
「ワシントンD.C」の美術館は、13世紀から現代までの西洋美術の絵画、彫刻を13万点以上展示している美術館である。自由行動時間が2時間半程あったので、ここを中心に見る事にした。
ガイドブックによると、展示品は市民から寄贈されたものか、または市民の寄付金で購入したものだという。何と凄い事だろうか。
「レンブラント」は多くの自画像を残しているが、この作品を描く前に3人の子どもと妻を亡くし、自己破産しているという。そんな落ちぶれ、寂しい自分を表現したと言われている。
「レオナルド・ダ・ビンチ」の作品は、ヨーロッパ以外ではここにしかない貴重な一点だそうで、周りにはロープが張られ、解説者が説明をしている所だった。
全て、フラッシュ無しなら撮影が認められていた。



 

 
(レンブラント作「自画像」)(レオナルド・ダ・ビンチ作「ジネブラ・デ・ベンチの肖像」)


(サー・ピーター・ポール・ルーベンス作「二頭立て馬車の転倒」)

 
(エル・グレコ作「聖マルチナと聖アグネスといるマドンナと子ども」)(グロバンニ・パオロ・パニーニ作「ローマのパンテオン内部」)

 
(ラファエロ作「アルバのマドンナ」)  (ラファエロ作「小さなカウパーのマドンナ」)

「ワシントンD.C」の市内観光を十分に楽しんだ後バスに乗り、「ニューヨーク」まで約5時間走った。バスの中では疲れて寝てしまった。
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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(8)

2016年04月27日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪「ワシントンD.C」市内観光≫(2)

④「スミソニアン航空宇宙博物館」
「人類の知識の普及と向上を図ること」を目的にして1846年に「スミソニアン協会」が創設され、「モール」だけでも9つの博物館と美術館を持ち、それ以外に8つの博物館と美術館を有している。
今回私達は、先ず「スミソニアン航空宇宙博物館」を見学した。
近代、人間が鳥の様に空を飛びたいという夢を抱いて以来、実現させて来た夢は今では宇宙にまで広がった。
実物を展示してその歴史を体感させてくれる場所だった。
中には日本の「ゼロ戦」もあり、興味深かった。
数機の戦闘機、偵察機も展示されていて、戦争が航空機の開発技術を向上させた事が分かる。また、宇宙ロケットの開発技術も同じ様に競争の上に発展したのだ。「月の石」に触れられるコーナーもあった。
沢山の実物が展示されていたが、数枚の写真しか撮って来なかった。


(ボーイング247-D)
木材会社から発展して航空産業に参入したボーイング社が、1933年開発した全金属製双発機。

               
               (アポロ・ソユーズテスト計画の飛行船)
1975年、アメリカのアポロと旧ソ連のソユーズはドッキングして二国の宇宙飛行士が共同研究をした事を再現している。

 
(ソユーズTM-10)
日本人飛行士「秋山豊寛」氏は、1990年12月、世界初の有償宇宙飛行客として、ソビエトのソユーズTM-11に搭乗して宇宙ステーション・ミールに8日間滞在後、この宇宙船で帰還した。漢字で名前が記されている。
                  
                
                 (三菱零式艦上戦闘機52型AM5)
第二次大戦中、1万機が生産されたという。色々な型があるが、これは迎撃戦闘機。出現当時は世界最高度の性能と言われたが、防弾装置がなかったらしい。


(ライアンNYP「スピリット・オブ・セントルイス」)
1927年5月、無名パイロット、チャールズ・リンドバーグが世界初の大西洋単独無着陸横断飛行に成功した飛行機。窓をなくしてガソリンを積んだ。
          
           (海上輸送船?)

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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(7)

2016年04月25日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪「ワシントンD.C」市内観光≫(1)

「ワシントンD.C」は、全米で唯一の特別行政区なので、州には属していない。
「D.C」は「District of Columbia」の頭文字で「コロンビア特別行政区」のことで、建国の父と言われる初代大統領ワシントンとアメリカ大陸の発見者コロンブスの二人の名を含んだ名前となっているのだ。
「ワシントンD.C」の設計者は、フランス人技師「ピエール・シャルル・ランファン」で、公園を中心にデザインされた町だ。
その最大の公園が東西に長い広大な3.5km×400mの緑地帯「モール」で、その西側に「リンカーン記念塔」があり、ほぼ中央に「ワシントン記念塔」が聳え、東側に中に「国立自然史博物館」や「ナショナルギャラリー」「スミソニアン キャッスル」などの一大展示場が建てられている。
そして「モール」の東側には「国会議事堂」「最高裁判所」がある。
「ホワイトハウス」は、「モール」のほぼ中央に立つ「ワシントン記念塔」の約700m北にある。
ツアーのバスは、ほぼその全体を回ってくれた。

ガイドブックによると、「ワシントンD.C」の人口は全体で586万人で、首都圏にはその11%が住んでいる。人口の50%がアフリカ系民族で、白人は43.4%だという。
緯度は仙台に近いと聞いたが、観光した日は曇りで冷たい小雨が降っていた。

①「リンカーン記念堂」
先ず「リンカーン記念堂」に行った。
ここは「人民の人民による人民のための政治」を訴えた第16代大統領の「エイブラハム・リンカーン」が、1865年4月14日に凶弾に倒れた後、1922年に建立された。
記念堂の36本の柱は、当時の州の数である。
大きな大理石の座像の高さは、つま先から頭まで5.8mあり、後部に「リンカーンの名声は……この神殿に永遠に秘められる」と書かれている。
キング牧師が20万人の聴衆に向けて演説した事もあり、差別撤廃を目指し、自由と平等を実現するためのシンボルとなっているという。


            
記念堂の階段の上から東側を見ると、950m程向こうに「ワシントン記念塔」が聳える「モール」が見渡せた。


②「ホワイトハウス」
大統領公邸で塀で囲まれていて中には入れないが、大勢の人達が見学に来ていた。公邸までは250m位の距離がありそうに見えた。
(2001年のテロ事件後は、国会議員の紹介無しでは見学できない)
公邸は地上3階、地下3階で部屋は132あり、大統領執務室、閣議室、記者会見室、大統領夫人執務室などがある。また地下には核シェルターも装備されているという。

          

③「国会議事堂」と「ポトマック川」周辺の桜並木
         
ワシントンの桜並木は、日本が贈った木として有名だ。明治時代の終りに、アメリカ大統領夫人ヘレン・タフトの要請を受けて、当時東京市長だった尾崎行雄が1910年、2000本の桜の苗木を贈ったのが始まりと言う。
しかし残念にもその大半が虫害で枯死した。そのため1912年、改めて3000本が贈られて「リンカーン記念堂」の背部を流れる「ポトマック川」河畔に植えられ今に至っている。
そして毎年、桜祭りが開かれているという。
私が訪れた4月9日には大半が葉桜になっていたが、まだ花を付けている木もあった。少し誇らしい気分になった。


            



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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(6)

2016年04月22日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪「ボルチモア」市内観光≫

やがてバスが「ボルチモア」に着いた。
「ボルチモア」はワシントンDCの北東64kmに位置するメリーランド州最大の港町で、歴史的には「北米大陸で最初の鉄道」が誕生した地でもある。
また、「アメリカ国歌」が生まれた場所として、さらには野球界のヒーロー「ベーブ・ルース」の輩出地としても知られている。
バスは最初に「インナーハーバー」に止まった。

①「インナーハーバー」
有名な書店が建っていた。無料トイレに案内されたので使った。
その後自由行動だったが、風が強く寒かったので、ちょっと港に行って見たり、書店を覗いて見たりした。珍しいデザインの葉書やカードが沢山売られていたが、高額で買えなかった。
「世界貿易センタービル(トップ・オブ・ザ・ワールド)」は珍しい五角形の建物で、高さが131mあるという。展望台があるらしいが、写真を撮っただけだった。



 



②「ベーブ・ルース像」
私は野球にはあまり関心がないが、彼の名は知っていた。
資料によると1895年にボルチモアの西カムデンで生まれ、ヤンチャな少年に育ったが、問題児が多い工業学校に入学後ある修道士と出会い、野球の道に進む事になったという。
メジャーリーグのホームラン王として記録を塗り替えながら「ヤンキース」を強くした打者。40歳で現役から退くまで714本のホームランを打つ偉業を達成した。
しかし喉頭がんのため1948年、53歳で死去したという。像の台座には「ベイブズ ドリーム」と書かれていた。
         

観光後、「ワシントン」で夕食の「中華料理」を食べてからホテルに向った。夕食は品数も多く、美味しかった。

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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(5)

2016年04月21日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪「フィラデルフィア」市内観光≫(3)

⑥「エルフレス小径」
1713年から1836年に建設されたアメリカ最古の家々が建ち並び、保存されている狭い地区だ。今も住んでいる人々がいるらしい。窓に日本の「招き猫」の置物を置いた家があった。
 

 

         

この場所の観光を終え、バスに乗って南西にある「ボルチモア」に向った。

≪「ボルチモア」観光≫
①「フードコートで自由食」
バスが1時間20分程走った所で、昼食のために「ボルチモア」の手前の町の「フードコート」があるショッピングモールに立ち寄った。
日本と同様、様々な軽食店やアイスクリーム店、コーヒー店などが入っている二階では、大勢の人達がランチ休憩をしていた。私達もそれぞれ自由食を食べ、休憩した。

 

②「ビラノバ大学」の男子バスケットボール部、全米大学選手権優勝パレードに遭遇
昼食を終えてバスに乗ろうとしたら、大通りが人で溢れていた。
何でもこの小さな町の大学のバスケットボール部が、4月5日にヒューストンで行われた全米大学選手権決勝でノースカロナイナ大を77-74で破り、1985年以来31年ぶり、2度目の優勝を果たしたので、その祝賀パレードがこれから始る所だという。
道の両側にはお祝いに駆けつけた人々の人垣が何重にもできていて前に行く事ができない。それで私はカメラを高く持ち上げ、観衆の頭越しに適当に写真を撮って見た。何やら写っていたので熱気が伝わるかも知れないと思い、ここに掲載する。
夢中で写真を撮っていたら、一時ツアーの人達とはぐれてしまった。迷子になったか?と急に不安になったが、合流できてホッとした。



 



             





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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(4)

2016年04月20日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪「フィラデルフィア」市内観光≫(2)

③「独立記念館」
この建物は1749年にペンシルベニア州の議会議事堂として建てられたが、イギリス植民地だった1776年7月4日に13州の代表者が集い、「トーマス・ジェファーソン」が起草した「アメリカ独立宣言」に署名し、力を合わせて独立を勝取ることを誓い合った場所でもある。
1787年には、ここで「アメリカ合衆国憲法」が制定されている。
また、フィラデルフィアがアメリカの首都となった1790年からの10年間は、アメリカの「議会議事堂」として使われた。2階は「元老院」が、1階は「代議員」が使った事から、「上院」「下院」と言われ出したという。
250年以上経つ比較的小さい建物だが、内部は当時のままに保存されていて、1979年、ユネスコの世界遺産に登録された。



         



         

④「リバティベル・センター」
ここには1776年の「アメリカ独立宣言」の時に鳴らされた大きな鐘が保存されていて、大勢の観光客で溢れていた。
鐘には亀裂が入り、今は鳴らされる事は無いが「自由と平等」のシンボルとなっている。中に入り当時を説明する10分間程のビデオ上映を見た。

 

         

⑤「ベッツィ・ロスの家」
アメリカの星条旗を最初に縫い上げた女性が住んでいた家だそうで、当時としてはしっかりした感じの2階建ての家だった。
当時は13州しかなかったが、現在はハワイ州を入れた50州になり、州を表す星の数が増え、デザインも27代目だそうだ。
資料によると国旗の赤は「勇気」、白は「真実」、青は「正義」、縞模様は「独立当時の13の入植地」、星は「州の数」である。

 
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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(3)

2016年04月19日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪「フィラデルフィア」市内観光≫(1)

有名ホテルだったが、暖房機の騒音で2時過ぎに目が覚めた。
友人と6時半にはレストランに行って朝食を採った。友人はヨーグルトやコーヒーを採ったが、私は旅行中は腸を刺激するヨーグルトなどは避け、この日も飲み物は紅茶を頼んだ。食品や料理の種類が多かったが、ベーグルと果物中心の朝食にした。ベーグルが美味しかった。
9時にバスが出るので玄関前に出たら、桜が満開だった。

        
①「フィラデルフィア美術館」
10分程でバスは「フィラデルフィア」に着き、最初に「フィラデルフィア美術館」を訪れた。
と言っても中には入らず、映画「ロッキー」で主人公がトレーニングする場面に使われた美術館前の「ロッキー階段」を登り、上から広大な街を眺め、階段下に置かれている「ロッキーの銅像」を見学した。
この美術館の所蔵作品は、セザンヌの「大水浴」、ゴッホの「ひまわり」など馴染みがある作品が多いらしいので、またいつか訪れたいと思った。

 

        



②「フィラデルフィア市庁舎」 
この日は曇っていて気温が低く寒かった。「市庁舎」はツアーバスの中から見て、写真に収めた。
建物は豪華で、タワーは高さが167mもある。タワーに上れるそうだが、それも今後再訪する機会があれば登りたい。その頂きにフィラデルフィアの建設に貢献した「ウイリアム・ペン」の像があるが、高過ぎてバスからは良く見えなかった。
資料によると「ウイリアム・ペン」(1644.10.14~1718.7.30)は、イギリスの植民地だった今のアメリカ合衆国のニュージャージーの西部と南部を、1681年に「チャールズ二世」から借金の変わりに父親が得た後、「フィラデルフィア市」を建設した人である。

 

        
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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(2)

2016年04月17日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪九州地方で起きている大地震の被災者の皆さんへ≫
この度の熊本県を中心とした地震の被害で被災を受けた皆さんに、心からお見舞いを申し上げます。
TVニュースを見ながら、予期せずに亡くなられた多くの方達の無念さに思いを馳せています。
活断層が沢山走っている日本列島に住む私たちは、何処でも何時被害を受けるか分からないなと改めて思います。
この先もまだまだ余震が続きそうなので、安心して住める家を失った被災地の方達の不安と生活の困難さは如何程でしょうか。
これ以上、被害が広がらないようにと願うばかりですが、自然のエネルギーは予想ができない切なさがあります。
政府が先頭になり、今後、救済と復興が進むように願うばかりです。

≪「成田空港」から「ニューヨーク」へ。その後「フィラデルフィア」へ≫

1日目、飛行機は成田国際空港から16;40に飛び立った。日本との時差は-13時間なので、機内で腕時計を直した。機内食は2回出た。機内では日本映画「はなちゃんのみそ汁」を鑑賞した。
座席の前のTV画面には、飛行ルートが写る。それを写真に撮った。
太平洋にある日付変更線を越え、5大湖を斜めに横切って13時間後の16;50、ニューヨーク「J・F・ケネディ国際空港」に着陸した。日付変更線を越えたので、日付は変わらなかった。



    
ニューヨークの気温は14℃だった。

到着後、専用バスで「ブルックリン地区」を通り抜け、「ハドソン河」にかかる鉄橋を渡り、「ニューアーク・リバティ国際空港」に近い「フィラデルフィア」のホテルに2時間後に着いた。
スピードがあるバスの中から「ブルックリン地区」の建ち並ぶアパート、梨の白い花が咲く街路樹、スケートボードに乗っている青年などを写した。

          



          



「ハドソン河」の大橋を渡る頃は、日が沈み出した。川岸に貨物ターミナルがある様だった。



          

最初のホテルの7階の部屋は広く、ベッドもアメリカサイズで大きいが私にはかなり高さが高過ぎた。また暖房が入る度に大きい音がして、朝まで熟睡できなかった。

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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(1)

2016年04月14日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪友人と行って来た≫

今回は4月7日早朝6時に家を出、午後16時40分発のANAで「ニューヨーク」に向った。
13日夜21時に帰国したが、その時間では新千歳に向う飛行機が無いので成田で後泊し、本日14日の10時の航空機で昼に帰宅した。

一緒に出かけた友人は、札幌の自宅から札幌駅6時発のJRに乗るのが難しいと言って、前日の夕方我が家に来て前泊したから、私よりも1日多い日程となった。(そのために私は、かの女の夕食の支度やら家の掃除などで、普段の出発時よりも働いた。お陰さまで余ったお菜をタッパーに詰めて持参し、出発当日の食事に間に合わせることができた)

アメリカ東海岸は、日本からは航空機で13時間以上かかるので、昔の狭いエコノミー席ならやり切れなかったが、今回乗ったANAの直行便は座席がゆったりしていて快適だった。
おまけに特に帰路の便は、たまたま25%しか乗客がいなかったので、足を伸ばしてしっかり寝ることができ、ラッキーだった。

私の今回の目的は、以前に行った時には見られなかった世界一の美術館「メトロポリタン美術館」を見ることだった。たっぷり4時間も鑑賞できた。
また、自由行動の半日は、地下鉄で「自然史博物館」に行って古代の恐竜の化石などの展示を堪能することができた。

事前にネットで天候予想を調べて行ったのだが、実際は花冷えの1週間で、ワシントンに行っていた日はみぞれが降り、気温は6~7℃ではないだろうかと思った程寒かった。
それで実は自宅から着て行った1枚のセーターを、数日間着続けた。上に薄いコートを着ていたので、下に何を着ているか分からなかったのが幸いだった。
あちこちにチューリップや水仙、梨の花が咲いていたが、桜は最盛期を過ぎていた。



             

ホテルは大概部屋が14畳程ある広さでベッドも大きくゆったりと過す事ができたが、あるホテルの傍には全く店らしきものが無かったにも拘わらず、7回もの食事が自由食だったので、はっきり言って大変だった。
旅行会社は表向きの費用を減らすために食事をカットしたのだろうが、参加者にとってはツアーのメリットが大きく失われる結果となった。
最終日はホテルを9時に出発するのにも拘わらず、自由食。レストランの朝食は2200円した。

そこで私達は、炊飯も湯沸しもできる「旅行用電気コンロ」と米を1合ずつ小分けにして持参した。また、家にあった魚介類の缶詰数缶、ふりかけ、のりなどを鞄に詰めて行き、2~3回は早朝にお握りを作るなどして凌いだ。
スーパーに行った時に「ミニトマト」や「キューリ」も買ったが、時期的なためか余り美味しくなかった。

そして極めつけは、アメリカの物価の高さだった。平均して日本の3~4倍の価格だったので私は手が出なかった。それで今回はほとんど物を買わなかった。
写真のオレンジジュースは、1.5L入りがスーパーで4.99ドル(620円)だったし、ミネラルウオーター0.5L入りのペットボトルは3.8ドル(456円)もした。空港内の軽食店では何も挟まっていない「ベーグル」1個が、340円程したし、日本なら1個150円程のチョコレートが400円以上だった。
現地ガイドの話では、ニューヨークでワンルームマンションを借りるのには、月50万円の家賃がかかるそうで、余程の収入がなければ暮らせ無いそうだ。それで自分は交通機関で2時間半かかる場所に住み、仕事があると早朝に家を出てやって来るのだと話していた。
ホームレスも数人見かけた。経済格差は日本よりもひどいのかも知れないと思った。

車が多く走るマンハッタンには、大小の屋台が並んでいた。しかもバスから見ていたら、古く低い建物の奥で昔ながらの個人経営の商店や町工場が経営を続けているようなのにも驚いた。日本ならとっくにシャッターを下ろしてしまう様に見えた商店が、何故続けて行けるのかを知りたいと思った。

これから疲れを取りながら、旅日記を少しずつ書こうと思う。

 





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米国のビザを取得した

2016年03月17日 | 海外旅行「北アメリカ」
昨日、航空便の郵パックが届いた。差出人は東京の「ビザ申し込みサービスセンター」からだ。
待ちに待ったアメリカ旅行に必要なビザが取れたのだ。

ビザはパスポートの半ページにペッタリと張ってあった。
有効期間は5年だとばかり思っていたが、小さな文字を良く見ると満了日(Expiration Date)は2026年3月〇日までとなっていた。
この先実際に10年間も旅に出られるだろうかと苦笑したが、そういえばツアーで80歳代の参加者は最近珍しくないと思って、少し元気が出て来た。

昨秋、イランに行ったためにビザを取る迄本当に苦労したが、これでやっとアメリカの旅行や、アメリカで乗り継ぎをする旅行に出かけることができるので嬉しい。
早速、今度同行する友人に報告したい。
また、イランに行った事がある別の友人にも、今回の経験を報告しようと思っている。
                     
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