⑨禁煙について
台湾に着いてホテルに行く前に、バスの中でガイドから喫煙の注意を告げられた。
今では台湾全土で「法律で、屋根がある場所では、全面的な禁煙が義務づけられました。」と言われた。
バス、観光する建物内、飲食店、各種の店、トイレ、ホテル内などの全てだという。違反すれば罰金が課せられるのだ。
「ただし」とガイドは続けた。「ホテルの私室内は誰も見ていないので、窓から煙を出さない状態なら、皆さんの良識にお任せします。」と言った。
私は長い間、職場で受動喫煙に悩まされて来た経験があるが、今回の旅では、嫌な思いをすることは1度も無く、幸いだった。
⑩最南端のガランピ灯台のこと
最南端のガランピ岬に白亜の灯台が立っていた。
この岬周辺には昔からパイワン族という原住民が住んでいた。彼らには首狩の風習があったらしい。
1867年、アメリカの商船が沖合いで座礁し、上陸しようとしたが原住民に襲撃され、助かったのはたった1人の中国人水夫だけだったという。
さらに1871年12月、琉球・宮古島船が嵐で遭難、69人の船員が上陸しようとした時、原住民の襲撃で54人が斬首された事件が起きた。住民に救出された12人が翌年那覇に生還した。
2年後、明治政府は3600人を初めて海外派兵し、パイワン族の首長父子を殺害した。(その時、戦闘による死者12人に対してマラリアなどによる病死者が500人を上回ったらしい)
この後、明治政府は琉球を日本の支配化に置いた。
これらの事件を契機に、イギリス(デザイン)、日本(資金)、アメリカ、中国清政府が協力して、軍隊が駐留するガランピ灯台を作ったのだという。
日清戦争の後始末が行われた1895年の下関条約で、台湾が日本の領土に決まると、駐留していた清軍は灯台を破壊して引き上げたが、1898年、日本が修復。
第2次大戦中は米軍の空襲を受けたが修復されて、高さ21.4mの灯台が維持されているという。
この灯台1つに、実に深い歴史があった。今ではこの岬は台湾八景の一つに選ばれている。
私達が訪れた日は28度と暑かった。傍にみやげ物の出店を出していた人たちを見て、ガイドが「この人達が野蛮人の子孫です。」と囁いた。これには私も驚いた。少なくても今は同じ台湾人なのにと思った。
これで台湾の旅日記を終える。
この旅で、台湾は近く、50年間も日本の植民地だった所なのに、私には今までほとんど知らないことばかりだった事が分かった。また何処でもそうだが、実際に行ってみて、初めて実感できることも多かった。
雪が降る北海道は、台湾人の好きな観光地だが、もし今後、どこかで彼らに出会ったら、「ニーハオ!」位の言葉を掛けたいと思っている。
台湾に着いてホテルに行く前に、バスの中でガイドから喫煙の注意を告げられた。
今では台湾全土で「法律で、屋根がある場所では、全面的な禁煙が義務づけられました。」と言われた。
バス、観光する建物内、飲食店、各種の店、トイレ、ホテル内などの全てだという。違反すれば罰金が課せられるのだ。
「ただし」とガイドは続けた。「ホテルの私室内は誰も見ていないので、窓から煙を出さない状態なら、皆さんの良識にお任せします。」と言った。
私は長い間、職場で受動喫煙に悩まされて来た経験があるが、今回の旅では、嫌な思いをすることは1度も無く、幸いだった。
⑩最南端のガランピ灯台のこと
最南端のガランピ岬に白亜の灯台が立っていた。
この岬周辺には昔からパイワン族という原住民が住んでいた。彼らには首狩の風習があったらしい。
1867年、アメリカの商船が沖合いで座礁し、上陸しようとしたが原住民に襲撃され、助かったのはたった1人の中国人水夫だけだったという。
さらに1871年12月、琉球・宮古島船が嵐で遭難、69人の船員が上陸しようとした時、原住民の襲撃で54人が斬首された事件が起きた。住民に救出された12人が翌年那覇に生還した。
2年後、明治政府は3600人を初めて海外派兵し、パイワン族の首長父子を殺害した。(その時、戦闘による死者12人に対してマラリアなどによる病死者が500人を上回ったらしい)
この後、明治政府は琉球を日本の支配化に置いた。
これらの事件を契機に、イギリス(デザイン)、日本(資金)、アメリカ、中国清政府が協力して、軍隊が駐留するガランピ灯台を作ったのだという。
日清戦争の後始末が行われた1895年の下関条約で、台湾が日本の領土に決まると、駐留していた清軍は灯台を破壊して引き上げたが、1898年、日本が修復。
第2次大戦中は米軍の空襲を受けたが修復されて、高さ21.4mの灯台が維持されているという。
この灯台1つに、実に深い歴史があった。今ではこの岬は台湾八景の一つに選ばれている。
私達が訪れた日は28度と暑かった。傍にみやげ物の出店を出していた人たちを見て、ガイドが「この人達が野蛮人の子孫です。」と囁いた。これには私も驚いた。少なくても今は同じ台湾人なのにと思った。
これで台湾の旅日記を終える。
この旅で、台湾は近く、50年間も日本の植民地だった所なのに、私には今までほとんど知らないことばかりだった事が分かった。また何処でもそうだが、実際に行ってみて、初めて実感できることも多かった。
雪が降る北海道は、台湾人の好きな観光地だが、もし今後、どこかで彼らに出会ったら、「ニーハオ!」位の言葉を掛けたいと思っている。