goo blog サービス終了のお知らせ 

限りなき知の探訪

50年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第248回目)『真夏のリベラルアーツ3回連続講演(その36)』

2014-08-31 18:20:58 | 日記
前回

 『TOEIC英語ではなく、多言語の語学を(19)』

【2.古典ギリシャ語・ラテン語の語彙と文体(その9)】

以前のブログでは、ラテン語が日本語と似ていると言ったが、当然のことながら、似ていない点も多くある。その内の一つのラテン語では(形容詞+名詞)の組み合わせが生き別れになることがよくある。(理論的には、ギリシャ語にもあるはずだが。。。)

とりわけ、韻律の制約がある詩には多く現われる(そうだ。)これも格変化が明確なおかげで、形容詞と名詞が離ればなれになっていても同じ格であることが分かるので連結しているということがすぐに分かる。一例を挙げると:

 【ラテン語原文】  nullus agenti dies lungus est.
 【英訳】 To one who is active, no day is long.
 【英語直訳】 no to-active-person the-day long is.

英語的に考えると nullus は agenti とワンセットになりそうだが、nullus は主格であり、 agenti は3格(与格)であるので、一致しなのでペアになれない。しかし dies (day) は主格なので、nullus とペアになる。つまり、英語的に並びかえると

 【英語的順序】 agenti nullus dies lungus est.

となる。この例では分離しているといっても、1ワード分だけだが、場合によっては数ワード離れていることもある。それでもラテン語の文章としては意味が通じる。もっとも、私の読んだ限りではこういった文章は詩ではかなり使われてはいるが、普通の文章ではあまり見かけない。漢文でも詩では破格の句も多いのと同様だ。

ところで、日本語では、句点の位置で意味が変わる文がある。
 ここではきものをぬぐべからず。
 【解釈1】 ここでは、きものを、ぬぐべからず。
 【解釈2】 ここで、はきものを、ぬぐべからず。

これと同様のものがラテン語にもある。
 Ibis redibis non morieri in bello.

は次の2通りに解釈できる。
 【解釈1】Ibis, redibis, non morieri in bello. (行くべし、戻るべし、戦にて死ぬな。)
 【解釈2】Ibis, redibis non, morieri in bello. (行くべし、戻るべからず、戦死せよ。)

日本語の回文では間違って理解しても命までとられないが、ラテン語では命が懸っている。しかし、中世になるまで、ラテン語(に限らず、ギリシャ語も)には句読点がなかったのだから、この文を読み間違えて命を落とした人もいたに違いない。

さて、日本語には上から読んでも同じ意味になる回文という文章がある。(例:竹藪焼けた [たけやぶやけた])


これと同様、ギリシャ語にも古来有名な回文がある。
 ΝΙΨΟΝΑΝΟΜΗΜΑΤΑΜΗΜΟΝΑΝΟΨΙΝ.
  nipson anomemata me monan opsin.
 (和訳:顔と一緒に罪も洗うべし)

閑話休題

これまで、ギリシャ語とラテン語の文体について述べたが、ヨーロッパではこれらの古典語は現在、どのように評価されているのかについて私の個人的な経験の範囲で知り得た情報と感想を述べてみたい。

アメリカ人は外国語に対して全般的に興味が低いので、古典語などにはほとんど関心がない。ヨーロッパ人に聞くと、流石にまだラテン語は高校あたりで数年間学ぶ人がいたが、たいていの場合、日本人の漢文同様、『やらされ感』が強く、興味が持てなかったという人が大半であった。

ギリシャ語はラテン語に比べると、かなり敷居が高いようである。それは、現地の大きな書店に入って辞書のコーナーをチェックしてみると一目瞭然である。一度、ドイツのケルンとフランクフルトの両都市で、日本でいうとジュンク堂や八重洲ブックセンターのような大型書店に入った。古典語のコーナーを見ると、ラテン語の辞書は曲がりなりにも何冊かまともな部類が置いてあったが、ギリシャ語の辞書はポケット辞書の類が何冊か申し訳程度に置いてあった。

私がもっているギリシャ語の中では中級レベルの辞書(具体的にはBenselerのGriechisch-deutsches Schulwörterbuch)すらなかったので、誰かの言いぐさではないが『ダメだこりゃ』と思わず溜息をついてしまった。それに引き換え、聖書(Bibel)はどこの書店でも一つの棚どころか棚二つ分一杯にあった。

また、西洋のいろいろな本に載せられている単語や文献の名前を見ていると、ざっくり言って、1960年代まではギリシャ語の単語や文献はギリシャ文字で書かれている

たとえば、科学史に関する金字塔的存在の René Tatonの本、"L'histoire générale des sciences”(全4冊)は1950年、1960年に書かれたが、ギリシャ語の単語はほとんどの場合ギリシャ文字で書かれている。辞書も同様だ。しかるに、 1977年発行のフランス語の辞書、Petit Robert はギリシャ語がローマ字で書かれている。その原因は、1960年以降ギリシャ語が高校(lycee)で選択になったので、ギリシャ文字が読めないフランス知識人が増えてきたためだと思われる。

ついでにラテン語について言うと:

私がヨーロッパ旅行中の経験したことだが、教会の中に入ると、石造の墓が置いてあったり、床にレリーフの墓が彫られていることがある。それらに書かれている文字を見ると、イギリスでは1600年以前はだいたいラテン語で書かれているが、それ以降は英語で書かれている。ところが、イタリアは 1900年まではラテン語で書かれている。これを見て、イタリア人とイギリス人のラテン語に対する愛着の歴然たる差を感じた。

ヨーロッパ人にとってラテン語がギリシャ語より遥かに親しみがある理由としては、一つにはラテン語がキリスト教会の公用語ということが挙げられるが、もう一つは、ラテン語が19世紀までヨーロッパ各国の博士論文の言語であったことが関係している。(【出典】ジャクリーヌ・ダンジェル、『ラテン語の歴史』(P.66)白水社・クセジュ文庫、遠山一郎訳)

これは、ちょうど中国、朝鮮(李朝、大韓帝国)および日本における漢文の役割に相当する。その意味で、ラテン語の習得を止めるということは日本で言うと漢文教育の廃止と同じ位のネガティブなインパクトをもっていると私には思える。

続く。。。

想溢筆翔:(第175回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その20)』

2014-08-28 18:07:05 | 日記
前回

【70.扇動 】P.1614、AD121年

辞海(1978年版)には『扇動』とは『謂慫慂生事』と説明する。つまり扇動とは『何とか事を起こそうと躍起になること』だ。どこかの社会団体のように、面倒なことを起こすことで何らかの利益を得ようとすることを指す。

扇動の『扇』はまた『煽』とも書く。文字通り、団扇(うちわ)で火に風を送り、一層燃えさせる様子が目に浮かぶ。

尚、扇動は後漢書あたりから見える言葉なので、比較的新しい単語である。

【71.救助 】P.489、BC169年

辞海(1978年版)には『救』とは『助』とある。つまり、救助は『助け、助ける』という意味なので、『馬から落ちて落馬する』の類だ。

そもそも漢語は発音より字数が多いので同音異義語が理論的に避けられないため、このように一字の意味(ここでは『助ける』)の意味しかないものに対して、わざわざ二字使っている。この語が初めて使われるのが戦国策や漢書であることから推測するに前漢時代(紀元1世紀)には漢字が本来持っていた『一字一意』の原則を崩さないといけないほど類似の字が増えてきたということになる。

しかし、『救助』が使われた時代の下限を調べてみると、宋代(960 - 1279)あたりであった。つまり、元代以降は『救助』は別の単語に置き換えられてしまった、ということになる。手元の『日漢詞典』(商務印書館)を引くと、日本語の『救助』に対して、『搭救』という中国語の訳が見える。『搭救』は宋代に編纂された『太平広記』という書に見える。

以上のことから、次のような推測が成り立つ。

まず、『救助』は前漢時代に作られ、唐の時代に日本に入って来た。(というのは、日本書紀(巻17、巻19)に『救助』の語句が見えるからだ。)その後、本場の中国では『救助』が使われなくなり、代わりに『搭救』や『拯救』が使われるようになった。しかし、日本では相変わらず『救助』が使われ続けた。

同じような例は幾つかある。また、漢字にまつわる日本と中国のこの関係は、西洋においてもラテン語の単語が英語やフランス語では保持されているが、イタリア語ではとっくに別の単語に換わっている例もある。(どちらも、思い出せないので例を挙げられないが。。。)



【72.烏合之衆 】P.1259、AD24年

『烏合之衆』(うごうのしゅう)とは文字通りに解釈すると『烏(からす)の集団(グループ)』の意味。辞海(1978年版)によると『烏という鳥は集まったりバラバラになったりする。それで突然パッと集まるのを烏合という』(烏鳥聚散不常、故世喩倉卒集合曰烏合)とある。

資治通鑑の『烏合之衆』初出部分では耿弇(こうえん)が敵兵など赤子の手をひねるようだとして『烏合の衆をひねりつぶすのはまるで枯れ木を折るようなものだ。』(以轔烏合之衆,如摧枯折腐耳)と豪語した。

耿弇はどうやら有言実行の人であったようだ。

【73.設備 】P.258、BC209年

『設備』は現在では "equipment"の意味で使っているが、本来は『備えを設(もう)く』(set up defenses)の意味で使われていた。古くは春秋左氏伝の桓公・13年(BC699年)に見える単語である。

さて、資治通鑑の初出は次のような状況で使われている。

秦の始皇帝が崩御して二世皇帝が立ったが、世間が争乱状態に陥った。陳勝が「王侯、将相、寧(いずくんぞ)種あらんや!」(王侯、将相、寧有種乎!)と叫んで秦王朝への反乱の先頭に立った。陳勝は勢いに乗って勝ち進んで、陳王となった。

 +++++++++++++++++++++++++++
陳王はすでに周章に多くの兵隊をつけて派遣したし、秦の政治が乱れていると考え、秦など恐くないと思って、防備を怠った。博士の孔鮒が諌めて言った、「兵法に『敵が攻めてこないことを期待してはいけない。攻めることができないような防備をすべし。』とあります。ところが、今、王は敵が弱いことを期待して自分の防備を怠っています。万が一、作戦が失敗して負ければ取り返しのつかないことになるでしょう。」陳王は孔鮒の忠告などには耳も貸さず、「わしの軍隊は先生に迷惑はかけないから心配ご無用」と言った。

陳王既遣周章,以秦政之乱,有軽秦之意,不復設備。博士孔鮒諌曰:「臣聞兵法:『不恃敵之不我攻,恃吾不可攻。』今王恃敵而不自恃,若跌而不振,悔之無及也。」陳王曰:「寡人之軍,先生無累焉。」
 +++++++++++++++++++++++++++

歴史が示すように、陳勝のこの自信はあっけなく崩れるのであった。

ちなみに、設備は否定形を伴って使われることの方が多い。私の漢文検索システムで検索すると、ざっくり言って7割程度が否定形(不設備、不肯設備、不復設備)である。以前紹介した【52.介意 】も否定形が主流であった。

【74.引退 】P.5582、AD600年

『引退』は現在では『致仕』(公務から退く)ことを意味するが、本来は『軍隊を退却させる』意味で、戦国策にも使われている。

現代使われている『致仕』の意味の『引退』は資治通鑑では隋代からで、次のような文が見える。

 +++++++++++++++++++++++++++
以前、雲昭訓の父の雲定興が皇太子(楊勇)のところにしょっちゅう出入りしていて、高価で珍しい品々を皇太子に献上して媚びを売っていた。左庶子の裴政が皇太子にしばしば意見をしていたが、皇太子は聞き入れなかった。それで裴政は雲定興に直接こういった。「貴公のしていることは法律違反だ。それに先ごろ皇太子妃の元妃も不可解な死を遂げたので、世間では皇太子が暗殺したのではないかとよからぬ噂をしている。いま貴公が引退しなかったら、きっと危険な目に遭うだろう。」雲定興は皇太子に裴政のこの言葉を告げ口したので、皇太子はますます裴政を遠ざけるようになった。

初,雲昭訓父定興,出入東宮無節数,進奇服異器以求悦媚;左庶子裴政屡諌,勇不聴。政謂定興曰:「公所為不合法度。又,元妃暴薨,道路籍籍,此於太子,非令名也。公宜自引退,不然,将及禍。」定興以告勇,勇益疏政。
 +++++++++++++++++++++++++++

この後、皇太子の楊勇は弟の楊広(煬帝)の計略によって皇太子の位を奪われてしまい、最後には煬帝によって殺されてしまった。残念ながら、裴政の予感が的中した。。

続く。。。

沂風詠録:(第247回目)『真夏のリベラルアーツ3回連続講演(その35)』

2014-08-24 17:58:22 | 日記
前回

 『TOEIC英語ではなく、多言語の語学を(18)』

【2.古典ギリシャ語・ラテン語の語彙と文体(その8)】

日本の学校では、作文の時間には「話すように書きなさい」とは言われるが「修辞・レトリック(Rhetoric)にも注意して書きなさい」とは言われない。(少なくとも私にはそう言われた経験がない。)それで、文章とは意味さえ伝わればそれでよしと思ってしまう。この感覚で、ギリシャ・ローマの文章を読むと、全く正反対の価値観に驚く。少々オーバーな言い方をすれば古代ヨーロッパ人は「修辞の効いていない文章は読む価値すらない」と考えているようだ。

レトリックの重要度について、私が一番大きな影響を受けたのは、以前のブログ
 沂風詠録:(第37回目)『セネカの本: De Vita Beata』
に書いたように学生時代に Reclam(レクラム)のドイツ語で読んだセネカであった。内容もさることながら、彼のレトリックは非常に迫力があった。私がラテン語を読みたいと思ったのは、セネカの生の言葉を理解したいと思ったのがきっかけだ。その思いが実現するには20年も後の話だ。仕事にすこし余裕ができたので、ラテン語の自習を始め、まっさきにセネカに取り組んだ。一行ごとに何度も辞書(紙、PCソフト)を引きながら牛歩ならぬ『蝸牛歩』(カタツムリの歩み)でセネカを読んでいると、原文で読める喜び(と、当然のことながら苦しみ)がひしひしと身にせまってきた。

さて、セネカの経歴や思想については、以前のブログ
 沂風詠録:(第89回目)『私の語学学習(その23)』
に書いたので、ここでは彼のレトリックに絞って話を進める。

ラテン語で華麗なレトリックを駆使した文人と言えば、セネカではなく、真っ先にローマの雄弁家、キケロが挙がる。私の感想を言えば、キケロの文章は大河が滔々と流れる重厚さを特徴とするのに対して、セネカは荒々しく水しぶきをあげる渓流の険しさを感じる。とりわけセネカの特徴は、読者に直接語りかけているようなその独特の文体にある。その中でも、疑問形・反語文を重畳することで読者の心に言い知れぬ迫力を醸し出すところにセネカのレトリック真骨頂がある、と思える。

その一例を示そう。

セネカの『道徳書簡集』(Epistulae morales ad Lucilium)は書簡形式のエッセーで、全部で124本ある。その122番目のエッセーは当時のローマ(紀元1世紀)の退廃を非難しているが、連発する疑問文はセネカの堪えがたき怒りを見事に表わしている。(Ep. 122)

 +++++++++++++++++++++++++++
【大意】女が着るような絹の服を男が着るというのは自然に逆らっているとは思わないか?歳をとってもいつまでも若づくりしているのは自然に逆らっていないだろうか?全くおぞましく、憐れではないだろうか?そういう細工をして本当に若返るとでも思っているのだろうか?気温が下がったときに温かい水をかけてやったり、温室に移してやることで冬にバラやユリの花を咲かせるとでも思っているのだろうか?屋根の上の日の当たる場所に置いて、果物の木を育てるのは自然に逆らっていないのだろうか?

【原文】Non videntur tibi contra naturam vivere qui commutant cum feminis vestem? Non vivunt contra naturam qui spectant ut pueritia splendeat tempore alieno? Quid fieri crudelius vel miserius potest? numquam vir erit, ut diu virumpati possit?et cum illum contumeliae sexus eripuisse debuerat, non neaetas quidem eripiet? Non vivunt contra naturam qui hieme concupiscunt rosam fomentoque aquarum calentium et locorum apta mutatione bruma lilium [florem vernum] exprimunt? Non vivunt contra naturam qui pomaria in summis turribus serunt?

【英訳】Do you not believe that men live contrary to Nature who exchange the fashion of their attire with women? Do not men live contrary to Nature who endeavour to look fresh and boyish at an age unsuitable for such an attempt? What could be more cruel or more wretched? Cannot time and man's estate ever carry such a person beyond an artificial boyhood? Do not men live contrary to Nature who crave roses in winter, or seek to raise a spring flower like the lily by means of hot-water heaters and artificial changes of temperature? Do not men live contrary to Nature who grow fruit-trees on the top of a wall?
 +++++++++++++++++++++++++++

わずか11行の文章に7ヶもの『疑問符』がある!杓子定規的にいえば、文法的には疑問文と言えるかもしれないがこれは全くの強調文である。こういった手法は漢文にもある。『何』『奚為』や『盍』などを使って疑問形あるいは反語的に用いて文意を強調することができる。日本語においては、一つや二つの反語文を使うことはあっても、残念ながらセネカのように疑問形を連続的に繰り出すという技は難しい。疑問文で文意を強調するには日本語は華奢でありすぎるのだ。



セネカのもう一つの常套のレトリックを紹介しよう。

セネカは短文ではあるが、珠玉のようなエッセーをいくつか残している。その内のひとつ、『人生の短さについて』(De brevitate vitae, 3-2)では、「人生は決して短くはないが、無駄に過ごす時間が多いので短くなってしまうのだ」ということを主張するが、その言い方に注意してみよう。

 +++++++++++++++++++++++++++
【大意】君の時間の内、どれだけ借金取りとの交渉に取られているか?どれだけの時間が愛人に取られているか?どれだけの時間が主人に取られているか?どれだけの時間が依頼人に取られているか?どれだけの時間が奥方との言い争いに取られているか?どれだけの時間が召使のしつけに取られているか?どれだけの時間が公的任務に取られているか?

【原文】Duc quantum ex isto tempore creditor? quantum amica?quantum rex? quantum cliens abstulerit? quantum lis uxoria?quantum servorum coercitio? quantum officiosa per urbem discursatio?

【英訳】Consider how much of your time was taken up with a moneylender?how much with a mistress? how much with a patron? how much with a client? how much in wrangling with your wife? how much in punishing your slaves? how much in rushing about the city on social duties?
 +++++++++++++++++++++++++++

ここでも7ヶ所もの『疑問符』が見える。

ところで、ヒトラーの人格や思想はともかくも、第二次世界大戦の記録映画などみるにつけ、話し方やレトリックに関しては我々も参考にすべき点が多い。(ここでは、内容の善悪は問わない。)ヒットラーは常々「大衆は繰り返し同じことを言い続けると信じるものだ」と言っていたが、セネカも一文のなかで何度も同じパターンを繰り返すことで読者に自分の主張が正しいと思い込ませる巧妙な技を駆使しているのだ。

続く。。。

想溢筆翔:(第174回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その19)』

2014-08-21 16:06:47 | 日記
前回

【66.自首 】P.1695、AD142年

自首は全く現在と同じ意味。

資治通鑑の初出の部分(P.1695)には次のような話に出てくる。

当時(紀元2世紀)、任峻、蘇章、呉祐の3人が廉吏(公正な役人)として有名であった。

 +++++++++++++++++++++++++++
蘇章が冀州の知事(刺史)となって赴任した。その領地に知り合いの人が清河の太守(市長)としていた。蘇章はそこへ行って、不正を摘発しようと思って、太守を呼んで一席を設けた。昔話などをして、場が非常に盛り上がった。太守は喜んで、「他の人には天は一つしかないが、私には私を守ってくれる天が二つある!」と言って喜んだ。蘇章は言った。「今晩、あなたと酒を酌み交わすのは個人的な付き合いだが、あすは、冀州の知事という立場で裁判をするからな。」そうして、とうとうその太守の不正を暴いて投獄した。それで、その地域の不正は一遍になくなった。

蘇章為冀州刺史;有故人為清河太守,章行部,欲案其姦臧,乃請太守為設酒肴,陳平生之好甚歓。太守喜曰:「人皆有一天,我独有二天!」章曰:「今夕蘇孺文与故人飲者,私恩也;明日冀州刺史案事者,公法也。」遂挙正其罪;州境粛然。
 +++++++++++++++++++++++++++

蘇章は公私のけじめをはっきりとつけ、昔からの知り合いを投獄したのだ。

さて、いよいよ自首が出てくる場面に移ろう。

 +++++++++++++++++++++++++++
呉祐が膠東の大臣になった。無駄な事業をせず、仁愛に満ちていたので、人々は呉祐に隠れて悪い事をしようという気にならなかった。下役の孫性が呉祐に無断で人々から税金を徴収して、自分の父に服をプレゼントした。父親は怒って言った「お前は、呉祐様に仕えていながらどうしてこんな真似をしたんだ!呉祐様に正直に言ってお詫びをしてこい。」と言った。孫性はびくびくしながら呉祐のオフィスに行って、服をもって『自首』した。呉祐は部下を去らせ、オフィスの扉をしめ切ってから理由を尋ねた。孫性は父親に言われた通りに話した。呉祐は一通り話を聞いてからこういった。「君は父親を喜ばせようとして悪事を働いた。しかし、論語にもあるように『過(あやまち)をみて、ここに仁を知る。』というではないか」そういって、呉祐は孫性に服を返して、家に戻って父親にお礼を述べるよう諭した。

政崇仁簡,民不忍欺。嗇夫孫性,私賦民銭,市衣以進其父,父得而怒曰:「有君如是,何忍欺之!」促帰伏罪。性慙懼詣閤,持衣自首。祐屏左右問其故,性具談父言。祐曰:「掾以親故受汚穢之名,所謂『観過斯知仁矣。』」使帰謝其父,還以衣遺之。
 +++++++++++++++++++++++++++

呉祐の処断はいかにも中国的だと感じる。つまり、親孝行の為にしたことであれば罪は問わない、ということだ。孝は超法規的な善であるというのが、中国の儒教の伝統であることがこの話からも透けて見える。



【67.羽衣 】P.661、BC113年

羽衣といえば、日本では三保の松原の美女が連想される。ただ、羽衣は実話ではなくフィクションだと考える。しかし、中国では実際に羽で作られた『羽衣』(ウイ)という衣があったと史書(漢書、巻25、郊祀志・上)には記されている。唐の大儒で漢書に詳細な注をつけた顔師古は羽衣を次のように解説する。
 「羽衣とは、鳥の羽で作った服のこと。羽が空を飛ぶ能力にあやかる意図がある。」
 「羽衣,以鳥羽為衣,取其神仙飛翔之意也。」

資治通鑑に詳細な注をつけた胡三省は「現在(つまり元代)では道士が着る服だ」と述べる。ヒッピーのシンボルが長髪とブルージーンズなら、仙人のシンボルは羽衣であったわけだ。

【68.慰労 】P.1626、AD123年

慰労とは「労を慰(なぐさ)む」という意味で現在と同じ意味。ここで、慰は「なぐさむ」と訓じるが「安」という意味だと辞海(1978年版)は説く。

資治通鑑のこの部分は後漢時代、匈奴が漢の西方をしきりに侵略したので、防衛上、西域への通用門である玉門と陽関の2つの関所を封鎖してしまえという意見が朝廷で起こった。それに対して敦煌の太守である張璫が反対意見を提出した。それで朝廷で再度議論した時に、陳忠が「今、2つの関所を閉じてしまうと、折角前漢から培ってきた西域とのつながりが絶えてしまう」と反対した。「今すべきは。。。」、と緊急課題を指摘した。

 +++++++++++++++++++++++++++
(今すべきは)内政では役人や大衆をいたわり、外交では諸外国に漢の国力を示すことだ。そうでないと、他国から見くびられて侵略されてしまうが、それは良策とは言えない。

内無以慰労吏民,外無以威示百蛮,蹙国減土,非良計也。
 +++++++++++++++++++++++++++

安帝は陳忠の提言を受け入れ、『虎穴に入らずんば虎子を得ず』で有名な班超の息子の班勇を西域の長官として派遣した。

【69.応募 】P.611、BC126年

これも現代と全く同じ意味。辞海(1978年版)には「招募の命令に応ずるなり」(応招募之命令也)と説明する。

資治通鑑の初出は武帝が月氏と組んで匈奴を挟撃しようとして、月氏への密使を募集するシーンだ。

 +++++++++++++++++++++++++++
上(武帝)は月氏に密勅を届ける者を募集したところ、漢中出身の張騫が郎の身分でありながら応募した。

上募能通使月氏者、漢中張騫以郎応募。
 +++++++++++++++++++++++++++

この後の歴史が示すように、武帝の目論見は、見事はずれてしまう。しかし、これ以降、中国(漢)と西域、さらにはヨーロッパとの交易が盛んになった。歴史上の事件を評価する時に、近視眼的あるいは直接の利害関係だけで判断すると、大したことがない事件でも長い目でみると非常なインパクトをもっていることがある。これが、荘子のいう『日もてこれを計りて足らざるも、歳もてこれを計るに余りあり』(日計之而不足,歳計之而有余)という事だろう。

続く。。。

沂風詠録:(第246回目)『真夏のリベラルアーツ3回連続講演(その34)』

2014-08-17 23:01:51 | 日記
前回

 『TOEIC英語ではなく、多言語の語学を(17)』

【2.古典ギリシャ語・ラテン語の語彙と文体(その7)】

ローマの歴史家にコルネリウス・タキトゥス(Cornelius Tacitus、 ca AD 55 - 120)という人がいる。『年代記』(Annales)や『同時代史』(Historiae)などの超一級の歴史書を書き残した。タキトゥスは古来、「翻訳不可能」と言われるほど、ラテン語の特長を存分に駆使し、実にひきしまった文体を編み出した。私は一時期、『年代記』を辞書(紙ベースと、 Whitaker氏のPCソフト)を使って読んだが、確かに他の人のラテン語とはまるっきり質が違うと感じた。澄み切ったソプラノのような、あるいは清冽な湧水のような、そんな感じだ。

彼の代表作の『年代記』からいくつか文を選んで、ラテン語特有の文体を紹介したい。

尚、訳文は日本語は岩波文庫(国原吉之助)、英語はLoeb、ドイツ語はReclamのものを使用した。

ここで一言、記法に関して注意しておきたい。現在、ラテン語の記法では j の代わりに i 、v の代わりに u を使うことが主流になりつつある(Oxford Latin Dictionay など)。i はともかくも、 v の代わりに u で記述すると非常に分かりづらいので、私はこの記法には賛同しない。ここでは読者の便を考え、英語の綴りが連想し易いように、わざと旧式の j, v の記法に従う。

1.『年代記』(巻1、19節)
 【ラテン語】Profecto juvene modicum otium.
 【英訳】After the young man departure there was comparative quiet.
 【独訳】Nach der Abreise des jungen Mannes herrschte im allgemeinen Ruhe.
 【和訳】この青年副官が出発したあとは、かなり静かになった。

この部分は、AD14年に属州のパンノニア(現在のクロアチア)で兵士たちが待遇改善を要求したことから、暴動が起こった。議論の末、長官の息子をを先頭にローマに陳情に出発したことでようやく沈静化したところである。

元のラテン文を、ためしに英語的に書いてみると次のようになる。
 【英語的ラテン語】Juvene profecto, modicum otium.
 【上の文の直訳】The-young departed, comparative quiet [came.]

つまり、意味的には前半の主語は juvenis(青年)であり、動詞は proficiscor(出発する)。(ここで、juvenis は形容詞(若い)もあり、その時の比較級は junior 。) 

後半は単に主格の形容詞+名詞 modicum (いくぶんか・形容詞)、 otium(落ち着き)、と続くが動詞はない。

さて、ここで juvene は juvenis の奪格という格をもつ。奪格とは主格でないので、主語ではない。ところが、意味的には主語であるが、それだけでなく原因・理由・手段などの意味もつく。つまり、英語でいうと、when XXX ...., as XXX ..., for XXX ..., などのような(接続詞+主語)を一言で言い表しうるのがこの絶対奪格(あるいは、独立奪格ともいう)という用法である。この時、動詞は必ず分詞(英語で言うと、--ing)の形をとる。

後半の文章には動詞がないが、主格の名詞が来るということは、『。。。である』というような意味が暗黙の内に了承されているので、不要ということである。

この文を見るとよくわかるが、僅か4ワードで一文が成り立っている。英語では、9ワード、ドイツ語では10ワードも要している。この差は:
 1.ラテン語には冠詞がない。
 2.格変化(奪格)のおかげで、前置詞(英訳では after, 独訳では nach)が不要。
 3.格変化(主格)のおかげで、動詞(英訳では there was, 独訳では herrschte)が不要。

に起因する。

奪格には多重の意味がある、という感覚は日本語の『で』の用法に近い。『で』には、ざっと思いつくままにあげても、次のような意味がある。
 1.手段 -- はさみ『で』切る。
 2.理由 -- 彼は脱税『で』捕まった。
 3.材料 -- この布は不燃布『で』織られている。
 4.場所 -- ここ『で』待ち合わせよう。

もし、単独の『で』が意味不明なら、語を補って説明する必要があるが、これはラテン語の場合も同じだ。

ただ、いい事ばかりではない。主格はともかくも、奪格は(前置詞+名刺)のトータルの意味を持つので、どういう意味の前置詞を意図しているのかが不明のケースが出てくる。つまり、名詞を部分的に見ただけでは意味が分からないので、文全体から類推する必要がある。つまり奪格の名詞の意味は context dependent なのだ。それ故、前回述べたように近代のヨーロッパ人(ニュートンやデカルトなど)は自国語で分析的な表現に慣れ親しんでいるので、奪格のように名詞を単独で使うのではなく、明示的に(前置詞+名刺)を使うのを好むのである。


【出典】A Capriccio View of Roman Ruins along the Tiber, by Jacob van der Ulft

もう一つ例を示そう

2.『年代記』(巻1、30節)
 【ラテン語】 et Drusus, non exspectato legatorum regressu, quia praesentia satis consederant, in urbem rediit.
 【英訳1】Drusus, without awaiting the envoys' return, as for the present all was quiet, went back to Rome.
 【英訳2】Drusus himself, since affairs were settled enough at present, went back to Rome without staying for the return of the deputies.
 【独訳】Auch Drusus wartete die Rückkehr der Abordnung nicht ab, sondern kehrte, da sich nunmehr dir Lage im allgemeinen beruhigt hatte, in die Hauptstadt zurück.
 【和訳】ドゥルススは、現地の状勢も落ち着いてきたので、使者の帰りをまたずに、都にひきかえした。

元のラテン文を、ためしに英語的に書いてみると次のようになる。

 【英語的ラテン語】et Drusus non exspectato legatorum regressu, rediit in urbem, quia praesentia satis consederant.
 【上の文の直訳】and Drusus, who not waited-for the-legatus's return, went-back to the-City, because the-present-situation enough is-settled.

この【英語的ラテン語】を元の【ラテン語】と比べてみると、骨格をなす主語 Drusus(ドゥルスス) と動詞 rediit(帰った) が文頭と文末に置かれている。その間に、 non exspectato legatorum regressu(使者の帰りをまたずに)という説明文と、quia praesentia satis consederant(現地の状勢も落ち着いてきたので)という理由文の2つがサンドイッチ状にはさみこまれているのだ。このように、文がねちねちとくっついて団子状になっているのがラテン語の文体の一つの大きな特徴と言える。

さて、この文の先頭に et という単語があるが、ラテン語の et は英語の and に相当するが、意味もなく(と私には思えるが)しばしば文頭に使われることがある。専門家はどういう解釈をしているのかは知らないが、私には『え~っと。。。』というような意味で使っているのだろうと感じられる。この点、ギリシャ語も、καιを同じように、意味もなく文頭によく置く。

ついでに言うと複数のものを数える時に、日本語ではご丁寧にすべてに『と』をつけるが、英語をはじめとして近代ヨーロッパ語では、最後の名詞の前にしかつけない。例えば『リンゴと桃とオレンジを買った。』 "I bought an apple, a peach and an orange."ところが、ギリシャ語もラテン語も、我が日本語と全く同じようにすべてを『και』や『et』で連結するのである。うろ覚えなので確信はないが、英語やドイツ語でも昔は and や und を全てにつけていたのが、次第に現在のように最後の名詞だけに使うようになった(らしい。)

今回取り上げた、タキトゥスの 2つの文を見ても分かるが、ラテン語の文章を英語に訳す時には、元の語順通りに訳すとかなり分かり難い文になってしまう。つまり、格変化を失った英語では、ラテン語の意味は伝えることができるものの、訳文は語順通りにはならない。一方、格変化を保存しているドイツ語はラテン語でも(ギリシャ語でも)かなりの程度で元の語順通りに訳すことができる。

以前に紹介したショーペンハウアーの言葉、『近代ヨーロッパ言語の中で唯一ドイツ語だけが、ギリシャ語とラテン語という2つの古典語と肩を並べることができる』というのも、まんざらの虚言やはったりではないのだ。

【参照ブログ】
 【座右之銘・76】『Salus populi suprema lex esto』

続く。。。