花好き・旅好き女性のセカンドライフ

通院しつつ、夏場半年間はガーデニングと家庭菜園で汗を流し、
その合間に外国旅行を楽しむリタイヤ女性の生活日記

伯母の入浴

2017年03月07日 | 海外旅行「地中海地域」
今日は伯母を入浴させた。
初めの頃は随分神経を使ったが、回を重ねるに連れて次第に我が家の風呂に慣れ、今では私も精神的に余裕を持って入らせる事ができる様になった。

我が家の脱衣場、浴室は北側にあるので、30分前からポット式の小型灯油ストーブで部屋を温めた所に来てもらい、椅子に座らせて服を脱いでもらう。自分で脱ぎ着ができるのであり難い。
手すりを伝わって浴室に入り、椅子に座って、ざっと身体を洗う。前や下半身は自分でしてもらう。

それが済むと壁の手すりに掴って片足ずつ浴槽に入る。それから浴槽横に付いている手すりに掴りながら、方向転換し、膝をゆっくりと折りながら腰を沈めてもらうのだ。
それから足を伸ばして、肩まで湯船につかる。
今は42度の湯を入れているが、そろそろ41度でも良いかなと思っている。

出る時は、この逆の動作をして貰う。

身体を洗う際、背中の部分と頭部、髪は私が洗う。前部と下半身は自分で洗える。
タオルは長いのは扱い難いので、半分の長さのお絞りを使ってもらっている。

伯母が浴室から出ると今度は私の番だ。
私は入浴が済んだら、残り湯を洗濯機に入れて洗濯をする。
汗を吸うシーツ、タオルケット、枕カバーなどは、しょっちゅう洗濯するようにしている。

脱水が終ると干すが、たまたま今日は日が差し、気温もプラスなのでベランダに干した。
しかし、冬場は外に干すと凍り付いてしまうから、室内で干さざるを得ない。
その場合、湿気が室内に溜まり易くなり、結露の原因になるのが問題だ。

入浴後は水分を補給する必要があるので、今日は100%のミックスジュースを飲んでもらった。
入浴は伯母の楽しみみたいだ。
                           

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ようやく3月になった

2017年03月01日 | 海外旅行「地中海地域」
待ち焦がれていた3月がやっと来た。
日に日に日が長くなり、日差しも明るくなって来た。
2月末は厳しい寒さの日が2~3日続いたが、今日は最低気温もマイナス6度と温かい。
午後はプラスになるらしいので、軽めの服装で良くなりそうだ。
寒さで縮こまっていた気持ちも、次第に緩んで来るようだ。

室内から今の庭を写して見た。先月は除雪が必要な大量の雪は降らなかったが、庭の積雪はまだ1m以上ありそうだ。
道路の左右に大きい雪山ができているので、見通しが悪くて危険だ。
今月末には、この雪も溶けてくれるだろう。



温かな居間で開花させた「アザレア」や「シクラメン」を、花が長持ちするように気温が低い玄関に移しているが、玄関は花で一杯になっている。

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冬ソングと言えば

2017年01月20日 | 海外旅行「地中海地域」
お題「冬ソングといえば?」に参加中!
北海道人としての私の一番好きな冬ソングは「トワ・エ・モア」が唄った「虹と雪のバラード」です。
札幌冬季オリンピックのテーマ曲だと思います。
寒い冬の大地「札幌」を美しく鮮やかに歌い上げました。
その曲を聞くと、今でもオリンピックの熱気が蘇って来るようです。
札幌はこの時に地下鉄が開業し、町全体が近代化して行きました。
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御節料理の初取り寄せ

2017年01月03日 | 海外旅行「地中海地域」
今年の新春は、元日から晴天に恵まれた。
年末から来ていた家族も昨日帰ったので、3日目の今朝はシーツやパジャマなどの洗濯をして、干した所だ。
今朝の最低気温は-8℃だった。先程から、小雪が降りだした。

年末のお節料理は今まで数十年、手作りして来たが、1日中台所に立っていたら一昨年辺りから膝の関節が痛むようになった。
それで今年は「刺身盛り合わせ」「ナマス」「旨煮」「各種の天麩羅」(蓮根、薩摩芋、海老の天麩羅)「鶏のから揚げ」「フルーツサラダ」などは作ったが、後は外部に注文する事にした。
注文先は、私がいつも利用する町の料理屋だ。そこなら手頃な価格で手作り感のするおせち料理を作ってくれそうな気がしたからだ。

31日の夕方、受け取りに行った。
写真は3人前の「生寿司」と「オードブル」である。
味は濃くなく、揚げ物も無く、良かった。寿司も冷たくなっていなくて、美味しかった。
何よりも今までの様に十種類以上の料理を次々と作らなくて良いと思うだけで、気分が楽だった。

最後22時頃、「天麩羅蕎麦」を供しようとしたら、「お腹がきついから明日にして!」と言われたので、元旦の朝、汁物代わりに「天麩羅蕎麦」を出した。

今回、私の人生で初めて楽をしたので、次回も「生寿司」と「オードブル」は外注しようかなと思った。
年を取るに連れて、次第におせち料理を作れなくなるのもやむを得ないなあと思った出来事だった。



       
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「北部ベトナムの旅」(6)

2016年12月08日 | 海外旅行「地中海地域」
≪ルンオン村で昼食に「ベトナム料理」≫

17世紀に建てられたという官僚のコの字型家で「ベトナム料理」の昼食を食べた。
入り口には植物のつるが暖簾の様に垂れていて、イチジクの木には実がなっていた。中庭には大きな味噌ダルが置いてあった。
写真右方の食堂に通されると、テーブルの上に徳利に似た壷が置いてあり、アルコール度数が35度もある食前酒が入っていた。私は酒は飲まないが、その壷に興味が湧き、どこかで売っているなら買いたいと思ったが、出会えなかった。

 



この日の昼食は、比較的美味しかった。縦切りにしてあるキューリには、甘酢っぱいタレをつけて食べた。

 

その後、「ソンタイ城」を見学した。
ここはフランス人「ソンタイ」が、フランス統治下の1802年に建てた軍事的な城だという。
高さ5mで一片が400mもある四方形の壁には、四方に門が造られている。壁は「ラテライト」という特殊な石で造られていた。
私達が行った門の前には、大砲が2つ置かれていた。中には入らなかった。



                

今度は高速道路に1時間半乗り、「ハノイ」に戻った。料金所のボックスで働いている人は女性が大半だった。夏場の高温の時期にここで料金を受け取る仕事は、かなりハードだろうと思った。
「ハノイ」は相変わらず車とバイクで混雑していた。
左右を見ると家の建て方に特徴があり、道路に面した家の間口が狭く、奥行きが長いのだ。聞くと、間口の長さで税金が違うので、こんな建て方が多いのだという。
建築中の高層ビル、道路もあり、ベトナムは今、経済成長しつつあるらしかった。

 

          



 

ガイドの話では、「次第に車が増えて来ているが、トヨタカローラは現地の製造で320万円、日本製なら460万円で、しかも車の消費税は60%もするので、普通の収入(昨年の平均年収は30万円だった)の人は買えない。ハノイのマンションは1000万円もする。貧富の差が大きい。」といって嘆いていた。
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小豆の選別を終えた

2016年10月02日 | 海外旅行「地中海地域」
10月に入って、急に朝夕が冷えるようになって来た。
夏からずっと続いている野菜類の高騰が、今も続いている。
当地では普通サイズの大根が、スーパーではまだ198円で売られている。
私の畑では、じゃが芋を収穫した後に種蒔きをした大根が育って来た。
昨日は畑の大根を5本、初収穫し、近所に1本ずつ差し上げた。

また、小豆を先日から数回に分けて収穫して来て、干し、鞘から出して、虫に食べられた豆などを選別していたが、今朝全て終了した。
9月に入ってから雨降りの日が続いたので、背が低く地面に近いのに無農薬で育てている私の小豆には、虫に食べられたものが多かった。
選別した小豆を紙袋に入れて計量して見たら、1.9kgあった。
先ずは200gほどを圧力鍋で煮て、「汁粉」を作って食べようと思う。

                  
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誕生日のプレゼント

2016年09月18日 | 海外旅行「地中海地域」
昨日、JAの定期預金の「くじ」で当選した品が、宅急便で送られて来た。希望していた「タニタ 活動量計 カロリズム・エクスパート」だ。
(前にも書いたが、JAで年金を受け取り、50万円以上の1年定期預金をしたらくじが付く)
今日が私の誕生日なので、誕生日のプレゼントだと考える事にした。

61歳を前にして「乳癌」を自己発見し、手術と術後治療を受け、60歳でフルタイム勤務の職業を退職後、年金がちゃんと支給されない年月もあったのに、その時していたパートの仕事も辞めて治療に専念した経験をした。
そんな中で「今日、生きられる命の大切さ」を思い知った。
それからは、何時まで生きられるか分からないという不安を抱えながら、治療後の自分の生き甲斐目標を定めて生活して来た年月は、振り返ると本当に貴重な時間と体験だったと思う。
お陰さまで今現在は、病気はまだ、再発・転移する事無く、また新たな年齢の1年がスタートする事になった。
治療をしてくれた「札幌国立がんセンター病院」に感謝すると共に、本当に目出度く嬉しい。

今までは携帯電話の「歩数計」で1日の活動を知る目安にして来たが、今日からはこの僅か重量38gの「活動量計」で、家事、庭仕事、歩行、運動などによる歩数、運動の消費カロリーなどを知る事ができる。
小さな機械だが、太り気味の私の生活改善のパートナーとして、毎日日中、服のポケットに入れて置きたい。
この先何年生きられるか分からないが、誕生日の素敵なプレゼントになった。
          
            
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農園の作業と庭木の処分

2016年09月14日 | 海外旅行「地中海地域」
今日は曇りで最高気温21度。すっかり吹く風も涼しく、秋を感じる。
しかし、まだまだ蚊は吸血に必死だから、決して気を許してはならない。
長袖、長ズボン、首にタオル、園芸用の麦わら帽子、園芸用の手袋、そして長靴履きだ。
玄関で虫除けスプレーを胸と両腕、両足に吹き付けて外に出る。
それでも寄って来る蚊は、見える部分に停まるのを待って、素早く手で叩き潰す。
今日は畑で「大根」の追肥やりと「キャベツ」の土寄せ、それと昨日に続いて「豆類」の片付けなどをした。
昨日はポリエステル手袋とジーンズの上から2箇所刺されたが、今日は一箇所も刺されず、逆に潰した蚊は5匹。私が蚊に勝った。

しかし、残念な事に、天候不順には勝てない。「金時」の実入りがさっぱりだった。
「小豆」は黄色くなったのだけを収穫したが、大分虫に食われている。
「うずら豆」に至っては、先日の台風による長雨の影響か、発芽している。
もっと早く収穫すれば良かったのか。悪天候で、畑に入れなかったのだから、諦めるしかない。
豆類は菓子類や餡の原料だが、道東で生産されている豆類が、低温と台風の影響で不作なら、今年は価格が高騰するかも知れない。

夕刻、前から切りたいと思っていた庭木2本を鋸で切り、枝もバラバラにした。
1つは高さ1.7m程になった「ユスラ梅」の木だ。葡萄の傍に植えていたが、生育するにつれて鬱陶しくなって来たのだ。また、実は美味しいが、ジャム作りが面倒になって来たことも理由だ。
もう1つは、3年前に移植した後、枯れてしまった1.8m程の「プラム」の木だ。
隣に植えているツル薔薇の支えにと思って残して置いたが、処分した。この木は完全に枯れていて、小型の鋸で簡単に切る事ができた。

10月は、個人の家の剪定枝、倒木を市のゴミ焼却場に自分で持参すれば無料で引き取ってくれる。
過日の台風で斜めに倒れた薄紫色の「槿」の根が浅く不安定なので、この際切って春から家の横に溜めてある薔薇の剪定枝と一緒に車で運びたいと思っている。

今日の薔薇と満開の芙蓉である。



  

                
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雨後の庭

2016年09月12日 | 海外旅行「地中海地域」
ようやく昨日から晴れ間が多くなったが、それまでは連続的にやって来た4回の台風のお陰で、連日風雨が続いた。
そんな悪天候の中でも、季節通りに白、桃、赤の「秋明菊」と移植した「芙蓉」が元気だ。
(秋明菊三種類)


 

            

「薔薇」も秋の二番花を咲かせ始めている。
ただし、葉が黄色くなって枯れる黒点病が出て、かなりの葉が落ちてしまった。
折角一生懸命に咲こうと頑張っている薔薇達だが、肥料が切れたらが頑張れないので化成肥料を撒いた、昨日の庭の様子を見て欲しい。

 

   

 

 

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農園の今

2016年08月16日 | 海外旅行「地中海地域」
台風の余波で今日、明日と雨が降るという予報だったので、昨日は、7~8日に「大根」の種蒔きをした農園を見に行った。1箇所に3~4粒蒔いたので発芽していたら間引こうと思っていたが、中には全く発芽していない場所もあった。雨がずっと降っていないからかも知れない。
朝から30度という暑さだったが、既に3~4本発芽していた所は、2本残して間引いた。
降雨の後、発芽していない場所の再確認をし、もし発芽しなければ、新たに種をまくことにしよう。



先日まで、花粉を持つ雄しべの穂だけしか出ていなかった「トウモロコシ」が心配だったが、昨日見たら実が出て来ていた。これなら大丈夫かも。

 

            

9日に苗を植えた「白菜」は、5日経って少し大きくなった。
白菜の傍に植えてある「うずら豆」には、鞘が沢山付いて順調に生育している。

 

ポリポットに種を蒔いてから移植した「キャベツ」は、不揃いだがまあまあという感じだ。
「カボチャ」は、ヘタに白い筋が入り、収穫が近づいて来た。

 

地面が乾燥しているので、早く恵みの雨が来て欲しい。
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ムクゲ(槿)が開花した

2016年08月12日 | 海外旅行「地中海地域」
数日前に「ムクゲ(槿)」が開花して、薔薇が少なくなった庭に彩を与えている。
最初に開花したのはベランダの前に植えている「白いムクゲ」。2日遅れて歩道傍の土塀の上に植えてある「青いムクゲ」が開花した。「白いムクゲ」の方を1~2年早く植えたので、木が大きい。
ぎらぎらと真夏の太陽が照りつける下で2~3日しか咲かない「ムクゲ」の花だが、今年も顔を見せてくれたと懐かしさが強まる。
蕾の数が年々増え、次々と開花している。甘い蜜でも出すのか、毎年蟻が木を上る。

  
以下はウィキペディアで検索した内容。
アオイ科芙蓉属。別名「ハチス」「もくけい」。
花言葉は「信念」「新しい美」(西洋の花言葉は「恋のとりこ」「信念」「信仰」)
韓国の国花(9cの新羅では、自らを槿花郷と呼んでいたらしい)。韓国では「無窮花(ムグンファ)」という。
中国では、「木槿(ムーチン)」、英語では「Rose of Sharon」と言われ、旧約聖書の「シャロンの薔薇」から来ている。
花は一重と八重があり、一重で2~3日、八重で2週間程度開花している。
日本では茶事の生け花に用いられ、また、乾燥した花は皮膚炎、胃腸薬、下痢止めにされるそうだ。



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庭の「クレマチス」

2016年07月24日 | 海外旅行「地中海地域」
庭に現在「クレマチス」は4種類ある。「クレマチス」も薔薇と一緒に植えると、薔薇を引き立ててくれる花の一つだ。
以前は「モンタナ系」が3種類あったが、冬場、残った長いツルを切らずに残すので、管理が面倒だった。それでそのほとんどを始末してしまった。

現在のは3年ほど前から植え始めた「ビチセラ系」「ジャックマニー系」など、秋に強剪定できる品種だ。
秋に伸びた弦を生え際の5~10cm上でカットして強剪定てしまうと冬場の管理が楽だし、春にまた新芽が出て来たら改めて支柱を立てて巻き付けてやればよいから安心だ。
ただ、花が小型な「クレマチス」が多く、庭で自己主張しないので目立たないという欠点はあるが、逆に他の花と馴染み易い所が良い様に思う。

 

赤い薔薇の側にあるのは、残していた「モンタナ系」のすぐ横に「ジャックマニー系」を植えたため、花が混じって咲いている。

      
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市民農園にじゃが芋を植えつける

2016年05月09日 | 海外旅行「地中海地域」
先日、市民農園が開園したが、雨模様の天候が続いていた。
昨日は朝から風が強かったが、思い切って朝7時にじゃが芋を植えに行った。
農園には誰一人来ていなかった。風が強くて、種芋が入っている段ボール箱が飛ばされたり、私もふらついたりしたが、1時間半かけて「キタアカリ」と「男爵」の種芋を計5kg植え付けた。
昨年は「てんとう虫だまし」の幼虫が繁殖して早くに葉や茎が枯れてしまい小芋が多かったので、今年は無事に生育して欲しい。

帰りに駐車場を見ると、砂利の間からタンポポが沢山生えて、黄色い花を咲かせていた。
そのままにして花が綿毛になったら、そこいら中に種が飛んで大変な事になると思い、ホウの角でけずって行った。それに30分かかった。

一番大変なじゃが芋の植え付けが済んだので、先ずホッとして帰宅した。

今朝は風が収まったので、庭に出て写真を撮った。
昨日の風で桜は散ってしまったが、気温が上がって来たので、北国の植物も次々と開花し始めている。

 
(カタクリ)            (口紅水仙)
 
(ハスカップの花~紫色の実がなる) (ユスラ梅の花~赤色の実ができる)
 
(道路側の50cm高さに作った土手の上の様子)  
 
(オキナグサ)          (遅咲きチューリップの蕾)
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「キプロス」「マルタ」の旅(15)

2015年12月14日 | 海外旅行「地中海地域」
≪「キプロス紛争」は今≫

「キプロス紛争」を記憶している人も多いに違いないが、この国はトルコの南90km程の距離にある。そのため古くからトルコ人も住んでいた。
しかし歴史的には、紀元前700~紀元395年には「ビザンチン帝国」の一州だったし、1191年には「イングランド」のリチャード一世が占領したが、翌年には「フランク人王朝」に取って代わった。
1489年には「ヴェネチア」の支配下に入ったが、1571~1878年には「トルコ」が支配した。
1898年には「イギリス」の支配に変わる中で、1955年から独立運動が起こった。
遂に1960年8月16日、「キプロス」は独立を果たした。

しかし1963年には「ギリシャ系」住民と「トルコ系」住民の対立が起こり、国連軍が派遣された。
1974年「トルコ軍」が島の北側を占拠し、翌年、一方的に北部を「トルコ人」の独立国家にすると宣言したのだった。今も国連は認めていない。

私達は2日目にその境界地域を訪れた。
6~7mの高さの土塁が城壁の様に築かれ、「トルコ」の国旗がたなびいていた。
土塁の下には鉄条網が張り巡らされていて、南側のキプロスの人は立ち入れないようになっていた。
曲がり角に紛争の傷跡が生々しい家が、そのまま残っていた。境界に家が建ち並び、道路を車は普通に走っていた。
土塁の上から南側を見下ろしているトルコ人が数人いた。男性グループに下から大声で「写真を撮っていいか。」と聞くと「OK」だという。1枚撮らせてもらった。
正に「旧ベルリンの壁」と同じだった。武力で一方的に領土を占拠してしまう事が現在でも続いていた。
私達は15分程でその場所を離れた。

 
 
 

 

これで長く綴った「キプロス」「マルタ」の旅を終了する。
二つとも地中海の小さな島国だったが、温暖な気候と歴史の古さ、交雑した異文化の混ざり合い、そして戦争と紛争の影が今も色濃く残る印象深い国だった。      (完成)
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「キプロス」「マルタ」の旅(14)

2015年12月13日 | 海外旅行「地中海地域」
≪首都「バレッタ」観光後、帰国の途に≫

いよいよ3泊したこのホテルとも、分かれる日が来た。
スーツケースを整理し、早めの朝食を済ませようと、まだ明け切らない6時45分頃部屋を出た。

最後にロビー前のベランダに写真を撮ろうと出たら、大声で呼ぶ人がいる。
見ると3階のベランダの男性が私に向かって叫んでいた。
私も大声でどうしたのか聞くと、「自分はパキスタン人(多分そう言ったと思った)だが、ベランダに出て戸を閉めたら室内に戻れなくなった。フロントに伝えて欲しい。」と言うのだ。パジャマ1枚で寒そうにしていた。

 

直ぐにフロントに伝えたら、係りの人が笑っていた。彼に伝えたことを言ってからレストランに行った。
部屋に戻ってから確かめると、ベランダのガラス戸の室内側に「締めたら外側からは空けられません」と小さな張り紙がしてあった。彼はそれに気づかなかったのだろう。可笑しかった。

9時に出発となっていたので、朝食後、8時から開くと言うスーパーに出かけた。結構大きな店だったので、「ワインチョコレート」「ナイヤガラの干し葡萄」「チーズ」などを仕入れた。「キプロス」で買った「オリーブ油」「蜂蜜」と合わせると、今回はスーツケースが重くなった。(エミレーツ航空はスーツケースは30kgまで許容される)

ホテル前やフロントは、一層警備が強くなっていた。その中で全ての人のスーツケースをバスに積み込み、ホテルを後にして「バレッタ」に向かった。
前日ガイドが話した通り、徐々に天候が悪くなって来て冷たい風が吹き出し、とうとう雨が降って来た。初めての雨の中、「マルタ島」の最後の2時間程を観光した。

①「アッパーバラッカ ガーデン」奥からの展望

バスを降りて公園を横切り、奥の展望台に行って写真を撮った。
「バレッタ」が1565年にトルコ軍の「大包囲戦」に勝って以来、「聖ヨハネ騎士団長ジャン・パリソ・ドゥ・ラ・ヴァレット」により攻撃から身を守る要塞の町に造り変えられたことが良く分かった。
東西1km南北800m程の首都の中に、「マルタストーン」という蜜色をした石灰岩の建物が300もあるという。その内の多くは公共施設として使われている。
この大砲を使った空砲の実演は、毎日2回行われるそうだ。



          

②結婚式場ともなる「市庁舎」

市庁舎前の大広場では、道路を整備したり、植栽のプランターを置いたり、清掃する大勢の人達がいた。プランターに不審物を隠されないのかなと心配だった。
黒い車が来た。ガイドは「市長さんです。」と言った。
この市庁舎では、申請すれば誰でも結婚式ができるのだそうだ。

       

③「聖ヨハネ大聖堂」

ここは「マルタ騎士団」の「守護聖人ヨハネ」を祀る協会で、1577年に建立された豪華なものだが、丁度工事中だった。
長さ57m、高さ19mあり、床は縁の人達の墓になっていて、墓碑には色大理石が敷き詰められていた。400以上あるというが、中には骸骨を模様にした墓もあった。



 
 

続く建物に「大聖堂美術館」が併設されていた。「カラヴァッジョ」の描いた「聖ヒエロニムス」と「聖ヨハネの斬首」が有名だそうだ。

近くの「騎士団長の宮殿」だったと思うが、2階展示室に入ると1565年の「トルコ大包囲戦」が大型スクリーンに映し出され、「ヴァレッタ」の歴史の一端を伝えていた。(しかしその後、フランスに敗北したり、イギリスの植民地になった事には触れていなかった)

 

その後、大通を散策してヴァレッタ観光は終り、バスで飛行場に向かって、帰国便の塔乗受付に並んだ。
帰りの飛行機は1時間も遅れたが、何の理由も知らされなかった。お陰で「ドバイ」で「成田行き」に乗り継ぐ時間がぎりぎりだった。
疲れたのか「ドバイ」から日本までの8時間は半分以上寝ていた。
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