限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

翠滴残照:(第8回目)『読書レビュー:教養を極める読書術(その7)』

2021-04-25 13:24:33 | 日記
前回

〇「漢文が自在に読めるようになったこと」(『教養を極める読書術』  P.30)

前回、中国古典や故事成句がもてはやされる理由の一つとして漢字の魅力・魔力を挙げた。子供のころ、(多分)誰でも例外なく漢字テストにいじめられた思い出があるはずだ。漢字とは自分の知能を越えたものだと考え、生涯に渡り、いわば漢字コンプレックスが心に刻印されている。それで、漢字だらけの文、つまり漢文、にはありがたいことが書かれているはずだという強い思い込みがある。

しかし、この本で紹介したように私は耳から学ぶことで、漢文を自在に読みこなせるようになった。その結果、1万ページもある資治通鑑を初め、数多くの漢文を読んで漢字コンプレックスを完全にふっきることができた。つまり、漢文に対して非常に冷静な眼でみることができるようになったわけだ。その観点からいうと漢文というのは、いわば「幽霊の正体見たり枯れ尾花」のごとく、見かけはすごい文であるように見えても実は構造上は全くプリミティブな表現しかできない、低品質言語であることがわかった。低品質言語とは、たとえば高校生の書く英文のようなもので、単純な短い文章を AND や BUT のような接続詞でずらずらと連結しているようなものだ。

しかし、そのような低品質言語の漢文が立派な文章に見えるかといえば、それは、漢文をそのまま読んでいるのではなく、漢字書き下し文を読んでいるからだ。つまり、漢文そのままの文ではなく、ひらがな交りの日本語では日本語のリッチな文法のおかげで、細かいニュアンスまでを伝えることができる。元の漢文が読めない日本人はこの漢文書き下し文を読んで、内容といい、ニュアンスといい、非常に高度に表現されていることに感嘆するということだ。



言語では分かりにくいので、建築に喩えて考えてみよう。

ギリシャ時代にはセメントが無かったので、切り石を積みあげて作った。イメージ的には、レンガを積み上げて作ったフランドル地方の教会のような建築物は構造美に乏しい。それに比して、2000年も前に建てられたローマのパンテオンはローマンコンクリートを使っているので、自由な造形を可能であった。この2つを漢文に喩えるとレンガの教会は漢文であり、パンテオンは日本語で書き下した文であるとも言える。



西洋では、古典ギリシャ語のもつ魔力に魅せられた多くの文化人がいる。たとえば、トロイの遺跡を発見したシュリーマンは古典ギリシャ語に魅せられホメロスをすっかり暗唱した。なぜ、ギリシャ語がそのように魔力を持つかといえば、パンテオンと同様、文章の構造の自由度が高く、細かいニュアンスまで表現できるからだ。結局、インドヨーロッパ語族の屈折語としての長所を存分に活かすことで、初めて微妙なニュアンスまで正確に伝えることができるのだ。それとほぼ同じ程度の高品質言語が日本語であるのだ。

そもそも、言語というのは、耳から聴いて理解できるものでなければならなかったはずだが、中国語(漢文)の場合、残念ながらそうはならなかった。中国語の単音節では表現に限度があるので、四声という方法で、なんとか音韻体系に依存して限度を広げようとしたが、結局行き詰ってしまった。それで仕方なく、言語が本来備えるべき「音韻だけで理解できる」という縛りを破って、非常手段として、聴覚と視覚とのペア―によってのみ理解できる言語体系を作った。

その視覚的補助手段として持ち出した漢字は、当初は、象形文字(ideograph)として始まったはずだが、これも漢字が数百を越えることから限界がでてきたので、第二の非常手段として、形声文字(phono-semantic compound characters)を開発した。これにより、表意文字としての漢字の制限が事実上なくなってしまった。つまり、漢字は一般的に意符と音符から成り立つ。意符(semantic component)は通常、部首(radical)と呼ばれ、意味を表わす。音符は発音を表し、通常は意味を持たず、発音記号のような機能をもつ。

このようないわば苦し紛れの末に捻りだした逆転技が見事に決まった。元来、意味と発音の間に全く脈略のない字を新たに作ったので、それらの漢字(たいていは形声文字)は丸暗記するしかない。それも、100文字程度では収まらず、数千文字にもなる。漢代では官僚になるには最低でも 9000文字を書けなければならなかった。(『漢書』《芸文志》「太史試学童、能諷書九千字以上、乃得為史」)これらの文字は、部首で意味の大体の方向性は分かるものの、細かい意味は丸暗記となる。その時、発音(音符)はほとんど助けにならない。この結果、あるレベル以上の文脈を話すことができるには、これらの難しい文字を覚えないといけないということになる。本来なら、そのような面倒なことがないように、耳からだけでも意味が分かるように言語仕様を修正すべきであったが、中国人はそれをしなかった(あるいは、できなかった)。

現代風にいうと、プログラミングが出来て、 IT機器を自由に使いこなせないと官僚になれないというようなものだ。現在でもバリバリにプログラミングを組んで仕事をこなすことのできる人は人口の1割か、せいぜい2割程度であろう。それが出来なければ全くお呼びではなかったのだ。このような乗り越えるのが非常に困難なリテラシーデバイドを意図的に作り、維持してきたのが中国語であった。この点から考えると日本人の方がはるかに漢字を自分たちの言語に近づけていると言える。それは、訓読みと豊富な助詞や助動詞のおかげといえる。

結局、漢字書き下し文ではなく、漢文をそのまま読めるようになって、私は初めてそこまで漢文が醸し出していた「荘厳+幽玄」の幻想的なイメージではなく粗末な低品質言語のむき出し構造がよくわかるようになった。

続く。。。
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沂風詠録:(第336回目)『良質の情報源を手にいれるには?(その41)』

2021-04-18 16:43:49 | 日記
前回

F-1.フランス語辞書

F-1-4 Alain Rey, "Dictionnaire Historique de la langue française"

フランスの語源辞書には残念ながら今まであまり良いものに出会わなかったが、その欠陥を補って余りあるのが、今回とりあげる辞書だ。「フランス語の歴史的変遷」というタイトルのごとく、語源だけでなく、どのように使われ方をしたか、時代変遷を説明する。尚、本辞書に関しては、本ブログでも何度か触れておいたので、下記の【参照ブログ】をご参照頂きたい。

さて、改めてこの立派な辞書について説明したい。

私が初めてこの辞書を目にしたのは、京都大学に奉職してからしばらくした 2011年ごろであった。大学卒業後、京都大学を訪れる機会は何度かあったものの、昔の言葉でいう教養部(吉田南キャンパス)には足を踏み入れることはなかった。今度は職員証を持っているので、久しぶりに昔、よく昼休みの午睡に利用していた教養部図書館に入った。



フロアーには書架がずらっと並んでいるが、入り口に近い所はいわゆるレファレンス、つまり辞書・事典類が置いてある。そこに立派な装丁の大型の辞書を見つけた。中を見ると、かなり上質の紙にエレガントなフォントでびっしりと字が埋まっていた。辞書フェチの私には、この辞書のすべて(大きさ、紙質、フォント、字間、内容)が気にいった。ただ、これが2巻に分割されていることだけが、気に食わなかった。



図書館から部屋にもどってアマゾンで検索してみると、当時(2011年)ではすでに私の好みの1巻本が販売されていた。値段を調べると、フランスのAmazon(amazon.fr)は日本のAmazonのほぼ半額であったので、早速注文した(2010年版 ISBN-13 : 978-2849026465)。ちなみに、外国のAmazonでの支払いは日本のAmazonで設定したクレジット番号等はすべてそのまま使える。



2分冊が1巻本となったが、最近になって、もう一度、改訂が行われ、版型を小さくしてページ数を増やして、3冊本に分割したものが販売されている(2019年版 ISBN-13 : 978-2321014096)。ちなみに、フランス語の辞書には、この 1巻本のように、白色の表紙がいくつかある。デザイン的には確かに、垢ぬけしていて素晴らしいとは思うものの、使っているうちに、すぐに汚れてしまうという欠点がある。

さて、この辞書の特徴は語彙の変遷に関して、フランス語に限らず関連する言語にまで言及していることだ。例えば、Golfの項は次のような説明がある。



ここには、golf は英語の単語であるが元来はスコットランド語であったと述べる。更に、元はオランダ語の kolf であり、ドイツ語の Kolben(棍棒)と同根の単語だと説明する。これ以外にスポーツとしてのゴルフの変遷やゴルフに関連する単語などが列挙されている。



いくつかの重要語では、丸々1ページないしは 2ページを使って派生語や複雑な発展をしてきた単語の全体像が分かるように単語の意味の互いの関連を図式化している。

この辞書はまだ十分には使いこなしたとは言えないものの、フランス語だけに止まらず、ヨーロッパ言語の語源や単語の裏事情を知るには欠かせない情報源だと言える。つまり、英語にも共通の単語、例えば clepsydre(clepsydra), risque(risk) についての時代変遷情報を得ることができる。英語だけの世界では得られないヨーロッパ言語に関する情報をフランス語の単語の時代変遷から得ることができるのである。

続く。。。

【参照ブログ】
沂風詠録:(第188回目)『ヨーロッパ言語におけるギリシャ語とラテン語の使い分け』
沂風詠録:(第256回目)『真夏のリベラルアーツ3回連続講演(その44)』
沂風詠録:(第280回目)『弘法に非ざれば、筆を選ぶべし』
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翠滴残照:(第7回目)『読書レビュー:教養を極める読書術(その6)』

2021-04-11 22:30:27 | 日記
前回

〇「中国古典は会社運営には役立たない」(『教養を極める読書術』  P.29)

中国古典は、論語や老子・荘子などの哲学だけでなく、史記・漢書などの歴史書、李白・杜甫・白楽天など詩に至るまで、幅広く日本文化および日本人の心情に深く食い込んでいる。これらの経書・史書・漢詩文は中国本土でも長い伝統があり、常に景仰されてきた。その価値観がそのまま日本にも輸入され、不磨の大典として崇められてきたのだ。

中国古典は学術界だけでなく、ビジネス界や市井の人々の考え方にも大いなる影響を与えている。それで、事業に困ったときにこれら中国古典から会社運営に有益な指針を引き出そうとする。私も当初はそのような期待をもって中国古典に接してきたが、本文にも書いたように、かなり真剣に読んで、そういった期待に沿うような内容ではないことを知るに至った。

本文では舌足らずであったその意味を、ここではもう少し詳しく説明してみたい。

建築を例にして考えてみよう。ある建築士に頼めば、非常に素晴らしい設計図が出来上がってきたとしよう。素人目には斬新なデザインと構造美に酔いしれるような設計図だが、経験豊かな大工に見せると、一目で「こりゃダメだ!」と言われたとしよう。「なぜ?」と尋ねると、「これでは、台風や地震が来たときにはすぐに倒れるし、火事の時は逃げ場がない。」と説明される。つまり素晴らしいと思われた設計図は、いわゆる「机上の空論」で、実際に作ってみると欠陥が多い建物だということだ。

これと同じことが中国古典には実に多い。論語を例にとってみよう。《為政》編に次のような話が載っている。哀公が孔子に「どうしたら民が国の命令に従うだろうか?」という問いに対して孔子は「正直者を引き上げて、邪悪な者を管理させればうまく治まる」と答えたという。この文だけ読めば文句の付けどころが無いようであるが、ここで「正直者」の定義が問題だ。《子路》編に孔子の考える正直者とは「子が父の罪を隠し、父は子の罪を隠す」者である、といわれる。つまり、孔子によれば、身内の恥や犯罪を隠し、法をないがしろにする者が正直者なのだ。このような者は、法より情実を優先する。こういう人が上に立ち、世を治めると、一体どういう社会になるのだろうか?必ずや、実力者の親戚の犯罪はすべて隠蔽されるだろう。果たしてそれで、うまく国が治まるだろうか?建前的には何ら指摘すべき悪い点は無いようでも、実際の政治ではうまくいかないことは明らかだ。

それで、本書『教養を極める読書術』( P.29)には
 「中国古典に、会社運営に役立つものはあまり見つけることができなかった」
と書いたのである。(訂正:本書P.29では、「会社運営やリーダーシップ」と書いたが、「リーダーシップ」の部分は削除する。)

結局、中国古典は建前は立派ではあるが、理論的な体裁はとってはいるものも、どれも実証されていない願望レベルの話であることがほとんどだ。それゆえ、会社運営(組織構成、組織運営、統治理論)や統治理論を引き出すことはできない。これが私の主張するポイントである。



中国古典をしっかり読むと、建前論だけでなく、もう一つ大きな欠点があることがわかる。それは、以前のブログ
 想溢筆翔:(第12回目)『死人に口あり』
に書いたように、中国古典の故事成句やことわざにはまったく正反対の意味のものもあるということだ。つまり、故事成句があるからといって、その内容は必ずしもいつも通用する(valid)であるとは言えないということだ。

この意味で、中国古典をいくら熱心に読んだところで、企業運営に役立つ教訓を見つけるのは難しい。ただ、そうは言っても、現在、中国古典や故事成句がビジネス界だけでなく、広く愛好されているが、その理由は次のようなものではないだろうか。

1.漢字の魅力・魔力

「顰に倣う」(ひそみにならう)という語がある。その昔、中国の絶世の美女の一人、西施が胸を病んで眉をしかめて歩いていた。その姿が何とも妖美なので、通りすがりの男はみな見とれた。それを見た、村の醜女(しこめ)が西施のように眉をひそめて、通りをあるいたら、だれもがその醜い顔に恐れをなして逃げた。これの類似(アナロジー)で言えば、文章の意味が同じでも、ひらがなでなく漢字、それも漢文あるいは漢詩の形態で書かれると、途端にありがたみが増すように感じてしまうだろう。漢字の文章は、たとえつまらない内容でも西施の顰のごとく、人を引き付ける。漢字にはそういった魔力が備わっているようだ。

2.断定的な文体・口調

日本語と異なり、漢文(だけでなく現代の中国語も)は、一般的に断定的な表現が多い。この特質は良い面と悪い面がある。良い面としては、「寸鉄人を刺す」のようなエッジの効いたしびれる文句を容易に作れることだ。一方、悪い面としては確証がとれていないにもかかわらず、あたかも真理であるかのような印象を与えてしまうことである。

以上、中国古典についてかなり否定的なことを書いたが、そうはいっても矛盾はありながらもやはり中国の叡智がつまっていることは確かで、ものの見方を広げてくれる。少なくとも自分の気づかなかったような視点や考え方を示唆してくれることは多い。この意味で、企業経営のような組織論的観点では頼れないにしても、個人の人間性やリーダーシップを磨くにはよい書であると強調しておきたい。

【参照ブログ】
百論簇出:(第202回目)『論語に見る中国の建前論』

続く。。。
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【座右之銘・128】『賦斂軽而丘園可恋』

2021-04-04 17:30:44 | 日記
中国の歴史書は、たいていは儒者が編纂した。それで、いくら公平に扱うのが伝統であるといっても、記事の取捨選択に偏りがみられる。つまり、編纂者の観点から正当・妥当と思われる内容が取り上げられ、そうでない項目は削除されるのだ。

残念ながら、名著の誉が高い司馬光の『資治通鑑』にしても、この欠陥からは免れていない。私は資治通鑑の内容を高く評価していて、これまで 3冊もの部分翻訳本を出版した。もっともその中には、タイトルに資治通鑑という名称が見られず、私の意図に反し、出版社の意向でことさら嫌中論的なタイトルがつけられた『世にも恐ろしい中国人の戦略思考』(小学館新書)という本もある。ただ、誤解の無いように言っておきたいのは、編集者(岡本八重子さん)から適切なアドバイスを数多く頂いたおかげで、内容的には充実した本に仕上がったと、感謝している。

さて、その小学館新書のP.168からP.176にかけて、五代末の政治家・馮道の事績を中国および日本の歴代の儒者は非常にネガティブに評価している、ことを紹介した。私が見るところ、馮道は人道愛(ヒューマニティ)あふれる政治姿勢であったが、それは中国の伝統的な儒教の枠組みを越えていた。そのため、非難を受けのだが、戦国時代の墨子も同様だった。



このような悪しき非難の伝統は、この2人に止まらない。五代の建国者の朱全忠も極悪人との評価が定まっているが、良い面もあったと、宋の洪邁が『容斎三筆』で弁護の筆を執った。

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容斎三筆(中華書局):巻10(P.529)

【朱梁軽賦】

朱梁之悪、最為欧陽公五代史記所斥詈。然軽賦一事、旧史取之、而新書不為拈出。
其語云:「梁祖之開国也、属黄巣大乱之余、以夷門一鎮、外厳烽候、内辟汚莱、厲以耕桑、薄其租賦、士雖苦戦、民則楽輸、二紀之間、俄成霸業。

及末帝与荘宗対塁於河上、河南之民、雖困於輦運、亦未至流亡。其義無他、蓋賦斂軽而丘園可恋故也。及荘宗平定梁室、任吏人孔謙為租庸使、峻法以剥下、厚斂以奉上、民産雖竭、軍食尚虧、加之以兵革、因之以饑饉、不四三年、以致顛隕。其義無他、蓋賦役重而寰区失望故也。」

予以事考之、此論誠然、有国有家者之亀鑑也。資治通鑑亦不載此一節。

【意訳】五代の後梁を建てた朱全忠は、欧陽脩の『新五代史』ではさんざんけなされているが、租賦(税)が軽かったことは『旧五代史』には書かれているが、『新五代史』では書かれていない。『旧五代史』には次のような文が見える:「後梁の建国当時は唐末の黄巣の乱の後なので、治安を良くし、農業を奨励し、税を軽くした。それで、兵士は戦いに苦しむも、民は喜んで兵站のために運輸を助けた。それで、20年も経ずに立派な国になった。

後梁の末期、末帝と後唐の李存勗(荘宗)の黄河での戦いでは河南の民は運搬に苦しんだが、それでも流亡しなかった。それは、賦斂(税)が軽く、平安であったからだ。しかるに後梁が滅び、後唐になると孔謙が収税吏となり、民から重税を取り立て、中央に送った。それで、民は貧困に陥るも、それでも軍の兵士には食糧が十分行き渡らなかった。加えて、戦乱と基金で、数年の内に世の中がめちゃくちゃになってしまったこれは他でもない、重税に天下の民が失望したからだ。」

私(洪邁)が思うに、この意見はもっともだ。国政を預かる政治家が見習うべき点だが、司馬光の『資治通鑑』にはこの一節は載せられていない(のは惜しむべきだ)。
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冒頭の朱全忠に関する文章はもともとは『旧五代史』の巻146・《食貨志》に見えるが、洪邁も指摘しているように『新五代史』には見えない。

朱全忠は儒者からは、唐朝に仕える家臣でありながら、恩義に背いて王朝を奪ったため、極悪人の烙印を押されている。しかし、洪邁はそのような常識的な意見には与みせず、乱世の後であるから税金を軽くしたことで民心が落ち着いた、と朱全忠を高く評価している。

朱全忠が民衆から支持された点は
「賦斂軽而丘園可恋」(賦斂(ふれん)軽くして丘園、恋すべし)
にあると断言する。これは税金が軽ければ土地に安住していられる、という意味だ。その逆のケースは
「賦役重而寰区失望」(賦役、重くして寰区(かんく)失望す)
である。税金が重いと天下こぞって生きる望みを失うということだ。

よく知られているように『礼記』の《檀弓下》には「苛政猛於虎」(苛政は虎よりも猛し)という孔子の意見が述べられている。この点において孔子は民にとっては税の軽いことが重要であると述べ、為政者の貪欲を戒めている。ただ、孔子の言うことがいつもいつも正解であったかというと、必ずしもそうはない。例えば、『論語』《顔淵編》に「兵、食、信」のどれが一番大事かという子貢の問いに対して、孔子は「信」だと答えた。民が飢死しても、為政者は信を守るべきだ主張する。しかし、王朝が倒れ、乱世に移った時には平時の論理・倫理が通用するとは考えられない。民衆にとって何が一番大切かは変化する。それが「権」という概念だ。孔子の「信」は平時に通用する倫理であり、固定観念に縛られていては判断を誤るということだ。乱世にあっても朱全忠は実務的に正しい判断を下したおかげで、数多くの民は生き延びることができた。
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