限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第173回目)『グローバルリテラシー・リベラルアーツ・教養(その4)』

2012-07-29 20:08:42 | 日記
世の中では、教養というとは人格の陶冶(人格形成)、俗に『修養』、と捉えられていることが多い。つまり教養が身に付くと立派な人になれる、というのである。これは、前々回に紹介した欧米の教養の定義には含まれていないので、どうやら日本独特の教養の捉え方であるようだ。

私は教養を『修養』として学ぶことには賛同しない。

なぜなら、人間を磨くのが目的なら、何も学問や芸術などに頼る必要はないからである。『畳の上の水練』という言葉が示すように、実践を伴わない知識は役立たない。つまり、本の知識だけで人の品性が向上することはない。ただ、教養を磨く過程で過去・現代問わず、世の中の凄い人々のことを知るので、自ずと自分の未熟さや小ささを知ることはある。その結果、多少なりとも謙虚になる可能性は考えられる。しかし、これはあくまでも随伴現象(by-product)であって、いつもいつもそうなる訳ではない。

教養が修養に直結しないことを示すのは簡単だ。例えば通俗的にはシェークスピアの文句を諳んじることのできる人は教養のある人だ、と考えられているから、シェークスピア劇の役者は皆、人格者でなければならないが、本当にそうだろうか?また画家、書家、茶道家も同様に、通俗的には教養人とみなされるから、彼らもまた人格者でなければならない。しかし、画壇や書道界がどれほど醜いかは、ここで述べるまでもないであろう。

通俗な教養人だけでなく、本格的な教養人も人格の点では疑問符がつく。

先日亡くなった文芸評論家の谷沢永一氏は鋭い視点ときりりと引き締まった文章をものにした人で、博学であると同時に多作でもあった。著作の一冊に『文豪たちの大喧嘩』という本がある。これは鴎外、逍遥、樗牛の明治の大文豪たちが、お互いに啓発しようという高邁な理想のためでなく、いかに相手に大恥をかかせ文壇から引きずりおろすために腐心したかという権謀術数の舞台裏を克明に記す。『ほんま、人間ちゅうのは、なまじっか教養があると、恐ろしいでんな』という氏のつぶやきが聞こえてくるようだ。

公平を期すために言っておきたいが、別に教養人に限らず、こういった陰険さは宗教人も同じだ。崇高な神の教え説いているはずのキリスト教徒、イスラム教徒、仏教徒が過去(そして現在もなお)、いかに多くの無知な人々の弱みを利用し、なけなしの金を浄財と言って巻き上げていることか!

更にいえば、教養のレベルだけでなく、文明の発達度合いも品性とは無関係だと私は思っていることは下記のブログでも述べておいた通りだ。

【参照ブログ】
 百論簇出:(第4回目)『南米先住民の高潔な人格』
 【2011年度授業】『国際人のグロ-バル・リテラシ-(14)』



この『教養=人格形成』がどのように成立したかを振り返ってみよう。

日本においては伝統的に -- 特に大正時代の教養至上主義の時代には -- 教養とは、主として小説を読み、西洋哲学を論じることであった。こういった行為を通して教養が身に付き、その結果、品性が向上すると考えられていた。とりわけ、教養主義を主導した人たちに哲学者が多かったため、学生の誰もかれもが、実体のつかめない抽象語だらけの難解な哲学書に取り組んだ。それはあたかも、砂利だらけの不毛の大地を黙々と耕してはいるが一向に作物が育たないようなものだった。努力すればするほど絶望的な徒労感にさいなまれ、ノイローゼになる。しかし教養を競っていた彼らは自己の内面の空虚さをごまかすために、むやみと虚勢をはり、元の本よりも一層空疎な文章を死屍累々と積み重ねていった。

【参照ブログ】
 百論簇出:(第92回目)『稀代の幻学者、西田幾多郎(その4)』

この結果、教養とは学生時代に誰もが一度はかからなければいけない麻疹(はしか)のような通過儀式であった。それゆえ、一旦学業を終えて社会に出るとだれもが教養のことなどきれいさっぱりと忘れてしまった。つまり、教養とは学生時代の僅か数年間のあだ花に過ぎなかったのだ。社会人になってからは、自分は教養人であるとの虚栄心から、舶来の事物は何であれ崇拝し、鑑賞することが教養を高めることだとの独善的な考えに陥った。その上、そういった身分にいる自分は他者を見下す権利があると思い込み、世間一般のいわゆる『非教養人』に対して傲慢な態度をとるようになった。近代日本における、この伝統的な教養人意識が今なお『教養』や『哲学』という単語にうす暗い亡霊のように付きまとっているように私には感じられる。

しかしこの事象は、なにも大正時代の教養至上主義にだけ責任があるわけではない。それはもっと深く日本人の行動規範が西欧起源の『教養』や『哲学』とは、本来的に折り合いが悪いからだ。宗教や思想が社会に対して大きな影響を与え、人々に行動指針を提示する、というのはヨーロッパ、中東、インド、南アジアなど、思弁的な民族には納得できる考えかもしれないが、日本人にはそうではない、と私は考える。それと言うのも、日本の歴史を振り返ると、厳しい戒律を求める仏教や、盲目的な追従を求める朱子学、神の言葉を絶対視するキリスト教など、一時的な流行はあっても日本人本来の体質に合わないので、本当の信者は少かったし、長続きもしなかった。結局、日本に入ってきた外来の宗教や思想は日本人の行動様式を根本的に変えるまではいかなかった。

これは、ヨーロッパ社会や東南アジア社会と比較すると納得できる。ヨーロッパの大部分は本来は(紀元前の時代)自然崇拝(animism)をベースとした多神教であった。しかしヨーロッパとは異質の文化圏であるユダヤ民族から派生したキリスト教が完全にヨーロッパ全土の行動様式を根本から変えてしまった。そして変わってしまった後は、かつての自分たちの先祖を逆に異教徒(heathen)と侮蔑的に呼ぶようになった。東南アジア一帯も伝来の宗教を捨て、外来の小乗仏教(上座部仏教あるいは南伝仏教ともいう)に完全に塗り替えられた。ただ、例外的にインドネシアやマレーシアでは仏教ではなくイスラム教がその役目を担った。

このように、他の文化圏との比較から考えて、私は日本における宗教や哲学・思想の役割は、世の中の学者が言うよりも遥かに小さいものだと考えている。日本人(縄文人)の本質はもっと素朴で、南洋の島々の民と同じように宗教や哲学・思想などという煩わしいものを自発的には考えようとはしなかったし、そういうものを本心から信じようとはしなかった人たちである。つまり、日本人は、良い意味で非常に現世的、刹那的に生きてきた人種なのだ。それ故、日本人は、教養などというのは直観的に胡散臭いと考えるのだ。

この稿では、日本における古き教養主義が伝統的に唱えた
 ○『教養とは人格形成である』
 ○『教養は宗教、哲学・思想によって養われる』

を批判した。というのは、教養とは何かを日本文化の文脈で考えると、必ずこの2点に突き当たってしまう。そして、これらの観点を確立したのが、大正時代の教養至上主義であり、その当時の理念が今なお日本型教養の原点となっているように人々は考えているからだ。

私は、日本の教養主義の伝統に対して冷たい言い方になるのは承知で、現在のグローバル社会で生きる上では、これらの呪縛を振り切って私が考える本当の意味の教養に向かうことが必要であると言いたい。

【参考文献】
 ○『合本 三太郎の日記』 阿部次郎、角川選書
 ○『学生に与う』 河合栄治郎、教養文庫
 ○『教養と人生』 谷川徹三、阿部知二、他著、教養文庫
 ○『あらめて教養とは』 村上陽一郎、新潮文庫
 ○『日本型「教養」の運命』 筒井清忠、岩波現代文庫
 ○『哲学人』(上・下)ブライアン・マギー、須田朗(監訳)・近藤隆文(訳)、NHK出版

続く。。。
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