花好き・旅好き女性のセカンドライフ

通院しつつ、夏場半年間はガーデニングと家庭菜園で汗を流し、その合間に外国旅行を楽しむリタイヤ女性の生活日記

海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(11)

2016年04月29日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪「ニューヨーク」市内観光≫(2)

②「国際連合本部」
この建物がある場所はミッドタウンの東端、「イースト川」の傍にある。
ツアーバスは、最初北に向って走り、やがて「イースト川」に沿ったルーズベルト・ドライブに出た。途中「ウイリアムズバーグ・ブリッジ」を右に見ながら川沿いを「国連本部」に向った。バスから降りて、写真を写しただけだった。

 

 
「国際連合」は第二次世界大戦終了後の1945年10月24日に発足したが、本部を何処に置くか議論があった。
結局1946年2月にロンドンで行われた第1回国連総会で、ニューヨークに設置すると決議された。1947年11月に建設場所が承認され、1952年に全ての建物が完成した。
「国連総会ビル」「ハマーショルド図書館」「会議場ビル」と、39階153.9mある高層ビルは「事務局ビル」で、4つの建物からなっている。
国連の加盟国は2016年1月現在は193カ国。主権を持つ国が承認を得て加盟できる。
国連には、今こそ世界の課題に立ち向かい、平和と人類の発展に努力してもらいたいが、拒否権を持つ大国が、審議決定を阻む結果、前に進めない事が課題となっている。
国旗掲揚塔には加盟国の国旗がアルファベット順に掲げられる。この日は日曜日だったので、国旗が無かったのかも。

    

③「セントラル・パーク」
南北4km、東西0.8kmの「セントラル・パーク」には多数の入り口があるが、私達は東側ほぼ中央の入り口から中に入った。
良く知られている芝生の広場とは違って「不思議の国のアリス像」や「アンデルセン像」があり、リスも生息している自然溢れる地域だった。



 

           



           

この後、「アメリカンレストラン」に行ってエビフライとポテトチップスの昼食を食べた。美味しかったが、量が多過ぎた。
また、写真の通り、雑誌か新聞紙を油取りの敷き紙に使うなど、不潔すぎて日本ではあり得ないと思った。(誰が手で触れたか分からないし、揚げ油で溶けた印刷インクが揚げ物に付く心配がある。印刷インクは食べられないと思うのだが…)

             
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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(10)

2016年04月29日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪「ニューヨーク」市内観光≫(1)
「ワシントンD.C」から「ニューヨーク」に戻って泊まったホテルには、3連泊した。
4日目は朝8時にホテルを出て、午前中、市内観光をした。

①「グラウンドゼロ 9.11メモリアル」とその周辺
バスで最初に着いた場所がここだった。2001年にテロによりツインタワーが崩壊した場所のその後を、是非自分の目で確かめたいと思っていたので、訪れる事ができて良かった。
ツインタワー以外に3つのビルが倒れたが、ツインタワーの跡地には「グラウンドゼロ 9.11メモリアル」が造られていた。2つの大きい四角形の池で、周りにはスワンプホワイト・オークが植樹されていて、静かな慰霊の場になっていた。
背が高い木があったが、多分テロの惨状を見つめた木かも知れないと思った。
池の淵には9.11の多くの犠牲者の名が刻まれていて、日本人の名前もあった。地下に「9.11メモリアル」の展示会場もあるという。
あの日、ハイジャックされた4機の飛行機に搭乗していた人は246人、ワールド・トレードセンターの崩壊で亡くなった人は2602人、ペンタゴンの攻撃の犠牲者は125人の計2973人に登り、テロ実行者を除く市民の犠牲者では2749人だという。
改めて世界中からおぞましく卑劣なテロが早くなくなり、安全で平和な世界が訪れるよう、願わずにはいられなかった。

 

             

鳥が羽ばたいている様にデザインされている箇所は、「メモリアル」の傍の地下鉄の出入り口だ。
早朝から警備員が数人巡回していた。その一人に声をかけて写真を撮らせてもらった。

   

                
周辺は高層ビルに取り囲まれていて、その間から一昨年完成した高さ541mの「ワンワ-ルド・トレードセンタ-」が見えた。ここの100~102階は展望台として公開されている。



 

トイレ休憩で案内された近くの「ワールド・フィナンシャルセンター」ビルの内部には、背が高い椰子の木が植えられていた。「ウインター・ガーデン」と言われているそうだが、コンクリートに囲まれた場所では自然の緑が何よりの癒やしになるからだろう。

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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(9)

2016年04月28日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪「ワシントンD.C」市内観光≫(3)

⑤「ナショナル・ギャラリー(国立絵画館)」
「ワシントンD.C」の美術館は、13世紀から現代までの西洋美術の絵画、彫刻を13万点以上展示している美術館である。自由行動時間が2時間半程あったので、ここを中心に見る事にした。
ガイドブックによると、展示品は市民から寄贈されたものか、または市民の寄付金で購入したものだという。何と凄い事だろうか。
「レンブラント」は多くの自画像を残しているが、この作品を描く前に3人の子どもと妻を亡くし、自己破産しているという。そんな落ちぶれ、寂しい自分を表現したと言われている。
「レオナルド・ダ・ビンチ」の作品は、ヨーロッパ以外ではここにしかない貴重な一点だそうで、周りにはロープが張られ、解説者が説明をしている所だった。
全て、フラッシュ無しなら撮影が認められていた。



 

 
(レンブラント作「自画像」)(レオナルド・ダ・ビンチ作「ジネブラ・デ・ベンチの肖像」)


(サー・ピーター・ポール・ルーベンス作「二頭立て馬車の転倒」)

 
(エル・グレコ作「聖マルチナと聖アグネスといるマドンナと子ども」)(グロバンニ・パオロ・パニーニ作「ローマのパンテオン内部」)

 
(ラファエロ作「アルバのマドンナ」)  (ラファエロ作「小さなカウパーのマドンナ」)

「ワシントンD.C」の市内観光を十分に楽しんだ後バスに乗り、「ニューヨーク」まで約5時間走った。バスの中では疲れて寝てしまった。
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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(8)

2016年04月27日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪「ワシントンD.C」市内観光≫(2)

④「スミソニアン航空宇宙博物館」
「人類の知識の普及と向上を図ること」を目的にして1846年に「スミソニアン協会」が創設され、「モール」だけでも9つの博物館と美術館を持ち、それ以外に8つの博物館と美術館を有している。
今回私達は、先ず「スミソニアン航空宇宙博物館」を見学した。
近代、人間が鳥の様に空を飛びたいという夢を抱いて以来、実現させて来た夢は今では宇宙にまで広がった。
実物を展示してその歴史を体感させてくれる場所だった。
中には日本の「ゼロ戦」もあり、興味深かった。
数機の戦闘機、偵察機も展示されていて、戦争が航空機の開発技術を向上させた事が分かる。また、宇宙ロケットの開発技術も同じ様に競争の上に発展したのだ。「月の石」に触れられるコーナーもあった。
沢山の実物が展示されていたが、数枚の写真しか撮って来なかった。


(ボーイング247-D)
木材会社から発展して航空産業に参入したボーイング社が、1933年開発した全金属製双発機。

               
               (アポロ・ソユーズテスト計画の飛行船)
1975年、アメリカのアポロと旧ソ連のソユーズはドッキングして二国の宇宙飛行士が共同研究をした事を再現している。

 
(ソユーズTM-10)
日本人飛行士「秋山豊寛」氏は、1990年12月、世界初の有償宇宙飛行客として、ソビエトのソユーズTM-11に搭乗して宇宙ステーション・ミールに8日間滞在後、この宇宙船で帰還した。漢字で名前が記されている。
                  
                
                 (三菱零式艦上戦闘機52型AM5)
第二次大戦中、1万機が生産されたという。色々な型があるが、これは迎撃戦闘機。出現当時は世界最高度の性能と言われたが、防弾装置がなかったらしい。


(ライアンNYP「スピリット・オブ・セントルイス」)
1927年5月、無名パイロット、チャールズ・リンドバーグが世界初の大西洋単独無着陸横断飛行に成功した飛行機。窓をなくしてガソリンを積んだ。
          
           (海上輸送船?)

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我が家の庭にも春が来た

2016年04月26日 | ガーデニング
3月27日に庭に残っていた雪が溶けて全てなくなってから1ヶ月が経った。
その間、「水仙」「ヒヤシンス」などの球根類や「プリムラ」などが発芽して来て数日前からようやく開花し、庭に彩りが戻った。
今朝6時の気温は6.8℃で肌寒く、小雨が少しぱらついた中で写真を撮った。(室温は16.5℃なので、今朝も暖房を入れている)



 
         
 

薔薇は新芽が出始めた木もあるが、まだ眠りから覚めてない木もある。

 

昨年苗を買って植えた青色の「プリムラ」が少し増えた。どんな花色にも合う色なので大切に増やそうと思っている。
また、数年前に植えた「ギガンジューム(葱ぼうず)」も元気に葉を出した。

 

昨秋、「水仙」の球根を除去した場所に「ニンニク」を植えて置いたが、どうやら残っていた「水仙」があったらしい。
写真の左側は、狭いが「アスパラガス」を植えてある。後方の木は、「ハスカップ」の木だ。
家の東側、ぶどう棚の下に植えてある「クリスマスローズ」がうつむいてひっそりと咲いている。
(背後にある木は「ユスラ梅」だ)

  

庭の面積の1/4程度が菜園だが、5月になったら種を蒔いたり苗を植えたりしたいと、先日、スコップで起こして苦土石灰を撒いて置いた。
市民農園が5月に入ったら開園するので、それに合わせて「じゃが芋の種芋」を購入しようと思っている。
(家は住宅街にあるので、この写真は南側の歩道から撮った。
「水仙」の手前の「薔薇」は新芽を出しているが、葉になるのはこれからだ)

     
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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(7)

2016年04月25日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪「ワシントンD.C」市内観光≫(1)

「ワシントンD.C」は、全米で唯一の特別行政区なので、州には属していない。
「D.C」は「District of Columbia」の頭文字で「コロンビア特別行政区」のことで、建国の父と言われる初代大統領ワシントンとアメリカ大陸の発見者コロンブスの二人の名を含んだ名前となっているのだ。
「ワシントンD.C」の設計者は、フランス人技師「ピエール・シャルル・ランファン」で、公園を中心にデザインされた町だ。
その最大の公園が東西に長い広大な3.5km×400mの緑地帯「モール」で、その西側に「リンカーン記念塔」があり、ほぼ中央に「ワシントン記念塔」が聳え、東側に中に「国立自然史博物館」や「ナショナルギャラリー」「スミソニアン キャッスル」などの一大展示場が建てられている。
そして「モール」の東側には「国会議事堂」「最高裁判所」がある。
「ホワイトハウス」は、「モール」のほぼ中央に立つ「ワシントン記念塔」の約700m北にある。
ツアーのバスは、ほぼその全体を回ってくれた。

ガイドブックによると、「ワシントンD.C」の人口は全体で586万人で、首都圏にはその11%が住んでいる。人口の50%がアフリカ系民族で、白人は43.4%だという。
緯度は仙台に近いと聞いたが、観光した日は曇りで冷たい小雨が降っていた。

①「リンカーン記念堂」
先ず「リンカーン記念堂」に行った。
ここは「人民の人民による人民のための政治」を訴えた第16代大統領の「エイブラハム・リンカーン」が、1865年4月14日に凶弾に倒れた後、1922年に建立された。
記念堂の36本の柱は、当時の州の数である。
大きな大理石の座像の高さは、つま先から頭まで5.8mあり、後部に「リンカーンの名声は……この神殿に永遠に秘められる」と書かれている。
キング牧師が20万人の聴衆に向けて演説した事もあり、差別撤廃を目指し、自由と平等を実現するためのシンボルとなっているという。


            
記念堂の階段の上から東側を見ると、950m程向こうに「ワシントン記念塔」が聳える「モール」が見渡せた。


②「ホワイトハウス」
大統領公邸で塀で囲まれていて中には入れないが、大勢の人達が見学に来ていた。公邸までは250m位の距離がありそうに見えた。
(2001年のテロ事件後は、国会議員の紹介無しでは見学できない)
公邸は地上3階、地下3階で部屋は132あり、大統領執務室、閣議室、記者会見室、大統領夫人執務室などがある。また地下には核シェルターも装備されているという。

          

③「国会議事堂」と「ポトマック川」周辺の桜並木
         
ワシントンの桜並木は、日本が贈った木として有名だ。明治時代の終りに、アメリカ大統領夫人ヘレン・タフトの要請を受けて、当時東京市長だった尾崎行雄が1910年、2000本の桜の苗木を贈ったのが始まりと言う。
しかし残念にもその大半が虫害で枯死した。そのため1912年、改めて3000本が贈られて「リンカーン記念堂」の背部を流れる「ポトマック川」河畔に植えられ今に至っている。
そして毎年、桜祭りが開かれているという。
私が訪れた4月9日には大半が葉桜になっていたが、まだ花を付けている木もあった。少し誇らしい気分になった。


            



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ゆで卵は半熟が好き

2016年04月23日 | 医療・健康問題・食生活
お題「ゆで卵は半熟派?固ゆで派?」に参加中!
調理に使う時は、目的に沿ったゆで方になるが、普段、ゆで卵にして食べる時は半熟にする。
半熟にするので、比較的新鮮な卵を使う様にしている。

私のゆで方は、鍋の水には少量の塩と酢を入れて、殻にひび割れができても内容物が出難くする。
卵は冷蔵庫から出して20分程室温に置く。
鍋の水が高温過ぎると殻にヒビが入りやすいと聞いたので、ぬるくしてから静かに卵を入れ、加熱して湯が沸騰したら弱火にし、7分経ったら消火して水につけて冷ます。
この時、水を1~2度取り替える方が冷め易く、殻が剥きやすくなる様だ。
                  
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パソコン眼鏡を買う

2016年04月23日 | 高齢期の生活
先の旅行で添乗員だったJ氏から、パソコン専用眼鏡が結構良いという話を聞いたので、帰国後、早速眼鏡店に行き、購入した。
実は2年前に目が乾燥し疲れやすいので眼科に行った時に、「パソコンを3~4時間する事が多いので、パソコン用の眼鏡を使用するのはどうなのだろうか。」と相談して見た。
医者の返事は、「大して効果は無い。」というものだった。

実際に使い出して1週間経つが、目の疲れがかなり軽減したように感じる。
寝る直前までパソコンに向かっていても、前よりは寝つきが良くなった様に思う。
レンズの色は薄い茶色だ。
車運転時や外出時、TVを見る時は、遠視、乱視、近視の度入りの眼鏡を掛けているが、パソコン使用時は掛けていなかったので、この眼鏡には度は入れなかった。
比較的安い眼鏡一つで、この先も目が疲れ難くなるなら嬉しい限りだ。

                
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伯母が転倒

2016年04月23日 | 高齢期の生活
18日、夕食を食べていたら老健施設から電話がかかって来た。
「先ほど部屋で転倒して、高頭部が腫れているので病院に連れて行きたい。」という内容だった。
「夕方で丁度診察時刻を過ぎているため、市内の病院は診てもらえないので、隣接する市の病院に行きたい。」という。
私が連れて行くと言ったが、「車椅子を乗せれる介護タクシーを呼んで、看護師が付き添いをするので任せて欲しい。」と言われたのでお願いした。
(介護タクシー利用代と病院の検査料は、自己負担になる)

7時過ぎに看護師から電話が来て、「CTを撮ったが、異常は無かった。」と報告されて一安心した。

翌朝、施設に行った。施設では数日前からインフルエンザが流行しているため、伯母の部屋に行く事ができない。
昨日引率してくれた看護師が、車椅子を押して私が待つ玄関ホールに伯母を連れて来てくれた。

伯母に聞くと、夕方になったのでカーテンを閉めようとしていたら、突然、壁や床が目の前に迫って来た。
気がついて自分で起きてベッドサイドの緊急ベルを鳴らしたのだという。
立ちくらみか目まいだったのだろうか。もう、腫れは引いていた。何とも無くて本当に良かった。
それにしても、96歳で脳に異常が無かったなんて、改めて伯母は凄い人だと思った。
これからカーテンは、ヘルパーさんに閉めてもらうように話した。

伯母の年を考えれば、何時何が起きても不思議ではないから、心構えだけはして置きたいと思った。
インフルエンザが収束して、数日後、家族の訪問ができるようになったら、真っ先に伯母の顔を見に行きたいと思っている。
                           

                      
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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(6)

2016年04月22日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪「ボルチモア」市内観光≫

やがてバスが「ボルチモア」に着いた。
「ボルチモア」はワシントンDCの北東64kmに位置するメリーランド州最大の港町で、歴史的には「北米大陸で最初の鉄道」が誕生した地でもある。
また、「アメリカ国歌」が生まれた場所として、さらには野球界のヒーロー「ベーブ・ルース」の輩出地としても知られている。
バスは最初に「インナーハーバー」に止まった。

①「インナーハーバー」
有名な書店が建っていた。無料トイレに案内されたので使った。
その後自由行動だったが、風が強く寒かったので、ちょっと港に行って見たり、書店を覗いて見たりした。珍しいデザインの葉書やカードが沢山売られていたが、高額で買えなかった。
「世界貿易センタービル(トップ・オブ・ザ・ワールド)」は珍しい五角形の建物で、高さが131mあるという。展望台があるらしいが、写真を撮っただけだった。



 



②「ベーブ・ルース像」
私は野球にはあまり関心がないが、彼の名は知っていた。
資料によると1895年にボルチモアの西カムデンで生まれ、ヤンチャな少年に育ったが、問題児が多い工業学校に入学後ある修道士と出会い、野球の道に進む事になったという。
メジャーリーグのホームラン王として記録を塗り替えながら「ヤンキース」を強くした打者。40歳で現役から退くまで714本のホームランを打つ偉業を達成した。
しかし喉頭がんのため1948年、53歳で死去したという。像の台座には「ベイブズ ドリーム」と書かれていた。
         

観光後、「ワシントン」で夕食の「中華料理」を食べてからホテルに向った。夕食は品数も多く、美味しかった。

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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(5)

2016年04月21日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪「フィラデルフィア」市内観光≫(3)

⑥「エルフレス小径」
1713年から1836年に建設されたアメリカ最古の家々が建ち並び、保存されている狭い地区だ。今も住んでいる人々がいるらしい。窓に日本の「招き猫」の置物を置いた家があった。
 

 

         

この場所の観光を終え、バスに乗って南西にある「ボルチモア」に向った。

≪「ボルチモア」観光≫
①「フードコートで自由食」
バスが1時間20分程走った所で、昼食のために「ボルチモア」の手前の町の「フードコート」があるショッピングモールに立ち寄った。
日本と同様、様々な軽食店やアイスクリーム店、コーヒー店などが入っている二階では、大勢の人達がランチ休憩をしていた。私達もそれぞれ自由食を食べ、休憩した。

 

②「ビラノバ大学」の男子バスケットボール部、全米大学選手権優勝パレードに遭遇
昼食を終えてバスに乗ろうとしたら、大通りが人で溢れていた。
何でもこの小さな町の大学のバスケットボール部が、4月5日にヒューストンで行われた全米大学選手権決勝でノースカロナイナ大を77-74で破り、1985年以来31年ぶり、2度目の優勝を果たしたので、その祝賀パレードがこれから始る所だという。
道の両側にはお祝いに駆けつけた人々の人垣が何重にもできていて前に行く事ができない。それで私はカメラを高く持ち上げ、観衆の頭越しに適当に写真を撮って見た。何やら写っていたので熱気が伝わるかも知れないと思い、ここに掲載する。
夢中で写真を撮っていたら、一時ツアーの人達とはぐれてしまった。迷子になったか?と急に不安になったが、合流できてホッとした。



 



             





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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(4)

2016年04月20日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪「フィラデルフィア」市内観光≫(2)

③「独立記念館」
この建物は1749年にペンシルベニア州の議会議事堂として建てられたが、イギリス植民地だった1776年7月4日に13州の代表者が集い、「トーマス・ジェファーソン」が起草した「アメリカ独立宣言」に署名し、力を合わせて独立を勝取ることを誓い合った場所でもある。
1787年には、ここで「アメリカ合衆国憲法」が制定されている。
また、フィラデルフィアがアメリカの首都となった1790年からの10年間は、アメリカの「議会議事堂」として使われた。2階は「元老院」が、1階は「代議員」が使った事から、「上院」「下院」と言われ出したという。
250年以上経つ比較的小さい建物だが、内部は当時のままに保存されていて、1979年、ユネスコの世界遺産に登録された。



         



         

④「リバティベル・センター」
ここには1776年の「アメリカ独立宣言」の時に鳴らされた大きな鐘が保存されていて、大勢の観光客で溢れていた。
鐘には亀裂が入り、今は鳴らされる事は無いが「自由と平等」のシンボルとなっている。中に入り当時を説明する10分間程のビデオ上映を見た。

 

         

⑤「ベッツィ・ロスの家」
アメリカの星条旗を最初に縫い上げた女性が住んでいた家だそうで、当時としてはしっかりした感じの2階建ての家だった。
当時は13州しかなかったが、現在はハワイ州を入れた50州になり、州を表す星の数が増え、デザインも27代目だそうだ。
資料によると国旗の赤は「勇気」、白は「真実」、青は「正義」、縞模様は「独立当時の13の入植地」、星は「州の数」である。

 
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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(3)

2016年04月19日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪「フィラデルフィア」市内観光≫(1)

有名ホテルだったが、暖房機の騒音で2時過ぎに目が覚めた。
友人と6時半にはレストランに行って朝食を採った。友人はヨーグルトやコーヒーを採ったが、私は旅行中は腸を刺激するヨーグルトなどは避け、この日も飲み物は紅茶を頼んだ。食品や料理の種類が多かったが、ベーグルと果物中心の朝食にした。ベーグルが美味しかった。
9時にバスが出るので玄関前に出たら、桜が満開だった。

        
①「フィラデルフィア美術館」
10分程でバスは「フィラデルフィア」に着き、最初に「フィラデルフィア美術館」を訪れた。
と言っても中には入らず、映画「ロッキー」で主人公がトレーニングする場面に使われた美術館前の「ロッキー階段」を登り、上から広大な街を眺め、階段下に置かれている「ロッキーの銅像」を見学した。
この美術館の所蔵作品は、セザンヌの「大水浴」、ゴッホの「ひまわり」など馴染みがある作品が多いらしいので、またいつか訪れたいと思った。

 

        



②「フィラデルフィア市庁舎」 
この日は曇っていて気温が低く寒かった。「市庁舎」はツアーバスの中から見て、写真に収めた。
建物は豪華で、タワーは高さが167mもある。タワーに上れるそうだが、それも今後再訪する機会があれば登りたい。その頂きにフィラデルフィアの建設に貢献した「ウイリアム・ペン」の像があるが、高過ぎてバスからは良く見えなかった。
資料によると「ウイリアム・ペン」(1644.10.14~1718.7.30)は、イギリスの植民地だった今のアメリカ合衆国のニュージャージーの西部と南部を、1681年に「チャールズ二世」から借金の変わりに父親が得た後、「フィラデルフィア市」を建設した人である。

 

        
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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(2)

2016年04月17日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪九州地方で起きている大地震の被災者の皆さんへ≫
この度の熊本県を中心とした地震の被害で被災を受けた皆さんに、心からお見舞いを申し上げます。
TVニュースを見ながら、予期せずに亡くなられた多くの方達の無念さに思いを馳せています。
活断層が沢山走っている日本列島に住む私たちは、何処でも何時被害を受けるか分からないなと改めて思います。
この先もまだまだ余震が続きそうなので、安心して住める家を失った被災地の方達の不安と生活の困難さは如何程でしょうか。
これ以上、被害が広がらないようにと願うばかりですが、自然のエネルギーは予想ができない切なさがあります。
政府が先頭になり、今後、救済と復興が進むように願うばかりです。

≪「成田空港」から「ニューヨーク」へ。その後「フィラデルフィア」へ≫

1日目、飛行機は成田国際空港から16;40に飛び立った。日本との時差は-13時間なので、機内で腕時計を直した。機内食は2回出た。機内では日本映画「はなちゃんのみそ汁」を鑑賞した。
座席の前のTV画面には、飛行ルートが写る。それを写真に撮った。
太平洋にある日付変更線を越え、5大湖を斜めに横切って13時間後の16;50、ニューヨーク「J・F・ケネディ国際空港」に着陸した。日付変更線を越えたので、日付は変わらなかった。



    
ニューヨークの気温は14℃だった。

到着後、専用バスで「ブルックリン地区」を通り抜け、「ハドソン河」にかかる鉄橋を渡り、「ニューアーク・リバティ国際空港」に近い「フィラデルフィア」のホテルに2時間後に着いた。
スピードがあるバスの中から「ブルックリン地区」の建ち並ぶアパート、梨の白い花が咲く街路樹、スケートボードに乗っている青年などを写した。

          



          



「ハドソン河」の大橋を渡る頃は、日が沈み出した。川岸に貨物ターミナルがある様だった。



          

最初のホテルの7階の部屋は広く、ベッドもアメリカサイズで大きいが私にはかなり高さが高過ぎた。また暖房が入る度に大きい音がして、朝まで熟睡できなかった。

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海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(1)

2016年04月14日 | 海外旅行「北アメリカ」
≪友人と行って来た≫

今回は4月7日早朝6時に家を出、午後16時40分発のANAで「ニューヨーク」に向った。
13日夜21時に帰国したが、その時間では新千歳に向う飛行機が無いので成田で後泊し、本日14日の10時の航空機で昼に帰宅した。

一緒に出かけた友人は、札幌の自宅から札幌駅6時発のJRに乗るのが難しいと言って、前日の夕方我が家に来て前泊したから、私よりも1日多い日程となった。(そのために私は、かの女の夕食の支度やら家の掃除などで、普段の出発時よりも働いた。お陰さまで余ったお菜をタッパーに詰めて持参し、出発当日の食事に間に合わせることができた)

アメリカ東海岸は、日本からは航空機で13時間以上かかるので、昔の狭いエコノミー席ならやり切れなかったが、今回乗ったANAの直行便は座席がゆったりしていて快適だった。
おまけに特に帰路の便は、たまたま25%しか乗客がいなかったので、足を伸ばしてしっかり寝ることができ、ラッキーだった。

私の今回の目的は、以前に行った時には見られなかった世界一の美術館「メトロポリタン美術館」を見ることだった。たっぷり4時間も鑑賞できた。
また、自由行動の半日は、地下鉄で「自然史博物館」に行って古代の恐竜の化石などの展示を堪能することができた。

事前にネットで天候予想を調べて行ったのだが、実際は花冷えの1週間で、ワシントンに行っていた日はみぞれが降り、気温は6~7℃ではないだろうかと思った程寒かった。
それで実は自宅から着て行った1枚のセーターを、数日間着続けた。上に薄いコートを着ていたので、下に何を着ているか分からなかったのが幸いだった。
あちこちにチューリップや水仙、梨の花が咲いていたが、桜は最盛期を過ぎていた。



             

ホテルは大概部屋が14畳程ある広さでベッドも大きくゆったりと過す事ができたが、あるホテルの傍には全く店らしきものが無かったにも拘わらず、7回もの食事が自由食だったので、はっきり言って大変だった。
旅行会社は表向きの費用を減らすために食事をカットしたのだろうが、参加者にとってはツアーのメリットが大きく失われる結果となった。
最終日はホテルを9時に出発するのにも拘わらず、自由食。レストランの朝食は2200円した。

そこで私達は、炊飯も湯沸しもできる「旅行用電気コンロ」と米を1合ずつ小分けにして持参した。また、家にあった魚介類の缶詰数缶、ふりかけ、のりなどを鞄に詰めて行き、2~3回は早朝にお握りを作るなどして凌いだ。
スーパーに行った時に「ミニトマト」や「キューリ」も買ったが、時期的なためか余り美味しくなかった。

そして極めつけは、アメリカの物価の高さだった。平均して日本の3~4倍の価格だったので私は手が出なかった。それで今回はほとんど物を買わなかった。
写真のオレンジジュースは、1.5L入りがスーパーで4.99ドル(620円)だったし、ミネラルウオーター0.5L入りのペットボトルは3.8ドル(456円)もした。空港内の軽食店では何も挟まっていない「ベーグル」1個が、340円程したし、日本なら1個150円程のチョコレートが400円以上だった。
現地ガイドの話では、ニューヨークでワンルームマンションを借りるのには、月50万円の家賃がかかるそうで、余程の収入がなければ暮らせ無いそうだ。それで自分は交通機関で2時間半かかる場所に住み、仕事があると早朝に家を出てやって来るのだと話していた。
ホームレスも数人見かけた。経済格差は日本よりもひどいのかも知れないと思った。

車が多く走るマンハッタンには、大小の屋台が並んでいた。しかもバスから見ていたら、古く低い建物の奥で昔ながらの個人経営の商店や町工場が経営を続けているようなのにも驚いた。日本ならとっくにシャッターを下ろしてしまう様に見えた商店が、何故続けて行けるのかを知りたいと思った。

これから疲れを取りながら、旅日記を少しずつ書こうと思う。

 





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