限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第361回目)『可愛いネコがいつの間にか獰猛な虎に!』

2024-04-28 10:56:40 | 日記
私は現在までに、8冊の単著を出版した。テーマは全てリベラルアーツ、つまり「文化のコア」を掴むことを目的としている。ただ、最初の本『本当に残酷な中国史 ― 大著『資治通鑑』を読み解く』が処女作にもかかわらず、思いのほか好評で多く売れたため、私が昔から中国史に精通していて、漢文をすらすらと読み解いていたかのように思っている人もいるかもしれない。

しかし、すでにこのブログや著著のところどころに書いたように、高校時代、漢文は大の苦手で、返り点のつけ方の規則がまるでちんぷんかんぷんであった。その原因は、当時の(そして現在でも尚!)漢文の授業ではパズル式に、一、二、三、レ点、上、下、甲乙丙などを順を追って読むだけで、学生が自分で返り点をつける訓練はしない。今から思えば、漢字だけといっても漢文は、日本人にとっては立派な外国語である。そして外国語の修得の唯一の方法は、口と耳を駆使して音ベースで訓練することだ。音を無視して、視覚だけを頼りにパズル式に漢文を訓読しようとする方法はこの点では「労多くして、実り無し」と破綻している。



私が返り点の規則を習得して漢文を自由に読めるようになったのは、王陽明の文集を読んでいる時の偶然のできごとによる。王陽明は孟子の文章を頻繁に引用するが、私は、当時はまだ孟子をあまりよく覚えていなかったので、何度も本文を参照しなければいけなかった。それが面倒なので、本文参照の手間を省くために、耳から孟子を暗記することにした。驚いたことに数ヶ月、耳の訓練をすることで、返り点なしの漢文がすらすら読めるようになった。それに力を得て、「とうてい一生の間に読めはしないだろう」と積読状態にあった資治通鑑を実質1年で、カバートゥカバーで読了することができた。

資治通鑑の初めの巻は戦国策や史記とダブっている話なので、内容は熟知していた。そこを飛ばして、王莽が漢王朝を簒奪して新を建国する辺りから読み始めた。後漢建国にまつわる争乱が収まると中国は俄然、儒教一色に染められた。正直な話、この辺りまで私は所謂『漢文ファンタジー』的心情で資治通鑑を読んでいた。もっとも、この『漢文ファンタジー』的心情は、後に私自身が自著(『資治通鑑に学ぶリーダー論』(河出書房新社)や『中国四千年の策略大全』(ビジネス社)で厳しく糾弾したが、そ由来は資治通鑑を通読したことによる。

ところで、『資治通鑑』は司馬光をはじめとした北宋の儒者たちの書いた歴史書であるから、文学的にも人格形成の面においてもすぐれた書であるに違いないと当時の私は思いこんでいた。ところが、三国志の末期あたりから、西晋の八王の乱に至ると、それまでの読書では全く経験したことのない極めて衝撃的な光景が次から次へと現出してきた。『本当に残酷な中国史』にはこの情景を次のように表現した。。

「資治通鑑には、次々と発生する盗賊や軍閥の理不尽な寇掠と暴行、それに引き続いて起こる大飢饉、まさに広大な生き地獄の世界が際限なく描かれている。つかの間の平和も、官吏の底なしの苛斂誅求と宦官や悪徳官僚の桁違いの賄賂政治。どこを見ても、義などは存在しないように見える悖乱の世界、それが、文化栄えたる中華と言われた所なのだ。」

当時、兵庫県の外郭団体で働いていたので、週の5日は仕事に取られていたので、資治通鑑を読めるのは週末の2日だけであった。それで週末は、毎日10時間程度集中して、資治通鑑を読んだ。短期間に集中して読むと、事件の流れが記憶に残っているので、あたかも3DのIMAXシアターを見ているようだった。しかし、かなり多くの残酷な情景があり、一日の内にに何度も桁違いの残酷シーンに出会うたびに、一人「ひょえ~~!!」と叫び声を挙げていた。

「資治通鑑はなんというおそましき現実を書き残してくれたのだ!」

司馬光たちは、何ら躊躇することなく、中国社会の悲惨で残酷な情況を余すところなく剔出した。ここまで読んできて、私は「可愛いネコを飼っていたつもりが、がいつの間にか獰猛な虎に変身」したことに呆然とした。そこまで、私は中国は徳を重視する儒教が倫理観の柱だと思い込んでいた。これはまさに「漢文ファンタジー」そのもので、資治通鑑は私の甘っちょろい考えを完全に木っ端みじんに吹き飛ばしてくれた。それは、あたかも熱心なキリスト教者が急に無神論者(atheist)に転向したようなものだ。この落差はとても「眼からうろこが落ちる」どころの生半可なものではなく、眼に望遠と顕微鏡を兼ねた赤外線カメラに置き換わったようなものだ。森羅万象がこれ以上ないほど鮮明な画像となって見えてきた。そうなって、過去を振り返ってみると、「一体自分は何を勘違いしていたのか!」とあきれ果てた。

李朝の末期にスウェーデン人のジャーナリスト、アーソン・グレブストは朝鮮に渡り、李朝の実態を記述した『悲劇の朝鮮』を出版した。その中には、彼が実見した公開処刑の様子も隠すことなく詳細に描いた。処刑の記述が余りにも残酷で生々しいので出版後、非難が殺到したという。しかし、それに対しグレブストは李朝の残酷な一面を公表する意図を次のように説明した。

「ある者はこの世の明るい面だけを見ようとして片方の目を閉じたまま人生を送っていくかもしれないが、そんな人たちの抱く人生の理解は明るく美しいものであってもも、けっして正しいものではありえない」

私は、図らずも『資治通鑑』を読破することによって、ぼんやりと閉じていた片目を大きく見開かされた。その意味で私は生涯の内に『資治通鑑』を読むことができたことに感謝しつつも、アンビバレントの感情としては、資治通鑑を読まずに片目を閉じたまま送れたはずの無邪気さを永遠に喪失させられたことに、一抹の哀感も覚えている。ついで、言わずもがなのことをいえば、戦争や災害の実態を語り部として伝えようという活動は、日本でも数多い場面で見られるが、資治通鑑のような人類最高水準の描写力を知ってしまった後では、どうも素人の語り部の言葉では、残念ながら惻惻と胸に迫るものを感じられない。
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智嚢聚銘:(第54回目)『中国四千年の策略大全(その54 )』

2024-04-21 09:00:35 | 日記
前回

中国の戦争の話を読むと、よく遭遇するのが、相手に油断させて攻撃するやり方、つまり「虚を討つ」という作戦だ。この作戦の一つの例として、漢の将軍・李広の話が思い出される。

李広は匈奴との戦いの前線にいて、下級兵士と同じような粗末な食事と寝床で我慢した。それゆえ、全軍の兵士からは大変篤い信頼を得ていた。ある時、少数の兵と共に匈奴の陣地の偵察に出たところ、思いがけなく匈奴本体の大軍に出会った。自分たちの数少ない兵士だけでは、とうてい並みいる敵の大軍に勝てないと考えた李広は全員に馬から降りて、馬の鞍と轡を取り外すよう命じた。兵士たちは、その命令を聞いた時は心臓が凍る思いであったに違いない。馬の鞍と轡を外せば、取り囲まれても逃げ出すことができず、絶対に生き延びる可能性がなくなった。

ところが、匈奴は李広のこの指示は自分たちを欺く策略に違いないと考えた。つまり、ここで攻め込んでいけば、どこからともなく、漢の大軍が現れてきて、自分たちを逆襲するに違いないと考えたのだ。結局、朝から夕方に至るまで、漢の軍隊を取り囲んで対峙していた匈奴の大軍は夜の到来とともに、の暗闇に紛れ去って行った。

相手の油断を反撃の手がかりにすることは中国では春秋戦国の時代からよく用いられた作戦なので、それまで漢民族に散々な目に遭わされてきた匈奴としては、用心に用心を重ねたわけだ。結局、匈奴は李広の度胸ある作戦を見破ることができなかった。

これに類した話が今回取り上げる話である。

 ***************************
 馮夢龍『智嚢』【巻23 / 855 / 裴行倹】(私訳・原文)

唐の調露元年、大総管の裴行倹が突厥の討伐を命じられた。これ以前、突厥との国境あたりでしばしば食糧輸送車が強奪されていた。裴行倹はそこで、車の中に兵士5人を隠すことのできる食糧輸送車を300台、新たに作った。兵士たちには大きな刀と強い弓を与え、車の中に潜ませた。そうして貧弱な兵士たちに車を曳かせて行かせた、敵に気付かれないよう、精兵を後から護衛させた。案の定、敵が輸送車を強奪しに来たので、貧弱な兵士たちは一斉に逃げた。敵は輸送車を曳いて水草が生えている所までくると、馬を輸送車から外して車の中の食糧を取ろうとしたところ、中から兵士が飛び出して敵を撃った。と、同時に後から付けてきた味方の精兵たちも到着して、敵を皆殺しにした。これがあってから輸送車に近づいてくる敵はいなくなった。

調露元年、大総管裴行倹討突厥。先是餽糧数為虜鈔、行倹因詐為糧車三百乗、車伏壮士五輩、齎陌刀勁弩、以羸兵挽進、又伏精兵踵其後。虜果掠車、羸兵走険、賊駆就水草、解鞍牧馬、方取糧車中。而壮士突出、伏兵至、殺獲幾尽、自是糧車無敢近者。
 ***************************


上の文に登場する、裴行倹という武将は、あまり知られていないが、中国の史書『唐書』や『資治通鑑』では何度も登場し、その気高いふるまいから『儒将』と称えられている。つまり、武将でありながら、名臣の器であるということだが、そのエピソードを紹介しよう。

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資治通鑑(中華書局):巻203(P.6408)

西突厥の阿史那都支を打ち破った時に、直径が二尺もの瑪瑙の皿を得た。その大皿を軍隊の皆に見せて回っていたが、王休烈がそれを捧げ持ったまま階段を登っている時に躓つまずいて割ってしまった。王休烈は血が出るまで頭を地面に打ち付けて許しを懇願した。それを見た裴行倹は笑って「お前はわざと割ったのではなかろう。気にするな」と、割れた瑪瑙の大皿のことなどは全く気にかけるそぶりもみせなかった。

破阿史那都支、得馬脳盤、広二尺余、以示将士、軍吏王休烈捧盤升階、跌而砕之、惶恐、叩頭流血。行倹笑曰:「爾非故為、何至於是!」不復有追惜之色。
 ***************************

以前、河出書房新社から出版した『資治通鑑に学ぶリーダー論』には裴行倹に関するエピソードを幾つか紹介した。これもそのひとつであるが、私はこの話が一番印象深く記憶に残っている。裴行倹の部下に対する暖かい思いやりと磊落さがよく分かる話である。

続く。。。
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百論簇出:(第279回目)『シニア・エンジニアのPython事始(その5)』

2024-04-14 09:04:10 | 日記
前回

長年GmailをメインのEmailとして使ってきた。その理由は、私のように、所属がしばしば替わるような状況では、退職した途端に、組織の独自のメールボックスに入っているデータはアクセスできなくなるので、どこからでもアクセスできるGmailのようなツールは使い勝手がよいからだ。

これに加えて、Gmailはつい最近まで、簡易形式のメールシステムを提供してくれていたのも長年使っていた理由の一つだ。簡易形式の利点は、とにかく、立ち上げが早いことだ。それに加え、私のように基本的にデータを自分のHD(オンプレミス)に格納するための必要データ(発信者メールアドレス、CC受信者メールアドレス、本文など)が簡単に取れたからである。

簡単というのはGmailの受信画面全体をコントロールA+コントロールCで、バッファーにいれて、それをテキストエディターに吐き出し、それを一旦格納してから、固定不要文字部分を取り除くとメールデータが格納できるからだ。言葉で説明すると長たらしく何だか難しそうに聞こえるかもしれないがが、Windowsのバッチコマンドで処理すると、1本あたり僅か数秒で処理できる(というか、できていた。)

ところが、昨年(2023年)の暮(12月)ごろから、簡易形式は廃止するという警告がGoogleから何度も出されていた。無視して使い続けていたが、とうとう最近、2024年3月になって強制的に簡易Gmailから標準Gmailに切り替わってしまった。標準Gmailに切替したくなかったのは、上述のテクニック、つまり、「受信画面全体をコントロールA+コントロールCで、バッファーにいれて、それをテキストエディターに吐き出す」とメールの一部の情報が欠落するからだ。具体的には、送り先のメールアドレスが脱落し、送信者の名前しか分からない。さらに悪いことにCCのアドレスもとれない。そうなると、後になってメールを見返して、送信者に連絡を取ろうとしても、オンプレミスに蓄積されてデータからでは不可能で、Gmailのデータにアクセスしないといけない。一般のGmail契約では数年経つとメールは規定バイト数を超過して古いメールは削除されてしまうであろう。

この問題を解決する方法としては、少なくとも次の2つの方法が考えられる。
1.かつての簡易Gmailのようなメールサービスを見つけ、Gmailを転送し、転送されたデータから必要情報を取り出して保存する。
2.Gmailのデータから直接、送信メールアドレス、CCメールアドレスを取り出す。

今回、Pythonの本やWeb情報を見ていると2.の方法で、私の望む処理が出来そうなことが分かった。

ところが、いざ始めてみるとWeb上の記事のタイトルにもなっているが、
 「Gmail API を使ってメールを取得すると結構大変だった話(前編)」
とまさに同じ状態に陥った。そう、Gmailのデータを取り出すのは、そう簡単ではないのだ。

技術的に正しいか自信はないが推測で言うと、Gmailのデータを取り出すのが難しいのは通常のPOP3のコマンドではGmailの受信データにはアクセスできないからだ。Gmailのセキュリティが堅いのである。Gmailのメールボックスにアクセスするには、予め認証(Certificate)の token を取得しておく必要がある。このtokenを持っているユーザーだけがアクセスできる。このtoken を得るまでが一苦労であったが、何とか達成した。

次の難関は、Gmailだけでなく、現在のメールシステムというのはどうやらスパゲッティらしく、本文の場所が、何ヶ所かに別れているという。Web上のPythonコードを実行させてみると、本文の取り出しが場合によっては中途半端で終わってしまうようなこともしばしばあった。そうこうして、20ヶ所近くのWebサイトのPythonコードをチェックして、ようやく私が所望する処理ができるコードを次のサイトで見つけた。
PythonでGmailを取得し、件名や受信日をPandasを用いてExcelに書き込む方法
これを実装すると、ドンピシャ動いた。ただし、私の要望に合わせて、エクセルへの格納部分や添付ファイル取得部分などは削除した上に、若干変更したものを、以下に示す。

このコードでは、送信者データ、CCデータ、本文など、基本部分はきちんと取り出せたのであるが、いろいろと改造した。
1.HTMLファイルは、全体ではなく、文字部分のみを抽出する。
2.蓄積データの文字コードをUTF-8からShift-JISに変換する。
3.UTF-8 からShift-JISに変換するときに、Windowsの改行マーク(0x0d+0x0a)に 0x0d が1つ分余計に加わり、0x0d+0x0d+0x0a となるので、Windowsの平文に変換すると空白行が1行余計に出来てしまう。それで0x0d を1つ削除する。

 ************

今回は、Gmail の方針の変更で、簡易形式が使えなくなったので、その代用のシステムをWeb上の情報を基にして、すきま時間を使って20日ばかりで作成できた。(真剣にすれば数日の話かもしれないが。)この過程で、つくづく数十年前であれば、到底一人では、数ヶ月はかかったのではなかろうか、と感じた。私は以前にプロのシステムエンジニア・ソフトウェアエンジニアとして仕事をしていたので、このようなシステムの構築の難しさをよく分かっている。つまり、メールシステムのような複雑でスパゲティのシステムからデータを取り出すには仕様の細部まで十分に理解していないといけない。そのためには、かなりの量のドキュメントを丹念に読まないといけない。それには、数人(あるいは数十人)が取り組んで少しづつ理解している事柄を集積するのが一番の早道だ。ソフトウェアハウスでは、プロのソフトウェアエンジニアが周りに数多くいるので、聞いて回ることができるが、私のように一人で仕事をしている人間にはそういう情報入手ルートが全くない。それを救ってくれるどころか、それよりも幾倍も有益な情報を与えてくれる環境がWebだ。

私はプログラミング言語としては、Python自体は、別に好きでも嫌いでもない。それで、客観的立場から評価できる。PythonはWeb上に掲載される情報の多さとモジュールの豊富さで他の言語を遥かに凌駕している(と感じる)。それゆえ、Python は現代人が真剣に取り組むべき言語だと考えている。
     ----------------------------

# -*- coding: Shift-JIS -*-
## Gmail データを取得する。
## 基本構造は、下記のサイトのコードを使った。
## https://teratail.com/questions/8wl34hy9x3iwi8

from google.oauth2.credentials import Credentials
from googleapiclient.discovery import build
import json
import base64
import pandas as pd
import sys

def get_header(headers, name):
  for h in headers:
    if h['name'].lower() == name:
      return h['value']

def base64_decode(data):
  return base64.urlsafe_b64decode(data).decode()

def base64_decode_file(data):
  return base64.urlsafe_b64decode(data.encode('UTF-8'))

def get_body(body):
  if body['size'] > 0:
    return base64_decode(body['data'])


def get_parts_body(body):
  if (body['size'] > 0
      and 'data' in body.keys()
      and 'mimeType' in body.keys()
      and body['mimeType'] == 'text/plain'):
    return base64_decode(body['data'])

def get_parts(parts):
  for part in parts:
    if part['mimeType'] == 'text/plain':
      b = base64_decode(part['body']['data'])
      if b is not None:
        return b
    if 'body' in part.keys():
      b = get_parts_body(part['body'])
      if b is not None:
        return b
    if 'parts' in part.keys():
      b = get_parts(part['parts'])
      if b is not None:
        return b

def get_attachment_id(parts):
  for part in parts:
    if part['mimeType'] == 'image/png':
      return part['body']['attachmentId'], 'png'
  return None, None



### ?100
def main():
  if len(sys.argv) < 1:
    print("gmail_getm.bat ");

  dir_gmaildata = "c:\xxx";
  ss_tmplst = dir_gmaildata +"tmplst.lst"
  ffout =open(ss_tmplst, "w", encoding='utf-8');

  dir_dosbin= "d:\yyy";
  tokenPath = dir_dosbin + "token.json"
  Read_maxResults=30; 

  scopes = ['https://mail.google.com/']
  creds = Credentials.from_authorized_user_file(tokenPath, scopes)
  service = build('gmail', 'v1', credentials=creds)
  output = []
  messages = service.users().messages().list(
    userId='me',
    labelIds='INBOX',
    maxResults=Read_maxResults,
    ).execute().get('messages')

  msg_counter = 0;  
  for message in messages:
    msg_counter += 1;
    print(" ");
    ss_tmptxt = dir_gmaildata + "tmp%02d.txt" %msg_counter;
    ff_tmptxt = open(ss_tmptxt, "w", encoding='utf-8');

    ffout.write("\n==== File [ aa%02d.txt ] ====\n"  %msg_counter);
    m_data = service.users().messages().get(
      userId='me',
      id=message['id'],
    ).execute()

    # ヘッダー情報
    headers = m_data['payload']['headers']

    # 日付
    message_date = get_header(headers, 'date')
    print(f'Date: {message_date}')
    ffout.write( f'Date: {message_date}' + '\n');
    ff_tmptxt.write( f'Date: {message_date}' + '\n');

    # 差出人
    from_date = get_header(headers, 'from')
    print(f'From: {from_date}')
    ffout.write( f'From: {from_date}' + '\n');
    ff_tmptxt.write( f'From: {from_date}' + '\n');

    # 宛先
    to_date = get_header(headers, 'to')
    print(f'To: {to_date}')
    ffout.write( f'To: {to_date}' + '\n');
    ff_tmptxt.write( f'To: {to_date}' + '\n');

    # 宛先 -- CC
    cc_date = get_header(headers, 'cc')
    print(f'Cc: {cc_date}')
    ffout.write( f'Cc: {cc_date}' + '\n');
    ff_tmptxt.write( f'Cc: {cc_date}' + '\n');

    # 件名
    sub_date = get_header(headers, 'subject')
    print(f'Subject: {sub_date}')
    ffout.write( f'Subject: {sub_date}' + '\n');
    ff_tmptxt.write( f'Subject: {sub_date}' + '\n');

    body = m_data['payload']['body']
    body_data = get_body(body)

    parts_data = None
    if 'parts' in m_data['payload'].keys():
      parts = m_data['payload']['parts']
      parts_data = get_parts(parts)

    body_result = body_data if body_data is not None else parts_data
    ff_tmptxt.write(str(body_result).rstrip());
    ff_tmptxt.close();

  ffout.close();
    
if __name__ == '__main__':
   main()
</code>

     ----------------------------
続く。。。
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智嚢聚銘:(第53回目)『中国四千年の策略大全(その53 )』

2024-04-07 08:27:17 | 日記
前回

日本では、武士魂の象徴といえば、刀が挙がるが、実際の戦争での活躍度合いは、残念ながら、弓にかなり劣る。つまり、戦場での勝負には剣術の達人よりも、弓矢の達人の方が勝つ率の方が圧倒的に高い。剣術の腕前より、弓矢の腕前が優れていたことで名高い武将といえば、徳川家康が挙がる。家康は、弓の腕前で有名で「海道一の弓取り」とも呼ばれていた。江戸時代でもそうだったが、遡って源平合戦の頃の源為朝は日本一の弓の達人だとして、「無双の弓矢の達者」(鎮西八郎者、吾朝無双弓矢達者也。)と称された。

弓は刀と違って、自分が傷付かずに相手を倒すことも可能であるが、いかんせん、矢が尽きると全く無力となってしまう。矢は無尽蔵にあるわけではないし、無くなったら即座に調達できるわけもない。戦場で、矢をどのように集めるかは知恵の見せ所だ。

矢を敵から調達するという離れ業を演じた話が残っている。時は、唐の土台を揺るがした天下の大乱である安史の乱の頃、唐の官僚であった令狐潮は安禄山に降伏し、旧知で、唐の武将である張巡が立て籠もる睢陽を攻めた。

 ***************************
 馮夢龍『智嚢』【巻23 / 853 / 張巡畢再遇某督軍】(私訳・原文)

長期間の籠城で睢陽城の中の矢が無くなってしまった。それで、張巡はわら人形を作り、それに黒い衣を着せて、夜中に城壁から縄で吊るして下ろした、包囲していた敵兵はそのわら人形をめがけて一斉に矢を射かけてきたので、たちどころに矢が数十万本あつまった。その後、何度か同じようにわら人形を下ろしたが、敵兵は笑って見過ごした。そうして敵が油断した頃に、500人の決死隊をわら人形と同じような恰好をさせて縄で下した。決死隊は敵陣に殴り込み、火を放ち、数キロメートルも敵を追いかけた。

令狐潮囲睢陽、城中矢尽。張巡縛藁為人、披黒衣、夜縋城下。潮兵争射之、得箭数十万。其後復夜縋人、賊笑不設備。乃以死士五百斲潮営、焚塁幕、追奔十余里。
 ***************************



これによく似た話は、日本でも人気の『三国志演義』(第46回)にも登場する。三国志演義でも最大のハイライトシーンともいえる赤壁の戦いの場面で、呉の周瑜が諸葛孔明に矢を10万本調達するように命じた。諸葛孔明は動ずることなく、3日の内に集めましょうと確約した。だれもが、わずか3日で10万本の矢など集められるわけなどないと訝っていたが、孔明はわら人形を使って矢を集めた。原文は以下の通り。

 ***************************
 『三国志演義』【第46回】(私訳・原文)

孔明が周瑜に言うには「貴卿は黙ってみて入れ下さればよい。十万本の矢はいつ必要でしょう?」周瑜は「十日以内が望ましいが、出来るか、出来ないか?」孔明はからからと笑い、「曹操の軍隊は明日にも来ようかというのに、十日も掛かれば大変なことになりましょう。」周瑜はむっとして、「それでは、先生は何日で揃えられるというのですか?」孔明はきっぱりと「三日で十万本を揃えてみせましょう」周瑜は驚いて「軍中では戯言(ざれごと、冗談)は無ですよ!」孔明は落ち着いて「どうして貴卿にでまかせをいうでしょうか。軍命を出して下さい。3日でできなければ、甘んじて重罰をお受けいたします。」

孔明曰:「都督見委、自当効労。敢問十万枝箭、何時要用?」瑜曰:「十日之內、可辦完否?」孔明曰:「操軍即日将至、若候十日、必誤大事。」瑜曰:「先生料幾日可辦完?」孔明曰:「只消三日、便可拝納十万枝箭。」瑜曰:「軍中無戯言。」孔明曰:「怎敢戯都督!願納軍令狀:三日不辦、甘当重罰。
 ***************************

どうだろう、この『三国志演義』の文章はところどころに、正統な漢文には登場しないような言葉遣い(只、怎)は見えるとはいうものの、ほぼ漢文の文法通りに読めるのではないだろうか?中国は国土が広く、方言も数多くあるので、口語では通じにくいが文章語であれば、全国共通に通じる。それで、明代においてすら、この『三国志演義』のように、ほぼ伝統的な漢文的文章が使われていたということが分かる。

ところで、フィクションではなく、正史である『三国志』にはこの場面に関しては、「孫権が船の片面に矢を多く受けすぎたのでひっくり返し、両側の側板に矢を集めて、堂々と帰還した」との記述が見える(重將覆、權因迴船、復以一面受箭、箭均船平、乃還)。

このようにして矢10万本を集めたという、なんとも余裕綽々たる話ではないか!

続く。。。
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