花好き・旅好き女性のセカンドライフ

通院しつつ、夏場半年間はガーデニングと家庭菜園で汗を流し、その合間に外国旅行を楽しむリタイヤ女性の生活日記

ドジを踏んだ年納め

2016年12月31日 | 医療・健康問題・食生活
いよいよ大晦日を迎えてしまった。1年の月日の流れは早いものである。

ところで実は、寝る前にも除雪作業をした大雪の翌日(先週の土曜日)朝7時前に二階の寝室から一階に下りようとした時、階段の途中で足を踏み外して、体がもんどり打つように転がり落ち、階下の床に叩き付けられるというドジな事故を起こしたのだ。
その時、側頭部を硬い床板に強打してしまい、3~4分、起き上がる事ができなかった。
この事は、しばらく恥ずかしくて人にも言えなかった。

しかし、頭部を強打したので心配になり、直ぐに病院に行く事にした。
大雪の翌朝なので、車庫前に積雪があり出られない。私自身が身体を使いたくなかったので、近所の方に除雪機で除雪をお願いして車を運転し、病院に行った。
所が誰もいない。第4土曜日は休みだった。
しかし、事務員に事情を話すと、脳神経外科の医師が9時なら看てくれると言う。40分程なので待った。

診察を受け、CT画像を撮った後、医師に呼ばれた。
「画像から判断して、頭部には問題は起きていません。」と言われ、ホッとした。
しかし、当日は入浴、アルコール、チョコレートは駄目で、消化の良い食事を少し食べて、安静にするように言われた。
また、毛細血管が切れている場合は、数ヵ月後に後遺症が出る場合もあり、視力が落ちたり物忘れが強く出たり、手足の麻痺に気づいたら直ぐに連絡する様にと言われた。

目の前にCT画像があるので、ついでに脳の萎縮などの異常が無いか訊ねて見た。
医者は「脳が一杯詰まっていて、心配ありませんよ。」と言ってくれた。

その夜は、転倒した時にぶつけたらしい体中のあちこち、特に左足が腫れて痛んで眠られなかった。2~3日足が痛く、歩くのも大変だったが、日を追うごとに傷みが楽になって来た。
今では足や肩、腰にできた青あざも薄くなって来たが、まだ、ぶった頭部と首が痛い。

幅が95cm程ある階段を後で良く見たら、中程で180度回転するために、途中の数段の板が片方、奥行きが極端に狭くて回転できるようにしてある。
朝、寝ぼけ眼で下りようとして、そこで踏み外したのだろう。
今回は一応、大きな問題が起こらず、年末の買出しや料理もできてホッとしているが、今後は二度と落ちないよう、足元を見て、注意しながら下りることとしたい。

皆さんもどうか私の様な馬鹿なことを決して起こさないように、気をつけて欲しい。
最後になってしまったが、みなさん、どうか良い新年を迎えて下さい。
                                
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友人たちの事

2016年12月27日 | 高齢期の生活
とうとう12月27日、年末になってしまった。早いものだ。

年に2~3回電話が来て、1回に30分前後も私と「電話会談」をする旧友から、昨夕、半年振りの電話が来た。
彼女の年齢は80歳。20数年前に胃がんになり、手術で胃の大半を除去したというが、その後、肝臓やすい臓に転移し、命の極限を生きて来た人だ。
私には何でも話しやすいらしく、なかなか他人には言えないような愚痴も話してくれていた。

所がである。昨夕の電話は明らかにおかしかった。
「今日は何をしていたの?」と、同じことを何度も聞く。
我が家に来て一泊した事があるのを忘れていて、「あなたの家は、マンションなの?」と聞く。
私も一度、JRの特急電車で札幌から3時間程かかる彼女の家にお邪魔した事があり、彼女の周囲の環境は知っているのだが、「家の隣には総合病院があるし、向かいは大型スーパーなの。」と、私の記憶とは随分違うことを言う。
「寂しいから、遊びに来てよ。」と誘われたが、そう簡単には行ける距離ではない。
それにしても、彼女が半年で認知症に似た症状を来たしてしまったのには驚いたが、この1~2年の寝たり起きたりの闘病生活と年齢を考えると、無理もないかも知れないとも思った。
私と同じ「癌サバイバー」(癌の診断を受けて存命している人)としての彼女には、可能な限り元気で長生きしてもらいたいと願っているのだが…。

次の友人は、前にも記事に書いた私と同年齢の人だ。
マンションで1人暮らしを続けて来た彼女は、先月末に札幌の「介護付き有料高齢者住宅」に入居した筈だ。
64歳位で認知症になって以来、飲み薬と貼り薬を併用して来たらしいが、それが功を奏して、診断からここまで認知症の進行がゆっくりだったのだと思う。
しかし、彼女とももう、かっての様に札幌の町で会食するなどは全くできなくなってしまった。

親しくして来た友人たちが、このように自由に会って、他愛のない事をお喋りしたり、笑いあったりできなくなって行く事が、本当に寂しく思われる。
私自身も、いつ体調がおかしくなっても不思議ではない年齢に入っているので、今の一日一日を感謝しながら過したいと思っているが、取りあえず5日目には元気で新年を迎えられそうで嬉しい。

                                    
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昨日からの大雪は重い

2016年12月23日 | 日記
昨日午後から降りだした雪は、気温が0度前後だったために水分量が多い雪だった。
野菜研究会があったので車で出かけたが、フロントガラスはワイパーを掛けても直ぐに雪で覆われてしまう。視界が悪いので車の運転は危ないのだが、結構遠くだったので止むを得ず近くに住む仲間を誘って出かけた。
3時間後、青空駐車場の車は雪ですっぽり覆われていた。
雪は止む気配を見せずにどんどん降って来る。
夜、研究会の宴会が予定されていたが、遠いので急遽辞退し、家に居た。

今朝、除雪をしようと外に出たら、膝も埋まるほど積もっている。場所にもよるが40~50cmだ。
先ず、玄関前から道路までの10m程度をスコップの幅で除雪した。雪はいつもの通り薔薇を植えてある庭に投げるのだ。
水分量が多い雪なので、実に重いこと。骨が折れる。腰を痛める人も出そうだ。

車庫前の道路端7m程には、早い時間に除雪車が来て、道路の雪を削って置いて行くが、その分更に高く山ができ、硬い雪なので一苦労する。
気温は0度と温かいが、1時間作業したら大汗をかいた。

まだ途中だが、これ以上は体力的に無理と判断し、家に入り朝食を食べて、休憩する。

それからまた1時間作業を続けたが、終らない。
朝刊を見たら、昨日の新千歳空港は滑走路が断続的に閉鎖されて221便が欠航し、3000人が空港で夜を過したらしい。

今日も朝から雪が一日中降る予報なので、交通事情の悪化は更に続くのではと思う。
冬場の北海道は、こうした雪害から逃れる事ができないので、人々はじっと天候が良くなるのを待つしかないのだ。

予報によると、北海道は今日更に70cmほどの降雪があるらしい。
我が家も、後2回ほどの除雪で終わってほしいのだが、どうなる事やら。

        
#追記(24日11時)
昨日は結局、朝・昼・夕方・寝る前の4回、合わせて4時間強、除雪した。もうクタクタになった。ひねったのか腰が痛い。

今朝は晴天、無風で、大荒れの2日間は嘘の様に思えるのだが、昨日一杯吹き荒れた風雪による吹き溜まりができ、更に除雪車が車道の雪を削って左右に置いて行くので、車庫前には40cm高さほどの硬い雪が積もっていた。
車を出すには、その雪を除けないと駄目だ。もう雪を積み上げる場所がないよ。

  

         
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1年ぶりの乳癌の検診

2016年12月21日 | 医療・健康問題・食生活
昨日は1年振りの札幌K病院の検診日だった。
予約時間は午後1時だったので、その前に作成を頼まれていた従姉の年賀状を手渡そうと午前中に出かけた。
二人で札幌駅のコーヒー店に入り、年賀状を渡した。
従姉は、「デザインも文章も良くできているね。」と言ってくれた。文章は500文字位あり、私が従姉から電話で聞き取った文を整理してデザイン化し、印刷したものだ。
従姉のを作り出して、これで5回目になる。昨年からははがき代は勿論、プリンターのインク代も少し貰うことにしている。
土産代わりに、「聖護院大根の甘酢漬け」を持参した。夕方「美味しいね。」というメールが来ていた。

肝心の検査だが、「マンモグラフィー」を4枚写し、2時間後に担当医師の診察を受けた。
丁度、大学の医学部の男子学生が2人、医師の隣に立ち、見学に来ていた。
カーテンで仕切られたベッドで、胸、脇、首の触診も受けた。前回までは超音波検査もあったが、今回はなかった。
結果は「異常なし」。ホッと安心した。
お陰さまで、また次の検診までの1年間は「癌患者だ」と言うことを忘れて生活したいものだ。

5時に病院を出てJRの駅まで歩いた。霧雨が降っていて路面はつるつるで歩きにくかった。
真っ暗な中、家には6時に着いた。
今日は自分の年賀状の「つけ加え一言」を完成させて、郵便局に出しに行く積もりだ。     
                                       
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定期預金の利息

2016年12月16日 | 暮らしと経済
今日、1年定期55万円が満期になったので、預け変えに銀行に行った。
「定期預金お利息計算書」なるものを見て、改めて驚いた。
年利が0.12%だったので、527円付いた。
それをまた1年定期にしたら、今度は年利が0.010%となった。1年後には地方税の金利が5%引かれるので、50円程付くだろう。
例え100万円を1年定期で預けても、金利は100円にならないのだ。

一昨日の国会では、年金支給額減額や医療費の負担増大が可決された。
今朝の新聞によると、昨年増加が決まった相続税の、更なる増加を検討しているらしい。
もう馬鹿々々しくて話にならない。
長い人生を真面目に働いて来て、今高齢期を迎えている私達は、一体、これからどうしたら良いのだろうか。

銀行の帰り、気温-7度の中、スーパーに寄って、「巻き厨子」や「団子」を買い、やけ食いをした。
                                                          
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厳寒期は洗濯物をどこに干すべきか

2016年12月15日 | 日記
今朝も洗濯物の量がどっさりあった。いつも伯母の分が加わるからだ。
7時半の外気温は、-9℃。今朝は、今冬一番の冷え込みだ。
今は10時。朝から晴れて陽が射しているが、まだ外気温は-5℃だから、濡れている洗濯物をベランダに出せば、たちまち凍り付いてしまう。
昼になる頃、プラスの気温になってくれるだろうか。(例え外に半日干しても、70%程しか乾かないから、最後は居間に干す事になるのだが)

そうでないなら、初めから居間に干さなければならない。居間の温度もそれ程高くないので、なかなか乾かないだろう。
それに何より、家は機密性を高くして建ててあるので、洗濯物から蒸発した水分は、冷たい窓ガラスや壁の所で結露する。それが嫌なので、なるべく室内には干したくないのだ。
だから、冬の間中、洗濯物をどこに干すか、悩ましいのだ。
                                  
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伯母が満97歳になる

2016年12月14日 | 高齢期の生活
この所の伯母は、変わらず元気だったが、4日前に行った時、私が「伯母さんもこの施設に来て、1年数ヶ月が経ったね。」と言ったら、「今年の8月に来たんだから、5ヶ月目にしかなっていないよ。」ときっぱりと私の言葉を否定した。
私は驚いて、毎月1~2枚書いて来た書の束をさして、「去年から書いて来たから、あんなに沢山あるんでしょ。」とか、「春にこの部屋で倒れて、隣の町の救急病院に行ったでしょ。」などと、事実を思い出すように話した。
暫くして「どうして忘れてしまったんだろうか、不思議な気がする。」と言ってくれた。

その翌日が満97歳の誕生日だったので、「アザレア」の鉢を1つ買ってプレゼントした。さらに、伯母に似合いそうな温かい素材のカットソーも1枚加えた。

今日行くと、風邪を引いて、昨日は熱が出たらしい。今朝は下がり、部屋に運ばれた食事も食べたという。
短期に回復したようでホッとした。結構抵抗力があるのだろう。
帰り際に事務室の担当ケアマネージャーに4日前の事を話した。「認知症の入り口に来たのかも知れないね。」と言っていた。
これから伯母の症状がどう変化していくか分からないが、できればゆっくりと変って行って欲しい。
私も伯母に寄り添いながら、年を重ねることによる心身の変化をしっかり見つめて行こうと思う。
                          
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大雪に見舞われる(2)

2016年12月12日 | 日記
8時まで雪が降り続いた。
朝のニュースでは、一昨日夜、新千歳空港で夜を明かした人は1000人だったが、昨夜は1500人だったと報じていたが、今日は航空機は発着するのか案じられる。

我が家の庭もこの時期は今まで見たこともない大雪の状態になった。
屋根があるベランダだが、積もった雪の除雪に手を付けられないでいたら、今朝の積雪量は70cmはありそうだ。今日は除雪しなければ…
餌を置かないので鳥がほとんど来ない手作りのバードテーブルの屋根がこんなに雪の状態になったのは、設置してから初めての事だ。
除雪で怪我をしたとか、除雪機の下敷きになったとか、屋根から滑り落ちたなどという大雪の被害も、これから出るのではと気になる。
私も注意しながら、今日も除雪をしよう。





          

結局、新たに降った20cm強の積雪を除雪したら、1時間半かかった。疲れ果てた。
ようやく先程から太陽が出て来たので、嬉しい。



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大雪に見舞われる(1)

2016年12月11日 | 日記
昨日朝から断続的に降り続いた雪の影響で、北海道の石狩地方はJR、航空機など交通網が軒並みストップする被害が出た。
私の所も昨日だけで積雪量は70cm程にもなり、今朝も30cmは降った。除雪は昨日2回で1時間半、今朝も2回で40分ほどした。
幸いに乾いた雪なので軽かったから、身体への負担はそれ程でもないが、-4~-5度の屋外作業では指先が冷たく痛くなって来るし、やはり除雪は疲れる。

先程車でスーパーに行って来たが、降りしきる雪で見通しが効かないし、交差点には左右に雪山ができていてなかなか交通状況がつかめない。道路幅も狭く、縁石も隠れてしまっている。気をつけないと駄目だ。
ほとんど雪が無かった庭が、もうこんな状態になってしまった。
あっ!また降りだした。




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「北部ベトナムの旅」(8)

2016年12月11日 | 海外旅行「東南アジア」
≪「チャンアン」でのボートクルーズ≫

「チャンアン」周辺には、「ハロン湾」と同様に2億4000万年前に形成された石灰岩の「カルスト台地」が広がっている。
ここには48の鍾乳洞と6つの洞窟がある。2014年に「チャンアン景観複合体」として世界遺産に指定された。
私達はその6つの洞窟巡りのために小型ボートに乗り込んだ。

ボートの漕ぎ手は中年の女性達だ。私が乗ったボートも前部に客4人が乗り、後部で担当の女性が手で漕いでくれた。
洞窟は大半が石灰岩の山の下を流れる川の水が、長い間に石灰岩を浸食してできたもので、その長さは入り口から出口まで100m以下のものから最長320mのものまで色々だった。所々に薄暗い電灯が点いている。
天井の岩が低い場所では、屈まなければ頭を怪我してしまうから、気を抜けなかった。私達は何度も屈んだ。
流れている水の透明度は高く、かって酒造りに使われていたという。
予備の櫂が2本あったので、私達も交互に漕ぐのを手伝った。

幻想的な光景の中で幽玄な気分に浸った2時間のクルーズはあっという間に終り、最後に各自1ドルまたは2万ドンのチップを女性に渡した。
聞くと2日に1度の割合で仕事をしているという。満席にならないボートを漕ぐこともあるだろう。大変な労働だと思ったが、きっとこのあたりの女性の職場として人気があるのだろうと思った。
この「ボートクルーズ」をした「チャンアン」は、今回の旅で一番の思い出となった場所だった。











 

その後、また専用バスで2時間かけて「ハノイ」のホテルに帰った。

今回の「ベトナム」訪問は私には3回目だったので、前回までに行った「ホーチミン」「ダナン」で衝撃的な「ベトナム戦争」の痕跡を訪ねたり、「ハノイ」でクルーズしたのとは違う内容の旅となった。
南北に細長い「ベトナム」なので、まだ中部の都市「フエ」「ホイアン」「ミーソン」などには行っていない。機会があれば気温が少し低い11~2月に再度、訪れたいと思っている。

5日目の朝はハノイ発8時25分の「ベトナム航空」に乗り、4時間40分で羽田に着いた。
羽田で夕方の飛行機に乗り換え、北海道の自宅に着いたのは22時を過ぎていた。
5日間留守にした室内は冷え切り、12度しかなかった。早速暖房をつけ、落して行った水道を出して湯を沸かし、温かかったベトナムを思い出しながら茶を飲んだ。 
                         (完 了)     
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「北部ベトナムの旅」(7)

2016年12月09日 | 海外旅行「東南アジア」
≪4日目は「ベトナム統一鉄道」で「ホアルー」へ≫

8時にホテルを出て「ハノイ駅」を目指した。通りは朝のラッシュ中だった。



ガイドが買ってくれた切符を受け取り、ホームの乗車車輌へ。車輌の入り口では、駅員が検札する。
私達の車両は「クーラー付き・軟座席」だ。日本なら極普通の車輌の席だが、ベトナムでは安い「扇風機付き・硬座席」もある。隣の車輌が「硬座席」だったので見に行った。椅子が硬い木製で、そこには庶民が沢山乗っていた。
連結部に給湯器があった。車内でカップラーメンなどを食べる人へのサービスなのだろう。
時々飲み物や菓子などを売り歩く人が通るのに懐かしさを感じた。

 
(駅入り口の上に「ハノイ駅」の標示)
 
                           (軟席車輌)

 
  (硬席車輌)                       
私達は「ハノイ駅」から出発し、1時間の「フーリー駅」で降りた。
駅前で待っていた専用バスに乗って昼食を採る「ニンビン」を目指した。

「ニンビン」の西部にある「ホアルー」は、かって968年、丁朝が遷都して1010年まで都を置いた町だ。
10世紀の中頃、各地の「土豪」が覇権を争っていたが、「ディン・ティン・ホアン」が北部ベトナムを統一して、初めての独立王朝を「ホアルー」に建設した。現在のは一部を17世紀に再現したものだという。







 
                              (最初の皇帝「ディン・ティン・ホアン」の像)
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「北部ベトナムの旅」(6)

2016年12月08日 | 海外旅行「地中海地域」
≪ルンオン村で昼食に「ベトナム料理」≫

17世紀に建てられたという官僚のコの字型家で「ベトナム料理」の昼食を食べた。
入り口には植物のつるが暖簾の様に垂れていて、イチジクの木には実がなっていた。中庭には大きな味噌ダルが置いてあった。
写真右方の食堂に通されると、テーブルの上に徳利に似た壷が置いてあり、アルコール度数が35度もある食前酒が入っていた。私は酒は飲まないが、その壷に興味が湧き、どこかで売っているなら買いたいと思ったが、出会えなかった。

 



この日の昼食は、比較的美味しかった。縦切りにしてあるキューリには、甘酢っぱいタレをつけて食べた。

 

その後、「ソンタイ城」を見学した。
ここはフランス人「ソンタイ」が、フランス統治下の1802年に建てた軍事的な城だという。
高さ5mで一片が400mもある四方形の壁には、四方に門が造られている。壁は「ラテライト」という特殊な石で造られていた。
私達が行った門の前には、大砲が2つ置かれていた。中には入らなかった。



                

今度は高速道路に1時間半乗り、「ハノイ」に戻った。料金所のボックスで働いている人は女性が大半だった。夏場の高温の時期にここで料金を受け取る仕事は、かなりハードだろうと思った。
「ハノイ」は相変わらず車とバイクで混雑していた。
左右を見ると家の建て方に特徴があり、道路に面した家の間口が狭く、奥行きが長いのだ。聞くと、間口の長さで税金が違うので、こんな建て方が多いのだという。
建築中の高層ビル、道路もあり、ベトナムは今、経済成長しつつあるらしかった。

 

          



 

ガイドの話では、「次第に車が増えて来ているが、トヨタカローラは現地の製造で320万円、日本製なら460万円で、しかも車の消費税は60%もするので、普通の収入(昨年の平均年収は30万円だった)の人は買えない。ハノイのマンションは1000万円もする。貧富の差が大きい。」といって嘆いていた。
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「北部ベトナムの旅」(5)

2016年12月08日 | 海外旅行「東南アジア」
≪3日目は「朝市」見学後、「ホアビン」の町へ≫

3日目の朝、「マイチャウ」のホテルを出て町の朝市に行き、短時間散策した。
近郊の村で採れる野菜や山菜、豚肉、生きたニワトリなど多様な食品が、地べたに敷いた麻布やビニールの上に並べられて売られていた。
豚肉は爪がついたままの足や毛が生えたままの尻尾も売っていた。生姜は泥だらけだった。朝市から家庭の台所を覗く事ができた。
数軒、防寒着やトレーナーを売っている店もあった。
 



        


夕食に出た「竹の葉に包んだもち米」も売られていた。
              

その後「マイチャウ」から「ホアビン」に向けてバスで2時間走った。途中、石灰岩質の山が聳え、砂糖キビ、トウモロコシを植えてある田園風景は素敵だった。


          



「ホアビン」の郊外にあったのは、東南アジア最大規模の「ロシア式ダム」だった。
国境の向こうの中国の山間地を上流とする「ホン川」の55%の水量を利用するこのダムは、1994年に建造されたが、工事中198人が事故で犠牲になったという。犠牲者を悼む寺もあった。


            

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「北部ベトナムの旅」(4)

2016年12月06日 | 海外旅行「東南アジア」
≪「マイチャウ」の少数民族村を散策≫

ホテルを出たら、そこは「ターイ族」の田んぼ。
10月に二期作目の稲刈りを済ませ、茎を20cm程残し、水もある田んぼだ。
少し行くと、田んぼに鴨3羽が泳いでいた。その隅には赤い色の「タニシの卵」が沢山産み付けられていた。このあたりでは化学農薬を使わない有機農業をしているらしかった。



              

田んぼの中の細い道を数台のバイクと徒歩の人が通って行った。ガイドに聞くと「集会所に行くのだろう。」という。
間も無く道路の傍に「小学校」があった。入り口からは入れなかったが、小さな庭に滑り台などが置いてあった。



 

              

さらに進むと集落だ。大半が「高床式」で建てられていて、昔は1階で家畜を飼育したり、農作業や炊事をしていたらしい。しかし今は、ささやかな観光客向けに品物を陳列して商売をする場としても使われていた。

 



 


大きな家では、その一部を田舎料理の食堂にし、別に小さな簡易コテージ風の住まいを建てて、観光客に貸していた。スイスから来て3日も泊まっていると言う中年女性に会い、一緒に写真を写した。祖父が孫を連れているすがたも見た。撮影を頼むと、村民は皆観光客に好意的だった。

 

         
観光客を乗せる車もあった。夕食は村の奥の食堂で食べた。紫色の色素が出る植物の汁に浸してから大きな葉に包んで蒸したもち米が美味しかった。水牛の肉や豚肉が出た。



           

夕食後、素朴な民族舞踊を楽しんでからホテルに帰った。

 


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「北部ベトナムの旅」(3)

2016年12月06日 | 海外旅行「東南アジア」
≪「マイチャウ」の少数民族村に向う≫

「ハノイ」から「マイチャウ」までは、バスで4時間かかる距離だ。
走行中ガイドは、「ハノイ」の人口は650万人だが、人口の2/3の人はバイクに乗るので、バイクが混雑するのだと話す。
おまけにバイクの法律上の定員は大人2人だが、14歳以下の子どもは何人乗せても良いのだそうだ。
バスから見ていると、夫婦2人が乗っている前後に子どもを2~3人乗せて走るバイクも見かけた。中にはヘルメットを被らずに運転している人や乗せて貰っている人が沢山いるのに驚いた。
また、大気が排気ガスで汚染されているので、マスクを装着している人は多かった。マスクの大半は、色や柄が入っていておしゃれに見えた。
信号機が余り無いので、歩行者はどこでも道路を横断する事ができる。私には道路に一歩踏み出すのは自殺行為に思ったが、急がずゆっくりと歩けば車もバイクも停まってくれた。


途中の「ホアビン」で昼食を食べるために伝統的な田舎料理を出すレストランに入った。私が以前食べた南部ベトナムの料理より油分が少なく、食べ易かった。
  

またバスで「チャンアン」を目指した。
ガイドの話が続いた。
「ベトナム」は社会主義国家なので、土地は国が所有していて、国民は国にお金を払って借りているのである。この点は中国と同じだった。
借用期間は長いので、お金を払える間は使えるが、国が貸し出すことを止めて別の用途に使おうとする時は、文句を言わずに明け渡さなければならない。この点で色々な国と住民のトラブルが起きるのだという。
また、公務員は住民の要望があってもなかなか腰を上げない。そんな所に住民から公務員に金品を贈る賄賂の習慣がはびこり易いのだという。

そうこうしている内に、田んぼの中に大きな看板が見えて来た。「農業開発銀行」お看板だった。
やがてバスは小高い「マイチャウ」の展望台についた.バスから降りて下を見た。周囲を山に囲まれた箱庭の様な「マイチャウ」が眼下に見渡せた。



            

今夜のホテルは田んぼの隣にあった。「ターイ族」の若い女性2人がフロント係りをしていた。
エレベーターが無いので、2~3階の部屋のスーツケースは運んで貰った。
荷物を置いた後、べランダに出て写真を写してから、ガイドの案内で揃って傍の村の散策に出た。

 
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